2006年09月15日(金)
1991, 仲人・高橋与三八氏を偲ぶ
            ( −」)φ~~
兄と私の仲人をしてもらった高橋与三八さんが亡くなられた。 私の10指に入る恩人である。 
柏崎の出身で、元銀行マン。 大手銀行の再編成の中で、苦労した人である。
日本相互銀行に入行、合併で太陽銀行になり、太陽神戸銀行になり、さくら銀行になるプロセスで定年を迎えた。
多くの仲人をしたようで、多くの人に慕われていた。 私の名前が八郎で、兄が三郎。 その仲人をしたので、
名前どおり「嫁を与・三・八」をした。 面白い因縁である。

家内の父親と何かの因縁で親しくなり、それが私との因縁になった。夕飯近くになるとフラッと来て、一杯飲んで帰る人。
それが家内子供の頃の印象だったという・・あの厳しい都銀の合併の中で多くの嫌な思いをしたのだろう。
酒でウサを晴らすしかなかったのも解るような気がする。人生は甘いわけがない、当たり前のことだが。
入行の時からコツコツと勤めていた銀行の株を買い集め、7万株も持っていたというから、
?億の時価流動資産である。目先の数字をあげることに汲々としている阿修羅のごとき支店長の姿をみて、
馬鹿にしきっていた気持ちが垣間見ることができた。
    
また一人、私の世界から因縁が消えた。ただ、特に先立つ恩ある人には、『ありがとうございました』
という言葉しか出てこない。「お前には、そういってもらえる人が何人いたというのか?」と自分の心の奥から声がする。
そして、更に次の声が聞こえてくる。「人生で何を得たというのか、何を失ってしまったのか?」
最後に残るのは人徳と、誠意と、愛だけだ・・・ 「ところでお前には、あるというのか?」
    さようなら!  与三八さん  ヽ(・_・ ) (・_・)/ (^_^)/~~ まっててね〜 
     最後に逝くから        UvU/  ・・・ (⌒▽⌒)/"”   
     人生完了・おめでとうございます!
                      ( −」)φ~~  v_:    
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