閑話小題 ~47都道府県「魅力度ランキング」によると…

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 明治時代には、新潟県が日本で一番の人口を抱えていたとは知らなかった。
豪雪地帯で、数メートルの積雪がダムの役割を果たして農耕に適切のためだ。
そこに目を付けた田中角栄が土木工事を引っ張ってきて日本の天下をとった!
 地元新潟県はいかなるものかと、資料を見る前に直感すると…
20位辺りだが、実際は… ? 私の生活戦略は…
<息苦しい田舎で、職業は新潟市、住居が長岡市にが31年間…>
御蔭で、住み心地の良さは抜群だったが… 中途半端な状態でもないでないが
 …それは何処も同じ。周囲からしたら、『こやつ、何を考えている?だろう。』
城下町格差ランキングが明細にあり、見て見ぬふりをすれば、それなりに生きる
ことが可能。何処の世界にも居る輩も、その役割をシッカリ果たしている。
住めば都とは、よく言ったもの。酸素吸入で、何とか呼吸をしてきた。
 
≪ <朝日新聞> 
 民間調査会社による2021年の47都道府県「魅力度ランキング」が9日発表され、
昨年7年連続の最下位を脱出し、42位だった茨城県が2年ぶりに最下位に戻った。
昨年最下位の栃木県は41位だった。 1位は13年連続で北海道。
京都府沖縄県、東京都と続き、大阪府が過去最高の5位になった。
 ランキングは、ブランド総合研究所(東京都港区)が7月、ネット上で各地の
認知度や訪問経験、観光意欲など89項目について約3万5千人から回答を得て、
年齢や人口分布を考慮した上で点数化した。
 最下位になった茨城県の点数は11・6点。特に西日本での認知度が低かったと。
同社の田中章雄社長は「茨城県つくば市を中心に『IT・先端技術の地域』
としては評価されている。その魅力をうまく活用できれば、もっと評価が高まる
のでは」と指摘する。
  ☆ 茨城・栃木、最下位逆手にPR
 一昨年まで7年連続最下位だった茨城県は仮想キャラクター「茨(いばら)
ひより」が県内の観光地やメロンなどの特産品を紹介する動画を作るなどして
魅力発信に取り組んだ。ただ、昨年、順位が上がったことにSNSなどでは
「最下位を逆手にとってPRできていたのに」と惜しむ声もあり、県は今月、
これまでの情報発信の取り組みを冊子にまとめ「魅力度最下位の過ごし方」
として、県のホームページに公開した。
 一方、昨年、最下位になった栃木県は「47(そこ)から始まる栃木県」と
開き直ったPR作戦を展開。地元ゆかりの著名人に魅力を語ってもらい、ネット
で発信してきた。「あなた、『栃木』って漢字で書ける?」「地味な栃木を
大切にする人が好き」――。求愛する男性に女性がそう語りかけるCMも作って、
東京や大阪のFM局で流れた。県はこれらの事業に計約3千万円をかけた。
ブランディング推進室の担当者は「今後も栃木県の魅力をしっかり伝えて
いく」と話している。 ≫
 ―
▼ <明治時代には日本で最も人口が多かった新潟県。当時の日本人口4000万人
 の約5%にあたる約180万人が居住し、東京府大阪府、愛知県よりも多かった。 
当時の日本は人口の9割近くが農業を営んでいた時代で、米の収穫量が多い
新潟県に人口が集中していたからだ。> 

・・・・・・
7149,読書日記 ― ~1 
2020年10月10日(土)
      【IKIGAI: 日本人だけの長く幸せな人生を送る秘訣:2018/5/31】 
    * 生き甲斐の一考察
  私の現時点の「生甲斐は」は、このブログを書上げること。
 つい先日までは、
・早朝のポタリング!ブログは19年と半年!。H読書と、ネットサーフィン。
・秘・異郷ツアーが50数年。
・自転車散歩は12年と半年、続いた。
 早朝の散歩を加えると40年になる。
・居間ではドラマ、シネマ館の映画観賞。
・美味い酒と肴も、これに加わる。

「生き甲斐」を求めて半世紀は経過するが、生き甲斐の充実=人生の充実に…
これを続ける程に、私には人生そのものが満たされた感が強くなる。
  ~Amazonの投稿にシンプルに書かれた書評があった!
 
 ~出版サイドの投稿だろうが… シンプルで要領をついてある~
≪ 〈生きがい〉とは、「生きる喜び」、「人生の意味」を指す日本語。
この言葉は文字通り、「生きる」と「値打ち」を指す「甲斐」から成っている。
成功は〈生きがい〉を持つための必要条件ではない。
〈生きがい〉はどんな人にも開かれている……。

本書はまず英語で書かれ、英国で出版され、たちまち30か国、28言語での
出版が決まったという。
外国には「人生の目的」や「かなえたい夢」や「夢中になれること」はあっても
<生きがい>という概念はなくて、興味をかきたてられるようだ。

茂木さんの<生きがい>5本柱は
 1、小さくはじめること
 2、自分からの解放
 3、調和と持続可能性
 4、小さな喜び
 5、<今ここ>にいること

茂木さんにとっては、毎朝、起きぬけに味わう1杯のコーヒーも生きがい。
 ミシュラン3つ星の料理人で世界最年長の91歳、「すきやばし次郎」の
小野次郎氏にとっては期待に胸をふくらませる客に一番よい状態のマグロを
提供することが生きがいで「寿司を握りながら死にたい」と語った…。

日本人は空気を読みすぎると言われるが
生きがいに関しては ひとりひとりその人ならではの
とても豊かな世界が開けていて世界に誇れる宝だと思った。 ≫
 ―
▼ 生き甲斐について、正面から向き合うのも久々である。 
 極限状態を生きる登山を考えると、そのものを凝縮している。
「何故に、登山するか?」に、「そこに山が在るからだ!」と、言う。
言い換えると、そこに困難性があるから! 人生を振返ると、IKIGAIは、
困難性を解決していく過程にあった。それに対して、今ここ>の全身全霊
をつかい、解決をしていく中に、IKIGAIを感じることに価値が有る。
それは、幸福状態より、不孝の中の捩れに見ることが多い!
だからこそ、人生は味わいがある!

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6783,閑話小題 ~大廃業時代 ~1 
2019年10月10日(木)
       NHKスペシャル『大廃業時代 〜会社を看取るおくりびと〜 』
         初回放送(総合2019年10月6日(日) 午後9時00分~9時49分)
   
    * 娑婆世界は、とんでもないことに?
 録画をして見たNHKスぺシャルを、昨日みたが、あまり悲惨な部分はなかった。
現実の倒産劇は、こんなものではない。それは悲惨で残酷なもの。 前のめりに
清算したことに加え、抵当物件も直に買い手がついて、テナント、金融機関に
最小の迷惑で終えることが出来た?が、もし、物件が、即、売却できなかったり、
一つ間違えると、怖ろしいリスクが、そこにあった。 2011年3月末以来、8年半、
経過したが、娑婆世界はとんでもないことに?
 10年余り、全国の中小企業の経営を支えてきた「中小企業金融円滑化法」
( モラトリアム法)が今年3月末で名実ともに終了した。これによって、これまで
最終処理が先送りされてきた膨大な数の中小零細企業の行方はどうなるのか。
 以下は、NHKスペシャル『大廃業時代』の内容説明。2008年のリーマンと、
2011年3月末の東北大震災の追討ちで、会社清算を前倒しで決断したが、
あと、数年遅れた決断だとしたら、生活基盤が根底から破壊するところ。
その事例を身辺で肌で感じていたため、躊躇なく手順を踏むことができた。
  ~Nスぺの内容説明より~
< 企業の廃業件数はこの5年で20万件、大廃業時代を迎えている。
 経営者の8割以上が、周囲の誰にも相談できず、孤立したまま廃業に追い
込まれているため、専門家は「企業の孤独死」と呼び警鐘を鳴らしている。
取引先企業や地元の金融機関に大きな損害を与え、地域経済の生態系を崩壊
させかねない「リスクある廃業」が広がっているのだ。そうした事態を未然
に防ごうと、弁護士や経営コンサルタントなどの専門職が廃業に寄り添う
活動に乗り出し、通称「企業のおくりびと」として動き始めている。
 大廃業時代の背景には、リーマンショック後、借入金の返済を猶予する
政策やマイナス金利など超低金利政策などで、利益がほとんどなくても
“生き延びる”企業が数十万社にも上ったことがある。 
 番組では、“おくりびと”がリスクの高い企業を無用に延命するのではなく、
取引先や従業員、そして地域経済にも大きなダメージを与えない「いい廃業」
へと導く過程を密着ルポで描き出す。さらに、帝国データバンクと共同で、
全国140万社の「廃業予測データベース」を解析。専門家の分析も交え
ながら、地域経済を循環・再生するヒントも探り出す。

▼ としても刺激的レポート。怖いのは、不景気なれした個々の感覚。
 私が現役で途方に暮れているなら… それが出来ないから深刻。
昭和も、平成も終わってしまった。そして、AIの時代になってきた。
 しがみつくのは、止めましょう。           ~つづく

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6419.閑話小題 ~真向法 
2018年10月10日(水)
   * スポーツジムでヨガを始めて6年半
 真向法といえば、鈴木元都知事が健康法に取入れていることで、一般的に
知られるようになった。それもヨガブームで、隅に追いやられたようだが…
座って、足裏を合わせたり、伸ばしたり、両足を開いて前屈したり、割り座で
背を後ろに倒す4つが基本。これを複式呼吸を合わせる。 
スポーツジムのヨガ・エアロの中にも組込まれている。コーナーに10人ほど
のマットが敷いてあって、ヨガのポーズ写真が貼ってあるが、ほぼ万ぱい状態。
夜半に目が覚めると、両足裏を合わせたり、片足の裏を曲げて逆脚の膝に付け
たり、立膝の片足に逆脚を組んだまま、腰を捩じったり… 。
   
  ~ネットで真向法を検索すると~
≪ 真向法は長井津が創始した健康法の一種。
 四つの動作を行うことで姿勢のゆがみを調整し、身体をやわらかくして心
と身体の健康を保つ。 起床時か就床前に行う。1日3分程度から、
一畳程度のスペースで簡単に行えるのが特徴。 
   * 四つの動作
 呼吸に合せて以下の動作を行う。呼吸のリズムは2秒で吐き、1秒で吸うのが基本。 
   ★ 第:第一体操
 足裏を合わせて座り、前屈と起き上がりを繰り返す。 尻から足にかけた外側の
 筋肉を伸ばすのが目的
  ポイント 1.腰を立てるポイント 2.両膝を下げるポイント
       3.足の裏を上に向ける 4.かかとを体に引き寄せる
   ★ 第二体操
 両足を伸ばして座り、前屈と起き上がりを繰り返す。 
 太ももの後ろからふくらはぎの筋肉を伸ばすのが目的
  ポイント1.股関節から曲げる 2.足首を手前に返す(70度程度は立てる)
      3.膝をできるだけ伸ばす
   ★ 第三体操
 脚を左右に開脚して座り、前屈と起き上がりを繰り返す。 脚の内側の筋肉を
 伸ばすことを目的とする
  ポイント1.脚を150度程度に開く 2.足首を手前に返す 3.股関節から曲げる
   ★ 第四体操
 割り座で座って背を後ろに倒し、ゆっくりと腹式呼吸を行う。 足首と膝の関節
 を柔らかくすることを目的とする
  ポイント1.両脚の間に尻を落とす 2.両脚の股の内側をつける
      3.すねを床につける

▼ パソコン前の椅子に4時間、ベッドと、居間のTV前に4時間も座る生活。
 それに一時間のチャリも腰に重圧がかかる。海老反りマシーンに、叩き専用の
モノもある。『年中、腰痛を口にしていたが、最近、あまり口にしなくなった』
と、家内に言われたが、半減しただけで重さは残る。この生活では致し方がない。
 左手薬指の輪ゴム縛りも、現在も続いている。

・・・・・・
6054,閑話小題 ~恐ろしい身近な現実
2017年10月10日(火)
  * ますますうキナ臭い状況に…
 何やしら米朝戦争が現実味を帯びてきた。始まれば、100万以上の死者と、
 数百万の戦傷者が出ると言われているが… 北朝鮮は、アメリカのいうレッド
 ラインを遥かに超えてしまった。もし、大陸間弾道弾を太平洋に打ち込めば、
 開戦の可能性が大きくなる。日本にも当然、都心とか、原発基地にミサイルが
打込まれる?と同時に、東海道新幹線の破壊工作を当然してくるのが妥当。
その日本は選挙で仮死状態なら… 私たちも今日からギアが変え、情勢に敏感
になった方が良い。このままで済むわけがないが、どうも実感が沸いてこない。
  早朝のポタリングコースの土手際にある日赤病院の裏側(土手寄り)に、
 何時の間に、ヘリポートと格納庫が出来ていた。 開戦ともなれば、朝鮮半島
が現在のイラク、シリア状態になり、日本にも難民が殺到、ゲリラも紛れ込む。
 柏崎刈羽原発基地にでも撃ちこまれると、風下40キロの地元も危険地域に。
その「まさか、ここまで」が、あの二人の御決断で! その時はその時と
楽観視できないのが、この現実。ロシア、中国、アメリカの武器商人にとって、
これほど有難いことはない。まずは、中国の国境閉鎖と、アメリカを主とした
間接海上閉鎖が現実的だが… 
  ~以下は、これまでの北朝鮮危機についてのネット内検索の内容だが、
   ますます事態が悪化していくの読み取れる。
  
・・・・・・
4170, 金正日の料理人
2012年08月26日(日)
  * 若きドン様の親の敵討ちは残酷!

・・・・・・
2017/09/08
閑話小題 ~何時の間にか準戦争事態に…
   * 北朝鮮の迷走で…
尖閣列島の所属問題や、北朝鮮の迷走で、何時の間にか準戦争状態の状況に。
・・・・・・
2017/08/27
閑話小題 ~北のミサイル発射
    * 北のミサイルについて
 昨日、モーニング・ショーで、北朝鮮によるアメリカへの挑発の特集をみて
 いたら、日本海にミサイル打ち上げのテロップが流れてきた。番組構成として
 ベストタイミングで、‘まさか?’の緊張が走ったが、直ぐに短距離ミサイル
 と判明をした。 金王朝の体制維持には、戦争を煽る瀬戸際外交で、近距離の
人質?の生命の交換条件の脅しでしか体制を維出来ないことは、韓国民が熟知。
  韓国の人口が4700万人、ソウルが1000万人で全国民の21%がソウルに集中、
 首都圏には2000万人前後。韓国国民の4割がソウル周辺に集中する、まさに
「最重要拠点」である。そこから軍事境界線まで、直線距離で約37K。
 大宮から東京駅までの距離でしかない。 韓国民の7割が海外移住を望んで
 いるというのも理解できる。潜入したプーチンのスパイが、境界線からソウル
近郊にミサイルを撃ち込んだら、(逆もある)どうなるのでしょう。
  核ミサイルの脅しほど有効な手段はない。その親指人形が、パペット本体の
中国まで、脅し始めたのだから、何をかいわん。儒教の影響の強い国で、叔父
と実兄を殺すのだから、当人は疑心暗鬼で怯え慄いて当然。そ反動が、いつか
核戦争になり、比較的安定していた東アジア(朝鮮、日本、台湾)が、現在の
中東状況になり、難民が大挙して、押し寄せる可能性が強い。悪いことに、
アメリカはトランプで、分断を始めた。「国家統一の手段として、戦争を!」
と、意固地の頭で考えないでもない。側近は次々と辞め、残っているのは
軍人上がりの老人だけ。「数百万の死者としても、やるなら、今のうち!」
で… 恐ろしい限りだが、意外と早い両者の体制崩壊も感じとれる。

・・・・・・
2017/08/18
閑話小題 ~トランプ劇場
    * 事実は小説より奇なり
 国際政治が、ブラックコミックの様相を現してきた。私流に言わせると、
 < ソ連崩壊前のKGBの一員が、スパイの手法を活用してロシア大統領に上り
 つめた。政敵を闇のうちに葬るのはお手のもの。それを国政政治でも通用
することを知り尽くしていれば、彼の思惑どおりに世界を操ることが出来る。
そのひとつが、アメリカ大統領選で泡沫候補の白人ファースト主義のトランプ
 を国家単位で勝たせること。黒人の大統領と、女の国務長官に長年、不満を持つ
白人主義者は、こぞってトランプを支持した。それを国家単位のスパイ総動員で
後方援助をして思惑どおりに大統領に祭り上げ、国家分断を目論んだ。それが、
アメリカ建国以来の最低、最悪の大統領の下で、ハリウッド映画並みの分断が、
 連日のデモ。 ロシアのスパイ上がりプーチンが、北朝鮮に、ミサイルと核の
技術を与えて、米韓日と北朝鮮の戦争をあおっている。 >

 面白いと笑ってはいられない重大な局面であるが… 世界大戦を狙う、
 武器商人のシンジケートにとって、これ以上の機会はない。「世界は理性より、
 感情で動く」を地でいくフリをしたトランプにとって、北朝鮮戦争は神風か?
 中国も然り。北朝鮮は、疲弊した中国経済と、世界進出の隠れ蓑になっている。
  で、私の結論は、「戦争か暗殺」は必然。
クリントン女史の大統領より、トランプが遥かに面白いことは確かだが… 

――――
 2017/08/14
閑話小題 ~第二次朝鮮戦争が、あるのだろうか?
    * 第二次朝鮮戦争が、あるのだろうか?
  「そう遠くない先に、朝鮮戦争はある」とみるのが、自然である。
 第二次朝鮮戦争は、アメリカの力を削ぐに、中国、ロシアにとって非常に
優位になる。その点、トランプ大統領と、金主席は、これ以上ない人材。
まずは、ロシアが大統領選で小細工をして、トランプ大統領を祭り上げ、
 次は、中国が…? もってこいの取組になる。しかし、始まれば、数百万単位
の死傷者が出るが、この百年だけでも、数千万単位の死者、餓死者を出してきた。
 戦争は、そういうもの。 但し、以前のように、中国、ロシアは、北朝鮮へ、
 直接的支援が出来ない。その時、ロシアと中国は、沖縄、北海道を狙う?
 「戦争は何でもあり」である。とすると、私の人生は、「第二次世界大戦
 直後に生まれ、第二次朝鮮戦争直前の狭間に生きた」ことになる。
  日本にとっても、トランプと、金主席は、偉大?な厄病神に御なりですか。

――――
 2017/05/20
『しあわせ仮説』 -8「純粋な悪」を、トランプ大統領にみる
            『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著
    * 諸悪の根源は「純粋な悪」
  哲学的に表現すれば「素朴な実在主義者」の心のありよう、有りていに言えば、
 「大人、子供に見られる表層の現象で決め付ける幼稚な精神と知能の持ち主」。 
 幼稚な心は、自分たちの世界を破壊されることが「純粋な悪」。誰の心にも
 ある「純真な心」でもある。それ故に猛毒を含む。 このフィルターで、
 世界を単純に切り取ると、これが面白い。
  ー今回は、アメリカの白人の本音、「白人至上主義」ー
黒人のオバマに対して、2期・8年間、不満を持っていた比較的恵まれない白人層
にターゲットを絞り、ロシアの間接的?援助も加え、まさかの泡沫が当選した。
素朴な白人優位主義と、有色人種への偏見を前面にうち立てたトランプ。
 全くの政治に素人である。純朴に、白人の優位性を脅かすことを「純粋な悪」
とする彼らの偏見は、グローバリズムに逆行する側面がある。これは、他民族を
受け入れてきたアメリカの理念と逆行する上に、ナチスの思想にあい通じる。
そろそろ、これに気づきだした国民に弾劾され処分されるのは時間の問題… 
  世界は白色、赤色、黄色、黒色の順の人種差別が歴然としている。その露骨に
現われ出ているのがインドのカースト制度。4層が、さらに細かく500層になって
 いて、その網目から逃れることが出来ない。何せ3千年かけてつくり上げた階級。
 交通事故で、最下層の被害者に対し、日常的に轢逃げが罷り通っているという。
  ISは赤色人種のイスラム原理主義を忠実に守り、それを守らないのは、
 「純粋な悪」として殺害か奴隷というから恐ろしい。対する欧米は白色人種を
中心に国力に比例した序列がある。日本は地政学的に、白色(米国)側の、黄色
のポチ。ドス黄色の中国には、島国のため、独自のウス黄色だったため、ポチ
 として、庭先の犬小屋に番犬?として、敷地内に飼われている? 白人至上者
から見れば、こんなもの。で、逆オバマ効果で、こんな人物を大統領にした。
  としても、日本は飼主がどうであれ、忠実な犬を装ってないと、エサの配分
が減らされる。門から外に出ようものなら、直ぐにドス黄色・中国の攻撃対象
になる。ふ抜けた日本の「純粋な悪」は、他国からの「侵略と、戦争」。
 「平和憲法改憲」である。何せ72年前に三百万人が亡くなっている。
ポチでも何でも、目立たないように犬小屋で大人しくするしかない。
バナナ(外が黄色で、中が白色)とか、イエローモンキーと言われようが、
ただ大人しく、忠犬を装うしかない。何?としても、大統領の一存で、
 「沖縄は中国に、北朝鮮アメリカに」の取引で、中国に売り飛ばされない
 とは限らない。取引を業とするトランプなら、ありえない話ではない。

 

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   * 甘すぎる国民
 明治維新以来の藩の子孫が支配する血筋が、現在も支配する民主国家日本。
そこに面白い人材が出てきようがない。前首相の菅も、安倍様のポチに過ぎな
かった。仕方がないのか。 …保守ボケ、野党ボケが国会論戦からスケスケ。
野党に政権を渡すと、中学の生徒会レベルと、かくあらんと、見せつけられ、
如何しても、支持に回れないのが現状。とはいえ、談合が、堂々と罷り通って
よいわけでない。その闇取引と、検察のイタチごっこの典型が日大裏金問題。
韓国が、稚拙が故の表ざたになり、大統領交代で、監獄に繋がれる。
目立たし目出度しのハッピーリタイアは皆無。研究者はその縛りの比較的
少ないアメリカの研究所に行くパターン。一時は認可事業を通して、利権が
バラまかれていたが、それも世論で自由化。弱肉強食の論理が、不平等と、
格差を広める… 勝って何ぼの世界は増々強くなる。
 ―
   * 何やら不思議では… ? 
 何やら不思議なコロナ禍の感染者数の激減は、政治的思惑があるのでは…
そんなワケがあるワケがない。ワクチン効果とはいえ、ここまではいくら何でも
遣り過ぎ! 一歩、外からみれば、その不思議さに露骨に反応する!

産経新聞 【ソウル=時吉達也】
◉ 日本で新型コロナウイルス感染者が大幅に減少し、緊急事態が解除された
ことに対し、韓国では日本の状況改善を疑問視する声が上がっている。 
韓国では厳しい防疫対策が長期化しながらも感染者数が横ばいで推移しており、
一部では日本政府が公表した感染者数が改竄されたとする報道も展開された。
 1日当たりの新規感染者数は、日本が8月下旬の2万人台から今月4日には
約600人まで急激に減少したのに対し、韓国は約3カ月間、1000~
3000人台が続いている。
◉ 「自民党選挙で勝つのに、一番負担になるのがコロナだ」。韓国で最も人気が
高く、与党幹部らもたびたび出演する時事ラジオ番組「金於俊(キム・オジュン)
のニュース工場」で4日、左派系の時事評論家、金於俊氏は自民党政権が10月
31日投開票の衆院選で勝利するため、PCR検査数を減らし感染者数を抑制
しているとの持論を展開した。金氏は「1カ月で感染者が10分1になるなんて
ことはない。そんなやり方があれば世界はとっくにコロナを撃退している」と訴え、
「政府が詐欺行為を働いてはいけない」と非難。主張の根拠は示さず、
「日本メディアも(日本政府の不正を)指摘できずにいる」とした。
◉ 保守系中央日報は日本国内の急激な感染者数減少について「(日本の)
専門家も明確な説明を出せずにいる」と指摘。ワクチン効果や人口移動の減少が
複合的に作用したとの分析を紹介した上で、「検査の減少による『錯視効果』」
の可能性にも言及した。
韓国では1日当たりの新規感染者数が1000人を超えた7月上旬以降、首都圏
の夜の飲食店利用が原則2人までに制限されるなど厳しい防疫対策がとられてきた。
日本に対する根拠のない「不正集計」などの主張が登場する背景には、事態が
好転しない国内状況へのいらだちもあるとみられる。 ワクチン接種率は日本が
1回目71・7%、完了61・5%(5日時点)に対し、韓国はそれぞれ
77・5%、54・5%(6日時点)となっており、大きな違いはない。≫
 ―
▼ この記事を見る限り、非常に説得力がある。このまま世知辛い日本の世論が、
 見過ごすわけがない。おかしな現象が、中央に近づくほど、世界が見えづらく
なること。
 
・・・・・・
7148,閑話小題 ~まあ、面白そうな…行末は? 
2020年10月09日(金)
  * トラちゃん劇場の、その後!
 コロナ禍を利用した大統領本人の感染と、ホワイトハウスの集団感染とは、
ブラックジョークもいいとこ! オマケにメラニア夫人のヌード写真がアメリ
地元紙のトップ記事で二日連続、掲載されてしまった。 エログロを地に行った
大統領ならではのスキャンダル! これでは再選は無理。他にも大きなイベント
があって、然るべきか、高見の見物になる。<ホワイトハウスの集団感染で、
選挙の延期!>のアイデアは悪くないが、これまでの彼の所業、すべての言動、
判断が、自らの再選が最優先が露出し過ぎが、それを許さない!
大統領の座と、権力の魔力で、ますます変になったトランプ大統領、その末期は?
 
 ところで最近、 ヌードモデルだったことや、元コールガール説もある
ラニア夫人が、そのヌード写真とともに話題になっている。いくら何でも、
アメリカのファースト・レディが売春婦?とは、これ如何に? 
風貌からして判断すると、さもありなん? これでも、再選の可能性が残る
アメリカという国は、恐ろしいといえば、恐ろしい。

 世界は、白、赤、黄、黒色の格差が歴然としてある。それを堂々と主張する
トランプ劇場の岩盤は分らないでもないが… 自由、平等(公平、博愛というが、
それは建て前。世界の現実は、不自由で、差別で、憎しみが前提にある。
それが端的に見えるのが、国際線の飛行機に乗れば分ること! エコノミー席は、
ファーストクラスと、ビジネスクラスの重りでしかない。待合も特別室が存在し、
別入口があって… それは金さえ払えば誰でも、その権利を得ることが可能!
当り前のことが、年齢とともにクッキリ見えてくるのも、老いの厳しさ!

・・・・・・
6782,閑話小題 ~「美」を感じる心が魂 -2 
2019年10月09日(水)
       <文芸春秋 令和元年6月特別号/新連載 第一回 「醜」>
    * 玉三郎かく語りき ―2
◉ <…だから、「何かに憧れたり、ひととき、我を忘れる時間を作ろうとする。
  それによって、醜い自分や居心地の悪さから飛躍できる>
 芸術家は、己の醜さからの解放を求め、結果的に美を生み出すことになる。
「憧れる」の語源は、「あくがる」だ。「あく」とは、場所を指し、「かる
(がる)は「離れる」を意味する。つまり、ある場所から「離れる」を意味する。
肉体は、その場に止まっても、想念は飛躍する。そんな想いが、憧れを醸成する。
玉三郎の舞踊は、立ち姿から一挙手、一投足に魂が籠っている。肉体のみならず、
衣裳の隅々までが、生を得たようにその場を支配する。
それは、やがて、劇場をのみ込み、その時空をまるごと無我の境地に誘う。 
その舞踊も、また憧れにある。

◉ <人間は、常に何かに縛られている。きちんと座っていなくてはならないなど
 の日常の小さなことはもちろん、社会のしがらみにもがくとか、日本という国
から抜出せないとか。それは肉体的、現実的な縛り。本当は魂は自由なはずですが、
日々の拘束によって魂も縛られいく。そこから、一瞬飛躍するというか、飛ぶ、
あるいは飛ぶことによって解放される。舞踊とは、ある種の引力からの解放です。>

◉ <頭脳明晰の優等生が美を語る時は、とても理論的で多弁だ。その上、何でも
 褒めちぎる。まるで自らがその現象に美のお墨付きを与えるかのようだ。
そして、彼らが語れば語るほど、聞く側には美が直感できなくなる。
おそらく、美というものを類型的で相対的に理解してしまうからだ。
だが、美は絶対的なものであり、直感的なものだ。 だから玉三郎は、
「魂でしか感じ取れない」と断言する。
<魂がなくなる時代が来ていると思います。心のあり方を情報化あるいは
 数値化してしまい、醜いも、美しいも、見分けがつかない社会になって
 しまったからです」

それは美の世界だけに限らないのではないか。21世紀人類は、非人間的、すなわち
自然の中に存在する生き物であることを自覚できない社会にひたすら進んでいる。
インターネット、AI,自動運転など… 利便性と万能なる科学に依存し、能動的に
生きることを放棄している。美を魂で感じると言えば笑われる時がくるのだろうか。
… 「現代社会はh情報があふれ、表層的になってしまった。なのに、情報の本質を
掴めないでいる。なぜなら『実』を見てないから。でも、そんなことさえ気にしなく
なった」 …魂が希薄になる時代の到来―― それは、絶望の時代の到来でしょうか。

▼ 何度も、自己超越について書いてきた。美を感じとる直感と酷似する。
 その魂の本質は、自己超越である。フランクルは、死の収容所で、その醜く、
居たたまれない醜い環境の中で、人間が持ちうる「愛の実<実>を見つめた。
 ―フランクルのー自己超越のための3つの意味(価値)ーである。
1・創造価値: 創造行為を通して得られる意味 =仕事・子育て・学問・芸術
2・体験価値: 体験を通して得られる価値・意味 =自然・芸術・愛
3・態度価値: 運命に対し模範的な態度を取ることで得られる価値・意味=
  極限状況の中での尊厳ある態度。 <よく働き、よく遊び、よく学ぶこと>
 ー人生には発見されるべき価値や意味があるー
何でまた、<玉三郎、かくかたりき> にフランクルか? 死と生の境目の劣悪の
環境で「人間の愛の美」と、「究極の精神の飛躍」を見出していたのである。
人間は本来、自由のはず。日々の拘束によって縛られた魂が、トリップすることで
美を感じとる。美と醜の混濁の中でこそ、実感できる跳躍。人生の本質である。

――――
2003/09/20 
《V・E・フランクル》について 
十数年前にフランクルの「夜と霧」を読んで感銘した。
そして数年前、春秋社の以下の彼のシリーズをむさぼり読んだ。
人生丁度まがり角であったためであろう。
その意味の深さー絶対的人生の肯定に魂を揺さぶられた思いであった。
彼の「意味」発見のための3つの問い
「私は、この人生で,今何をすることを求められているか」
「私のことをほんとうに必要としている人は誰か。
 その人は、どこにいるのか」
「どの誰かや何かのために、私のできることには、何があるか」
この3つを常に念頭において生きることが,『なすべきこと』
『満たすべき意味』を発見するための手がかりになると、
フランク心理学では考えている。

特に以下の分析のは深く納得をした。

ー自己超越のための3つの意味(価値)ー 
1・創造価値: 創造行為を通して得られる意味
          =仕事・子育て・学問・芸術
       ー力への意志
2・体験価値: 体験を通して得られる価値・意味
          =自然・芸術・愛
       ー愛への意志 
3・態度価値: 運命に対し模範的な態度を取ることで得られる価値・
        意味ロゴスの覚醒=対象との一体化
        ※自身が何らかの喜びに満たされていること
       ー知への意志 
人生には発見されるべき価値や意味がある
 (1)意志への自由 (いかなる境遇でも自由意志を持つことができる)
 (2)意味への意志 (意味と目的を発見し充足するのは人間の努力である)
 (3)人生の意味  (創造・体験・態度生きる姿勢の中に意味を見出す)
  ー生きることは価値判断(学習)と選択の連続である

ー私が読んだ本は以下であるー

・「夜と霧」:ドイツ強制収容所の体験記録
 V・E・フランクル 霜山徳爾(訳)  みすず書房 1985年

・「それでも人生にイエスと言う」
 V・E・フランクル 山田邦男・松田美佳(訳)春秋社 1993年

・「宿命を超えて、自己を超えて」
 V・E・フランクル山田邦男・松田美佳(訳) 春秋社 1997年

・「<生きる意味>を求めて 」
  V・E・フランクル  諸富祥彦(監訳)
  上嶋洋一・松岡世利子(訳)      春秋社 1999年

・「フランクル回想録:20世紀を生きて」
  V・E・フランクル  山田邦男(訳) 春秋社 1998年

・「フランクルに学ぶ 」    
  斉藤啓一 日本教文社  2000年

・「どんな時も、人生に‘YES’と言う
  諸富祥彦  大和出版

ー印象的なところを「検索」で調べてコピーしたー
ーーーーーーーー  
『夜と霧』(みすず書房、1971年新版)

収容所での体験を描写することによって語っているのは
「人は変えようのない運命に直面したときでも、それに対して取る゛態度゛と
いうのは自ら選ぶことができる」という真実です。
「精神的自由、すなわち環境への自我の自由な態度は、この一見絶対的な強制状態
の下においても、外的にも内的にも存しつづけたということを示す英雄的な実例は
少なくないのである。強制収容所を体験した人は誰でも、バラックの中をこちら
では優しい言葉、あちらでは最後のパンの一斤を与えて通って行く人間の姿を
知っているのである。そしてたとえそれが少数の人数であったにせよ
――彼等は、人が強制収容所の人間から一切を取り得るかもしれないが、しかし
たった一つのもの、すなわち与えられた事態にある態度をとる人間の最後の自由、
をとることはできないということの証明力をもっているのである。「あれこれの
態度をとることができる」ということは存するのであり、収容所内の毎日毎時が
この内的な決断を行う数千の機会を与えたのであった。その内的決断とは、人間
からその最も固有なもの――内的自由――を奪い、自由と尊厳を放棄させて外的
条件の単なる玩弄物とし、「典型的な」収容所囚人に鋳直そうとする環境の力に
陥るか陥らないか、という決断なのである。」

 生きていれば、誰しも避けがたい苦悩に直面するわけですが、そういったときに、
「どのような゛態度゛を取るのか」というコトが問題となってくるのだと思います。
変えられない運命に絶望しニヒリズムに陥ることや、責任を転嫁して他者を恨む
こと、現実逃避のために自暴自棄になることは簡単だけれども、フランクルは、
そういった態度は人間としての自由と尊厳を放棄した態度だと言っているのだ
と思います。

「~生命そのものが一つの意味をもっているなら、苦悩もまた一つの意味をもって
いるに違いない。苦悩が生命に何らかの形で属しているならば、また運命も死も
そうである。苦悩と死は人間の実存を始めて一つの全体にするのである。
 一人の人間がどんなに彼の避けられ得ない運命をそれが彼に課する苦悩とを
自らに引き受けるかというやり方の中に、すなわち人間が彼の苦悩を彼の十字架
としていかに引き受けるかというやり方の中に、たとえどんな困難の状況にあって
もなお、生命の最後の一分まで、生命を有意義に形づくる豊かな可能性が開かれ
ているのである。」

 変えようがない事実そのものをそのまま認識し、そこから自分はどうするのか
・何が出来るのか、といった自らの可能性を考える態度。それは、苦しみを受け入れ、
苦しみに耐えながら、苦しみと共に生きていこうとする態度。人はこのような
苦悩を正面から受け取る態度を取ることによって初めて、その苦悩を乗り越え、
自己をさらなる高みに引き上げることが出来るのだと思います。ここにおいて、
苦悩の持つ意味・価値が創り出されるのでしょう。

 フランクルは、このように苦悩を超えることによって生み出された価値と
いうのは、他の価値とは次元の違うものであるとしています。
彼は、それは如何なる外的状況(例えば、傍から見れば「失敗」であったり
「不幸」であったり「悲惨」であったりするような状況)に関係なく得る
コトの出来る価値だと述べています。

 このように、苦悩を自己の飛躍へと転化することというのは、きっと誰にでも
可能なことなのだろう、とわたしは思います。わたしたちの苦悩が収容所での
経験を凌駕するほどの悲惨なものでないのなら、この、人間が運命に対して
挑むことの出来る唯一のやり方、「事実を受け入れ、そこから生きていくという
姿勢を取るコト」は、わたしたちにも可能だろうと思うのです。フランクル
本の中で、このような態度を取ることが出来た人が過去において一人でもいたと
いう事実そのものが、「人間がその外的な運命よりも内的にいっそう強くありえる」
ということの証しとなると述べています。

 わたしたちはともすれば、自分を取り巻く様々な運命的な制限(生まれや能力、
容貌、環境などなど)に落胆し、成す術もなく空虚な気分になりがちなワケですが、
しかし、これらの変えようのない事実をしかと受けとめ、その苦しみに塗れ
ながらも、どうにかして何かをしていこうという姿勢こそが、わたしたちを
内的な成長へと導いてくれるのだとフランクルは言っています。収容所の中でさえ、
そのような偉大な所業を成し遂げた人間がいるのなら、現代に生きるわたしたちに
出来ないはずがないでしょう。全ての苦しみをかかえる人が、それぞれ立っている
場所から自己と自己に与えられたモノを見つめることによって、それぞれの意味を
見出し、苦しみを乗り越えることが出来るはず。わたしはそう思っていたりします。


「真の運命を正しく耐え、率直に苦悩することは、それ自身、行いであり、まさに
 人間に許される最高の成就であり業績である。」(『神経症の理論と治療』より)

----------------
「夜と霧」からの抜粋
ー内面化と内的豊かさ

 人間が強制収容所において、外的のみならず、その内的生活においても陥って行く
あらゆる原始性にも拘わらず、たとえ稀ではあれ著しい”内面化への傾向”があった
ということが述べられなければならない。
 
元来精神的に高い生活をしていた感じ易い人間は、ある場合には、その比較的繊細
な感情素質にも拘わらず、収容所生活のかくも困難な、外的状況を苦痛ではあるに
せよ彼等の精神生活にとってそれほど破壊的には体験しなかった。なぜならば彼等に
とっては、恐ろしい周囲の世界から精神の自由と内的な豊かさへと逃れる道が
開かれていたからである。”かくして、そしてかくしてのみ繊細な性質の人間が
しばしば頑丈な身体の人間よりも、収容所生活をよりよく耐え得たという
パラドックスが理解され得るのである。”

 若干の囚人において現れる内面化の傾向は、またの機会さえあれば、芸術や自然に
関する極めて強烈な体験にもなっていった。そしてその体験の強さは、われわれの
環境とその全くすさまじい様子とを忘れさせ得ることもできたのである。

~中略~
 あるいは一度などは、われわれが労働で死んだように疲れ、スープ匙を手に持った
ままバラックの土間にすでに横たわっていた時、一人の仲間が飛び込んできて、
極度の疲労や寒さにも拘わらず日没の光景を見逃せまいと、急いで外の点呼場まで
来るようにと求めるのであった。そしてわれわれはそれから外で、西方の暗く燃え
あがる雲を眺め、また幻想的な形と青銅色から真紅色までのこの世ならぬ色彩とを
もった様々な変化をする雲を見た。そしてその下にそれと対照的に収容所の荒涼と
した灰色の掘立小屋と泥だらけの点呼場があり、その水溜りはまあだ燃える空が
映っていた。感動の沈黙が数分続いた後に、誰かが他の人に「世界ってどうして
こう綺麗なんだろう」と尋ねる声が聞こえた。

ー運命としての苦悩を受け入れる

かかる人々は、著しく困難な外的状況こそ人間に内面的に自らを超えて成長する
機会を与えるものだということを忘れているのである。収容所の外的な困難さを
内的な試練の試みに変える変わりに、彼等は現在の存在を真面目に受けとらず、
それをある重要でないものに貶め、過去の生活に思いを寄せることによって現在
の前では目を閉じるのが最も良いと考えるのである。

ところで具体的な運命が人間にある苦悩を課する限り、人間はこの苦悩のなかにも
一つの課題、しかもやはり一回的な運命を見なければならないのである。
人間は苦悩に対して、彼がこの苦悩に満ちた運命と共にこの世界でただ一人一回
だけで立っているという意識にまで達せねばならないのである。
何人も彼から苦悩を取り去ることはできないのである。
”何人も彼の変わりに苦悩を苦しみぬくことはできないのである。
”まさにその運命に当たった彼自身がこの苦悩を担うということの中に独自な
業績に対するただ一度の可能性が存在するのである。

 ー【フランクルに学ぶ(日本教文社,斉藤啓一】ー

・『 人間など,いくら優秀でも大したことはできない.
   真に偉大な業績は,宇宙の力を借りて行う.』 
・『 人間は近くに,神は遠くに幸福を見る.
   神の視点は,人間よりも常に遠いところに置かれている.』 
・『 虚栄と誇りは違う.虚栄を満たすには他者を必要とするが,
   誇りは他者を必要としない.』 
・『 人生に何かを期待するのは間違っている.
   人生が,あなたに 期待しているのだ.』 
・『 信じてもダメかもしれないが,
   信じなければ,実現するものもしなくなる』 
・『 絶望とは,
   もうすぐ新しい自分と新しい希望が生まれてくるという
   前兆である.』 
・『 運命は何のために訪れるのか、本当の自分に目覚めるために.』 
・『 名優は,いかにさえない役を演じても輝き,大根役者は,いかに
   輝かしい役を 演じてもさえない.輝きこそが人生の幸福を決める.』 
・『 人生の幸福は,どれだけ快楽を得たかではなく,
   どれだけ感動を得たかによって決まる.』 
・『 愛の喜びは,捕まえようとすると逃げていく.
   愛を表現するときにのみ,それはやってくる.』 
・『 自分を忘れ,仕事や人間に愛を傾ける人.そんな人にはすべてが
  ひとりでにやってくる.成功も楽しみもである.』 
・『 あなたがいるだけで世界は意味をもつし,生きている意味があると
  思わせる人生こそ最高だ.』 
・『 いくらすばらしい技術があっても人は癒せない.人間的な
  触れ合いと愛の交流がなければ.』

   -------
【それでも人生にイエスという
        (春秋社,V・E・フランクル)】

『 私たちが「生きる意味があるか」と問うのは,はじめから誤っているのです。
 つまり,私たちは生きる意味を問うてはならないのです。
 人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。
 私たちは問われている存在なのです。私たちは,人生がたえずそのとき
そのときに出す問い,「人生の問い」に答えなければならない,
 答えを出さなければならない存在なのです.
 生きること自体,問われていることにほかなりません.』

『 生きるということは,ある意味義務であり,たったひとつの重大な責務なのです.
 たしかに人生にはまたよろこびもありますが,そのよろこびを得ようと努める
ことはできません… よろこびはおのずと湧くものなのです.しあわせは,けっして
目標ではないし,目標であってもならないし,さらに目標であることもできません.
それは結果にすぎないのです.』

『 私たちは,いつかは死ぬ存在です.私たちの人生は有限です.私たちの時間は
 限られています.私たちの可能性は制約されています.こういう事実のおかげで,
そしてこういう事実だけのおかげで,そもそも,なにかをやってみようと思ったり,
なにかの可能性を生かしたり実現したり,成就したり,時間を生かしたり充実
させたりする意味があると思われるのです.死とは,そういったことをするように
強いるものなのです.ですから,私たちの存在がまさに責任存在であるという裏には
死があるのです.』  

閑話小題 ~日大の背任事件関連で…

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   * 何でまた、この時節に
 安倍、菅政権の終わりを待っていたかのように、検察が手入れに入った。
アメフト関連で中途半端に終わったため、メンツを潰された検索は、二人を
徹底的に追求することになる。この総選挙では絶対的マイナスネタになる。
アベノミクスは、誰の目にもバブル的要素が強い。その総括をするには、
現在の自民総裁は弱すぎる。時節的にみて、あまりにタイミングが悪い。
何様の下ネタご結婚の目を逸らすに適当なネタとも冷笑してはおられない。
 疑惑のメンツと背景は刑事ドラマの『相棒』を彷彿させる。
としても、長期保守本流の膿は、濃厚のようだ。
 理事長の私物化そのもの。これも、次の第三次世界大戦への戦時体制に向け
ての体制つくり…ですか。

≪◉ 日本大学医学部付属板橋病院の建替え工事をめぐる背任事件で、外部に
 流出したとされる2億2000万円のうち、設計を発注した理事が約6000万円を
受け取っていた疑いがあることが分かった。
 東京地検特捜部が資金流出の主導者とみているのは、日大理事で関連会社
日本大学事業部」の役員を務める井ノ口忠男氏(64)。田中英寿理事長(74)
の側近中の側近といわれる人物だ。
井ノ口氏は日大側から委託を受け、設計事務所に発注した24億円のうち、2億
2000万円を都内の医療コンサルタント会社(東京都港区)に送金するよう指示。
この会社は大阪市の医療法人グループが2014年に設立したペーパーカンパニーで、
株式はグループ理事長のY氏(61)が保有している。
 
◉ 「日大アメフト部OBの井ノ口さんは2003年、大阪でゴルフ関連の会社
『チェススポーツ』を設立しています。トーナメントの運営に関わり、広告
代理店を営む実姉のHさんとともに大会の窓口になっていた。2人は大会
スポンサーを務める大阪のレジャー関連会社の経営者に食い込み、タイガー・
ウッズのチャリティーマッチを手掛けるなど、まさに仕切り役でした。
お姉さんは女傑という表現がピッタリの人で、2人とも有力者に取り入るのが
抜群にうまかった。両社は順調に業績を伸ばし、井ノ口さんは北新地の近くに
7階建ての自社ビルを所有するほど。お姉さんの会社もリーガロイヤルホテル
などが立ち並ぶ中之島オフィスビルの高層階に事務所を構えるなど、急成長
しました」(大会関係者) 
  ○ 機を見るに敏なきょうだい
 ところが数年前、井ノ口氏とスポンサーの関係が悪化し、契約が更新されなく
なった。そこで井ノ口氏とHさんが新たに目を付けたのが、日大だった。
17年、日大の評議員になったばかりの井ノ口氏は、いきなり理事に抜擢された。
井ノ口氏は、大学外部から物品を調達する日大事業部を実質取り仕切っていた。
15年に約16億円だった事業部の売り上げは17年に約70億円まで跳ね上がり、
井ノ口氏の貢献が田中理事長に認められた。
「ここでも姉のHさんがその力をいかんなく発揮します。田中理事長が唯一、
頭が上がらないといわれる妻・優子夫人に気に入られ、弟を理事にさせたうえ、
お姉さん自身も日大の広報・宣伝を任されるまで食い込んだ。弟の昔からの
友人で、医療グループ理事長のY氏を優子夫人に紹介したのもお姉さんです。
その縁でY氏は田中理事長が元監督だった日大相撲部の後輩にあたる力士、
遠藤の後援会会長に就任した。田中理事長とともに、日本相撲連盟の副会長を
務めています」(日大の元評議員)≫

 ・・・・・・
7147,閑話小題 ~解体ビルの崩壊 
2020年10月08日(木)
    * スポーツジムで聴いてきた話
 < 地元の結婚式場の「青善」の解体工事で、ビルが崩壊したらしいよ!」と、
誰かが興奮気味にいう。6月から解体工事に入っていたのが、何かの拍子で自壊
したらしい。新ビルの建て替えのようだ。 ビル内の解体が進んでいた骨組み
が自壊したようだ! その爆音と振動が尋常ではなかったと…
そこには、幸いなことに工事関係者が屯してなく、事なきをえた。
 
 50年も以前の話だが、大手通りの実家の古ビルを建替えたことがある。
<隣地ギリギリに建てられたビルを如何解体するのか?>である。
問題は如何に撤去するか? 何と、4Fの各階の同じ個所に穴をあけて、最上階
から壊したコンクリートなどの廃材を1Fに落としていくには驚いた。
大都会では日常だろうが! 素人には、この知恵は出てこない!
 ―
    * 歯医者の待合で…
 一月ほど前に、スーパーで、既に故人になっていた知人の‘連れ’の
姿を50年ぶりに見たが…言葉の表現に窮するほど生活やつれした様相… その
ショックが未だに覚めないうちに、今度は高校の同級生を20年ぶりに、歯医者の
待合で見かけたが、実年齢より10歳は老けこんでいた。顔色は青白く、歩く姿は
ヨチヨチ歩き! もしかして、自分も同じではないのか? 
 70歳を過ぎると成る程、片足を半分、棺桶に入ったような!感覚が。
後期高齢が ま近かなら…仕方がないのか! ここは、気の持ちよう。
急速の、老いの落下に意識をして踏ん張れるかどうか? ジムで、ヨガや、
ランニングを続けているが、8歳年上の御老体、弱ってきた様子もなく、
踏ん張っている。運動量の質と、持続が、そのベースにあるようだ!

・・・・・・
6781,閑話小題 ~「美」を感じる心が『魂』 -1 
2019年10月08日(火)
        <文芸春秋 令和元年/6月特別号 新連載 第一回「醜」>
   * 玉三郎かく語りき
 大自然の絶景に魂がうち震えた経験を何十回、いや何百回もある。
大自然の絶景に、天空のオーロラに、時に、ふと邂逅した若い女性美に、
我を忘れて魅入ってしまった瞬間、「ああ、この感覚とは何だろう?」と。
それは、その人により違うが、それは生物の本能に備わっているものか。
 脳科学の用語に、クオリアという「主観的体験が伴う質感」の言葉がある。
もっと簡単に言うと、今まさに、私の眼に映っている「赤」を赤と感じること。
「美」を感じとる質感は、その最たるもの。
 幼児期に親の責任として、芸事や、絵画や、芸術のシャワーを浴びせる義務
がある。 その意味は、このクオリアのベースを構築しておくということ。
 「美」を感じる心は、逆に「醜」なる人間が感じる原罪のようなものと…
以下の文章は、著者・真山仁から抜粋した内容。
 ――
 美の達人と誰も認める認める歌舞伎の坂東玉三郎に、その「醜」について
尋ねた時に返ってきた言葉が…
◉ < 醜さというのは、人間だけが感じる原罪のようなもの。例えば、宇宙や
 自然界に、醜さというものは存在しない。あるがままに、そこにあるだけ。
それを美しい、醜いというのは人間だけ。」>
< さらに、残酷なのは、地球上の生物の中で人間だけが醜い。>
夕陽や、森の中の木漏れ木などの、自然現象を美しいと感じ、得意になる。
しかし、その歓びは、自らが醜い、美しいと自覚するがゆえというのは、確かに
残酷の話だ。 21世紀に入って、美の真髄に感じる人が少なくなったと。
玉三郎は嘆く。

◉ < 美を感じる器は、私は魂だと思います。自らの醜さを自覚した上に、
 魂のあり方で美を感じとる必要があります。ところが最近では付和雷同して
いるだけに見える。つまり理解した気になっている。
 「インスタバエ」で美を誇る人たちは、その好例ではないだろうか。
ちょっとおしゃれな場を切り取って、それを他者に自慢するため発信する。
美とは現象の一部分を切り取り誇るものではない。
人間の根源的な部分=魂で感じとってこそ、美は輝きを放つ。
美を追求する人は、己の醜さを自覚している。

 ――
▼ 51歳時に、いや40歳半ばに、何やら人生の折返しの時節を実感した。
 ホモ・ハーベン(働き人間)から、ホモ・ルーベン(遊び人間)への転換。
これは、何度も書いてきたので省くが、その一つが、秘・異郷ツアーを通して、
今までの生き方を変えてしまうこと。 その行先で、感動することで、小さく
凝り固まった、それまでの人生を逆照射すること、それは、玉三郎の舞踏による
解放と同じ経験であった。魂の解放である。魂の解放といえば、個々の死も然り。
 その前に、65歳時の会社清算が同じ。 これは現に経験して解ったこと。
何かの引力から素っ飛ぶ感覚。 そこに、何も解っちゃいない、下衆の何とか!
こちとら、娑婆の柵から、素っ飛び、飛躍しているのに、柵の中の住人の何とも。
 それらは、創造価値、体験価値を経過した後に、態度価値に至っていたから
平然?と受けられたこともある。 実はよれよれ? あと講釈だから、まあ。
岩盤がなければ、やはり、厳しい事態。 何とか、こころ安らかに居る。
 最後は自分がつくり上げた魂の岩盤。 それは他者を愛する心根ですか。
人間の本質は『醜』ですか。ならば、他者も、自分も許せる! ったく。
 
 ~で、これも偶然で、文脈として丁度良いのが続く~ …としても不思議。
・・・・・・
6417,読書日記 ~『60歳からの人生を楽しむ技術』 ー1 
2018年10月08日(月)
             『60歳からの人生を楽しむ技術』渡部昇一著 
   * 人生を楽しむコツとは…
 51歳で、痴呆症だった母親を5年半の介護の後、看おくり、さて私の人生を
如何に生きようか自問自答したとき、<30年分の余生を、還暦まで圧縮する、
3倍濃厚に生きるべし>との内なる声が聞こえてきた。何回も書いてきたが、
それまで続けてきた
<秘・異郷ツアー>の行先の難度を1ランク上げ、回数も2年に3回のペースを、
 年2回に!> …他には
<個人用HPを開設し(当時はブログの出だし)、乱雑にしてきた情報管理
 をネット上に移行すること> にした。
これで60歳からの人生を‘気楽’に愉しむことが出来るようになった。
とすると、それまで楽しみを味わい尽くしておかなければならないことになる。
これを言っては身もふたもないが、とはいえ人生をそう気楽に楽しめる訳がない。
何事も準備、60歳までに30年分を凝縮出来たのは、それまでの30年以上の読書
の集積などの準備があったため。更に21歳時に、1ヶ月の欧州旅行の楽しみの
極致の味を経験したこともある。それと両親の晩年の人生への取組を後ろ姿から
学んでいたことも。 楽しみは、自ら創造するしかない。その為には内的に、
外的な準備が必要となる。人それぞれだが、こと楽しみ方では、無知に近い人が
まりに多い?… それでも知らないより知っておくべき遊び方が提唱されている。
 ~本書のエキスは、巻末にまとめられている。
次回からランダムに幾つかの各章を取上げてみるが… 
楽しみ方は、質の高い至高体験の味を経験すること。ある程度蓄積の質量が
高まると、「楽しみ自ら」が、知らずと擦り寄ってくる。最後に残るのは、
『楽しかった!』という実感だけ。そう思ったら、心の中で繰返すこと。

【  まとめれば ― 25のアドバイス

[基本的心がまえ]
   ◎晩年は「賢明さ」より「楽しさ」が大切
   ◎時間はたっぷりあるので焦らなくていい 
  ◎文科系の世界に生きがいを見つけるのが賢明
   ◎「自分もああなりたい」という存在を思い出そう
  ◎平凡な人の平凡な教訓が役に立つ

[自分のテーマを発見するには]
   ◎自分の能力が生かされることは何か
  ◎若い頃にやり残したことは何か
  ◎何をしている時が楽しいだろうか
  ◎願望は紙に書いて貼っておこう
  ◎実現の手段は考えなくていい

[不安から脱出するには]
   ◎心配性の人は水泳を習いなさい
  ◎15歳に戻ったつもりでスタートしよう
  ◎本当のあなたとは「あなたの意志」のことです
  ◎自分の自由にならないことは諦めよう
  ◎将来のことを考えて今日を生きなさい
  ◎恍惚となる時間を増やそう

[さあ、トレーニングを!]
   ◎カラオケで記憶力を鍛えなさい
  ◎毎日、音読する習慣を付けよう
  ◎脳の活性化のために舌の運動をしよう
  ◎「職務」を作って忙しく生きよう
  ◎「歩行禅」で脳と足腰を同時に鍛えよう
  ◎腹を減らして身体を刺激しよう
  ◎真向法で身体を柔らかくしよう
  ◎毎日、30分昼寝をしよう
  ◎寝室を分けて1人で寝よう

「あとがき」で、
<95歳まで生きれば、たいていの人は苦しまずに死ぬ。生への執着、未練も
 なくなるし、死への恐怖もなくなる。正に聖人、高僧の心境で、そうなればお経も
バイブルもコーランも不要になる。こんな観察にもとづいて、60で定年になった
人も、95歳をめざしてもう35年頑張ろう、ということを主張したかった> …

<若い時にお寺に入ったり、修道院に入れば、精神的・肉体的煩悩が多く、修行も
 辛いであろう。正にそれが功徳にもなるのであろう。しかし凡人が俗世で生きて
いくことにも、寺や修道院とは違った苦労が多い。お寺の中と世間の中と、どっち
の苦労が多いかわからないと昔の日本人は考えた。だから俗世間で苦労しながら
生計を立て、子どもを育てたような人が死んだ時、戒名を与えて、お寺の中の修行者
だった人なみに待遇して、あの世に送ってやるということを発明した
(戒名の起源はこのようなもので、日本独特の風習だという)>…

<老人は肉体的には成長できない。むしろ身長などは縮まる。しかし祈りや、
 黙想や、読経などにより、精神的には最後まで成長できるのである>

・・・・・・
6052,「老人の壁」 ~読書日記 -3
2017年10月08日(日)
            「老人の壁 :養老孟司 , 南 伸坊 (著) 」
   * 健康診断
 健康診断を国民的行事で行っているのは日本だけのようだが。このお陰で?
世界で1,2番の長寿国になったことも確か。健康保険制度の拡充もあるが…
還暦を過ぎたら、逆に「早いもの勝ち!」の考え方もある。私も、平均健康
年齢をこえつつある。75歳を私の健康寿命とみたてると、あと3年少しになる。
 まだ気持ちだけは若いつもりだが、75歳の後期高齢年齢を超えると、急激
の気も心も衰えるという。 ~その辺りの2人の対話から~
≪(南)先生は健康診断に行かないんですよね。
(養老)生きません。これはもうはっきりと言ってます。健康診断を受けても
  受けなくとも、平均寿命は変わりないという調査結果がきちんと出ています。
  検査で寿命が分かると言ってますが、神様じゃあるまいし。特に悪いのは
  ガン検診の結果、余命を言う。あと何ヶ月、今、これが段々と下がっている。
  一年と言ったのに、10ヶ月で死なれたら困るので短く言う。
(南)最近はだいたい、ガンじゃなくても「ガンだ」っていう。
  言っておいた方が勝ちなわけ。そうじゃなかったら、「じゃあ、よかった
  じゃないですか」って言える。
(養老)律儀にその通り死ぬ人が多いからね。
(南)日本人は、宣言されたとおりに死んでしまう。
(養老)それを避けるには検診に行かない、病院に行かない、これが一番。≫

▼ ジムなどで、「血圧や血糖値がどうだの…」聞えてくるが、第三者の世間話
 に、「それがどうした?」とも言えず…。 「どの道、助かるのは助かるし、
死ぬのは死ぬ」と、10年程前から、長年続けてきた年一回の検診を止めた。
検診では、ガンモドキの腫瘍を「ガン」など未病まで探られて、「とりあえず
薬を出しておきます」の言葉に惑わされてされて、一服盛られてしまう。
薬は続けて飲んでいると毒薬になる代物。 何種類の毒を定期的に何も疑わずに
飲んでいる姿は、何かしら哀れ? 確かに目先は効くのだろうが。その代表例が
抗鬱剤と称した麻薬。短期的には効果があるが、中長期的には薬漬けに… 
WHOのいう健康寿命は、「平均寿命から”日常的・継続的な医療・介護に依存して
生きる期間”を除いた期間」をいう。平均寿命より男性は約9年、女性は約12年
も短い。とすると、男性が70歳、女性が75歳になるが、身近を知る限り、それぞれ
10年は長い。 寝たきりなど介護を受け10年も生きるなら、健康診断を受けず、
手遅れで、サッサと逝くのも良い。が、いざとなると後悔するのが常のようだ。
週に5日、スポーツジムに通い、4日はエアロ・ヨガに参加しているためか、健康
そのものだが、なだらかな衰えは隠せない。あと3年、楽しめるだけ、遊べるだけ、
食べれるだけ、夕映えを味わうしかない。成るほど、人生は一瞬の稲妻と同じ。

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5320,閑話小題 ー曲線コースと直線コース
2015年10月08日(木)
   * TPPが合意されたが
 リタイアの身だが、TPP合意のニュースをみて、日本が今までと全く違った
領域に一歩、踏み込んだ妙な感覚になった。保護されてきた産業にとって
大打撃だろう。 日米を中心にした環太平洋経済圏の世界に入ったということ。
敗者はペルーやチリの貧民と同格の生活に入り、勝者は、アメリカの大金持ち
と同格になる。TPP成立は、さらに競争激化を我々に強いてくる。私たちの
世代の時代背景が、奇跡的に恵まれていたのである。貧富の差も、さらに
拡大し、一部勝組の総取りになる。65対35の総中流から10対90、1対99の
下流時代が、近未来に待っている。
   * 曲線コースと直線コース
 2日続きのノーベル賞が日本人に決定したが、 
一昨日の朝日新聞の「天声人語」が考えさせられる内容だった。
≪「自然は曲線を創り人間は直線を創る」と書き出す随筆が湯川秀樹博士にある。
 丘陵の輪郭から草木まで自然には直線はない。しかし田の区画や人家の屋根や
壁などは、すべて直線を基調としている。人間はなぜ直線を選ぶのか。
日本初のノーベル賞学者の考察は奥深い。 今年のノーベル医学生理学賞
決まった大村智さん(80)の来し方に、その短文が浮かんだ。
直線コースを歩んだわけではない。定時制で教え、大学院で学び直し、
微生物を探して土にまみれ――いわば曲線の歩みで大輪の花を咲かせた。
「成功した人は、人より倍も3倍も失敗している」はご自身の体験だろう。
とかく誰もが効率のいい直線を歩きたがるが、曲がったり折れたりの
道端にこそ宝がある。教えられるような受賞の笑顔だった。
 冒頭の湯川博士の随筆は「極微の世界」という著書にあって、人間は
曲線的な自然の外貌にひそむ直線的な法則を発見してきたと続く。そして、
さらに奥へと進めば、いっそう深い自然の神髄に触れるのではないかと語る。
その極微の世界の研究で、昨夜は梶田隆章さん(56)の物理学賞が伝えられた。
素粒子ニュートリノに質量があることを証明した業績は、宇宙の成り立ちを
探る分野での重要な一歩だとされる。
 宇宙間の万物を表して「天地人」などという。ビッグバンから138億年、
大宇宙では微の極みの「人」が自然の神髄を求める知的ロマンに、素人ながら
興味と感動は尽きない。さて、3日続きの興奮はあるか。(10月07日 朝刊)≫
▼ 宇宙の果てから降注ぐトリノ素粒子)は1㎝に650億個。それは、
 地球をも通り抜けていくという。 その発見に世界の科学者は必死だが、
それに質量があることを証明したというから、ノーベル賞に値する。
その素粒子は、我々に住む宇宙からではなく、他宇宙?からのモノなら、
話は、当時のコペルニクスの天動説など比べようがない驚愕に値する説。
質量を持った素粒子とは何かは、私でも時間をかければ理解できるのだろうか。
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2050年の世界 ー17
2014年10月08日(水)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
                 ~英『エコノミスト』編集部 (著)
   第八章 弱者が強者となる戦争の未来 ーのまとめ
第二次世界大戦後、戦争による死者の数は劇的に減っている。
 それは冷戦期、米ソの対立によって、戦争が逆に管理されていたから。
・その一方で不確実性は高まった。米英も地上兵力を科学技術力によって
 劇減できると考えたが、9・11を皮切りとする非対称的な戦争では、
 それは誤っていたことがわかった。
・技術の拡散によって、不良国家やテロ組織がアメリカに非対称的な戦争を
 しかけられるだけの力を持ってきている。インターネットを基盤とする
 既成の通信手段と暗号化ソフト、安価な精密誘導ミサイルと迫撃砲、人間が
 持ち運びできる新型の防空兵器、対衛星システム、対艦ミサイル、核弾頭を
 搭載できる高精度長距離弾道ミサイルなどの技術である。
・一方、地域間の紛争の危険も高まり、その紛争の原因は宗教を起点として、
 水やエネルギーなどの資源を実利として行なわれる。
・そうした地域間の紛争で、核兵器の使用の懸念がある。米ソ冷戦期に
 おいては、距離的な緩衝材があったために、核戦争は管理され実際には
 起こらなかったが、国境を接する国々ではそうした抑止の力がない。
・イランは確実に核保有国家になるだろう。米国と同盟関係にあるはずの
 アラブ諸国は、米国を信じておらず、米の核抑止力に頼らず、独自に核を
 持とうとするだろう。サウジアラビアとエジプト、そしてイラク、シリア
 などが核を保有しようとする
・現在英米の戦略は、空母打撃群を中心に、短距離飛行の戦闘機を中心に
 組み立てられているが、そうした戦略に危惧をいだく専門家もいる。
 彼らは、B-52のような長距離爆撃機こそ必要だと考えている。
無人飛行機などの戦争のロボット化は引き続き進む。
・先進国は、高齢化による財政悪化で、かつてほどは防衛費に国家予算
 を回せなくなる。
▼ そうこう考えると、40年の間で、核戦争が起きない方が不思議で、必ず、
何度か起こるはず。20世紀前半では、1億以上の人が犠牲になったが、一桁上
の人たちの犠牲も有りうること。まだ、国家単位の核攻撃の内容だが、他の
科学兵器を含めた使用もある。狂った猿の兵器が、ますます強大になっていく。
 

 

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 私にとっての『人生の特別な一瞬』とは何か…を書いてないか、考えたら
10数年前に、『白い雲に乗って』をテーマにして数回書いたことを想いだした。
ブログ内検索をすると、生々しい記録が出てきた。書きだしておいた秘儀である。
 早朝に夢うつつで書いたためか、リアルに『人生の特別な一瞬』が、そこに
記録されていた。成るほど、垂直に一瞬が切り取られているような… 
そこには一瞬一瞬を生きている家族があった。 時代背景が朝鮮戦争の頃で、
明日は何処かの日々。

≪ 2007/02/10  
  2139, 白い雲に乗って ー両親の思い出
 夜半に幻想的な夢をみた。小さな白い雲があった。それに乗ると、ふかふか
浮いて異次元の世界に引き込まれた。そこは4歳の頃の世界におりたようだ。
すべてが鮮明な蘇った当時の世界が浮かび上がってきた。
  両親がいて、兄達と姉達、そして多くの従業員がいた。そこは越後長岡の
十字路のど真ん中にある。当時の私にとって大きなビルの中。
一階が店、
二階に事務所と倉庫があり、
三階に家族の住まいと台所、四階には
従業員と姉達の部屋があった。白銀に輝くファンタジーの中に包まれていた。
 
 三階の住まいに猿のタロー、そしてタマという茶色の猫がいて、そのラジオ
から童謡とか歌謡曲が聞こえていた。 店には若い女店員が多くいて、ぼくを
「ハッちゃん」と頭を撫ぜてくれている、 正に当時の真っ只中にいた。
コロという生まれたばかりの白黒の小犬を運一・兄が拾ってきた。
そして三毛猫のタマとコロがジャレている。 
 その空間には何時も緊張感がただよっていた。或る日… 燕が飛んできて窓に
当たって死んでしまった。初めて死をみた瞬間だった。いやに首の下の赤い色が
印象的だ。そこを出たところには大きな通りがあり、多くの人が歩いている。
 
 小さな三輪車で駅の方に行くと右手に小さな公園があり、その脇に池があり
小さなスイッカスが水上を泳いでいた。そうだ、ここは公会堂の裏にある小さな山
の上に神社が祭ってある公園である。 周りを見渡すと植木の展示会が開かれ、
 多くの植木鉢がところ狭しと並んでいる。その先に大きい広場があった。
それは阪之上学校の運動場。何時もいる近所の子がいたので声をかけるとスーッ
と消えた。 夢をみているのだろうか?いや、夢のはずがない。ぼくは間違いなく、
ここにいる!ズットここにいるのだ。何で、ぼくはズ~ットここにいるのだろうか?
 忘れたが何か遠い遠い旅をしてきたようだ。 何の旅だったのだろうか、僕は
どこにいってきたのだろうか? そこで無性に悲しくなり大声で泣いてしまった。
泣いても泣いても、あの遠くのズット向こうの世界は戻れない!
ぼくはもう、あの遠い世界には返れないのだろうか?

 ふと脇をみると小さなコロが悲しそうな顔をして、ぼくをみていた。
でも、コロがいたので安心をして三輪車を引っ張りながら家路についた。
両親が忙しそうに働いている。その横で姉達は今度法事で着る洋服を試着して
笑っている。その後に夕飯の時間がきて、丁度みんなで食べようとしていた。 
父チャンがいて、ぼくもふくめて子供達が8人が勢揃いをしてご飯を食べた。
外がいやに賑わしいのでみると、長岡祭りの山車が次々と通っている。三階の
窓から手を振ると、屋台の上から男の人が笑いながら手を振り返した。
何かそれをみていたら 嬉しくてケラケラ笑ってしまった。しばらくすると父親
が今日の売り上げを持って、下にある店から上がってきた。嬉しそうな顔をして
札束を十枚ずつ数えて束にまとめて小さな金庫に入れている。 何か自分が白い
雲の中で浮いているような感じがしている。ふと目が醒めると、隣に両親が寝て
いた。あ〜ぼくは、一人ではないんだ!よかったと独り言をいった。
ここは間違いなく大手通の世界である。どうして、ぼくはここにいるのだろう!
それにしても、それにしても、どうして浮いているのだろうか?…というところ
で目が覚めてしまった。幻想的な遥か彼方の遠い世界に舞い戻ったのだ。 ≫
 ―――
 2147, 白い雲に乗って ー2    b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪
先日のつづきの夢をみた。半分は覚醒をしていたのかもしれない。
前回の夢が契機になって当時のイメージが ドンドン出てくる。如何いうことか?
それは57年前の世界そのものである。その世界から此方をみている感覚と、此方
の感覚の間にある塀の上での微妙な世界に立っているようだ。    
 ーー
 白い雲に乗って再び、その世界(4歳)へ行ってきた。そこは前回よりリアルな
当時の世界があった。中央保育園の面接があるというので、目新しい服を着せられ、
母の手に引かれて「同じぐらいの小さい子が多くいるところ」に行った。
そこは家から10分ほど歩いた小さな小路にあった。面接のオジサンがニコニコ
しながら、色々なことを聞いてきた。 母に前もって聞いていたので、驚くほど
上手く答えた。 恐らく入れるだろうと思った。家(店)に帰った後、三輪車に
乗って前の安栄館というビルの同じくらいの友達のところに行った。最近できた
大きなビルのところの子だ。何か遊んでいると楽しい! その数日後に場面が
変わり、幼稚園の合格のしらせがきた。手紙を待っていたが、何時までたって
もこないので、お母さんが「落第したのかもしれないけれど、そんなことがない
はずだが・・」と言う。ガッカリしていたところ、合格の葉書がやっと届いたが、
凄く嬉しい。

 クリスマスの飾り付けのため、二番目の姉の恭子と近くにツリーの飾りを
買いに二人で行った。大きな雪がフワフワと降っている。ツリーに吊るす色いろ
なものを二人で選んだ。 小さな家とか、星とか、動物とか、人形などがあった。
それを袋一杯に買って家に帰って3Fの食堂で飾り付けをした。
ラジオのクリスマスの音楽を聴きながら、それを他の姉たちと飾りつけた。
ツリーの電飾がいやに奇麗だ! こんな楽しい気持ちは初めてと喜んでいる自分
を誰かがみている。あれは誰だろう? 翌日の朝、枕元に箱に入ったサンタの
贈り物があった。雪が、ドンドン降っていて窓の下は雪で埋まりそうだ。
突如、周りを見渡すと誰もいない空間になってしまった。何処に行ったのだろう、
皆は! 白い靄がかかり、その中で恐ろしさが襲ってきた。目をつぶって白い
布団を被った。目が覚めると、そこは寝室の布団の中であった。(o・д・)バイ!

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2020年10月07日(水)
閑話小題 ~トランプ劇場 ―2
    * この程度のシナリオで終らないだろうが…
 トランプ大統領自身がコロナに倒れるシナリオだけでは、インパクトが小さい!
他に何か手段があって然るべきだが、そのシナリオの中身は如何に…?
ホワイトハウスの集団感染もあったが、これでも小さすぎる。感染する方も、
命懸け。コロナウイルスの集団感染(クラスター)は、ホワイトハウスの要人達
も用心をするから、これも困難極まりない。この騒ぎで不在者投票が拡大する為、
結果を遅らせる思惑もあるが、これとて見えみえ! 見栄をきっていた当人が
感染するのだから、3流のハリウッド映画のコメディになる。首になった側近が、
中国要人に次期大統領への手助けを求めたとを暴露したとか、しないとか!
この漫画チックの大統領を「中流以下の白人が支持している」というから、
ことは、当時のナチ支持のドイツ人並み。岩盤離れした一部白人へのアピール?
 
 バイデンの勝利は間違いほぼ間違いないが… 歴史に残るトランプのパロディも
面白く捨てがたい。落選の場合、ロシアか、中国に一家そろって亡命も有りうる! 
国内の政治体制も、トランプ落選を織り込んで、NO/2の菅政権に衣替えをした!
ポチも、ポチなりに、生存する戦略が必要となる。

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6780,閑話小題 ~そんなまでして生きたいか ー3 
2019年10月07日(月)
 どんなに達観している人も、いざ!自分に直面すると… 
「拷問は、むしろ苦しみを紛らわせてくれる」というから。
< 十分たったら、いや、三十秒たったら、いまにも魂が肉体から脱けだして、
もう二度と人間ではなくなるんだということを、確実に知る気持ちのなかにある>
 成るほど、最後の30分の苦痛がキツイというが、それは、逆に、心の苦痛を
癒してくれている? 一人称の、この私しか経験できない恐怖と苦痛、苦悩に
対峙して消えていく。この極めの中に、それまでの人生が集約されるのでは!
以下の内容を直視しなくては… 一人称のそれは、絶対孤独だもの。

  ~その辺りをネット検索から… 
≪ <思想犯として逮捕され、死刑を宣告されながら、刑の執行直前に恩赦に
 よりシベリア流刑に処せられた著者の、4年にわたる貴重な体験と見聞の記録。 
地獄さながらの獄内生活、悽惨目を覆う笞刑、野獣的状態に陥った犯罪者の心理>
<彼が二十八才の時、ある政治事件で逮捕され裁判にかけられて死刑判決を
 受けました(ぺトラシェフスキー会事件 一八四九年)。刑場に出た彼は、
銃殺刑直前に皇帝の恩赦が出て処刑を免れましたが、三十秒後の確実な死と直面
した時の体験を小説『白痴』の中で次のように書いています…(引用)>
    ★☆★
◉ 「…まあ、ひとつ考えてみてください。たとえば、拷問ですがね。この場合
は、その苦しみも傷も、すべて肉体的なものです。ですからそれはかえって心の
苦しみをまぎらしてくれるんです。ですから、死んでしまうまで、ただその傷
のためにだけ苦しむわけです。でも、いちばん強い痛みというものは、きっと、
傷なんかのなかにあるのではなくて、あと一時間たったら、十分たったら、
いや、三十秒たったら、いまにも魂が肉体から脱けだして、もう二度と人間では
なくなるんだということを、確実に知る気持ちのなかにあるんですよ。
肝心なことはこの『確実に』という点ですよ。…
 
◉ …いいですか、頭をこうやって刀の下において、その刀が頭の上へするすると
 すべってくる音を耳にする四分の一秒こそ、何にもまして恐ろしいんですよ。…
…殺人の罪で人を殺すこと(死刑)は、当の犯罪よりも比べものにならないくらい
大きな刑罰です。判決文を読みあげて人を殺すことは、強盗の人殺しなんかと
比べものにならぬくらい恐ろしいことですからね。

◉ 夜の森などで強盗に切り殺される人は、最後の瞬間まで、かならず救いの希望
 をもっているものなんです。もう喉を切られていながら、当人はまだ生きる
希望をもっていて、逃げたり、助けを求めたりする例はいくらでもあるんです。
ところが、死刑では、それがあれば十倍も楽に死ねるこの最後の希望を、確実に
奪い去っているんですからねえ。そこには判決というものがあって、もう絶対に
のがれられないというところに、むごたらしい苦しみのすべてがあるんです。
いや、この世にこの苦しみよりもひどい苦しみはありませんよ。 ≫

 ――
▼ 考えてみたら、私たちは須らく「死刑囚そのもの」。犯罪と言えば、
 生きてきたこと。特に無知と無能が、それを拡大させている。だから、
確実にある目先の「いま、ここ、私」が、気に入った触媒を探し、事として
味わうしかない。それが充実!ということ。50歳代に、これを徹したから
還暦以降、何かえの知れない解放感があった。会社清算も、肩に羽根が生えて、
飛んでいるような感覚があった。 『寝たきりでも、何でもいいから、生きて
いたい。』 拷問が如くであっても、そんなまでして生きたい!のが、本音か。
ということは、このテーマが甘い! ということ。 露わに生きるしかないと
しても。逆に、そう簡単に死なせてくれないのが現代医療。
 73歳と8ヶ月の実感、
『こんなに面白い娑婆、何でまた、生き急いでいる?』… 
『楽しいものは楽しまないと。何せ先は少ないし、元に戻れない!』
   ~成るほど、煉獄の心的現実は、こういう処ですか。

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3847, 創造的破壊
2011年10月07日(金)
「創造と破壊」について考えてみる。何か新しいものが創造される時に、
古いものの破壊が、そこにある。新しく創造されたものも、時間と共に古くなり
破壊される運命にある。破壊をマイナスだけで捉えるのではなく、創造のベース
として捉えることが創造的破壊である。 人生での挫折は、新しい自己へ生まれ
かわるための破壊になる。但し、それを糧に生まれ変わった場合だが。 
社会的な立場だけでなく、内面も重ねての人生の再生である。破滅の際だから
こそ変われる。順調に来た人ほど後半になっての挫折は、心に大きい重石となる。
しかし挫折は人生の節目をつくる機会でもある。竹の節は、これがあるから
大風の時に折れない機能として全体のシナヤカさのバネになる。
予定挫折のいう言葉もあるとおり、人生で無くてはならない節目は必要のこと。 
半年前の挫折?で、比較的平然でいられるのは、人生の前半に、多くの節目が
あったためである。 節目時は耐えるしかない。 しかし挫折経験こそ人生を
充実させてくれる。 どちらにしても人生に挫折の2や3つはつきもの。  
創造というと、まず「創造的破壊」が浮かんでくる。 ネットで調べると、
【 創造的破壊とは、オーストリアの経済学者シュンペーターによって
 唱えられた考え方で、非効率な古いものは効率的な新しいものによって駆逐
されていくことで経済発展するという考え方であり、その新陳代謝のプロセスを
そう呼んだ。不況は創造的破壊に必要であり、政府による介入はこれを妨げる
ものとして否定した。 現在ではこれを読み替えて、 企業活動の中で古いもの
を打破し全く新しいものを生み出す行動、という意味合いで使われることが多い。
 ドラッカーは、これに近い意味として体系的廃棄という言葉で述べているが、
組織でも何でも発展にはイノベーションが不可欠。「脱皮できない蛇 は死ぬ」
も、脱皮しおえた蛇はまたその外皮が支えられる体型までは急速に成長するが、
そこまでいくと、退化が始ってくるという意味。 創造と破壊は、対をなして
いるといってよい。・・・ 】
▼ デジタル化、ネット化は、この創造的破壊を加速する。
 情報化とグローバル化は、NO1以外のものを即座に駆逐するため、
創造利益を得るのが一部に限られる。しかし効率性からみて、最良のものが
生き残るシステムも決して否定できない。現在の世界の政治、経済の大混乱も、
ネット世界が現実世界とは別に出来、上位にたってしまった結果生じている
創造的破壊。この中で生き抜くことは至難の技。 全ての技がデジタル化し、
合理化を促すからだ。「面白こわい時代」である。 今回の私の挫折を
創造的破壊とすると、如何いうことか?考えるほど、人生の際(きわ)
が見えてくる!次の段階に踏み込め!ということ? 

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6416,読書日記 神さまって、そもそも何? ~2 
2018年10月07日(日)
   * 神を信じる方に賭ける(パスカルの賭け)
 学生時代、愛読書だった『パンセ』の<パスカルの賭け>に、嫌に納得した
ことを思いだした。都会暮らしに慣れず、孤独感にさい悩まされていた時に
手にした新約聖書に救われていた時があった。子供の頃、二年ほど、教戒師
家に来て、家族と説教を聞き、賛美歌を歌っていた時期があったから、抵抗感
なく聖書の世界に入ることが出来た。 学生時代の後半、同級生に、その話を
すると、「何で?」と不思議そうな目で見つめられた。 教養課程に、
キリスト教倫理』の科目があったが、他の学生はツマラナソウだったが、
一言一言が、心底に突き刺さるようであった。
・一日二時間の読書時間の確保と、
・心底に濁らせてはならない純真・純白たる領域の確保!
 これが学生時代の一番の収穫である。

≪ ‘パスカルの賭け’とは、
 「神を信じて、本当に神が存在すれば天国に行き、
 もし存在しなければ天国も地獄もない。
 神を信じないで、もし神が存在すれば地獄へ行き、存在しなければ
天国も地獄もない。ゆえに、 神の存否が分からない時は、神を信じた
ほうがよい。(パンセ)≫

 パンセといえば、第一節
< 人間は一本の葦にすぎない。自然の中で一番弱いものだ。
 だが、それは考える葦である>
があるが、その先の文章がよい。
< これを押しつぶすには、全宇宙は何も武装する必要はない。
ひと吹きの蒸気、一滴の水でも、これを殺すに十分である。>

  今さらだが、‘パスカルの賭け’ネット検索をすると…
≪・パスカルの賭けは、フランスの哲学者ブレーズ・パスカルが提案したもので、
理性によって神の実在を決定できないとしても、神が実在することに賭けても
失うものは何もないし、むしろ生きることの意味が増す、という考え方である。
パスカルは、神の本質は「限りなく不可知である」として、神の実在/非実在
人間の理性では証明不能だという前提を出発点とした。理性がその問題に答え
られなくとも、人は憶測や盲信で「賭け」をすることになる。実際には我々は
既に(信仰の)選択を行って生活しており、パスカルの観点から言えばこの点に
関しての不可知論はあり得ない。我々は「理性」と「幸福」という2つのことだけ
を秤にかける。パスカルは、神の存在についての問題は理性では解けないため、
コイントスのような「損失と利益の等しいリスク」があると見なした。そういう
わけで我々は、神の存在を信じたときの損失と利益を考慮して、自らの幸福に
したがって判断しなければならない。パスカルは「得るときは全てを得、失う
ときは何も失わない」として神が存在する方に賭けるという判断が賢いと主張。
すなわち、神が存在するなら永遠の命が約束され、存在しない場合でも死に際
して信仰を持たない場合より悪くなることは何もない。 
パスカルの賭けで定義される可能性は、以下のような意思決定マトリックス
使い不確かな状況での選択として考えることができる。なお、パスカルは地獄
については何も言っていないし、神が存在してそれを信じない場合に得るものに
ついて何も言っていない。彼の観点からは神を信じることで無限の利益が得られる

▼ 中原中也の『汚れちまった悲しみに』が、ふと思い立った!

「汚れちまった悲しみに・・・」

 汚れちまった悲しみに
 今日も小雪の降りかかる
 汚れちまった悲しみに
 今日も風さえ吹きすぎる

汚れちまった悲しみに
たとえば狐の皮衣 
汚れちまった悲しみは 
小雪のかかってちぢこまる

 汚れちまった悲しみは
 なにのぞむなくねがうなく
 汚れちまった悲しみは 
 倦怠のうちに死を夢む

汚れちまった悲しみに 
いたいたしくも怖気づき 
汚れちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる
              【中原中也


後記: 個人HP内検索に【パンセ】を入れると、2004、2005年に
 テーマにして書いていた。本来は、これを書上げる前に気づくべきだった。
〔 行蔵、嘘つかない! 〕 我ながら真面目。メルクマールそのもの…  
それにしても詩人は凄いこと、お書きになる!

――――
2005/07/31 
1580, パンセについて

昨日の随想日記の昨年の同日分に、パスカルについて書いてあった。
その中の格言を読み返してみて、現時点の考えを書きたくなった。
学生時代に感じたこととは自ずから違ってくる。

・人間は一つの極端にあるからといって、その偉大さを示しはしない。
 むしろ同時に二つの極端に達し、その中間を全て満たすことによって、
 それを示すものである。
 ーー
 二つの極端とは、善と悪・神と野獣・観念と実践、等々あるが、
 中庸こそ偉大さがあるということか。
 偉大さも所詮は人間の価値観の判断でしかない。

・人間は偽装と虚偽と偽善にほかならない。 
  自分自身においても、また他人に対しても
 ーー
 偽装・虚偽・偽善と気づくかどうかだ。

・もしクレオパトラの鼻がもっと低かったなら、世界の歴史は変わっていただろう。
 人間のむなしさを知ろうとするなら、恋愛の原因と結果とをよく眺めるがよい。
 -ー
 恋愛の原因と結果とを眺めてみて、男とは他愛のないものである。
 それだけ若き性欲は昇華して恋愛を促進する。
 その障壁が高ければ高いほど燃え上がり、お互いが見えなくなるから困ったものだ。
 
・人間はつねに、自分に理解できない事柄はなんでも否定したがるものである。
 --
 それが、親から・環境からの植えつけられた強固な先入観であれば、
 養老猛のいうバカの壁になってしまう。
 
・人間相互の尊敬を結ぶ綱は、一般的に必要から生じたものである。というのは、
 全ての人間が支配者になりたがるが、みながそれになるわけにはいかないし、
 種種の階級が存在せねばならないのだから。
 ーー
 お互いの尊敬か~ 

・悲しみは知識である。多く知る者は恐ろしき真実を深く嘆かざるをえない。
 知識の木は生命の木ではない。
 ーー
 軽く、いや生命の木でもある!といえないところが、この格言の深いところである。
 不条理が何事にもついてまわるし、無知の涙と同じくらい知識は涙をともなう。 

・好奇心というものは、実は虚栄心にすぎない。
 たいていの場合、何かを知ろうとする人は、ただそれについて他人に語りたいからだ。
 --
 実をいうと、これがあるから、この「随想日記」が続いている。
 これが無かったら、これだけ毎日本や雑誌などこれほど読まない。
 といって、その時点時点の好奇心を書き残すのは、
 自分のためのメルクマールである。
 パスカルもそうだったのだろう。
 
・人からよく言われたいと思ったら、自分のよいところをあまり並べ立てないことである。
 --
 このHPを閉鎖して方がよいと、忠告されてはいるが。
 人に良く思われたいと全く思わないから自分のことを並べ立てることができるのだが。。


・・・・・・・・・

閑話小題 ~‘エッ’…何なに!  -⑥

 

◉ ベネターの論証の核心は「誕生害悪論」とでも呼べるもので、それは
「この世界に生まれてくることは、誰にとっても、生まれてこないことより、
必ず悪い」という主張です。 まずは時代背景と、出生の良し悪し。
北朝鮮で生をうけて、金王朝・絶対主義の洗脳を親・親戚縁者から受けて、
疑問を持つことが許されないならば、「誕生害悪論」も受け入れざるを得ない。
生れたきて此の方、一番良かったことは何?という問題設定し考えたことが
あった。その結論は…<私として、両親から生まれてきたこと!> 
せめて自分だけでも、そう思うことしかない。

◉ <恒産なくして恒心なし>は、四書の一つの『孟子』に基く故事、慣用句。
「生活の経済的基盤がしっかりしていなければ、信念に貫かれた安定的な精神を
保つことはできない」ならば真逆の<誕生祝福論>も考えられる。誕生そのもの
を喜ばれ祝福され蝶よ花よと育てられたのと、その真逆の環境で育てられたの
では雲泥の差が出来て当然。分類される直前の義務教育直前の中三のメンバーが、
60年後にもスライドしている現実。…例外もあるが、その曲線は歳をおうごとに
拡大する。 世の中には… 「3,30,67%の法則」が存在している。
それを乗越えるのは至難の業がいる。幸せの人は、何があっても、幸せの生涯が
待っている。 まあ、その真逆も…ある。変えることが出来ないのが、宿命。
努力で変えられるのが運命。その見極めを何処につけるか!

◉ このコロナ禍も、30~40年続くだろう激動の一環の一つ。割切るしかない。
 大変な時節に入ったようだ。それにつけても、良い時代に生きてきたと実感
する日々。その変化する中で、自らも変化するしかない。 チャレンジ、闘い、
その結果の変化の繰返しの中で、生きていくしかない。
やはり、何処か『誕生祝福論』が付いてまわっている。

・・・・・・
7145,映画評論 ~『浅田家』 ―2 家族写真、あれこれ! 
2020年10月06日(火)
   * 写真は1000分の1(刹那)空間の切取り!
<家族写真は大事>を、昔から実感していた。街には必ずといってよいほど、
一軒は写真館があった。「7・5・3」とか、法事の記念写真の習慣があった。
この映画のテーマが 家族写真をモチーフにしているため、味わい深かった!
 幼児頃から両親の膝元で、聞かされた四方山話が私の人生の基礎になっていた。
大学時代は友人に…、結婚をした直後m家内に「老成している」と言われて
ドキッとしたことがある。数多の危機や節目を乗越えられたのも、このお陰。
壁になってはいたが、人生の最終場面でも、危機管理を事前に手配していた為。 

 父親から学んだことは、「ライン(塀)」を自分の周囲に囲んでおくこと。
これが【閑】の「【門】としての塀になっていた。とすると【木】が己!
こういう知恵は誰も教えてくれない。「木」は行蔵、知識、情報。家と庭の
草木を加えて家族になる! 家族写真と、家族の集合写真は違う。この辺りを
気づいた主人公は人気となり売れっ子になる! スマートフォンで、写真、
映像を気楽に撮れ、保存可能な現在、羨ましい限りである。個々人の基礎
知識の底上げになってしまった!
 
 20年近く、このテーマ日記を書き続けてきたが、蓄積する度に手応えが
増していった。家族写真を、家族の節目時に取り続ければ、そのまま人生の
ドラマになる。魂は、その時々の集中から生まれる。相撲の立合い!そして
数秒で大部分の勝負が決する「美」を、そこにみる。 今回の家族写真の
テーマは、1000分の1の瞬間に、背景にある家族事情と、個々の魂の構造が
組込込んであることを教える。

・・・・・・
6779,閑話小題 ~今の時代に…何? 
2019年10月06日(日)
   * 今どき、耳を疑うような汚職
 今どき関西電力上層部の汚職事件が… 。何か深い闇が広がりを感じる事件。
検察からのリークか? 内部告発か。その贈賄側の主役の当事者が、この春に
亡くなっていた。病死のようだが、事件が事件だけに、自殺か、他殺かと頭に
よぎる。 韓国・闇政治の世界を他山の石と笑っていられない。これだけ露骨
汚職をマスコミが、感知出来なかった報道関係者にも責任が? 
政治家絡みもあってか、関西というと …? 反応が鈍い。
 ―
   * ワールドカップラグビーが面白い
 昨夜、TV観戦を楽しみにしていたが、その直前、爆睡してしまい目を覚ました時
に終わっていた。快勝していたから悔しさ倍増。あまりラグビーをみなかった私が、
このワールドカップをキッカケにファンになったのだから、好い加減なもの。
自国に関わらず、強豪同士の試合が、心に余裕を持てる分、楽しめる。
 世界一位をかけ、自国の名誉のため、死力を尽くして戦うのだから、面白いに
決まっている。2mもある大男が集団同士でぶつかりあう。ルールも見ている内に、
解ってくる。ルーツは、「サッカーに興じていた男たちが、我を忘れて、手に
持ってゴールに向かったのが始まりだから、ルールのベースはサッカーに。
ラグビーの選手ほど、収入面で割の合わないスポーツはない。名誉のため、
戦っているため面白さが倍増する。ハリウッドのドンパチと違うのはこの辺り!
 ―
   * 最近、このアップが遅れる訳
 10日ほど前から、このアップが遅れるのは、何故かネット接続が不調に
なるため。あれやこれやで、9時過ぎに、ネットの電源と配線をリセットし、
パソコンもゼロにして… そのストレスたるや。ただ、諦めず独り淡々と
粘るしかない。そのストレスの対処は、慣れしかない。慣れてしまえば…

・・・・・・
・・・・・・
4211, 異郷日記 ーアフリカの不思議の力
2012年10月06日(土)
  * ライオンの魂       「異郷日記」西江雅之
 アフリカ、アメリカ、中国、東南アジアに住んでいた頃の逸話は、生々しく
惹きつけられるものばかり。アフリカでは、今でも魔術が信じられている
ところが多いというが、芯から信じれば、それは現実。ー以下も、その一つー
≪ 不思議な力を持つものには、以前に出会ったことがある。東アフリカで
 生活をしていた頃のこと。村人の話によると、雄のライオンのなかには、
死ぬ瞬間に自分の魂を勢いよく口から吐き出すものがいるという。普通の
姿勢を保っている状態では、ライオンの口は下を向いている。死ぬ瞬間に
吐き出される魂は、地中深く埋まってしまい、人の目に触れるしとはない。
ある猟師はライオンに出くわしてしまって正面から撃った。その瞬間に
ライオンも自らの魂を吐出した。その魂が飛ぶスピードは弾丸並みであった。
そこで、猟師とライオンは相討ちとなり両方とも死んでしまった。
まことしやかに話すというのではない。本気で語っているのである。
東アフリカの多くの地域では、ライオンの魂は貴重品である。
それを家に置いておいたり、携帯していたりすれば、戦争に行っても
弾には当たらない、旅に出ても強盗に襲われない、病魔も近づかない・・
などなど、如何なる災害からも身を護ってくれると信じられている。
ある時、わたしはそのライオンの魂なるものを村人から手に入れた。
直径三インチほどの毛玉のようなものである。わたしの目には、それは
どうやらライオンが食べた動物のうぶ毛が腸のなかで結石のようになった
もののように見えた。とにかくそれを持って町に帰り、嬉しくなって
近所の人にそのことを話したら、なんということか、その後の何日か、
わたしの部屋は狙われ続けて、すベての害から身を護れるはずのものを
手に入れた途端に、それまでは一度もなかった害の恐しさを経験する
ことになったのだ。ライオンの魂は、それほど素晴らしく、安全を求める
人心を惑わすほどどのものなのだと、わたしは納得した。 ≫
▼ 「所有すると、その家に不幸があると言われる高村光雲の像を一時期、
 購入して所有したことがあったが、何故か不幸が続いて気持ちが悪くなり、
売ったことがある・・云々」という逸話を父から聞いた話が妙に記憶に
残っている。私の高校の知人が写真家をしているが、仏像の写真集で写真を
撮っているときに不思議なことの連続だったという話も聞いた。
それと、このライオンの魂の話は少し違うが、こういう話を聞いて信じるか、
信じないかだけである。現在、「神は妄想である」という遺伝学者の本を
読んでいるが、これが面白い! 裸の王様の一神教の信者の愚かさ、
信じる者は救われるか! 逆か?
・・・・・・
6050,「老人の壁」 ~読書日記 -2
2017年10月06日(金)
            「老人の壁 :養老孟司 , 南 伸坊 (著) 」
   * 生まれ変わる快感!
 人生とは、「生まれ変わる快感」が突き動かしている、という切口で
 振り返えみると、納得する。
・21歳の7月の30日の欧州旅行で、それまでの固定観念の壁が崩れてしまった。
  「世界は広く、深い」という実感。あの時に、生まれ変わっていた。
・翌年、武澤ゼミで、現象の中にある真理を科学的に解明する訓練を一年間させ
 られた。 いま流行りのオープンハウスに近い25人の寮生活。他者の私生活と
 内面そのままが現われ出る中での、互いの葛藤の経験も生まれ代わりの一つ。
・それから51回の秘異郷を中心とした旅行も、その都度、「生まれ変わって
 帰ってきた」。ロッキー山脈を遠望して、「何、これ! ここは地球?
 これを見ないで死ぬと死なないとは天と地の差。それにしても!」と…  
 40、50歳代に、このような感動を数多く出来たのは、「生まれ変わる快感」
 の味を知ったため。このブログの記述と公開も、日々、生まれ変わるため。
  ~その辺りから抜粋~
≪(南)真面目な人は、お手本通りにやろうとする、そうするとうまくいかない
  ことがストレスになったりする。いわゆる評価じゃないものが見えてくれば、
  やっている途中も、やっていること自体が楽しい。そういう、自分が楽しむ
  方向を見つけられればいいですね。
(養老)自分が知らなかったところに行き着けば、自分が変わり、世界が突然、
  変わってしまう。「それまでのわたしは、そのことを知らなかった」という
  発見です。世界は広くて、そんなことはたくさんある。それを覚えると、
  年を取らない。だってそうでしょ? しょっちゅう生れ変わってんだもの。
(南)世間で言われる正解というものがあると思うから、つい後ろの解答ページ
  をみてしまう。それをやると、もう楽しくなくなる。僕は「わかった嬉しい」
  と思っていたけど、今までと違う人になることが嬉しいんですね。
(養老)虫なんかしょっつう見ていると「ええ?こんなふうになっているよ!」
  と仰天する。病みつきになって、やめられない。1人でいて、ほっておかれ
  ても何も気にならない。 …
(養老)本当は、勉強や学問ってそういうもので、自分が知らなかったことに、
  気づくという、それだけでなんです。そういう楽しみを持たない人が増えた
  としたら気の毒ですよね。今の親や教師に真面目な人が多いから、その快感
  を教えられる人が少ないんじゃないですか。
(南)それまでちゃんとした答えだけでやってきた人が先生になってしまうと、
  それは教えられないですね。正しい答えじゃなくて、わかった!ってときの
  快感ですもんね。
(養老)案外、古典なんかにちゃんとあって、ゲーテも「死んで生まれ変われ」
  などと書いています。前の自分がいなくなって、新しい自分になるという
  ことです。確かに近代生活の中できちんと生きていたら、そういう楽しみは
  妨害される可能性がかなりたかまる。学んだり発見する喜びは内面にあって
  他者の評価によらないし、それが人を若々しくしたり幸福にするというのは、
  当り前のことなんでしょうけど。 ≫

▼ 書き続けていると、そして、同月同時の過去文を読返していると、当時の
 己と、現在、読返し、時間をおいた自己対話が「自分」ということに気付く
ことになる。そこに年々、生まれ変わっている「自分」が見て取れる。知らない
人からみたら、今でも内面は激しく変わっているのだから、「大変な人」だが、
それが至極当然のこと。穴倉も、岩場の外の、内海も、外海も、大して変わりは
しないとはいえ… 少々、危険でも、外海も出ればこそ、何らしか、想像を
絶した世界が広がっている。

・・・・・・
 
・・・・・・
6415,読書日記 ~神さまって、そもそも何? 
2018年10月06日(土)
          『砂漠と鼠とあんかけ蕎麦』山折哲雄五味太郎・対談
   * 神様はなぜ必要か
< 五味: 神様はなぜ必要なんでしょうか?
 山折: 対話者が必要なんだな。人間同士ではちょっとレベルを超えた対話者。 
    そういう上位のパートナーを人間は本質的に必要としている。
 山折: 母親と子供、父親と子供の関係で一番大事なのは、やはり聞くこと。
    それで解放されていく。仏教は、最終の重大問題にしたのではないかと。
 五味: 「人というのは罪を犯すものだ」という形で、それをどう救済して
    いくかという感覚で立ち向かうビジョンと、初めから殺すな、盗むな、
    何するなって止めていくタイプと、あります。
 山折: そう、殺すな、嘘いうな、盗むなという黄金律を守る流れと、
    聞いて聞いて聞くことに徹する流れと、二つあります。
 山折: 五味さんの胸をすくうような次の一言、
    「神さまは無神論者だと思いますよ」 これは本当に驚きました。…
    無神論者の神であるなら、宇宙の秘密を読み解くなど朝飯前のこと、
    ビッグバンに火を点けた張本人もまた無神論の神だったかもしれない。
 ―
▼ アラブ人用に、AC/610年にモハメッドがイスラム教を立ち上げた。
 その源流は旧約聖書があり、モーセの律法を行動規律とする。ユダヤ人を
神が選んだ民として考え、終末論とメシアの到来を信じる宗教。奴隷として、
エジプトに従属していたユダヤの民が脱出してイスラエルの地に帰国した、
その時からアラブの民と摩擦が生じ現在まで至っている。キリスト教は、
その亜流で、新約聖書の教えがある。仏教はインドの風土が生んだ宗教。
 
 ―
 山折: 砂漠の民は、考え抜いて手段を発見しないと死滅してしまう。
    風土に圧倒されてしまう。我々は何も考えなくとも、豊かに生活
    しているわけです。森と川、森の幸と、川の幸、これだけ恵まれて
    いるのは世界でも日本だけ。ものを考える必要が無い。
 五味: 翻って、生き抜くための精神力みたいな意味での宗教と、ぼんやり
    している時に出てくる宗教とは、似て非なるものですか。
 山折: 一神教というのは「信じる宗教」、天上の彼方に永遠の絶対神
    存在するかしないか、それを信じるか信じないかが決定的な問題。
    だけど、我々の豊かな自然界が存在する世界では、そこに身をひたし、
    自然に共感していけば、充分に救われる。僕は、「感ズル宗教」と
    言っている。
 五味: そんなことを言っていたら、砂漠では死んでしまう。
 山折: ものを考える必要がない。だから感じていればいいわけ。
 ー
▼ アラブ人用に、AC/610年にモハメッドがイスラム教を立ち上げた。
 その源流は旧約聖書があり、モーセの律法を行動規律とする。ユダヤ人を
神が選んだ民として考え、終末論とメシアの到来を信じる宗教。奴隷として、
エジプトに従属していたユダヤの民が脱出してイスラエルの地に帰国した、
その時からアラブの民と摩擦が生じ現在まで至っている。キリスト教は、
その亜流で、新約聖書の教えがある。仏教はインドの風土が生んだ宗教。
 人間は、何はともあれ孤独の存在。最期は死に直面し、絶望の中で死ぬ存在
である。死だけではない、何かを決断する時、孤独の際に立つしかない。
内なる世界で自己対話で決断するが、その時に、内なる対話の相手に、
過去の人たちの苦悩と、解決策の集約した答えを神が導いてくれるか、
どうかでは雲泥の差がある。神の代わりが、愛してくれた両親でもよいが、
熟練してる、神様が相手なら、最善に導いてくれるはず。神の魂と同化し、
その知恵なら間違いは最小で済む。私の現在の対話相手は、毎日読返す、
このブログの同月同日の、かって書いた文章。
  
・・・・・・
3846,‘よい写真を撮る’コツは ?
2011年10月06日(木)
 海外旅行など、つまらない写真を見せつけられて困った経験は誰もある。
それは撮るほうも撮られるほうも構えるからである。私もスナップ写真を中心
に多くの写真を撮り続けてきたが、少しは真っ当な写真が撮れるようになった
のが、デジカメで写し始めてからである。 デジカメはコストを考えないで
済むので、気分に沿ってドンドン撮り、後で気に入ったものを選べばよい。
 観光地などの写真は、幾らでもネットや絵葉書で入手が可能。そこには、
自分が撮ったという現場感覚が入ってなくては面白くない。写すというより、
その場の雰囲気に従って対象から逆に「自分の一番良いところを撮ってくれ」
と、指示された目線で撮るとよい。その為には対象の景色に、まず感動し、
その感動をカメラに収める気持ちが必要である。また小さな花をアップにし、
その背景として撮りたい景色を背景にすれば、大小のコンストラストが現場
の空気を際立たせてくれる。 人物を撮るときに、「撮りますよ」と自分から
構えては良い写真は撮れない。後姿やリラックスの自然体の姿を撮るのが原則。 
その為に、その人の表情が出てくるタイミングを待たなければならない。
だからハイ(雰囲気に酔った)の状態で、その場を撮ると比較的良いのが撮れる。
それは、その場に自分が溶け込んでいるためである。篠山紀信荒木経惟
女性などの撮影現場をTVでみたが、徹底的に相手をリラックスさせ、
その個性が湧き出るまで待っている。 その為には、まず撮影していること
自体を忘れさせてしまう。動物も人間も見られると緊張する生き物。 
電信柱にとまっているカラスをジッと見つめると、緊張の反応を示す。
人間も同じでカメラなど構えれば、緊張するなという方が無理。そこで、
撮影を忘れさせ、何気なくカメラを向けると良い。今まで、デジカメは
少しは使いこなせたが、一眼レフを使いこなせたことはない。どうしても、
構えて良い写真を撮ろうと、構図の選択に構えが出てしまうからである。 
対象の真善美を、リラックスした自然状態で、純心に同化することが理想。
その為には、やはり場数と、基本的原則を知っていなければならない。
何ごとも同じ。スナップ写真こそ難しい。 文章も同じことになる。

読書日記 ~『人生の特別な一瞬』長田弘著

 

 人生の特別な一瞬は… ごくありふれた日常の中にあると… 
人生で体験、経験を重ねる以前に『人生の特別な一瞬』を経験するがよい。
 『人生の特別な一瞬』を、21歳時に、欧州一周ツアーに参加して魂に電撃を
受けた。 当時の感想は…<冒険映画で、財宝が隠されている谷間に転げ落ちて
金銀の輝きにあたふたした自分がいた。> パリ・凱旋門とシャンゼリー通り、
セーヌ川エッフェル塔があり、ルーブル美術館には、ダビンチのモナリザ
絵画があり… 何もかもが眩いくらいに光り輝いていた。…初回性ショックの
連続だった。それまで頑なに取囲んでいた殻が、完全、消滅していった。

 人生には横に流れる時間と、縦に流れる時間がある。そのクロスの濃い奴を
特別な一瞬というが、「時間が止まる」感覚になる。 これは意識すれば、
つくれるから、ある特定の人に集中が可能に… いそいそと秘・異郷ツアーに
行くのは、この特別の一瞬を味わうため。別に地球の果てなど行かなくても、
コンサートや、歌舞伎でもいい。特別の一瞬は、その人の経験として行蔵に残る。
A
 ~mazonの「感想」が簡潔で良い~
<「人生の特別な一瞬というのは、本当は、ごくありふれた、なにげない、
 ある一瞬の光景にすぎないだろう。
 …ほとんど、なにげなく、さりげなく、あたりまえのように、
そうと意識されないままに過ぎていったのに、ある一瞬の光景が、そこだけ
切り抜かれたかのように、ずっと後になってから、人生の特別な一瞬として、
ありありとした記憶となって戻って来る。」と…>

<…元日に読むのにふさわしい本だった。新しい一年が始まったので、
 去年までの自分の中の言葉を新しくして、新鮮な気持ちで毎日を過ごしたい
という想いを後押ししてくれる珠玉の言葉に溢れている。 これを読むと
「人生の特別な一瞬」はどこにでもあることが分かる。雑木林、五月の海、
旅先での雨。このようにありふれたものと出会いを特別な一瞬に変えるためには、
常に開かれて瑞々しい心を持っている必要がある。そんな心を持つの簡単では
ない。しかし、この詩集はそれを可能にしてくれるのだ。>

<…長田弘さんの「一瞬」の豊かさを、静かに浴びるような読書。
わたしも自分の一瞬を書き出してみようかな、と思う。そう思うだけで、
満ち足りた気持ちになってくる。 そして、こんなこと書いている今のことを、
いつか特別な一瞬だった、と振り返る時がくるかな、と思う。>   

<「海はわたしたちに、目を上げて、水平線を見はるかすことをおしえる。
 目を伏せることでなく。」「人生は完成ではなく、断片からなる。」>

<『断片のむこうにある明るさというか、ひろがりだった。』 
 …誰かの歌に『ここではないどこか』というのがあった気がするが、長田さん
のこの32編は『旅』(遠くても近くても、又、誰かの『旅』でも)からの
『その一瞬』だった。好みはそれぞれの心の中の川・無言の風景・もう一度ゆき
たい場所・・歳歳年年もいい。わたしは心の中で『ここではないどこか』をいつも
欲している。けれど何処へも行かれないのを知っている。だから、読書では自由に
想像の翼を広げている・・         >

 ―― 
▼ 最近になって、『人は生きてきたように、死んでいく!」を実感する。
 私のような愚鈍の人間は、一杯一ぱい生きるしか能がない。満足などする
必要がない人種とは、違うということを青年期までの挫折で知っていたから
こそ、未練なぞあろう筈はない。 今だからこそ言えることだが!

・・・・・・
7144,閑話小題 ~どうなってる?  ~2 
2020年10月05日(月)
    * 一年経過したが、その後は?
 ―茨城県境町若林の民家の一家殺傷事件―
 何やら得体のしれない事件。<茨城県境町若林の民家で会社員の小林光則さんと
妻の美和さんが殺害され、長男(13)と次女(11)が重軽傷を負った事件… >
気がつけば一年も経過したにもかかわらず、未だに犯人の手がかりがない。
県境にあり、警察も捜査が絞れないのだろうが! 大きい犯罪は無いが、こそ泥
は屡々あったことから、明かに近隣に住む者と見られ、解決は早いと報じていた。
一年も経過すれば、事件は風化を始める。
 ―
    * 数日前は、認知症の3時間講習!
 70才代に入った3~4年程前から、何やら、物忘れが多くなった。
そして一昨年の暮れの新潟駅周辺での『忘年会』で、冷酒の過飲もあってか、
ブラックアウトになり、頬と唇を裂傷してしまった。その裂傷が治りかけた、
10日ほど前には、早朝のポタリングで自転車が転倒し右睫毛下を二㌢程裂傷。
 ―
    * 去年・同月同日のテーマ
 書上げて、去年のテーマを読返すと、恐ろしい文章が出てきたが、現在の
パンデミックは、さらに恐ろしい事態! 大したことが無いと楽観視していた
ブラジル、英国、アメリカのトップも被災。漫画的と笑っていられない。
本人だけでなく、国民が最大の被害者になるため、見逃すことができない。
書いた時点で、これよりも遥かに深刻なパンデミックが起きようとは…
そして、そのツケは近未来に必ずまわってくる。
問題は、このレベルでおさまるか、100年前のレベルに拡大するかの、
見極め! 流れは後者!
・・・・・・
6778,閑話小題 ~南海トラフの大地震津波の脅威! 
2019年10月05日(土)
   * 30年以内に交通事故が起こる割合は24%
 今後30年以内に「南海トラフ地震の起こる割合が70%に対し、
30年以内に交通事故が起こる割合は24%。火災の羅災率は1・9%。これに対し、
ほぼ100%が保険をかける用心深さに対して、あまりに楽観的過ぎる日本人。
<今後30年以内に「南海トラフ地震の起こる割合が70%>は、実は非常に危険
な事態で、東北大震災を経験してきたのにも関わらず一時期、マスコミが
面白おかしくつくり上げた話題としか捉えられないのが現実。私が20歳、いや
30歳代としたら、首都直下を含め、名古屋、大阪に住んでいたら、吾が身に
対する保険として、直ぐにでも引越すのが妥当… にしても何だろう、
人口の過半数が対象地区になり、報道機関も煽り立てることは良識に反する?
周囲も今さらと騒がないからである。まずは、直下型と、南海トラフが重なった
東京のど真中の○○から、行動として見本をみせるべきでは? それを推し
進めるべきが首相では? 在住のインテリと称する知識人では?
「そう言われるまで、解らなかった!」と、聞えてきそうだが、実は私も!
 
・・・・・・
6414,閑話小題 ~巨人の次期監督は 
2018年10月05日(金)
    * 高橋監督辞任で…
 巨人の高橋監督が辞任を表明、受理された。 球団の内部環境が悪いのは
分かるが、巨人の純粋培養のスター選手の監督選定に問題がある。
座卓犬は監督にそぐわないのは自明。二度の原監督の失敗?に懲りず3度め? 
同じ轍を踏まないと思うが、ギャラリーとしては、俄然、面白くなってきた。
・内部昇格とすれば、安倍と、元投手の斎藤が考えられるが、同じ穴の貉。
 やはり、外の水を飲んだ、松井秀喜、桑田、江川、中畑などが、頭によぎる。
・現実的なのが、桑田監督。次期監督含みで松井副監督、江川バッテリーコーチが
 面白い。松井も、江川も監督以外は断るだろうが… 今さら晩節を汚さないと。
・変わったところで、野村監督の息子が如何だろう。黒子としての親父と一体と
 するには、無理があるか。親父が許さないだろうが。
・もう一つ、インテリジェンス(地頭)が良いイチロウが面白い! 
 世界ブランドが汚れるから、断るだろうが…
・ネットニュースで、『後任に原辰徳が4年ぶりに指揮を執るのが有力(報知)』
 とあるが、あまりに新鮮味がない。
等々かんがみ観ると、ヘッドコーチに川相の桑田佳祐が、的を得ている?… 
ドン様に実権があるなら、江川になるが、その辺の事情はどうだか?
優勝争いなど、如何でもよいなら、イチロウ監督、江川ヘッドコーチが絵になる。
 
★ 他チームの監督が最も薄気味悪くなるのは、篠塚、川相、安倍。 
 取組み易いのは采配データー豊富の原元監督。 …まさか、ないと思うが?

・・・・・・
5682,瞑想とは ~3
2016年10月05日(水)
          <ボケない!脳が若返る「めい想パワー」SP
                 2016年9月28日(水)午後7時30分>
  * 瞑想の目的は何だろう?
 瞑想とは何か、その目的とは何かについて考えるため、ネットで、
 <瞑想の目的>と検索すると、明快にまとめた内容があった。
≪ 瞑想の目的は、悟るため?いえ、そうではない。悟りたいと思って瞑想
 している限り永遠に悟りなどやってこない。むしろ神経過敏になる分だけ、
ろくなことなどない。 瞑想は、ただ、「気づき」のための時間である。
「気づき」と言うと、何かすばらしいことに気づくための時間と誤解する人も
いるかも知れないが、これまた誤解を招きそうである。言い方を変えてみよう。
英語で言えば"be aware of"、つまり、「~に気付いている状態」、または
「目覚めている状態」とでも言ったほうが近い。ただひたすら、自分の周りで
起こっていることを、そのまま感じるための時間である。
 「ヴィパッサナ」という瞑想法がある。自分の呼吸を見ることだけに意識を
集中させる。吸う息、吐く息をじっと見つめる。40分間くらい自分の呼吸を
見つめることができるようになれば、とりあえず合格。 しかし、時間を
はかったりすれば、それは呼吸以外のことに意識が行っているわけだから
失格になる。しかし、あまりかたいことを言う必要などない。とりあえず自分
の呼吸を見つめていればよい。「無心」になろうとすることもない。
雑念がわいてきたら、それも悪くはない。そのうち色々と考えることも出るが、
それも無理に止めることもない。
 ただ言えることは、瞑想をするに、最初から何かの具体的な目的は持たない
ほうがよい。目的のない時間を取り戻すことが目的かも知れない。
皮肉なことであるが、瞑想状態のことを言葉で表現しうようとすると、
いつもこうなってしまう。 とりあえず40分間、ヴィパサナができるように
なったら何が起きるのだろうか。 何か良いことがあるのだろうか。
 これには、私はあるともないとも言えない。まずよいことなど何もないと
思っておいたほうが間違いない。少なくとも、瞑想中には99%、何も起きない。
清浄で、「目覚めた時間」を作りだすための稽古の場にすぎない。瞑想では
悟ることなどできない。特に、瞑想で悟りたいと思っているのなら、まず絶対
悟ることはできないだろう。
 もしあなたに何かのお悟りがやってくるとしたら、それはSEXをしているとき
かも知れないし、庭を掃いているときかも知れない。芋を洗っているときかも
知れない。金魚が泳いでいるのを見たときかも知れない。それは私の知った
ことではない。そして、あなたの知ったことでもない。
 Who knows it?  誰にもわからない。しかし、ひょっとしたら何かが起きる
かも知れない。 たぶん、やって損はないとだけ言っておこう。何が起きるかは、
起きたときのお楽しみ。≫
▼ この7年間、早朝のポタリング時に、大手大橋でヒキチャリをしている。
地球の芯に『球芯様』と命名し、橋の途中から、話しかけて対話をする。
幼稚だが、その会話が面白い。 
 <球芯様、おはようございます!>
≪ オウ、お前か。お前を通して、周囲の景色を見るのが一番の楽しみじゃ!
 ジックリと見回してくれ。それが私を呼起した見返りじゃ。それにしても、
ワシに命名し対話を求めるのは御前ぐらいだ。 大体が、人間は、どうでもよい
細かいことに気が向きすぎじゃ。もっと大自然に、道理に、無心になりなさい。≫ 
<それにしても絶景ですな> 
≪ 慣れるとは、恐ろしい。この美しさを、そのまま味わいば良い。
それがワシにとっての解放になる。この川のせせらぎ。飛遊する鳥たちの姿。
遠くの山々。そして、陽光と、雲の織りなす美しさ。こうして御前が、私に
見せてくれるのは有り難い。この見返りは、世界の絶景の場に、お前を導くこと
になるのさ。 ≫ 
 この内語の対話も一種の瞑想。この景色の美しさに気づいたのだから。
世界の絶景を数知れず見てきため、地元の絶景に気づくことが可能になる。
それが次の旅に、誘っていく。あり難いことだ。 あり難いことに気づくこと
こそ瞑想の目的である。感謝、感激、感動の触媒は、幾らも身近に存在している。

・・・・・・
4210, 異郷日記 ーサンジバル
2012年10月05日(金)
                  「異郷日記」西江雅之
     * サンジバルの逸話
 人は家の中に閉じこもっているほど危険なことはない。外界に出て戦い
続けないと人生の自殺者になってしまう。硬い殻に閉じこもり、しがみつく
しかない人生こそ避けなければならない。ーその辺を抜粋してみるー
≪ 東アフリカのタンザニア国。大陸側からの最短距離で約四〇キロほど
 離れた沖に浮かぶザソジバル。平坦な島の中に、幾つかの町と、多くの村が
散る。住民のほとんどは、イスラム教使だ。そこでは目の前に現れる事物の
すべてが、次々に過去を語り出すザンジバルは史実虚構が入り交じる物語に
埋もれた土地なのだ。散歩に出かければ、崩れかけた石造りの建物や、
アラビア数字が消えかけている大小の墓石が目に入る。海に目を向ければ、
緩やかな波のうねりや潮騒が、すでにこの世を去った冒険家、奴隷商人、
奴隷、征服者、イスラム教徒、ヒンドゥー教従、キリスト教の宜教師たちの
声を告げてくる。それらの声には、優しいものあり、人々威嚇するものあり、
高笑いあり、探い嘆きを伝えるものもある。各々の声は複雑に紺み込まれた
歌となって、何こからか聞こえてくるドラムの音の伴奏に乗り、道行く人の
内部にすべり込んでくる。 (・・・中略)
 わたしがアラビア語に接し始めた頃に聞いた話がいつも頭に浮かんでくる。
ある老人が海辺へと通じる道で、一人の青年に出会った。彼は漁から戻った
ばかりなのだろう、漁に使う道具を担いでいる。「アッ・サラーム・アライクム
(汝の身に安らぎあれ)」。若者は老人に言った。「アッ・サラーム.アライクム」。
老人は挨拶を返してから、「ところで、おまえは海が恐ろしくはないのかね? 
お前のおじいさんは、海で命を失った。おまえのお父さんも海で命を落とした。
それでもまだ、おまえは海に出て平気で仕事をする。恐ろしくはないのかね?」
若者は怪訝な表情をして言った。「じいさん、あなたのおじいさんは家で死んだ。
あなたの父さんも家の中で亡くなった。それなのに、よくまあ恐ろしがらずに
平気で家に住んでいられますね」。 妙に頭に残る話なので、わたしは
ザンジバルで、何人もの知人にスワヒリ語で何度も同じ話をした。
「そうなんだ。人はどこかにしがみついて生きているのだ。そのこと自体が
恐ろしいことなんだ」と、わたしの知人の漁師は言った。「どこかにしがみつく。
そして安心する。それにしても、人間は酷い動物ですよ」と、わたしは言う。≫
▼ 目先の安定にしがみき、安心をもとめ人生を棒にふる愚かさを批判し、
 節目時には果然と行動すべしというタンザニアの逸話。何処の道理も同じ。
著者は‘あとがき’に、「私は今も‘異郷の人’である。自分の皮膚の外側は、
すべて異郷と感じている。」と述べている。そうでなくては、流れ者のように
世界中を渡り歩けないだろう。逆にいえば、世界中を渡り歩いたため、皮膚の
外側を、異郷に感じるようになったともいえる。著者からみれば、一般人の
誰もが「どこかにしがみついて、人生を棒に振っている」のである。
 私も、地方の城下町で生まれ、10年間は、外で生きた。それ以外は職場は
新潟、住居は長岡の生活としても、地元に縛られていた。と同時に、しがみつき、
安心していた。リタイア以降は、多くの縛りから解き放され、宙に浮いている
感がする。それでも、まだまだ楽しみが足りない。縛りの残物があるためだが、
それも最期の砦で必要。それを無くすに死ぬしかないが、まだ死にたくはない。

・・・・・・
6049,「老人の壁」 ~読書日記 -1
2017年10月05日(木)
            「老人の壁 :養老孟司 , 南 伸坊 (著) 」
   * 老人の壁を突き抜けて
 「老人、如何に生きるべきか」を、根赤の養老孟司が御隠居で、南伸坊
 熊さん役が軽く、明るく対話した内容。数年前の葬式で、80歳半ばの従兄が
同席していた。一人は地元商人。いま一人は東京下町の何かしら特許収入を持つ
商人。 前者は痴呆症が少し入っている?と思しき愚痴と悪口を語る。
後者は、一生をカメラ・映像の撮影を趣味とした人で、「老人の壁」をとうの昔に
超えている。 その二人の姿そのままが、このテーマの答えのようだ。年々、
暗くなりがちになる古希を越えた現在、如何に面白可笑しく日々を生きるか。
地方性もあるが、周囲には暗いのが多い。他人事ではない。周りから、一人
ひとり欠けていけば、然もありなんだが!
  ~Amazonの内容説明より~
《 「明るい老人の本」
大好きな虫採りに明け暮れる解剖学者・養老孟司古今東西さまざまな「本人」
になっていくつもの人生を送るイラストレーター・南伸坊。ともに老人になった
二人が「老人とは何か」「老人はどう生きるべきか」を、科学とユーモアで徹底
討論! 病気になったらどうしよう。死んでしまったらどうしよう。暗い気分に
なってしまうのは、暗い気分になるものしか見ていないからだ。どんなに年を
取っても人生を変える発見がある。死んだ後のことは生きている人にまかせよう。
人間のことより花鳥風月に目を向けよう。養老孟司のエッセンスと、南伸坊
笑いが炸裂する心が軽くなる対談集。 》
《 人生に“発見”があるかぎり、老後は明るい!心が軽くなる対談集。
 大好きな虫捕りに明け暮れる解剖学者・養老孟司古今東西の「本人」となって、
数多の人生を送るイラストレーター・南伸坊。ともに老人になった二人が、人生
百年時代をどう生きるべきか、科学とユーモアで徹底討論。 》
 ――  
~印象に残った個所から… 
(養老)「年をとって自分がなくなってくると、気が楽なんですよね」
(南)「健康で長生きするためにはどうしたらいいですか」
(養老)「だから、健康な間だけ生きてりゃいいんです」
    「ちゃんとした介護なんか、誰にもできないですよ」
(南)「そうですね、それが世間の常識になったらラクなのに」
(養老)「いい老人ってどういう老人だろうね」
(南)「そうですねえ、ゴキゲンな老人でしょうね」
(養老)「にこにこしてりゃいいんですよ」
(養老)「趣味なんか、世の中の役に立たないんです。それでいいんです。修行
   と同じ。修行っていうのは、自分を完成させるための作業。一番いいのは、
  比叡山の千日修行。あんなのをやったって、誰も儲かりません。GDPが増える
 わけでなし。だけど、何が残るかって、「本人が残るですね。それをやった本人
 が残るんです。それが「作品」ということです。 だから、自分が作品である
 ような、作品としての自分を完成させるつもりで、好きなことをやれば、老人
 としての時間を本当に楽しめるんじゃないかな。」
(南)「老人の壁を越えると、作品の自分がいる。」
 ――
▼「まさか、ここまで元気で生きられるとは!」が、実感だが、老いた実感は
 まるでなし。だが、世の中は、そういう鈍感な人にプレッシャーを与える。
そこで、ポタリングで、身近な「風月花鳥」を、PCや、4kTV画面で世界の
大自然の光景」を楽しむこととにあいなるが、これが素晴らしい! 
 ~偶然だが、また文脈が以下に続いていく。

 

閑話小題 ~‘エッ’…何なに!  -⑤

    * パンデミックの考え方
 「生まれてこなかった方が良かった」は、群れる人間的弱さの補充するために
群れるしかない苦肉の策でしかなかった論に行きつく。 情報の量と質が、
人間社会の良否に大きく依存してきたのが、情報化社会のネット環境の改革、
改善で世界の情報が結ばれて、均質化されるようになってしまった。このパン
デミックが、その歪んだ社会を寝こそ均質化を促してしまった。良質の情報が
地球上に一瞬のうちに行きわたり、豊かにしていく時代の到来である。
その結果… 飢えの心配が無くなり、産業が、世界各地に均質して行きわたる
結果をもたらす時代の到来が、20~30年もしない内に到来する。
 ――
  * 何やら妙なる習主席の言動が…
 パンデミックが終わろうとする現在? 中国共産党奥の院(軍部)で、前政権
一派の粛清が始まろうとしている。社会主義の恐ろしい本音が、対立者を粛正する
ことは歴史的事実が知らしめている。経済成長も、このコロナ禍で終わり、異常な
中国経済のバブルの化けの皮が表立とうする昨今、反対勢力の芽を潰さなければ、
現政権が自滅するしかない。 反対勢力の溜り溜った不満が爆発寸前状態は、解ら
ないでもないが…  演劇としても一番面白いところになる。そのトバッチリを
受けるのが一般大衆。このパンデミックの事の真相の全体像が現われつつある。
この内部権力闘争の火種が、台湾有事にならないといいが。 朝鮮も…中国も海を
隔ても、虐殺も厭わない実に恐ろしい国である。朝鮮のみならず、中国で動乱でも
起きようとしたら… 中東のヨルダンみたいに、脆弱な体質が露わになる。

・・・・・・
7143,映画評論 ~『浅田家』 ―1 
2020年10月04日(日)
   * 家族写真
 アメリカものに、これはというのが見当たらないこともあって、この映画を
選んだが、これがナカナカ見応えがあった。見終わった後に、そのままを家内に
話すと、「これって秀作で話題になった映画よ!」と宣う。私が見るというので、
ネットで調べていたようだ。
 一回り(12歳)年上の葛飾に住む従兄が、親戚の葬式の御斎の隣席で、
『あと10年は長生きをしたい。カメラとドローンの進化で画面、映像の世界が
様変わり、直に最新のTVを購入したが良い!』と言われて、早速、居間と寝室の
TVを高画質大型TVに切替えて3年経過するが、この言葉そのまま! 写真好きで、
何かの特許を取得したお陰で、生活の最低保証があり、生涯、好きな写真を撮り
続けた人生を送っていた。子供の頃から青年期には年代ごとの家族写真があるが、
ほぼ従兄が撮ってくれたもの! 

  ~まずは、あらすじより~
≪ 幼いころ、写真好きの父からカメラを譲ってもらった政志(二宮和也)は、
 昔から写真を撮るのが大好きだった。そんな彼が、家族全員を巻き込んで、
消防士、レーサー、ヒーロー、大食い選手権…。それぞれが“なりたかった職業”
“やってみたかったこと”をテーマにコスプレし、その姿を撮影したユニーク
すぎる《家族写真》が、なんと写真界の芥川賞木村伊兵衛写真賞を受賞!
受賞をきっかけに日本中の家族から撮影依頼を受け、写真家としてようやく
軌道に乗り始めたとき、東日本大震災が起こる―。かつて撮影した家族の安否を
確かめるために向かった被災地で、政志が目にしたのは、家族や家を失った人々
の姿だった。
「家族ってなんだろう?」「写真家の自分にできることは何だろう?」 
シャッターを切ることができず、自問自答をくり返す政志だったが、ある時、
津波で泥だらけになった写真を一枚一枚洗って、家族の元に返すボランティア
活動に励む人々と出会う。彼らと共に《写真洗浄》を続け、そこで写真を見つけ
嬉しそうに帰っていく人々の笑顔に触れることで、次第に《写真の持つチカラ》
を信じられるようになる。そんな時、一人の少女が現れる。
「私も家族写真を撮って欲しい!」 それは津波で父親を失った少女の願いだった―。
「一生にあと一枚しか、写真を撮れないとしたら?」の病院での父・長男・次男
の怪我と看護師の母による家族写真が最後の方に映し出される。≫
 ―
▼ 20歳代に、自己コントロールが出来なくなるため、断片的としても、節々を
 書いてきた。しかし、写真は、ほぼ撮って無かったのが、残念である。気持ちに
余裕があろう筈はなかった!

・・・・・・
4209, アラン 幸福論
2012年10月04日(木)
             『アラン 幸福論』 合田正人
 アランといえば幸福論で、まず思いつく人。幸福論と言えば、スイスの
ヒルティ、イギリスのラッセル、アランの幸福論など「世界三大幸福論」。
アランのそれは93の断章からなっていて、かみくだいた、「幸福小咄」
「幸福のコラム」といった軽いもの。とはいえ、ちゃん哲学に関するもの。
かれの幸福論は、観念論というより、あくまで日常生活に立脚して
幸福への指標を導き出した文学的にも優れたものとして読まれてきた。
アランは、「人は誰にでも幸福になれる」そして「人生の主役になれ」、
そのために「ダンスのように人と付き合え」、
最後に「幸福になることは義務である」と断言している。 
  ーここで紹介されている断章の一部よりー  〔 解)は、私の主観 〕
・よい天気をつくり出すのも、悪い天気をつくり出すのも私自身なのだ。
という言葉のとおり、「哲学は、生についての省察である」という立場から、
幸福は誰かに与えられるものではなく、「自らの意志と行動によって
つくりだすもの」であると説いた。
・不幸になったり不満を覚えたりするのはたやすい。ただじっと座っていれば
いいのだ。人が自分を楽しませてくれるのを待っている王子のように。」 
      解)王子のようにただ待っているだけの人が何と多いことか。
  待つだけでなく、不平不満を言い、人のせいにする大多数のように。
・自分で自分を不幸にし、その不幸を伝染、増大させていく人々こそが
本物の不幸をもっと不幸にしていく」 解)正反対もいえる。
・よい天気をつくり出すのも、悪い天気をつくり出すのも私自身なのだ。
                 解)だから人生は意思の格闘技である。
・快楽を抑制したから人間は幸福になるのではなくて、幸福であるから
快楽を抑制することができる。 解)金持ち、喧嘩せず。
・喜びは行動とともにやってくる。 解)行動の行は決心、判断の意味がある。
 自分の勘を信じて行動をし続けよ、ということ。
・幸福は自分の手作りである。解)時間をかけ、ライフワークを続けることか。
・幸せだから笑うのではない、笑うから幸せなのだ。 解)自嘲も笑いか?
・未来に幸福が見えているなら、すでに幸福である。 
        解)おもしろそう!楽しそう!と思うことから何事も始まる。
悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する。 
      解)意志が濁ると意地になる。楽観6の悲観4の割合が丁度よい?
▼ アレンではないが、「幸福になる五ヶ条」が目前のパソコンに貼ってある。
「一、今日一日、親切にしようと思う」
「一、今日一日、明るく朗らかにいようと思う」
「一、今日一日、謙虚にしようと思う」
「一、今日一日、素直になろうと思う」
「一、今日一日、感謝をしよと思う」である。
                  これがいざ実行となると難しい。
・・・・・・
6413,読書日記 ~人生の黄金律 
2018年10月04日(木)
          『砂漠と鼠とあんかけ蕎麦』山折哲雄五味太郎・対談
    * 「殺すな」「盗むな」「嘘つくな」
 なかなか面白い対談集である。 
 まずAmazonの紹介内容からして惹きつけられる
< 考えることの面白さを思い出させてくれる、過激でキュートな対談集!
 ここまで言ってしまって、いいのだろうか?
絵本作家と宗教学者が、「神さま」について、延べ30時間にわたり、
とことん語りあった白熱の対談。
 ・そもそも「神さま」って、何?
 ・日本人は宗教を「感じる」民族
 ・「祟り」は日本のお家芸
 ・グローバリズム=「ノアの箱舟」戦略
 ・海とキリストと親鸞
 ・エコロジーと言うなら、間伐材で火葬せよ
 ・滅びる覚悟を持て=「無常」戦略…etc. >
 ――
カスタマー・レビューが簡潔に要点を書いている。
<絵本作家の五味太郎宗教学者山折哲雄の不思議な組合わせの対談集。
 対談のきっかけは、1995年の某TV番組での司馬遼太郎山折哲雄の対談。
神道とはどういう宗教なんですか?」と司馬が質問すると、
「あれは宗教ではありません、生活の礼節ですよ」と山折が軽く答えるのを
五味太郎が見て(この人はすごい!)とその瞬間から恋に落ちたらしい。
五味は早速「神って、いったい何ですか?」と聞いてみたくて山折に対談を
申し込んだ。という経緯で成立した、延べ30時間にわたる対談をまとめた
モノがこれ。
五味の素朴な疑問に対して、古今東西の知識を縦横無尽に駆使して答えを探す
山折のやり取りが見物です。ホントに山折先生、博識です。
一神教多神教、その成立の背景は風土の違いによる、という指摘には納得
させられた。>

▼ 実を言うと、前回のテーマの『閑話小題 ~まず聞いてやること!』
 の‘ユング心理学の真髄’のネタは、この本である。ここで、(そもそも
「神さま」ってなに?)の素朴な質問を、哲学宗教学者がアッサリと答える。
安易なればこそ、奥行きが深くなる。山折は、日本の近代にとって、20世紀
夏目漱石の時代だったいう。 唐突に、「殺すな」「盗むな」「嘘つくな」
という、いわば人類的な黄金律を破り続けてきたのが人間という、強烈な認識
を文学作品にあらわした、これが漱石という。
 ところが、21世の現在、これらが真に問われる問題に直面している。 
北朝鮮の金様は、実権把握のため、恩人の叔父、実兄、身近な幹部を処刑。
ロシアのプーチンも、スパイ上りの昔とった杵柄で、対抗馬を処分。
アメリカのトランプは、次つぎ露呈するスキャンダルに平気で嘘を重ねる。
「殺すな」「盗むな」「嘘つくな」の真逆、「殺し」「盗み」「嘘の上塗り」
を地にいっている。まだ憶えているが、中二の頃、隣の席に平気で嘘をいう
男がいた。この頃は危ない御年頃、少年から青年に一歩足を踏み込む時節。
フランスでは授業に哲学を取入れて、考える基礎を叩き込む。多人数家族で、
末っ子もあって、「他人の陰口と嘘は、絶対タブー」の暗黙の了解があった。
それは、子供の世界でも同じ。捻じれていても、嘘はつけない、つかないのが
当り前だったが、こういうのが、居るんだと。それと印刷屋の子供が、映画
の入場券を家から盗んで、ばら蒔いているのもいた。振り分け前なればこその
世界だからである。奇妙なことに、アンハッピー組は、ほぼ亡くなっている。
改めて、「殺すな」「盗むな」「嘘つくな」は、黄金律だが、悪口、陰口で、
「間接的殺人?」をし、「知恵は盗む」し、「尾ひれはひれの嘘話」を酒の
肴にしているのが常。それが全世界に近い人が、三分の二? その下位の
三分の一の約二割に、マイナーの八割が集中することに気づかない。
上辺の社会的役割に関係ないのは、金、トラ、プー、習の顔ぶれで分かること。
「何を偉そうに!」と思うのは当然だが… じゃあ、ヒトラースターリン
毛、ムッソリーニの悪行と比較して、遥かに低いと見てとれるでしょうが… 

 いや、話の飛躍すぎ? 10の500乗の他宇宙の存在など知識が、
そう言わせているんじゃないですか? 

・・・・・・
3844, 正常性バイアスと同調バイアス
2011年10月04日(火)
 日曜日のNHKスペシャルで「巨大津波 その時ひとはどう動いたか」
が凄い!と家内から聞き、録画を見ることにした。 その内容は、
≪「津波が来るかもしれない」という時、人は何を考えどう行動し、
 何が生死を分けるのか。≫ が テーマ。
ここで正常性バイアスと同調バイアスが、多くの犠牲者を出してしまった
ケースを炙り出していた。そこでネット辞書で調べると
【 正常バイアスとは、外界の強烈すぎる刺激に対して、理知的動物がそれを
 心理で抑制して、慌てないようにしてしまうこと。当然、日常性を保護する
ために必要な措置だが、度が過ぎると「本当の危険」に対しても、「煙はやがて
収まるだろう」とか「今の地震が全てで予震などではなく、もっと大きな地震
などやってこない」とか、暴風雨被害や津波、テロ等々あらゆる事態に対して、
緩い判断をしてしまいかねない。現代は謎を駆逐した明るい社会である。が、
そのために殆ど無感覚者と化し、まさにこれが原因で被害が甚大化している。】
とある。また同調バイアスは、
【大災害のとき、人は大多数の人と同じ行動をとる(ことで判断を誤る)】
▼ ここで、「いざとなった時の人間の判断は、鈍い」ことを浮き彫りにする。 
 そこで気づいたことは、この千年に一度の大地震津波を察知して直ぐに
逃げる判断は、一般的に難しいという事実である。この大津波から連想される
のが、リーマンショック。これは数百年に一度の経済大震災であり、その本格的
津波大恐慌が今年から数年かけて、世界中を大混乱に陥れる大惨事の震災。
その影響は、まずG8の中で一番弱体化している日本の地方にやってきている。 
それが、次に欧米の株式の大暴落がくるのは必定。 日本の大多数の中小企業
と鈍い大衆には、それが他山の石としてしか見えてない。 地球規模の大津波
ハイパーインフレ)が目先に来ているのが現実とし受けとめることが出来ない。 
何故か? 正常性バイアスと同調バイアスが働いているからだ。
その先取りしてしまったこともあり、それがよく見える。 思わず耳を疑う言動
に唖然とすることしばしば。「御前のところは低地だが、自分のところは上
(業績の見通しは悪くない)、偉そうなことを言っているが、その様は!」と。 
私から見れば「 それは数年の時差でしかない、数キロ先に過ってなかった
津波が来ているのに、当方の崩壊の立ち話をしているだけ」という単純な
視線が冴えてくる。 色いろなシェルターや近くに裏山があるから、大丈夫の
ようだが・・人は人の智慧がある? 轟音をたてて、そこに来ている事実を、
「正常バイアス」と、鈍い連中間の「同調バイアス」が、動物的直感を狂わす。
 ドルとユーロの暴落は2年ほど前から始っていて、まだ下落の道半ば。 
株式の暴落も始まっている。 リーマンショックの上に半年前の東北大震災。 
この費用は増税で賄うしかない。 その各家庭の預金は、回りまわって、
アメリカ国債と日本国債にいっている。それも暴落することになる。 
ギリシャ国民の、あの鈍感さは察知しても、自国になると!  
偶然だが、以下に、日本の近い将来を暗示する内容が取り上げてある。
韓国ドラマが受けるのも分かる。 以下の状態を経験する以前に、
隣はカルト国家がある。

・・・・・・
5316,閑話小題 ~本を読まないのはケダモノと同じ
2015年10月04日(日)
     藤原正彦・レポート~「読書と教養」が大局観を育てる~
  * 読書と教養が大局観を育てる
 読書をしない人は、直ぐに分かる。これだけは、隠しようがない。
今でも遅くない、学歴、血筋とは関係なく本だけは読まないと! 
 ここで、その読書と教養の必要性を、鋭く簡潔にまとめている。 
≪ 教養を、積極的に身につけていくにはどうすればいいか。
 もちろん、実体験を重ねることは非常に大切です。様々な人間と会い、
話をして、恋をしたり、裏切られたり、騙されたり、喧嘩をしたり、悲しい
別れにあったり、そういった体験すべてが教養になる。それが、後々の選択や
判断にあたって効いてくる。ただ、やはり実体験で得られるものは限られます。
1人の人が一生の間に関わることができる人間の数は限界があります。
ましてや、深く意思疎通をすることができるのは、その中でも一握りだけ。
そうすると、実体験による教養というのは、非常に重要だけれども、
限られたものにならざるを得ない。
 その点、読書を通してなら、古今東西の賢人の言葉に耳を傾ることができます。
あるいは、庶民の哀歓に涙すること、もできる。金持ちの驕り、貧しい人々の
苦しみに触れることもできる。美しいものに感動することもできる。
ありとあらゆる経験をなぞることができるのです。しかも、本には、誰かが
考えた「思考の形」が、まるごと詰まっています。普通の人がふだん喋る話は、
たいてい筋も順序もめちゃくちゃです。でも、本は、どんな本であれ、著者が
読者を説得するために必死になって書いていて、ちゃんと構造というものを
持っている。それを読むと、なるほどへ脳ミソの回転、論理の展開、とは、
こういうふうにするのだということを会得できる。物事をきちんと体系化する
能力、構造を分析する能力が身につくのです。 ・・(略)
 うちの女房の祖父は、今の愛知教育大学の前身の岡崎師範の教頭や時習館
高校の校長をつとめた教育者ですが、彼はいつもこう言っていたそうです。
「1日1ぺージでもいいから、必ず本を読んで寝なさい。1ページも読まないで
寝るのは、けだものと同じだ。けだものと人間との違いは、1ページでも
いいから、本を読むことだ」と。
 だから彼の子どもたちは、寝る前に2~3へージでも本を読んで、寝ていた
そうです。この教育の効果は絶大で、そうやって育った子どもたちは、皆、
一角の人物になっています。'本を読まない人間というのは、けだものと同じ。
だからこそ、これからの子どもたちにどうやって本を読ませるようにするか、
真剣に考えなければなりません。
 例えば、齋藤孝氏の言うように、小中学校の通信簿の国語に、「読書」
という欄をつけ加えるのもいいでしょう。そうすれは、多くの親が率先
して本を読ませるようになる。子どもの頃に本の面白さに触れれば、
本が好きになる。独創的で素晴らしいアイデアです。
 私が考えるのは、東大の入試で読書を課すという方法です。
例えば定員の1・2倍までは学力一本で判断し、そのあと、定員の1倍まで
しぼる過程では、読書を中心に面接する。入試の3年以上前に課題図書を
100冊くらい挙げて、それについていろいろ聞くのです。そうすれば
きっと、学生は目の色を変えて読むようになるでしょう。東大がやれば、
ほかの国立大学や私立大学も真似をする。そうすると、子どもの時から本
を読むようになるし、読む習悩さえつけば、面白さが段々とわかってくる。
もちろん、「朝の読書」運動が成功したように、他にも方法はいろいろ
あると思います。若い頃に読んだ本というのは、とりわけ感激するものです。
そうした読書体験が失われることのないように、今こそ大局観をもって
この国の出版文化を守っていかなければなりません。≫
▼ 読書の積み重ねのないのは、年を重ねると表立ってくる。
 特に 青年期に読書習慣を身に着けておかないと。しかし、実際は10歳。
とすると、受験に追われ、大学から本気になって読書を始めた私は20年近く
遅かったことになる。その弊害が、今でも続いている。子供の頃から、母親が
常日頃から読書の必要性を説いていたが、その割りに読書をしてこなかった
のは私の素養の低さである。しかし、現在でも、吸い取り紙のように、知識が
入ってくるのは、長年の読書習慣の効果もある。いや、知的余白が有余って
いるためか。これは余白という言葉自体が間違っている! 空即是色である。