2005年08月28日(日)
1608, 日本人「上機嫌化」プロジェクト−1

またまた斉藤孝だが、文藝春秋・7月号<日本人「上機嫌化」プロジェクト>が面白い。
鬱々とした空気の現在の日本で、読めばみるみる元気になる方法を書いている。
少しふざけた文章なのだが、なるほどと合点がいく。
戦後、日本はバブル崩壊までずっと右上がりの経済成長の環境を背景に、前向きな熱気の中で生きてきた。
失われた10年、いや15年とかいう右下がりの時代になって、全員が自信を失い、前途に明かりを見出せないでいる。

著者は、この文章で、日本人の本来持っているエッセンスを抽出して、社会全体で確認しなおす必要性をといている。
そのエッセンスとして次の6つをあげている。「上機嫌文化」「子供文化」「とにかく流す」「身体からはいる」
「気づかいを育てる日本語」「はかなさを愛でる」である。 その中で特に面白のは、「上機嫌文化」である。
最近は世界でも有数な欝病気質だといわれる。 不景気のせいだが、これは本来の日本の姿だろうか。
私の過去を振り返ってみても、著者のいう「上機嫌文化」が背景にあった。高度経済成長期は特にその傾向が強かった。
彼はこの文章の中で、19世紀末に日本に来た外国人作家などの旅行記に描かれている日本人の姿を紹介している。

ーその文章を抜粋してみる
19世紀後半、日本に1ヶ月ほど滞在してフランスのボーヴォワールは、こんな光景を目にしている。
<たいへんお茶のみで、煙草とおしゃべりが大好きな日本人は、この火鉢を前に一日を過ごす。・・・
我われの入ったどの店でも、我われの国では見られないような丁重さと、人を引き付ける愛想のよさをもって応対した>
また同時期に東アジアを旅したオーストリアの軍人グスタフ・クライトナーはこんな光景をみた。
<荷物を担いでいる人たちは、裸に近い恰好だった。肩に竹の支柱をつけ、それにたいへん重い運搬籠を載せているので、
その重みで支柱の竹が今にも割れそうだった・・・・しかし難儀な仕事をしているにかかわらず、この人たちは上機嫌で、
気持ちのよい挨拶をしてくれた。彼らは歩きながらも、締めつけられた胸の奥から仕事の歌を口ずさんでいた。>
日本人はかって、このようにストレスの解消の手段が非常に多く用意されていた。
まずは、上機嫌を取り戻すことだが、この不景気という環境にとりあえず慣れることか。              
                                    ーつづく
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