*自由主義社会主義的体制を解りやすく喩えると

 自由主義と、格差を嫌い管理を優先する社会主義的体制のどちらがよいかが、今後の大問題として浮上してきた。
新自由主義をあくまで優先するか、平等を優先して規制強化かは、人類の永遠のテーマである。
 それが堺屋太一の寄稿文に分かりやすい喩え話で掲載されていた。 これは、酒飲話の余興にでも使える。
【 あるとき、慈悲深い神様が、子羊が狼に食べられるのを見て哀れに思い、狼の牙を抜いて羊に変えられた。
羊たちは平和に暮らせるようになった。 ところが数年経つと羊の数が増えて、一部の強い羊が草原を占拠。
弱い羊は飢えだした。神様は飢える羊を不憫に思い、羊たちに等しい広さの草原を割り当てた。
その結果、争いはなくなったが、どの羊も飢えて死んでしまった。 神様は草原を増やすことは出来なかった。
 この神様はカール・マルクス毛沢東とかいった。
やがて神様は交代して、前の神様の失敗に懲りて逆のことをやりだした。狼たちに羊を捕る自由を与え、
いっそう強力な牙と知恵を与えた。地上は弱肉強食の場になり羊は食い尽くされた。
その上に狼同士の共食いが始まり、数年後にはただ一頭の巨大な狼が荒野を彷徨っていた。
この神様をリカードとか訒小平ともいう】 まあ、面白い例え話である。
 
 次のような即興の物語が思いついた。
【 羊の群れに紛れ込んだ狼どもが、知恵を使って眠り薬入りの美味しそうな藁をまいた。
しかし薬は実は羊にとって毒であった。その結果、羊の全てを殺してしまった。
しかし、その狼は、その前に羊の毛を騙して刈り取って、高い金で売り、羊の肉を塩づけにして
自分の生きている間は楽しくおかしく遊んで暮らしましたとさ! になる。
しかし、それを見ていた神様は、狼の住んでいる森を焼き尽くしました。
焼け跡には、ただ風が吹いていました。但し罰として狼を生かして草原に追放しました。
それがハイエナとして今も生きている・・・とさ 】

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