* 女はどうしてオバサンになるか?

「人はどうしてオヤジになるか?」というなら
「女はどうしてオバサンになるか?」を考えてみたくなる。
 ーそれではオバサンとは、どういう人なのだろか?ー
《30代後半から40歳前後の大きな境目として、女を捨てると同時に恥じらいを捨て「怖いものがなくなった」
存在で、特に徒党を組むと非社会性が露出する。 お婆ちゃんといわれる前に、それまで内に圧縮されていた
エネルギーが非社会的行為として露出する歪んだ「突然変異の一時的生きもの」である。
彼女?を見ようと思ったら、デパ地下とか、ホテルのランチバイキングに行くと徒党を組んだ姿が見られる》
 ところで、秘境旅行にすると、必ずといってよいほど「離れオバサン」が参加している。
これが恐ろしい存在である。具体的に書くのを憚るほど唯我独善。 今回は、そこまでは書かないでおく。
逆に40歳前後までに、女としても人間としても自分を見つめ、「個」としての自分を確立し、責任を持って生き、
自信に満ちた態度を持てる女性を「マダム」という。 それに対しオバサンは自己管理ができないで、
集団化した第三の性化した存在をいう。
そうこう見ると、オジサンとオバサンは似ている部分がある。 自分が確立できない哀れな存在で、
孤独に耐え切れず、周囲の顔色だけを窺っているところが同じ。
そうもこうも、教養を積んできたかどうかに行き当たるが。その教養とやらも、どうみるかにある。
「で、どうしてオバサン化してしまうのか?」というと、長年の教養の積み重ねをしてない結果の品性の無さが
具現化した姿を言うのだから、ただ現象に流されていれば自然とオバサン化していくのである。
早く、好きなことを見つけて教養として身につけるしかない。
 幻想論からみると、品性のあるマダムという自己幻想を常に意識をして、まずは知識と外見を整えるということ。

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2587, 幸福大国ブータンから、幸せとは何かを考える
2008年05月04日(日)

 国民の97%が幸福と実感し、自殺者ゼロの国、40年前には国土の5割以下だった森林面積が、現在は7割以上に回復し、
経済成長ではなく「国民総幸福」を国の指標とし、独自の「豊かさ」を目指すブータンという国がある。
数年前にTVのドキュメントで見て気になっていたが、図書館で、この国の第四代国王王妃が、その国の素顔と
ブータン人の死生観などを書いていた本を見つけ早速読んでみたが、何とも心の豊かさが滲み出ている内容であった。
 ブータンの幸せ指数世界一だが、物資や食料の欠乏は、心の貧困には繋がらない証明になる。
物質社会・競争社会に溺れる日本人は特に、学ぶ必要がある。
ブータンの国語・ゾンカには「幸せ」を意味する言葉はないという。
それでも国民の97%が、「幸せかどうかと言われると、決して不幸ではない」と答える。
経済的な豊かさを手に入れるためには、いろいろなものを手放さなければならない。
その手放してしまったものが何か充分に考えてみる必要がある。
 ブータンの存在そのものが、物質社会、競争社会へのアンチテーゼになる。
 ーー
インターネットで検索をしたら、次の紹介があった。
 ーー
 ブータンは、ヒマラヤ山脈のほぼ東端の南斜面に位置する小王国。
人口約55万、面積は九州をひとまわり大きくしたくらい(4万6000平方キロメートル)で、
緯度は沖縄とおなじくらいに位置します。 17世紀前半に、チベット大乗仏教の一派(カギュ派
の化身高僧によって国として統一されてから、これを国教とし、その歴代化身系譜を聖俗両面での
最高権威者・権力者とする、いわば「仏権」政治体制がつづいてきました。
1907年からは世襲王制となりましたが、仏教が国教であることには変わりなく、
現在でも国民の大半は信心深い仏教徒です。 その意味でブータンチベット仏教最後の砦とも言えます。
地政学的には中国、インドという二つの大国にはさまれていますが、
標高差の大きい豊かな森林と肥沃な土地で自給自足できる、アジアの中でも恵まれた国です。
近年、「国民総生産」にかわる「国民総幸福」を提唱する国として、そのユニークな環境政策や近代化政策が、
グローバル化によって生ずるさまざまな問題への批判的文脈のなかで紹介されることも多くなっています。
第4代ブータン国王こそ、「国民総幸福」という考え方を世界に問うことで、国際社会に中における
ブータンの存在感をたしかなものとした人なのです。ブータン社会とはどのようなものなのでしょうか。
またそこに生きる人々は、どのように暮らしているのでしょうか。
 ーー
 ブータンも決してユートピアではないが、純朴な社会に生きる国民性が
「よりよく生きる、とは?」「より人間的である、とは?」を考える意味で大きなヒントになるだろう。
自然環境が一種の鎖国状態をつくりあげ、現代の奇跡的な国民性をつくり上げたといえる。
あまりにも、アメリカナイズされて一種の薬物づけされた日本人にとっての反省材料を
多く含んでいるだろう。 97?が幸せと実感している国があるとは驚きである。
まったく勝ち組、負け組とか、何じゃい、それ!だろう。
世界の幸福度を国連が調査した資料も検索で調べたら出てきた。
主観的な幸福度では中南米の人たち、それも小国ほど、高い結果になっていた。
ちなみに日本は中位であった。
物理的なものを加味すると、デンマーク、スイス、オーストリアスウェーデンであった。

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2007年05月04日(金)
2222, 平凡って幸せなの?  ー2
       ♪ヾ(*'ー')*'ー')*'ー')/" オッハヨウ!

平凡って幸せなの?という、何気ない家内の質問に、
「そういえば、平凡など考えたことがないし、平凡の日々を過ごしていながら、
平凡を嫌って生きてきた自分に気がついた。」というのが本音である。
しかし過去を振り返ると、平凡な日々のなかにこそ人生の真実があったように思える。
しかし、これも縦に立ち上がっている、問題の陰に隠れてしまって記憶には残らない。
記憶に残らないということは、無に等しいと思いがちになってしまう。
ただ合せ鏡で平凡の生き方をしている人を見ると、やはり?とも、思ってしまうが。
「平凡とは?」と検索をしたら、面白い質問に行き当たった。
まずは、その部分を・・・
ーー
<平凡な生活に対する疑問>
「毎日を平凡に生きている人間って、どうして生きているんでしょうか?
はっきり言って僕は、そういう人間は死んでしまってもいいと思います。
毎日何も変化のない暮らしというのは最も最低な人間の生き方と思うのですが・・
みなさんはどう思いますか? 」
ーー
この答えが、面白いので後にコピーしたが、平凡は一番身近の問題であり、過去には多くの人が名言を残している。
ところで平凡って何だろうか?非凡とは何だろうか?考えてみたら非常に難しい問題である。
「死んでしまえばよい」でなく「死んだも同然」と言えば良いのだ。
「死んでしまえばよい」でなくては「釣り質問」にはならないか?
ところで、若い時に「こんな生活を送っていて良いのだろか?
もっと良い生き方が在るのじゃないか」と何時も思っていた。
今でも、「二度とない人生、悔いのない一日を過ごすよう心がける」が、
私の信条の一つである。これも「平凡の人生を否定する言葉」ではないか。
平凡に対する、テーゼ・アンチテーゼとして、自分で何時も問答をしなければならない問題である。

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*投票でベストアンサーに選ばれた回答
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「あなたのいう「平凡」=「変化がない」ですか?まずは平凡に生きてみてください。
こんなに難しいことはないでしょうから。平凡に生きていたいです。 」
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*ベストアンサー以外の回答
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「平凡こそ幸せです。どのような人生が、素晴らしく最高なんですか?
非凡に生きるってどういうこと? 忙しくで自分の時間も持てないくらいに仕事してるってこと?
平凡の中でも、充実した人生があります。もう少し年取ったらわかります。」
 ーー
「平凡な人間は死ねですか。まるでどこぞの独裁者ですね。
ご自分がどれだけすばらしい人生を送っていらしゃるんですか。
人間一番不幸なことは自分の愚かさに気付かないことです。」
ーー
「人間って色んな人がいるし、色んな考えがあるとは思いますが、
ここまで私と逆の考え方の人間がいるとはビックリです・・・
なんだか寂しい気がします。私は平凡な毎日こそ最高の幸せだと思います!
ではあなたの言う最高の生き方ってどんな生き方でしょうか?
命があるっていうことだけでも最高の人生と私は思いたいです。」
ーー
「毎日を平凡に生きる」ことがどれだけ難しいことかわかってないな。
けつの青いガキが寝言言ってんじゃねえ。」
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「視点を変えてみれば、あなたが常に変化を求めるのは、自分自身にある凡庸からの逃避ではないでしょうか。
非凡な人間になりたいという願望を持つという意味で平凡ではないですか。
変化を求め続ける限り凡庸はついて回ると思いますよ。」
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以上だが、なかなか含蓄がある答えが多い。平凡、非凡を何を持っていうのかという問題にもなるが、
王陽明に影響を受けた我が長岡藩の河井継之助は「天下になくては成らぬ人になるか、
有ってはならぬ人となれ、沈香もたけ屁もこけ。牛羊となって人の血や肉に化してしまうか、
豺狼となって人間の血や肉をくらいつくすかどちらかとなれ。」と凡庸の行きかたを諌めている。
まあ、平凡と凡庸は違うだろうが、平凡と「前に進めなくなる」ことは違う。その辺も、比較の問題でしかないが・・・
あらためて、平凡とは何だろう?何も考えないで、流されている人を質問者は問題にしたのだろう。
元々死んだも同然だから、責めること自体がナンセンスであると、
言いたいのだろうが、前に進むとは何?それが、どうした!という自問自答が出てくるが・・・
うまい飯喰って、笑って、クソたれて、寝る日々のどこが悪いのか?と言ってしまえば、それまでか!
                          ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
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2006年05月04日(木)
1857, HP開設、5周年  ?2
            才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)

自分の日々の読んだ本や新聞のポイントを書き出し公表し続けた結果、インプットの吸収力が数倍強くなった。 
アウトプットの加工の過程で、知的生産を自動的に促すことになる。
その積み重ねは信じられないぐらい自分を成長させてくれる。思いをそのまま書いていれば誰かが読んでいるはず。
そして「どこか深いところで自分が自分を納得すればよい」と割り切ることが出来る。
もう一つ良いのは、何年間の同月同日の文章を読み返すことが出来ることだ。
一つの文章を書き上げるのに、テーマ選定を含めると2~3時間がかかる。
5年分を読み返すということは、過去の10~15時間分の自分のエネルギーに毎日ふれることになる。
これが自分を大きく後押しをしてくれる上に、あとでみる自分の姿も面白い!
過去の自分との対話をすることにもなる上に、忘れてしまった自分の姿に驚く。
また自分の脳を公開していると、他のHPを深く理解できるようになった。
 ーー                        ´ー`)y─┛~~
ふと去年の同日の随想日記を読むと、同じテーマで書いてあった。
さらに一昨年も同じテーマである。去年、一昨年の方が、よほど良い内容である。
だから内容が落とせなくなるのである。
過去5年分の同月同日の日記を読むことは、同時に内省をしていることになる。
毎日、自分でもよく続いたものと感心する!が、これらに縛られてしまうのも不安である。今さらだが!
ところで、グーグルが高性能な検索エンジンを提供したことで、ブログは企業やマスコミの大手HPと、
同じ力を持つようになった。それまでは、大手のHPをみていた一般の人が、検索エンジンを道案内にして、
あらゆるHPに直接アクセスするようになった。
検索で大手企業も個人のブログも、同じレベルに扱われるようになった。これは、大革命といってよい。
個人の情報の質も公開数が増えるにつれて、飛躍的にアップしてきている。
あらゆる人が、オープン・ソース化を始めたのだ。オープン・ソース化することによって
外の情報とリンクして世界と結びついた方が有効であることに気がついたのである。
今までは、何処かのカフェとかの仲間同士が情報をやり取りする場と同じことが、
検索エンジンのお陰で、ネット上で可能になってきた。
ブログ上のキーワードをクリックすることで一瞬に他のHPのキーワードにとんでいくようになった。
こうなると、深く情報を追求するのに数秒・数分もあれば、事足りるのだ。
 私のHPも根本的に改造しなくてはならない時期にきているようだが・・
                      ヾ(^ω^*) バイ!
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2005年05月04日(水)
1492, HPを開設して、まる4年

今日5月4日はHPを開設日で、丁度まる4年になる。
海外旅行をしている間を除けば、随想日記をほぼ毎日書いてきた?
一日一つのテーマを取り上げて考えることを、自分に課してきたことになる。
まさか4年も続けられるとは、思ってもいなかった。久垣啓一の図解WEBというHPに刺激され、
糸井重里が「HPを開いて毎日文章を書き続けている」と知り、自分も挑戦してみようと決心をした。
初めは1000の文章を書き上げることを目標をした。書くテーマが全く思い浮かばないことが何度かあった。
ある本に、その時は「全く思い浮かばないことをテーマにしたらよい」と書いてあった。
そして、それをテーマにしたこともあった。しかし、1000を超えた辺りから苦痛度が少なくなった。
「自分が楽しくなければ気持ちが伝わらない」ということも解った。
書き続けていると、自分をドンドン掘り下っている実感が出てくる。
一度書いた文章は、自分から離れてしまうことも知った。
書き上げてしまえばコピーができるし、パート2,3と掘り下げることも可能になる。
ネット上の発信基地であり、備蓄基地にもなる。
表現できる場を持っているという実感が自分の心を楽にしてくれる。
このHPの開設と維持で、パソコンとインターネットの世界を身近に引き寄せた。
HPの開設を通して、パソコンをマスターするのが本来の動機であった。
「パソコンは、奈良時代に最新のヘリコプターを持ち込んだようなもの」
というが、{全くその通り!}ということも解った。
これに携帯電話とBS/TVなどが連携して時代を変えていることも実感している。
 話は変わるが、3日前に図書館で8冊の本を借りてきた。そして、一昨日DVDを三枚レンタル店で借りてきた。
8冊の本の2冊と、DVDの1枚に共通点のテーマがあった。
その内容は明日から、この随想日記で取り上げるが「いま」 についてである。
なぜ、あえてHPの5年目のテーマに「いま」について書くのかというと、
「毎日の、いま」にしか、永遠の入り口・切口がないことが解ったことだ。
その時々の「いま」をパッケージにしている充実感がよい。「いま」の重要性をつくづく実感するようになった。
「いま」は永遠なのである。 いや、「いま」が永遠になっていくのである。
とにかく4年も経った。やはり1000というのが大きい目安であった。
そして、その辺りから大きな変化が出てきた。次はあと三年の七年が目標である。 
ーーーー
たしか去年も同じテーマで、同じような内容を書いたようだが、
内容は全く憶えていない。そして、書き上げた後に去年の文章を読み返してみて、
ほぼ同じことを、一年前にも書いていたことに驚いている。
人間なんぞ同じことを繰り返し考えているに過ぎないことが、読んでいてよくわかる。
こんなものか、少しは掘り下げているのか。一度読んでから、書けばよかったのだろうが。
前の同月同日の文章を貼り付けるのは、いつも書き終わってからだ。

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2004年05月04日(火)
1127, ホームページを開いて3年

今日で、ホームページを開設し、随想日記を書き始めてマル3年になる。
だいたい二年が続けるかどうかの分岐点になるという。まる3年も、分岐点であることも間違いはない。
毎日書き続けるのは本当に!シンドイが、あとで振り返った時に続けていた方が良かったと後悔するのが
解っているので、止めるに止めれないのも事実である。といって、そのつかうエネルギーは膨大である!
常に、何かに急きたてられているような気分である。もっとも、その位のほうが良いのかもしれないし、
10年?20年後に振り返った時に残っているのは入れたエネルギーの文章だけかもしれない。
いやそれすら、残っていないかもしれない。
三年で、書きたいと思うことは殆んど書いたという実感がある。遺言書といってもよい。
自分自身にプラスになるのは、手に取るようにわかる。
特に毎日の随想日記は、自分の背骨が一本、日々の生活に入った感じだ。
毎日、思ったことや、考えたことを文章化することは、まったく違う領域に自分が入ってしまう。
それを、さらに公開するとなると、自分のノートに書き出しているのとでは全く違ってくる。
同月同日の一年前・二年前書いた文章を毎日コピーしながら読み返すと、何か不思議な感覚になる。
今日からは三年前の文章も毎日読むことになるが、まったく忘れているから何か変な感覚になる。
知らない自分を見ているような、内省をしているような感覚である。
話は変わるが、ホーム・ページを開くキッカケを書いてみる。
パソコンを手元に置いても、どう使ったらよいか迷っていた矢先に久恒啓一氏の
「インターネット勉強法」の中の「ホームページ」の勧めを読んで、パソコン教室に通ってHPつくりに入った。
その本には、HPつくりは「自分の墓場つくり」と書いてあったのが印象的であった。
なるほど三年経ってみて、書きたいことを全部書き出してしまった実感がある。
その意味が分りすぎるほどわかった。はじめは1000回、次に3年と目標をたててきた。1100回目から、
あまり気張らずにリラックスをして楽しもうと割り切った。逆にそれが良かったようで、
それからは肩の力が抜けたようだ。これからは、趣味として、お遊びのHPとして変身するつもりである。
それまでは、かたく考えすぎていたようだ。あまり他人から理解しがたいタイプなので、
丁度よい手段なのだろう。それにしても、クソ真面目に、毎日書いているものだ。

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2003年05月04日(日)
760, いかに生きたか いかに生きるか

去年の文芸春秋の12月臨時増刊号の「日本人の肖像ーこのすがすがしい生きかた」ー
シナリオ作家の舟橋和郎を文章を紹介する。
 文章が鮮明で、半世紀以上前の情景がアリアリと浮かび上がってくるすばらしい文章である。
 小林秀雄という人物と、乃木大将の決心と、舟橋和郎の人物が何ともいえない文章で浮かび上がってくる。
  (以下、字数の関係でカット2,008年05月04日)
 
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2002年05月04日(土)
 396, 光の旅人

三条で昨日見た映画「光の旅人」がなかなか面白い!当たりであった。
昨年の9・11に最も救いを求めていたアメリカで、10月にNO.1にヒットに記録された映画という。
ー内容は
以下は字数の関係でカットした、HPのこの日をクリックすると出てきます。

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2001年05月04日(金)
ウオーキングについて
      ーー
 以下は字数の関係でカットした。