つれづれに

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 今日のYoutube
https://www.youtube.com/watch?v=ZVAMnirC72c

 昨日は、学生時代の同級会だった。午前中の雪のため、急遽、
参加中止と、幹事に電話を入れようとしたが、通じず、昼間で待って、
直接、店に電話を入れようとしていたところ、雪が小降りになって
参加することにした。 その前に、二時間、「日本国宝展」を見てきたが、
それが、すばらしい。思いのほか、その数の多さに、その時間では
足りないぐらい。 毎年、出席するたび、病気で次々と倒れていく。
 以下は、今日の随想日記のないようになる。
~~~~
閑話小題 ー同級会
2014年12月7日
   * 昨日は同級会と、上野の国宝展
 昨夜は、日本橋で大学の同級会があった。5~6年前から休むことなく出席をしているが、
二代目が殆どで、何かしら気品が漂っているのが気にいっている。 今回は白馬のホテル経営者と、
私の二人が地方からで、他は首都圏在住の人たち合計15名の出席者。面白かったのが、23時過ぎに
家に辿り着いて、さっそく、お土産にもらった魚の漬物を前に、デジカメの写真を見ながら家内と話を
していたところ、TVから、同級生が経営する店内の同じ会場が映し出されたこと。美味しいランチの
老舗店の紹介内容だった。 何時も思うのが、料理は格別。 食べるほど、その味には驚かされる。
 ところで、昨日の午前中、地元の長岡は雪が激しく、行くのを躊躇い、幹事に欠席の電話を入れたが
電源が切れていた。ところが、昼過ぎに、小降りになったので、最近の判断基準に入れている
『迷ったら、ポジティブに!』と、思い切って出発することにした。そこで以前から予定を通り、
会の三時間前に上野に行き、上野の国立博物館で開催されている『日本国宝展』を見たが、これが思い
のほか良くて、制限時間ギリギリまで見ていたため、同級会には10分ほど遅れてしまった。 
 全国から仏像、茶器、着物、絵画、屏風などが集められていたが、驚きの連続。この会の幹事が、
私の近況報告を聞き、「実は私も、昨日、二回目に行ってきた」という。
 ところで、出席者15人の各自が5分ほど近況報告をしたが、商売の具体的内容もあったが、
やはり、ガン、糖尿、脳梗塞、心臓疾病などなど生々しい病気が中心。欠席者の、脳梗塞の寝たきりの
具体的内容には・・

・・・・・・
2438, 犬は鏡で自己を認識できるか?
2007年12月07日(金)
            (`・ω・。)っノXXXXXXX>C【才ノヽ∋―】
随想日記で何度か「動物の中で一部霊長類とイルカだけが、鏡の中の自分を
認識できる」ということを書いた事があった。
ところが池田晶子の本で、飼い犬が鏡の中の自分を認識していると述べていた。
少し頭の良い犬なら自分を認識するのも肯けるが、さすがに哲学を専門家、
見るところは鋭く観察している。でも、犬が自己を認識して、しげしげと
自分の顔を見ている姿は何か不思議な気持ちになるだろう。

{考える日々?  池田晶子
       ー鏡の中に「私」はあるか?}より抜粋
 ーー
ある動物園では、チンパンジーが退屈するので、大きな姿見を与えてみたという。
最初は驚いたり恐がったりしていた彼らは、やがてそれが「自分である」ということを
認識をし、表情を作ったりして遊び始めた。おかげで大いにストレス解消の効果あり、
ということらしい。鏡の中の自分を「自分である」と認識するのは、動物の中では、
あとオランウータンとゴリラだけだと番組では言っていたが、しかし、これは違う。

たとえば、私の(賢い)愛犬だが、彼は仔犬の頃、初めて鏡に「自分」を見出した時、
慌ててその裏に囲って調べた。同じ頃、ステンレスの専用の水飲みで盛んに水を
飲んでいる最中、いきなり跳び退いてびっくりしている。
そうして、こわごわ器の中を覗き込んでいる。
器の底に、自分の顔が映っているということを、この時発見したのである。
今では、鏡というものの「意味」をすっかり認識し、時折、何が面自いのか、
しげしげと自分の顔を眺めていることがあるし、私がその後ろで手を振ってみせると、
振り返ってニカッと笑う。鏡像認識は、霊長類に限らないようである。

で、ここからが今回の本題すなわち問題なのだが、
鏡の中の自分を自分であると認識するというのは、さて、どういうことなのか。
右の話の伝でなら、鏡の中の自分を自分であると認識できるほど知能が高い
ということになりそうだが、じつを言うと、私は、鏡の中の自分を自分であると
認識できない時がある。
いや正確には、確かに自分であるはずなのだが、どうもうまく実感できない。
とくに、真剣に思索モードに入っている時など、通りがかりに洗面所などの鏡に
顔を見つけ、「コイツは誰だ」「なんでコイツがこれなのだ」、そういう感じになる。

考えてみてほしい。人はなぜ自分を自分の顔や身体と同一と思っているのか。
なるほど、人は「私は」と言って、自分の鼻の頭を指すけれども、この場合、
指しているのが「私」なのだろうか、指されているのが「私」なのだろうか。
それを知ろうとしているのは、では誰なのだろうか。「私」は、どこに居るのだろうか。
鏡の自分を自分と同一と思うのは、じつは未だ進化の途上なのであって、
意識すなわち自己意識というのは、さらに進むと、もう一回ひっくり返って、
「自分」以外を自分だとは思わなくなるのである。
確かに、顔や身体は、「自分の」顔や身体ではあるけれども、
それを自分の顔や身体だと思うためには、その先に「自分」が知られているはずだ。
で、ここでこそ正等に、「自分とは何か」。
これこそが、猿でも犬でもない「人間」の問いなのである。
では「われわれ」とは?
ーーーーーーー

学生時代、何時も部屋の机の前に鏡を置いていた。
あまり見るので、鏡の像の自分が解らなくなることがあった。
この人は誰とさえ思うことがあった。40年近く前の話である。
女性は、恐らく多く経験しているはずである。
現在経験するのは、鏡の先に見るのは死んだ父そのものである。
それも、日ごとおう度、自分から父の顔が前面に出てくる。
気持ち悪くさえ、なることがある。
先日も、スナックで父を知る人に全く同じことを言われた。
                    ((´_`○)ノ ノヾィ♪
・・・・・・・・・
2006年12月07日(木)
2074, 寝ずの番
            才八∋ウ_〆(∀`●) 
先週の金曜日の昼休みに、近くのレンタルDVDショップで何気なく「寝ずの番」を借りた。
落語家の大御所の葬式にまつわるコメディーで面白そうであった。
そして事務所に帰ってきて30分もしないうちに義母の死亡の連絡が入った。
その夜は生通夜、翌日が通夜、そしてその翌日が葬式とつづいた。
何かの因縁だろうと、土曜日の納棺・通夜の出発まで時間があったので
DVDを見ることにした。 くしくもそれが通夜の内容で、下ネタのヒットパレードである。
不謹慎と解っていても、2時間近く爆笑であった。!!(^Q^)/゛

   「寝ずの番」とは、生通夜に線香を絶やさず故人の思い出を語って、
    一夜を過ごす風習である。この映画は、それを題材に色いろな故人のエピソードを
    面白おかしく笑い飛ばすストーリーである。
    伊丹十三の「お葬式」や「男はつらいよ」などで、通夜のドラマが演じられている。
    泣きながら頭にあるのは相続の算段をしているのが、シビアで笑いを誘う。

ーその概要といえばー
俳優・津川雅彦が、祖父(牧野省三)、叔父(マキノ 雅弘)と同じ「マキノ」性で
映画監督デビューした作品でもあり、原作は故中島らもである。
笑満亭橋鶴という落語家一門の「寝ずの番」の可笑しくも悲しい物語。
師匠橋鶴、一番弟子橋次、おかみさん(師匠の奥さん)志津子と次々に亡くなり、
それぞれのお通夜でのエピソードが味がある。
始りの場面が、死に際の師匠の「そそ が見たい」という言葉から始まる。
(実はそそは‘空’の聞き違いだが)
そこで弟子の上さんの??を死に際の師匠に、見せる場面から・・・
 映画全体が下ネタのオンパレードである。 
 o_ _)ノ彡☆ ぎゃはは            _(_ _)ノ彡☆ばんばん!
    ---
    京都で饅頭のことを「おまん」というらしが、京都でこの言葉を聞いて
    赤面したことがあるが・・。ここまで次々と艶歌や下用語が出ていると、
    逆にイヤらしくなくなるから不思議である。
    浅丘ルリ子米倉涼子中村勘三郎桂三枝笑福亭鶴瓶などが
    本人役でチョイ役で出てきたが、津川雅彦の友情出演だろう。
    笑満亭橋鶴のモデルは、鶴瓶の師匠・笑福亭松鶴?。

生通夜の席上、亡き骸と踊る“らくだのカンカン踊り”や、
下ネタの‘座敷歌合戦’は「粋」でさえある。
死ぬ前に遺した最期の言葉で残っているのは、ゲーテは「光を、もっと光を・・・」
ベートーベンは、「友よ拍手を!喜劇は終わった!」
トルストイは、「私は真実を愛する」である。
そして、この映画の笑満亭橋鶴は「そら(そそ)が見たい」である。
           
    邦画が再び息を吹き返してきたようだ。
    この映画は明らかに中年年代以上を狙ったもの。
    しかし、悲しみを笑いに変えて偲ぶ内容は、
    下手な泣きよりも深い愛情が出て良いものだ。
    葬式ほど、虚実の虚構そのものに目がいくから、
    尚のこと下ネタの奥にある人間味が表出するのだろう。
    
    それにしても、えげつない!下ネタ‘座敷歌合戦’の中の
     「ちんぽ、ちんぽと、いばるな、ちんぽ
        ちんぽ まんこのつまようじ
      まんこ まんこと、 いばるなまんこ
        まんこ ちんぽの??? 」
   ここまで明け透けだと、嫌らしいと思う前に、ふきだしてしまった!
    
         !(^o^)  バイバイ♪
・・・・・・・・・

2005年12月07日(水)
1709, 耐震偽造問題について 

 マンションとホテルの耐震強度偽装問題は、あまりに悪質である。
  これまで「建設業界そのものが、政治、官公庁がらみの構造汚職体質」
  と、このHPで辛らつの批判してきた。

   その末端の一現象が、そのまま露出したにすぎない。
   さらに大きな広がりが、日ごとに出てくるだろう。 ~~匸Pヽ(・ω・`)
   今回の偽造が発端になった物件は、総研というビジネスホテルの開業指導の
   コンサルタント会社が偽造の設計主導をしていたというから、問題が深い。
   数年前に、坪・40万でホテルが建つと聞いていたが、
   まさか犯罪まがいの建物とは思ってもみなかった。
  もし当方で数年前にホテルの計画があれば、
 総研の紹介の設計施工の業者に建設させていた可能性がないとはいえない。
 TVで着工時の鉄筋の骨組みの写真が出ていた。
 10階の建物で、本来はビッシリ鉄筋が詰まってなければならないのに、
 スカスカの鉄筋が露出して写っていた。 施工業者が気がつかないわけがない。                              ヽ(゚Д゚;)ノ!!
ー先日の地元の新潟日報によると、
 以下は字数の関係でカット(2007年12月07日)

・・・・・・・
2004年12月07日(火)
1344, 面白くない日は一日たりともつくらない

「面白くない日は一日たりとも作らない」という信念で病院をつくった
  医師をテーマにした映画(内容は後でコピー)を見たことがあった。
   それを「実際に自分の生活の中で実行できまいか」と思い立って、一ヶ月経つ。

そう思って一日一日を過ごすと、いくらでも面白いネタはある。
 最近、10年日記帳がマンネリ化してきたので面白日記に切り替えた。
 「面白いことに、面白いネタは面白いほどあるので、面白くなってきた。」
最近気がついたのが、「面白いとは主観的」ということだ。
 その切り口は、何ごとにも好奇心を持つことであり、
  対象の中の本質に気づくことである。
   それにしても「パッチ・アダムス」という映画には考えさせられた。
   「泣いて生きるも一生、笑って生きるも一生!」
     なら笑って生きた方が良いに決まっている。
     「日曜日は笑いの一日にしている」と、以前の随想日記に書いたことがあったが、
       この映画を見て思い立った。もちろん今も実行している。
       ーーー
ーあるHP よりコピー
「パッチ・アダムス 」(98年アメリカ作品1時間56分)

「なぜ患者を病名や部屋の番号で呼ぶのか?」
 「危篤と聞いて駆けつけたのに、書類がないと中に入れないとはどういうわけだ?」。
    医大に入学した中年の男が、こんな疑問を投げかけながら、
     笑いこそ最良の薬と信じて道化となり治療費無料の病院を作り上げていく。
      実話だそうだ。 パッチには「直す、繕う」の意味がある。
 
     「医療に人の心を」。これがロビン・ウィリアムス演じる主人公アダムスの信念。
     治療方法は患者を笑わせること。
    アダムスはピエロや天使の扮装をし、患者の前でステップを踏み歌を唄う。
   これが可笑しい。どう見ても奇行。至極まじめな学部長とはことごとく対立する。
 しかし曲げない。なぜか。

 重病人は絶望感に打ちのめされている。
 それ自体が深刻な病気だ。アダムスはそこから治さなければと考える。
  いぶかしげに見ていた同級生や看護婦は、やがて彼の行動を理解する。
  『パッチ・アダムス』の面白さは、システム化した現代医療の在り方に
   一石を投じただけにとどまらない。
    理想実現にまい進する彼の生き方は、広く人の心をつかむに違いない。

・・・・・・・・
2003年12月07日(日)
977, 「開運!なんでも鑑定団

 この番組み、いつも楽しみにしてみている。
代々、実家が古美術商であった為に両親の収集した古美術品に 囲まれて育った。
(両親は戦後になって衣料量販店に転業した。)
しかし衣料量販店で成功したお金で、趣味で骨董を買い集めていた。

  古美術の世界では「目利き」という言葉がある。
この世界では、「騙しは悪いことでない」一般から観れば異様の世界である。
・「傾むきかけた旦那様から骨董を詐欺同然で買取る」のが仕入れになる。
  まずは仕入れで大儲けをして、
・反対に「旦那様」に可能な限り高く売りつけて、儲けるのだ。
 
 その為には、ほぼ太鼓持ちに近い状態になる。
如何に良い旦那様に贔屓にされるかが腕になってくる。
父のお客は当時軍事産業で勢いを持っていた「津上製作所」の津上退助、
山本五十六、互尊文庫の創設者の野本互尊翁などなど、そうそうのメンバーだった。
一年に一個売れば、一家が充分に生活ができる稼ぎであったという。

 両親を見ていて、その買い方の凄さにタダタダ驚いた。「蔵出し」という言葉がある。
事業が傾いた家が、道具屋と組んで蔵の古美術品を売りに出すのだ。
事業が上手くいっている人が、事業を失敗した家に乗り込んで買い取る
場面に両親に連れて行かれて何回か見た。
修羅場もいいところである。子供ながら、そのことは解っていた。

私が異常に「痴呆名士や、その??息子」を嫌うのは、
こういう場面を両親に意図的に見せられていた為だ。
「蔵出し」とは、商売の勝ち組が負け組みからただ同然で財産を買い叩くことだ。
勝てば官軍、負ければ賊軍の凝縮された場面である。絶対に負け組みになってはならない。

昨日、「開運!なんでも鑑定団」を十年近く見てきた中で、一番すごい場面をみた。
「光悦」の茶碗が出てきたのだ。 嘘だろうと思ってみていたら、何と本物であった。
この春、ある収集家が自信を持って出したものが全部、贋物であった。
その本人がリベンジで出てきた。10年前400万で買った「光悦」の茶碗の鑑定だ。
もし本物なら、国宝ものである。 結果からいうと本物であった。 
光悦の作品が17点あることは知られていて、今まで8~9点の存在は確認されているという。
新たに不明の一点が出てきたのだ。 鑑定の値段は「5千万円」であったが、
実際は値がつかないだろう。
  ー最近、話題はTVか、レンタルDVDの映画が多い。
   どうしてもカウチポテト族になってしまう。

・・・・・・・
2002年12月07日(土)
603,ある時間の断片-17
 10月8日 1968年

10時起床。12時40分に上野に向け出発。
六日町の雲頓庵へ。 久々だ雲頓庵だ。 計画はこうだ。
6時半起床、一時間掃除、食事、30分間座禅、9~12時勉強、
昼飯後、13時から15時勉強、30分休憩後、17時30分まで勉強。
食後30分座禅の後、19時半から23時半まで勉強。24時就寝。
卒論の大筋をつくり、目次を第三章までまとめる。
小項目をそれぞれ書き込むこととする。

ー追記ー  2002年12月06日記
 この時に書いていた卒論の内容について書いてみる。
ー卒論 「流通革命について」

 私の卒業論文は「流通革命」であった。
内容は今のスーパーの出だしのころで、
そのころ主流を占めていた百貨店や一般小売店やデスカウントハウス
に変わり、チェーン店の時代がくるという論証であった。

 その為にアメリカのチェーン店を引き合いに出して、その組織や
業態を事例に出して、これからは今までの流通経路と全く
違ったバイパスとしてのチェーン店の時代の到来を、渥美俊一
林周一の流通革命という書物を種本にして纏め上げようとしていた。
今なら一月もしないうちに、いや二週間で軽く書き上げることができるが、
基礎となる文章の書き方も知らないで、もがき苦しんでいるのが手に取るようにわかる。

・今なら結論は何だ!と決める。その30~40語をまず決める!
・その結論を導き出す3~4の項目をたてる。それに集中する。
・あとはそれぞれのキーワードを3~4つさがす。
・あるべきスタイルをアメリカのチェーン店にモデルをさがす。
 それと日本の現状の差を見つけて埋めるプロセスたてる。
 
 以上を繰り返し書き直しを重ねるだろう。
34年経った今、その当時の雄であったダイエーが国家管理で、
長崎屋やニチイが倒産。西武流通グループは解体。
ヨーカ堂ジャスコも今はよいが、10年後は存続は5分5分の状態。
面白いものである。

・・・・・・・・
2001年12月07日(金)
262,強請りーその手口

ーヤクザ対処法ー
この仕事をやって20年、前面(現場)には一切立たない。
現場は危ない部分があったが、危ない人に一円たりとも支払った事は一度もない。

暴対法ができてから、チンピラやヤクザも大人しくなった。
しかしその以前から殆どない。
現場に「すぐ警察に電話をするよう」と指示してあるからだ。
2ヶ月位前、本屋で「ヤクザの実践心理術」という本を買った。
どうということのない本だが、面白い内容であった。
脅しのテクニックが詳しく書いてあった。 

まず私の経験を書くと
1、彼らが一番恐れているのが警察である。
  電話を迷わずかけること、警察の門をくぐる事だ。
 ーこれをただ実直に守ったから20年間一回も脅されたことはない。
2、暴力の使用を一番恐れているのは、彼ら自身である。
  それを熟知していればよい。「恐喝で逮捕の危険」の塀の上を彼らは歩いているのだ。
3、彼らと3メートル以内に近寄らない、いや100メートルだ。
4、数年に一回ぐらい間違えて電話をとってしまうことがある。電話を無言でたたききる。
  2^3回やると二度とこない。いちゃもんのつけようがない。
5、「ワイは正しいで、間違ってるのはアンタや」という我田引水のレトリック
  をつかう。「心理学のプロフェッショナル」である。
  火のないところにイチャモンをつけ、煙を出させてシノギー稼ぎ
  にする。言葉のパフォーマーである。ただそれだけだ。
6、簡単だが、でも恐ろしい?‘警察’という言葉を多用することだ。
  そして行くことだ。それしかない。彼等はプロである。
  金のならないヤバイ相手はすぐ見抜く!
7、弱味を見せない、彼らは情報産業だ。つけ入られるような事をしないことだ。

ー先ほどの本の要旨は
・まずは怒鳴り!そして筋論に引っ張り込む。
・次は捨て身の居直り。
・王手飛車取り「数百万の損をしたとか大きく出て、数十万、時に数万を下げ強請る。
・いかに底深く、底知れなくするかを演出。ーそれを常に考えている。
・キャステングボードをとって、相手を引きずりまわすかが勝負。
・善意の第三者をよそう、そしてチャンスを狙う。

恐れるのは仕方ないが、とりあえず警察に相談それしかない。
そしてその瞬間、彼等にとって「それはもはや獲物でなくなる」
幼稚なお芝居の終了になってしまうからだ。
恐怖も悩みもそれから逃げようとせず、その中心点を凝視することだ。

「恐れさせ、混乱させ、警察に垂れ込めないようなお芝居」が彼らの実態だ。
ーこれがその本のいわんとするところだ。

 ・・・・・・・ 
 ある時間の断片
12月7日(土曜日)1968年  

12時過ぎに目が覚める。 何となく時間が過ぎる。
18時に、山岡さんがくる。先日のバザーのお金を受け取ってないという。
私はただ言われたまま無料奉仕をしただけだ。 
20個の歯ブラシ代を永田さんがポケットに入れたままだと言う。
何で私が責められなくてはならないのだ。

11時過ぎに深井を呼ぶ。この前、ドタキャンに対して強く彼を責める。
言い過ぎたようだが、これでよい。夜半の0時に駒村と米林と3人でのみにいく。
駒村が、かなり酔ってしまった。私のことを寮の先輩として尊敬すると褒め立ててきた。
お世辞でも嬉しい。 この時、思わずオーストリアに行った河路先輩を非難してしまった。
また、満田先輩もだ。寮から抜け出れない姿勢が問題であると。
学生気分から抜け出れないのだ。 逃避で寮に来ているだけだ