2007年10月30日(火)
2401, こころの旅 ー5
                 ('-'*)オハヨ♪
  ―カリール・ジブラン『預言者
   「子供について」       −読書日記

赤ん坊を抱いたひとりの女が言った どうぞ子どもたちの話をして下さい

(それで予言者は言った)
あなたがたの子どもたちは あなたがたのものではない 彼らは生命そのものの あこがれの息子や娘である

彼らはあなたがたを通して生まれてくるけれども あなたがたから生じたものではない

あなたがたは彼らに愛情を与えうるが  あなたがたの考えを与えることはできない
なぜなら彼らは自分自身の考えを持っているから。

あなたがたは彼らのからだを宿すことはできるが 彼らの魂を宿すことはできない
なぜなら彼らの魂は 明日の家に住んでいるから。

あなたがたは彼らのようになろうと努めうるが 彼らに自分のようにならせようとしてはならない
なぜなら生命はうしろへ退くことはなく いつでも昨日のところに うろうろ ぐずぐずしてはいないのだ

あなたがたは弓のようなもの その弓からあなたがたの子どもたちは
生きた矢のように射られて 前へ放たれる 射る者は永遠の道の上に的をみさだめて
力いっぱいあなたがたの身をしなわせ その矢が速く遠くとび行くように力をつくす
射る者の手によって 身をしなわせられることをよろこびなさい
射る者はとび行く矢を愛するのと同じように じっとしている弓を愛しているのだから
 
ーーー
解)
この詩は深い意味がある。 子供に対して全ての親が理解しておかなければならない基本の姿勢である。
子供に対する責任があるが、それはあくまで自立に対するトレーナーであるべきで、相互依存のためではない。
ペット的に扱ったり、自分の私物とするのは言語道断。自分たちを通して子供は生まれてきただけで、自分ではない。
愛情を与えることは出来ても、考えは与えることは出来ない。出来るのは考える、そして自立できるように導いてやるだけ。
カナダでは、大学に入ると殆ど全ての学費は夏休み、冬休みのアルバイトで稼ぐという。
それが首相や財閥の子供であっても関係なく、もし、親が学費を出していたら、
軽蔑の最たる対象の人間と見做されるという。学生生活から、既に自立への訓練になっている。 
親子を弓と矢の関係に例えるのは面白い、親と子供のあるべき関係を述べている。
しかし、これでは弓の的を決めるのは、射るのは、誰になるのか?という疑問がでる。
的は「自立」がということ? 己から遠くに飛ばす、自立させる考え方としては良いだろう。
それにしても、あの親亀(亀田)のエゴなんだろうか? その結果があの子亀達ということか? 
ここで書くことではないが、あまりにも宮沢リエ的?な内容である。             
                                (ゝ∀・`*)ノ))バイ゚
・・・・・・・・