* 大相撲が始まって6日!
 はや大相撲の前半が終わろうとしているが、3人の横綱全員が休場の有様。
その原因が「モンゴル横綱3人共謀の暴行事件が発端。貴乃岩が出席した宴会場
に押しかけた暴行事件にある。彼らの強さの源泉が、「左かち上げ、右手の張手
横綱特権と、八百長の間接強要だったことが、誰の眼にも明らかに露見。」
以来、そのアドバンテージが使いづらくなったため。…で、1年もしない内に、
この有様。これにあやかっていた日本人大関も、勝てなくなった。これを辛口の
評論家も公然と言いづらい?
その点、貴乃花親方が、我が身を投げ捨って知らしめただけでも、立派。
遠藤が入場の時は、大歓声になるが、白鵬にはシーンと白けムード。当然だが… 
白鵬と、朝青龍日馬富士鶴竜のつくり上げた、横綱アドバンテージ・システム
の現実を、公言出来ない評論家も含めた不甲斐なさをファンは御見通し。これは
現在の政界と同じ。悪しきポチリズムが、世界を覆ってしまった。相撲は興行で、
本気に張合うのが間違い? 少々の談合も必要? と割る切るしかないのか。
 そういえば、大鵬、けっこう張手を多用していたようだが… 
稀勢の里、如何か?」 誤魔化し、強引に押上げ、何とか一回だけ優勝させた
ひ弱な横綱、今さら何をか?
モンゴル横綱3人衆に狙われ潰された、若手?逸ノ城がいる。徹底的に張られた
ようだ。稀勢の里も然り。亡くなった親方が、それを察知し、合同稽古御法度に
していたが、それが逆にひ弱にしたきらいがあった。 モンゴル人に占拠された
大相撲、如何なる? 興業として割切るのが一番! 国技など誰も言わなく
なったし、それで、いいんじゃないですか。柔道、空手も、世界に向けて門戸
を開いたことだし… 国技など如何でもよいと割切る時代になったということ。
一年後には、3人の横綱は引退。オリンピックを目指した白鵬が一番、当てが
外れた。狂ったように肘打ち、張りまくれば、何とか持つが? 

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4869,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー37
2014年07月14日(月)
   * 閑話小題 −なぜ、あなたはいつもお金が足りないのか?
『 なぜ、あなたはいつもお金が足りないのか?』小堺桂悦郎著ーに、
 45年間の事業で実感した真髄が、そのまま書いてあった。
《 ・・多くの経営者が、「儲けようとして損をしている」わけです。
 誰しも、自分から損をしようとする人はいません。ならば、まず徹底して、
 損をしないようにしましょうと、私はアドバイスをします。》
のぼせ上り、より儲けようと歯止めが利かなくなり、ミスに繋がっていく。
ファッションなどの不良在庫の発生原因の多くが、売れ筋商品の代替商品がヘドロ化
したもの。 チョッとした違いに消費者は敏感だが、売り手が気づかず仕入
をしてしまう。 売れ筋がベストとすると、その品切れをベター商品で補おう
として不良在庫になって、損失につながる。これ事業も、人生も全く同じ。
10年、20年かけ積上げた利益の保留分が、創業時の周到に準備を重ねた構えを
忘れ、目先のベターに妥協をした結果、損失に変えてしまう。新潟駅前では、
それが駅から一番離れたのホテルと、駐車場。これが、それまでの利益のみ
ならず、本体の経営を揺るがす。ちなみにベストは、関越自動車道からの
東バイパス沿い立地。その判断ミスが致命的な戦略ミス。
それを戦術的リストラでカバーをしても、所詮は無理。3年前の結果は、
ベストでなく、ベターの選択の結果である。現在も同じことが言えるのでは? 
決して、ベストではない? 流れで、自宅に、そのまま住んでいる。
ところで、私の場合どうだろう? 3年まえも、そうだったが、今日明日の
資金繰りに追われたことは、人生に一度もなかった。それは、むしろベスト
でなく、ベターだったのか?「なぜ、人はいつもお金がたりないのか?」と、
問われれば、「万一の備えと、その知識が足りないため!」になる。 
ワーストは、ベターの服装を着て擦り寄ってくる。 で、このザマ! 
アベノミックスは、決してベストではなく、ベターでしかない。
ベストは何? 意図的なブラックスワンで、一度、現状を
清算をさせ、国家非常宣言をした上で、思い切った国家的リストラ。 
当然のことだが! グローバル的には秒読みに入っている。
私、個人は、まさに一歩先に・・ いや、そうせざるを得なかった!だけ。

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5964,人生楽しいかい? −3
2017年07月14日(金)
        <「人生楽しいかい?」ゲオルギー・システマスキー著>
 * 【指令4】距離を測る
     【指令5】呼吸する
      【指令6】姿勢を整える
       【指令7】視点を動かす
★ 【指令4】 距離を測る
  〜『いつでもここから逃げられる』という余裕があって初めて、
    人と人は「対等」になれるのや〜
 ▽ 私のスタンスは、他者との距離を置くこと。個人主義である。
特に20歳で『創業を目指す』と決めてから、その傾向が強くなっていた。
まず、ベースづくりのため、固定が最大の難敵となる。今も、そのスタンスが
そのまま残っており、誤解を受けているようだが… 新潟駅前で30年間の事業
をしてきたが、4つのホテルのテリトリー内には、暴力団事務所が2つ、3つある。
いつ、何ときに、組員が営業にくる可能性があった。事務所には、裏口を用意し、
逃げ道を作ったいた。一度も対峙することは無かったが、このスタンスは基本。
『閑静』の『閑』の、一本の木を取り囲む塀である。とにもかくも、孤独と、
孤立を心の中に保ってないと… これは両親の後姿から学んだこと。
 たった1センチの距離の違いが人生の別れ道になる。
★ 【指令5】 呼吸する
  〜鼻から吸って、口からフ〜ッと吐く。これが究極奥義、呼吸や〜
 自分が緊張をすれば、相手もまた、緊張する。自分がリラックスれば、
相手もまた、リラックスする。
 平常心である『何となく大丈夫」という感覚こそ重要である。
 ▽ 過緊張ゾーンこそパニックの原点。大抵の人は平常心でいられず、常に
パニック状態であることが多い。平常心ゾーンに回復するには、こまめな「呼吸」
で、回復することこそ、奥義がある。
★ 【指令6】 姿勢を整える
  〜姿勢をまっすぐにし、リラックスして立つ。そうすると呼吸も楽に
 なりし、今より楽になる。〜
 「優秀な戦士とは、健康な戦士である。」その外形は背筋を伸ばした、姿勢。
 ▽ 規律訓練などで、厳しく正されるのが背骨をスプーンにした上に、全身を
弛緩すること。そうすると、呼吸も自然と整うことになる。そして、対峙する者
の眼か、首元をみること。新人訓練をする方は、相手は野獣と理解しおかないと…

▼ 卒業直後に、「正社員としての正規教育」を受けてないと、後あと、
 苦労することが多くなる。転職をする度に、準社員としての立地ふるまいが、
染み込んでいくため。そして、不適応と不自由を混合し、外部に自由を求める。
【指令4・5・6】は、「ヨガ」の教えに重なる。
<周囲の人との距離を図り、姿勢を正し弛緩と緊張を繰返し、静かに呼吸をする>
 で、目的は「瞑想」を深めること。

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5234,「エリック・ホッファー自伝」 〜? 
2015年07月14日(火)
             「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳
    * ある若い女性との出会いと、別れ
  ホッファーに深い矛盾が見て取れる出来事である。人生で誰もが、
 経験する分かれ道がある。もし、二人の女性の申し出を受け入れていたら、
放浪者として世に受け入れられた哲学者としての彼は居なかった。別れで一番、
傷つくのが本人同士。こういう傷口から深い思索と、新しい出会いが出来てくる。 
時空を超えて悲しみが伝わってくるようだ。 〜その辺りから
≪・ある初夏の朝、レストランから出ようとしていると、赤い列車がシャタック
アベニュー駅に到着するのが見えてきた。こんな早く旅行しているのはどんな
人だろう。列車からは若い女が二人降りたが、手には小さなスーツケースを
持っている。明らかに初めての来訪で、列車を降りた所であたりを見回している。
様子を見ているうちに、急に話しかけてみたくなり、足早に彼女たちに近づいて
「何かお手伝いしましょうか」と声をかけた。彼女たちは驚いたようだった。
二人の女は昼と夜のようにまったく対照的である。一人は背が高くてとても
美しく、もう一人はずんぐりしていて、きれいとは言えない。
「手荷物係さん?」とずんぐりした方がたずねた。「いいえ、給仕係さんですよ」
と私は答えた。みな笑った。私は動揺を隠そうとしゃべり続けた。彼女たちは学生
だろうか。大学はちょうど休みの時期で、次の学期が始まるのは数ヵ月先だった。
サマースクールに出席しようとしているのだろうか。それなら、いろいろと
落ち着くまで時間が要るだろう。「とにかく、そのときまず必要だったのは
朝食である。私はスーツケースを持ち、レストランに案内した。私はテーブル
をとり、カウンターに行き、オレンジジュースと果物とハムエッグを注文した。
食事中も彼女たちは笑いっぱなしで、私を好奇な目で見ている。きれいでない方
の目は私に対する疑いが見てとれた。私は「心配しないでください。別に私は
頭がおかしいわけでもないし、知らない人に声をかけて朝食をご馳走する
趣味はありません。姿を見かけた時に、話したいと思っただけです。
 ・・(略) 彼女たちにはある計画があったのである。ある晩、フレッドが
人生の目的について私を諭した。人間は目的をもっていなければならないし、
自分の非凡な能力を無駄にするのは罪だ、と。彼女はヘレンから最近の物理学
の動向について聞かされていたのだ。そして、私の理論化する才能を生かせば、
奇跡的なことが成し遂げられるはずだし、物理学部の誰よりもすごいことが
できる。並外れた数学の力があれば、アインシュタインのようにもなれるかも
しれない、と彼女は信じ込んでいた。ばかげた話だった。二人の女性が、
私を驚異の人物に仕立てようと決意している。まったく常軌を逸していた。
私は心からヘレンを愛していたが、彼女たちの期待に応えるために、四十歳
まで残されたわずかな人生を費やすのは、あまりにも惨めだろう。おそらく
物理学部の人たちは、すぐに私が偽者だと気づき始めるだろう。どうして自分
に並外れた才能があるなどと信じられよう。もしこのまま彼女たちと暮らせば、
一時の平和も見出せないだろうと思った。私は一刻も早く行動を起こして、
放浪生活に戻らなければならなくなった。こうして収穫期が近づいたある日、
私は何も告げずに、バークレーを離れた。・・・ ≫
▼ 何か、ホッファーの傷の疼きが、そのまま井伏鱒二の詩が代弁している。
 <この杯を受けてくれ どうぞなみなみ注がしておくれ  
           花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけ が人生だ>
 先短い人生、一時的安住を選ぶか、放浪哲学者の道を選ぶか。
20才代、創業のための自己配転をした節目の孤独感を思い出す。
目指す所が、あまりに遠く、現状に安住できない二重構造の自分が、
存在していた。 極限を乗越えていくのが青春であり、青年である。

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5599,恋愛心理学 〜?
2016年07月14日(木)          
             『美人の正体』〜越智啓太著 
  * 美男美女には敵わない
 図書館で、何気なく手にとって借りてきた本だが、これが面白い。
これで、「恋愛心理学」の分野があることを初めて知った。考えてみれば、
幼児から恋心が芽生え、老いれば老らくの恋がある。その心理学があっても
不思議ではない。総じて人間は、外見的魅力が高ければ高いほど得をする。
顔が悪かったら何か他でカバーしようとする。ここで、学問等が優秀でも
美男美女には敵わない現実が記載されている。生物学的要因と社会学的要因
の双方から、美人・ハンサムであるほど、頭が良く、運動や音楽でも優れ、
仕事ができ、玉の輿に乗る可能性が高いようだ。
 耳、鼻、口、目などの平均的形相を、そのまま均整をとって組合わせた顔が、
何故か信じられないほどの美形になる。その上に、顔や身体の「左右対称性」
が、健康や知性、社会的な適応と密接に関連している。
 良い顔つきの人には、それなりの人がペアになるため、長年のかけ合わせの
積重ねが、容姿の元になる。しかも、美人・ハンサムは幼少時から周囲の大人
に能力が高いと期待され、結果、努力を重ねるため、能力も比例する傾向にある。
  〜印象に残った箇所の幾つかを抜粋すると
・男性は「相手の子供が自分の子供である確率を上げるため」、
 女性は「やりにげされないため」、それぞれの思惑で相手を選ぶ。
・男性の場合、相手が若く経験が浅いほど自分の子である確率が高いから、
 若くて幼児っぽい容姿に惹かれ、女性は行為の前に鳥でいう「巣作り」を、
 つまり経済性を要求する。
・同じ男性でも高級車に乗っていると魅力的に映る。 女性のWHR(ウエス
 とヒップの比率)が、体重に関係なく0.7が丁度よいバランスになる。
・多くの写真を合成して平均化していくほど、イケメン・美人度が高くなる。
 ――――
 息を呑むような美人に何人か出会ったが、連れは、?の人が多い。短期的に
丁度良い相手は、長期的相性が良いとは言えない。二人のパッと目は良いが、
さて中味となると? で、世界は不幸に満ちることになる。 美男美女とはいえ、
顔と身体のバランスがとれているだけだが、それで人生を大きく左右されるとは、
何だろう。自分の中の妄想を、そのバランスの良さが、駆り立てているだけだが。
もう一つ、TVや映画の主人公は、当然、美形である。そのハロー効果 ※が、
美形、良い人、有能な人と植付けられた結果が、実態との乖離をうむ。付いてる
機能は、皆、同じなのに。肉体というヌイグルミと、心、魂は別物なのに。 まあ、
一生、気づかず、人生を終えるのだから、それはそれで! でも美人は良い。
 
 ※ ハロー効果とは、心理学者エドワード・ソーンダイク によって名づけられた
造語で、心理的効果の一つ。ある対象を評価をする時に顕著な 特徴に引き
ずられて他の特徴についての評価が歪められる現象のこと。

・・・・・
4502, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー4
2013年07月14日(日)
          『大往生したけりゃ医療とかかわるな 』中村仁一著
*(末期ガンで早々}逝くも地獄、残る(死に損なうの)も地獄
『どうせ死ぬなら「がん」がいい』と『大往生したけりゃ医療とかかわるな』
を読むと、老いることも、死にゆくことも、決して甘くないことが分かる。
そう遠くない未来を垣間見ているようで呆然とするが、これは目を背ける
ことが出来ない。子孫を遺す役目を終えた50歳から還暦辺りになったら、
「がん死」がお勧めという。余命6ヶ月と宣言され、幸運と私に思えるか?
 何をしても少しでも長く生きたいと思うのが人情。 近代医学の成果で
長生きをした結果、長生きをし特老に入って死に逝く人を見送り、その悲劇
を実感した著者の率直な実感だから説得力がある。拷問ようなの苦痛を
味わった挙句、息を引き取るのが大半ならば、点滴、薬漬けを拒否し、自然死
に近い状態で死んでいく方が良いのかも。
 胃瘻と鼻チューブなどで延命させるのが果たして本人に良いだろうか。
医療サイドは、出来ること全てを注ぎ、延命させるのが基本であり、家族も
見殺しに出来ないという罪の意識が、拷問に近い状態でも生かそうとする。
それは逆に拷問のため生かしておくことと変わらない、のが分からない。
鼻チューブから栄養をとる違和感は半端でないため、患者は隙あらば
引き抜こうとする。そこで両手を縛り付けるが、それは拷問と同じこと。
患者は食べないから死ぬのではない。死に時が来たから食べないのである。
それを無理に生かそうとするため、拷問状態になる。「できるだけ手を尽くす」
は「できるだけ苦しめて地獄を味あわせる」と同じ意味になる。
そうこう考えると早々と死ぬのも、ひとつの選択になる。
末期ガンで早々逝くも地獄、医療で死に損なうのも地獄。 このところ、
中学、高校の同級生がガンや自殺で亡くなったが、著者の見方によれば、
これは生、老、病、死の苦しみを最小で済ませた幸運の持主。老いて逝くのも
大ごとということ。 そうこう考えると自殺も選択肢の一つになる。
そういえば、図書館で断食で自ら命を断つプロセスを事細かく記録した
文庫本があった。食を断つのは自死かどうかだが・・ 元気なうちに何?
を用意しておくのも必要なことかも。死ぬのは、生きてきたのだから仕方が
ないが、問題は死際の精神的、肉体的苦痛である。 
 やはり生きているうち今を充実させるしかない。「今ヨリナキニ」である。
それと「今日という日は、残された日々の最初の一日」と、思い味あわなければ
ならない。 地獄の瀬戸際で何をみるのだろうか? 幸せだった日々に感謝
しながら、両親に両側を挟まれ光の中、消えゆくイメージを瞑想で中で創れる
かもしれない。死際の準備も、この著書にシッカリ書いてある。 
次回になるが、なかなか含蓄がある。 母親は痴呆症になる前に、全て準備
をして私に託していった。本当は還暦前にしておくべきことだが、
今でも遅くはない・・ 何事も準備である。
・・・・・・
4128, ヨガとは何?という素朴な疑問
2012年07月14日(土)
 スポーツジムのヨガに参加して4ヶ月になる。‘スロー’ヨガというから
初心者向けだが、腰痛持ちもあって少し厳しい。定員50人に、平均40人位
が参加している。男性参加者が10名位で、片隅で目立たないようにしている。 
その中、時どき先生がヨガの説明をする。先日の内容は、「ヨガは瞑想法の一つ。
無念無想になるために呼吸法と、色いろなポーズを取ることで、そこに気持ちを
集中して、頭を空ッポにするためのもの。従って、ヨガが上達したとか、しない
とかは気にすることはない」という。なる程!いいことを言われる。週二回、
4ヶ月経った印象は、「腰痛解消のために病院で集団治療をしている感覚。」
腰には良いが、少し痛みが残る。それでも合計33回、ヨガを続けてきた成果が
出始めてきた体感はある。 数十年かけて固まった足腰が、徐々に解けている
のがポーズの積み重ねで実感する。ーそこでヨガの意味をネットで調べてみたー
 ≪  ◇ ヨーガの意味と起源 
 ヨーガの起源をたどると、紀元前二千五百年程のインダス河流域のハラッパ
モヘンジョダロなどの遺跡から、ヨーガの坐像の印形が出土していることから、
その頃を起源としているようだが、実際に「ヨーガ」という言葉が宗教用語として
確認されているのは紀元前五百年前後のベーダンタ時代で「ヨーガ」とは
「馬を車体につなぎ、その馬車をコントロールして、道をはずさず、人生の目的地
へ行くこと」を意味していた。 カタ・ウパニシャッドでは 「真我(アートマン
を車主、肉体を車体、理性を御者、意志を手綱と心得よ。賢者たちはもろもろの
感覚器官を馬と 呼び、感覚の対象を道と呼ん でいる」と述べています。
このことから「ヨーガ」は、馬を車に「つなぐ」が語源であり、意味するところは
「結ぶ」「コントロールを する」「バランスをとる」との意味をもってきました。
 又、少し遅れた同時代には釈迦族のゴータマ・シッタルダが悟りを開き、
仏教がスタートしています。このお釈迦様も二十九歳の時、王宮から出家して
山野で六年間修行された後、ブッダガヤで瞑想し、悟りを開かれたのですが、
その間、瞑想をしたり、断食をしたり、野山で遊行した修行が、まさに当時の
ヨーガそのもの。その生きたお釈迦様の実際に語った言葉を、後に弟子が書き
残したと云われる「ダンマパダ(法句経)」の中にも、「ヨーガ」という言葉が
語られています。「まさに智はヨーガより生じ、ヨーガなくして智は滅ぶ。
その道理を知りて、ヨーガを行じ、智を増大せしめよ。」「智」というのは、
物事を分析するだけの知識(分別知)ではなく、知に日がついて光あふれた、
命の智恵「英知」と云われています。それを人々に伝える人を、かつて、日知り
「聖人」と云ったのです。このように「ヨーガ」とは、「結びつける」
「コントロールをする」「バランスをとる」という意味と、その「修行法」
「技法」として発達してきたのです。それでは何と何とを「結びつけ」
「バランスをとる」のでしょうか?
 それは、�身体と心をバランスよく結びつける。�内なる私(真我)と
大いなる我(宇宙)とを結びつける。�人と人をバランスよく結びつけること。
仏教では、それを三宝と云って、�身体と心をバランスよく結びつけ解放した
人間存在を「仏(ブッダ)」といい�宇宙や自然の法則と自己とを調和させる
生き方を「法(ダルマ)」といい、�人と人とが調和し助け合う平和な社会を
「僧(サンガ)」といって尊んだのです。そしてヨーガでは、その方法を、
具体的な生活法(ヤマ・ニヤマ)、運動法(アーサナ)、呼吸法
(プラーナヤーマ)、瞑想法の階梯(プラティヤハーラ、ダーラナー、
ディヤーナ、サマーディ)そして祈りの言葉・神の名(マントラ、ジャバ)
等として、 私達に伝えてきているのです。 ≫
▼ ≪「真我(アートマン)を車主、肉体を車体、理性を御者、意志を手綱と
 心得よ。賢者たちはもろもろの感覚器官を馬と 呼び、感覚の対象を道と呼ん
でいる」と述べています。このことから「ヨーガ」とは、馬を車に「つなぐ」
が語源であり、意味は「結ぶ」「コントロールを する」「バランスをとる」
との意味をもっていた。≫が、ヨガの本質。内なる真我と大宇宙を結ぶ修行こと。
 10数年ほど前に、散歩で出会った地球の核の一点を擬人化して現在も話を
しているXが、宇宙。向き合っているのが真我ということ。