つれづれに

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   今日のYoutube

 一昨日、「眼鏡市場」から、メガネが出来上がったと電話があった。
で、早速、昨日いったが、思ったより、軽くて出来が良くて安心した。
明日にでも、普通免許書換えに行く予定! 
 実感として、「メガネスーパー」より、「眼鏡市場」の方が、
システムがシンプルで、客よりで価値がある実感がする。

  メガネスーパー
http://www.meganesuper.co.jp/
http://biz-journal.jp/2015/07/post_10800.html

  眼鏡市場
http://minhyo.jp/meganeichiba/
http://www.meganeichiba.jp/


・・・・・
2817, ケインズの「相場は『美人投票』論」」
2008年12月21日(日)
 ケインズは以下のように、相場と『美人投票』の類似性と、相違から、
相場の本質を述べている。「玄人筋の投資は新聞紙上の美人コンテスト、
参加者は100枚の写真の中から最も美しい顔かたちの六人を 選び出す
ことを要求され、参加者全員の平均的な選好に最も近い選択をした人に
賞品が与えられるという趣向のコンテストになぞらえてみることもできよう。 
このようなコンテストでは、それぞれの参加者は自分がいちばん美しい
と思う顔を選ぶのではなく、他の参加者の心を最も捉えそうだと思われる
顔を選ばなければならない。全員が問題を同じ観点から見ているのである。」
と 述べている。
 
 結果としてどうなるかというと、他の者は誰を選ぶか、という観点から
予想される者が選ばれることになる。この点に関し、岩井克人東大教授は、
「その結果選ばれる『美人』とは、皆が美人として扱うから皆が美人として
扱うという『自己循環論法』の産物にすぎない」という。解りやすい例えである。
ソローの論は、この辺もヒントになったのか?。 新自由経済資本主義の
フリードマン的な考え方には、再び戻ることはないとしても、時間と共に
再び規制が緩和され、同じような大規模な金融危機が発生する可能性もある。
それはさておいて、投資と、投機は違うもの、投機は美人投票論に近いだろう。
『儲かると信じて買い、結果として損をして売る』パターンが一般人の結果
としてなる。上がり切ったところで、逆張りをして反対の流れをつくって
暴落させる、これもあるから、素人が儲かるわけがない。
「賭場の八百長ツボふり」と、同じである。 それもNTTの株売時
のように、国家単位で仕掛けてくる。

このケインズ美人投票理論を応用したものが、GooglePageRankだと言う。
よく考えるものだ。検索エンジンが、勝手に独自の評価項目を作り上げて
選んだページではなく、Webページ同士のリンクという投票行動を、ページ
のランキングスコアとして採用したのである。これによって、検索が原始
時代から抜け出すことができるようになった上に、広告効果が飛躍的に
伸びたのである。持っているお金さえ、国家間では相場で決まることから
考えても、金を持つこと自体が投機行為である。
その貨幣が現在、一番不安定ときているから・・・・

・・・・・・
2007年12月21日(金)
2452, 居場所を見つけたときに人間は変わる -1
                  (。´_`)ノおはぁ。
人生の中で、しっかりした家庭で育った人は結局紆余曲折があっても
元に戻るものだ。人間には何があっても、あなたを受け入れてくれる
家庭を必要とする。そこが本人にとっての居場所なのであろう。以下の
短い文章の中に、家庭、夫婦、人間に必要なことは何かを考えさせられた。 
強い父、優しい母、そして喧嘩する兄弟が必要である。親、教育者、
上司として、考えさせられる示唆が多く含まれている。
そういえば、ヘレンケラーの恩師のサリバン先生の指導に似ている。
そうこう考えると、人間には最低の教養と、暖かい家庭が必要ということだ。
ーーーーーーー  「存在の大地」高史明・芹沢俊介上田紀行
芹沢:
いまの話にも関わってくるような象徴的な話を聞いたことがあります。  
それは、一人の青年の話なのですが、物を盗んで仕方がない二十歳ぐらいの
青年がいて、月に何回となく物を盗むのです。それで、何回となく捕まる。
ところが警察はちょっとした盗みぐらいでは刑務所へ送らない。
裁判にまで持っていくことはないのです。 彼も「もう二度とやりません」
と言っては、また盗みをやる。それでまた捕まるということを繰り返して
いた青年がいました。この青年に対して、ある施設で、二つの対応策が
出てきたのです。

・一つは、警察や裁判所をうまく使って、彼を一度きつい場面へ追い込もうと。
強い規律と訓練と指導とがあるような場所を通過させて、その後に自分たちが
引き受けようという方策を提案した人がいました。ところがもう一人、
その案に対して「ノー」と言った人がいるのです。そして結局、その
施設では後の人の案を採用して、青年に対応することになりました。

・彼と対応したのは一人の女性だったのですが、その人が彼にどういう
接し方をしていったかと言うと、とにかく特別扱いをするということを
したのです。その青年は、いまの言葉で言えば非常にキレやすい人なので、
キレたときには、すぐ一対一になってとことん彼の言い分を聞くという
ことがひとつ。もうひとつ、その青年は人に殴りかかったりすることは
ないけれども、大声を出したり、物を投げたり蹴飛ばしたりして人を
威嚇することがあるのです。その場合は、とことんやりあう。
つまり、彼が大声を出せば、それに負けないぐらいの大声でどなり返す。
相手が物を蹴飛ばせば、自分も蹴っ飛ばす。要するに、喧嘩の相手を
きちっとやる。その二つを徹底するのです。

・そして最後にもうひとつ、これがとてもすごいことなのですけれども、
「あなたのことが好きだ」ということを彼に伝えるのですね。
「あなたのことが好きなので、あなたがどんなことをしても、私は
あなたのそばを離れない」というのです。そういう対応をしながら、
その女性は彼の過去を探っていくのです。そうすると青年が母さんに
捨てられたことがわかってくる。生まれてすぐに捨てられ、乳児院
預けられる。乳児院から養護施設を経て成長していくのですが、記録
を見て驚いた。乳児院と養護施設で代わるがわる彼に関わった10人
の職員の中で、誰として彼の長所を挙げた人がいない。欠点ばかり
書かれたデータが残っているだけなのです。あらためて彼女は、
彼を特別扱いして一対一で対応することと、喧嘩をきちっと一緒にやる
ということ。 そして「あなたのことが大好きで、どんなことが
あったって離れない」ということを伝えるという三つの対応を続ける
ことを心に決めた。さてその結果どうなったかと言うと、警察に
逮捕される回数が激減していくのです。毎月のように何度も捕まって
いたのが、去年は年間を通して四回、今年は10月までに1回と
いったように、次第に減ってきた。
ーーー
以上だが、夫婦関係にも似ている。どんなに喧嘩をしても、
何があっても別れない。相手を必要としている、というメッセージを
出し続けることである。 相性の悪いのは、仕方がないが、しかし
少なくとも対話の訓練、いや、相手の話を聞く訓練はしておくべきである。
でも、相性もあるか?後記)たまたま、このテーマを取上げたら、
去年の同日、家族について取上げていた。 不思議なことだ!           
            つづく  (。・∀・)ノ゛
・・・・・・・・・
2006年12月21日(木)
2088, 14歳からの哲学-1      才八∋ウ_〆(∀`●)   
   「14歳からの哲学」 池田晶子著 
                   - 読書日記   
「知ることより考えること」と、「人生のほんとう」と、
「41歳からの哲学」と、この「14歳からの哲学」の中から、その都度
目についたテーマを考えてみる。人間として、社会人として、家庭人として、
色いろな問題を地頭で考えているから、そして子供向きに書いてあるから、
解りやすく、深いところが考えやすい。
 今回は、ー「家族」ーである。 
「家族」については、家庭崩壊が大問題になっている現在、
その本質をつかまえておかなければおかなければなるまい。
 家庭内離婚の含めたら半分は家庭崩壊というが、その中で一人
一人が夫婦とは、親子とは何かをしっかりと 把握しておかないと
両親の犠牲になったり、子供の犠牲になってしまうことになる。

カナダでは親の責任は高校卒業するまでという。卒業したら学費を
夏休みと冬休みにアルバイトで稼ぎ出すのが常識になっている。 
観光地の若い従業員は殆どが大学生の学費稼ぎである。首相の子供でも、
大金持ちの子供でも、もし親が出しているということが知れると、一人
立ちできない人間として軽蔑されるという。どこかの国の、いい歳を
したフリーターとは「独立心・自立」という面で雲泥の差がある。
動物の母親の責任は子が外敵に襲われても個体で対処できる時点という。
その時点を過ぎると、親は子供を冷たく突き放す。これは殆どの動物に
共通の親子関係であり、例外は人間位のもの。 本来、人間も当て
はめることが自然である。ー著者の「家族」についての章の中の
要点を抜粋してみる。なかなか面白い!
 ーーー
世の中にはたくさんの他人がいるが、その一番近い他人が、家族である。
その痛みや心が解らないという意味で、たしかに他人である。君が君の
もともとの君は、誰から生まれたものではない。もともと君自身なのだ。
両親は、あなたの両親ではないというなら、いったい誰なのだろう。

彼らのほうから考えてみよう。
彼らにしたって、あなたが生まれたから君の親になったのであって、
はじめから君の親としていたわけではない。あなたが生まれなかったら、
彼らはただの彼らであって初めから親という彼らではない。
この事実を、多くの場合忘れている。誰が生まれるかわからなかった
のに君が生まれたという、他人と他人のこの不思議な出会いの感動を
忘れて、君のことを自分の子供だと思い込んでしまう。

親の役割は動物では、子供が独り立ちできるようになるまで、
危険から守って育てることだ。子供が独り立ちできるようになれば、
それ以上手を出そうともしないどころか、逆に突き放そうとする。
それでは動物の親でない人間の親の役割があるとすれば、それこそが、
他でもない、人生の真実を教えることのはずだ。子供より先に生きて
いる者として、何が危険で、何が大事か、人はどのように生きるべきか
を教える役割がある。真実とは何かを考え、教えることができるのは
人間だけなんだ。両親が全知全能と思っていたかもしれないが、
君が生まれることによって、初めて親になったんだ。
完全な親なんて、人間の中には存在しないのだ。完全な親である
ことができるのは、動物の親だけなんだ。彼らの目的は生命を全う
することだけだからだ。人間としての親は、人生とは何か、死ぬまで
考えているのだから、その限りすべての人間は不完全だ。
どうしてあなたの親だけ完全のわけがない。
ーー
以上だが、半年位前のこと、帰省していた息子と酒を飲んでいた時に、
酔った勢いでか、「親として、尊敬できない!」と言われたことがある。
その時の私の答えが、「それじゃ、お前は尊敬できる親になれると
いうのか!」であった。子供もドッキとしたようだったが。尊敬できる
父親ではないことは確かだが、軽蔑される親でもないはずだが?
もう一つ。いま一人の子供が高校生の頃、家内に「自分が親になったとき、
親父と違って子供には優しくするつもりだ」と言っていた聞かされた。
かなりショックだったが・・・  そのときの私の心の声は、
「しかし、じゃあ御前さんが優しい親となったとして、御前さんの
ような現状で優しくするというのか、自分自身そのものが、いまの
その結果だろう」だったが・・ 尊敬できる親が存在したら見てみたい
ものだが、多いのかも知れない。尊敬できる親と、優しい父親か~。
それより黙って温かく見守る両親が望ましいのか。家族は、外の社会
の多種の他人とどう付き合っていくかを予習する場所。よりにもよって、
自分の両親の縁で生まれたことの意味を考えると面白い。
 たまたま縁あって両親の下に生まれてきただけ、自分というこれ!は、
親から生まれただけであって、「本人そのもの、そう自分自身でしか
ない」のだ。なぜ、この親の元で生まれたか、この親から何を学べばよいか?
 考えれば考え尽きることはない。ただ私の場合は、両親には恵まれ
すぎるほど恵まれた。黙って温かく見守る父親は、家庭が子供にとって
社会への予習の場と見れば最低の父親ということになる。
社会は温かくは見守ってはくれない!むしろ逆だろう。そうすると、
時に厳しく、時に優しく、そして温かくすればよいが・・そうは
いかないものだ。教えられるのは生活姿勢と、生きてきた生き様と、
やはり人生の真実である。  (+>∀<+)ノ ホンジャ~
・・・・・・・・
2005年12月21日(水)
1723, ベルグマンの法則
             オハョョヨヨ∃"ヽ( ゚∀゚)ノ"ョョヨヨ∃ゥ!!
 生物学上の法則に「ベルクマンの法則」がある。
哺乳動物の分布と体の大きさの関係を表した法則で「近縁のものが
南北に渡って分布するときは、寒い地域に生活するもののほうが、
体が大きくなる。」というもの。 例えばクマでは(。'(ェ)'。)ノ♪
北海道のヒグマと本州のツキノワグマではヒグマの方が体が大きい。
ホッキョクグマ 体長3.5m 体重400~500kg
ヒグマ 体長 2m 体重300kg     
ツキノワグマ 1.5m 体重60~150kgと、極端に
北にいくほど大きくなる。 ☆━━━…‥‥ソウカ~('(ェ)'ヽ)
 その理由は、体重の大きなものは小さいものに比べて体表面積の
割合が小さく、それだけ保温効果が大きいから。もっっとわかり
やすく言うと、大きな鍋と小さな鍋ではどっちがさめにくいか、考えて
みるとよくわかる。他にも「アレンの法則 」というのもある。 
キツネやアメリカのウサギ類の耳のように  m9(`ω゚)  
「より寒冷地に行くに従って体の突出部が小さくなる傾向がある」
というもの。突出部が小さいと熱の放散量が多く、突出部が小さい
と放散量が少ないためだ。さらに「グログラーの法則」というもの
もある。哺乳動物の分布と体の色との関わりを表した法則。
「近縁のものが南北に渡って分布するときは、北に生活する
ものがほど体色が薄く白っぽくなる傾向にある」というもの。   
     ∥┓  ((  
    (_)  匚P  
    ━┻      
 人間もほ乳類だから、この原理は当てはまる。確かに北国の人は色が白い。
中間のアジアは黄色で、南にいくほど黒くなる。旅行してきて気がついた
ことは、カナダや北欧で黒人やインド人をほとんど見かけない。 
体質的に合わないのだろう。
    
 ・・・・・・・・・
 2004年12月21日(火)
1358, あなた、ここにお座りください

「あなた、ここにお座りください」夫に出て行けといわれた妻が、
「私の大切な物を一つ持って行きます」と風呂敷を広げた後にこう言った
そうです。 昨日の朝日新聞の一面広告の中の、思わず手帳にメモを
したくなる「身近な人の名言・格言」と「手帳・日記・家計簿の商品企画」
の大賞受賞作である。他にも幾つかあった。
ー字数の関係でカット(2008・12月21日) 
 
         お後はよろしいようで・・・
・・・・・・・
2003年12月21日(日)
991, 離婚事情ー2

2日前に長岡の大手通りの市役所サービスセンターに印鑑証明をとりに
いった時、隣りの市役所相談室という小さなコーナーに電話がかかってきた。
老齢の相談員の話し声が聞こえてきた。
「ハイハイ、・・・・・、ところで貴女の年齢は幾つなんですか? 
エッ74歳!その歳で離婚ですか。何をいっているのですか、いいを歳を
して」その声を背にして帰ってきたが、何か切ない思いが残った。
数軒先の近所の人が最近60歳を過ぎて二組離婚をしたとかいう。
以前も離婚について書いたことがあった。家庭内離婚を含めて、5分5分
とは恐ろしいことである。ということは、この文章を書かない方がよいのだが。
 一番に身近にいる他人が連れ添いである。それが一つ屋根に住んで、舅姑
などの圧縮された人間関係の中で二人の権力闘争が絡んでくるから一層
難しい問題になる。その人の全て圧縮されたのが夫婦問題といってよい。
一つ間違えばお互いの人生の破滅も待っている。以前、取引をしていた
メーカーの社長は玄人向きの女好きだが、その結果として奥さんに「?病」
をうつしてしまった。離婚はしなかったが、酷いものだ。この人の過去を
みていると、一番世話になった人の裏切りの積み重ねであった。
勤めていた会社の取引先や同僚を奪っていた。

「自分とは何かを考えるということは、他人とは何かを考えることである」
その一番身近な他人が連れ添いになる。浮気や、可処分所得の分配、互いの
身内との人間関係などで、自分と他人の関係の接点でトラブルが生じてくる。
 ある仲睦ましい老夫婦にその秘訣を聞いたところ「我慢、我慢、我慢・・
ただ我慢!」と答えたというジョークのような話しがある。子供の頃両親の
喧嘩も何回か見てきた。親の喧嘩は一番子供の心を傷をつけるものである。
 子供の神経症は、殆ど両親の不仲からきている。以前、遠い親戚の老齢に
なってからの離婚のことを書いたことがある。やはり、その子どもは神経症
で病院通いをしていた。スナックのママさんを見ていると、結婚は大事に
しなくてはならないものだと実感する。しかし「合わないのは合わない!」
のはよーく解るが! 当たり外れは5分というのも神様は酷な課題を
与えたものだ! 本当! 以前書いた文章です。
 ーーーーー
533, 離婚事情
2002年09月28日(土)
ー字数の関係でカット(2007・12月21日)
  
・・・・・・・
2002年12月21日(土)
617,パタゴニア旅行記(タンゴ)ー4

アルゼンチンタンゴがすばらしい!昔はブエノスアイリスは女性が少なく、
その憂さを晴らすため船員同士が女のふりをしてエロッチクな踊りを
ふざけて踊ったのが由来という。それが波止場近くの娼婦の売り込みの
踊りと変化していった。そして、その踊りが西欧の人達に認められていった。
従って内容はエロチックで情念丸出しのものであった。ブエノスアイリスで
一番の1400人収容の店で、ショーが2時間以上にわたって繰り広げられた。
全く期待をしていかなかったのが良かったのか、初めから終わりまで拍手
喝さいのすばらしいショーであった。お客の全員が感動に包まれ、
アンコールの連続であった。今まで見たショーで一番の感動と言ってよい。
辛口のツアーの同行者もこれだけは絶賛をしていた。この旅を締めくくる
に最高のイベントでもあった。写真を見てもらえれば解るはずだ。
よいのはダンサーが一番楽しんでいる事。心に多くのものを残してくれた。

・・・・・・・
2001年12月21日(金)
276、べきことを、べき時に、べくすべき

ーべきことを、べき時に、べくすべき
 昔からこの言葉が好きだった。「時節到来」ということか。その時
その時の何かの時節がある。 それを見つけ、積極的に挑むということだ。 
昨日書いた「後回し」の諌めでもある。学生時代は勉強を、働く時期には
働き、引退すべき時は引退をという事。これがこのまま出来ないのが人生だ。
あるいは社会だ、それだから面白いのだ。その時のすべきことが見えなく
なってしまうからだ。その意味で家族、親の果たすべき役割は大きい。
結局それを刷り込むのが親の教育だからだ。親として耳が痛いが。
その世界に埋没してしまうと、べきことが見えなくなってしまうことが多い。
常に変化に対し、チャレンジと闘いをしつづけていく姿勢が必要だ。
 その時々、基本としてウオームハートとクールヘッドが必要だ。
 いつもウオームヘッドとクールハートになっているからだ。

・・・・・・・
ある時間の断片
12月21日  ー1968年
 昨日に続き、今日も空白になっていました。 明日からは続いています。
(おそらく卒論の最後のまとめで、書いている余裕が無かったと思います)