「我にたためる翼あり」という言葉には考えさせられた。なかなか含蓄がある。
バーネット作「小公子」を日本で初めて紹介した若松賎子の言葉。
「私の中に、たたんだ翼を持つ者と信じて努力をして、大きく羽ばたく時を待つ」という意味。
賎子自身は、若くして病に倒れ無念の思いと祈りのこもった言葉。 それを知っていれば尚のこと深さが覗きみれる。
何かを志す者にとっては、これほど励ましてくれる言葉は少ない。翼を才能、努力の蓄積、志、夢とも、とることができる。 
賎子の魂が、この言葉の中に篭っているような響きがある。 それも女性の言葉、それも「たためる翼」という内に込めた
大きなエネルギーを感じ取ることができる。 何かを目指している若者がいたら、是非とも教えてやりたい言葉である。 
縁あって、この文章を読んで感銘をしたならば、近いくの青年に是非とも教えてやって欲しいもの。
 ところで我に、たためる翼があっただろうか? 精一杯翼を広げ羽ばたいたが、雀は雀。
翼を持っていると自分で信じて努力していれば、それだけで良いということで納得するしかない。
「我にたためる翼あり」を私の小さな経験に鑑みると、自分の翼?で飛んだのは「秘境・異郷ツアー」。 
たたんでいる時間は少なかったか。 翼といえば、一羽ばたきで数百里を飛ぶ大鵬のイメージが沸いてくる。 
私にとって「我にたたむほどの翼ありや」である。 また軽く飛びまわることの出来る天使の翼のイメージである。
そう、私にとっての翼は読書や映画などを通して異世界に入る「イメージそのもの」である。 
 それなら、ある。 毎日、何回も羽ばたいているが。 私に当てはめると、せっかくの言葉が壊れてしまうか。

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2740, 貨幣経済は「ねずみ講
2008年10月05日(日)

「資本主義は嫌いですか  ―それでもマネーは世界を動かす 」 −2  
                             竹森 俊平 (著)
 紙幣は「ねずみ講」の札と同じ!と言われれば 「エッ!」と思うだろう。 しかし直感的に納得する事実である。
アメリカのドル一極基軸体制だった数年前まで、正に、それに近い感覚を持っていた。それをズバリ「ねずみ講」とはね!
 ーP74ーにそのことをズバリと書いてある。
《「ねずみ講」というのは、【親」の会員が「子」の会員から利益をもらい、「子」の会員は「親」の会員から利益をもらい、
といった連鎖を繰り返していくことにより、会員全暴利益を享受するとをねらったものである。何のことはない、この仕組みは、
より先の世代の会員たちが受け取る利益の「つけ」全部を、連鎖の最後の世代に回しているに過ぎない。
しかし、もし「ねずみ講」連鎖が永遠に続くならば、「つけ」を回される連鎖の最後の世代の存在は無限時点の彼方に消滅する。
それゆえ、この場合には「ねずみ講」に参加する会員全員が利益を受けるという奇跡が起るのである。
ここでは、何も有益な生産活動が行われているわけではなく、単に「つけ」のたら回しがされているだけなのだが、
それでも会員全部が利益を受ける。それは無から有を生じる「錬金術」のような奇跡である。
ただし会員全部が利益を受けるといっても、誰もがまったく同じだけ利益を受けるわけではない」
ねずみ講」の第一世代、つまり「親」は、自分自身は他人に利益を与えることなしに、自分だけが利益を受けるのだから、
受ける利益は人一倍である。これは「貨幣経済」についてもいえる。胴元や、始めたものが貰い得なのが、「貨幣経済」である。》
 ーー 
 以上だが、犯罪としての「ねずみ講」を主催していた連中は、そのことを熟知していたはずだ。
そして、アメリカの金融システムの支配者達もである。 ねずみ講も、それが拡大しているうちは問題にならない。
しかし、一度それが行き止まった瞬間に破綻をする。 それと同じことが「紙切れ通貨制度」にも言える。
次回にとりあげるが、著者は現在世界の各国が取り入れている「賦課方式の年金制度」を「公営ねずみ講」と看破している。
私の過去40年近く、2000万以上も支払ってきた年金、前の世代が使ってきただけで我われの将来のために保全はされてない。
これでは、権力者による公営詐欺である。 国債も未来に対する先取り詐欺と同じである。 
今回の「サブプライム問題」については、資本主義体制の中の「紙切れ通貨」そのものから起因しているから根は深い。
さて、この大混乱の行く末は、やはり戦争だろう。 民族間か、宗教間か、世代間か、国家間か・・・淘汰されるのは弱者!
潮流は、情報化社会からくる既成体制の崩壊の本格化である。 それらが直接、個々人に影響してくる。
今回のサブプライム問題では当然、ねずみ講の親は結果として被害最小になる。 最大の被害者は、日本と中国になる。
   金と情報が絡まっているから、ことは重大である。   
                               つづく (次回は年金制度は公営「ねずみ講」?)
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2007年10月05日(金)
2376, 人は60歳で何をしたか −4    ー読書日記
  
 「人は60歳で何をしたか」藤原治・著
            |* ̄o ̄|お|* ̄O ̄|は|* ̄。 ̄|よ
この本の中で古今東西44人の「60歳時の本や作曲などの作品」を紹介しているが、その中で、神谷美恵子「こころの旅」が
一番印象的だった。 図書館から借りたような記憶があるが、見れど見えず!だったということか? 
この本は人間の生から死までを「こころ」というキーワードを使って分析している。
それは目次からみれば解ることだが、自分を省みる時の案内役になる。さっそく中古本だがアマゾンで、この本を発注した。
(何と値段が1円、発送料が300円=301円で、新本の5分の1である)
 まずは、彼女の著書の目次をコピーしてみる、
第1章 人生への出発  第2章 人間らしさの獲得  第3章 三つ子の魂  第4章 ホモ・ディスケンス 第5章 人間性の開花  
第6章 人生本番への関所  第7章 はたらきざかり 第8章 人生の秋  第9章 病について 第10章 旅の終り
 著者の藤原治は、中でも三章 「三つ子の魂」に感激、そしてここを再読、あらためて、その意味の深さに考えさせられ、
さらに 第8章の「人生の秋」が、気になったという。著者は、そこを抜粋してながら60歳の心象風景をみている。
 ーー
「社会的に無用者となった、という意識は否応なしに老化した自己の全体像をこころの中に浮きぼりにする。
じつは向老期ではふつうまだ真の無用者ではないはずだが、少なくとも覚悟として、
この新しい自己像を受け入れるがこの時期の困難な課題である」
「老いて引退した人問の最大の問題の一つは、こうした『社会的時間』の枠がしだいに外されて行くところにある。
(略)このことをよく覚悟して、向老期のころから、自主的に自分なりのペースで『生きる時間』の用いかた、配分のしかたを考え、
また時間そのものについても洞察をふかめ、『超時間的に』時間を観ずることができるようになるのが望ましい。
そうすれば自分の一生の時間も、悠久たる永遠の時間から切りとられた、ごく小さな一部分にすぎないことに気づくであろう」
「どんな一生を送ってきた人でも、人生の終りに過去の旅路をみはたすとき、こころというものの変幻自在な
ふしぎさに感嘆しないではいられないはずである。 宝積経にはこころの詩ともいうべき長い部分があるが、
この中でこころはじつに多くのものにたとえられている。 幻の像・いなずま・虚空・猿・画家、王、怨敵、
砂ででつくった家、盗賊、などなど。一生のあいだ、私どものこころもこれらの比喩に該当するような、
まざまな姿をとってきたときがあった、と思いあたるとことが多い」神谷の著作に最初に接したのは、
『生きがいについて』だった。 多分、何かの原因で、かなり落ち込んでいた時に読んだのだと思う。
「生きがいを感じている人は他人に対して恨みや妬みを感じにくく、寛容でありやすい。
それはマックス・シェラーが言っているように、自分より幸福な人々に対する密かな憎しみ
の念が入り込む余地がないからであろう」というこの本の記述が、僕を励ましてくれた。
この人は、どんな生き方をしてきた人なのだろう。 ハンセン病との献身的かかわりを思い、「キリスト者だな」
と推測したが、当たっていた。クエーカー的キリスト信者である。「育ちもいいはず」と思ったが、これもずばりだった。
父親は内務省職員のエリート官僚であり、後に国際労働機関(ILO)に勤務したり、朝日新聞論説委員にもなった。
戦後すぐに成立した内閣では文部大臣にも抜擢されている。彼女も、そんな父の関係でスイスやアメリカで教育を受けている。
医学への志は、叔父とともにハンセン病患者の施設を訪れた際、患者の病状に強い衝撃を受けたためという。
後に彼女は、この時に自分が身を捧げる生涯の目的がはっきりとした、と語っている。
猛反対だった父を説き伏せコロンビア大学や東京女子医専(現東京女子医大)で医学を学び、30歳で精神科医になった。
結婚したのは32歳だった。
 ーーー
こういう文章を読むと、宗教の偉大な力を感じとることが出来る。 それと、自分の小さな世界の歪な姿がリアルに
感じとることが出来る。 こういう人は、60歳の時の心は安定した安らぎで満ちていて当然である。
明日あたりに送ってくるはずである。歳を重ねると見えなかったモノゴトが、雲の彼方から一つずつ現れてくるようだ。
                                    ヾ(=・ω・=)o☆ばいばい!
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2006年10月05日(木)
2011、「私」のための現代思想  −8
          (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜

私たちを束縛しているものから自由になるには、束縛している対象を理解しなくてはなりません。
第一章では、その束縛するものの正体を論じたが、いま一度それを取り上げ、それから逃れるには如何すべきかを論じているのが、
この章である。「私」を束縛するものとは、 <言葉>と<価値><社会><世界><物語>などがあります。
束縛から逃れるためには「所有」が必要になる。所有者になることによって、主体者になるのです。
所有することも捨てることもできるのが主体的ということである。 この随想日記を毎日書き続けることは、
その範囲で「言葉」を所有していることになり、自由に考えを述べていることになり、開放されている。
「<価値>の主体者は、<価値>を生み出す側ではなく、それ<価値>を「受益する者」であるということです。」
当然といえば当然だが、私たちはその反対と思いがちである。「消費者本位」というのは、今では当たり前になっているが、
提供者の方は、それを一番忘れてしまうのです。言葉も相手の受け止め方で、救われもするし、加害もする。            
                                       ( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪
ーー
第三章 「私」とは何か
ー束縛から逃れるー :<言葉>と<価値>の束縛から逃れる

? 私たちが<言葉>の束縛から逃れるためには、「<言葉>を所有すること」が必要になる。
 「言葉による束縛」とは、「自分が使った言葉が、新しい意味を帯びる」ということを認識しない
 ことによって発生する。また、「自分が受け取った言葉に自分が新しい意味を付与することによって、
 それを認識している」ということに気づかないことによって発生する。
   これを換言するならば、
 それは「私がある時点で使った単語は、常に新しい意味で用いられている」と認識し、
 また「他者から発せられた言葉も同様である」と認識することです。
 私たちは、厳密な意味で同じ単語を同じ意味で使うことができません。
 言葉による意思疎通が(不完全であれ)可能となるのは、「了解不可能な他者を了解しようとする意思」
 によって発生するものでしかなく、ある言語体系よって適切に語を使用することで発生するものではありません。
 私たちは、何らかの概念を伝達しようとする時、「この単語は、この程度の意味に使われていたはず」と推測し、
 それに「近似した」新しい意味を付与しつつ発語している。そのとき、言葉の主体者は<私>です。
ー <価値>の束縛から逃れるためには、<価値>を所有するしかありません。しかし、ここで注意しなくてはならないのは、
 <価値>の主体者は、<価値>を生み出す側ではなく、それ<価値>を「受益する者」であるということです。
 <言葉>と<価値>の束縛から逃れるためには、この二つの本性を理解するだけで充分である。逆にいえばー<言葉>とは
 言語体系のこと、そして<価値>は、それを発生する側が主体者である、と考えていることによって、それらによる
 束縛が発生します。その両方が「誤りである」ということを認識するだけで私たちはその束縛から逃れることができるのです。
ー<物語>と<世界>の束縛から逃れるためにはそれを所有しなければなりません。
 そのとき<物語>所有する主体者は、いうまでもなく<私>です。私達は<物語>も<世界>をつくることも捨てることもできます。
 その状態が「所有」であり、そのときそれらの束縛から逃れることができるのです。
    ーー
 ここで、<私>と《私》について、もう一度整理をしてみる。
 <私>は、
    ? 言葉を用いて対象化された「私の像」
    ?「超越確実性言明(つまり言葉)」の束、もしくはそれに支えられている「自己の像」
    ?「私」の「論理的」な側面(言葉によって認識・構築された「私」)の意味を持っています。
     これに対し、《私》は、
    ?<私>の中核にあり、<私>の存在を支えているもの
    ?<身体>の中核部分にあり、<身体>(=対象化された身体)を支えているもの
    ?「生そのもの」としての「私の存在」
   サルトルに「対自」「即自」「対他」というキーワードがあるが、それに《私》を関連付けると、さらに面白くなる。
        ホンジャヽ(●´ω`●)ノ。バイ!                 

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2005年10月05日(水)
 1645.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・5  
 5・ゴールドクラブ
宗親
酒はこの商売をしていて、つくづく気違い水と思うね。 まあみんなこの世智辛い世の中、
気でも狂わなくてはやってられないのは判るけどね。
陽気な酒、喧嘩っぽくなる酒、助平になる酒、理屈っぽくなる酒といろいろあるね。
まあ気違い水を売って此方も食べてるんだから、なにも言えねんだがね。
本当のところ、素面で酔っ払いを見ていると面白いよ。気違い水を脳に叩き込むんだら。
その中で特に面白いのは、シラケ酒って言う奴さ。独り浮いてしまって、暗い自分の殻に入ってしまう奴。
オールドミス、いや〜ああなるとゴールドミスさ。グランドオールドで、G,OLD、ミスって奴さ。
独りでいつもある時間が来ると泣き出す。皆もそれを知っていて、待っている。
普段イライラを周囲にぶつけているんで、皆心の中は喝采さ!でもそれがバレタラ、あとで数倍も陰湿に 
それもあるけど最近は女も恐ろしいよ。 自分で誘っておいてさ、都合が悪くなるとセクハラという奴。
見ているとおとこの方が馬鹿だね。もてない男ほど、すぐ引っかかるね。 あまり慣れてないから、引き際が判らないんだよね。
こうやって色色見ていると人生いや人間なんて結局さ、その人間が実際行動した全体だと思うようになってきたよ。
それから一歩も大きくもないしさ、小さくもないしさ。 これが意外と判ってないんじゃないかな。

・・・・・・・・・
2003年10月05日(日)
ある時間の断片ー34  11月7日 −1968年

・10時半起床。12時に池袋に出発。掲示板をみていると川崎と出会う。
「ヤタロー」で食事。その後、「価格理論」の授業を聴講。12月5日に試験とか。
産業関係論が11月21日に試験と帰りに寄った掲示板に書いてあった。
明日のゼミの工場見学の資料を取りに武沢教授の部屋に行くが、助手の横浜さんが居ない。
川崎君と一時間位喫茶店で話す。磯部嬢とバッタリ会う。石川とは上手くいってないみたいだ?
数ヶ月前に行ってきた欧州旅行のことを話したいみたいだ。  17時に帰寮。

・・・・・・
540,お経
2002年10月05日(土)

お経は「般若心教」「観音経」「歎異抄ー第一章」「生長の家」の経を暗記してある。別に生長の家の信者ではないが、
お経の内容は良い。お参りとかの時にそれを使い分けている。「お経を暗記してると何なんになるんだ?」というが、
逆に暗記してない事を考えてみると、その効果は絶大という事が解る。少なくとも、夜寝れない時の眠り薬になる。
般若心教は「憶える前とその後」といえる位な内面の変化がみられる。心のベース基地ができる感覚である。
南無阿弥陀仏やアーメンの中に「オーム」という響きが入っている。オームは宇宙からのある波長と同じという。
暇な時間に「オームオームオーム」とゆっくりと繰り返して100回位唱えてみると、気持ちが落ち着いて宇宙と
一体感になっているような気になる。8年前に書いた文章をコピーしておきます。
 −−
 ーH0605般若心経のすすめ ー
十年前に創造工学の中山正和氏の“運のつくり方”という講演で般若心経のすばらしさを聞いて
一ケ月がかりで丸暗記をした。今まで何万回唱えただろうか。当社では入社教育で丸暗記が必須となっている。
二人の子供ま毎朝の仏壇での私のお経の為か丸暗記をしてしまった。
十年間の経験より(私の実体験より)直観した事を列記すると
?自分サイズの時空を超えた一つの視点をえた   ?心臓音に波長があっている(リズム)
?α波がくみこまれている            ?“念”がこの中に入っている
?お寺・神社等で唱えるとTPOとして、その場のイメージが鮮明に残る
?情報雑念等を切断、整理をする働きがあり結果として“運=無意識の判断”を左右する
?これをくり返しているとベースとして“空”がつみ重ねられてゆき 自己の中にその中空がつくられる
?夢の中で“空”を直感するイメージを得られた、等々限りない。
 立花隆と宇宙飛行士との対話の中で「彼等は地球をはなれた体験の中の一瞬にキリストや仏等の教祖が苦難の上で直感した
“絶対無”を観た」のではないかと言っている。 それは般若心経をくりかえしの中で少しでも近づける様な気がする。

・・・・・・・
[175] 忘れられない店ー3
2001/10/05 11:25 NoName

衣料のデスカウント店で、産地直結の仕入れで大量仕入れ大量販売のはしりで、全国的に有名な店であった。
大阪、岐阜、岡山、広島の産地に直接仕入れをしていた。また大手商社からも直接仕入れをしていた。
全国的に超繁盛店で有名にもなっていた。20年間位は店にはお客が殺到していた。
大家族のため両親からの干渉は一切なく放任そのものであった。各自が自分ひとり生きていくのが精一杯の状態。
−当時は商売をしているところは、大方そうでなかったかと思われる。そのプロセスで大光無尽の駒形重吉とかいう男の
‘金貸し’の勃興とか、三条の香具師か露天商の渡辺とかいう人の興こした‘丸大’とか、十日町衣料品店
市村とか言う人の興した‘イチムラ’とか、‘内山商店’とか、大手通りを見ているだけで激しい流れがあった。 
私の実家は(特に父は)戦前、津上製作所の津上退助とか、互尊翁といわれた野本某とか、山本五十六とかに可愛がられ、
茶人としてもかなりのレベルの人であったようだ。怪しげな金貸しの駒形某など馬鹿にしきっていた。
反面羨ましそうの面もあったが。そういえばこの本家すじの山形の元家老の事業家が、私のところに来たことがあった。
10歳までの10年間は遠い彼方の異次元の世界に思える。
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今回旅行はベトナム  2001/10/05
(11月8日〜14日ー7日間)に決定! ー近畿ツーリストー 16.8万ー
ガラパゴスマダガスカル島ベトナムか迷っていた次回旅行がベトナムに決定。
このニューヨークのテロで本命のマダガスカルが成立せず、ガラパゴスもどうも出発も怪しげで、
今回は自粛も含めてベトナムに決定した。旅行仲間からベトナムのよさは聞いていて2〜3年先の計画に入れていた。
あまり今回のテロの影響の少ないベトナムが手ごろと判断した。行くなら今のうちがベトナムの合言葉になっていた。
あと10年も経てば今のタイや中国みたいに、西洋社会に染められるからである。
今年はメキシコとロシヤ・北欧と今回のべとなむと刺激の少ないところだった。
来年は西アフリカ、ガラパゴス、スイスアルプスの予定だ、いければの話だが。何があっても行くのが趣味の世界だ。