つれづれに

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 例年、3月を過ぎると、面白いように日々が過ぎていく。
スポーツも、高校野球プロ野球、サッカーも本格的に始動する。
そろそろ桜と梅の開花が始まる。 春は待ち遠しいが… 春の若者が
まぶしく感じる頃である。どんどん、老いるほど、隅に追いやられていく。

 




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4739,<つまずき>の事典 ~   ー7
2014年03月06日(木)
* 私は人一倍こわわがり屋!(植村直己)<つまずき>の事典>中村邦生編著
 誰でもこわがり屋で、神経質である。もし、そうでないなら無知か、無神経
である。それを登山家の植村が逆に準備を周到にすることで乗り越えてきた。
私も、人一倍こわがりで、神経質の性格を乗越えてきた。初めてのケニアも、
 生きて帰れるかどうか、到着するまでは恐ろしさで震えていた。でも、
サファリ地区に入れば、何とことはない、世界で名だたるレジャーランド。
要は、決心できるかどうか。人生と同じである。 ーその辺りを抜粋ー
《 ☆ 人から「そんなに次次に危険を冒してこわくないのか」と、よく
 聞かれるがとんでもない、私は人一倍こわがり屋。危険に直面したとき、
自分だけはなんとしても生きたい、と思うのである。普段の生活では表に出ない
利己的なものが、危険に遭遇した時、あらわれるのである。ー植村直己『冒険』~
 植村直己(1941~84)は登山家・冒険家。兵庫県生まれ。モンブラン
キリマンジャロ、南米のアコンカグア、エペレスト、北米のマッキンリーと
世界初の五大陸最高峰登頂者となった。チョモランマを除いては単独登頂。
他にも、アマゾン川を筏で下ったり、北極圏一万二千キロを犬ゾリ単独走破
などを成し遂げた。この希有の冒険家も明大山岳部に入りたての頃は、
新人の中でも最もパテが早く、使いものにならなかったという。
 この『冒険』は一九八○年刊行の自伝的冒険記。引用は単独行への新たな
挑戦を語る章の一節。この「利己的なもの」という言葉に続けて、
「北極圏の犬ゾリ旅行のとき、ひとたび食糧が欠乏して生命に危険を感じると、
それまで家族のように接してきた犬も食糧に見えた」と告白している。
植村直己は「未知の世界に立ち向かうとき、私はあらゆる準備に時間をかける。
そして、成功への可能性が見つかったとき、初めて行動に移る」と自他ともに
認める慎重居士であった。しかし一九八四年、マッキンリーの冬期単独初登頂
に成功した帰路、消息を絶った。43歳の誕生日を迎えた後であった。
この登頂は南極大陸横断という挑戦に備えてのことだった。》
▼ 長期の設備投資の事業をしてきたが、20~30年以上の投資のため、
 多くの時代の波に曝されることになる。判断と、決断は、それを前提にするが、
そんな先が読める訳がない。そこに底知れぬ恐怖感がまとわり付く。そのため、
万一の備えをつくっておくしかない。今回の一連で、大部分の人が計画倒産と
思ったようだが、そんな小利口なことなど、私に出来ようがない。出来るのは、
再投資の度に、リスク管理を積み重ねてきた。そこには利己的な自分が顔を出す。
 気が小さく、愚鈍で、利己的な自分と常に出会うことになる。
だから綺麗ごとが綺麗ごとと自覚できない人の心中が透けて見えてくる。
ドラマと、現実は違う。その内面は、ドラマでは表現できない。
それは、自分で経験するしかない。
  ・・・・・・
5469,人生で最も大切な技術 ー27 黄金の時間への回帰
2016年03月06日(日)

 5年前から、早朝から「黄金の習慣」を編上げたスケジュールを淡々と過ごす
日々が、そうと言えるが、どうだろう。世間的なことを、ほぼ無視できるし、
一人、ほぼ単独でこなしている。一番の心の切替が出来たのは、20時から4時間、
爆睡をした後の、4時間の半睡を、瞑想のように過ごす。4年前からジムのヨガを
週に2~3回、参加しているが、最後に死者のポーズを5分ほど行う。それと同じ
感覚にすると、かなり酷似した感覚になる。 歩の時間が、成金の時間帯に
変わっている。 ~その辺りから
≪ 一日に一度、ほんのわずかな時間でもいい、心を内省する時問を持ったら
 どうだろう。たしかに、知的な会話や頭を使わないですむ娯楽もそれなりに
楽しいものではある。だが、それらが本当の満足感を与えてくれるだろうか。
心を内側に向けよう。山のように習得するだろう。毎日わずかの暇を見つけて、
利他的な考えを養成し、心がどのような働きをするかを観察するのは非常に
価値のあることである。こうした心の探査は、地域情報やスポーツ記事を読む
時聞に比べて千倍も多くのものを得る上、永続性がある。世間的なことを
すべて無視しろ、と言っているのではなく、時間が有効に使われるべきだ、
と言っている。現代人は思考ゼロの状態にはまり込んでいるのである。
 挫折を味わうとか、仕事が空回りする等の経験をした場合は、
「すべてを客観的に捉え直す」ことにわずかの時間費やす。だが、その方法と
費やす時間が問題なのである。辛い時間が「さっさと過ぎ去る」のを待ち、
「気持ちをまぎらわす」何らかの気晴らしを熱心に探そうとする。 それが
ほとんどの場合だろう。だが、俳優と場面は変わっても、芝居は続くことを
忘れてはならない。湖の畔、丘の上、静かな部屋に座り、自分の奥深い部分が
どのような構造になっているのかを観察してみたらどうだろう。まず、自分の
人生で何が一番大切か、それをじつくりと検証する。続いて、それまで時間を
割いてきたさまざまな活動を点検し、基本的に重要な事や活動を優先して順位
をつける。日常的な活動のうち、必要性の低い部分を、沈思黙考と内側に目を
向ける時間に切り替えることもできるだろう。長年にわたり、英国を離れて
隠遁生活を続けたテンジン・パルモ尼はこう記している。「人は瞑想の時間が
ないと嘆くが、それは正しくない。廊下を歩いている間、信号待ちの間、
コンピュータで作業中、列に並んで順番を待っている間、と入浴中、髪を梳か
している時でさえ瞑想はできる。今この瞬間に存在しているだけでいい。
心についての余計な解説は要らない」。 人生の残ざれた時間は有限である。
人間は、生まれたその日から一秒、一歩ごとに死に近づいている。
チベットの隠者、バトゥル・リンポチェは詩的な表現をしている。
  日没に太陽が沈むように、命が次第に残り少なくなると、
  死が、長ぐ伸びた夕暮れの影のように近づいてくる。
▼ 別に、私が黄金時間を満喫しているということでなく、御隠居生活
 そのものが、心の持ちよう、考え方で、それに近づける状況ということ。

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3632, 「中東革命」の行方 -1
2011年03月06日(日)
  * 「中東革命」をなぜ手放しで喜べないか
竹森 俊平(慶大学教授)の中東革命をなぜ手放しで喜べないかの、毎日新聞の論説が面白い。
アメリカのデモクラシー」を著した19世紀のフランスの社会思想家、トックヴィルは民主主義
の支持者だったが、同時に民主化された国の先行きに不安を抱く「慎重な楽観主義者」であった。
そのトックヴィルの洞察とは、
≪ 貴族が政治を支配する君主制の下では、社会はいくつもの階層に分断されるが、個々の階層内での
 団結は強い。そのため国は「利益集団」の連合体という形態を取り、その集団の抵抗があるため、国全体
を君主の意思で自在に動かすことは困難で、君主制が「独裁政治」に転化することは稀である。
これに対して、国民の間の身分の差を認めない民主主義の下では階層に基づく利益集団が消滅し、誰もが
一個人にしか過ぎない。しかるに、巨大な社会の中での個人の力は僅かだから、国民は「個人」として
行動する場合には微弱である。そのため国家、社会の動きに国民は脅える。とくに一番国民を脅えさせるのは
アナーキー」である。しかも軍事的革命によって民主主義が確立した場合に国民のアナーキーへの恐怖は
大きくなる。 力によって維持されていた体制が、その力とともに崩壊したあとの混乱を誰もが経験して
いるからだ。 結局、この無政府への恐怖が、国民を「絶対権力願望」へと駆り立て、独裁制を生む。 
こうした経緯で誕生した独裁制は、君主制の下で発生した独裁制よりも強権的である。
なぜなら君主制の下では、国民は「意に反して」誕生した絶対権力に対し抵抗し続けることができるが、
「意に従って」誕生した民主主義の下での独裁制には抵抗し難いからである。 しかしマスコミは
「慎重な楽観主義」として民主主義をみている。≫     -つづく
 ――                                                  
 独裁国家の崩壊は、王政国家の崩壊より性質が悪くなる。今回のエジプト、チュニジアリビアのような
時代遅れの独裁国家の存在を許し、崩壊後も同じような独裁者を生むことになる。ソ連スターリンも然り。
王政が軍事独裁者が取って替わっただけでしかない? 北朝鮮も、中国の共産党の体制も、同じ似ている。
軍隊は共産党所属である。だから騒動が起きても、軍部は民衆より共産党につくしかない。共産党もその
子弟が代々上層を占めている。競争社会は格差を生み出し、その蓄積が社会構造を作ってきた。
その構造が突然、崩れても新たな理想的なシステムは、簡単につくれるはずがない。
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3267, 哲学者は神について、どのように語ったか -3
2010年03月06日(土)
 中世が終わると、キリスト教の影響から脱した反動から16世紀以降特に、素朴な信仰は色あせてくる。
その中で、バスカルは神への信仰を語っている。人間は卑小だが、その卑小さを知るがゆえに偉大である。
彼は、「人間は考える葦である」という有名な言葉がある。「人間は一くきの葦にすぎない。自然の中で
もっとも弱いものである。だが、それは考える葦である」すべての人間は幸福を目指して行動をするが、
最終的には「人間は死刑囚だ」と嘆き、その不幸から逃れるためには来世の幸福を望むしかないと考える。
遺稿に遺作の「パンセ」がある。
  《パスカルの賭け》という断章がある。
【「神は存在するか、しないか。きみはどちらに賭ける? ― いや、どちらかを選べということが
 まちがっている。 正しいのは賭けないことだ。 ― そう。 だが、賭けなければならない。君は船に
乗り込んでいるのだから。」すでにこの世に生きている以上、この勝負を降りることはできない。賭けない
ということ自体が、結果的に一つの選択となるからだ。賭け金は自分の人生である。神が存在するという方
に賭けたとしよう。勝てば君は永遠の生命と無限に続く喜びを得ることになる。しかも、君の人生は意味
あるものとなるだろう。賭けに負けたとしても、失うのものは何もない。反対に、神は存在しないという方に
賭けたとしよう。その場合、たとえ賭けに勝っても、君の儲けは現世の幸福だけである。死後は虚無とみなす
わけだから、そこで得るものは何もない。逆に負けたとき、損失はあまりに大きい。来世の幸福をすべて
失うことになるから。】
 ー
 なるほど、理にかなっていると学生時代に「パンセ」を読んで納得したことがある。
パスカルは、理性を根拠に神の存在を証明したデカルトに反対する。有限な人間の理性では、無限な
神を理解できない。神を理解できるのは「心」と、考えた。彼が考えた神は「ヤコブの神」という。
旧約聖書の登場人物たちの語りかけ、導いた神こそ本当の神とであり、デカルトの神は「哲学者の神」
にすぎないという。若いときの私にとって、非常に新鮮な感覚で、大きな影響を受けた一人である。
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2892, オーラをみたことがあるか?
2009年03月06日(金)
 オーラを見たことがあるか?というと、殆どの人は見たことがないのでは?
一般的にオーラがかかっているというと、「貴乃花を見たときに、オーラが見えた」という人は、弟子に
前後5~6人に囲まれて熱狂的なファンの間を歩いている姿の全体のエネルギーの威圧感を言っている。
「光の手」という本に、「人間の体にはエネルギーフィールドがあり、7つのチャクラがある云々」と。
それを一般的にオーラというのだろうが、実は私は一度だけオーラを見たことがある。 
15年ほど前、母が痴呆症になった時に三年ほど毎朝、車で20分の長岡ニュータウンの丘陵公園に母親
を連れて、車椅子で誰も居ない広場の散歩道を歩いている時のこと。大きな広場を坂道をやっと上がり
きった瞬間に前方から朝の陽光が雲間から私たち二人を照らした。その時に車椅子の後ろから見た白髪の
母に虹のようなものが包みこんでいるのが見えたのである。 逆光が私の位置から母の白髪を通して見た
ため光の加減もあったのだろう。早朝の誰も居ない坂道の幻想的背景もあってか、今も心に焼き付いている。
その半年後に二番目の姉夫妻が千葉から母を訪ねてきた。その時のオーラの話をしたところ、そこに行き
たいという。そこで母と姉夫婦と私の4人で車でドライブがてら行ってみたところ、そこで義兄が面白い
ことを言った。「私が学生時代に登山で似た体験をしたことがある。早朝の山頂で日の出をみていた時のこと。
自分の影が朝日に映し出された時に、その光景がオーラのように感じ取られ何とも不思議な感覚になった。
その感覚とソックリのような気がする」とのこと。自分のオーラを影の中で見たのだろう。これは経験した
者でなければ分からないこと。自分の感覚にはバクテリアの発生から進化を20億年以上かけてしてきた
蓄積がある。それを何かの折に、底知れない何かを感じるのは何ら不思議のことではない。この年齢で
人生を振り返ると、色いろの経験をしてきたのである。過去に数百、数千億人が人生を過ごしてきた
のだから、信じられないほどの蓄積が存在している。それを可能な限り知ること、これも生きるという
ことである。まったく、人間には自分というバカの壁が強固に張り付いている。 
 しゃ~ないが・・・
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2008年03月06日(木)
「ニッポン、ほんとに格差社会? 」池上 彰 (著)
ーHPでの内容紹介ー
 「日本は本当に格差社会?」 ー常識のウソを大検証
ーまずは内容概略からー
 日本は本当に格差社会なのか? 本当に少子化国家なのか? 
NHK週刊こどもニュース」の池上彰が、新聞、テレビから伝えられる「ニッポンの常識」を最新データを
もとに診断。世界の国々と比較することで「日本はこんな国」と漠然と信じてきた「常識」が、劇的に覆ります。
項目は、「日本人は貯蓄好き?」「女性の社会進出は進んでいない?」「郵政民営化は先進国では常識?」
など「30題」。池上彰が○×形式で平易、そして明快に解説します。目から鱗になること請け合い。
これがほんとの「ニッポンのかたち」!
 ー 
発行されてから一年半が経つが、指摘していること自体が怪しくなっている。それだけ日本が急速に悪化して
いる!ということが解る内容でもある。その一つが生徒の学力である。現在はさらに著しく低下をしている。
経済が縮小しているのに対処できない姿が、この本の統計から窺い知ることが出来る。この本では格差社会
問題は、あくまで一部。色々の30の分野で外国との差異を示し日本の特異な部分を浮かび上がらせている。 
なるほどと、現在おかれている日本の危機を考えさせられてしまう。
 30の命題に、○×△の判定を下してあるが、その中で印象的なものを選んでみた。
「日本の政府は巨大である」     ○      「郵政民営化は先進国では当たり前」 △
「米軍との地位協定は不平等」    ○      「日本でも格差が広がっている」    ○
「日本社会もかなり危険になってきた」 △     「日本の生徒の学力は低下している」  ×
「国会議員の数は多すぎる」     ×
ーその他に、幾つか印象に残った部分を書き出してみた。
*財政状態を家計に例えると借金総額は5380万円。
*「日本の生徒の学力は低下している」の項では
「データを正しく読み取ることができない大人の方が学力低下の心配がある」
*厚生年金などは消費税率の高いヨーロッパよりも、給付額が多い。
  次回は、「日本は本当に格差社会だろうか?」を取り上げてみる。
・・・・・・・・・・
2007年03月06日(火)
2163, 池田晶子が亡くなった!               
「哲学者の池田晶子さんが亡くなった」と昨日のモーニング・ショーで、読売新聞元政治部長の解説者がコメント
していた。二年間に彼女の本6冊を「何度も」読んだ。「生きることは考えること、考えることは生きること」と、
自分の頭で考える必要性を説いていた。哲学を普通の言葉で説明するのが売りで、彼女の本を読みこんだ分だけ、
地頭で考える力がついていったような気がする。地頭思考訓練・練習帳というふうであった。「ソクラテス
デカルトを学ぶことは、哲学とは何かとか、何を言ったとかを、学ぶことではない。彼らの学問を通して考える
ことを学ぶことである」が印象に残っている。なぜ生きているのだろう(?_?)
常に考えるため、トイレの中にも、会社の机の上にも置いてある。最近の出版さた本は殆んど読んでいた。
しかし亡くなったのを契機に、以前の本を読んでみることにする。
二ヶ月前、中・高校の同期生がリンパ癌で入院した見舞いに、「14歳からの哲学」を持っていった。
「自分の死(一人称の死)は存在しない!」が、その中に書いてあるからである。
「昨年秋に肝臓ガンを手術、先月の2月23日に亡くなった」と報じていたが、自分の死に直面して、
どういう気持ちであったのだろうか?今度、彼女のことを書いてみようか!
成る程「生と死の塀の上」でなければ、これだけの哲学は書けないのだろう。何が彼女をして、ここまで
深く考えさせたのだろうか?と考えていた矢先に、この訃報である。その辺だったのか?
死というブラック・ホールの際にいたから、真理が鮮明にみえたのだろうか?
*最近の彼女の著書で○印は読んだものである。どれも同じようなことが書いてあるが、それでも面白い
ものは面白い!
 「一度哲学の意味を充分に噛み砕いて普段の言葉に変換する」のが彼女の役割だからだ。
 難しいことを難しくいうことは誰でもできるが、素人にはなかなか簡単に説明できない。
      ×印をさっそく注文した。
    〇14歳からの哲学?考えるための教科書(2003年)〇あたりまえなことばかり (トランスビュー、2003年)
    ×新・考えるヒント (講談社、2004年)    〇41歳からの哲学 (新潮社、2004年)
    ×さよならソクラテス (新潮社、2004年)   〇勝っても負けても 41歳からの哲学 (新潮社、2005年)
    ×メタフィジカル・パンチ! (文藝春秋、2005年) 〇勝っても負けても(新潮者2005年6月)
    〇人生のほんとう (トランスビュー、2006年)   〇知ることより考えること (新潮社、2006年)
    ×君自身に還れ?知と信を巡る対話 (共著/本願寺出版社
人が人生をかけた言葉は、魂の言葉になって鳴り響く!言葉が垂直に立っているということか! ご冥福を!     
               ¥(*^_^*)\ バイバイ 
・・・・・・・
2006年03月06日(月)
1798, 自分を変える魔法の「口ぐせ」      (*´・ω・)ノはよー
「あー疲れた…」とため息をついたり、「駄目だ駄目だ…」と、遥か昔のことを思い出しながら一人つぶやて
しまう。日常、私たちが何気なく口にする言葉には、ネガティブなイメージを持つ言葉が多い。内語の70?80?は
ネガティブな言葉だという。“言葉は言霊”と言われているほどパワーを持っている。NYヤンキースの松井
秀喜は、中学生時代のある苦い経験をきっかけに、「2度と他人のことを悪く言わない」と誓ったという。
だから同僚から信頼されるのだろう。口ぐせは“一種の習慣になっている言葉であり、無意識のうち行動を支配
するもの”である。そういえばスナックのママで「私頭が悪いから…」が口ぐせになっている人がいた。
その言葉が大脳に私はバカなのだとインプットしていることに気がつかない。「口ぐせリストを作成しよう」
という項目の中には、次のような口ぐせ項目がある。『鏡のなかの自分に向かってのひとことは?』
『明日もまた頑張ろうという気持ちを表す言葉は?』『気分のいい時は?』『気分の悪い時は?』
『一日に何回“ありがとう”と言っている?』・・それぞれ、プラス用語を決めておくとよいだろう。
項目ごとに自分は如何か考えてみたら、殆んどプラス用語が自動的に出てきた。理想像と現実のギャップに悩む
あまり、自分を卑下してしまうが、それをプラスの口ぐせに代えれば自然にポジティブな人生を築くことになる。
自分が選択した行動の結果について、「これでよかったんだ!」と思うことで、すべてが上手くいくという。
「もし、あそこでああしていたら・・・」は誰でも思うことだが「これでよかった!」と自分の意志や心情を
認めることで、頭を切り替えることができるようになる。中村天風は言葉の持つエネルギーの重要性を説く。
二十数年前に天風の本を精読して、現在もトイレに置いて毎日のように目を通している。それでも何時の間
にかマイナス内語を呟いてしまっている。天風の本を毎日目を通すことで、人生が非常に豊かになっている。
ーーー
( 自分を変える魔法の「口ぐせ」 夢がかなう言葉の法則 )佐藤富雄・著 かんき出版・刊
・・・・・・・
2005年03月06日(日)
 1433, フランチャイズ・ショー  ー2
この時期に有明東京ビッグサイトで店舗総合見本市が開かれている。もう34年になるが、半分近くは見学に
訪れている。去年に続いて3月2?3日に行ってきた。FCショー、建築資材、店舗、街づくりなどの棟に分かれて
いる。一棟5000?10000坪の会場に、多くの会社が出店している。会場を歩いているだけで、夢があって楽しい。
通っていると、時代時代の変遷が見えてくる。 居酒屋が目につく年、コンビニ、インターネットカフェ
中華そば、と主流が変わる。今年はマッサージや、化粧品を使ったエステなどの癒し系が目についた。
(去年はインターネットカフェ)面白いところでは、犬の洗滌機を組み込んだ車。SCの駐車場を借りて、
犬の洗濯をする。B級の犬が狙い目というのが面白い。血統書つきは、犬屋で専門家が洗うが、これは食器の
洗浄器のような発想でつくられている。去年も見かけた目の矯正の器械の販売会社も面白い。音波で、目の疲れ
をとってしまうのだ。去年は「怪しげな!」という先入観があったので、声をかけられたが無視をした。しかし、
今年はカラカイ半分でつかってみた。ところが何と使った後に目の検査をしてみたら、使用前と使用後では
検査表が二ランクも良く見えるようになった。音波で目の疲れをとるだけなのだが。なるほど、これを使えば
少しは目が良くなるのかもしれない。インターネットや大型TVの普及で、目をマスマス酷使する時代に目の
矯正センターも見直されて良いはずだ。養殖フグの料理店のFCもあった。とにかく安くフグを食べさせるのだ。
これも大商圏のポイントを押さえれば上手くいく可能性がある。コンビにもそうだが、フランチャイズは本部
だけが儲かるように出来ている。しかし旧来のやり方から抜け出さないなら、FCも致し方ない。
・・・・・・・・
2004年03月06日(土)
1067, 高級1DKマンション ー2
店舗ショーに3日間見学に行ってきたが、その午前中は高級1DKマンションを見てまわった。時代の最先端
の多くのヒントやノウハウが隠されているからだ。最新のものは、最近オープンした品川の300室規模の
ものである。
 (字数制限のためカット 2011年3月6日)
・・・・・・・・・・・
2003年03月06日(木)
701, 「最強の勉強法」
本屋のコーナーで何度か目に入っていたが、衝動買いをしてしまった。ハウツーものとしては面白い。
今になって昔何故ハウツーものをもう少し読まなかった悔やまれる。まあ仕方がないが。事業と同じで
「プロセスを楽しめ、成果をあげる工夫を徹底しろ」の二つに尽きる。大体の本は、2時間で殆ど
把握できるようになった。
1、まずは前書きと目次と終わりにを中心にポイント読みをする。
2、次に、本に折込を入れる。それぞれの章と目次と太字のところを中心に入れる。
3、インターネットでホームページをさがし、書評と概要を読む。
4、最後の章からポイント読みを逆に遡って読む。
5、できたら随想日記の読書日記に書くためにまとめる。 以上が2時間だ。
6、一番大事な事は、読書日記に自筆で「目次とレジメを書くこと」である。
 これを過去40年何もしてこなかったのが、人生の最大の後悔といってよい。
 一ヶ月前から始めたが、これがよい。あとで読み直した時は赤のペンで書き足すのだ。
 この歳になって悔やまれる事があまりにも多い。 いまさら仕方がないが。
 ーーーー
インターネットで調べた概要をコピーしておきます。
『 不可能を可能にする、最強の学習法!』吉田たかよし・著
 PHP出版より2002年8月9日刊行 定価1350円(税別)
1.『吉田たかよし』とは日本で初めて、NHKアナウンサー出身の医師です。
また、衆議院議員の公設第一秘書として政策立案にも携わりました。
この他、エコノミストや報道記者としての顔も持っています。
 ー以下、字数の関係でカット(2008年03月06日)
・・・・・・・・
2002年03月06日(水)
 351,自己配転
キャリアとは「多くの経験をしてきた」といういみである。役人の出世コースは若いうちにどんどん
配転させ、経験を積ませる。いわゆるキャリア組である。会社も「将来の幹部候補」は別に配転コースを
組み、それに従いどんどん配転させる。そのプロセスの中で実績を重ね、適正を見つけ、それぞれの
コースにえり分けていく。仕事も何事も経験がまず第一である。OーJ?Tが基本である。私も務めで、
寝具、日用雑貨、子供服、靴下、配送センター等々経験した。経営では、飲食で養老の滝ー1122号店、
焼きたてのパンのセンチュリー・ベーカリー、衣料量販店、今のビジネスホテルー学生ショップを経験した。
「よくいろいろの経営ができるね」と聞かれるが、皆一緒である。
(字数制限のためカット 2011年3月6日)