2007年12月07日(金)
2438, 犬は鏡で自己を認識できるか?
            (`・ω・。)っノXXXXXXX>C【才ノヽ∋―】

随想日記で何度か「動物の中で一部霊長類とイルカだけが、鏡の中の自分を認識できる」
ということを書いた事があった。ところが池田晶子の本で、飼い犬が鏡の中の自分を認識していると述べていた。
少し頭の良い犬なら自分を認識するのも肯けるが、さすがに哲学を専門家、見るところは鋭く観察している。
でも、犬が自己を認識して、しげしげと自分の顔を見ている姿は何か不思議な気持ちになるだろう。
  {考える日々?  池田晶子著  ー鏡の中に「私」はあるか?}より抜粋
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ある動物園では、チンパンジーが退屈するので、大きな姿見を与えてみたという。
最初は驚いたり恐がったりしていた彼らは、やがてそれが「自分である」ということを認識をし、
表情を作ったりして遊び始めた。おかげで大いにストレス解消の効果あり、ということらしい。
鏡の中の自分を「自分である」と認識するのは、動物の中では、あとオランウータンとゴリラだけだと
番組では言っていたが、しかし、これは違う。
たとえば、私の(賢い)愛犬だが、彼は仔犬の頃、初めて鏡に「自分」を見出した時、慌ててその裏に囲って調べた。
同じ頃、ステンレスの専用の水飲みで盛んに水を飲んでいる最中、いきなり跳び退いてびっくりしている。
そうして、こわごわ器の中を覗き込んでいる。器の底に、自分の顔が映っているということを、発見したのである。
今では、鏡というものの「意味」をすっかり認識し、時折、何が面自いのか、しげしげと自分の顔を眺めていることがあるし、
私がその後ろで手を振ってみせると、振り返ってニカッと笑う。鏡像認識は、霊長類に限らないようである。

で、ここからが今回の本題すなわち問題なのだが、鏡の中の自分を自分であると認識するというのは、どういうことなのか。
右の話の伝でなら、鏡の中の自分を自分であると認識できるほど知能が高いということになりそうだが、じつを言うと、私は、
鏡の中の自分を自分であると認識できない時がある。いや正確には確かに自分であるはずなのだが、どうもうまく実感できない。
とくに、真剣に思索モードに入っている時など、通りがかりに洗面所などの鏡に顔を見つけ、「コイツは誰だ」
「なんでコイツがこれなのだ」、そういう感じになる。
考えてみてほしい。人はなぜ自分を自分の顔や身体と同一と思っているのか。
なるほど、人は「私は」と言って、自分の鼻の頭を指すけれども、この場合、指しているのが「私」なのだろうか、
指されているのが「私」なのだろうか。それを知ろうとしているのは、では誰なのだろうか。
「私」は、どこに居るのだろうか。鏡の自分を自分と同一と思うのは、じつは未だ進化の途上なのであって、
意識すなわち自己意識というのは、さらに進むと、もう一回ひっくり返って、
「自分」以外を自分だとは思わなくなるのである。確かに、顔や身体は、「自分の」顔や身体ではあるけれども、
それを自分の顔や身体だと思うためには、その先に「自分」が知られているはずだ。で、ここでこそ正等に「自分とは何か」。
これこそが、猿でも犬でもない「人間」の問いなのである。 では「われわれ」とは?
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学生時代、何時も部屋の机の前に鏡を置いていた。 あまり見るので、鏡の像の自分が解らなくなることがあった。
この人は誰とさえ思うことがあった。40年近く前の話である。 女性は、恐らく多く経験しているはずである。
現在経験するのは、鏡の先に見るのは死んだ父そのものである。
それも、日ごとおう度、自分から父の顔が前面に出てくる。気持ち悪くさえ、なることがある。
先日も、スナックで父を知る人に全く同じことを言われた。
                    ((´_`○)ノ ノヾィ♪
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