つれづれに

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  今日のYoutube

 5年前の、以下の同月同日の「随想日記」に、iPadの購入について書いていた。
居間で、TVか新聞を見ている合間に、家内か私が必ずといってよいほど見ている。
パソコンは、立ち上げに時間がかかるが、これは一瞬にしてネットサーフィンが
出来るのが良い。 そろそろ別の機種に乗り換え時期だが、どうしてもという
程ではない。 現在は、それよりも、アマゾンの電子本の購入を迷っているが、
これもどうなることか。 



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3807, iPadを買った ー2
2011年08月28日(日)
 iPadを買って六日になる。これはブログ、電子書籍、ネット新聞、メールなど
「閲覧用と割り切って使う」のと「ゲーム」に適している。ゲームやアプリを取り
入れ「自分の面白空間を創造する手みじかで持ち運び可能な電子基地」になる。
これまでのPCを固定電話に喩えると、これは携帯電話、それもモバイル携帯に
一挙に進化したもの。もし迷っているようだったら、買うことを勧めます。
モバイル携帯のiPhoneは私には合わなった。これは、それが大型化しただけ?
と躊躇したが、実際に手にして私にも使えるシロモノ。まずよいのは画面を横に
スクロールすると、ページが次々と切り替わる。これがアイコンの分類によい。
一ページ目に、元もとiPadについていたアイコン。
二ページ目には、気に入ったブログ。
三ページ目には、ダウンロードしたソフト。
4ページ目は、ゲーム等々に分けることができる。これが使う立場から扱い易い。
そしてゲームやアプリなどを、それぞれのページに溜め込むことができる。
現在のパソコンのセカンドとして、閲覧とゲーム専用に割り切るとネットに
繋がる時間が圧倒的に増える。ノートと同じ薄型で、無線のため、持ち運びが
手軽で、これまでと格段にネット世界が広がる。パソコンのある机に縛られて
いたのが、そこから開放されるのは大きい。先ほど述べた携帯電話が固定電話
から人々を解放したと同じで、一度開放されたものは元に戻ることはない。
その意味で、これは革命的進化といえる。モバイルPCはあったが、キーボードで
操作であった。しかし、これは直感的に画面上のタッチ操作になっている。
iPhoneと、どこが違うかのか?というと、まず画面の大きさである。
手帳とノートの差といえば、分かりやすいだろう。講習会や授業で手帳に
書き込む人はいない。誰もがノートである。電子ノートと思えばよい。
iPhoneは携帯電話にパソコン機能をいれたもの。これは電子ノートパソコン
であり、画面の大きいわりに移動時に嵩張らない。週刊誌や新聞も、あと数年も
しないうちに大部分が、これを通してみることになる。もうひとつ、Youtube
ワンタッチで直にみれる。こうなると、文字情報の伝達から画像、映像に手段が
移動していくことになる。ということは、情報が圧倒的に個人間で増加していく。
年内は私に最適なアプリ探しがテーマになるのだろうが、それにしても面白い
ものが出てきた。これにツイッターの映像公開となり、これにネットTVと
きたからには、政治も、経済も、一般消費者の変化に対応出来なって当然。
ネット世界が我われを覆ってきた。

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3442, 我が家に新しいTVが  -3
2010年08月28日(土)
 新しいTVに切り替え二週間になる。画面の鮮明さは説明が難しいほど。
時間が経過しても驚きは消えない。ボクシング、プロ野球、歌謡番組、演奏会、
大自然などの旅番組などの現場の臨場感がこれまでと違う。
剥き出しのエネルギーが、これらから直に伝わってくるからである。
その結果、それ以外のワイドショー、バラエティー、中途半端なドラマなどを、
ほぼ見なくなった。マシーンが逆に視聴者の選択を変えてしまう現象である。
それと対象をリアルに変えてしまうのである。米国の本格的な映画も、これまで
と違った迫力が画面に出るので面白みが倍増してきた。そうこう考えると、
やはり大したしろもの。現場で人間が見える対象より、デジタル加工した方が、
より鮮明になる領域に入ってしまった。これに3Dの立体化された映像が
加わったり、スーパーハイビジョンが本格的に放送されたとしたら、世界各地
に実際に行ってみるよりTVで見た方が良く見えるということになる。
(現に、ある領域では達しているが)その一端を垣間見ているのである。 
実際には現地でみる360度の視界で、五感で体感するものにかなうはず
はないが、視覚・聴覚の世界で数倍鮮明に映し出される世界は違う。 
まだ地デジがアンテナの関係でまだ映らないが、これが入ると本来の多くの
機能が加わる。それが凄い。(8画面を同画面で見たり、地デジ8チャンネルを
26時間録画したり・・)高機能TVというより、未来の先取りのTVという
感である。 テレビなどバカが見るもの!は間違いない事実。しかし自分が
行った旅先の映像が、より鮮明に画面に映し出され、深く浸かることが可能。
面白い機能のひとつが、テレビのセンサーが室内の照明や室外からの陽光を読んで、
画面を修正する「おまかせ」がある。 テレビは、それぞれの家庭の居間で
毎日、顔を突き合わせるもの。そのため、メーカーは、そのシェアが即、
会社の力をあらわす。そのため、いずれも総力をあげ商品作りをしてくる。 
一歩出遅れた東芝がプライドをかけたエネルギーが伝わってくる。

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2702, 閑話小題
2008年08月28日(木)

 *首都圏の不動産の本格的倒産が始った
アメリカのサブプライムローンの影響で、外資が一斉に引きはじめた影響が
出始めた。一昨日も「旭ホームズ」が780億の負債を抱えて倒産。
先日はアーバンコーポレーションが2500億円、旧興和不動産が1700億、
ゼファーが1000億弱、セボンが700億、スルガコーポレーションが600億と、
たて続きに倒産してきた。周辺をみると長岡市内も、新潟市内も、過剰なマンション
建設がおこなわれている。誰が見ても不況の中にあって無謀に見える。 
土地の仕入れから完成まで3?5年は最低かかるので、急な景気停滞に対処できない
のが、彼らの宿命である。完成時には時代が様変わり、というのが現在の経済状態。
数日前のTVで、売れ残ったマンションを買い叩いて再販する業者の特集をしていた。
だいたい仕入れ値が、当初の6割。 2割が経費と利益として、8割の売値が相場。
新潟市内も売り出す前から、既に値くずれが生じているという。これが今後5~
10年間つづく大変動の始まりか。 あくまでも始まりであるところが、恐ろしい。

 *星野野球のバッシングが手厳しい
日本野球が負けた時に、星野野球の批評を書いたが、同じことを解説者が言っていた。
「星野の選定したこと、それ自体がおかしい(現役から遠ざかっていた人物の監督、
コーチでは)」「お友達(同士)野球じゃないか、あれらは」とか、私より厳しい評論。
ところが、昨日の報道では、選手達は五つ星のホテルに宿泊、一度も選手の宿舎に
来なかった、という。これは、既に問題以前の話である。 
「韓国、中国人で笑っている顔は全くないのに、日本人選手はニヤニヤしていた」
「オリンピックだろうが、そんなことは自分には関係ない」と混血ベトナム人
言っていたとか、手厳しい。これが現在の日本の姿なのだろう。

 *ロト6で 3億2000万を当てた男
金曜日に、この題名のTVドラマをしている。 面白そうだが見たことがない。
昨日の昼のTVショーで、このモデルになった人が出てきた。顔を隠していたが、
41歳の独身男のサラリーマン。当てて二年が経つが、現在の残金が9600万円。
そのうち、2億円を株で損。保険の美人に貢いだあげく、下の病気をうつされたとか。
フィリッピンパブの女性にたかられたとか、お金に振り回される日々という。
誰にも話せないプレッシャーと、ストレスが大きいとか。そして、それを知った
女性は、そのトタンに態度が一変して、たかろうと一心になるとか。
その対談をしていた映画監督の山本晋也は、チャップリンの「世の中では、
勇気と想像力と、少しのお金があればよい」の言葉を紹介して、あまり金は
持たないほうが良い、と最後をしめていた。 その男、損をしたとしても
2億6000万円も使ったのだから、そしてドラマ化したのだから。
それだけで良しとしないと。  それより、解るような気がする、
それが。今度、そのドラマを見たくなった。

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2007年08月28日(火)
2338, ホッファー -4

ー更にHPにあったホファー「波止場日記」の中から言葉を拾ってみるー
            ー ~~ ー は感想です。
<たびたび感銘を受けるのだが、すぐれた人々、性格がやさしく内面的にも
 優雅さをもった人々が、波止場にたくさんいる。この前の仕事でアーニーと
マックとしばらく一緒になったが、ふと気付くと、この二人はなんと立派な、
寛大で、有能で、聡明な人間だろうと考えていた。じっと見ていると、彼らは
賢明なばかりではなく 驚くほど独創的なやり方で仕事にとりくんでいた。
しかも、いつもまるで遊んでいるように仕事をするのである>
 ー人間の価値とは何か?最近、解らなくなってきた。誠実であるということ、
そして努力をし続けること、他人と比較しないこと、知恵を出す術を知って
いること、他人ことを気遣いすること、他人に笑顔を浮かべること、迷惑を
かけないこと。その基準で図れば解るはずだがー
 
<労働者としても、また人間としても比類ないニグロが幾人か波止場にいる
のを知っている。この人たちは柔和で、誠実で、非常に有能である>
ー結局は、アメリカこそヒンズー教のような差別・階級社会である。
これだけは、仕方がないと割りきるしかない。おうおうにして下の人の中に、
柔和で、誠実で、有能な人がいるのも解る。ただミス・フィットなだけだー
   
<知識人は自己の有用性と価値とに自信がもてないために、とてもプライド
なしには立っていけないのであり、普通は国家とか教会とか党とかいった
‘ある緊密なグループと自己を一体化してプライドの根拠としている’のである>
 ーロータリー、青年会議所、銀行の主催した会とか、色いろあって名刺に
 ベタベタ書いている立派な方がいる。誰も面と向かってアフォと言わないのが
 日本的で良いが、それにしてもね~。

<自分自身の幸福とか、将来にとって不可欠なものとかが全く念頭にないことに
気付くと、うれしくなる。いつも感じているのだが、自己にとらわれるのは
 不健全である>
ー不健全の何処が悪い?という声が聞こえそうだが、健全に越したことはないー
  
<全般的に見て、教育のある人間より大衆の方が、人類についてよい見解を
 もっている。・・教育はやさしい心を育みはしない>
  ーその人の性格によるが、概してそうみてもよいか?-

<人は、充実した2,3分の間に、数ケ月にわたる努力以上のことを 
 なしとげられるものだ>
  ーそれじゃ、努力した数ヶ月はどうなるの? そういうこともある!
   というのが本当じゃないか!ー

<私は欠点や欠陥にみちた社会に生きている。
 しかし、この社会は全ての人に好きなことをさせる十分のゆとりをもった
 社会である。 ・・干渉されることなく自己の能力と才能を発揮したい人に
 とっては、この国(アメリカ)は理想的な国である> -そう思うから、
 良いんじゃないのですか? 違う?ー

<人間のつくり出した実用的な諸道具は、大部分非実用的なものの追求の
 なかから得た洞察や技術を応用したものである>
  ーインターネットを代表として、軍事産業から民間の転用に多く見られる
   のが良いのか悪いのか? それと昔の王侯貴族の贅沢品?もあるかー

<二十世紀最大の犯罪は、金銭欲にかられた資本家たちによってではなく、
 献身的な理想主義者たちによって犯された。レーニンスターリン
 ヒトラーは、金銭を軽蔑した。十九世紀から二十世紀への移行は、金銭尊重から
 権力尊重への移行であった、金は諸悪の根源だというきまり文句の何という単純さ>
  ー金銭って何?という、基本的な概念が問われなければ、何も解決しないだろうー
 
<仕事に行く気がしなかった。ほとんど一日中買い物をしてすごした。
 エリックに大きなトラを、そしてリリーにはお盆。25ドルばかりかかった。
 昼、株価のひどい暴落を告げる新聞の見出しに気づいた。大変愉快になった。
 ずいぶん意地の悪い見方だが、私がほくそえむにはそれなりの理由があった。
 株価の上昇はしばしば物価一般の上昇を意味してきた。賃金や預金の実質価格の低下
 は数千人のギャンブラーたちの破産よりも影響が大きく、不幸な災難となるのである>
  ーこれ以上、落ちようがない立場の真骨頂であるがー
  
<自由に適さない人々、自由であってもたいしたことのできぬ人々、
 そうした人々が権力を渇望するということが重要な点である。
 ・・・ もしもヒトラーが才能と真の芸術家の気質を持っていたなら、
 もしもスターリンが一流の理論家になる能力を持っていたなら、
 もしもナポレオンが偉大な詩人あるいは哲学者の資質をもっていたなら、
 彼らは絶対的な権力にすべてを焼きつくすような欲望をいだかなかっただろう。
 ・・・自由という大気の中にあって多くを達成する能力の欠けている人々は
 権力を渇望する>   
        -権力って最高の自由って見方は出来ないのか?-

 彼が愛読したモンテーニュの「エセー」の言葉
<ベッドで死ぬよりも馬の背で死ぬべきだと思う。自分の家を去り、縁者たちから
 遠く離れて死ぬべきだと思う。友人たちと愉快に生きよう。しかし、死ぬときは
 見知らぬ人々の中で死のう>
  ーこれに向かって生きたのがホッファーである。孤独を守るこそ人生の核心である。
  言葉では幾らでも言える。しかし、彼は人生を通して彼は守り通したところに彼の
  生き方があるー
              ○´・ω・]ノ ヂャァネッ !
 ・・・・・・・・・
 2006年08月28日(月)
1973, 三回目のケニヤ旅行 -1

ケニアに行ってきた。 家に着いてまだ二時間だが、現実に帰る前に書いている。
これでタンザニアに行った時に通過したことも含めて4回目になる。
旅行をしていて気づいたことは、三回で充分。
タンザニアのセレンゲッテーか、南アフリカのオカバンゴにすべきであった。
といってもケニアの大地は、そこにいるだけでも精気を充電でき、バカンスと
しては十分に満足できた。

今回のハイライトを印象度から書いてみると
①まず初日のサンブルのサファリでみた、豹のペアリングである。
 これは、プロのカメラマンでも、ほぼ見ることが出来ないもの。これだけでも、
 今回の元をとってしまったといってよい。(しかし、初日に何枚か撮った写真を
 間違えて全て消去してしまった。)
 仲間内のSDカードをコピーしてもらったので、何とか・・・
②マサイ・マラの夕景も良かった。あとで写真を掲載するが、マサイの夕陽は
 何ともいえない哀愁がある。そういえば以前のヌーの河渡りのウォッチングの
 帰り道の夕景の小高い丘の光景を思い出した。一匹取り残された足の折れたヌー
 が怯えて、神経質に周りを見渡していた姿。夕景は死の間近を暗示、足の折れた
 姿は病気を、一匹取り残された姿は孤独を、人間の死期を悟った時の心象風景
 そのものである。夕陽の赤に近いオレンジ色は、朝日の色にも似ている。
 死と生は酷似しているのだろう! 今回の夕景は 2~3日うちに掲載予定。
③いつも感動するのが、ナイロビからマサイマラに向かう道路からみる大地講帯
 の広大な風景である。それも、どんどん変わっていく風景が素晴らしい。 
 これも見ているだけでも心が洗われる。
④アバーディアのサファリで見た、小さな川での二匹の象の水場での争いも
 印象的であった。一匹の象が水を飲んでいるのを後できた象が待機していた。
 やおら飲み終えて帰ろうとしたのを見はらかって、待機をしていた象が歩き
 出した姿を見て、帰るのを止めて後ずさりをしてその象を頭で押し返してしまった。
 さらにその河水飲み場に糞をして嫌がらせをした。何か人間の浅ましい姿に似ていた。
⑤サンブルでの、変わった動物が次から次へと見れたことだ。
 特に印象的であったのは、網目キリンと、オリックス、ディクディク、
 ゲレヌクなどが印象的であった。
 
 前回の、ヌーの河渡りの時も、そうだったがアフリカに来る人は癒しを
求めてやってくる。あの大地は、そこにいるだけで心が洗われる思いになる。
今回も、充分過ぎるぐらいの精気をいただいた思いである。

・・・・・・・・
2005年08月28日(日)
1608, 日本人「上機嫌化」プロジェクト-1

またまた斉藤孝だが、文藝春秋・7月号<日本人「上機嫌化」プロジェクト>が面白い。
鬱々とした空気の現在の日本で、読めばみるみる元気になる方法を書いている。
少しふざけた文章なのだが、なるほどと合点がいく。戦後、日本はバブル崩壊まで
ずっと右上がりの経済成長の環境を背景に、前向きな熱気の中で生きてきた。
失われた10年、いや15年とかいう右下がりの時代になって、全員が自信を失い、
前途に明かりを見出せないでいる。

著者は、この文章で、日本人の本来持っているエッセンスを抽出して、社会全体で
確認しなおす必要性をといている。そのエッセンスとして次の6つをあげている。
「上機嫌文化」「子供文化」「とにかく流す」「身体からはいる」「気づかいを
育てる日本語」「はかなさを愛でる」である。その中で特に面白のは「上機嫌文化」。
最近は世界でも有数な欝病気質だといわれる。 不景気のせいだが、これは本来の
日本の姿だろうか。私の過去を振り返ってみても、著者のいう「上機嫌文化」が
背景にあった。高度経済成長期は特にその傾向が強かった。彼はこの文章の中で、
19世紀末に日本に来た外国人作家などの旅行記に描かれている日本人の姿を紹介。

ーその文章を抜粋してみる
19世紀後半、日本に1ヶ月ほど滞在してフランスのボーヴォワールは、
こんな光景を目にしている。
<たいへんお茶のみで、煙草とおしゃべりが大好きな日本人は、この火鉢を前に
一日を過ごす。・・・我われの入ったどの店でも、我われの国では見られない
ような丁重さと、人を引き付ける愛想のよさをもって応対した>
同時期に東アジアを旅したオーストリアの軍人クライトナーはこんな光景をみた。
<荷物を担いでいる人たちは、裸に近い恰好だった。肩に竹の支柱をつけ、
それにたいへん重い運搬籠を載せているので、その重みで支柱の竹が今にも
割れそうだった・・ しかし難儀な仕事をしているにかかわらず、この人たちは
上機嫌で、気持ちのよい挨拶をしてくれた。彼らは歩きながらも、締めつけられた
胸の奥から仕事の歌を口ずさんでいた。>
日本人はかって、このようにストレスの解消の手段が非常に多く用意されていた。
まずは上機嫌を取り戻すことだが、この不景気の環境にとりあえず慣れることか。              
                              ーつづく
・・・・・・・・・
2003年08月28日(木)
876, 「2003年、日本国破産 」
  ーYEN(円)と国債が紙クズとなる日が近づいている !?

 この内容も前回の本に劣らないほどショッキングである。
・まずは2003年に前兆があらわれる(4年前の文章)ー金利上昇、円安、デフレの終了
・2005~7年にはかなりの事があらわれる ーインフレのスタートなどのスタート
・2010年ー国家破綻などが私たちの前に重大な脅威として本来の姿を現す。国の借金
 が雪ダルマ式にふえていき、20㌫近いインフレで国民生活に重大な脅威が生じ始める。
・2010~2015年 日本がIMF管理下に入る可能性もある。
  (ハイパーインフレと経済の大混乱)
・2025年ー国家破産と老人大国化で政府そのものがぼろぼろに。インフレ以外は
現在の日本は既にその状態であるといっても過言でない。そして著者が書いている2003年
になっても、大した対策を立ててない。そうすると、この本の通り最悪を想定しなくては
ならない。最近になって、事業をこの規模にとどめていて良かったと思うようになった。
やり過ぎだったのかもしれない。昨日以前読書日記に書いた「財産をなくす人財産を残せる人」
の著者・清水洋のセミナーに東京まで行ってきた。内容を明日書くが絶望的な見解であった。

・・・・・・・・
2002年08月28日(水)
502, 40才の禁酒ー隠れ酒の味

30歳になった記念で、10年間の喫煙を止めた。
大変だったが、それから体調がかなり良くなった。そして40歳の年に禁酒に挑戦をしてみた。
約半年で頓挫をした。宣言をした翌日が義弟の結婚式だった。 結婚式場で隣の人に
「何馬鹿を言っている!明日からにしなさい!」と出鼻をくじかれ飲まされた。幸先が悪かった。
自分を律する手段で周囲の人に宣言をした。しかし一ヶ月もしないうちに、禁断症状が出た。
そして台所にある料理酒を、皆が寝静まった後に飲み始めた。その後、水を入れてゴマカスが。
だんだんその酒が薄くなり、家内が気がついたのか首をかしげていた。
そして半年たって、人に勧められて一寸一口飲んでから、だんだんエスカレートして、
最終的には元に戻ってしまった。約束をしたメイン銀行の支店長が都合の悪いことに?
転勤でいなくなってしまった事もある。その後その反動で、より痛飲をするようになった
のだから始末が悪い。最終的には、「一人酒をやらない、自宅で日本酒は飲まない、自分から
人を誘わない、自棄酒は飲まない」というルールをつくり自己規制をしている。
隠れ酒の酒のうまさは格別であった。

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2001年08月28日(火)
[124] 酒乱-?鵯

酒飲みの悩みの一つに酒乱がある。私も酒乱のけがある。
酒による失敗は数あげれば限がない、命を失いかけた事も何度もある。
ある限度を越すと、スケベイになるか喧嘩だ。最近は笑いだ。とりあえず笑いの種を探す。
5年前に毎年やっているいる高校と小学校の同級会が同じ日にあった。5年一度の小学校の
同級会に出た。二次会に行くと10人位の暗い集団がいた。高校の同級会の二次会に遇然
鉢合わせたのだ。その時本当に嬉しかった事を思い出す。その中の一人が
「おい堀井!こっちの会にに出てこいや、お前がいねえと葬式だいや!」
その時これだな!と思った。愉快な酒これほど楽しい事はない。 
今は明るい酒乱!になっている。
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H0905 宴会好き!
 創業来16年、当社の宴会が110回以上という。私も宴会が好きな上に支配人が
さらに好きというのがこの回数になったのだろう! 忘新年会、工事関係の祝賀会、
海外旅行の出発、帰国、理由をつけてよく飲んだものだ。もともと私の父が宴会好きで
あった。酒はあまり飲めなかったが、その雰囲気が好きで年に2回ぐらい、無礼講で
家族と従業員と取引先数人を集めて50~60人の会を開いて