* 昨日は同級会と、上野の国宝展
 昨夜は、日本橋で大学の同級会があった。5〜6年前から休むことなく出席をしているが、
二代目が殆どで、何かしら気品が漂っているのが気にいっている。 今回は白馬のホテル経営者と、
私の二人が地方からで、他は首都圏在住の人たち合計15名の出席者。面白かったのが、23時過ぎに
家に辿り着いて、さっそく、お土産にもらった魚の漬物を前に、デジカメの写真を見ながら家内と話を
していたところ、TVから、同級生が経営する店内の同じ会場が映し出されたこと。美味しいランチの
老舗店の紹介内容だった。 何時も思うのが、料理は格別。 食べるほど、その味には驚かされる。
 ところで、昨日の午前中、地元の長岡は雪が激しく、行くのを躊躇い、幹事に欠席の電話を入れたが
電源が切れていた。ところが、昼過ぎに、小降りになったので、最近の判断基準に入れている
『迷ったら、ポジティブに!』と、思い切って出発することにした。そこで以前から予定を通り、
会の三時間前に上野に行き、上野の国立博物館で開催されている『日本国宝展』を見たが、これが思い
のほか良くて、制限時間ギリギリまで見ていたため、同級会には10分ほど遅れてしまった。 
 全国から仏像、茶器、着物、絵画、屏風などが集められていたが、驚きの連続。この会の幹事が、
私の近況報告を聞き、「実は私も、昨日、二回目に行ってきた」という。
 ところで、出席者15人の各自が5分ほど近況報告をしたが、商売の具体的内容もあったが、
やはり、ガン、糖尿、脳梗塞、心臓疾病などなど生々しい病気が中心。欠席者の、脳梗塞の寝たきりの
具体的内容には・・ 

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4648, 一年で全米記憶力チャンピオンになれた理由 ー4
2013年12月07日(土)
          『一年で全米記憶力チャンピオンになれた理由』ジョシュア・ジョア
  * 記憶の宮殿 ー�  ーP・122
《・「記憶の宮殿」といっても宮殿でなくてもいいし、建物である必要はない。
 街の通りを思い浮かべてもいいし、駅、架空の生物でもかまわない。小さくても大きくても、
 屋外でも屋内でも、現実にあるものでも想像上のものでも、とにかく「ある場所から
 次の場所に移る際の順番がわかりやすい想像しやすいもの」であれば何でもよいのだ。
・全米記憶力選手権で4回の優勝を勝ち取ったバグウッドは世界的建築雑誌
 『アーキテクチュラル.ダイジェスト』で特集されていた豪華な家々にイメージを置いている。
・マレーシアの気鋭の記憶力王者、スウィーテーイは、自分自身の身体の部位を使って、
 『オックスフォード中英辞書』の全1774ぺージ、5万6000語を憶えた。 
・オーストラリアやアメリカ南西部では、先住民族アボリジニアパッチ族が独自の
 「場所法」を編み出していた。ただし、建物を使うのではなく、地元の地形図を利用して
 物語を作り、風景を織り交ぜた歌に仕立てていた。小高い丘、岩、水流がそれぞれ物語の一部を担う。
 「神話と地図が符号しているのです」と、ミッソーリ大学で記憶と言い伝えの研究をしている
 言語人類学者のジョン・フォーリーは言う。しかし、物語を風景に埋め込むことで、ある悲劇が
 もたらされた。先住アメリカ民族は政府に土地を取り上げられたことで、故郷だけでなく
 自分たちに伝わってきた神話も失ってしまった。
・「ジョシュ、わかってほしいのは、人間は本当に場所を憶えることに長けているってことだ」と、
 エドが言った。「例えば、君が初めて行った誰かの家で5分間だけ1人になって、好奇心が湧いて
 きたとする。5分間でその家のことをどれだけ憶えていられると思う? おそらく、それぞれの
 部屋の場所と間取りだけでなく、方角や装飾品、家具の配置や窓の位置まで憶えられていられる
 はずだよ。意識していなくても、自分自身が気づいているということにすら気づいていない
 何百もの物の場所や、いろいろな特徴を憶えているものなんだ。そういった情報を足していったら、
 ちょっとした短編小説ができあがる。でも、僕たちはそれを記憶の功績として残したりはしない。
 ただ空間記憶を消費しているだけなんだ」
・「記憶の宮殿」の基本的な考え方は、自分のもっている素晴らしい空間記憶を利用して、
 脈絡なく並んでいる情報を組み立て格納することだ。 大切なのは、よく知っている場所を
 「宮殿」に選ぶこと。「最初の宮殿は、君が育った家は平屋?・・・》
▼ これを読んで、自分には記憶力がないと決めつけ、記憶以前の対象の認知を疎かにしていた事に
 気づかされた。確かな認識をしてないなら記憶が曖昧になって当然。記憶力が弱いという
 バイアスが、認識力そのものを弱めていたのである。単純だが、この本を読むごとに、認知力と、
 記憶力が強まっている。まず、対象に集中しイメージをつくる。そして、自宅の庭と玄関周りと、
 自宅内の幾つかに貼り付けていく。これをスムースにするには訓練しかない。それにしても面白い!
 これを応用して、『思い出の宮殿』が出来るのではないか・・ 過去の創作になるが、いや深入りを
 しない方がよいか?『思い出の宮殿』と検索に入れても、この言葉のヒットが無かった。 
 夜半、少し試みたが、無呼吸になっていた。
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4283, 日本人の思い −2
2012年12月07日(金)             
                「日本人の思い」ー ほぼ日刊イトイ新聞 著
 このアンケートの面白さは、アンケート結果の「エッ」という意外性と、
 「やはり同じだ」という同調性である。
* 「あなたは、センスが良いですか?」に対して、センスが良いと答えたのは54%、
 悪いと答えたのは46%で、微妙な数値である。自分はセンスが悪いと思い、チャンスがあれば
 ファッション店のウィンドウ・ショッピングをしている方が結果としてセンスが良くなるケースが多い。
 日本人は、大衆が洋服を着るようになって日が浅い。最近の若者は体形が良く、
 TVやファッション誌などから情報が入手可能。ファッション・チェックという番組まである。
* 「あなたは、宗教心がありますか?」では、宗教心があるが4割に対し、ないが6割になっている。
 年齢的にみて高齢者ほど宗教心が高くなっているが、死が近づくにつれ、神にすがりたくなるようだ。
* 「あなたは、軽いですか?」に、7割が軽くないと答えている。年齢別の統計値を見ると、50歳
 代の男性の3分2が軽くないという答えが、60歳代になると逆転し、3分1と軽くなっている。
 30歳前半の4分3が軽くないと思っているから、社会的責任が、その思いに影響をしているのが分かる。
* 「あなたは、しつこいですか?」に、6割が、「しつこい」と答えている。これは以外である。
  年齢的にみると、14歳以下の8割が一番しつこく、歳を得るに従って、しつこさが薄れていく結果。
* 「あなたは、生意気ですか?」に対し、7割が生意気と答えている。見渡すと、大体は「小生意気」だが。
* 「あなたは、直感的ですか?」に対して、4分3が直感的と答えている。五分五分と思ったが、意外。
* 「ダイエットを意識していますか?」に対し、女性は8割、男性は5割5分が意識していると回答。
* 「ケチか、どうか?」に対し、3分の2が、ケチと答えている。ケチをしないと、この世知辛い中で
   生きていけない。
* 「美男(美女)ですか?」に対し女性の3分の2、男性の4分の3が、そうでないとの答え。
  客観的にみて、そんなもの。
 ▼ 8割以上は、前回、書いた「音楽が好きで、旅が好き!。よく本を読むが、エッチ。
  恥ずかしがりやで、よく笑う!」それでは大方の3分の2の人といえば上記である。 
 これを要約すると「センスが悪く、宗教心はなく、軽く、しつこく、生意気で直感的。女性は
 ダイエットが常に頭にあり、ケチで、容姿に自身がない。」 
  これが大方の日本人が思っていると分かれば、劣等感も心が軽やかになる。
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3908、ファイナル・クラッシュ ー1
2011年12月07日(水)
       「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」石角完爾著
 知人に紹介され読んだが、解りやすい内容。 大まかに要約をすると、
≪ アメリカが国内消費を促すために下層階級の住宅資金を野放図に貸出し、ローンを債権として
 組み合わせて全世界に売り出した。プライム・ローンをベースにしたCDSである。それらが
7京という途方もない不良債権として世界の国家や金融機関に眠っている。アメリカは世界の
主軸通貨の立場を利用して、ドルを刷りまくっていて、そのドルをアメリカ国債と交換し、
帳尻を合わせてきた。加えて新興国の発展も含めて人口の急増がとめどなく進み、食料不足を
おこしている。ドルとユーロとアメリカ国債のバブルで、その破裂は目の前に迫っている。 
ここに及んでソフトランディングは無理、ハードランディングを避けられない。日本はGDPの
二倍以上の1千兆円の国債を発行、この暴落も何時起こるかもしれない事態。家族も資産も海外に
早いうちに避難すべき。その先はオーストラリアかシンガポールが最適。最終章は目前である・・≫
 ▼ 新聞報道で連日、欧州危機の報道が続いている。 目先、問題を先送りをして凌いでいるが何時、
  火の手が上がるかの瀬戸際。ある朝、起きてみると・・ それは想像を絶した本格的世界恐慌
  ノロシである。印象に残った部分を何回かに分け書き出してみる。
 ◎ 第一部 パーティー・タイム− 負債の泉
「もしアメリカの人々が銀行に通貨の発行量の調節を許すなら、第一にインフレにより、
次にはデフレにより、銀行と企業は成長し、そこら中にはびこって人々の財産を奪うだろう。
そして子供たちは、彼らの父親が征服した大陸で自分たちがホームレスになっている
ことに気づくことになるだろう」−トマス・ジェファーソン(第三代アメリカ合衆浄大統領)
  ○アメリカの住宅バブル
 アメリカ人の多くは、ジュニア・ブッシュが大統領であった時代、ただで酒をふるまわれて
酔いしれていた。酒の正体は、低金利でいくらでも使えるクレジットである。 二〇〇一年の911
による消費の減退を避けるため、緩和的な金融政策と減税が実施され、それによって金利が下がり、
借金をして消費することが容易になったのだ。金利が下がったことでローンを組んで不動産を
購入する人が増え、その結果、住宅価格は急上昇した。それ以前からアメリカにおける住宅価格は
二五年にわたり上昇していたのだが、二〇〇〇年以後ほんの数年で価格が二倍にもなった地域もある。 
2004年から2005年にかけアメリカの平均的な住宅価格は一三%も上昇している。
 しかしこの時期、この程度の上昇はスペインやポルトガルでも珍しくなかった。
つまり不動産価格の上昇は世界の多くの地域で同時に起きた現象だったのである。 これは、
アメリカの金融緩和が生み出したものだった。 アメリカが世界の他の国に比べて重要なのは、
 アメリカが世界最大の消費国家であり、過剰生産される品々を全て引き受けているからである。
アメリカ人は自分たち自身のお金だけでなく、とくに中国、日本そして途上国がためている
お金まで自分のもののように使っているのだ。 そのためにアメリカの金融緩和は世界の景気を
上向かせ、資産価格を上昇させてしまう。この金融緩和はしかし、無理のある政策だった。
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3543, つれづれに ―物忘れ
2010年12月07日(火)
 * 物忘れ
 最近に物忘れが多くなった。ボケなのだろうかと、不安にもなる。
先日、大学の同級会があったが、まず乗車時間を勘違いをして一列車遅れ。
乗って直ぐに携帯電話を忘れてきたことに気づきく。その上に、同級会が終わって東京駅に着いて
店にコートを忘れてきたことに気づくしまつ。折りたたみ傘は、ニケ月に一度の割りで失くすので、
1千円以下の傘しか買えない。人間は忘れるから生きていけるが、もの忘れは困ったものだ。
会社も自宅でも、パソコンに予定などはポストイットに書きつけ貼っている。また自分の掌の
親指の下にメモる習慣は二十年前より実施をしている。
 * 大学の同級会
 大学の同期会が学校の事務局主催で10年に一回ずつ行われている。
20,30,40周年の会には出席した。(10周年の会は、会そのものが行われていなかった) 
その都度、二次会、三次会と盛り上がり、色いろな人生を垣間見る。4百人、3百人と、参加者は
少しずつ減っていくが、出席者のメンバーは、ホボ同じである。教養課程の1・2年の同級会は
首都圏在住の人たちで開かれていたが、去年から誘われるようになった。迷ったが、往復の汽車賃は
二次会、三次会の飲み代と割り切れば、色いろな世界を見れるのもよいと出席した。
他の用件と重ねれば、隔年ぐらいの参加は良いだろう。あまり会合には参加をしないが、
学校関係だけは第一優先にし出席してきた。学校は進学する都度出会う人の地域が広くなる。
小、中学、高校、大学と、出会う人の出身地が広がっていくのが面白い。幼稚園は駅前の商店主の
子供の世界。小学校は駅前から、その範囲が10倍のテリトリーになり、中学校は商店主の子が
主だったのが、先生やサラリーマンの子供、そして越境入学がいた。 高校は中越地区に広がり、
大学は全国区。その都度、自分の過去の世界が小さくなっていく。そして、就職・・ だから、
同級会は、その年齢の自分に出会うようで、何とも感慨がある。それにしても数奇の人生がある。
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3168,人生に関する閑話小題 ー2
2009年12月07日(月)
 * 孤独な老人
 毎朝、散歩をしていると色いろな人とすれ違う。犬と組み合わせでみると、より人生を
垣間見ることができる。80歳半ばの老人が小型コリー犬を連れて土手を散歩している。 
その犬が10m位の距離にくると緊張で固まってしまう。通りすがるまで、その犬を老人が宥めている。 
何度すれ違っても、それが変わらない。観察するうちに気づいたが、その人が固まるから、犬も固まる。
2〜3度挨拶をしたが、その都度犬が吼えかけてきた。それを宥めているが、
「いいこ、いいこ、ほえないの」と毎回言っている。何か二つの生命体に孤高の空気が漂っている。 
 * ある人生  
 (字数制限のためカット 2011年12月7日)
 * 鬱病、欝症について
 何々病と何々症の、違いは、周辺に迷惑をかけるかどうかが基準でしかない。
境界は、いい加減だが、慢性化しているかどうか、重症かどうかもある。 精神も肉体と同じで、
傷ついたり、疲労もする。この不況でリストラされたり、疎外され、ストレスが蓄積し、ガスが
充満もする。自殺者の多くが鬱病という。その反対に躁がある。多かれ少なかれ、人間は躁と鬱の
波の上で生きている。ニュースといえば、だいたいマイナーを報じる。また聞くほうもマイナーの
話題を好むから、まともに受け取っていたらマイナーな情報に多く影響を受けることになる。
時代は、100年に一度のマイナーである。
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2803, イングランド・ツアー ?
 2008年12月07日(日)
  * 集団スリに狙われて −2
 前回に集団スリの話を書いて、これまでのスリや偽札交換詐欺について思い出した。
ブラジルのリオのカーニバルイグアスの滝に行った時のこと。「ショッピング・センターには
少年の集団万引きに注意してください。特にウィンドウ・ショッピングの時に囲まれて、後ろ
ポケットの財布を抜かれるケースが多い」という。面白そうなので、後ろポケットにサングラスの
ケースを入れて、通路を歩きながらウィンドウ・ショッピングをした。腕時計のウィンドウを
見ていたら15歳位の少年が三人、両側と後ろに囲まれた。子供が腕時計を見るわけがない。
これが集団万引きと直感し、スーッと離れて後ろを見ると、私を見ていた中年の男と目があった。 
その男、ニヤリと笑ったので、わざとメガネケースを出してカラカッタことを知らせてやった。
ただ、それだけのことだが・・
 万引きといえば、スイスに行った時のこと。電車の乗り継ぎで、駅の土産店に入ったところ、
人で身動きが出来ないほどだった。他のグループの日本人が「この店中に女の万引きが居る」
という話し声が聞こえてきた。そこで自分の財布に注意しながら万引き女を探すことにした。
初めての経験である。その場合、見るのは‘目’と気づいた。30人位の人混みなら直ぐに分かる。 
三十歳ぐらいの女で、中年女性のバックをジッと見ている。これだなと、その瞬間を待った。 
しかし連れに店外から呼ばれて、せっかくの場面を見ることが出来なかった。
  * 旅行の全てを楽しまなければ
「せっかくの旅行、高いコストを出して行くのだから、勿体ないじゃないか」 
これは人生と同じである。 三十回目辺りから、機内の席の12時間の移動の苦痛が最小になった。
特に初日の成田から目的地の機内がキツイ。キツイが反面、自由な時間が幾らでもある。
それを楽しむには、音楽かTV。最近は、座席の前面に液晶TVと音楽、そしてゲームが出来る。
家内も行き帰りの、この時間が一番楽しい!という。帰りの機内で、最新の映画を4本も観たという。
私は、持っていったiPodの音楽を休み休み聴いて過ごした。その御陰かどうか、殆ど疲れが
残らなかった。今回の機内のTVが最先端のものだった。映画や音楽などがネットで結ばれていて、
無数の中から選択可能なのだ。現実にも可能なのだろうが、実際に使って初めて情報の進化を実感できた。
凄い時代なのである。世界の広さと、深さを、家でも無限に手軽に入手できるのである。 
これまでは本とマスコミが中心だったが・・ それなら情報機器を可能な限り使ったほうがよい。
ipodで旅行先に選択した2千曲を持っていけるのだから。
・・・・・・・・・
2007年12月07日(金)
2438, 犬は鏡で自己を認識できるか?    (`・ω・。)っノXXXXXXX>C【才ノヽ∋―】
 随想日記で何度か「動物の中で一部霊長類とイルカだけが、鏡の中の自分を認識できる」という
ことを書いた事があった。ところが池田晶子の本で、飼い犬が鏡の中の自分を認識していると述べていた。
少し頭の良い犬なら自分を認識するのも肯けるが、さすがに哲学を専門家、鋭く観察している。
でも、犬が自己を認識して、しげしげと自分の顔を見ている姿は何か不思議な気持ちになるだろう。
  {考える日々?  池田晶子著  ー鏡の中に「私」はあるか?}より抜粋
 ーー
 ある動物園では、チンパンジーが退屈するので、大きな姿見を与えてみたという。最初は驚いたり
恐がったりしていた彼らは、やがてそれが「自分である」ということを認識をし、表情を作ったりして
遊び始めた。おかげで大いにストレス解消の効果あり、ということらしい。鏡の中の自分を「自分である」
と認識するのは、動物の中では、オランウータンとゴリラだけだと番組で言っていたが、しかし、
これは違う。たとえば、私の(賢い)愛犬だが、彼は仔犬の頃、初めて鏡に「自分」を見出した時、
慌ててその裏に囲って調べた。同じ頃、ステンレスの専用の水飲みで盛んに水を飲んでいる最中、
いきなり跳び退いてびっくりしている。そうして、こわごわ器の中を覗き込んでいる。器の底に、
自分の顔が映っているということを、発見したのである。今では、鏡というものの「意味」をすっかり
認識し、時折、何が面自いのか、しげしげと自分の顔を眺めていることがあるし、私がその後ろで
手を振ってみせると、振り返ってニカッと笑う。鏡像認識は、霊長類に限らないようである。
で、ここからが今回の本題すなわち問題なのだが、鏡の中の自分を自分であると認識するというのは、
どういうことなのか。右の話の伝でなら、鏡の中の自分を自分であると認識できるほど知能が高いという
ことになりそうだが、じつを言うと、私は、鏡の中の自分を自分であると認識できない時がある。
いや正確には確かに自分であるはずなのだが、どうもうまく実感できない。とくに、真剣に思索
モードに入っている時など、通りがかりに洗面所などの鏡に顔を見つけ、「コイツは誰だ」
「なんでコイツがこれなのだ」そういう感じになる。考えてみてほしい。人はなぜ自分を自分の顔や
身体と同一と思っているのか。なるほど、人は「私は」と言って、自分の鼻の頭を指すけれども、
この場合、指しているのが「私」なのだろうか、指されているのが「私」なのだろうか。
それを知ろうとしているのは、では誰なのだろうか。「私」は、どこに居るのだろうか。
鏡の自分を自分と同一と思うのは、じつは未だ進化の途上なのであって、意識すなわち自己意識という
のは、さらに進むと、もう一回ひっくり返って、「自分」以外を自分だとは思わなくなるのである。
確かに、顔や身体は、「自分の」顔や身体ではあるけれど、それを自分の顔や身体だと思うためには、
その先に「自分」が知られているはずだ。で、ここでこそ正等に「自分とは何か」。
 (字数制限のためカット 2011年12月7日)
・・・・・・・・・
2006年12月07日(木)
 2074, 寝ずの番           才八∋ウ_〆(∀`●) 
(字数制限のためカット 2010年12月7日)