つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=zze9EkuAk-8&feature=endscreen

 地元の柏崎刈羽原発の再始動が現実味をおびてきた。
常識的には、真下に地震帯があるのが表立っての再開は、有り得ない。
とはいえ、世界最大規模の、ここを再開しないと、東電そのものの母体が揺らぐ。
柏崎市の財政も、東電からの収入で成り立っている。 
ダウンタウンの再開発も、それをあてにしている。 難しいところ・・・
 結局、「毒を食わらば皿まで!」で、わかっちゃいるけど止められない!ことになるのか。
ところで、福島の原発、どうなるのだろうか?実際は、こんなものではない筈だが。


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1608, 日本人「上機嫌化」プロジェクト-1
2005年08月28日(日)
またまた斉藤孝だが、文藝春秋・7月号
<日本人「上機嫌化」プロジェクト>が面白い。
鬱々とした空気の現在の日本で、読めばみるみる元気になる方法を書いている。
少しふざけた文章なのだが、なるほどと合点がいく。
戦後、日本はバブル崩壊までずっと右上がりの経済成長の環境を背景に、前向きな熱気の中で生きてきた。
それが、失われた10年、いや15年とかいう右下がりの時代になって、全員が自信を失い、
前途に明かりを見出せないでいる。
著者は、この文章で、日本人の本来持っているエッセンスを抽出して、
社会全体で確認しなおす必要性をといている。
そのエッセンスとして次の6つをあげている。、
「上機嫌文化」
「子供文化」
「とにかく流す」
「身体からはいる」
「気づかいを育てる日本語」
「はかなさを愛でる」である。
その中で特に面白のは、「上機嫌文化」である。最近は世界でも有数な欝病気質だといわれる。
不景気のせいだが、これは本来の日本の姿だろうか。私の過去を振り返ってみても、著者のいう
「上機嫌文化」が背景にあった。高度経済成長期は特にその傾向が強かった。
彼はこの文章の中で、19世紀末に日本に来た外国人作家などの旅行記に描かれている日本人の姿を紹介している。
ーその文章を抜粋してみる
19世紀後半、日本に1ヶ月ほど滞在してフランスのボーヴォワールはこんな光景を目にしている。
<たいへんお茶のみで、煙草とおしゃべりが大好きな日本人は、この火鉢を前に一日を過ごす。・・・我われの
入ったどの店でも、我われの国では見られないような丁重さと、人を引き付ける愛想のよさをもって応対した。>
また同時期に東アジアを旅したオーストリアの軍人グスタフ・クライトナーはこんな光景をみた。
<荷物を担いでいる人たちは、裸に近い恰好だった。肩に竹の支柱をつけ、それにたいへん重い運搬籠を
載せているので、その重みで支柱の竹が今にも割れそうだった・・・・
しかし難儀な仕事をしているにかかわらず、この人たちは上機嫌で、気持ちのよい挨拶をしてくれた。
彼らは歩きながらも、締めつけられた胸の奥から仕事の歌を口ずさんでいた。>
日本人はかって、このようにストレスの解消の手段が非常に多く用意されていた。
まずは、上機嫌を取り戻すことだが、この不景気という環境にとりあえず慣れることか。 ーつづく

・・・・・・・
 2004年08月28日(土)
1243.お笑いコーナー
・・今日のお笑いー7
医学生が国家試験の第一問を見た。
「問一:母乳のほうが牛乳より乳幼児に適している理由を五つあげよ」
彼は答えた。
第一に、新鮮である。
第二に、清潔である。
第三に、猫に飲まれない。
第四に、映画館やピクニックに持っていきやすい。
第五に、とっても素敵な容器から出てくる
彼は合格した。
 ーーーーーーー
船で川を渡っていた大学教授が、途中で船頭に尋ねた。
「君は哲学がわかるかい?」
「いいや、聞いたこともないですよ」
「じゃあ、君の人生の四分の一は失われた。地理学はどうかね?」
「いや、知りません」
「じゃ、君の人生の二分の一はそれで失ったも同然だ。天文学はわかるかね?」
「いいや」
「それで、四分の三が失われた」
その時、濁流にのみこまれて舟は転覆し、二人は川に投げ出された。
「泳げるのかね!?」と船頭。「ダメだ!」教授が答えた。
「じゃあ、あんたの一生は全て失われたも同然だ」

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2003年08月28日(木)
876, 「2003年、日本国破産<対策編> 」

  ーYEN(円)と国債が紙クズとなる日が近づいている !?

この内容も前回の本に劣らないほどショッキングである。

・まずは2003年に前兆があらわれる(4年前の文章)
 ー金利上昇、円安、デフレの終了
・2005~7年にはかなりの事があらわれる
 ーインフレのスタートなどのスタート
・2010年ー国家破綻などが私たちの前に重大な脅威として本来の姿を
現す。
 国の借金が雪ダルマ式にふえていき、
 20?近いインフレで国民生活に重大な脅威が生じ始める。
・2010~2015年
 日本がIMF管理下に入る可能性もある。
 (ハイパーインフレと経済の大混乱)
・2025年ー国家破産と老人大国化で政府そのものがぼろぼろに。
 
 インフレ以外は現在の日本は既にその状態であるといっても過言でない。
そして著者が書いている2003年になっても、大した対策を立ててない。
そうすると、この本の通り最悪を想定しなくてはならない。
最近になって、事業をこの規模にとどめていて良かったと思うようになった。
いややり過ぎだったのかもしれない。
昨日以前読書日記に書いた「財産をなくす人財産を残せる人」
の著者・清水洋のセミナーに東京まで行ってきた。
内容を明日書くが絶望的な見解であった。

ー以下は、インターネットで調べたものをコピーしたもの- 
   ・・・・・・・・・・
「2003年、日本国破産<対策編> 」
手を打たない者はハイパーインフレで全財産を失う
いますぐに、全財産の1/3をドルに換えろ !!
(第4章サバイバル戦略より)
国家破産を生き残るための全てのノウハウを満載

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2002年08月28日(水)
502, 40才の禁酒ー隠れ酒の味
30歳になった記念で、10年間の喫煙を止めた。大変だったが、それから体調がかなり良くなった。
そして40歳の年に禁酒に挑戦をしてみた。約半年で頓挫をした。宣言をした翌日が義弟の結婚式だった。
結婚式場で隣の人に「何馬鹿を言っている!明日からにしなさい!」と出鼻をくじかれ飲まされた。
まずは幸先が悪かった。
自分を律する手段で周囲の人に宣言をした。しかし一ヶ月もしないうちに、禁断症状が出た。
そして台所にある料理酒を、皆が寝静まった後に飲み始めた。その後、水を入れて誤魔化すのだが。
だんだんその酒が薄くなり、家内が気がついたのか首をかしげていた。
そして半年たって、人に勧められて一寸一口飲んでから、だんだんエスカレートして、
最終的には元に戻ってしまった。約束をしたメイン銀行の支店長が都合の悪いことに?
転勤でいなくなってしまった事もある。その後その反動で、より痛飲をするようになったのだから始末が悪い。
最終的には、「一人酒をやらない、自宅で日本酒は飲まない、自分から人を誘わない、自棄酒は飲まない」
というルールをつくり自己規制をしている。隠れ酒の酒のうまさは格別であった。
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2001年08月28日(火)
[124] 酒乱-?
酒飲みの悩みの一つに酒乱がある。私も酒乱のけがある。
酒による失敗は数あげれば限がない、命を失いかけた事も何度もある。
ある限度を越すと、スケベイになるか喧嘩だ。最近は笑いだ。とりあえず笑いの種を探す。
5年前に毎年やっているいる高校と小学校の同級会が同じ日にあった。
5年に一回の小学校の同級会に出た。二次会に行くと10人位の暗い集団がいた。
高校の同級会の二次会に遇然鉢合わせたのだ。その時本当に嬉しかった事を思い出す。
その中の一人が「おい堀井!こっちの会にに出てこいや、お前がいねえと葬式だ!」
その時これだな!と思った。愉快な酒これほど楽しい事はない。今は明るい酒乱!になっている。
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H0905 宴会好き!
 創業来16年、当社の宴会が110回以上という。私も宴会が好きな上に支配人がさらに好きというのが
この回数になったのだろう!忘新年会、工事関係の祝賀会、海外旅行の出発、帰国、理由をつけて飲んだもの。
もともと私の父が宴会好きであった。酒はあまり飲めなかったが、その雰囲気が好きで年に2回ぐらい、
無礼講で家族と従業員と取引先数人を集めて50~60人の会を開いていた。これが私の4~5歳の時からで、
親の目を盗んで日本酒を飲んでいた。今考えてみても相当の盛り上がりで、これほど楽しい思い出はない。
芸者や幇間や素人芸人を呼んで“粋”な会でもあった。
丁度、父が私と同じ位の年齢で親子がカタチを変え同じ事をくり返していると思うと“三つ子魂”何やらである。
当時の貧しい時代のハレとケのハレであったのであろう。今でも忘れられない芸の一つがある。
畳の上に一本の紐をおき、その上をあたかもサ-カスの綱渡りのマネをする芸であった。
酔っているその姿が危なく面白おかしいのだ。その人も10年位前、痴呆で亡くなった。