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* スポーツジムで見えてくること
スポーツジムに行って一番面白いのは人間ウォッチングである。 自分も、その一人だが、30歳から80歳以上の老若?男女で、
何気なく見ているだけで面白い。 肥満、血糖値、40肩対策など、それぞれ事情を抱えている人から、私のように健康を兼ねた
レジャー目的の人など様々である。少し痴呆が入ったと思われるお婆さんもいる。 私は午前の開店直後の10時〜正午までの二時間、
滞在している。 時間帯からして過半数が主婦。 明らかに水商売仲間内のグループもいる。 スポーツクラブは女性がメインで、
男は60歳以上のリタイヤしたて?の人が目立つ。 弁当や御握り持参で、ロビーで食事をとる女性仲間の社交界の場的要素もある。
といって、男の私が肩身が狭いことは全くない。 自分で選択したメニューを独りでこなして終わったら帰るという気楽さがある。
大方の会員の平均滞在時間は、二時間だろうか。
このようなジムに入会したのは、長い人生で初めてだが、もし実情を知っていたら、10年前から入っていたはず。
パソコン教室も、スポーツジムも、サロン的要素が強いが、私のように誰とも会話することもなく、自分のコースを人的気づかい
なしに済ますことも出来る。 通勤列車と思えばよい。 私が行っているのは昼だけコース(平日10〜17時ー金・日、休みー)。
中高年がほぼ八割で、自分の年齢世代が目立つことはない。 エアロビでは、プロのインストラクターが指導するプログラムが多く、
若い男のインストラクターの追いかけに近い中年オバサンが見ていて微笑ましい。男の場合、色々の場数を仕事などでこなしているので、
こういう場では、一会員として群れることなく運動をしているが、高年齢になるほど、自分の社会を背負って、それに拘っている姿が、
(本人には分からないが)私には異様に見えてくる。 要は、田舎ということ。 とはいえ、半年前の盛況ぶりは、現在はない。
3・11の影響が、大きいのは何処も同じ。ネット辞書に、「スポーツセンターのインストラクターの仕事は、一見華やかに見えるが、
給料は安いわりに希望者が多いため、ワーキングプアの要素が強い」と、あった。その目で、彼らを見ていると、また違って見えてくる。
ただ、一人ひとりが個性的で、一生懸命に指導している姿は、光ってみえてくる。 半年少したって、効果はといえば、大有り。
足腰が、この数年来衰えたと感じていたのが半分以上は回復した。毎日キッチリ運動を続けると続けないとでは違う。半年通ってみたら。
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3496, お金の教養 −2
2010年10月21日(木)
ーお金の教養ーみんなが知らない「お金の仕組み」泉正人著
* 一番の無駄は生命保険?
ここで著者は、保険の無駄を指摘している。例えとして、25歳から「月3万円」の終身保険を加入したケースをあげている。
年にすると36万になるので80歳まで払い続けたとして、36×55年=1980万、つまり終身保険は2千万の買い物になる。
それを、「月額3万円」の分割払いをしているだけのこと。 保険屋の甘い言葉につられて、深く考えないで印をおしてしまう。
30歳代の10年間で死亡する確率は1パーセントという。その間に払う金は何と360万円になる。それを年利5パーで運用を
すれが500万近くなる。 命をかけた博打にしては全く採算に合わない。これに対し損害保険の方が、ずっとましである。
年間5万も払えば、対人賠償も、対物賠償も、無制限で万一の場合も保証されるし、自分の事故保険も5万をかけたとして、
合計年間10万円で充分。それに対して生命保険ほど馬鹿馬鹿しいのはないと断じている。
もちろん生命保険を個人として入ったことはない。あれは人間の不安を利用した悪徳商法ぐらい知っていたからである。
* マイホームは買うべきか、それとも借りるべきか? (以下の半分は私見が入っている)
一番の資産は、まず家屋敷である。親から家を貰えない人は、家を一生かけて購入しなくてはならない。
しかし、その購入に対して少しも考えない。 少しオサライでマンションの購入を考えてみる。もちろん商売だから、
業者は土地を購入し、建物を建て、営業マンを雇い、利益を加算した値段で売却する。考えなければならないのは、これから。
それは売り手の論理。 買い手は、買ったと同時に販売経費分は消滅する。その瞬間に、それは中古品になり、一年一年古くなる。
捨てるほどの金があれば別だが、新しいマンションを買うのはドブに金をすてるのと同じ? それでもマンションに住みたいなら、
中古マンションの掘り出し物を数年にかけて探しだし買う方が段違いに有利。 都心なら新宿とか、渋谷近くの、駅から数分の、
競売物件とかである。中古の場合は、新興の業者だけは避けるべきだ。住友とか三菱とかの系列なら、数十年先の信用がついて
まわるから、年月に耐えられる商品を前提に計画される。しかし、数年前までは、全国の駅周辺に多くみられた「穴吹工務店」
「ライオンズマンション」「ダイヤパレス」などは、既に消滅している。 著書では、物件価格は家賃の200倍以内が妥当という。
更に30年後の価値想定もしておかなければならない。10分の1か、5分の1である。(例外もあるが・・)
私は、マンションは中古以外で考えるなら一戸建住宅を勧める。何故なら、家の価値の半分を占めている土地は腐らない。
だから買うなら若い将来性のある立地の住宅地を選ぶべき。 特にデフレになると無知からくる矛盾が現れる。他人ごとでない?
娑婆は、幻想でなりたっているから、夢を買うのにケチをつけることはないが・・・
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3121,金(きん)について
2009年10月21日(水)
ここにきて、金の価格が動きだしてきた。世界は、大恐慌に向けて動き出したかどうか。
ーまずは金について、その現状をダイジェストにまとめてみたー
・現在の金の地上在庫(有史以来採掘された量)は約16万?で、オリンピックプール約3杯分。
残されている推定埋蔵量は7万6千トン(50mプール1.5杯分)で、地上在庫の半分しかない。
公的機関が保有している「金」は約3万2千トンで、地上在庫の約22%を占めている。
その用途は、宝飾品約50%、公的機関20%強、民間投資15%強、工芸品等10%強。
(2007年)安全資産とはいえ、その需要は宝飾関連が多い。現在、新たに採掘されてる金は、
年間2500?弱で、ここ10年ほどで頭打ち状態。
16万トン×3千円として500兆円もあれば、地上在庫全ての金が購入できることになる。
・各国・地域・公的機関の金保有量は、
1位 米国 8133,5トン 2位 ドイツ 3412,6トン
3位 IMF 3217,3トン 4位 イタリア 2451,8トン
5位 フランス 2340、7トン 6位 中国 1054 トン
7位 スイス 1040、1トン 8位 日本 765,2トン
9位 オランダ 612,5トン 10位 ロシア 536、9トン
最高値 1980年1月 6,495円 1982年9月 4,326円
最安値 1973年3月 750円 1999年9月 836円
これからみて、現在値の3000円が高いのか安いのか?
私は「本格的世界恐慌あり」と見ているので、3年後には5000円は超えていると信じている。
金は投機というより長期保存の投資として目先に惑わされないだ。
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2756, 何か変な世界の空気!
2008年10月21日(火)
*AIG、当初借り入れ8・4兆円の融資枠、ほぼ使う!
株は九千円を回復したが世界経済の実態は火が燃え盛っているようだ。 昨日の日経新聞に何気なく
「AIGが、FRBからの当初借入総額850億ドルのうち829億ドルをほぼ使い切って、残りはわずか
21億ドル。6日には緊急融資枠として378億ドルが追加され、現時点では融資枠総額が1228億ドルになってしまった」
とあった。 近々に、この1,200億ドル(円換算で12兆円余り)を使いきるだろう。
既に単純計算でも三千億の利息が発生しており、このままの状態が続くと、FRBは重大な決断を迫られる。
恐ろしいことだ。 AIGだけでなく何処の火薬庫の火が点火するかの問題になってきた。
リーマンの負債の毒だけでも大きな火種である。それにGM/フォード、シティー、まだ表面化してない
大手金融機関、大手企業が何時表面化するか分からない事態である。
*北朝鮮が変
ー 以下は字数の関係で中間カット(2010年10月21日)・
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2007年10月21日(日)
2392, 人生で出会いしもの φ(* ̄0 ̄)ノ[才八∃一]ヘ
10月02日(火) の {「2373, 人は60歳で何をしたか」−2} の読書日記で、作家の新井満が寄稿していた
「60歳以降に何をすべきか」について書いた。ところが、その中で彼の奥さんとの出会いの話が非常に印象的だった。
人の出会いの不思議さをつくづく感じる内容。 20歳代に何回かダブル・デートで、片方が結婚したケースがあった。
私は相性のあう相手がいなかったか?ためか、簡単に一生の伴侶を決めてしまう彼らを見て、「何でもっと色いろな人を
見てからの方が?」と、不思議でならなかった。「本当に決めなければならない時は、それなりの人と出会うもの」と、
信じて疑わなかった。更に常に4人の姉と比べて、それ以下?は妥協できない! あとは両親に対して自信を持って紹介できる人?
という無意識の判断があった。 ところで姉と上さんドッチが?? それはそれで・・・
色いろあって、新井満の、こういう出会いに驚いてしまった。もう少し、色いろな女性と付き合ってから
という生き方もあろうに? というのも、相手次第ということか! それにしても幸せな人だ。
ーその一部を抜粋してみるー
*人生最悪のコンディションで出会った運命の人は誰だったか
人にはそれぞれ、運命的な出会いというものがあります。 私にとっては妻との出会いがそうでした。
19歳の大学生のときに、郷里の新潟から上野行き特急の座席指定車に乗ったら、隣の席に座っていたのが、たまたま彼女だった。
以前から、おふくろには「東京の女には気をつけろ」とよくいわれていました。
見るともなしに見ると、どう考えても典型的な東京の女性。ベレー帽かぶって、その上にミニスカートです。
・ 以下は字数の関係で中間カット(2007年10月21日)・
ーーーーー
最終の学校時代に出会った人が最適の人と出会う確率が高いというから、彼は彼なりに最高の人と出会ったのだろう。
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2006年10月21日(土)
2027, 「私」のための現代思想 −14
おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
ーこの章の一番のポイントは次の部分であるー
ある個人の「死」とは、<身体>に属する要素が存在しなくなることを指す。死によって、<身体>が消滅し、<身体>の属している
「声」も消失します。それでも<私>を構成する要素である「超越確実言明」は消滅しません。また構築されていた《私》も消滅しません。
ーー
何度も何度も、この部分を考えてみた。納得できるような、釈然としないような深い内容である。
《私》が死なないのは、ソクラテスの《私》がプラトンによって記録されて、永遠に生きていることをみても解ることだ。
《私》は消滅しないということが哲学的にみて正しいとすれば「いま生きている瞬間」を全てを丁寧に、そして人生そのものを、
あらためて考え直さなければならない。 {<私>と《私》は消滅しない}という言葉を「超越確実言明」としていれば、
過去の人生は変わっていた!「死んでしまえば、それまでよ!」を{超越確実言明」としてきたが、そうではないということだ。
ブログなどで自分を語り、公開する時代なら尚のこと顕わになる。その意味で、この本は難しい内容だが、根本から人生観を
考えさせられる。「私」のことだから、根本問題である。
<身体>が消滅しても、<私>と《私》は消滅しないというカルトみたいなことが論理的にもいえるとは・・・
もう一度、本当に納得できるものか振り返ってみたが、矛盾は無い。 <身体>も<私>も《私》を大事にしなくては!
ーー
第五章 「私」が「生きる/死ぬ」ということの意味 −?
ー 正しく死ぬ・正しく生きる ー
*<私>は「死」によっては消滅しない*
「《私》は、<他者>によって引き受けられている」<身体>が消滅しても、<私>は存在しつづける。決してカルトではない。
ある個人の「死」とは、<身体>に属する要素が存在しなくなることを指す。 死によって、<身体>が消滅し、<身体>の属している
「声」も消失します。しかしそれでも、<私>を構成する要素である「超越確実言明」は消滅しません。また、構築されていた《私》も
消滅しません。さらには、<声>によって共振することはできないものの、<他者>も消滅しません。
<身体>が無くなり、「声」への応答がなくなったことによって、<他者>は直接的に「糧」を得ようと
《私》や<私>に接近し、それによって、<他者>が共振を受け取ることができます。
一方、死によって発生するのは、「もはや『糧』を得ることのできない私」であり、「受益を放棄した私」です。
死んだ後に残るのは「<他者>によって引き受けることのない生」としての《私》と「超越確実言明」の束としての<私>。
*「死ねば楽になる」は正しいのか?*
「死ねば楽になる」は、「死ぬ」−>「辛さから逃れる」と変換できる。そこでの「辛さ」とは、束縛から逃れられないときに
<私>が発生する信号である。それは「私」が「逃れる物語」を遂行中であり、かつ、そこにおいて「自由が失われている」
ことを指している。「辛さ」とは、<私>において発生し、<私>に含まれる概念であるということです。
したがって、まず「どの物語が『辛さ』を発生させているのか」を考えるのが、論理的な思考であるはずです。
それがわかれば、それを放棄すればよいだけですが『生きること自体が辛い』という場合は、自ら死を選ぶことになっていまいます。
[<身体>の消滅]−>[辛さから逃れる]は正しくありません。なぜなら、[辛さ]とは<身体>に属する概念ではないからだ。
但し、[<身体>の消滅]→[痛みから逃れる] は、可能です。 痛みは身体が発している信号なので、<身体>が消滅する
ことによって発生しなくなります。[<私>の消滅]−>[辛さから逃れる]という図式を考えなくてはなりません。
これが[死ねば楽になる]という表現の意味です。 末期ガンの患者が望むそれ?
<私>の思考は、すべて「超越確実言明」という基盤を支えとして、その上に構築されています。
そして「超越確実言明の束」とは<私>そのものです。それに、論理は自己言及できないということを考え合わせると、
<私>という基盤の上に構築された論理が、<私>を否定するという構造は、矛盾していることになる。そして、
その結果として「<私>の否定」を意味する「死ねば楽になる」という考えは誤りであり、成立しないことがわかります。
−−
以上だが、死ねば楽になるのは、身体の苦痛とそれに伴う絶望だけ。 精神の歪みが「死ねば楽になる」と妄想させる。
それでも、死にたくなるのは解るけど! だから、死後に天国のイメージを作りあげたのだろうが・・
その一つが音楽、そして絵画であろう。毎晩、クラシックを聞きながら「ア〜よい一日だった!」と思いながら寝入っているが・・
それでも夜半にマイナスの気持ちが襲ってくる。 それが人間じゃない?
死ぬしかない時、「死ねば楽になる」と思えたら実際のところよいが、理屈は違うのです・・ まあまあ! Good.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.bye
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2005年10月21日(金)
1662, 「人生の実りの言葉」−2
ー運命
この章『運命』冒頭のモンテーニュの「エッセー」の一節がよい。
ー運命はわれわれに幸福も不幸も与えない。ただその素材と種子を提供するだけだ。
それを、それよりも強いわれわれの心が好きなように変えたり、用いる。
われわれの心がそれを幸福にも不幸にもする唯一の原因であり、支配者なのである。ー
自分の人生で、いつも何時もこの心の葛藤があった。そして、いつも何事も修行と思えば気分まで卑屈になることはなかった?
何事も、その対処をするに如何考えるかである。 高見順がガンによる死の前にこういう詩を作った
電車の窓の外は 光にみち
喜びにみち いきいきといきづいている
この世ともうお別れかと思うと
見なれた景色が 急に新鮮に見えてきた
この世が 人間も自然も
幸福にみちみちている だのに私は死ななければならぬ
だのにこの世は実にしあわせそうだ
それが私の心を悲しませないで かえって私の悲しみを慰めてくれる
私の胸に感動があふれ 胸がつまって涙が出そうになる 高見順『詩集 死の淵より』
ーーー
死に切迫した人間の、ぎりぎりの葛藤から生まれる孤独の詩である。誰もが身近な人の死に直面した経験があるはず。
(以下は字数の関係でカット(2007年10月21日)
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2004年10月21日(木)
1297, 原価は一人170万円
毎日新聞の『外国人事件の実情』という、シリーズものの記事によると、「フィリッピンパブや、外人パブや、
性産業に売られる女性の値段は一人当たりの原価が170万円前後。女は原価の3倍の500万を返すまでは逃げられない」という。
その筋の男の話によると、「タイの女性なら、シンガポールやブルネイに寄らせて、その国の偽造パスポートで日本に入国させる。
両国は、日本入国にビザが必要ないからだ。 現地からブローカーが付き添い、例えば上野のホテルで170万円と引き換えで引き渡す。
タイ、フィリッピン、台湾、コロンビア・・・。
以下は字数の関係でカット(2007年10月21日)・・
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2003年10月21日(火)
930, 自己責任の時代
今日、ある見積もりの結果を見たら、77万円と240万の二つの結果であった。工事関係は素人が餌食でしかないのだろうか。
当事者が解ってやっているのか、どうかも問題であるが。今のホテルを創めるとき、客室掃除の下請けの見積もりをとった。
五社の見積りは最低が月67万で最高が280万。 凄い世界を垣間見た思いをした。建設業界は業界そのものが、こういう恐ろしい世界。
いま道路公団総裁が首を切られそうなり、自民党の癒着の暴露を脅しにして、情けない醜態を見せている。
今までの官僚社会主義世界の暴露と、自民党の利権汚職構造を露呈してをしてくれるから!、面白いといえば面白い。
奇麗事で人間信頼の経営などというと、こういう手あいが工事で入り込む。社員もだが。
ホテルの創業時には二代目の??ビル管理の専務が、二倍の見積もりを持ってきた。小ばかにしたような面をしていた。
: 以下は字数の関係でカット(2009年10月21日) :
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556、一秒一円の価値
- 2002年10月21日(月)
[時は金なり]というが、人生という意味でわかり易く考えてみよう。一秒一円で一生を80年とすると何と25億円になる。
時給1000円のアルバイトとすると一生で換算すると7億円だ。時間をお金に置き換えるのはおかしいが、わかり易く
考えるに丁度よい。高利貸しや銀行はその事を一番知っており、借りる方はその事を一番解ってない。
海外旅行は大体の目安が一日3〜4万、実質滞在日が4〜5万円である。一年を一秒に圧縮すると、一年前が
3153万年前になる。数年前に恐竜がいたことになる。150年前が地球誕生、400年前がビッグバンになる。
人生を考える時に一日に圧縮して考える事がある。昼の12時ですでに40歳で、60歳で夕刻の6時である。
そうすると私は17時半あたりになる。このテーマとは関係ない事だ。製品もグラムあたりで値段を読む事がある。鉄が安い象徴で、
パソコンの半導体が高単価である。人生で感動の場面は金かプラチナの価値、平凡な日々を銅か鉛と例えると、
可能な限りそういう場面を求めていった方がよい事になる。芸術や大自然に可能な限り触れ感動のシャワーを浴びる事だ。
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「193」 まだ生きている! ー漂流
2001/10/21
もう古い?話になったが、数ヶ月前に「33日の漂流の後、奇跡的に助かった漁船の船長」がTVに出ていた。
「スイカが流れてこないかなーとか、おや今日も生きているとか、なかなか死なないもんだとか、ぼーと考えていた」
このような一つづつが奇跡の原因らしい。スイカが流れてこないかなーはプラス発想、なかなか死なないもんだは生に執着しない、
今日も生きているのかというは、事故(自己)の客観化、一人者で、一人船長で待っている家族もないのも諦念にあったのだろう。
10年位前ののヨットレースの佐野某の漂流記を読んだことを思い出した。 鴎をを捕まえて食べていたらしいが、
一種の死の瞬間の倒錯?がすごい。「乗っているボートごと垂直に数百メートル昇っていった」という。
「それは夢でもない事実としかいえない出来事だった」という。かれは手記で今でも絶対に事実と信じていると強調していた。
ユングがそれに似た経験をしている。瞑想をしていてそのまま天に上るくだりである。インドの上空をどんどん昇っていく、
インドの国の地形,青い海,そして地球が見えたという。それがそのずっと後,宇宙飛行士が見た光景と同じであった。
中世では人肉を食べた内容が克明に残っていたりした。子供の時読んだジョン・万次郎を思い出した。