2006年12月07日(木)
2074, 寝ずの番
            才八∋ウ_〆(∀`●) 
先週の金曜日の昼休みに、近くのレンタルDVDショップで何気なく「寝ずの番」を借りた。
落語家の大御所の葬式にまつわるコメディーで面白そうであった。
そして事務所に帰ってきて30分もしないうちに義母の死亡の連絡が入った。
その夜は生通夜、翌日が通夜、そしてその翌日が葬式とつづいた。
何かの因縁だろうと、土曜日の納棺・通夜の出発まで時間があったので
DVDを見ることにした。 くしくもそれが通夜の内容で、下ネタのヒットパレードである。
不謹慎と解っていても、2時間近く爆笑であった。!!(^Q^)/゛

「寝ずの番」とは、生通夜に線香を絶やさず故人の思い出を語って、一夜を過ごす風習である。
 この映画は、それを題材に色いろな故人のエピソードを面白おかしく笑い飛ばすストーリーである。
 伊丹十三の「お葬式」や「男はつらいよ」などで、通夜のドラマが演じられている。
 泣きながら頭にあるのは相続の算段をしているのが、シビアで笑いを誘う。

ーその概要といえばー
俳優・津川雅彦が、祖父(牧野省三)、叔父(マキノ 雅弘)と同じ「マキノ」性で映画監督デビューした作品でもあり、
原作は故中島らもである。笑満亭橋鶴という落語家一門の「寝ずの番」の可笑しくも悲しい物語。
師匠橋鶴、一番弟子橋次、おかみさん(師匠の奥さん)志津子と次々に亡くなり、それぞれのお通夜でのエピソードが味がある。
始りの場面が、死に際の師匠の「そそ が見たい」という言葉から始まる。
(実はそそは‘空’の聞き違いだが)そこで弟子の上さんの??を死に際の師匠に、見せる場面から・・・
 映画全体が下ネタのオンパレードである。 
 o_ _)ノ彡☆ ぎゃはは            _(_ _)ノ彡☆ばんばん!
    −−−
    京都で饅頭のことを「おまん」というらしが、京都でこの言葉を聞いて赤面したことがあるが・・。
    ここまで次々と艶歌や下用語が出ていると、逆にイヤらしくなくなるから不思議である。
    浅丘ルリ子米倉涼子中村勘三郎桂三枝笑福亭鶴瓶などが本人役でチョイ役で出てきたが、
    津川雅彦の友情出演だろう。 笑満亭橋鶴のモデルは、鶴瓶の師匠・笑福亭松鶴?。

生通夜の席上、亡き骸と踊る“らくだのカンカン踊り”や、下ネタの‘座敷歌合戦’は「粋」でさえある。
死ぬ前に遺した最期の言葉で残っているのは、ゲーテは「光を、もっと光を・・・」
ベートーベンは、「友よ拍手を!喜劇は終わった!」 トルストイは、「私は真実を愛する」である。
そして、この映画の笑満亭橋鶴は「そら(そそ)が見たい」である。
           
    邦画が再び息を吹き返してきたようだ。 この映画は明らかに中年年代以上を狙ったもの。
    しかし、悲しみを笑いに変えて偲ぶ内容は、下手な泣きよりも深い愛情が出て良いものだ。
    葬式ほど、虚実の虚構そのものに目がいくから、尚のこと下ネタの奥にある人間味が表出するのだろう。
    
    それにしても、えげつない!下ネタ‘座敷歌合戦’の中の
     「ちんぽ、ちんぽと、いばるな、ちんぽ ちんぽ まんこのつまようじ
      まんこ まんこと、 いばるなまんこ  まんこ ちんぽの??? 」
    ここまで明け透けだと、嫌らしいと思う前に、ふきだしてしまった!   
         !(^o^)  バイバイ♪

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