つれづれに

イメージ 1

 他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive



 7年前に、ヨガについて書いていた。 ヨガは現在も続いている。 
その時々で週に二回から五回、開かれている。
年に53週×3×7年4ヶ月で、1100~1200回、参加したことになる。
いや、もっとか。 無念無想が目的で、腰痛の解消は、オマケ!

 現在、女性専用のホット・ヨガが別室で行われ、多くが、
移っていった。当初、3人いたヨガの先生が1人になり、少し
寂しいが… これはこれで。

――――

4128, ヨガとは何?という素朴な疑問
2012年07月14日(土)
 スポーツジムのヨガに参加して4ヶ月になる。‘スロー’ヨガというから初心者向けだが、腰痛持ちも
あって少し厳しい。定員50人に、平均40人位が参加している。男性参加者が5~6名で、最高齢は私で、
片隅で目立たないようにしている。その中、時どき先生がヨガの説明をする。 先日の内容は、
「ヨガは瞑想法の一つ。無念無想になるために呼吸法と、色いろなポーズを取ることで、そこに気持ちを
集中して、頭を空ッポにするためのもの。従って、ヨガが上達したとか、しないとかは気にすることはない」
という。なる程!いいことを言われる。週二回、4ヶ月経った印象は、「腰痛解消のために病院で集団治療
をしている感覚。」腰には良いが、少し痛みが残る。それでも合計33回、ヨガを続けてきた成果が出始めて
きた体感はある。 数十年かけて固まった足腰が、徐々に解けているのがポーズの積み重ねで実感する。 
 ー そこでヨガの意味をネットで調べてみた ー
 ≪  ◇ ヨーガの意味と起源 
 ヨーガの起源をたどると、紀元前二千五百年程のインダス河流域のハラッパモヘンジョダロなどの
遺跡から、ヨーガの坐像の印形が出土していることから、その頃を起源としているようだが、実際に
「ヨーガ」という言葉が宗教用語として確認されているのは紀元前五百年前後のベーダンタ時代で「ヨーガ」
とは「馬を車体につなぎ、その馬車をコントロールして、道をはずさず、人生の目的地へ行くこと」を意味
していた。 カタ・ウパニシャッドでは 「真我(アートマン)を車主、肉体を車体、理性を御者、意志を
手綱と心得よ。賢者たちはもろもろの感覚器官を馬と 呼び、感覚の対象を道と呼ん でいる」と述べています。
このことから「ヨーガ」とは、馬を車に「つなぐ」が語源であり、意味するところは「結ぶ」「コントロール
をする」「バランスをとる」との意味をもってきました。
 又、少し遅れた同時代には釈迦族のゴータマ・シッタルダが悟りを開き、仏教がスタートしています。
このお釈迦様も二十九歳の時、王宮から出家して山野で六年間修行された後、ブッダガヤで瞑想し、悟りを
開かれたのですが、その間、瞑想をしたり、断食をしたり、野山で遊行した修行が、まさに当時のヨーガ
そのもの。その生きたお釈迦様の実際に語った言葉を、後に弟子が書き残したと云われる「ダンマパダ
(法句経)」の中にも、「ヨーガ」という言葉が語られています。「まさに智はヨーガより生じ、ヨーガ
なくして智は滅ぶ。その道理を知りて、ヨーガを行じ、智を増大せしめよ。」「智」というのは、物事を
分析するだけの知識(分別知)ではなく、知に日がついて光あふれた、命の智恵「英知」と云われています。
それを人々に伝える人を、かつて、日知り「聖人」と云ったのです。このように「ヨーガ」とは、
「結びつける」「コントロールをする」「バランスをとる」という意味と、その「修行法」「技法」として
発達してきたのです。  それでは何と何とを「結びつけ」「バランスをとる」のでしょうか? それは、
①身体と心をバランスよく結びつける。
②内なる私(真我)と大いなる我(宇宙)とを結びつける。
③人と人をバランスよく結びつけることなのです。
仏教では、それを三宝と云って、①身体と心をバランスよく結びつけ解放した
人間存在を「仏(ブッダ)」といい②宇宙や自然の法則と自己とを調和させる生き方を「法(ダルマ)」
といい、③人と人とが調和し助け合う平和な社会を「僧(サンガ)」といって尊んだのです。そして
ヨーガでは、その方法を、具体的な生活法(ヤマ・ニヤマ)、運動法(アーサナ)、呼吸法(プラーナヤーマ)、
瞑想法の階梯(プラティヤハーラ、ダーラナー、ディヤーナ、サマーディ、そして祈りの言葉・
神の名(マントラ、ジャバ)等として、 私達に伝えてきているのです。 ≫
 ▼ ≪「真我(アートマン)を車主、肉体を車体、理性を御者、意志を手綱と心得よ。賢者たちはもろもろ
の感覚器官を馬と 呼び、感覚の対象を道と呼ん でいる」と述べています。このことから「ヨーガ」とは、
馬を車に「つなぐ」が語源であり、意味は「結ぶ」「コントロールを する」「バランスをとる」との
意味をもっていた。≫が、ヨガの本質。内なる真我と大宇宙を結ぶ修行ということ。10数年ほど前に、
散歩で出会った地球の核の一点を擬人化して現在も話をしているXが、宇宙。
向き合っているのが真我ということ。
・・・・・・・
3762, ユング ー5
2011年07月14日(木)
ー「共時性」の幾つかの事例を、<「タオ心理学―ユング共時性と自己性」ジーン・シノダ・ボーレン著>
 から抜粋ー
例1 ある女性が、妹の家が燃えているハッキリした夢をみて、妹が安全かどうか電話でたたき起したところ。
  まさに、その通り火事になっていて、電話で目をさましたために命拾い。
例2 ある研究者が高度に技術的で分かりにくい問題にぶつかっていて、情報がえられず困っているとき、
  ある基金募集のパーティーに出席したところ、たまたま隣の席に座った人が必要な情報を提供してくれた。
例3 ある女性がある町にやってきて、昔の同級生に連絡をとろうとしたけれども住所がわからず、
  混雑したエレベーターに乗り込んだところ、たまたまそこに彼女がたっていた。
例4 ある人のことを考えているとき、電話が鳴る。 出てみると、私がちょうど考えていた相手だった。
例5 私はキッチンで夕食の支度をしながら、夫のジムに向かって、「テーブルに花が欲しいわ」と言いました。
  子供達はそのとき外で遊んでいて、私の声の届かない遠くにいました。しばらくすると、娘のメロディが
  家の中にまっすぐに入ってくると、手にピンク色の花束をかかえていて、「ママ、ここにあるわよ」、
  と言ったのです。
例6 人の死を知る能力のある人がいます。 ある人の場合、夢や白昼夢として、死ぬ人がスーツケースを
  持ってその人の前に現れるのを見ます。そしてしばらくすると、そのスーツケースを持って現れた人が、
  亡くなったという知らせが届く。
▼ 単なる偶然とは思えない、これらを、ユングは、共時性(シンクロ二シティ)と呼んだが、その人によって、
その要素の強弱があるようだ。私は、Aーabc、bーabc、Cーabcの9段階の二番目のAのb辺りか。
その人の持っている一つの感覚であり、それが物理的にあったり科学的に証明されるものではない。
前回も書いたが、事業の立ち上げや、ホテル計画を実行段階に入ると、必ずといってよいほど、身辺に普段は
起こらない事故とか、ごく身近な倒産、不幸が起こる。今回、それが共時性の前段階の「布置」ということを
知ったが、今度の当方の倒産でも周辺でも、事故、大病があった。私の場合、負債債権処理など、あと二年は
要するから、二年間は大病、大事故には心しなければならない。 ところで、今回の東北大震災。国家を人間
と喩えると、明らかに「布置」の思えてしまう。 次回に取り上げるが、そう考えると、今回の震災の
ユング的見方が見て取れる。
   ・・・・・・・
3397, おテレビ様と日本人 ー2
2010年07月14日(水)
   *「第五の壁」とは何か.
テレビを第五の壁とみなすのは面白い。そうすると、今度は第六の壁というと、パソコンになる。パソコン
には第五の壁も取り込まれ、一方的な情報だけでなく自分サイドも発信できるところが、今までとは違う。
だから、著者の心配がより大きくなるのか、それとも多くが解消されるのかは判断は出来ない。
第四の壁は、それでも生身の観客がいて、役者が直接触れ合える。しかし第五は、まさに流し手の思いの
ままになる。
 ー以下の部分がTVの本質を言い当てている。
 決して、機械がプラスに働いてはいないことを自覚しないとー
≪ われわれの知る「第四の壁」とは、演劇舞台の部屋の装置が三方の壁に囲まれ、残る一方の壁が
 観客席に向けて取り払われているそれをいうのである。「第五の壁」とは、もとより著者が火星人の口に
託して名づけたテレピの異称である。地球を襲撃して戻っていった火星人は、次のように帰国報告したという。
【人間と称する地球上の生物は、光線と空気と出入りのための大小若干の穴のある四つの壁に外界から遮断
されて暮らしているが、ほかにもう一つ、〈第五の壁〉とも称すべきものを所有している。それは四つの壁
よりは小さく、移動は自由で、どつしりしている不透明なガラスの壁だが、四つの壁の穴からはとうてい
期待できないさまざまな風物や生物がそこに現われ、かの人間なるものと同じように語り、むせび泣き、
歌う。 それは四つの壁を征服する。四つの壁を取り払ってしまうのではないが、四つの壁を止揚する不気味
なカの持ち主である】
 ……われわれは、テレビにたいして〈検察官〉になろうと、〈弁護人〉になろうと、忘れてはならない
ことは、その間にもわれわれは〈第五の壁〉の照射にさらされているという事実である。〈テレビ時代〉
に産声をあげる赤子は、〈第五の壁〉の人工の光の中で歩きはじめるのである。 ― この本が書かれて
から四十年以上が経過した。半世紀ぶりに地球を訪れた火醒人が今度はどんな報告をするだろうか。 
それは壁ではなく、実は底なしの地獄に落ちるブラックホールの穴だったと綴告するだろう。テレビの
発する光線は、結局突き詰めれば金銭の発する光だった。それも巨大な額の金が絡む光である。人はそこで
ただ語り、むせび泣き、歌うだけではない。隣間的な音声でも映像でも、そこには人間の醜い欲得が潜在する。
ただ単に事実を伝達するだけに思えるニュースのコメントですら、一言、「オバマ氏の当選は確実」と声
を発したとたん、あらゆる場面での金が乱れ飛ぶ。テレビの扱う範囲にフィクション、ノン・フィクション
の区別はない。両者は調合され、統合され、まったく別種類の認識対象となる。認識された潜在意図、
である。 この別称こそ「陰謀」と呼ぷものだ。意図はあくまでも隠されている。
誰も意識していない。だが、番組制作には「洗脳」という潜在的な意図が常に基調を作っているのである。
こうした曖昧な感覚混合体が、結局は陰謀と呼ばれるものの正体、テレビの実態になるのだ。≫
 ~ 今度は、TVにネットが組み込まれてくる。違った洗脳が始ろうとしていることになる。~
 ~~
3022,閑話小題
2009年07月14日(火)
 * 池袋の早朝でみた荒んだ世界 
 * 自民党の末期
 * 腰痛はつらい
 (字数の関係上カット12年07月14日)
 ・・・・・・・・・・
2657, いちゃつき ー2
 2008年07月14日(月)
前回に鷲田が宗教学者植島啓司から聞いた話を書いた。
「‘解脱’は自分を遠ざけて、世界の中に自分を溶け込ませる技術で、‘救済’は逆に自分を開いて、
他人を迎え入れて他人で いっぱいにするというかたちで自分を溶かしてしまう。 だから方法が違う
んですよ。  
   (字数の関係上カット12年07月14日)
・・・・・・・・・
2007年07月14日(土)
 2293, 女ってバカなんじゃないか?          才ノヽ∋?_φ(≧ω≦*)♪
昨日、「男ってバカなんじゃないか?」というテーマで書いた。
しかし逆に「女ってバカなんじゃないか?」という論も成り立つ。
 (字数の関係上カット11年07月14日)
・・・・・・・
2006年07月14日(金)
1928, ブログについて               おっ w(゜Д゜)w ハァョ?
  二月ほど前に、ブログについて書いてみた。
 「 2006/05/14?/15 1868, ブログは社会革命ー(1)1869,ブログは社会革命ー(2)」
(2011年07月14日)
・・・・・・・・
2005年07月14日(木)
1563, 死について再び考えるー2
死について何回か取りあげてきたが、一番印象に残っているのが、中村天風とドフトエフスキーの
死刑執行直前体験。中村天風は、銃殺の直前に仲間に助けられたが。ドフトエフスキーは死刑直前
の恐怖体験をリアルに書いている。
 ー以下の話は、あまりにも有名である。 ある本より抜粋してみる彼は若いときに、革命秘密結社に入った
ことがある。それは社会の不正を糾弾する議論のレベルであったが、秘密警察に目をつけられて、時の皇帝
ニコライ一世はメンバーの逮捕を命ずる。しかし彼らの犯罪の事実は出てこない。そこで政府の面子で有罪
となり、軍法会議で刑が確定する。最終的には、皇帝の恩赦が書き込まれ、シベリアで4年の刑と強制労働と、
その後の兵役に服することになる。ところが、その恩赦を言い渡す前に一度死刑が確定し、処刑の真似ごとを
する。政府が仕組んだ罠である。1849年12月21日、処刑劇が行われる。彼は処刑場に連れて行かれ、三人ずつ
銃殺されることになる。ドフトエフスキーは処刑の二番目である。その時の死の恐怖を「白痴」の主人公の口
を通して、以下のように語っている。「生きていられるのはあと5分ばかり。この5分は本人にとって果てし
なく長い時間で、膨大な財産のような気がしたそうだ。この5分間に最後の充実した生活が送れそうな気がした
ので、色んな処置を講じたというのです。つまり時間を割りふりをして友達との別れに二分間、いま二分間に
いま一度自分自身のことを考える時間にあて、残りの時間はこの世の名ごこりに、周りの風景を眺めるために
あてた。・・・しかし、その瞬間最も苦しかったのは、絶え間なく頭に浮かんでくる想念で、もし死なない
としたら、もし命を取りとめたら、それは何という無限だろう。 その無限の時間がすっかり自分のものに
なったら、俺は一分一分をまるで百年のように大事にし、もう何一つ失わないようにする。いや、どんな物
だってむだに費やさないだろうに」『(世界文学全集・ドフトエフスキー)より抜粋』 
減刑が言い渡されると、ドフトエフスキーは狂喜する。その仲間のうちに発狂したものもいた。
死の宣告は人間を極限の状態のおかれる。 人間は弱い存在でしかないのだ。
ーー
以上であるが、この体験があったからこそ大小説家になったのだろう。バンジージャンプの飛下りの板の先
に立ったときの恐怖経験がある。その時思ったことは、「これは死である。この凍りつくような恐怖は
考えていたことと全く違う。飛び降りるしかないが、今更止めるわけにいかない。何をやろうとするのか?
どうしても飛び降りなければならないのか! ただ前に体を投げ出すしかない! 何か時間が止まるという
言葉があるが・・・考えていたことと、実際がこれだけ違うのは初めて。
(字数の関係上カット09年07月14日)
・・・・・・・・・
2004年07月14日(水)
 1198, 口ぐせー2
 ーどうしようもない!?
(字数の関係上カット09年07月14日)
・・・・・・・・・
2003年07月14日(月)
831,アラスカ旅行記ー6
  旅行のもう一つの楽しみは、全国レベルで変わった人との接点である。
・まずは、60代後半の女性。6年間、毎月旅行に出て62回目の参加という。6年前に旦那と大喧嘩が
 勃発して、今や修復不可能。別れるより良いと、毎月出ているという。もう疲れたが、後は野となれ山に
 なれと出続けているという。 旅先で部屋に戻っても、旦那のことを思い出して腹を立てているとか。 
 聞いていても悲しくなる。「ありがとう」を毎日千回、いや一万回言え! といいたくなった。
 夫婦しかわからない何かがあったのだろう。 先日も身辺の60過ぎの知人が離婚したと先日聞いた。
 旦那に若い女ができたのが原因だという。また学生時代の同級の女性が離婚をして、新たに結婚をした
 という。これで3回目の結婚である。人生の深遠さを思い知らされる。
若い女性が二人参加をしていた。自意識過剰の若い女性が、終始大きな声でアラスカの地で自らの恋愛話
 をしていた。黙っていろともいえず、場違いの二人に他の全員が辟易! もっとアラスカの地をじっくり
 堪能すべき!と思うのも年齢と経験の違いのためか。その世界しかないのだから仕方がないが、
 「無知ということは罪」と思い知らされた。 その聞き役の方の女性が面白い。
 「自分は蚊に刺されない。一年に一度位刺されることがあるが、朝起きると腕の上で死んでいる」という。
 「血液型によってそういうことがあると聞いたことがあるが、血液型は何型?」と、グループの一人がを
 聞くと「両親がAとO型。自分自身は一回も調べたことがないので解らない」という。いろいろな体質の
 人がいるものだ。
・ホテルのロビーで同じチャーター機のグループの人達がいた。その一人が新潟県の燕の人であった。
 家内工場をやっており、この1~2年で両親がたて続きで亡くなったとか。2年前に初めての海外旅行で
 アラスカに来てキングサーモンのオプションに参加。今度は4日間車を借りて、独り釣り三昧をして
 きたという。魚は釣った後で逃がすとか、また2年後に来たいといっていた。これも巧いツアーの利用
 の仕方と感心をした。
・・・・・・・・
2002年07月14日(日)
 456,スイス旅行記 
感想をそのままかいてみると
・天気に恵まれた素晴らしい旅行で、数年に一回の大当たり。
・自然の美しさでは、カンデアンロッキーに匹敵するかそれ以上。・自然の雄大さに圧倒された               
・牧歌的な村や、絵のような牧草地や高原が印象的 ・珠玉のような湖や村が何ともいえない          
・毎日が感動感動の連続であった ・下を見れば高山植物とその花、上を見れば白銀に輝く峰峰 
・美しき小さな村々と牧場 38回の過去の旅行でベスト5に入る内容といってよい。一日一日が夢の
 ような連続線で結ばれているようであった。私の過去の「旅行の思い出の宝箱」の宝が一つ増えた。
 こんなにスイスアルプスが素晴らしいと思ってもいなかった。時系列で印象順に書いてみると
・まずは二日目の「アルプスの少女のハイジ」の舞台になった マイエンフェルトが素晴らしい!
 今でもあのアニメのハイジが跳ね回っているようだ。 作家の家がハイジーの魂で満ちているようだ。
 そしてミニハイキング?季節も含めて何ともいえない明るさがよい。
・三日目のアルプグリュムのハイキングがよい。峠から見る眼下の谷と白銀の山々がよい。デアア
 レッツタ駅からの「パリュー氷河」が素晴らしい絶景であった あまり知れれてないが、そのパノラマ
 に思わず息を呑んだ。 永遠の時が一瞬凍り付いたようであった? いろいろな氷河はは見ているが
 これだけ身近のパノラマで幻想的の景観ははじめて見るもの。
・四日目のツエルマットのマッターホルンが今回のハイライト!
 ホテルの窓からのマッターホルンがまたよいマッターホルンの麓の高原ハイキングが素晴らしいー
 ーここでハイキングしている自分が夢の中にいるようであった
・六日目のシャモニーよりロープウエーで3800mのエギーユ・デュ・ミディの展望台へ、
 そこから 見た景観が絶景
・7日目の「パノラマ特急」の車窓からみる珠玉のような高原の景観が夢のようだ。
 絵の世界が、いや絵よりもズート素晴らしい世界が延々と続く・・・・
 カンデシュテークからのったチェアリフトでいったエッシネン湖のトレッキングも
 忘れられない 景色であった。
・8日目のグリンデルワルトからのユングフラウヨッホは途中で霧に包まれて楽しみにしていた
 トレッキングが中止になったが、ユングフラッホには過去2回いっているから諦めがついた。 
 しかしやはりその景観は何回見てもよい。
・最終日のルッツェルンのアバルトシュテッテ湖とそこから登ったピラツス山から見たパノラマ
 の景観が素晴らしい今回の旅行はただただ良かった!!! ある女性が何回も「うれしい!」
 と言っていた。