つれづれに

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今日のYoutube

 考えてみたら、今日は、まる44年の結婚記念日。
 早いものだが、時代は面白いように激変した。
 特に、バブル崩壊以降の変化は、想像を遥かに超えた
 変化である。何よりの変化は、携帯端末である。




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3543, つれづれに ―物忘れ
2010年12月07日(火)
 * 物忘れ
 最近に物忘れが多くなった。ボケなのだろうかと、不安にもなる。
先日、大学の同級会があったが、まず乗車時間を勘違いをして一列車遅れ。
乗って直ぐに携帯電話を忘れてきたことに気づきく。その上に、同級会が
終わって東京駅に着いて店にコートを忘れてきたことに気づくしまつ。
折りたたみ傘は、ニケ月に一度の割りで失くすので、1千円以下の傘しか
買えない。人間は忘れるから生きていけるが、もの忘れは困ったものだ。
会社も自宅でも、パソコンに予定などはポストイットに書きつけ貼っている。
また自分の掌の親指の下にメモる習慣は二十年前より実施をしている。
  * 大学の同級会
 大学の同期会が学校の事務局主催で10年に一回ずつ行われている。
20,30,40周年の会には出席した。(10周年の会は、会そのものが
行われていなかった)その都度、二次会、三次会と盛り上がり、色いろな
人生を垣間見る。4百人、3百人と、参加者は少しずつ減っていくが、
出席者のメンバーは、ホボ同じである。教養課程の1・2年の同級会は
首都圏在住の人たちで開かれていたが、去年から誘われるようになった。
迷ったが、往復の汽車賃は二次会、三次会の飲み代と割り切れば、様々な
世界を見れるのもよいと出席した。他の用件と重ねれば、隔年ぐらいの参加
は良いだろう。あまり会合には参加をしないが、学校関係だけは第一優先し
出席してきた。進学する都度出会う人の地域が広くなる。
 小、中学、高校、大学と、出会う人の出身地が広がっていくのが面白い。
幼稚園は駅前の商店主の子供の世界。小学校は駅前から、その範囲が10倍の
テリトリーになり、中学校は商店主の子が主だったのが、先生やサラリーマン
の子供、そして越境入学がいた。 高校は中越地区に広がり、大学は全国区。
その都度、自分の過去の世界が小さくなる。そして、就職・・ だから、
同級会は、その年齢の自分に出会うようで、何とも感慨がある。
それにしても数奇の人生がある。

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3168,人生に関する閑話小題 ー2
2009年12月07日(月)
  * 孤独な老人
 毎朝、散歩をしていると色いろな人とすれ違う。犬と組み合わせでみると、なお人生を垣間見る
ことができる。 80歳半ばの老人が小型コリー犬を連れて土手を散歩している。その犬が10m位
の距離にくると緊張で固まってしまう。 通りすがるまで、その犬を老人が宥めている。何度すれ
違っても、それが変わらない。観察するうちに、その人が固まるから、犬も固まるのである。 
2~3度挨拶をしたが、その都度、犬が吼えかけてきた。それを宥めているが、「いいこ、いいこ、
ほえないの」と毎回言っている。 何か二つの生命体に孤高の空気が漂っている。 

  * ある人生 
 三年前に奥さんを亡くした70歳代半ばの御父さん。 列車で30分ほどの市に在住だが、定期券
を買って、長岡に毎日、通っているという。 たまたま知人の同級生だった人の御父さん。時々同じ
時間の列車で見かけたので、知人に聞いたところ、寂しさを紛らわせる?ためだという。 土・日曜日
も休みなしで三年も通っているため、車掌とも顔なじみという。 長岡駅の喫茶店でコーヒーを飲んで、
街を一回りをして、駅内のスーパーで買い物をして帰るのが日課という。 小さな街の小さな世界から
一歩でも毎日、外に出たいのだろう。
そういえば、この数年、家内が1~2ヶ月に一度、JRの格安の乗り放題のチケットを売出時に一人で、
東京の街の散策が趣味。 ポイントは、一人であることと、ネットで充分にスポットを下調べをする
ことという。八時半過ぎに乗車、十八時過ぎの新幹線で帰ってくる。往復4時間かかっても、六時間
を東京や銀座や六本木など、色いろ回れるという。価値は充分あるという。 その御父さんも、長岡
のスポットを回っているのだろうか。来春に駅裏から15分のところに大型SCが出来るので行動範囲が
広まるだろう。それも人生である。定期を買うことで習慣つけるのも良いこと。夜のスナックより良い。

 * 鬱病、欝症について
 何々病と何々症の、違いは、周辺に迷惑をかけるかどうかが基準でしかない。境界は、いい加減だが、
慢性化しているかどうか、重症かどうかもある。 精神も肉体と同じで、傷ついたり、疲労もする。 
この不況でリストラされたり、疎外され、ストレスが蓄積し、ガスが充満もする。 自殺者の多くが
鬱病という。 その反対に躁がある。 多かれ少なかれ、人間は躁と鬱の波の上で生きている。
ニュースといえば、だいたいマイナーを報じる。 また聞くほうもマイナーの話題を好むから、まともに
受け取っていたらマイナーな情報に多く影響を受けることになる。時代は、100年に一度のマイナーである。

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2803, イングランド・ツアー ?
2008年12月07日(日)
 *集団スリに狙われて -2

 前回に集団スリの話を書いて、これまでのスリや偽札交換詐欺について思い出した。
ブラジルのリオのカーニバルイグアスの滝に行った時のこと。「ショッピング・センターには
少年の集団万引きに注意してください。特にウィンドウ・ショッピングの時に囲まれて、後ろポケット
の財布を抜かれるケースが多い」という。面白そうなので、後ろポケットにサングラスのケースを入れて、
通路を歩きながらウィンドウ・ショッピングをした。腕時計のウィンドウを見ていたら15歳位の少年
が三人、両側と後ろに囲まれた。子供が腕時計を見るわけがない。
これが集団万引きと直感し、スーッと離れて後ろを見ると、私を見ていた中年の男と目があった。
その男、ニヤリと笑ったので、わざとメガネケースを出してカラカッタことを知らせてやった。
ただ、それだけのことだが・・
 万引きといえば、スイスに行った時のこと。電車の乗り継ぎで、駅の土産店に入ったところ、
人で身動きが出来ないほどだった。他のグループの日本人が「この店中に女の万引きが居る」という
話し声が聞こえてきた。そこで自分の財布に注意しながら万引き女を探すことにした。初めての
経験である。その場合、見るのは‘目’と気づいた。 30人位の人混みなら直ぐに分かる。
三十歳ぐらいの女で、中年女性のバックをジッと見ている。これだなと、その瞬間を待った。
しかし連れに店外から呼ばれて、せっかくの場面を見ることが出来なかった。
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 *旅行の全てを楽しまなければ
「せっかくの旅行、高い値段を出して行くのだから、勿体ないじゃないか」 これは人生と同じである。
特に、移動時間をいかに過ごすかである。三十回目辺りから、機内の席の12時間の移動の苦痛が最小に。
特に初日の成田から目的地の機内がキツイ。キツイが反面、自由な時間が幾らでもあるということだ。
それを楽しむには、音楽かTVである。最近は、座席の前面に液晶TVと音楽、そしてゲームが出来る。
家内も行き帰りの、この時間が一番楽しい!という。帰りの機内で、最新の映画を4本も観たという。
私は、持っていったiPodの音楽を休み休み聴いて過ごした。その御陰で、殆ど疲れが残らなかった。
今回の機内のTVが最先端のものだった。映画や音楽などがネットで結ばれていて、無数の中から選択
可能なのだ。現実にも可能なのだろうが、実際に使って初めて情報の進化を実感できた。凄い時代である。
世界の広さと、深さを、家でも無限に手軽に入手できるのである。 これまでは本とマスコミが中心
だったが・・・。それなら、情報機器を可能な限り利用して使ったほうがよい。 
ipodで、旅行先に自分の選択した2千曲を持っていけるのだから。

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2007年12月07日(金)
2438, 犬は鏡で自己を認識できるか?
                     (`・ω・。)っノXXXXXXX>C【才ノヽ∋―】
随想日記で何度か「動物の中で一部霊長類とイルカだけが、鏡の中の自分を認識できる」ということを
書いた事があった。ところが池田晶子の本で、飼い犬が鏡の中の自分を認識していると述べていた。
頭の良い犬なら自分を認識するのも肯けるが、さすがに哲学を専門家、見るところは鋭く観察している。
でも、犬が自己を認識して、しげしげと自分の顔を見ている姿は何か不思議な気持ちになるだろう。
  {考える日々?  池田晶子著  ー鏡の中に「私」はあるか?}より抜粋
 ーー
ある動物園では、チンパンジーが退屈するので、大きな姿見を与えてみたという。
最初は驚いたり恐がったりしていた彼らは、やがてそれが「自分である」ということを認識をし、
表情を作ったりして遊び始めた。おかげで大いにストレス解消の効果あり、ということらしい。
鏡の中の自分を「自分である」と認識するのは、動物の中では、あとオランウータンとゴリラだけだと
番組では言っていたが、しかし、これは違う。 たとえば、私の(賢い)愛犬だが、彼は仔犬の頃、初めて
鏡に「自分」を見出した時、慌ててその裏に囲って調べた。同じ頃、ステンレスの専用の水飲みで盛んに
水を飲んでいる最中、いきなり跳び退いてびっくりしている。そうして、こわごわ器の中を覗き込んでいる。
器の底に、自分の顔が映っているということを、発見したのである。今では、鏡というものの「意味」を
すっかり認識し、時折、何が面自いのか、しげしげと自分の顔を眺めていることがあるし、私がその後ろで
手を振ってみせると、振り返ってニカッと笑う。鏡像認識は、霊長類に限らないようである。で、ここから
が今回の本題すなわち問題なのだが、鏡の中の自分を自分であると認識するというのは、どういうことなのか。
右の話の伝でなら、鏡の中の自分を自分であると認識できるほど知能が高いということになりそうだが、
じつを言うと、私は、鏡の中の自分を自分であると認識できない時がある。いや正確には確かに自分である
はずなのだが、どうもうまく実感できない。とくに、真剣に思索モードに入っている時など、通りがかりに
洗面所などの鏡に顔を見つけ、「コイツは誰だ」「なんでコイツがこれなのだ」そういう感じになる。
考えてみてほしい。人はなぜ自分を自分の顔や身体と同一と思っているのか。なるほど、人は「私は」と
言って、自分の鼻の頭を指すけれども、この場合、指しているのが「私」なのだろうか、指されているのが
「私」なのだろうか。それを知ろうとしているのは、では誰なのだろうか。「私」は、どこに居るのだろうか。
鏡の自分を自分と同一と思うのは、じつは未だ進化の途上なのであって、意識すなわち自己意識というのは、
さらに進むと、もう一回ひっくり返って、「自分」以外を自分だとは思わなくなるのである。確かに、顔や
身体は、「自分の」顔や身体ではあるけれども、それを自分の顔や身体だと思うためには、その先に「自分」が
知られているはずだ。で、ここでこそ正等に「自分とは何か」。これこそが、猿でも犬でもない「人間」の
問いなのである。では「われわれ」とは?
ーー学生時代、何時も部屋の机の前に鏡を置いていた。 あまり見るので、鏡の像の自分が解らなくなる
ことがあった。この人は誰とさえ思うことがあった。40年近く前の話である。 女性は、恐らく多く経験
しているはずである。現在経験するのは、鏡の先に見るのは死んだ父そのものである。それも、日ごと、
自分から父の顔が前面に出てくる。気持ち悪くさえ、なることがある。先日も、スナックで父を知る人に
全く同じことを言われた。
                    ((´_`○)ノ ノヾィ♪
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2006年12月07日(木)
2074, 寝ずの番
            才八∋ウ_〆(∀`●) 
先週の金曜日の昼休みに、近くのレンタルDVDショップで何気なく「寝ずの番」を借りた。
落語家の大御所の葬式にまつわるコメディーで面白そうであった。そして事務所に帰ってきて30分も
しないうちに義母の死亡の連絡が入った。その夜は生通夜、翌日が通夜、そして翌日が葬式とつづいた。
何かの因縁だろうと、土曜日の納棺・通夜の出発まで時間があったのでDVDを見ることにした。 
くしくもそれが通夜の内容で、下ネタのヒットパレードである。不謹慎と解っていても、2時間近く
爆笑であった。「寝ずの番」とは、生通夜に線香を絶やさず故人の思い出を語って、一夜を過ごす風習。
この映画は、それを題材に色いろな故人のエピソードを面白おかしく笑い飛ばすストーリーである。
伊丹十三の「お葬式」や「男はつらいよ」などで、通夜のドラマが演じられている。
泣きながら頭にあるのは相続の算段をしているのが、シビアで笑いを誘う。
ーその概要といえばー
俳優・津川雅彦が、祖父(牧野省三)、叔父(マキノ雅弘)と同じ「マキノ」性で映画監督デビューした作品
でもあり、原作は故中島らもである。笑満亭橋鶴という落語家一門の「寝ずの番」の可笑しくも悲しい物語。
師匠橋鶴、一番弟子橋次、おかみさん(師匠の奥さん)志津子と次々に亡くなり、それぞれのお通夜での
エピソードが味がある。始りの場面が、死に際の師匠の「そそ が見たい」という言葉から始まる。
(実はそそは‘空’の聞き違いだが)そこで弟子の上さんの??を死に際の師匠に、見せる場面から・・・
 映画全体が下ネタのオンパレードである。 
 o_ _)ノ彡☆ ぎゃはは            _(_ _)ノ彡☆ばんばん!
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 京都で饅頭のことを「おまん」というらしが、京都でこの言葉を聞いて赤面したことがあるが・・。
ここまで次々と艶歌や下用語が出ていると、逆にイヤらしくなくなるから不思議である。
浅丘ルリ子米倉涼子中村勘三郎桂三枝笑福亭鶴瓶などが本人役でチョイ役で出てきたが、
津川雅彦の友情出演だろう。 笑満亭橋鶴のモデルは、鶴瓶の師匠・笑福亭松鶴?。
生通夜の席上、亡き骸と踊る“らくだのカンカン踊り”や、下ネタの‘座敷歌合戦’は「粋」でさえある。
死ぬ前に遺した最期の言葉で残っているのは、ゲーテは「光を、もっと光を・・・」
ベートーベンは、「友よ拍手を!喜劇は終わった!」 トルストイは、「私は真実を愛する」である。
そして、この映画の笑満亭橋鶴は「そら(そそ)が見たい」である。
邦画が再び息を吹き返してきたようだ。 この映画は明らかに中年年代以上を狙ったもの。
しかし、悲しみを笑いに変えて偲ぶ内容は、下手な泣きよりも深い愛情が出て良いものだ。
葬式ほど、虚実の虚構そのものに目がいくから、尚のこと下ネタの奥にある人間味が表出するのだろう。
それにしても、えげつない!下ネタ‘座敷歌合戦’の中の
「ちんぽ、ちんぽと、いばるな、ちんぽ ちんぽ まんこのつまようじ まんこ まんこと、
いばるなまんこ  まんこ ちんぽの??? 」
    ここまで明け透けだと、嫌らしいと思う前に、ふきだしてしまった!   
                      !(^o^)  バイバイ♪
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2005年12月07日(水)
1709, 耐震偽造問題について 

マンションとホテルの耐震強度偽装問題は、あまりに悪質である。これまで「建設業界そのものが、
政治、官公庁がらみの構造汚職体質」と、このHPで辛らつの批判してきた。その末端の一現象が、
そのまま露出したにすぎない。 さらに大きな広がりが、日ごとに出てくるだろう。 
                                 ~~匸Pヽ(・ω・`)
今回の偽造が発端になった物件は、総研というビジネスホテルの開業指導のコンサルタント会社が
偽造の設計主導をしていたというから、問題が深い。
 ー先日の地元の新潟日報によると、以下は字数の関係でカット(2007年12月07日)
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2004年12月07日(火)
1344, 面白くない日は一日たりともつくらない
 (2008年12月07日 字数の関係でカット) 
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2003年12月07日(日)
977, 「開運!なんでも鑑定団
 この番組み、いつも楽しみにしてみている。
代々、実家が古美術商であった為に両親の収集した古美術品に 囲まれて育った。
(両親は戦後になって衣料量販店に転業)しかし衣料量販店で成功したお金で、趣味で骨董を
買い集めていた。 古美術の世界では「目利き」という言葉がある。この世界では「騙しは悪いことでない」
一般から観れば異様の世界である。
・「傾むきかけた旦那様から骨董を詐欺同然で買取る」のが仕入れになる。まずは仕入れで大儲けをして、
・反対に「旦那様」に可能な限り高く売りつけて、儲けるのだ。
 その為には、ほぼ太鼓持ちに近い状態になる。如何に良い旦那様に贔屓にされるかが腕になってくる。
父のお客は当時軍事産業で勢いを持っていた「津上製作所」の津上退助、
山本五十六、互尊文庫の創設者の野本互尊翁などなど、そうそうのメンバーだった。
一年に一個売れば、一家が充分に生活ができる稼ぎであったという。
 両親を見ていて、その買い方の凄さにタダタダ驚いた。「蔵出し」という言葉がある。
事業が傾いた家が、道具屋と組んで蔵の古美術品を売りに出すのだ。 事業が上手くいっている人が、
事業を失敗した家に乗り込んで買い取る場面に両親に連れて行かれて何回か見た。
修羅場もいいところである。子供ながら、そのことは解っていた。私が異常に「痴呆名士や、その??息子」
を嫌うのは、こういう場面を両親に意図的に見せられていた為だ。「蔵出し」とは、商売の勝ち組が負け組み
からただ同然で財産を買い叩くことだ。勝てば官軍、負ければ賊軍の凝縮された場面である。絶対に負け組
になってはならない。
昨日、「開運!なんでも鑑定団」を十年近く見てきた中で、一番すごい場面をみた。
「光悦」の茶碗が出てきたのだ。 嘘だろうと思ってみていたら、何と本物であった。
この春、ある収集家が自信を持って出したものが全部、贋物であった。
その本人がリベンジで出てきた。10年前400万で買った「光悦」の茶碗の鑑定だ。
もし本物なら、国宝ものである。 結果からいうと本物であった。 
光悦の作品が17点あることは知られていて、今まで8~9点の存在は確認されているという。
新たに不明の一点が出てきたのだ。 鑑定の値段は「5千万円」であったが実際は値がつかないだろう。
  ー最近、話題はTVか、レンタルDVDの映画が多い。どうしてもカウチポテト族になってしまう。

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2002年12月07日(土)
603,ある時間の断片-17
 10月8日 1968年

10時起床。12時40分に上野に向け出発。 六日町の雲頓庵へ。 久々だ雲頓庵だ。 計画はこうだ。
6時半起床、一時間掃除、食事、30分間座禅、9~12時勉強、昼飯後、13時から15時勉強、
30分休憩後、17時30分まで勉強。食後30分座禅の後、19時半から23時半まで勉強。
24時就寝。卒論の大筋をつくり、目次を第三章までまとめる。 小項目をそれぞれ書き込むこととする。
ー追記ー  2002年12月06日記
 この時に書いていた卒論の内容について書いてみる。
ー卒論 「流通革命について」
 私の卒業論文は「流通革命」。 内容は今のスーパーの出だしのころで、そのころ主流を占めていた
  百貨店や一般小売店やデスカウントハウスに変わり、チェーン店の時代がくるという論証であった。
 その為にアメリカのチェーン店を引き合いに出して、その組織や業態を事例に出して、これからは
今までの流通経路と全く違ったバイパスとしてのチェーン店の時代の到来を、渥美俊一
林周一の流通革命という書物を種本にして纏め上げようとしていた。
今なら一月もしないうちに、いや二週間で軽く書き上げることができるが、
基礎となる文章の書き方も知らないで、もがき苦しんでいるのが手に取るようにわかる。
 ・今なら結論は何だ!と決める。その30~40語をまず決める!
 ・その結論を導き出す3~4の項目をたてる。それに集中する。
 ・あとはそれぞれのキーワードを3~4つさがす。
 ・あるべきスタイルをアメリカのチェーン店にモデルをさがす。
  それと日本の現状の差を見つけて埋めるプロセスたてる。
 以上を繰り返し書き直しを重ねるだろう。 34年経った今、その当時の雄であったダイエー
国家管理で、長崎屋やニチイが倒産。西武流通グループは解体。ヨーカ堂ジャスコも今はよいが、
10年後は存続は5分5分の状態。 面白いものである。

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2001年12月07日(金)
262,強請りーその手口

ーヤクザ対処法ー
この仕事をやって20年、前面(現場)には一切立たない。現場は危ない部分があったが、危ない人に
一円たりとも支払った事は一度もない。暴対法ができてからチンピラやヤクザも大人しくなった。
しかしその以前から殆どない。現場に「すぐ警察に電話をするよう」と指示してあるからだ。2ヶ月位前、
本屋で「ヤクザの実践心理術」という本を買った。どうということのない本だが、面白い内容であった。
 (字数制限のためカット 09年12月7日)
 ・・・・・・・ 
 ある時間の断片
12月7日(土曜日)1968年  
 12時過ぎに目が覚める。 何となく時間が過ぎる。 18時に、山岡さんがくる。
先日のバザーのお金を受け取ってないという。 私はただ言われたまま無料奉仕をしただけだ。 
20個の歯ブラシ代を永田さんがポケットに入れたままだと言う。何で私が責められなくてはならないのだ。
11時過ぎに深井を呼ぶ。この前、ドタキャンに対して強く彼を責める。言い過ぎたようだが、これでよい。
夜半の0時に駒村と米林と3人でのみにいく。駒村が、かなり酔ってしまった。私のことを寮の先輩として尊敬
すると褒め立ててきた。お世辞でも嬉しい。この時、思わずオーストリアに行った河路先輩を非難してしまった。
また満田先輩もだ。寮から抜け出れない姿勢が問題であると。学生気分から抜け出れないのだ。
逃避で寮に来ているだけだ