つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=4X-u1X6y59o



写真は40数年前の六日町の雲頓庵での写真。
数日前から、早朝30分座禅を始めたが、学生時代の座禅が懐かしくなった。
当時、高度経済期にあり、国そのものが青雲の志をもって坂を上ってた時期。
新井石龍禅師の姿が懐かしい。
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/20090114


                       
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2005年05月23日(月)
1511, 子供や若者が変!

若い人や子供をみて、「いまの若い者は!」とか、「今どきの子供は!」とだけは、言いたくはなかった。
同年代の人が、この言葉を言ったら顔を歪めていた。古代の遺跡にも「今どきの若いものは」と書き残してあったという。
しかし最近になって、じっくりと小学生や高校生を見てみると、やはり[最近の子供がおかしい]と思うようになった。
どうも、例の「ゆとり教育」のぶざまな結果である。
一時「ゆとり教育」が騒がれたが、いまや余りの学力低下に文部省も慌てふためいて指導要領を見直すことになった。
世界からみても、日本の学力低下が著しく目立ったためである。
20年前からスタートして、2002年開始の学習指導要領で完成したはずの「ゆとり教育」が、
「学力だけでなく、質そのものの低下になってしまった」と、いうのだ。それでは、その「ゆとり教育」とは何だったのか?
ー以下は、あるHPから抜粋した学力低下の実態であるー
OECDが3年に一回、世界41の国と地域を対象に行っている
国際学習到達度調査の成績が前回は8位であったが、今回の調査で日本は14位。
3年で6位も転落してしまいました。日本が得意とされてきた数学力でも日本は1位から6位に転落しています。
この傾向は他の調査でも同じで明らかに日本の子どもの学力は低下している。
また、日本地理学会が発表した初の「世界認識調査」で、日本の大学生や高校生を対象に最近ニュースなどで
よく取り上げられる世界の国と地域の場所を認識しているか調べたところ、約4割がイラクの位置を正しく認識しておらず、
アメリカも約3%が場所を知らないという実態が明らかになった。
一方、日本の子どもが宿題する時間は、1時間で調査国の中で最下位。
また、学校以外の学習時間は、1週6.5時間で、世界の平均8.9時間を大きく下回っています。
ここからは、テレビに夢中で、勉強せずに、次第に能力が落ちていく日本の子供という現状が浮かび上がってきます。
一体、何がいけないのでしょう?
原因のひとつは「ゆとり教育」とも言われています。ゆとり教育は、1976年、中央教育審議会(当時の教育課程審議会)
が受験戦争の激化や知識偏重教育を批判して、「ゆとりと充実」という言葉を答申に入れたことが発端でした。
そしてそれ以降、このようにゆとり教育政策は進められてきました。天然資源のない日本が大国になることが出来たのは
明治以来の教育による優秀な人材を輩出したことが大きいと言えます。
それらの人材は「国定教科書」という一律の教材を使用し、一律の教育方法で全国共通の標準語で教育されて生まれました。
しかし、この教育は「兵隊とロボットを作る教育」とも言われ、戦争においては優秀な兵士を大量に、戦後においては、
工業社会の優秀な戦士を大量に育成する教育法でもあった。一定限度の能力を持ち、協調性のある人材を生み出しますが、
独自の発想や、周囲よりぬきんでた能力の開発という意味ではむしろマイナスの教育だったのです。
しかし、現代の情報社会の本質は、そういった人材作りとは違うところにあるのではないでしょうか。
これからの教育にはこれまでの一律の教育から脱皮して、「独自の発想の出来る人間の教育」が急務なんです。
では、どうすれば、そのような人材を育成できるのでしょう?
「独自の発想の出来る人間の教育」、実は政府でも試みが始まっています。それは「構造改革特区」です。
地域を限定して特定分野の規制を総合的に緩和・撤廃し,経済の活性化を図るこの制度の応募状況を見ると、
「教育特区」の応募が群を抜いています。実は、地方分権の中で教育は地方に任せるという意見は多いのです。
例えば江戸時代、幕府の教育機関であった「昌平校」は、実は人材を育てることが出来ず、全国に255校あった
各藩の藩校(現在の県立大学の役割)が人材を輩出したという例があります。
今や教育は国が一律して行うのでは無く、地方が独自の教育を行う時代なのではないでしょうか。
それにより、独自の発想が出来る、多様な人材が育まれるのです。
ここでは地域の環境を保全し、情報社会とて発展するために、地域の有志が、自発的に、特徴ある自然環境を
守るために活動しています。こうした活動は一見地味に見えますが、国家を維持するためにはとても大切な事なのです。
ーーーーーー
以上であるが、ゆとり教育の結果が、その弊害だけがでてしまった。
「お子様大事、優先」の結果、どうにもならない馬鹿な世代が出来上がってしまった。
現在の小学生から大学生を中心にした世代である。教育現場では、大問題になっているという。
現場の教師が一番そのことを知っており、自分の子供は私立の小学校・中学校に入れるという。
それだけでなく、小学校の先生は父兄に私立の中学に行くようすすめているという。
高校にいたっては、30㌫も中退するところもあるとか。特に、外資系の会社員は「ゆとり教育」など認めてなく、
個性のある私立校に当初から子供を進学させていた人が多い。
何か、失われた10年は経済・政治だけでなく教育界も同じだったようだ。衰退する時とは、こんなものだろう。
恐ろしいものだ。

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2004年05月23日(日)
1146, {上に立つ者の道}三十ヵ条

{上に立つ者の道}三十ヵ条がよい。
これは住友の岩澤正二氏が部下達に与えた指導者としての指標という。
働くとは、人間関係のどういうことが求められるか、どういう人間であるべきか、
の多くの示唆が含まれている。
耳の痛いことばかりである。住友の気概がそのまま伝わってくるようだ。
もっと早く、知っておくべきことがあまりにも多い。

道としているところがよい。理想は何処までも遠くにあっても一歩ずつ歩いていくべし、ということだろう。

1.むかう所を明瞭に示せ。
2.信を他の腹中に置け。
3.虚心担懐、光風霽月、是を是とし、非を非とせよ。
4.褒める時褒め、叱る時叱る。
5.権謀は無策に劣る。功詐は拙誠にしかず。

6.功を部下に推し、責めを身に引け。
7.広く意見を徴すべし。部下の話は熱心に聞け。
8.己に薄く人にあつく、己に厳に人に寛なれ。
9.長所を見て人を使え。人は誰しも長所を有す。
10.愚痴と立腹と厭味とは人の上に立つ者の大禁物、言いたきことあるも
耐え得る雅量あるべし。

11.みだりに難きを責むるな。ただし、泣いて責むべき場合あり。
12.自分がまず研究して確信を得よ。
13.金銭に恬淡たるべし。
14.部下の人事に熱心なれ。人の世話はよくしてやれ。
15.その労するところを知り、よく、これをねぎらえ。

16.寡黙重厚。従容自若。眼眸厳正。挙止端正。
17.よく休ませ得る者は、よく働かせ得るものなり。
18.人のことをわがこと程に思え。
19.努めて失意逆境にある人をひきたてよ。
20.自他の職域を守り、これを尊重せよ。

21.知らざることは、あくまで知らずとなせ。
22.少なく言い、多く行え。
23.絶えず研究して、一歩先んぜよ。
24.小疵をもって大功を没すべからず。
25.部下に威張るな。部下の機嫌をとるな。 至誠一貫、正々堂々。

26.外柔内剛、柔らかくとも一節あれ。
27.事をなすには、腹をきめてかかれ。やるべきときには、断乎としてやれ。
28.上に立つ者は、部下をして己の最大の保護者たることを感ぜしめよ。
29.自分一人にて事をするな。任せて人を使え。ただし、監督を怠らば、仕事をする人に張り合いがなくなる。
30.自然に導くを得場、上の上なり。
31.部下と能力を競うな。
32.象徴を高く掲げ、衆心一致、精神の統一をはかれ。中心の引力はあらゆる手段をつくして強固ならしむべし。

 会社組織だけでなく 、家庭や各種グループのリーダーに参考になるメッセージが多くある。

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2003年05月23日(金)
779, 茨城 のり子の詩

 何げなく読んだ茨城のり子の 詩がよい。
    魂の響きがそのまま直に伝わってくる。
    インターネットで調べてコピーした
    私の解説など入らない!
       
       
           落ちこぼれ
                茨城 のり子

落ちこぼれ
  和菓子の名につけたいようなやさしさ
落ちこぼれ
  いまは自嘲や出来そこないの謂(いい)
落ちこぼれないための
  ばかばかしくも切ない修業
落ちこぼれこそ
  魅力も風合いも薫るのに
落ちこぼれの実
  いっぱい包容できるのが豊かな大地
それならお前が落ちこぼれろ
  はい 女としてはとっくに落ちこぼれ
落ちこぼれずに旨げになって
  むざむざ食われてなるものか
落ちこぼれ
  結果ではなく
落ちこぼれ
  華々しい意志であれ
           
....................

自分の感受性くらい


ぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを近親のせいにはするな
何もかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを暮らしのせいにはするな
そもそもが、ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ馬鹿ものよ


 ・・・・・・・
 2002年05月23日(木)
415、「テーマ日記を書き始めて一年 ー2」
ホームページ上のテーマ随想日記は、非常に有効だ。
一年書き続けて、毎日それなりにチャンとテーマが出てくる。
10日に一度くらいが、まったく思いつかない状態になるが、
それでも、その状態の中でも湧くように出てくる。

書き続けることが、大事である。
「一ヶ月で、千項目テーマをあげて文章を書け」といわれても絶対に不可能だ。
しかし毎日一項目書き続けることは不可能でない。
その習慣をつければ、何とか千項目書けるのではないか。後二年近くかかるが。