2006年09月28日(木)
2004, 「私」のための現代思想  −4
       (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ

社会は本来、我われがよりよく生きるためにつくられた筈だった。しかし社会そのものが私たちを束縛し、
苦しめている現実がある。そのような束縛から逃れ、「自由」を手に入れるために、
<社会><言葉><価値> から一段上に立って見直す必要がある。
この本では、その「もう一段上の視点」を <世界>と<物語>であると考える。
次の章では、その<世界>と<物語>について考えることによって、
束縛から逃れる方法を模索しているが、ここでは他人の集まりの社会について説いている。
     
     社会といえば、もっと身近で世間様がある。 その辺の卑しい?人の目を言うが・・。
     社会と世間は、他人の集まりという面では共通だが、至近の人間関係を世間という。
     その世間を卑しいというのも、問題があるか?地方で大きな壁になるのが人間関係の固定化からくる
     へドロ社会ー世間になる。「馬鹿の壁」と割り切るしかないが、その一員でしかないのも事実である。
     その壁は、所詮その社会の一員である自分自身そのものになる。  
     
 《 社会についての要点を抜粋してみる》
第一章 「私」を縛るものは何か ー?
  ーー≪社会≫についてーー
    
 ー 「生ー政治」 ー
フランスのフーコーは、「生かしつづけることを基本的として採用している政治」のことを、「生ー政治」と表現している。
そこでは、「生かすこと」が政治の基本原理であり、それに則った施策が実行されます。この生かすとは「≪身体≫を生かす」
ことを意味しています。すなわち、生物的な「生」を継続して維持するために、さまざまな政治的営みを行うことが、
現代の基本的な手法として存在しているわけです。そして、それは管理のための「究極の語彙」として意味を持っています。

《国を生かす、地域を生かす、国民を生かす、社会資本を生かす、のが政治の目的ということか!》
                   註= 《   》は私の言葉     
     ー 「生ー権力」 ー
    政治の目的は管理であり、また政治を行う者たちの目的は、自らが管理者になることによって、
    それに付随する力を所有することが大きな部分を占めています。「生ー権力」は「生かすか殺すかを決定できる」
    ということを背景にして発生します。それは国家権力による暴力によって裏打ちされる力ですが、
    それが発露されなくても問題はありません。潜在的に「殺すことのできる立場にある」ことこそが、「力」の源泉です。    
    《権力の究極は、生かすことも殺すことも可能になること》
 
ー「大人になったら何になるの」ー
この質問にも枠がある。それは「人は大人になったら、何かにならなくてはならない」
という枠である。これを子供の頃から洗脳されてしまう。
社会が私たちを束縛している可能性は政治や、大人の子供に対する洗脳などにみられる。
そこから逃げ出す方法はほとんど残されていない。その中の数少ない方法が自殺がある。
自らの命を絶つことによって、社会という枠組みから外に出ようとするわけである。

《この質問、社会に飛び出すまで聞かされた。しかし最終学年まで自分自身が結論を出さなければならない最重要事項である。
その呪縛から開放されるために教養が必要になる。
数少ない方法に自殺もあるが、積極的に「なりたい自分」を探しつづけることが社会の枠組みからの出口になる》

     ー「自殺を禁止する理由」ー
    「自殺を法的に」(国家が)抑圧しなければならない理由がある。
    その対象とする人間が奴隷や兵隊であるときに如実にあるわれる。奴隷の自殺は、その主人の財産権を侵害する。
    また兵隊の自殺は兵力の減少を招き、戦闘の士気を低下させます。このように、自分で自分の存在を制御することを
    禁じられた存在において、自殺が禁止されてきたが、ほぼ同じ理由でキリスト教も禁止してきた。
    人間は神のしもべであることをその基本原理としている。」

    これは生命は国や神のものであり、個体としての主体が勝手に処分することは許されないということである。
    この理論構成は、奴隷や兵隊における自殺禁止の理由と全く同じである。 つまり「社会の一員が、その役割を途中で
    放棄して存在しなくなる」のを迷惑であるという前提は、「人は社会において奴隷であり兵隊である」という考え方がある。
    しかし我われは奴隷でも兵隊でもないので、また「神のしもべ」でもないので、「自殺の禁止」に拘泥する必要は全くない。
    《{自殺を禁止しているのは「権力者や神のしもべ」という、社会の決め事でしかない。
    社会は他人の集合体である}ということを知れば、別に自殺などする必要がない。》
    −−
  以上だが、
  社会の壁は、社会的基盤を持たなければ乗り越えることができないというのか?
  馬鹿の政治家でも、実力があればよいのか?汚職を手段にしてもオブラートに包んでおけば・・  
                               −  つづく
    まあまあ、モーニングコーヒーでも!
                    ( ^-^)_且~~~       
・・・・・・・・・