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数日前に、腰痛が出たが、直ぐにホッカイロをつけると、
数時間で治まった。 昨日のヨガで、少しきつめの腰捻りが
あったが、その後の痛みが出ることがなかった。
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5426,閑話小題 ~シネマ、『白鯨との闘い』が面白い!
2016年01月23日(土)
* シネマ、『白鯨との闘い』が面白い!
全然期待してなかったが、これが面白い。ネットの評論より、
【 出て来るのは白鯨でなくて、大きなマッコウクジラ。マッコウクジラ
の群れの中のリーダーのような存在で、多少、寄生虫とかで皮膚が
白っぽく見える部位がある程度。原題では「白鯨」と書かれていない。
一等航海士チェイスとの対決も割と単純で、銛を一発かまし、親分クジラが
反撃してエセックス号に体当たり、呆気なく沈没するという話。世襲船長
ポラードとの確執も、特段ストーリーに影響与えず、ポラードが経験に
鍛えられてチェイス化するというだけ。むしろ、太平洋のど真ん中で救命
ボートで漂流し、いよいよカニバリズムが始まるということの方が本作の
キモ。辿り着いた孤島も「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」
に出て来る食虫島とよく似ている。カニバリズムで最終的に全員餓死するか、
食虫というメタファーにするかという話。やっぱりキリスト教世界の話で
「しょうがねえだろう」では済まされないんだ。】
▼ 特撮の進化のためか、画面の迫力があり、その世界にアッという間に
引き込まれてしまった。荒れ狂う嵐の中での船内の男たちの葛藤とか、漂流
する太平洋のど真ん中でのカニバリズムの生なましさは圧倒的。数年前にみた、
「トラと漂流した227日」に匹敵するレベルで、評価は久々の95点!お勧め。
* 4日間乗り放題の新幹線で
一昨日から、この時節の恒例の<4日間、JR東内、15000円で
乗り放題>の切符で、家内は妹と連日、東京へ日帰りの御のぼり。
当人は40回近い海外ツアーで鍛えられているため、「4日間ツアー」と思えば
東京通いなど軽いもの。 毎年、恒例で、往復、一日「3500円」なら仕方ない。
このサービス期間は、新幹線の列車内と東京の名所には、女性の二人連れ
が目立つという。 腰痛でへたっている私とは気合が違う。
今週の御在宅が一昨日だけで、スポーツジム、美容院などへ、お出かけ!
幸せなことだ。「良いこと?が次々と起こるから幸せではなく、幸せだから、
良いことを引き込む」を、地で生きている。馬鹿な蛙(私)に抱きついて養分
を吸い取って、一生を終えるタガメに徹して一生を終えるなら、これも人生!
『私の事業清算で、友達に肩身が狭くないか?』と聞くと、
『ぜんぜん、私にはまったく関係ないし、そんな素振りの人は誰もいない』
私が平然としている日々が、本人にも影響しているのか。本人が全く気に
しないので、周囲も何も言わないのか? で、私の夕飯は、回転寿司の
持帰りか、コンビニのオデンを肴に、録りだめの録画の映画やドラマで、
独り満喫。「上さんリッチで わたしはプアー」 最後は、楽しんだもの勝ち?
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3955, 他人を責める「新型うつ」について
2012年01月23日(月)
* 生存適応戦略だつた「ユウウツ」
「新型うつ」についてNHKのクローズアップ現代や、新聞や、週刊誌で何度か見て、ここでも書いてきた。
ある本に、次のような記述があったが、なかなか面白い。 まずは、その内容から・・・
【 うつ病は現代病の代表のようにいわれるが、もちろん太古の昔から存在していた。うつ病の歴史について
詳述された、防衛医大・野村総一郎教授の著書『うつ病の真実』(日本評諭社)によると、進化生物学的には、
うつ病の主症状である「ユウウツ」はもともと、ぽ乳類以上の高等動物が、生存に適応するために獲得した
感情だという。たとえばサル社会では、ボスの座を追われたサルは、うつ病のように元気がなくなる。
このユウウツは、新ボスに反抗しないという無意識の屈従信号であり、これにより攻撃されないという利点が
あると考えられる。また100万年前の人類が、仲間同士でマンモス狩りをしていたとする。ある人が果敢に正面
からアタックしたが、簡単にマンモスにつぶされる。その死を悲しんだ仲間たちは、ふたたびマンモス狩りを
する気力もなくなるが、あまり悲しまなかった仲間はまた同じ方法でアタックして死んでしまう。生き残った
悲しみの人たちは、もっと安全なマンモス狩りの方法を考える…。このように、本来は生存適応してきた
ユウウツが、人類の発達とともに、かえって不利に働く場面がでてくる。たとえば、人類に言語が発達すると、
マンモス狩りの方法は行動より言葉で伝達したほうが効率的であり、悲しみによって行動が停止してしまう
デメリットのほうが大きくなる。人間社会が複雑になると、ボスザルの世代交代のように円滑にいかなくなり、
ボスの座を追われてもウツ状態になってはいられず、巻き返しをはからざるを得ないケースもでてくる。
このようにして、遺伝子に囲い込まれユウウツに関する内部的なルールと外部環境がかならずしも適合せず、
行働に無理が生じる。野村教授それがうつ病に発症につながるかもしれないと述べる。】
ー日本の論点2012ー他人を責める「新型うつ」片田珠美 より
▼「ユウウツ」はもともと、ぽ乳類以上の高等動物が生存に適応するために獲得した感情で、適者生存のため
必要な病とは、面白い見方である。 人生の節目は、大方が挫折、絶望のカタチで、表立った心の病として
ウツが押し寄せてくる。それは、本人にとって内面の切り替えどきであり、竹の分厚い節と同じで、独りで
耐えるか、病院通いになるか、自死に至るかの瀬戸際になる。しかし断崖絶壁の危機を独り耐えないと、
それまでとの切り替えは不可能である。これは、ボスの座を追われたボスザルの屈従信号のサインと同じ。
それは当事者としても、ギアの切り替えにもなる。現在の日本が、その立場にある。
「一億二千数百総うつ病」状態である。その怒りの攻撃対象が、首相に集中するから、一年で引きずり
下ろされる。その背後にあるアメリカも間接攻撃対象にするため、アメリカにとって奪略対象としてシビア
に料理が出来る。
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3590, 戦略ネット会議システム -2
2011年01月23日(日)
K氏の話. そのメンバーの人物像が面白い。大手企業、官僚と渡り、大手銀行に応募をして入社した人物
の面接での応答に驚いた。「貴方は我社に対し何が出来るか?」に対し、「貴社が潜在的にやりたいと望んで
いたことを、掘り起こして達成しててみせます!」という。 実際にやってのけるだろうし、その新しい
実績が本人にとって、さらにキャリアになる。その本人も凄いが、探して採用する会社も、時代のなせるわざ。
ネットのY社のキャリア女性の感覚が初めて見る人種とか。東北の電鉄会社の開発の人が、線路に直接バスを
乗り入れる開発のチームを組んで・・・とか。 中国、インドなど新興国向けのネット上のセキュリティー・
ソフトに絞り開発している会社とか、聞いているだけで面白い! それらの事業戦略のコア部分に、互いに
知恵を出しあえば、多くの切口から多くの事業ヒントを得ることが出来る。 秘密漏洩の問題もあるだろうが、
互いに戦略をマナイタに上げて、複数の脳で練りこみをした方が、内容はアップする。そこにはある種の
独特のアルファー波が出ているのだろう。その現場の空気を一度吸ってみたいもの。「潜在的に、やりたい
ことを掘り起こし、新たに顕在化すること」こそ、企業にしても、個人としても革新ポイントのコアになる。
この事業戦略の互いのケース・スタディーは、その辺に焦点を合わせているはず。 ところで、
「現時点で、会社にしろ個人の、潜在的にやりたいと望んでいることは何? それを練り上げあげているのか?
この恐慌の一番底が来年に到達しようとする中で、どうする?」 そう簡単に答えはない。考えつくし、
身を委ねるしかない。
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3225, 死もまた愉し
2010年01月23日(土)
孤高の文士・結城昌治が死の直前に語った「死とどう向かいあったか」の言葉がよい。50代には、ハッキリ
した絶対言明があった。「60歳までに、それ以降の人生の全てを成し遂げること」であった。そして、還暦を
むかえて一人「もと、とった!」と、ほくそ笑んだ。今となって本当に良かったと思っている。ところが還暦
を過ぎてから、次の絶対言明が見つからないのである。しかし「死もまた愉し」の中の、次の言葉が、
これからの私の指標に最適に思えたのである。
≪ 余生だから、とにかくあくせくしない。5年先、10年先まで考えて計画を立てたりすると、どうしても張り
きりすぎる。とりあえずは1年だけ考える。あと1年と思えば、その間の人生を目いっぱい生きることができる。
1年が無事に過ぎたら、よし、もう1年生きよう、と……。新しい目標を定めてもいいし、前のつづきをやって
いい。また1年たったら、つぎの1年を考える。こうすれば、1年ごとに新鮮な人生をくり返すことができる。
これはうぬぼれをなくすコツでもあるし、人生最後の志として大事なことではないかと思うんです。 ≫
若い時に肺結核を患い、肋骨を12本も切るという大手術をうけ、長い療養生活をおくった結城の人生は
死と隣り合わせ。 ーそのような境遇で、会得したことは、【死を大袈裟に怖がるのではなく、生きている
最後に来る愉しみと思えば、寧ろ、日々の人生がずっと気楽なものになる】ということ。
私には、どうも無理のようだが・・、彼は毎年、誕生日ごとに遺言書を書いていた。
内容は毎年同じで、原稿用紙。
「通夜、葬式、告別式、無用のこと」
結核療養所で石田波郷、福永武彦と出会ったことが、彼の生涯を決定付けた
・春惜しむ いのち惜しむ 酒惜しむ ・耀きて 驟雨に落つる 蝶見たり
・風船の まぎれむ雲も なかりけり ・緑陰に 置かれて空の 乳母車
・降る雪や 余生といふも やすからず ・來し方の 見わたすかぎり おぼろかな
・花あんず 母と旅せし 記憶なく ・ぼうふらも 生きるいとなみ 死ぬなかれ
・ゆゑ知らぬ 疲れ金魚を 憎みけり ・秋風や 逢ひたきひとは みな故人
・いわし雲 どこへゆくにも 手ぶらにて ・夕虹や 夢はかなはぬ ままがよし
・いくたびも 死にそこなひし ゆかたかな
≪ 一句一句が、何とも格調高く、見にしみる ≫
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2850、チベット旅行記 -1
2009年01月23日(金)
ある人に強く勧められて読み始めた、これ面白い。6年にもわたるチベット旅行の記録が本になっている。
内容が臨場感があり、生々しいから自分が経験しているような気持ちになってしまう。勧めてくれた人が
山の手線の東京駅を(内容に引きこまれて)三回も行ったりきたりしたというのも頷ける。
ー要約をすると
{ 日本に伝わっていない未伝経典を知りたいという思いから、サンスクリット原典が唯一残っている
チベット国に行くことを思い立つ。鎖国状態のチベットに、ヒマラヤを越えをして入国する大旅行。
唐の玄奘三蔵のインドへの旅に似ているが、河口慧海の場合は個人の意志によるもの。三蔵とは事情が違う。
明治30年(1897)31歳の時の密入国である。当然に死を覚悟をしなければならない。抜け道の
間道を通ってヒマラヤ山脈を逆回りのコース。 僧衣で平均高度4500mのヒマラヤを走破する。
若い娘に結婚を迫られたり、強盗に出会いながら山中で野宿。 凍りつくような川を裸で渡ったり、雪中で
進退きわまる時や、右に行くか左かの道を選択しようかという時は、座禅をして知恵を得る。食事は
麦こがしをお湯とバターで練ったものを1日に一食。想像を絶した苦難を次から次へ乗り越えた末に
チベットのラサ府に到達。そこで知遇を得、日本から持参した薬と医学知識で病人を治し、現地の人たち
に経を唱えて糧を得る。そして大学に入る。その旅で、チベットの生活、習慣、風俗などを細かに観察、
貴重な記録になっている。目的と動機を以下のように書いている。「私は世の冒険家にならって、探検の
功をあげることを目的にしてはいない。 我が国未伝の経典を得たいがために出かけたのだ。したがって
探検家の資格は私にはない。……ただ、今回の旅行では、宗教に関すること以外にも、社会学、経済学、
歴史学、地理学、動植物分布などに関する様々なことを観察することができた。」 その観察眼の客観的
で冷静な見方に、ただただ驚かされた。
▼ 河口慧海「チベット旅行記」:1866年大阪堺生まれの僧侶。チベットに仏教の原典を求めるために僧籍
を離れ、1897年に船でインドに渡り、ダージリンやムスタンでチベット語の勉強などの周到な準備を整えた末、
1900年にヒマラヤ山脈を越えて西チベットに入る。マナサロワール湖やカイラスを巡礼した後、日本人と
して初めてラサに入り、セラ寺に入門。漢方薬の知識を生かして人望を集め、ダライ・ラマ13世に謁見する
までになるが、日本人であることが露見したために急遽ダージリンに脱出。 その後も中国、インド、
ネパール、チベットを訪れ、在家仏教を起こすなど、日本のチベット学の始祖として知られる。
1945年、「チベット語辞典」の編纂半ばにして没。享年80歳――。
ーつづく
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2008年01月23日(水)
2485,「恐慌」が待ち構える黄昏の米国 -2 オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
今週に入ってからも、更に日本の株価は下がり続けている。当面は1万2千円辺りが底値か、それとも
更に下がり続けるのか?世界的に広がってきたのが気がかりである。余りにも悪材料が揃い過ぎている。
下手をすると、恐慌の可能性がある!
ー前回の「記者の目」ー毎日新聞の、つづき
ローンを担保に次の金融商品を作り、それを担保にまた商品化(証券化)と何度も繰り返されていることが
サブプライムの特徴で、どの商品が焦げ付くのかが見えにくいから始末が悪い。しかも、住宅価格が上がる
ことで借金が可能となり消費を膨らませるというアメリカ人の消費行動も狂わせた。減速どころではなく、
アメリカのリセッション(景気後退)が現実味を帯び始めている。原油高騰などからインフレ懸念を引き
ずっての景気後退となれば、なおやっかいである。1月7日、経済3団体などの賀詞交換会。「アメリカは
スクラップ・アンド・ビルドの国。うみを出し切れば、あらゆる手を打ってでも、経済を立て直してくる」。
年後半の相場反転を期待する企業トップもいたが、多くは「アメリカ・プロブレム」を気にかけていた。
90年代以降、同時多発テロで一時揺らいだものの、世界経済を主導し、自らもその果実を満喫してきた
アメリカの黄昏。一方で、ユーロ高を導いているEU(欧州連合)、今夏、北京五輪を開催する中国、
資源外交を強めるロシア、成長力は中国以上といわれるインド、オイルマネーが勢いづく中東諸国、資源
大陸アフリカ等々、08年経済の担い手は多士済々だ。基軸通貨(ドル)の信頼感からアメリカに還流して
いた資金は今、原油に向かい、金を買い、非鉄金属などをめざしている。資源バブルである。
バイオエタノール需要を見込んで、穀物にも向かっている。どれも投機色が強いが、新興国の経済急成長
という需要増が背景にあり、世界経済の主役の座がすでに、アメリカからこうした国々に移っていること
も確か。
(字数制限のためカット 2012年1月23日)
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2007年01月23日(火)
2121, 銀行も本格的な競合状態に! (^^)/ おはようよっ!
地元の銀行の担当の話によると、「地方銀行も本格的な競合状態に入ってしまった。都銀や大手信託銀行が、
中小企業への本格的な開拓を始めてきた上に、地銀同士がこれまでのテリトリーを越えて顧客の奪いあいを
始めた。 (字数制限のためカット 2010年1月23日)
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2006年01月23日(月)
1756, サイボーグ (σ・з・)σオハYO!!
NHK・BSスペシャル「サイボーグ技術が人類を変える」の放映が衝撃的であった。身体の一部を機械に置き
換え、脳が機械と直接つながったサイボーグ。SFの世界の話だと思われていたサイボーグが、現実のもの
になろうとしている現状のレポートである。脳とコンピューターを直結し、考えただけで身体を動かす研究
を実用化しようとしている。 ・∀・)つ
(字数制限のためカット2011年1月23日)
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2005年01月23日(日)
1391, 危ない格言 ー 読書(毒書)日記 ー
ー新書yosennsya 榎並 重行 (著)
書店で立ち読みをしていたら、鋭いとげのある格言が目についたので衝動買いをしてしまった。
私向きの本である。買って読むと棘が棘に見えなくなってくるから不思議なものだ。ー帯びに
『類を見ない猛毒に満ちた格言集!』とあるが、買ってジックリ読むとやはり毒だらけである。
それぞれの章ごとに、毒の強い文章を幾つか書き写してみる。第6章まであるので、数日の随想日記の
ネタになる。先ず本の名前を見て、帯を見て、表紙の裏の文章をみて、そして、前書きを見て、終わりを
見て、パラパラと開いて、飛ばし読みをするのが通例だが、どこを見ても毒だらけの珍しい本である。
(字数の関係でカット2009年1月23日)
・・・・・・
2004年01月23日(金)
1024, 22歳の日記-2
何回か書いた事があるが、ゼミについて考えてみる。この時期は、武澤ゼミと寮とクラスメイトなどの
過去4年間の友人が、ほとんど全てを占めていた。特に武澤教授の影響が大きいことが、この日記か窺い
知れる。ゼミでは、まず一週間前に事例(ケース・スタディー)の用紙を渡される。その間に対処を
考えてきて、それを元に全員で徹底的に議論をする。その後、その事例研究の答えの用紙を見せられる。
我々の出した結論と、誤差について更に議論をさせる。また二班に分かれて議論した結果を持ち寄って
互いに議論もする。結果的に、知識と体験をもとになっている地言葉で議論をすることになる。教授の
意見は、要所要所以外はほとんど話さない。考える為のヒントを与えるだけで、「考えること」を促すのだ。
「考えることは如何いうことか」と、更に一歩踏み込んでいく。自分の中の知識不足を、冷静に自ら気が
つくように仕組んである。いま日記を写しながら気づいたことだが、ソクラテスの「対話法」による
真理の追究を、その中で体験させていた。素朴で深い疑問を常にもって、社会や世界を見る目を持たせる
のが目的であった。その結果、卒業まじかに多くの友人が私に集中してきた。誰もが転換期にたって、
迷っていたからだろう。また社会に出て、事業の組立てに非常に役に立った。冷静な事実の組み合わせと、
仮説の積み上げと崩しの繰り返しの中で計画の練り上げをしていくのと酷似していたからだ。ようするに
地頭で考えることに役立った。35年前の日記を読みながら、感想を書いていること自体が自分の深耕に
なっている。過去の自分と今の自分が向き合って対話しているからだ。その意味でも、この22歳の日記
の写しと公開は良かったと思っている。
ー後記ー
このホームページ内検索で「武澤ゼミ」で出したら、ほぼ同じ内容が出てきた。
こんなものかと呆れてしまった。以下である!
ーーーーーー
2002/11/01 ケーススタデー ー1
字数の関係でカット(2008年01.23)
・・・・・・・・・・
2003年01月23日(木)
659, 人間-女心
ー宗親流に書いてみるー
人間の心ほど、いや自分の心ほど面白いものは無いね。単純で複雑で自分でもコントロールが不可能な
ものだね。だからノイローゼになるんだろうな。それにさ男女の下が絡んでくるからね。「女の身体の
真ん中辺にシンショぶっちゃる穴がある」という都都逸があるがね。これを即興でつくりかえると
こうなるよ。「男の身体の真ん中辺に陸釣り用の竿がある」少し品が無いね! 暇だからさ女という
生き物について書いてみるね。あれほど割り切ってみると単純で可愛い生き物はないよ。姉が4人もいて、
女の職場にいた為に鍛えられたね。この単純でかわいい存在に。要するにエゴの塊、これも生理から
きているからね。いつもある姉に言われていたね。「女なんてね、やられる振りしてやる動物なんだから
気をつけな!」ってね。女を制すれば世界を制することができるというが、性欲がそれを鈍らしてしまう
んだよ。女は知っているんだ人間をね、男と比べたら数倍もね。初めは大人しくしていて、段々図々しく
なっていく仕方。あれは戦術なのか戦略なのか?両方だろうがね。単独に彼女と接するときは真摯に
徹すること。複数を対象にした時はエテコウー猿のレベルと割り切ることだよ。泣いているときは、
一緒に泣いてやるのさ。笑っているときは、一緒に笑ってやるの。合わせ鏡に自分をしてしまうのさ。
彼女たちは、長い時間の中で知恵を持っているの。男の甘さの嗅覚を。だから真っ当に相手にしては
駄目だよ。昔からいうだろ「怒れば泣く、甘やかせればつけ上がる、殺せば化けて出る」これ本当だよ。
でもね、あつかう時はね、怒り、甘やかせ、褒め殺しにしなくてはね。理屈じゃないんだから。
でも好きだね女! まあこんなところが大体の男の視点! - 宗親
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2002年01月23日(水)
309,壁ー2(言葉の壁)
決断しなくてはならないが、そこに壁があり躊躇するとき「取りあえず、決断を引き伸ばすか回避する
言葉」が「取りあえず」である。思考停止病といっていい。「とりあえず、こおしておこう」「とりあえず、
大学にいっておこう」「とりあえず、就職しておこう」「とりあえず、定年になってから考えよう」
人生の一番大事な事を、その時々に判断をいい加減にさせ、あるいは先延ばしにさせる言葉である。
この言葉で思考停止の状態になり、決断放棄の一生を過ごしてこなかっただろうか? そして最後の最後、追
い詰められても「取りあえず、今をやり過ごそう」とする。
(字数制限のためカット 2012年1月23日)
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1月23日 木曜日 1969年
8時起床。登校後、産関論の授業に出席。この授業は、これが最後だった。
その後、川崎と喫茶店に行く。午後は価格理論に出席。帰寮後、合気道のOB会出席迷ったが、
結局欠席にした。18時から一時間、産関論のレポートを纏める。 21時から勉強を開始。
夜半の2時に就寝。