2007年04月08日(日)
2196, ファンタジー文学の世界へ −2
               オッ(*^○^*)ハ〜ヨウ! 
  「 ファンタジー文学の世界へ」
                   −読書日記
ーP57〜58
「シーズ・リーヴィング・ホーム」はビートルズの画期的アルバムの
『サージャント・ペーパーズ・ロンリーハーツクラブ・バンド』の挿入歌である。
イギリスの教育界では粋なことに、この詩について二年にわたる論争があったという。
一方は「この詩は家出を推奨しているので青少年に与えるべきではない」
もう一方は「この詩こそ、現代家庭内の人間関係の疎外感を象徴している」
という肯定的なものである。教育界でこのような論争が起こるということは
大変好ましいことである。ここには誰も悪人はいない。
ただ、人間の持つ自立願望(依存対象からの脱皮)に伴う絆(家族以外への愛情転換)
にかけようとする一種の成長願望があり、そこに向かおうとするパッションが、
世代間における微妙な心の差異、そこから生じる疎外感の蓄積となっていく。
  以下は、その挿入歌の詩を訳したものである。
   ーー
    「彼女は家を出て行く」
   (シーズ・リーヴィング・ホーム)ービートルズ

    水曜日の午前5時  夜が白み始める頃
    そっと寝室のドアを閉める
    書き切れない思いの残る手紙を残して
    階段を下りてキッチンへ向う
    手にはハンカチを握りしめながら
    裏口のドアの鍵を静かに回してみる
    外へ出る とうとう自由だ

    彼女は     (あの子のために何でもやってきたのに)
    出て行く    (夫婦の生活などは犠牲にしてきたのに)
    家を      (欲しがるものは何でも買ってあげたのに)
    彼女は家を出て行く  一人ぼっちで寂しかった
    何年も何年も   (さようなら)

父はいびきをかいている 
母はガウンに袖を通す
そこにあった置手紙を見つけて拾い上げる
階段の上で呆然と立ちつくし
泣き崩れて夫のもとへ駆け込む
お父さん、あの子が家を出て行ってしまったのよ
なぜ私たちがこんな目に会わなくてはならないの
あの子は一体どうしたっていうの

    彼女は       (私たち夫婦のことなんかどうでも良かったのに)
    出て行く      (自分たちのことなんか二の次でやってきたのに)
    家を        (頑張って頑張りぬいて何とかここまできたのに)
    彼女は家を出て行く  一人ぼっちで寂しかった
    何年も何年も    (さようなら)

    金曜日の午前9時 遠く離れた場所にいた
    きちんと約束の時間に待ち合わせ
    自動車の仕事をしている彼氏がやってくる

彼女は       (私たちは間違っていたのだろうか)
楽しい時を     (間違いだとは思いもよらなかった)
過ごしている    (楽しみをお金で買うことは出来ない)
彼女の心の中の何かが否定され続けてきた
何年も何年も    (さようなら)

彼女は家を出て行く (さようなら)

   ーーー
   解)
   これも、親離れへの情操の心理であり、
   誰もが通過しなくてはならない通過儀礼でもある。
   もし何らかのカタチで、このアップ・スケール(自立)をしないと、
   親という山姥に一生をとって食われてしまうことになる。
   しかし、親の愛ほど純粋なものはない。
   特にお腹を痛めた母親は、「子供は分身」という思いは強いだろう。
   親離れ、子離れの問題は、嫁・姑の問題と同じく、人類の永遠の問題である。
   私の場合、八人兄姉の末っ子で、両親の(特に父親の)深い愛情の
   元で育った。試行錯誤の後のため、いや大家族のため束縛は殆んど感じなかった。
   しかし両親が死ぬまで、盆と正月は、就職をした年を除けば、全て両親と過ごした。
   そういうものと信じて疑わなかった。少子化の時代。
   両親と子供の関係は強くなり、親離れの問題は大きくなる。
   気の毒といえば、気の毒である。
                      ー続く
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