『自分史の書き方』立花 隆(著)
   * 「はしがき」と「あとがき」について
 本を読むとき、まず「はしがき」と「あとがき」を読み、「目次」に
目を通し、次に最後の章と、第一章を流し読みをする。自分史を書くとき、
‘「まえかき(はしがき)」と「はしがき」は、最後に書け’という。
書き手と、読み手は、全く逆である。この読書日記も、抜粋した要点を
コピペをし、その前後を、「はしがき」「「あとがき」で挟んでいる。
何年後かの自分と、読み手に、『読書や、ネットサーフィンで、こんな
本を読んだよ!』という報告形式の読書日記である。〜その辺りから
≪ 自分史の場合、書くことは基本的にきまっている。それは、自分という
人間がどのようにできあがってきたか、自分自身のメーキング・オブである。
このあたりで、まず、紹介しておきたいのが、先に言及した、わたしの授業で
最初に提出された自分史を書いた、継潔さん(69歳・年齢は当時。)である。
 わたしが授業の最終段階で述べたことは、自分史を書き上げたら、最後に、
「はしがき」と「あとがき」を付けろということだった。そこまでいって
はじめて自分史が完成したといえるということだった。われわれプロの物書き
にしても、一冊の本を仕上げるというのは、「はしがき」と「あとがき」を
書き終えたときなのである。
ここで大事なのは、「はしがき」は決してはじめに書くものではないし、
「あとがき」は全部が終わったあとに書くものではないということだ。
「あとがき」というのは、手紙のポストスクリプト(追申)みたいなもので、
書き終わったあとに、あ、そういえば、あれも付け加えておかなくては、と
あわてて付け加える「ただし書き」のたぐいと思えばよい。それプラス、書き
終えての自分なりの感想である。ずれにしても、本文部分を全部書き終わった
あとで、「あとがき」は自然に出てくるから、出てくるままに書けばよい。
そして、「はしがき」はそのあとに書くのがよい。全部が完成したところで
(「あとがき」までいったところで)、自分史を書くということがどういう
ことであったのかがあらためて見えてくるはずである。その上で書くのが
「はしがき」だということだ。・・ ≫
▼ この随想日記も同じこと。 「はしがき」と「あとがき」は、本文を
 俯瞰して、書き足し、説明の役割を果たすこと。だから、まず、読み手は、
そこから入ればよい。
・・・・・・
5029,ポジティブ・サイコロジー ー①
2014年12月21日(日)
『 ポジティブ・サイコロジー「よい生き方」を科学的に考える方法 』
 クリストファー・ピーターソン (著)を、借りてきた。
『幸福優位7つの法則』の次に読むのに丁度よい内容である。
図書館で、この本を手にとって、以下の部分に目が釘づけになった。
【 おそらく、幸せに関する研究で最も特筆すべ一貫性のある発見は、 
「大多数の人々が予想以上に幸せである」ということだ。指標にも、また調査
対象者の標本にもかかわらず、大半の人々はニュートラルの上、つまり指標の
真ん中の点より上の部分あたりで生きている。人生はたいそう悲劇的なもので、
人々は大変悲惨な状況にあると思い込んでいる私の同僚の心理学者たちが幸せに
関するこの事実に向き合うことを私は願ってやまない。幸せに関する調査は
数多くの国で実施されてきたが、調査結果はだいたい違いを強調する形で示される。
違いは興味深いものなのだが、アメリカの億万長者だからとか、インド・コルカタ
の路上生活者だからといって、そうした違いが大半の人々にとっての本質的な
幸せを曖昧にすることがあってはならない。・・ 】
▼ フロイトユング精神病理学の先生で、潜在意識など、精神症、精神病の
 学者である。だから、調査をした心理学者は、指標の真ん中より上に、大半の
人が住んでいることに驚かされる。そういう私も、実は、7〜8割の人が、
自分は不幸と思っていると思っていた。しかし、少し考えてみれば、どうだろう。
まずは、自分自身である。ある意味で、マサカ有り得ないと思っていた、二つの
経済震災と、自然震災で、この結果になった。しかし、現在、不幸と思ってないが、
現状を知らない人から見たら不幸そのものだろう。それなりの経験と知識が
あって、その対策を40年以上も前から立てていたこともあるが、そのことを
知りえる立場にはない。で、特にネガティブの人が、その視点で物語を創作
しているだけ。人の不幸は蜜の味というが、実は、その蜜は自分の毒でしかない。
 ネガティブが一に対し、ポジティブ三が必要するしかなくなれば、自動的に
それが沸いてくる。 ポジティビティがその効果を現すためには、ある転換点
ティッピングポイント)を超える必要がある。氷が0度を超えると相が転移して
水になるように、ポジティビティ対ネガティビティの比が3:1を超えると
新たなフェーズに突入しポジティビティの上昇スパイラルが発生し、精神の
働きを広げ、生き生きしてくることを、この書も教えている。
だから、この結果も決して悪いものではなかった。とにかく、ポジティブを
三倍、いや6倍以上持つしかない事態だからだ。 まあ、人生は面白い!   
・・・・・・
4662, 米国社会の貧困問題
2013年12月21日(土)
先週、何気なくBS/NHKをみると{アメリカ冬の時代〜転落する中産階級〜前編}
の再放送をしていた。二日続けての再放送だったが、深刻な内容。 この春、
NHKで「シリーズ 貧困拡大社会―奪われたアメリカン・ドリーム―」を
放送していたが、この続編的な内容。遅かれ早かれ、日本にも生じてくる問題。 
いや、既に部分的に起きているが、生活保護が手厚いので大部分が救われている。 
しかし地方経済の惨状は厳しい。一つ間違えば、ドン底の事態が口を開けて
待っている。 ー内容といえばー (NHKのブログより)
《(前編)ー金融危機の余波を受け、かつての中産階級が貧困にあえいでいる。
 オレゴン州ポートランドで、負のスパイラルに陥っている人々をひと冬に
わたって見つめるドキュメンタリー。生活に行き詰った家庭を支援するNPO
団体「211」のホットラインには、毎日、せっぱ詰まった電話がかかる。
 その多くが、金融危機前、念願のマイホームを手に入れてアメリカン・
ドリームを実現しつつあった人々だ。
・3人の子どもを育てながら失業したある夫婦。家のローンに追われる中、
 ついに電気代が払えなくなり、寒い冬を暖房なしで暮らしている。
 なんとか仕事を見つけようと奔走するが・・・。
・銀行の保証制度を利用して住宅ローンの負担を減らそうとしたベン夫妻。
 審査の結果「まだ支払えるレベル」と却下された。しかし、本当に支払う
 余裕がなくなったときには、手遅れだとして立ち退きを言い渡された。
 こうした家庭を支援するべき公共的なセーフティネットは、どこも
 財政難で弱体化し、機能を果たせなくなっている。これがアメリカで
 進行する貧困の実態の一部。  
  (後編)オレゴン州ポートランドで、負のスパイラルに陥っている
      人々をひと冬にわたって見つめるドキュメンタリー。
・住宅ローンの支払いに追われ、電気を止められてしまったある夫妻。なんとか
 パートタイムの仕事を見つけたが、新しい職場で人種差別に遭い、解雇される。
・最近夫を亡くしたジャネットは、11歳の息子とシェルターに身を寄せるが、
 生活のあまりの変化に息子は情緒不安定になった。
・5人の子どもたちを抱え、電気も水道も止められたマイクの一家。親切な隣人の
 ガレージから電源を使わせてもらっているが、子どもたちは勉強に集中できない。
 こうした子どもたちがドロップアウトし、貧困が次世代に連鎖する事態が深刻に
 なっている。生活支援のNPOのホットラインに電話をかけてきた家族を定点観測し、
 普通に暮らしてきた人たちを初めて襲う貧困の実態を描く》
▼ TPPは、太平洋沿岸地区の各国が、アメリカンスタンダードの基準に
従い垣根を低くしましょう!ということ。確かに競争力は弱肉強食の方が強く
なるが、それは近未来に一強多弱社会になり、中産階級が崩壊し、貧困層になる
ことを意味する。が、今さら鎖国は無理。 アメリカは、全人口の16%にあたる
5千万人の貧困者が存在し、その予備軍が同数あり、人口の三分の一が、貧困と
貧困予備軍に入っている。ちなみに自宅を除く資産が1億円(百万ドラー)を
超える数は2009年には780万人(2・7%)に、資産4億円を超える人の数は17%
増加の98万人、存在する。米国民全体でトップ1%の収入(年収約3200万円以上)
の家庭収入は全体で6.8%アップ。このトップ1%の人たちがアメリカ全体の
23.5%の富を所有。日本も、残念ながら貧困国に陥っていくことになるが、
この国の体質では当然である。 今さらアベノミクスじゃないだろう! 
  ーで、去年の以下の文章に続くー  
偶然だったが・・ 成るほど、頭と尻尾から腐るというが。
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4297, 知らなかったミスと、知ってて犯すミス
2012年12月21日(金)
「知らないで悪いことをしてしまうのは、知っていて悪いことをするよりも、
 良くないことだ!」
ふと目につき頭に残っていた言葉で、考えるほど面白く深い問題である。
学生時代になるが、ある人物が近づいてきた。純粋でフレンドリーの都会人で、
地方出のアウトサイダー?の存在の珍しさに、新鮮な驚きを感じたようだ。
しかし直ぐにハッとし、その人を遠ざけた。気を許し何か変わったことを言うと、
純粋?のため新鮮なのだろう、彼ら都会仲間のネタにされているのに気づいた。 
他の友人の家庭内や、個人のプライバシーを、本人が居ない時に、聞いたまま、
悪気なく話をしているのを聞いた時に、これは付合う人物でないと確信した。
問題は悪気がないことである。今回取り上げた、「知らないで悪いことをして
しまうのは、知っていて悪いことをするよりも、良くないことだ!」と同じ。 
それを、そのまま書いていること自体、書かれた方からみたら同じ誤りを私が、
ここでしていることになる。人生を一歩ひいて振り返ると、この言葉の重みを
実感する。知らないため、あるいは逆上せ上り、甘い見通しで、多くの失敗を
してきた。それらの失敗原因を、数十年も経った現在でも気づくことが度々。 
以前、卸業をしている知人が「小売をやりたいが助言をして欲しい」と言ってきた。 
 「倒産した店の店長をしていた人物を採用しようか判断に迷っているが、
どういうものですか?」という。そこで、「その経験がプラスとマイナスの
場合がある。思い切り違う分野の人も面白が、素人は、やってはいけないことを
平気でどんどんする危険が大きい。その点で、その人物が持ち込んでくる経験を
上手く誘導できると思えば、採用すればよい」と答えたことがある。 
それにしても知らないことが、あまりに多い。それより、知らないことを
自覚できないで、失敗したミスが多かった。先日、取り上げた「しまった!」
に、その心理が書いてあった。若気の至りの失敗は、知らなかったミスだが、
若気の至りの失敗を多くしなかったことこそ、最大の失敗になる。
ミスは、実践する上で必ず付随するが、要は、ミスの要素を潰しておく
事前準備と、その対処になる。それにしても、震災型の経済変動が、
これほど激しいとは、知らなかった。いや、知りようがないこれは。言い訳か!
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3922, 精神力ーその偉大な力 ー12
2011年12月21日(水)
  「 精神力ーその偉大な力  ー 」 ダン・カスター著
  * 取り越し苦労をやめるには
 20歳代半ばまでは取り越し苦労をする方だったが、人生経験を重ねるに従い、
「その時になれば、その時!」という言葉が自然と出るようになった。事前に
考え尽くし、最悪も想定して、その対処を列挙して対策を練った後は、その場に
実際に立って知恵をだすしかない。あんずるより産むがやすし、が現実である。 
この本にも、そのことが書いてある。人生は最善を尽くした後は、なるようにしか
ならないのである。未来を恐れない、後悔しないこと、最後は自分独りであること
を充分自覚することである。  取り越し苦労で、多くは自滅をしてしまう。 
 ー まずは、その部分ー
【 仏教徒は、「感情の王国の二つの悪魔は、怒りと恐れである。怒りは燃える
 激情、恐れは凍る激情である。」と言う。怒り、いきどおり、抵抗は、過去に
起こったことへの非健康的な反応です。取り越し苦労は、将来起こうるだろうと
思うものへの恐れは陰惨な非健康的な反応です。起こってないが、起こるだろうと
恐れることです。それは苦難を求めて手を差し出すことです。その習性は繰り返す
ことで現実になることが多いのです。取り越し苦労が頭によぎったら
「悪魔よ、我が後ろに下がれ」と言うがよい。 ・・人間は推理しうる唯一の動物。
推理することは連想すること。取越し苦労は、その推理をマイナスに使うことです】
▼ 取り越し苦労も、必要な場合もある。しかし、やる前に、自滅して人生その
 ものを無為に過ごすほどの失敗はない。どんな問題でも、その中心点を想定し、
エネルギーを集中し続けていれば、いつの間にか、その問題は解決することが多い。
  ーここで著者は次のように自己暗示の言葉を述べているー
《 私は健康で幸福で自由だ。私の知る最善の方法で、なすように計画されたこと
をしている。家族、友人、隣人、仕事仲間を愛している。けんぜんで、そして完全
な創造的な方法で大生命力を表現。最善が私から出ていくので、最善が私に帰る。
愛と善意が不断に私を通して流れ、接触するもの誰しもが私が身を置くあらゆる
ものを祝福する 》 何か、教会で牧師の説教を聞いているようだ。それでよい。
取り越し苦労に身を焼いているよりは。20歳代半ばに、不安の中、誰知れず必死
に読んだ本を40年過ぎた現在に読み返し、納得し、事前、事後を見つめる
のも面白い。信念、志は心の基礎である。
・・・・・・・
3557, 今までいきてきた中で一番幸せ
2010年12月21日(火)
 1992年に岩崎恭子バルセロナの平泳ぎ200Mで、よもやの金メダルを
とった時の言葉「今までいきてきた中で一番幸せ」を今も鮮明に憶えている。
当時、14歳の中二の女子が、直後発した言葉で注目されたが、時間が経つに
つれ、その言葉に対する反発が声無き声?として世に広がっていった。
そのためか本人はマスコミに出なくなってなってしまった。世の大部分の人は、
多くの苦労を背負い、日向に当たらず消え去っていく。ところが幸運が重なり、
あの若さで金メダル。その一言で一生、その重さを背負うことになった。
この言葉は、苦労に苦労を重ねた末に発する言葉。人生を振り返ってみると、
心の中で何度も呟いてきたことか。他人がどう思おうが、この言葉が芯から
発することが出来れば、れで良いのではないだろうか。14歳の女の子が、
その時に、そう思ったのだから、世間様がとやかくいうことではない。
 ところで、スポーツ選手が色いろの言葉を残している。
長島茂雄は「失敗は成功のマザー」とか、清原の「どん底に入る時は、
底をもっと掘れ、そうすれば、そこはどん底でなくなる」とか。ことをなした
から、人も注目をするだけ。ところで「今まで生きてきた中で一番幸せのことは、
何?」とは、至高体験から発する言葉。感動、感激の極みである。
その経験なら数限りある。その一つを限定など出来はしない。
これも受けとめ方の問題があるが。 逆に何気なく誰かが言っていた言葉、
「これまでの人生で、あまり良いことが殆ど無かったな〜」を聞いたとき、
エッと思った。 同じ体験をしても、感受性がないのである。言葉として、
それをパック出来ないのではないか。「幸せを感じる力」が無いのである。
「感動、感激を求めて多く経験すれば、その積み重ねが、更に感動、感激を
引き寄せる。それが、「今までで一番幸せ」を感じる経験を多くもたらす。 
手っ取り早く 「私は幸せ」を口癖にし、心の芯から言える訓練をすればよい。
近くの山にでも早朝に登り、日の出をみて、幸せ!と思えれば、数限りなく
幸せと思えるのである。 傍から見たら御目出度いと見えても、それで
良いのではないか。要は、幸せ感は自分が作りあげていく心情でしかない。
それにしても、最近、溜息が多い! 良いこと三つに、悪いこと一つは
仕方ない! 半々? それは受けとめ方、次第。
 ・・・・・・・
3182, Twitter の意味すること! ー2
2009年12月21日(月)
 私の、この随想日記の一行が大よそ50文字である。ということは、140文字
といえば三行になる。そうすると、「要するに」「つまり」の要点か、本音の
ツブヤキしかない。だから面白いのである。新聞は、500〜1000文字が、
雑誌は、1000〜2000文字が記事としての目安。相手に大よその情報を
伝える場合は、200文字という。それを三分の一の140文字にするのは大変。
だから「思考の断片」か「自然にでた本音」を書くしかない。「つぶやきしろう」
とかいうのもいた。小泉元首相が一言コメントで、国民の心を捉えたことも
あったが、今からすれば、国民にたいするツブヤキでしかなかった。
 ところで、著者はTwitterマーケティング活用の可能性について言及。
その目的を「情報発信・PR」「ユーザーサポート」「ブランディング
の3点と整理。その上で、ユーザーから得られるものとして、「ダイレクトで
リアルタイムな反応」「ユーザーがどこでつまづいてるのか」といった
サポート的な情報、「Twitter上でブームが起きる過程」が調べられるという
3点を挙げている。 またTwitterを「マーケティングには間違いなく使える」
と断言。取り組むべき最大のポイントとして、
・コストが安いことを挙げた。無料でアカウントを開設でき、
 担当者が1人いれば情報発信できる。
・さらにTwitterには「ゆるい雰囲気」があるので、企業もできる範囲で
 取り組む“ベストエフォート”が許される環境にあるという。 
Twitterには面白い発言がフォローを集め、クチコミで広がるためサービス。
「社内で面白く、トラブルに対応できる人間にTwitterをやらせる」ことで
色いろなノウハウが得られる、という。グーグル社が「ユーチューブ」を
1500億円で買収されたが、現在の米ツイッター社は900憶円の価値という
から、如何に数秒で発信できる、この手軽なミニブログの凄みの大きさに
驚かされる。「今の六本木の映像が見たい」と入れれば、六本木のあらゆる
場所から、携帯電話の生映像が見ることが出来るのも一年以内に可能という
ことになる。面白い時代である。