* 22年ぶりの車選び
 日常生活の中で、TV、パソコン、車の位置づけは大きい。この年齢になれば、便利で、面白そうで、実利的で
あることが第一になる。 年金生活者ということがあるが、これが最後の車の買物?となると、大いに迷いが出る。 
しかし、選定のための中古車センターまわりは、なかなか面白い。 
 22年間、乗っていたソアラの車検の見積で、修理費など30万といわれていた経費がマフラーの交換が加わり、
50万以上の見積になった結果、急遽、買替えを決め、先週、連日、市内と見附と三条の中古車センターまわった結果、
メーカー直の販売所に比較的良い車があることを知る。 まず、ソアラ・クラスの三ナンバーの大型車か、普通車の
セダンか、スポーツタイプか、と判断に迷った。 まわって思い知ったのは、22年も乗っていた車より、どの車も、
遥かに良い!ということ。「このソアラは当たり!」という思い込みが、過剰に縛られることになっていた。
 日産とトヨタというと、先代のソアラと、その前のコロナを加えると、35年以上もトヨタ車を乗ってきたため、
トヨタ系を選びたくなる。 また、車は家内名義になるため、どうしても最安の選定に引っ張られる。こういう時に、
偉そうなことをいっても、森の生活とサバンナの年金生活の差が出てくる。歳からして、あと?年しか乗れないから、
可能な限り良いものか、逆に安いものか、大きな迷いになったが・・  何の制約もなければ、年齢を考えても、
トヨタスポーツ車にするが、中古でも結構な値がする。今更、遠出も、スピードも出さないため、考えた末に止めた。
 で、決めたのが、マークXのの「マークXジオ」、走行距離57千キロの格安のワゴンタイプ。
一応スタイルも気に入った上に、実用的が判断基準。オーナーは、もちろん家内。で、ますます頭が上がらない。
出処は、私?だが、現実は現実。産業廃棄物とは、よく言ったもの。で、車選定も一歩手前の己と似たのを探し出す!
 それにしても、これだけの中古車の在庫があるものと思い知る。 それと値段は、情報化で客観化されていることも!
・・・・・・
4452, 早朝座禅 −3
2013年05月25日(土)             
   * 座禅とヨガの呼吸法      「早朝座禅ー 凛とした生活のすすめ」山折哲雄
 雲頓庵で座禅を組んだのは六日町にある雲頓庵と、金沢時代の新人研修での永平寺。近くでは悠久山の曹洞宗・堅正寺で、
禅室で独り座禅を組んだこともあった。そうこう考えると、延べ30回は座禅を組んでいた。禅僧からみればド素人の野狐禅だが、
青年期の私には新鮮で面白い経験であった。今から考えると、自ら‘ひとり’の状態に追い込んで、心の整理を自然に任せ
整理をしていたことになる。 進路が定まらない20歳代、迷いと混乱の中、禅寺心をゼロにし行き先を考えていた。 
雲頓庵では新井石龍禅師から直接、姿勢の正し方、呼吸の仕方、心のあり方を指導してもらったが、教えられるのはカタチだけ、
禅定に近づくには、只管、座禅を組しかない。 
 このところスポーツジムのヨガ教室で、瞑想のための呼吸法を教えているが。 基本は鼻から1、2、3と10秒数えて吸い、
5秒間止め、10秒かけて吐き出す。そして5秒止め・・・を繰り返す。 実際にやれば分かるが、これが息が続かない。
これに対し著者の座禅の丹田呼吸法は、2秒で吸い、4秒かけ吐き、2秒間息を止める。それを繰り返す。
  ーネット検索の「座禅の呼吸法」ではー
【 息を吸うことよりも、吐くことに主眼を置いて下さい。上記の気海丹田まで、体の中の空気を全部吐きだす感じで、
 吐ききってください。吐ききれば、自然に吸えます。数息観というのは、呼吸を整えていくための方法で、一から十まで数える。
 ヒト〜で静かに長く深き吐き、ツで吸います。フタ〜で長く深く吐き、ツで吸います。これを、何回も繰り返すのです。
 呼く息は、自分の気海丹田に吐きかけるように、そして数えるのも気海丹田で数えるという観念でやることが大切です。】
腹式呼吸で、吐きに意識を集中して長めに、そして少し息を止め、短めに吸い込み、少し息を止め、吐きを長めに、を繰り返す。
  ー禅は腹式呼吸に対し、ヨガの呼吸法は腹式と胸式呼吸法のミックスー
【*腹式呼吸のやり方は、へそに意識を集中させ、鼻からゆっくり吸い込み、お腹に空気を溜めて膨らませます。そして
 腹から空気を押しだすように、鼻からゆっくりと息を吐いてお腹をへこませます。息を吐いた時は、お腹がぺたんこに
 なるようにします。呼吸のリズムは、3秒で息を吸って、6秒かけてゆっくりと吐くイメージ。
 *胸式呼吸のやり方は、胸式呼吸とは肋骨を大きく広げて息を吸う呼吸法。ラジオ体操の深呼吸などが胸式呼吸になる。】
 基本的には、座禅もヨガも同じだが、ヨガでは胸式呼吸を含むところが違う。30年前からの早朝の散歩とミニサイクリングで、
 深呼吸は身にはついているが、新鮮な空気は本当にうまい。新鮮な場所で、深呼吸をする習慣をすれば、その必要もないが。
 ・・・・・・
4078, 老いの見本帳ーダークサイト −2
2012年05月25日(金)
   * 序章 初老期と不安  ー�      「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)   
 人生で一番大切な時期は50歳代と思って、悔いの残らないように過ごした。今から振り返ってみて、良かったと思っている。
「残り20〜30年分を10年に凝縮して生きる」と、本気で。 60歳を過ぎて、気持ちが非常に楽になったことはいうもでもない。
「老いの不安」からウツに陥り、初老にさしかかり医者から貰ったハッピードラッグで薬中に陥った人がいる。 それは惨憺たるもの。
  ー ここで「惰性から離れる不安=初老期の不安」を表している。
≪・・ となれば、定年とは惰性の喪失、マンネリの終わりということになるだろう。もちろん新たな惰性が始まることにはなろうが、
 その前に、よるべなさや心細さを痛感し、生きる意味といった類の根源的問題が脳裏をかすめることになる。そのような事態を
 先取りして想像し、自分で自分を追い詰め、自壊するかのように五十代半ばにして「うつ」に陥っていくケースはかなり多い気がする。
 しかも実際に定年に直面すれば、予想外の雑用や成り行きでどうにか乗り切ってしまったりすることのほうが案外普通ではないだろうか。 
 老いそのものよりも、想像力や予兆によって我々は老いに脅かされる。それはホラー映画の構造と相似しでいる。お酒落というよりは
「若作り」に励む中年男性が増えたような印象がわたしにはあるが、それはたんに異性にモテたいとか一目置かれたいとかの皮相的な
 理由ではなく、老いという未知なるものへ対する護符にも似た魔術的効能が求められているからだろう。
 老いることのネガティブな側面は、健康や金銭面で弱者になりかねないことと、世間から置き去りにされかねない不安、死への接近と
 いったことであろうか。必要不可欠な人物という立場から退場することへの寂しさ、敬して遠ざけられがちなことへのもどかしさ、
 切実な無力感といったこともあるかもしれない。核家族化によって、老人なりの役割分担を与えられなくなってきていることも問題だろう。
 そうなると老人は青年や中年の劣化バージョンということになりかねない。男性、ことにサラリーマンは定年と老いとの同義化と、
 それを先取りした不安が問題となっている。若作りというどこか滑稽な振る舞いにも、シリアスな意味が込められている。≫
 ▼ 初老期の人間の姿をシリアスに浮かび上がらせた内容である。「老人は青年や中年の劣化バージョン」は、言いえて妙である。
  ひと足先に定年をむかえた人が先年、「暇を持て余すと思っていたが、実際は毎日やることがある」と言った意味が最近分かってきた。
  人生は最大限に生きるべき、それが老いへの準備になる。年齢に従って劣化を劣化として受け入れるしかない。起承転々・・いや転倒
・・・・・・・
3712, ジャズについて −7
2011年05月25日(水)
  モダン・ジャズの誕生 ー�       ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
 ■ 四〇年代、ジャズの常識を打ち破った「モダン・ジャズ」の誕生!  P−195
   ▽ "踊る音楽"から"鑑賞する音楽"へ ーまったく新しい「ビバップ」とは?
【 時代は第二次世界大戦(一九三九〜一九四五)に突入。四一年の日米開戦によってアメリカは本格的な戦時体制に入り、
 ジャズメンの中にも召集を受ける人が出てくる。あわせて、歓楽街とりわけダンズホールへの課税も強化され、スウィング・ジャズ
 支えたビッグ・バンドの維時は雛しくなる。 そうした状況の中で、ひと旗上げようと全米各地からニューヨークに集まってきた
 ジャズメンは、ハーレムのミントン・プレイ・ハウスやモンロー・アップタウン・ハウスなどのクラブで、店が閉店したあとも、
 夜な夜な ジァム・セッション(独奏者が集まって即興演奏の腕比べをすること)を繰り返して腕を磨いた。
  小規模のコンボで演奏する彼らにとって、型通りのビッグ・バンド・スタイルのスゥィング・ジァズは、もはや古くさく物足りない
 ものであったことはいうまでもない。いかにありきたりの形式を打破し、自分なりの新鮮な要素をジャズに注入するかという実験に
 彼らは腐心した。 こうして生まれたのが、「ビバップ」(もしくは単に「パップ」)と呼ばれる新しいスタイルである。
  ジャズにおけるビバップ・スタイルとは、メロディー、リズム、ハーモニーすべてにわたって従来のジャズの常識を打ち破ったもの。
 なによりも驚くほどテンポが速くなり、不協和音の多用による音の飛躍、リズム・アクセントの変化によるビートの細分化など、
 全体の音色はより硬質化し、フレーズ(即興演奏における音の連なりの聴こえ方)の多様性はいちだんと広がった。 
  ジャズの醍醐味の一つは、ソロによる即興演奏にある。たとえば、同じ曲を演奏するにしても、ソロの演奏の仕方によって
 まったく別な印象を与える。そのソロ演奏が不可欠となったのも、この時代といっていいだろう。
 もちろん、このビバップは、従来のニューオリンズ・ジャズやスウィング・ジャズの、ある意味では単純な‘ほのぼの’とした
 ジャズを聴き慣れた耳には、複雑で"とんがった・印象を与えた。
  こうして、それまではもっぱら"踊るための音楽"だったジャズは、‘鑑賞する音楽’の色合いを強めていく。
 そしてそれは、大衆的な幅広い人気という面では、従来の輝きを失っていくことにもなるのだが、一方では、
 音楽としての芸術的真価を発揮し、熱心なファンを獲得することになる。 】
  ▼モダン・ジャズが第二次世界大戦の最中に生まれ、ビパップのスタイルに変わっていった。「全体の音色が硬質化し、
 テンポが速くなり、不協和音の多用による音の飛躍、リズム・アクセントの変化によるビートの細分化が特徴」というと、
 訳も分からず聴いていたモダン・ジャズの特徴を、それまでのジャズとの区別がつくようになる。 ジャムセッションという言葉は
 聞いたことがあるし、幾つかのバンドが次々と演奏を競うのもTVでみたことがある。あれがジャムセッションだったと、今回知った。 
・・・・・・・・
3347, YouTube の視聴回数 1 日 20 億回! −2
 2010年05月25日(火)
   (字数制限のためカット2012年5月25日)
 ・・・・・・・・
2972,閑話小題
2009年05月25日(月)
 * 大相撲
 今場所は、白鵬朝青龍の間に、日馬富士が割り込んだ三者の争いで面白い場所であった。
この三人のモンゴル人に、次の大関候補の鶴竜もモンゴル人。若手の将来性のありそうなのは、全てがモンゴル人である。 
大相撲は更にモンゴル相撲の世界の様相を示してきた。相撲に対する熱意とハングリーさが、日本人とは格段の差がある。
今さら外国人は排除できないから、当分の間は続くことになる。草原の中で自由に育った肉体も日本人とは違う。
彼らの金銭感覚からみて、関取になれば大成功の収入になるのもハングリーになる背景がある。
朝青龍は明らかにピークは過ぎた。 最盛期は歴代の横綱で私が知る限り一番強かったようだが。
日本人の大関、三人とも八勝七敗。 何時も似たような引退かどうかの塀の上。
  * 自殺が10年で33万人
 自殺者が、10年続けて3万2〜3千人を超えており、合計33万人が自殺をしたことになる。
自殺未遂が、その10倍はおり、一歩手前で踏みとどまっている人が、その10倍はいるというから、33万人が自殺未遂、
330万人が自殺の一歩手前で、30数軒に一軒の割ということになる。十数年前は、20万人前後というから、異常な数である。 
一つ踏み外せば自殺願望者になる。世界恐慌パンデミック、凄惨な事件が続き、周辺の環境も暗くなると、
何時の間にか鬱気味になる。その社会不安と環境が、何時の間にか鬱気分になっている。
その中で一人、鼻歌を唄いながらスキップでもするしかないが・・・。
・・・・・・・・
2608, 閑話小題
 2008年05月25日(日)      ヽ(。ゝω・)ノ☆;:*おはよう*:;☆
 *西堀ローザの衰退
(字数制限のためカット2011年5月25日)
 ーー
 *五雨十風
「晴れの日ばかりではなく、5日に一度の雨、10日に一度の風が吹く。そんな繰り返しの中で自然の
豊かさがうまれる」雨や風は、その立場にとって良い場合と、悪い場合がある。
運動会の日の雨は、あいにくの雨であり、自然の環境にとって、五雨十風の天候は丁度良い。
こういう言葉が日本にあったのは、先日読んだ本で初めて知った。自然の中で住む我々は、五雨十風の恵みの中でこそ
生きられるのである。雨が降ったといって、気分がすぐれないとか、好きなことを言っているのは人間だけ。
このことは自然現象だけでなく人生でも、良い事だけでなく悪いこともアザナエル縄のごとく、
交互にやってくるという意味もある。           (σ・з・)σホナ、マタ!
・・・・・・・・・・
2007年05月25日(金)
2243, 耐震偽装 ?1 (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪  
                 (藤田東吾著 自費出版)  ー読書日記
  (字数制限のためカット2010年5月25日)
・・・・・・・・・
2006年05月25日(木)
 1878, <不良>のための文章術        おはよ?!(*^ワ^*)i  ー読書日記ー
 ーNHKbooks 著者 永江朗  ー長岡中央図書館・借入れー
5年間、テーマを立て文章を書き続けて思うことは、プロは凄いということだ。書き続けたからこそみえてきたこと。 
何が違うのだろうか? ここでいう<不良>は、良い子でない文章の書き手、という意味である。
私のプロの物書きに対する解釈といえば・・「絶対量が違う上に、奇麗事を一切捨てて本音で書いている。
更に現場に立ち、実際の経験の裏づけに徹している。」であった。この本では、そんな当たり前のことを書いてはいない。
そんなことは素人が書くことだという。この本でまずガツンとやらえるのが「自己表現を捨て読者を愉しませることに徹せよ!」
である。私の5年間書き続けてきた「テーマ日記」は駄目な典型である。どのように表現するか、それだけで必死であった。
読み手のことなど関係なく、自分の知識倉庫に入れるための手段であった。そこがプロと私の差である。
もっとも、それが動機であったのだ。動機からして、プロと比較するのがおこがましい。
こんなことを書くこと自体が素人である。本書の副主題は「書いてお金を稼ぐには」である。
動機が違うのだから仕方がないでは、文章は上達はしない。今まで読んだ「文章術」の本で、一番納得するものだ。
文章とは自己表現と思っていたのに、プロは自己表現ではないという。 なるほど足元には及ばないはずだ!
 ーまずは概略を書いてみたー
プロが書く文章は、貨幣と交換されるためのもの。読者が「ここに書いてあるレストランって、うまそうだね。
こんど行こうかしら」と、書いたライターのことを気にしないような文章である。こういう文章こそが
プロフェッショナルの文章である。おカネになる文章とは、どこか過剰だったり何かが欠落しているような文章です。
(字数制限のためカット2011年5月25日)
・・・・・・・・
2005年05月25日(水)
 1513, こころを凛とする196の言葉 ー2      ー読書日記
美容評論家の斉藤薫の書いた多くの著書のさわりが、この一冊に集約されているから、一言一言が強烈に響いてくる。
美容ジャーナリストという彼女の職業の立場が、美容を通して女の「こころのあり方」を見ているのだろ。
女も大変である。受けの立場であるからだ。さりげなく男を引き付ける努力をしなくてはならない。
こころを凛とすることも大事だが、もっと知的努力も必要だろうと思うのも、私の年齢のためか。
美容ジャーナリストの本に、読者も知的背景の勧めなどを求めてないのか。何事も努力・努力である。諦めたと同時に・・
・音の効果
自分の好きなCDだけを繰り返し繰り返し、一日で擦り減るほど聴く。じつはこれ、私にとっては立派な美容法。
好きな音は、耳に脳に心地よいだけでなく明らかに魂に響き、はっきりと共鳴を起こす。
その共鳴が体中をめぐるのを感じ、そういう時はなぜか必ず顔色がよい
・喜びの分水量
誰をどれだけ愛し、誰にどれだけ愛されてきたか、その喜びの量が、そのまま艶となって人を潤すってことなのかもしれない。
・女に学ぶ
よく「つらいことがあると、宇宙の広さを思う」という人がいる。チリの一粒にも満たないちっぽけなことで、自分は
悩んでいたんだ、バカみたい・・・そう思うためだが女は視野が狭くなりかけたら、宇宙のかわりに年上の女を思おう。
辛そうだけど、ときどき悲しそうだけど、くじけずに頑張っている年上の女性の姿を。つらいときこそ、女は女に学ぶのだ。
・女は姿勢がつくるいちばん身近なことに、いちばん気がつきにくく、そして人をいちばん醜くしてしまうのが「姿勢の悪さ」である。
背筋をピンと立てるだけで、毒が抜けたように、女は生まれかわってしまうのに。美しく、潔く、生き生きしていて、正しい女に・・。
世にも簡単な、変身である。
・「覚悟」は美しい
退社、独立、離婚、別れ、親との同居・・。「女の覚悟」はいつも人生に関すること。時に自分の幸せを犠牲にするもの。
だから、「覚悟した女性」は感動的に気高く、そして美しい。いちばん美しいのかもしれない。
・オーラは意志。 人間の意志の強さは、姿形にも現れ、人をとんでもなく美しく見せることがある。
誰が何と言おうが、自分の意志だけで自分の力を信じて歩いていける人は、目に見えない「美しい緊張感」
みたいなものを全身に張りめぐらせて、それが何ともいえない凛とした力強い美しさに変わる。
「オーラがでる人」とは、たぶんそれ。「強い意志を持っている人」を指すのだろう。
・・・・・・・
2004年05月25日(火)
1148, 遺伝子の話
遺伝子の研究が進んだのはごく最近である。遺伝子の性格は、ほんらい利己的であるという。
「我々は遺伝子という名の利己的な存在を生き残らせるべく盲目的にプログラムされたロボットなのだ 。
遺伝子は、マスター・プログラマーであり、自分が生き延びるためにプログラムを組む。
個体というものは、その全遺伝子を、後の世代により多く伝えようとする。自然淘汰における中心的な役割を
演じているのは、遺伝子と生物個体である。」人間の身体を支配するものは遺伝子であって、
人間の個体が死んでも遺伝子は生き残っていく。自分というものは遺伝子にとって、仮の宿でしかない。
「父親や祖父などの祖先から、遺伝子は転々と住み変えている宿でしかない」と考えると、気が楽になる。
人間は、利己的遺伝子に貸している借りの姿で、すべてを支配しているのは、利己的遺伝子である。
最後は自分が一番可愛いのであり、それでよいのだ。
 ーあるホームページからのコピーですー なかなか解りやすくうまくまとめてあるー
生物は遺伝子の乗り物である生物が親から子へと受け継いでいくのは遺伝子である。
個体は寿命が来ればあっけなくこの世を去るが、遺伝子は子孫に受け継がれていくのだから不滅であるといえるだろう。
個体は遺伝子の乗り物にすぎない。生き残ろうとしているのは、個体ではなく遺伝子なのである。そこでドーキンス
遺伝子のことを、自己複製子と名付けている。  (以下、字数の関係で中間カット2,009年5月25日)
ー感想ー
要するに、「遺伝子が生き残る為に個体を維持させ、乗り換えている。個体を維持させることが目的でなく、
遺伝子そのものが生き延びていくことが目的でしかない」ということだ。これを読んでいたら、何か気が楽になって
きたことは確かである。神は遺伝子に宿るということか?! いや、エゴイズムのはずがないから違うか?
・・・・・・
2003年05月25日(日)
 781, 父が亡くなって30年
 父が亡くなってあと5日で、三十年になる。去年もこの時期書いたが、供養も含めて更に書く。
(以下、字数の関係でカット2,013年5月25日)
・・・・・・・
2002/06/01
父・堀井誠作のこと -1
(以下、字数の関係でカット2,013年5月25日)
・・・・・・・・・・
2002年05月25日(土)
 417,人生の負け組みと勝ち組み
だいたい20パーが勝ちで、80パー負け組みである。何をもって勝ちで、何をもって負けというのか?というが。
(以下、字数の関係でカット2,008年5月25日)
・・・・・・
2001年05月25日(金)
「31]」写真日記コーナー開設! ウイークリーマンションの司の社長の写真日記
(以下、字数の関係でカット2,008年5月25日)