つれづれに

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今日のYoutube

 昨日は、近くの親戚の49日法要と会席が、自宅近くの
ホテルニューオオタニで行われた。出席が11名。多くが70歳前後で、
それらしき風貌になっている。 顔つきは「象形文字」とは、よく言ったもの。
 宮内のお寺で49日法要と、納骨の後に、会席があった。
これまでの居酒屋と、小さな食品雑貨屋は、閉鎖をして、借地を更にして
返すという。これで、地元の親戚の商家は、店じまいをしたことになった。
そして、年金暮らし。 これも時代の流れだろう。  
若者よ、外に出よ! ー⑦  大自然との邂逅の衝撃を体験しろ 編集
 
 今日の写真は、ギアナ高地のテーブル・マウンテンの写真。
改めて当時、みた空からの遊覧飛行機からみて光景を思い出す。

               『人生の教科書』なかにし礼著 
   * 大自然との邂逅の衝撃を体験しろ  
 ーピラミッドという衝撃を体験しろー のテーマから、さらに世界を広めた
大自然の神秘の衝撃を体験しろー のテーマが浮かんだ。ピラミッドは人間の
創造物だが、自然の神秘と美しさは、大自然自ら創った作品。その神秘の衝撃は、
魂まで振動が直撃する。 大自然には、山脈、大平原、滝、氷河、大海原、天空
のオーロラなどがある。 世界的遺跡など人間の創造物に驚愕するが、手つかず
大自然の創造物にも驚かされる。『大自然は、自らの創造物を見たいため、
記録したいため、人間を創られた』というが、成るほど、納得することしばしば。
その幾つかの内の一つがギアナ高地。 ~ネット検索によると~
ギアナ高地を形成している岩石は、主に20億年から14億年前の先カンブリア
時代に堆積した砂岩や珪岩からなり、擬似カルストを呈し、巨大な縦穴の存在が
知られている。現在の形になったのは6億年前】とある。生物としての何かの記憶
が蘇るような懐かしい不思議な感覚。それは、現地まで汗し、辿り着いたから
こそ、味わうことが出来る感動である。己は宇宙の微細な地球の、小さな存在で
しかない実感が、その時、現れ出てくる。「現象界」と、「理想界」が、そこで
だぶって存在しているような世界である。「生きてきて良かった!」の実感が、
感動の後に、訪れる瞬間である。山は動かない、自ら汗して山にいけばよい。
――
H0909
ギアナ旅行記

 この数年、秘境の旅に凝っている!
そしてそれが深いほど新しい感激・感慨が大きくなる。
南米大陸の一番上に位置するベネズエラの首都カラカス。
そこより目指すギニア高地の基地、カナイマへ。更にそこから
オリノコ川の最大の支流カロニ川の上流に、秘境ギニア高地が
広がっていた。インディオの操縦で四日間にわたった
「エンゼルフォールを目指すアドベンチャー・ツアー」であった。
コナン・ドイルの“ロスト・ワールド”の空想小説の舞台となった
テーブル・マウンテンは、一〇〇〇m~三〇〇〇mの垂直に切り立った
絶壁に囲まれた台地がいくつもそびえ立っていた。
そこより落ちる滝は多いときで二〇〇~三〇〇にもなり、その中で
一番有名なのが、世界最長の落差のエンゼルフォールである。
その長さは一〇〇〇m、山道を一時間以上かけ登り、麓より見上げた
滝の雄大さ、神秘性は言い知れぬ迫力があった。
ここでは生物の生存がほとんど不可能であるという。
ボートでそのテーブルマウンティンの勇姿を見た時、魂を電流がつき抜けて
いったような感動で自然と腰骨がピンと立ち、ただ茫然としていた。
そして涙が自然と流れ出てきていた。
二十億年の大自然の時空を直感できた感動であった。
「これで人生の感動の分岐点を充分越える事ができた!」という言葉が、
フッと脳をよぎった。 原始人が自然に対して“神”を直感するとは、
このような二十億年の時空の中の一瞬の何かを観たのだ!。
この旅行はただテーブル・マウンテンと密林とそこを流れる川、
そして滝だけであった。
ただ高地の間に流れる川をのぼっていくボートツアーでしかない!。
でもそれだけがすばらしいのだ。
そのトレッキングの真髄を初めて経験でき、
新しい世界をかい間見た十日間であった。
(H9.8/23~9/)
・・・・・・
3326, 人みな骨になるならば ー12
2010年05月04日(火)

 この著書は、蓮如上人の「白骨の御文章」と「般若心教」の視点から、
当たり前と信じている日常の思い込みを一つずつ取上げ、その根拠を潰している。 
何かにとらわれり、行きづまった時に、この書は、それが如何に取るに足らない
ことかを諭してくれる。 葬式や法事で参列者全員がこの「白骨の御文章」を
読経することがある。死を第三者でなく、自分に当てはめて考えさせるためである。 
そこで改めてネットで検索して、コピーしてみた。 
  ー蓮如上人の「白骨の御文章」ー
≪ それ、人間の浮生なる相(すがた)をつらつら観ずるに、凡そはかなきものは、
 この世の始中終、幻の如くなる一期なり。されば未だ万歳の人身を受けたりと
いう事を聞かず。 一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。
我や先、人や先、今日をも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫・
末の露よりも繁しといえり。されば、朝(あした)には紅顔ありて、夕には白骨と
なれる身なり。既に無常の風来りぬれば、すなわち二つの眼たちまちに閉じ、
一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて李の装を失いぬるときは、六親・
眷属集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。 さてしもあるべき事
ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。
 あわれというも中々おろかなり。 されば、人間のはかなき事は老少不定
さかいなれば、誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深く
たのみまいらせて、念仏申すべきものなり。≫

ー以上だが、父の生前の口ぐせ、「死んでしまえば(生きている方からすれば)
それまでよ!」である。あるのは、いま、ここ、だけである。過去の、あの時も、
現在も、「いま、ここ」しかない。 一期一会である。それぞれが、いま、ここ、
で生きている。そして、それも、確かに存在していると感じるが、実は幻想。
自分の感覚という器官が能作しているだけである。 夢・幻でしかないのである。 
で、確認で酒を飲む、のか! 

 ・・・・・・・・
2951,人はどうしてオヤジになるか? -2
2009年05月04日(月)
 * 女はどうしてオバサンになるか?
「人はどうしてオヤジになるか?」というなら
「女はどうしてオバサンになるか?」を考えてみたくなる。
  ーそれではオバサンとは、どういう人なのだろか?ー
《30代後半から40歳前後の大きな境目として、女を捨てると同時に恥じらい
を捨て「怖いものがなくなった」存在で、特に徒党を組むと非社会性が露出する。 
お婆ちゃんといわれる前に、それまで内に圧縮されていたエネルギーが非社会的
行為として露出する歪んだ「突然変異の一時的生きもの」である。
彼女?を見ようと思ったら、デパ地下とか、ホテルのランチバイキングに行く
と徒党を組んだ姿が見られる》
 ところで、秘境旅行に行くと、必ずといってよいほど「離れオバサン」が
参加している。これが恐ろしい存在である。具体的に書くのを憚るほど唯我独善。 
今回は、そこまでは書かないでおく。逆に40歳前後までに、女としても人間と
しても自分を見つめ、「個」としての自分を確立し、責任を持って生き、自信に
満ちた態度を持てる女性を「マダム」という。 それに対しオバサンは自己管理
ができないで、集団化した第三の性化した存在をいう。そうこう見ると、
オジサンとオバサンは似ている部分がある。自分が確立できない哀れな存在で、
孤独に耐え切れず、周囲の顔色だけを窺っているところが同じ。
そうもこうも、教養を積んできたかどうかに行き当たるが。その教養とやらも、
どうみるかにある。「で、どうしてオバサン化してしまうのか?」というと、
長年の教養の積み重ねをしてない結果の品性の無さが具現化した姿を言う
のだから、ただ現象に流されていれば自然とオバサン化していくのである。
早く、好きなことを見つけて教養として身につけるしかない。幻想論からみると、
品性のあるマダムという自己幻想を常に意識をして、知識と外見を整えることである。
「女を捨てるなというけどね~、私の魅力を認めてくれる男が何処に居るっていうのよ」
って声が聞こえてきそう。「捨ててしまっているから、魅力が無いの!」
水掛け論になるか!

・・・・・・・
2587, 幸福大国ブータンから、幸せとは何かを考える
 2008年05月04日(日)
 国民の97%が幸福と実感し、自殺者ゼロの国、40年前には国土の5割以下
だった森林面積が、現在は7割以上に回復し、経済成長ではなく「国民総幸福」
を国の指標とし、独自の「豊かさ」を目指すブータンという国がある。
数年前にTVのドキュメントで見て気になっていたが、図書館で、この国の第四代
国王王妃が、その国の素顔とブータン人の死生観などを書いていた本を見つけ早速
読んでみたが、何とも心の豊かさが滲み出ている内容であった。
 ブータンの幸せ指数世界一だが、物資や食料の欠乏は、心の貧困には繋がらない
証明になる。物質社会・競争社会に溺れる日本人は特に、学ぶ必要がある。
ブータンの国語・ゾンカには「幸せ」を意味する言葉はないという。
それでも国民の97%が、「幸せかどうかと言われると、決して不幸ではない」
と答える。経済的な豊かさを手に入れるためには、いろいろなものを手放さな
ければならない。 その手放してしまったものが何か充分に考えてみる必要がある。
 ブータンの存在そのものが、物質社会、競争社会へのアンチテーゼになる。
 ーー
インターネットで検索をしたら、次の紹介があった。
 ーー
 ブータンは、ヒマラヤ山脈のほぼ東端の南斜面に位置する小王国。人口約55万、
面積は九州をひとまわり大きくしたくらい(4万6000平方キロメートル)で、
(字数制限のため、中間カット 2010年5月4日)
 ーー
 ブータンも決してユートピアではないが、純朴な社会に生きる国民性が
「よりよく生きる、とは?」「より人間的である、とは?」を考える意味で
大きなヒントになるだろう。自然環境が一種の鎖国状態をつくりあげ、現代の
奇跡的な国民性をつくり上げたといえる。あまりにも、アメリカナイズされて
一種の薬物づけされた日本人にとっての反省材料を多く含んでいるだろう。 
97?が幸せと実感している国があるとは驚きである。
まったく勝ち組、負け組とか、何じゃい、それ!だろう。
世界の幸福度を国連が調査した資料も検索で調べたら出てきた。
主観的な幸福度では中南米の人たち、それも小国ほど、高い結果になっていた。
ちなみに日本は中位であった。物理的なものを加味すると、デンマーク
スイス、オーストリアスウェーデンであった。

・・・・・・
2007年05月04日(金)
 2222, 平凡って幸せなの?  ー2
       ♪ヾ(*'ー')*'ー')*'ー')/" オッハヨウ!
平凡って幸せなの?という、何気ない家内の質問に、「そういえば、平凡など
考えたことがないし、平凡の日々を過ごしていながら、平凡を嫌って生きてきた
自分に気がついた。」というのが本音である。しかし過去を振り返ると、平凡な
日々のなかにこそ人生の真実があったように思える。しかし、これも縦に立ち
上がっている、問題の陰に隠れてしまって記憶には残らない。記憶に残らない
ということは、無に等しいと思いがちになってしまう。ただ合せ鏡で平凡の
生き方をしている人を見ると、やはり?とも、思ってしまうが。「平凡とは?」
と検索をしたら、面白い質問に行き当たった。
 まずは、その部分を・・・
<平凡な生活に対する疑問>
「毎日を平凡に生きている人間って、どうして生きているんでしょうか?
はっきり言って僕は、そういう人間は死んでしまってもいいと思います。
毎日何も変化のない暮らしというのは最も最低な人間の生き方と思うのですが・・
みなさんはどう思いますか? 」
ーー
この答えが、面白いので後にコピーしたが、平凡は一番身近の問題であり、
過去には多くの人が名言を残している。ところで平凡って何だろうか?非凡
とは何だろうか?考えてみたら非常に難しい問題である。
「死んでしまえばよい」でなく「死んだも同然」と言えば良いのだ。
「死んでしまえばよい」でなくては「釣り質問」にはならないか?
ところで、若い時に「こんな生活を送っていて良いのだろか?
もっと良い生き方が在るのじゃないか」と何時も思っていた。
今でも、「二度とない人生、悔いのない一日を過ごすよう心がける」が、
私の信条の一つである。これも「平凡の人生を否定する言葉」ではないか。
平凡に対する、テーゼ・アンチテーゼとして、自分で何時も問答を
しなければならない問題である。
====
*投票でベストアンサーに選ばれた回答
====
「あなたのいう「平凡」=「変化がない」ですか?まずは平凡に生きてみて
ください。こんなに難しいことはないでしょうから。平凡に生きていたいです。」
 ====
*ベストアンサー以外の回答
 ====
「平凡こそ幸せです。どのような人生が、素晴らしく最高なんですか?
非凡に生きるってどういうこと? 忙しくで自分の時間も持てないくらいに
仕事してるってこと?平凡の中でも、充実した人生があります。
もう少し年取ったらわかります。」
 ーー
「平凡な人間は死ねですか。まるでどこぞの独裁者ですね。
ご自分がどれだけすばらしい人生を送っていらしゃるんですか。
人間一番不幸なことは自分の愚かさに気付かないことです。」
ーー
(字数制限のため、中間カット 2010年5月4日)
ーー
以上だが、なかなか含蓄がある答えが多い。平凡、非凡を何を持って
いうのかという問題にもなるが、王陽明に影響を受けた我が長岡藩の河井
継之助は「天下になくては成らぬ人になるか、有ってはならぬ人となれ、
沈香もたけ屁もこけ。牛羊となって人の血や肉に化してしまうか、豺狼と
なって人間の血や肉をくらいつくすかどちらかとなれ。」と凡庸の行きかた
を諌めている。まあ、平凡と凡庸は違うだろうが、平凡と「前に進めなくなる」
ことは違う。その辺も、比較の問題でしかないが・・ あらためて、平凡
とは何だろう?何も考えないで、流されている人を質問者は問題にしたのだろう。
元々死んだも同然だから、責めること自体がナンセンスであると、言いたい
のだろうが、前に進むとは何?それが、どうした!という自問自答が出てくるが・・
うまい飯喰って、笑って、クソたれて、寝る日々のどこが悪いのか?と言って
しまえば、それまでか!          ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
・・・・・・・・
2006年05月04日(木)
1857, HP開設、5周年  ?2
            才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
自分の日々の読んだ本や新聞のポイントを書き出し公表し続けた結果、
インプットの吸収力が数倍強くなった。 アウトプットの加工の過程で、
知的生産を自動的に促すことになる。その積み重ねは信じられないぐらい
自分を成長させてくれる。思いをそのまま書いていれば誰かが読んでいるはず。
そして「どこか深いところで自分が自分を納得すればよい」と割切ることが出来る。
もう一つ良いのは、何年間の同月同日の文章を読み返すことが出来ることだ。
一つの文章を書き上げるのに、テーマ選定を含めると2~3時間がかかる。
5年分を読み返すということは、過去の10~15時間分の自分のエネルギーに
毎日ふれることになる。これが自分を大きく後押しをしてくれる上に、あとで
みる自分の姿も面白い! 過去の自分との対話をすることにもなる上に、忘れて
しまった自分の姿に驚く。また自分の脳を公開していると、他のHPを深く理解
できるようになった。
 ーー                        ´ー`)y─┛~~
ふと去年の同日の随想日記を読むと、同じテーマで書いてあった。
さらに一昨年も同じテーマである。去年、一昨年の方が、よほど良い内容である。
だから内容が落とせなくなるのである。過去5年分の同月同日の日記を読むことは、
同時に内省をしていることになる。毎日、自分でもよく続いたものと感心する!が、
これらに縛られてしまうのも不安である。今さらだが!ところでグーグルが高性能
検索エンジンを提供したことで、ブログは企業やマスコミの大手HPと、同じ力を
持つようになった。それまでは、大手のHPをみていた一般の人が、検索エンジン
道案内にして、あらゆるHPに直接アクセスするようになった。
検索で大手企業も個人のブログも、同じレベルに扱われるようになった。これは、
大革命といってよい。個人の情報の質も公開数が増えるにつれて、飛躍的にアップ
してきている。あらゆる人が、オープン・ソース化を始めたのだ。
オープン・ソース化することによって外の情報とリンクして世界と結びついた方
が有効であることに気がついたのである。今までは、何処かのカフェとかの仲間
同士が情報をやり取りする場と同じことが、検索エンジンのお陰で、ネット上で
可能になってきた。ブログ上のキーワードをクリックすることで一瞬に他のHPの
キーワードにとんでいくようになった。こうなると、深く情報を追求するのに
数秒・数分もあれば、事足りるのだ。 私のHPも根本的に改造しなくてはならない
時期にきているようだが・・      ヾ(^ω^*) バイ!
・・・・・・・
2005年05月04日(水)
 1492, HPを開設して、まる4年
今日5月4日はHPを開設日で、丁度まる4年になる。海外旅行をしている間を除けば、
随想日記をほぼ毎日書いてきた? 一日一つのテーマを取り上げて考えることを、
自分に課してきたことになる。まさか4年も続けられるとは、思ってもいなかった。
久垣啓一の図解WEBというHPに刺激され、糸井重里が「HPを開いて毎日文章を書き
続けている」と知り、自分も挑戦してみようと決心をした。初めは1000の文章を
書き上げることを目標をした。書くテーマが全く思い浮かばないことが何度かあった。
ある本に、その時は「全く思い浮かばないことをテーマにしたらよい」と書いて
あった。そして、それをテーマにしたこともあった。しかし、1000を超えた辺り
から苦痛度が少なくなった。「自分が楽しくなければ気持ちが伝わらない」と
いうことも解った。書き続けていると自分を掘り下ている実感が出てくる。
一度書いた文章は、自分から離れてしまうことも知った。書き上げてしまえば
コピーができるし、パート2,3と掘り下げることも可能になる。ネット上の
発信基地であり、備蓄基地にもなる。表現できる場を持っているという実感が
自分の心を楽にしてくれる。このHPの開設と維持で、パソコンとインターネット
の世界を身近に引き寄せた。HPの開設を通して、パソコンをマスターするのが本来
の動機であった。「パソコンは、奈良時代に最新のヘリコプターを持ち込んだ
ようなもの」というが、{全くその通り!}ということも解った。
これに携帯電話とBS/TVなどが連携して時代を変えていることも実感している。
話は変わるが、3日前に図書館で8冊の本を借りてきた。そして、一昨日DVDを
三枚レンタル店で借りてきた。8冊の本の2冊とDVDの1枚に共通点のテーマがあった。
その内容は明日から、この随想日記で取り上げるが「いま」についてである。
なぜ、あえてHPの5年目のテーマに「いま」について書くのかというと、
「毎日の、いま」にしか、永遠の入り口・切口がないことが解ったことだ。
その時々の「いま」をパッケージにしている充実感がよい。「いま」の重要性を
実感するようになった。「いま」は永遠なのである。いや「いま」が永遠になって
いくのである。とにかく4年も経った。やはり1000というのが大きい目安であった。
そして、その辺りから大きな変化が出てきた。次はあと三年の七年が目標である。 
ーーーー
たしか去年も同じテーマで、同じような内容を書いたようだが、内容は全く憶えて
いない。そして、書き上げた後に去年の文章を読み返してみて、ほぼ同じことを、
一年前にも書いていたことに驚いている。人間なんぞ同じことを繰り返し考えている
に過ぎないことが、読んでいてよくわかる。こんなものか少しは掘下げているのか。
一度読んでから、書けばよかったのだろうが。前の同月同日の文章を貼り付けるのは、
いつも書き終わってからだ。

・・・・・・・
2004年05月04日(火)
 1127, ホームページを開いて3年
今日で、ホームページを開設し、随想日記を書き始めてマル3年になる。
だいたい二年が続けるかどうかの分岐点になるという。まる3年も、分岐点である
ことも間違いはない。毎日書き続けるのは本当に!シンドイが、あとで振り返った時
に続けていた方が良かったと後悔するのが解っているので、止めるに止めれないのも事実。
といって、そのつかうエネルギーは膨大である! 常に、何かに急きたてられている
ような気分である。もっとも、その位のほうが良いのかもしれないし、10年?20年後に
振り返った時に残っているのは入れたエネルギーの文章だけかもしれない。いやそれすら、
残っていないかもしれない。三年で、書きたいと思うことは殆んど書いたという実感がある。
遺言書といってもよい。自分自身にプラスになるのは、手に取るようにわかる。
特に毎日の随想日記は、自分の背骨が一本、日々の生活に入った感じだ。毎日、思った
ことや、考えたことを文章化することは、まったく違う領域に自分が入ってしまう。
それを、さらに公開するとなると、自分のノートに書き出しているのとでは全く違ってくる。
同月同日の一年前・二年前書いた文章を毎日コピーしながら読み返すと、何か不思議な感覚。
今日からは三年前の文章も毎日読むことになるが、まったく忘れているから何か変な感覚になる。
知らない自分を見ているような、内省をしているような感覚である。話は変わるが、
ホーム・ページを開くキッカケを書いてみる。パソコンを手元に置いても、どう使ったら
よいか迷っていた矢先に久恒啓一氏の「インターネット勉強法」の中の「ホームページ」
の勧めを読んで、パソコン教室に通ってHPつくりに入った。その本には、HPつくりは
「自分の墓場つくり」と書いてあったのが印象的であった。なるほど三年経ってみて、
書きたいことを全部書き出してしまった実感がある。その意味が分りすぎるほどわかった。
はじめは1000回、次に3年と目標をたててきた。1100回目から、あまり気張らずにリラックス
をして楽しもうと割り切った。逆にそれが良かったようで、それからは肩の力が抜けたようだ。
これからは、趣味として、お遊びのHPとして変身するつもりである。それまでは、かたく
考えすぎていたようだ。あまり他人から理解しがたいタイプなので、丁度よい手段なのだろう。
それにしても、クソ真面目に、毎日書いているものだ。
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2003年05月04日(日)
 760, いかに生きたか いかに生きるか

去年の文芸春秋の12月臨時増刊号の「日本人の肖像ーこのすがすがしい生きかた」ー
シナリオ作家の舟橋和郎を文章を紹介する。
文章が鮮明で、半世紀以上前の情景がアリアリと浮かび上がってくるすばらしい文章である。
小林秀雄という人物と、乃木大将の決心と、舟橋和郎の人物が何ともいえない文章で
浮かび上がってくる。 (以下、字数の関係でカット2,008年05月04日)
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2002年05月04日(土)
 396, 光の旅人
三条で昨日見た映画「光の旅人」がなかなか面白い!当たりであった。昨年の9・11
最も救いを求めていたアメリカで、10月にNO.1にヒットに記録された映画という。
ー内容は
以下は字数の関係でカットした、HPのこの日をクリックすると出てきます。
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2001年05月04日(金)
 ウオーキングについて
(以下は字数の関係でカット。)