2006年08月08日(火)
1953, ローマから日本が見える−22
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                    ー読書日記ー
第九章 ローマから日本が見える −2
    ー「ゲルマニア撤退」を決意 ー

アウグストゥスの政策の中で唯一の失敗は、ゲルマニア地方への遠征であった。
カエサルの定めたローマの基本防衛はライン川であった。
しかし、彼はその基本ラインをライン川より更に東にあるエルベ河に移そうとする。
    アウグストゥスカエサル暗殺後の内戦に勝ち続けることができたのは、
    生前カエサルがつけてくれた優秀な副官アグリッパのお陰であった。
    彼が長生きしていたら、ゲルマニアの遠征は行われなかっただろう。
    カエサルでさえも、「ゲルマニア」は短期の征服はできても、長期の征服は無理と見た土地である。
    長年軍事を任せていたアグリッパを失った彼は、現地の状況を充分知らないまま
    遠征プランを立てて実行に移してしまった。

そのままローマがこの地で戦いを続けていたら、帝国はどうなっていたか解りません。
ところがローマ帝国はやはり違った。アウグストゥスの次の、第二代皇帝ティベリウスによってAC17年、
ゲルマニアからの撤退を決めてしまう。 前任者の方針を破棄するのは難しい、それが創業者であれば尚のこと。
ところがティベリウスは、思い切って転換してしまう。

ーなぜローマ人は法を求めたのかー

ローマ人の「システムとは絶えず補修、改定していくものである」
という思想の表れているのが、法律に対する彼らの態度である。
著者は「ローマ人の物語ー? 」で、次のように書いている。
「人間の行動原理の正し手を、宗教に求めたユダヤ人。哲学に求めたギリシャ人。
法律に求めたローマ人。この一事だけでも、これらの三民族の特質が浮かび上がってくるくらいである。」

   「行動原理の正し手」とは、わかりやすく言えば、何をもって善悪の判断基準にするか、ということ。
    ユダヤ人は昔からの唯一絶対神を信じるコミュニティを出ようとしなかった。
    ギリシャ人はその哲学の象徴的思考を理解し問題意識を共有できる都市国家の枠を出ようとしなかった。

ローマ人が宗教でも哲学でもなく、法によってみずからの行動を
律しようとしたのは、ローマ人特有のメンタリティである敗者も同化するという特質に大いに関係ある。
    ユダヤギリシャ人に対して、法は違う。同じ信仰を持っていなくても、同じ知的レベルでなくても、
    法といういう同じルールを守っていれば一緒に暮らしていける。
    王政の時代から、ローマ人は様々の民族や部族をローマの町に招き入れた。
 ーー
私見になるが、
現在のアメリカの強さは、移民をどんどん受け入れて法律で束ねているところにあるのではないか?
日本も、島国の特性を活かすために、このまま移民を極力入れないでいくか、
それとも、法律の下、どんどん入れていくのか、決断の時である。
このインターネットの時代、前者を選ぶことは国家の破滅になるだろう。
ローマ帝国の歩んだ道を選ぶしかないが、あまりにも体質にあわない!
日本の未来は厳しい! 私たちの生きた時代が、日本にとって一番良い時代だったのだろうか?                                 ( ^-^)_且~~~

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