2007年10月14日(日)
2385, 私の嫌いな10の人びと −3

「私の嫌いな10の人びと」 中島 義道 (著)  ー読書日記

2章の「常に感謝の気持を忘れない人」が中島らしく面白い。
少し歯切れは悪いが、それでもただ無闇に感謝する日本人の感覚に疑問を持つのも、ご尤もである。 
感謝を売りにして一財産をなした小林正観という人もいる。この人の本を何冊も何度も読んだが、
一度ひいてみれば、所詮は「感謝という言葉を売りにして、一財産を築いた男」でしかない。
英語で、まず憶えるのはイエス、ノーの次にサンキューであるから、大事なのだろう。
営業の場合、この人の本を読んで心から感謝をする訓練をすれば、営業ギアは一桁は間違いなく上がるだろう。
といって熱くなり過ぎも問題。 何か宿泊施設がある会があるようだが、集まるのは羊たち。
隠れ狼からみたら、これほど美味しい集団はないだろう。 少しは哲学の本を読め!ちゅうの。
手っ取り早く、効果を求めるものではない! 「このウマシカ!」と言ってやりたいが!
しかし、感謝の念が足り無すぎる人があまりに多いが・・・。それより無知の方が問題じゃないのか?
いや、自分が無知ということを自覚すること!それが哲学だろう! 自分のことだから!よーく解るの。
      
ーまずは、その一節を書き出してみるー
おうおうにして現代の日本は、これを知能指数ならぬ「人間性指数」とかみなし、全ての人に高飛車に強制し、
これが欠如している者、希薄な人を欠陥人間とみなす風潮がある。 そこには、身動きの出来ない定型化があって、
一種の魔女裁判のような糾弾の姿勢に対して、疑問をなげかける。
一見平和の日本では、この感謝の念の足りない人に対する異端裁判が日々行われている社会である。 
何かをしてもらった時に、感謝したい気持になる時と、感謝をしたくない時がある。 
それは、相手が自分に何を期待しているかによる。何も期待してないとき、われわれには自然と感謝の念が湧き上がる。
しかし背後に、相手の自己利益や、計算高さ、自己愛、放漫さ、自分に対する軽蔑、恩着せがましさや、
見返り・・・などが透けて見えるとき、とっさに感謝の言葉を呑み込んでしまうのです。
 常に感謝の念を忘れない人は、困ったことに、自分が心がけているように、
それを人類の普遍的法則のように、全ての人に要求します。そして裁きます。
しかも、絶対に表向きでなく、じろっと白い目を向けて、感謝のない人を裁きます。
現代では、現代の日本では、感謝を忘れない人がうじゃうじゃ生息していて気味が悪い。
とくに私が生理的に受け付けないのが、女性に多いのですが、頼みもしないのに、色いろ世話をやく人。
ここまでは、まあいいです。気心がしれてない、膨大の人は、私がちょっとでも恩恵を受けると、
全身を耳にして私が感謝の言葉を発するのを期待するのです。私のように世の大多数と信念や趣味が
ずれていると、他人から受けた普通の好意に感謝の念が沸いてくることはないです。
 −−−
感謝は大事であるが、感謝を意識しすぎると、他人にまで無意識に強要してしまう害を言いたいのだろう。 
感謝、感動、感激、驚き、歓喜は最も大事な心の働きで、常に忘れないことである。
それは自分の心の奥で培養すべきこと。三波春夫の「ありがたや節」として呟いていればよいもの。 
何ごとも中庸、中庸!       感謝ヽ(´∀`*)ノ感激ヽ(;´Д`)ノ雨ヽ(@´з`@)ノ 嵐♪
                               ┌(。Д。)┐ あは
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