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2004年06月12日(土)
1166, 豊かな時間

「貧しい時間」とはなんだろうかを考えてから、「豊かな時間」を考えてみる。
貧しい時間
・虚飾と虚栄に満ちた時間のなかで空虚に過ごすとき
・好きでないことを、状況から嫌々しているとき
等、思い浮かぶが、虚飾と虚栄の時間のなかで空虚?に過ごすことが
豊かな時間の人もいるし、群れていることが真に充実している人もいるし、
刑務所にいるのが一番の充実している人もいるというから、複雑だ。
まあ質の問題になるが。豊かな時間、贅沢な時間についてソローの言葉がよい。

「生活がいくら惨めであろうとも、そこから顔をそむけずに、ありのままに
生きることだ。自分の生活を避けたり罵倒してはいけない。
生活は、諸君が一番富んでいるときに一番貧しくみえるものだ。
粗捜し屋は天国にだって粗を見つける。貧しくても、生活を愛しなさい。
救貧院に入っていたとしても、楽しくて胸のときめく、素晴らしい時間はあるだろう。
落日は金持ちの邸宅の窓だけでなく養老院の窓からも、おなじようにあかあかと照りかえる。
春が来れば雪は同じように早々とドアの前で溶ける。
おだやかなこころの持ち主なら、そういう場所に住んでいても、宮殿にいると
変わらない満足感や、ひとを奮立たせる思想をいだきながら生きていけるだろう」

自分の本当の時間、自分の真に充実できた時間こそ豊かな時間という。
ありのままに生きることが、そのまま簡素な生活を生きることである。
金や名声よりも、精神を高く、そして真理をもとめる生活がより大事であり、その時間こそ、
豊かな時間といえるのではないか。 
自然の美しさや音楽を聞いていて感動したり、心の底から笑うのも豊かな時間といえる。
そのためには、やはり孤独の時間を自分の生活のなかに確保しなくてはならない。
孤独の時間とは、内面へ向かう時間といってよい。
  ー孤独、感動、感謝、自然、真理の追究、笑い、等がキーワードー
私にとって散歩が最も孤独であり、孤高な充実した時間になっている。
そういえば、この随想日記を書いているときもそうだ。
そう考えると、本当に豊かな日々を過ごしていることになるが、
不景気で経営の悩みが丁度よいくらいマイナスになっている。
  まあ人生とはそういうものだ。

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