つれづれに

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2977、父親の37回忌に
2009年05月30日(土)
 今日は父親の37回忌。亡くなって、36年になる。命日に何度か父のことを
書いたが(後でコピー)、テーマにすることが供養になると思い書いてきた。
父親のことを考えると、自分とは何だろうという哲学的な問いになる。
私の場合は特に父親の影響が大きかった。誰でもファザコン、マザコンだが、
父が43歳の時に産まれたこともあった。そのために幼児から少年期の記憶に、
父の所業が記憶で多く残っている。 母親は仕事の前線に立っていたので、
父が何時も私を連れて街の何処かにつれ歩いていた。その為に父が亡くなるまで、
その影響は大きく、27歳で亡くなった時に初めて精神的に独立をすることが出来た。
(同時に結婚をしたこともあるが) 父が私の年齢(63歳)の時に、私が20歳
だったが、その時の父は元気溌剌だった。時代は昭和41年(1966年)、高度経済
成長期真っ盛りの時期。 その時代と現在を比べると、その段差には大きい。
まだ日本中が坂の上の雲を見つめて急成長の頂上にいた。父は明治38年生まれで
家を中心に常に考えていた。父の頭の中は戦前、戦中、戦後の経験が重なって
おり、そのことを事あるごとに話をしていた。 特に長岡の戦災体験は生生しく
残っていたようだ。また戦後の時代の流れの激しさに焦りを感じていた。
ソ連も、昭和40年代が絶頂期で、20年あまりで消滅するなど、考えられなかった。
また、アメリカもその後20年もしないうちに、壊滅的経済破綻になるとは・・
父を思い出すというより、父の視線で世の中の変化を見ている自分がいる。
命日に父のことを書いた文章を読んでいると、父の影響が大きく自分に影響して
いることがわかる。その枠を破壊できなかったのか、それとも、それはそれで
私らしさで、そのまま結構なのか? いや、出来の悪い1・2代目でしかない。 
しかし自分の心に誇れる父を持てたことは幸せである。それに引き換え私と
きたらまったく? 今さら、どうもこうもない。 以前、父の魂が自分の魂と
合体したような不思議な夢について書いたことを思い出した。その辺のことを
書いた文章をコピーしてみた。 さて墓参りである。
  これだけ毎年のように書いていれば、下手な法事より供養になるだろう。
▼ H0407霊的体験
 二十年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な体験を
してみた。死後一週間後位に妙な夢をみた。私自身父の気持になり
“死にたくない。もっと生きたい、生きたい”という“念”になった夢。
そして夢よりさめた時の妙な気持。私自身父になってしまった。いや私自身
(父自身)生きている!という妙な不思議な感覚である。夢の“念”は父その
ものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が自身実感できたのだと思う。
それが夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒になったという不思議な実感。
経験した人間ではないとわからないはずだ。また死後二~三日後の夢も強烈な夢
(?)であった。何か強烈な恐怖感がおそってきた。その時、父のベットで
寝ていたが“おやじ助けて!”と言ってしまった。と同時に廊下の向こうの仏間
より本当に強烈な“引力”が足をひっぱった。そのひきずりこまれた瞬間ベットに
しがみついたがその時隣に寝ていた母がスクッと立ちあがりトイレに行った。
全身汗びっしょりであった。まだまだ不思議な事がいっぱいある…。
あれ以来最近は少なくなったが幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。

・・・・・・
 2613, 閑話小題
2008年05月30日(金)
 ー今日は父親の命日ー
父親が亡くなって35年、36回忌である。
毎朝、仏壇で、父・母、兄・姉、義父・義母、そして10人位の因縁のある
故人の顔を思い出し手を合わせている。一番初めは父であるが、父の愛情の上で、
現在の自分があると歳を重ねるほど実感する。家庭的には恵まれていた。
特に両親との相性が良かったことが私の人生にとって一番の要だった。次には
家内との相性だが、それなりに?この文章を推敲、ネットに上げ、墓参りに行く。
 ー交通事故死がピーク時の三分の一だとー
交通事故死が5744人と54年ぶりの低下とマスコミが報じていた。
昭和45年度には16765人というから三分の一に減ったことになる。
車の数は数倍になっているはずだから、十分の一以下になったことになる。
一昨年の福岡市の3幼児死亡事件で警察庁が飲酒運転の強化を図ったことと、
シートベルトの義務化が大きな要素になっているという。去年の交通事故死
の半分近くが、65歳以上の高齢者で占めているというから、年寄りは交通事故
には特に気をつけないということになる。10年近く前で、一万人を割ったと
聞いていたが、ここまで減っているとは知らなかった。

・・・・・・
2248, 耐震偽装 -4
2007年05月30日(水)
         ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆
国家ぐるみの犯罪ネットの被害者・藤田東吾の目からみた
マスコミ、特に報道番組の批判が注目に値する。
マスコミは第三の権力機関と言われているが、
これほど「危ない性格」を持っている事実を思い知った。
藤田東吾はつくづくと言っている
「僕は、この事件に遭遇するまで、自分に利害関係が生じないような記事や報道を
 そのまま鵜呑みにしてしまったと思う。今それが間違いだったと実感する。
 すべてに疑いの眼差しを注げというのではない。今回の事件で、
 正しく見ようとし、考えようとする姿勢を、取り戻しただけだ。」
確かにマスコミの視線は鋭いが、あくまで大衆は娯楽としてしかニュースを捉えない。

自分の人生を国策犯罪で叩き壊された男の実感は心うつ。
ーー
P-398
言葉は悪いが、『報道ステーション』は、ストーリー中心のバラエティー番組に過ぎない。
一番ひどかったのは日本テレビの『NEWSリアルタイム』だった。・・・
同行していたさとさんが帰る道筋、「日テレは読売だから危険だと言ったじゃ
ないですか。日テレの局内があんなに敵視していた雰囲気は異常ですって。
渡辺恒雄が裏にいるからなんですよ。」
さらにさとさんは、「日テレに比べれば、まだ事前に放送のストーリーを
教えてくれた『報道ステーション』は良心がありましたよ」と、
落着を取り戻して付け加えた。さらに、「『スーパーニュース』の木村太郎
質問はずれていたけど、あの元地検の河上和雄は、藤田さんの首を取ったみたいに
・・・最悪ですよ」と再び怒りをもって言ってくれた。

僕は、耐震偽装に関する番組に登場する人々の中で、
テリー伊藤がコメンテーターとして最も「資格がない人」だと感じた。
彼は元々ジャーナリストではない。テレビの構成作家というか、
プロデューサーというか、そんなジャンルから出てきて、今はタレントとして
名が通っている。ジャーナリストではないので、ある意味テレビ受けをする
言葉を使って、時に辛口の、また時にはユニークな視点からの発言で、
時勢を捉えたコメントを披露している。
しかし、こと耐震偽装に関しては、国策に乗った意見を徹底的に言うだけだ。
この事件を「ヒューザーとイーホームスとの民間同士の争いに納めてしまおう」
という国策に乗った発想だ。

後日、TBSの南さんが、きっこの日記はブラックだ」と言った。
そして、「自分たちのような報道関係者はホワイトだから、『きっこの日記』に
メールをしたのは明らかに間違いだ」と指摘された。
「藤田さんは墓穴を掘ったかもしれない」
「ホワイトは裏を取り、真実を伝える。ブラックは裏を取らないから信憑性はない。
だから、きっこと繋がるイーホームスの藤田はイメージが落ちるはずだ」
南さんは賢い人だと思うが、自分が国策の下、報道の対象になったことがない。
もし、自分が対象にされたら、この人が言うホワイトの連中がブラックだ、
と言うことを思い知るだろう。結果として、僕らが主張した客観的事実を
報道してくれたのは日本のメディアは、唯一「きっこの日記」だけであった。

僕は、この事件に遭遇するまで、自分に利害関係が生じないような記事や報道を
そのまま鵜呑みにしてしまったと思う。今それが間違いだったと実感する。
すべてに疑いの眼差しを注げというのではない。今回の事件で、正しく見ようとし、
考えようとする姿勢を、取り戻しただけだ。
この事件の体験に従えば、渡辺恒雄も、読売新聞の記者も、『リアルタイム』の
笛吹雅子も、河上和雄も、そしてテリー伊藤も、報道番組に出る資格があるかどうか。
たとえ彼らが他の局面では評価を得ても、こと偽装事件に関しては、
羊頭狗肉であったと、思わざるをえない。
ーーーーーーーー
解)私が嫌いなマスコミのコメンターとして、ミノモンタがいる。
 上記のテリー伊藤のような軽い内容を主婦を意識してコメントする。
 そこには、人間としての誠実さのカケラも感じない。
 如何でもよいことだが!マスコミの恐ろしさの一端に何回も触れたことがある。
 ことニュースに関しては鮫の集団になりえる存在である。
 
           (○´ω`○)ノ**SeeYou
 ・・・・・・
 2006年05月30日(火)
1883, 閑話小題ーつれずれなるままに
             おはよ~!(*^ワ^*)i

ー水の都・新潟ー

新潟駅近く(車で5分・徒歩20分)に数年前にできた「朱鷺メッセ」がある。
先日その中のシンボル的な高層ビルに初めて登ってみたが、
なるほど30Fからの展望は素晴らしい。
新潟市が水に囲まれた県都ということが実感できた。
    初めて新潟を訪れた東京の知人は、東港や飛行場や古町などを移動中、
    車からみる自然の美しさに感嘆の声をあげていた。
    地元にいると、それが当たり前に見えているので、
    新潟を客観的に見直すよい機会になった。
景観が少し問題になるかもしれないが、新潟の古町や朱鷺メッセや飛行場を
結ぶ展望のよいケーブルカーを通すのも一計かも知れない。

ー最近の月刊誌ー

最近、図書館で数ヶ月前のものだが「月刊現代」や「文藝春秋」などを、
借りてきて読むことが多くなった。
二年分の古い月刊誌の中に、なかなか面白い記事に行き当たる。
月刊誌などは、少し時間が経った方が冷静に読めるのかもしれない。
当たり月刊誌の中に面白い記事が次々と出てくる。
以前は、「新潮45」か「現代」か「文芸春秋」のいずれか一冊を
買って読んでいたが、10年ほど前からは週刊誌を含めて殆んど買わなくなった。

    ある月刊誌の編集長に直接聞いたことがあるが、
    編集するほうにとっても、当たりと外れがあり
    それも発行して初めて判るという。
    
図書館の古い月刊誌の中から、
  面白そうなものを探し出すのも面白いものである。

ー秋田小一男児殺人事件の犯人は?-

昼飯に喫茶店に行ったところ、普段は読まない「フライディー」があった。
「秋田の小1男児の殺人事件の犯人?
 その男児に殺害現場を見られたため殺害した」
と、その辺では誰もが噂をしている、という内容であった。

    その一軒おいて隣の、やはり殺された女児の母親の写真が出ていた。
    見るからに「お水」の容姿であった。
    男出入りが激しく、男がきている時は女児は家の外に出されていたとか。

パトカーが常時家に張り付いていて、そのことに腹を立てて怒鳴り散らしている・・・
危ない写真情報誌だから書けるのだろう。

このような内容は、このお固いこのHPにふさわしくないが・・・・
ランチが出てくるのを待つのに丁度手ごろの内容だった。
    
    マスコミも即解決よりも、時間があった方が視聴率を稼げてよいのだろう!
    事実は小説より奇なりということか?
    売らんがため主婦が犯人でないとワザワザ見出しにする巧妙な週刊誌もある。
    先週中の逮捕と思っていたが、少し遅れ気味か?
    ドンデン返しの結末はないだろう! ニュースの劇場化か。

                  (ノ*・ω・)ノ ホンジャまた! 
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2005年05月30日(月)
1518,今日は父の33回忌

去年の今日も、父の命日のことを書いたが。
私にとって父の存在はあまりにも大きかった。
そして、今でも父の影響から抜け出てないといってよい。
明日は、身内だけの33回忌の法要である。

父の口癖は、『死んでしまえば、それまでよ!』であった。
そして、この歳になっての実感として
『その通りである!』である。
だから、
「早いうちに生きることとは何かを知り、
生きることを第一の仕事としなくてはならない」
ことを学んだ。

末期癌で亡くなる一年間、赤裸々な父の死の葛藤を身近で見ながら、
人生とは何かを教えてもらった。
そして、その後の生きる大きな教えと指標になった。

・何をするにしても捨て身で取り組まなくてはならないこと。
・地元のー痴呆名士ー とは一線を引くこと。
 近所の人とは親しくするな!。
・お金に対する対処を間違うな。
 お金はライフワークの一つとして、取り組むこと。
 人間はお金の前では赤裸々で、悲しいほど弱いこと。
・「女はを持つということは、荷車に大きな重い荷物を持って
 坂道を登るようなもの、遊ぶなら覚悟を持って遊べ!」

この年齢になって改めて父を振り返ってみると益々学ぶことが多くなっている。
学歴は無かったが、接してきた人に超一流の人が多かった。
古物商をしていたためであろう。
深い違った教養を持っていた。
時代を読み取る能力と、人物を選別する能力、そして人間の狡さを知っていた。

さて、これから近くのスーパーで花を買って墓参りだ!

・・・・・・・
2004年05月30日(日)
1153, 今日は父の32回忌

今日は、父親の31年目の命日である。
この世で一人の人を選びなさい、といったら間違いなく父である。
それだけ私にとって父の影響が大きい「ありがとう」と一番いわなくては
ならない人である。
年齢とともに、父親と心の中で話すことが多くなってきている。
一方的に話しかけているのだが、ときどき父も話しかけてくることもある。
もっと以前から事業のことなど話しかければよかったと、今になって思い始めている。
 供養の為に、14年前に書いた文章をコピーしておきます。

-そういえば、この文章を書いた頃のことを思い出した。
ある休日の夕方、TVでお寺の仏像を映し出していた。
そのとき、TVの中の仏像に少し開いていた障子から夕陽があたったのだ。
そして何ともいえない不思議な感じになった。
何だ何だ、今日は何かあるんじゃないか?!と、考えてみたら、
父の命日だった。うっかりしていて、父の命日を忘れていたのだ。

本当に不思議なことがあるものだ!と思った。
さあ父親の墓参りだ!

ーー
H0505小説のような本当の話!

 十数年前、父の七回忌の早朝、母と花を持ち墓にお参りに行きました。
ところがすでに墓がきれいに磨かれており、花が飾られていました。

生前仲のよかった“父のいとこ”が、すでに来てくれたと母と語らい、
お参りをしていると、見知らぬ老人が話しかけてきました。

たまたまその寺の近所に住んでいるというその本人がしみじみ語るには
“自分の子供の高校の入学時に、金がなくコートを買ってやれずに、店にいた父に、
正直に事情を話したところ、父は全く見知らずの自分に、分割払いをしてくれた。

それが本当にうれしくてうれしくて!それで父が亡くなった時以来、
必ず命日にこうして掃除をして、花を供えている”との事。

聞いていて本当に父のすばらしさの一面を知らされた思いでした。
その時、果たして私の七回忌にこんな事がありうるだろうか。
そういう“生き方”を自分はしてきただろうかとつくづく考えさせられる
出来事でした。
父の名前は誠作という事もあり、
それが本人のコンセプトになっていたのだろうか?当時、
丁度今の会社の理念を考えていた矢先、
それが大きなきっかけとなり“誠心誠意”に決まった次第です。

・・・・・・・
2003年05月30日(金)
786, 「随想テーマ日記」は自分史

「5歳の頃」「10歳の頃」「20歳の頃」「学生時代の日記の書き写し」
「30歳の頃」「40歳の頃」と書いてきて、後でよみかえして、
そこに全く知らない自分を見るときがある。
「こんなことを書いていたのか!」と驚くことが度々である。

 当時の自分を振り返っている自分を、更に見ていることなる。
それは過去の二人の自分を冷静に見ていることである。
三者の目で見ているのだ。こういうのを客観視というのだろう。
書くということは冷静に自分を見つめるのに有効である。
そしてそれを読み返すと自分の知らない自分に出会うような気持ちになる。
私以外の人なら、更に驚くのではないだろうか。
そしてその時には見えてなかった自分が見えることがある。
他人からは見えていたが、自分では気がついてなかった自分の姿である。
また、その日に集中した事が文章で残っているのは、自分の道標になる。

この「分類のコーナー」を覗いてみて驚く事がある。
よくぞ真面目に自分の本心とアイデンティテーを書いたことに。
脳の奥の素っ裸の内面がそのまま出ている。
それも露悪の自分がいる。第三者から見たら、これほど面白いものもないだろう。
1000項目が目標である。
毎日書く事で、量の問題を解決してきた。
量をこなしているうちに、質が僅かながら上がっているのも解る。
習慣は力である。

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2002年05月30日(木)
422, ピラミッドの風景 
 ーたとえ話

以前も書いた事があるが?
社会構造をエジプトのピラミッドと、
その周辺の風景に例えで説明すると、いやに納得できる。

 ピラミッドを組織に喩え、
・頂上に向けピラミッドに登る人、
・途中で上るの止めてそこに留まってる人
・ピラミッドをメンテしている人
 
 周辺では
・小さなピラミッドを創っている人
・オアシスで遊んでいる人
ラクダをひく人
・砂漠で住んでいる人
・そこで商売している人

全く上手く社会と組織を説明をしている。
そうすると私は小さなピラミッドを作っている人ということになる。
船も喩えで見ると、組織を説明しやすい。
世界一周する大型船、小さな漁船、帆掛け舟、ボート、丸太とそれぞれの
組織を喩えることができる。一人でサーフィンを楽しんでいる人。

大型船は世界一周できるが、それぞれの仕事を分担されてしまう。
自分は何をしているのか解らなくなる「自己疎外」という問題がでてくる。
小型船なら面白いし、小回りが聞く。
しかし船の行動範囲が狭められてしまう。

丸太にのって遊んでいるのも、それなりに面白い。

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2001年05月30日(水)
[36] 初めてのパソコン教室

今日初めてのパソコン教室に来ています。
自宅から3分のところで非常に便利です。
長岡でその人に合わせた指導を求めている人は 
31-2466 長岡コムネットに電話してください。
2時間で3500円です。
ここの写真を撮って、写真日記に入れておきます。