ーしまった! 「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン (著)
 人間の認識の甘さは今さらいうまでもない。カントのコペルニクス的転換、「人の認識は対象に従うのではなく、
認識が対象を決める」。それを知識として知らないため、思い込みに縛られ、人は多くの失敗を重ねてきた。
更に失敗から学ぼうとしないから始末が悪い。その上、失敗に対して意識的にも無意識的にも話を作りかえる。
    まずはー内容紹介ーより                                                      人間はなぜ、まちがうのか」というテーマについて、面白くてネタになるトピックを「これでもか」
 というぐらい集めて分析した本です。たとえば・・・・・・
★ レントゲン技師は、画像に写っていた悪性腫瘍の9割を見落とす?
★ トップレスダンサーの収入は、彼女の月経サイクルに左右されている?
★ 黒いユニフォームのチームは、ペナルティーをとられる可能性が高くなる?
★ 人間は、誤りを犯しそうなときは、むしろ「行動を起こさない」という誤りを犯すほうを選ぶ?
★「セックスした相手の数」を、男は女の四倍も多めに答えたがる?
★ 医師の八四%は、同業者がメーカーからの贈与に影響されていると考える。
 だが、自分が影響されていると考える医師はわずか一六%しかいない。
★ 人はなんらかの形で自分が不正をしていないことを証明すると、その後の作業でもっと不正をしやすくなる。
★ 映画を「あとで見る」人は高尚な作品を、「いま見たい」人は大衆的な作品を選ぶ。
★ キャッシュローンを勧める通知書に女性の写真を載せるだけで、利率を五ポイント下げたのと同じ効果が期待できる。
★ 予備選名簿の一番目に載った候補者は、得票に三ポイント上乗せできる。
★ 投資家は、金曜日の経済記事には月曜日の記事ほど注意を向けない。
★ 人間は、印象の操作など特定の目的のためには平気で話をつくり変える。
★ 無意識につくり変えた話でも、二度三度と繰り返すうちに、いつしか「記憶」そのものになってしまうことがある。
★ 一般的に、男は自分を持ち上げるために、女は他人を持ち上げるために嘘をつくことが多い。
★ 社会的地位や学歴、収入は、全体の幸福度におけるわずか三%しか占めていない。
★ 人を単純作業に従事させるためには、お金の力がものを言う。だが、たいていの行動では、人間は総じて
 金銭的動機には左右されない。(ゆえに、行動経済学はあまり役に立たない?)  などなど、興味深い話がてんこ盛り。
 ▼ 人は思うほど完全な存在でないが、しかし周囲は人が完全であるかのような前提で動いている。
  私が学生時代のゼミで多くのことを学んだ中の一つに「会社組織は完全な存在でなく、個人の将来まで考えてくれない。
  独自で学び続けなければ知識や能力は得ることが出来ない」ということ。 キャリアは自身でつくり上げるもので、
  与えられるものでない。実際のところ、成功の背後には失敗の累積がある。問題は致命的な失敗をしないこと。そして、
  失敗から学び取ること。人生を振り返って、今になって真の失敗は何だったか気づくことが、あまりに多い。
・・・・・・
4077, 哲学で自分をつくる ー4 (ソクラテス
2012年05月24日(木)
    * 魂に磨きをかける         「哲学で自分をつくるー 19人の哲学者の方法 」 瀧本 往人 (著)    
   第一章  しったかぶりはもうたくさん 〜ソクラテス ー?
≪ 死刑を宣言された際、つまり自分の死に対し、「死を恐れることは、死のことがよく分かってないのに分かった気になる」に等しいと、
 ソクラテスは考えた。死について何も分かってないのに「死を恐れる」などということは愚かしい、誰も死を知っている者はいないのに、
 なぜ恐れるのかと問いを発する。命がけで期待された弁明の機会もアテネ市民の将来を憂いる。そして死刑判決を受ける。
  ・・・無知をハッキリさせることは「汝自身を知れ」に通じる。自分が何も知らないことを自覚し、より一層真理を追究する態度は、
 単に、汝自身を「知る」ことでなく、魂の鍛錬という「実践」であり、自分がよく生きるための問いである。魂を磨くことは、ただ漠然と、
 自問自答するのではなく、他者にかかわる中で、他者に問いかける中で磨かれるものである。 ソクラテスが探し出そうとしたのは
 「真理」であって、ソクラテスらしさではない。探し出すには、相当の鍛錬、実践が必要とされた。自分の魂を磨くには、命をかけて
 真理を追究しなくてはならない。他者が嫌がることでも、問いかけを行わなければならない。 この対話、営みは「パレーシア」
 (真実を語ること)と呼ばれている。彼の対話術は、自らの主張を他者に受け入れてもらうための技術ではなく、「相手に問いかけること」
 そして相手の主張を「聞くこと」に主眼があった。そもそもこの「無知の知」の重要性は、この「聞くこと」のための手法にあった。
 何かを知っているから語るのではなく、何も知らないから、分かってないからこそ、相手から引き出そうとする。 パレーシアの原点は、
 そこにある。それゆえ、その原点は、密接な一対一の関係が必要である。この対話は、自分が主役として振舞うのでなく、相手の話を
 引き出すように行われる。それゆえ相手はソクラテスに導かれながら自分について語ることになる。重要なのは、自分が語ることができる
 「ロゴス」(論法と言葉)が、自分の生き方と確固たるつながりがあることなのである。 ・・・  ≫
  ▼ 「吟味されることのない人生など生きるに値しない」というソクラテスの言葉が好きである。要は、味わい尽くしてこそ人生である。
    対話は他者だけでない、自分の経験に対してもおこなうべきである。 そのため老後という期間が人生に与えられている。
   老後を如何に過ごすか?と問われれば、「それまで人生に対しての自己問答を通して、魂に磨きをかけること」が答えになる。
   それは死を間近にした真剣勝負である。だから面白いのである。魂に磨きをかけるとは、そう甘いものではない。
  ・・・・・・・
3711, ジャズについて −6
2011年05月24日(火)
                    ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
    ー1935年、2ビートから 4ビートへ ー「スウィング」の時代    ー P・192
  * 「スウィング・スタイル」の立役者ぺニー・グッドマン
【 デューク・エリントンに、「スウィングしなけりゃ意味がない」という、よく知られたタイトルの曲がある。
 一九二九年の金融恐慌に始まった大不況がようやく回復の兆しを見せてきた三五年頃、ジャズの中心地となっていたニューヨークでは、
スウィング・スタイルのジャズの時代を迎える。スウイング・スタイルのジャズとは、ビッグ・バンドによる躍動感あふれるダンスの
ためのジャズといってもいいだろう。ジャズのリズム的特徴の4ビートにある。従来の2ビートから4ビートに移行したのも、
このスウィング・スタイルの特徴であり、心地よい揺れるような感じ(スイング感)がこれによって生まれた。
 立役者は白人のペニー・グッドマン(一九〇九〜一九八六)。彼は、一九三四年に不況のあおりで自分のバンドを解散せざるを
えなかったフレッチャー・ヘンダーソンから、そのビッグ・バンド・スタイルの編曲を丸ごと"買い受け"たのである。
そしてそれに洗練を加えることによってダンス音楽としてのジャズに新たな味わいをもたらした。
 そもそもジャズは、誕生当時からダンスホールやクラブで演奏されることが多かったように、ダンス音楽の側面を持っていた。
ジャズが鑑賞のための音楽になるのは、その後のことである。
 グッドマンは、より速いテンポ、短いフレーズの繰り返し、軽快で歯切れのよいタッチの演奏で、それをスウィツグ・ジャズ・スタイル
として確立させたのである。グッドマンのあとには、トミー・ドーシー楽団やグレン・ミラー楽団といった白人ビッグ・バンドが続いた。`
 やがてこのスウィング・スタイルでのコンポ(八人くらいまでの小編成楽団)も人気を集めた。彼らはニューヨークの五二番街に
集中していた小ぶりなクラブでもっぱら演奏したので、五二番街は「スウィング・ストリート」と呼ばれた。
 スウィングを担ったジャズメンは白人が多かったものの、だからといって、ジャズが「黒人による不良・ぽいワイルドな音楽」から
「白人による健全でスTト書楽」へと変質したわけではない。むしろ、スウィングから次のビバツプの時代を経て、ジャズが
黒人だけの音楽から、白人を含む音楽へと広がりを持ったと認識すべきであろう。】
 ▼ ここでジャズは、元もとダンス音楽の側面があり、スウィングの流行後に、ジャズ音楽鑑賞として進化したとは知らなかった。
  それも、あのべニー・グッドマンがスウィング・ジャズの立役者とは。 あの恐慌の半ばで・・・ それと、学生時代に
  持っていた少ないレコードの中にグレン・ミラー楽団とべニー・グッドがあったことを、この書を読んでいて思い出した。
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3346, YouTube の視聴回数 1 日 20 億回! −1
 2010年05月24日(月)
 YouTube の視聴回数が1 日 20 億回!には驚いた。2年前に息子から面白いとサイトを開いてK-1を見て驚いたが、
それっきりだった。 それがビデオカメラを買って、撮影し、投稿して初めて面白い投稿が多くあるのに気づいた有様・・。
まずはペットから始まり、アフリカの野生動物、そして花火と、見る度にはまってしまった。
  ーこのサイトのHPによるとー
≪ 5年前の5月、YouTube の創業者たちは何カ月も深夜まで及ぶテストと作業の末、YouTube.com をオープンしました。
その使命とは「誰でも簡単に動画をアップロードし世界中と共有することができる場所を提供すること」。
今日 YouTube は、映画監督でも、政治家でも、自慢の子を持つ両親であっても、または大きな何かと繋がっていたいという人たちが、
自身をブロードキャストすることができる場となりました。YouTube は誰もが想像したよりも遥かに素晴らしいサイトに変化を遂げ、
活気に満ちたユーザーのコミュニティが創られた。多くの皆さんに使っていただいた結果、今日 YouTube の視聴回数は 1 日あたり
20 億回を超えるまでになりました。これはアメリカの主要テレビ局 3 局のゴールデンタイム中の番組視聴回数の合計の 2 倍近い数値。
自宅の寝室で撮影された動画ブログやバイラル動画のサイトとして始まったものが、HD画質や3D動画に対応し、200 カ国に放映される 
1 シーズン分のスポーツの試合、より良い社会を目指したドキュメンタリー映像、更にはアメリカ合衆国大統領へのインタビュー
までも配信する世界的なプラットフォームに進化しました。≫
  ー以上だが、ツイッターには、すぐ反応したが、これに反応しなかった鈍い感性に驚いている。
     (字数制限のためカット2011年5月24日)
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2971,住まうこととさまようこと ー3
2009年05月24日(日)
  * さすらう者たち
 「さすらい」という言葉は、深い何かを感じ取ることが出来る。それは、青年期になると、親から一歩はなれて、
自分の世界を探し求める者の姿に二重写しにもなる。産まれ、育ち、生きていく人間のありようが、さすらいかもしれない。
その言葉に、「ニヒリズム」の響きを感じるとるのは、人間の存在は死すべき存在であるかだ。さすらいといえば、船乗りと遊牧民。 
彼らは、「住まうこととさすらうこと」を同時にしている。 彼等の方向性は、目的とする港であり、商業の街である。 
彼らは、港や商業地で住む人たちとは本質を別とする。「男はつらいよ」の寅ちゃんではないが、自分の帰属するところがあってこそ、
さすらいが出来る。 古来、未知なるものへの憧れが、人間をさすらいへと駆り立ててきた。
欧州ではユダヤキリスト教の影響が顕著になると、さすらいは原罪を背負い呪われた者たちの宿命であり、彼岸という最終目的に
至るための受難の道に過ぎないと、考えられるようになった。今日でも、何らかの最終目的に到着することが、旅の目的とみなされてきた。
   (字数制限のためカット2011年5月24日)
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2607, 脳内会話 ー2
2008年05月24日(土)
 脳内会話といえば、
哲学者の池田晶子の「帰ってきたソクラテス」「ソクラテスよ、哲学は悪妻に訊け」「さよならソクラテス」の三部作が、
池田晶子の脳内会話のようなものだった。宇宙の彼方から帰ってきたソークラテスが、現代のニッポンに甦り、現職議員や老人福祉係、
ニュースキャスター、ジャーナリスト、エコロジスト、フェミニスト、マルチプランナー、トレンドクリエイター、コピーライター、
サラリーマンから釈迦まで、様様な職業の人たちと、政治や老人福祉、その他諸諸のことについて、対話する。
筆者が抱いている「ソクラテス像」というフィルターを通して、しゃべりたいことを、ソクラテス池田晶子に話をさせている。 
ソクラテスなら、こういうだろうと池田が成りきっているところが面白い。これこそ脳内会話そのものだろう。
ーー
「そーさ、そりゃあたしだって、決してこんな世の中いいと思ってるわけじゃない。確かにこの頃は・目に余るところはあるわよね。 
でも世の中って、そういうもんて言や、そういうもんなんじゃないの。(中略)あたしは自分の身の丈の暮らししかしたいと思わないから、
官僚が金儲けしようが女子高生が売春しようが、あきれはするけど、かまわないね。言ってわかる連中じゃないんだから。 
(中略) ああいうのに腹立てて、やいやい言ってるヒマがあんなら、自分をまじめに生きてる方が、あたしはいいね、ほんとは
そっちが先でないのか。みんながそれをほっぼらかして、人のことや世間のことばっか気にするから、結局世の中全体が、
そういうふうになるんでないのか。.……」 ーソクラテス
『悪妻に訊け』で読んだ「フェミニスト」とのやりとり。
「 フェミニスト  女の能力は生殖や家事に尽きるものではないと私は言ってるのです。
   女の隠れた能力を存分に発揮できる場所を、社会は用意するべきだと言ってるのです。
  クサンチッペ  馬鹿だねえ。女の能力って言うんなら、そりゃ男を動かすことに尽きるでないの。
   社会動かしてるのが男なら、その男を動かすことこそ女の技量ってもんよ。せっかく女やってるんなら、
   断然その方が面白いね。
    (字数制限のためカット2011年5月24日)
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2007年05月24日(木)
2242, 閑話小題  ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ
 *滋烈亭のママ*
十数年前の話になるが、長岡や県外の人が新潟・古町界隈の「個性的な店に行きたい」というと「滋烈亭」という
創作中華料理店に連れて行った。ママも美人でキップが良かったこともあったが・・・ところが当時、改装をしたという
案内をもらったので行ったところ、カウンターを主体にした、より高級志向の店になっていた。
  (字数制限のためカット2011年5月24日)  ところで、この数年後に鬼籍に入られた。
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2006年05月24日(水)
1877, 「ノート術」本当の極意 ー2          おっ w(゚Д゚)w ハァョ?               
 「手帳とノート魔法の活用術」の著者の和田茂夫氏の
  ービジネスノート活用七原則ー の基本的ノートの使い方が参考になる!
原則一、ノートとメモは使い分ける(メモは気づいた時に、適当に書きとどめるので改めて書き直す方が良い。
     メモ情報のなかにお宝が多いのを掘り出すことになる。     
原則二、カタチは何でもよい(A4かB4のノートで十分)    
原則三、ノートは片面だけをつかう
    (ノートを切り離して使うためにも、片面がよい。見直すときも常に書いてある方をみれるし、みやすい) 
原則四、タイトルは×マークで(その上の部分にテーマ、右の出典、左に月、下に日付けを入れる 
原則五、主語+述語のワンフレーズで書く(たとえば「新会社法」とか「見積書」の場合、
   「新会社法の施行」「見積書をファックスする」)     
原則六、図解してみよう(マインドマップ、○△□→などを多くつかう)  
原則七、封筒で整理する (テーマごとに大きな封筒の、関連のノートなどを入れておく。ノートは片面しか使ってないので
    切り離してもよい。タイトルを端に書いておけば、少し引き出しただけで、封筒の内容がわかる。)^ー^)/C□~コーヒー?
   (字数の関係でカット 12年05月24日)
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2005年05月24日(火)
1512, こころを凛とする196の言葉ー1          読書日記
 最近、あまりこだわりを持たないで、色いろなジャンルの本を読むようになった。
その中に、女性が女性向きに書いてある文章がある。読んでいると、切口が鋭いことと、少し言葉を変えると「男」にも
当てはまる内容が多い。特に、服装に対する心構えなどは男性用のものは殆どない。外見に対して気をつけることとして、
「清潔7割、色気3割」は、男にとって「清潔7割、着こなし3割」と考えればよい。それとも、色気3割も必要なのかもしれない。
とにかく、読んでいて男の自分が「ハッ!」とする内容が次々と出てくるから不思議である。
特に、汚いオバサン化した女性には厳しい言葉である。若い女性には、是非読んでほしいものものばかりだ。
女性の気の使い方が読んでいて面白い。大事なことだが、でも? まあ、いいか!
女性の化粧は、欠点をカバーするもので、特にアンバランスを調整する為にするのが基本であるという。
ブランド物でどういうバランスを保てるのか疑問符があるが。
 ー 幾つかを書き出してみる ー
・美の真骨頂は7対3
  私が街で振り返ってしまう女性は、いつも決まって同じタイプ。 清潔感と色気がきっちり7対3の女たちである。
・清潔感を毎日ひとつ
  メイクでも服でも香りでも何でもいい。毎日ひとつでも、清潔感を放つものを体にくっつけて出かける。
 それが「清潔感のある人」・・・
・服のルール
  おしゃれとは、年齢とともに失っていく清潔感を取り戻すためにある。
  (字数の関係でカット 09年05月24日)
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2004年05月24日(月)
1147, 「唯脳論」 
この本も、なかなか面白い。情報化時代だからこそ脳が問題になる。脳こそ、情報器官そのものであり、
それがコンピューターと結びつき、さらにインターネットでネットされた現代社会では、最も注目されてしかるべきである。
自分の脳を公開して、さらに自分で時間をおいてみてみると、自分でも面白いのだから、他人が見たらもっと面白いだろう? 
この随想日記は「唯脳の世界」そのもの、それも重層に重なっている。「現代人は脳の中に住むという意味で、
いわばお伽噺の世界に住んでいるといっていい。」と著者は書いているが、ある意味、このHPもお伽噺かもしれない。
ー以下は、あるホームページの抜粋を、再構成したものである。
それにしても、神様か、高度の何かが人間や生物を創ったとしか思えないが。
 (字数の関係でカット 09年05月24日)
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2003年05月24日(土)
780,またおきた「意味ある偶然の一致」
  ー40歳の頃 −1986年
過去をこうして書いていると、いかにして今の自分になってきたかの謎解きを一人しているような気分になる。
この頃は第二の増築工事の完成をした年であった。280室に向けて一番勢いがあった。
 (字数制限のためカット2010年5月24日)
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2002年05月24日(金)
416,鳩山家の「勉強法」
何回か立ち読みをして買うかどうか迷っていたが,先日買って読んで面白かった。しかし本来ある技法を、とってつけたような
内容も多かった。最近ノウハウ書に凝っている。以前はノウハウ書などの小手先の本を甘く見るところがあった。
ところがそれが思い込みでしかないことが、この年で解った。ノウハウ書ばかり偏るのがよくないのであって、技術の宝庫で
あることは間違いない。この本もそうだ。ノートのとり方一つでも目から鱗。私の場合あまり勉強が得意でなかったこともある。
最近凝っている即読法もそうだ。10倍とはまだなってないが、3~5倍早く読めるようになった。うそみたいな話だが。
10歳ぐらいのときに、ある姉が教えてくれた。「一科目だけでいいから、勉強して一番をとりな!」
これが小学年の後半、算数だったと思うが一番になった。 それがきっかけであった。そして中学二年の時、・・・と。
  さてこれで印象に残っている順に書くと!
・ノートの左右の書き分け 左にキチット先生の教えたことを、ノートにとる。
  右に 右脳的に 絵とか自分の 形に遊びを入れて書き換える。
 また、そのときの部屋の様子や、他のことも書き加える。ダビンチのノートもそうだ。
 絵と文を交互に空間を広く取りながら書き込む。広くとった空間にどんどん書き加える。
・あと問題集を徹底的に解く。それもどんどん答えを見ながら、先に進む。
・本は全体をとりあえず読む。そして後ろのほうから、逆読みをする。
 推理小説の犯人を先に知った上で、 そのストーリーを読み解く方法を勉強法に取り入れる。
・黒板を周辺に置き、いま覚えるべきところを書き込む。
・勉強をすることが楽しい雰囲気を作る。音楽はアダージョなどの、アルファー波の出る音楽を流す。
・黒板で自分が先生になったつもりで、生徒に教えるように演技してみる。
・暗記は繰り返し暗記をすれば、誰でも憶えられる。
・頭の切り替えの為、ポイントごとに遊びを入れる。
・最も大事なところは、勉強と終わりに集中させる。
   (字数の関係でカット 09年05月24日)
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2001年05月24日(木)
ホームページを開いて3週の実感
 今週末に‘写真日記のコーナー’ができると一応ホームページの骨格が完成だ。
パソコンを何のため使っているのかな?使い切っているのかな?と疑問を持っていた矢先ホームページの開設を思い立ち、
そのプロセスの中で他のホームページの構造とユニットをつかむ事が出来た。自分のデータベース造り、及びその蓄積に
なっていくと同時にそれがそのまま外界にリンクしていくサテライトスタジオ機能を持つことと言える。
グローバルに対する自己の開放である。ホームページはその表紙を語源とする。ということは大項目のデザインということになる。
この数ヶ月かなり追加と変更が予測できる。今年の新年の誓いはパソコンとインターネットとHPをものにする事であった。
特にホームページは思ったより収穫になりそうだ。 開設の5月2日以前と以後と言うくらいのそこに大きい段差を感じる。