「もはや成長という幻想を捨てよう」ー佐伯啓思  −2

「規制されたモデル」といえば、戦後日本の20数年の日本経済のモデルが理想であるが、これは成長モデルそのもの。
 結局は資本主義経済はバブルの繰り返すしかないのである。その本質はネズミ溝であるからだ。
 その繰り返しの中で、自由と平等を如何に両立させるかという難しい問題は人類の永遠のテーマと重ねる。
 突き詰めると、どれもこれも共同幻想でしかない。 共同幻想でしか人類はコントロールできないとすれば、
 共同幻想の「正・反・合」を繰り返すしかない。 更に前回に続いてポイントの部分を抜粋する。
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  *『自由放任的競争』から『規制された競争』
ケインズが終生説いたのは、実は、グローバリズムへの警戒なのである。
『頽廃的で国際的で個人主義的な資本主義が世界をかけめぐり、国内経済を破壊することこそ、彼は恐れたのである。
『それは、知的でなく、美的でなく、公正ではなく、有徳ではない。われわれは、それを嫌っている。
いまやそれを軽蔑し始めている』とさえ彼は書いている。この『資本の気まぐれな浮動』から、一国の経済を守らなければならない。
それこそが、ケインズをして、政府による資本の管理と公共投資を唱えさせた理由なのである。そして、住宅、個人的サービス、
都市の美観、地方生活のアメニティ、といった『国際商品ではないもの』をこそ重視したのである。」
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「今回の危機をきっかけに、世界秩序は、アメリカ一極構造から変わっていくかといえば、アメリカと中国の綱引きになるだろう。
中国は、製造業が成熟しきらないうちに金融が拡大するといういびつな経済構造のため、経済を膨張させていかないと国がもたない。
その点でアメリカと共通している。それに、欧州連合(EU)、中国、ロシア、インド、アラブ諸国、そして場合によっては
ブラジルが加わり、不安定な多極構造になっていく。日本といえば、残念ながら極にはならないでしょう。
国際的な連帯を考え、アメリカを牽制(けんせい)するためにEUに接近し、中国を牽制するために東南アジア諸国と連携するといった、
多面的な戦略が必要になる。―極にならなければ、国際社会の中で埋没していかないために、文化を通じて他の国にアピールしていく。
ただ、ゲームやカラオケだけではだめです。 理念や伝統的精神を大事にして、日本でなければ見られないもの、
味わえないものを再生させていくことが重要になってくる」

「競争によって大きな富を享受できるのは、基本的には、将来にわたって巨大な消費市場を開拓できる国であって、
 日本はおそらくはグローバル化によって、最も厳しい状況に置かれる国のひとつにちがいない。」
「人々がモノにたいする渇望を失えば、残るのは、富の表象であるにすぎない貨幣そのものへのゲーム的な関心であろう。
 ・・・・『モノの必要』から『貨幣への欲望』という現代の経済構造が、その帰結として、ワーキングプアや所得格差といった
『現代の貧困』を生み出し、また、資源や食糧の争奪戦という『希少性』を生み出すのである。『豊かさの中の貧困』と
いっても良いし、『豊かさゆえの貧困』といってもよかろう。」 
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「本当は『成長モデル』が求められているのではなく、『脱成長モデル』こそが求められているといわねばならない。
生産力が過剰となった時代には、過度な競争によって一見、経済は活況を呈するように見えるものの、実際には、
それは破滅への道に他ならない。このような時代に必要なことは、『競争』から『共生』への転換であり、自由市場から
ある程度管理された市場への転換である。『自由放任的競争』から『規制された競争』へといってもよかろう。
・・・『成長型経済』から『脱成長型経済』への思考転換であり、もっといえば『経済活動のあまりの過剰』となった社会からの
転換を図ることである。それこそ、人口減少、少子高齢化、そして過剰な生産力を抱えた日本が指し示すべき方向ではなかろうか。」
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大きなウネリの方向は社会民主主義に向かっていくのだろうが、とどのつまり大部分の生物を巻き込んだ人類の破滅である。
そして、再び新しい動物が生まれ、数億年後に知的動物に進化して同じことを繰り返す。そのサイクルを何度か繰り返して、
50億年後に、地球は消滅する。更に150億年後には、宇宙そのものが消滅する。 しかしブラックホールの先に、
別宇宙が存在しているが、この宇宙の盛衰には関係ない?  

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