* この冬、今だエアコンを使わず
 別に意識をしてエアコンを入れない訳ではないが、この冬、我家は今だエアコンを一度も入れてない。
仏間の書斎コーナーに、パソコンか読書のため4時間は籠っているが、ここはエアコンはない。
そこでハロゲンヒーターと、電気アンカ、着る炬燵、加湿器を組み合わせている。それでも寒い。 
居間では、炬燵に、加湿器と、着る炬燵?を組合わせると、今のところエアコン暖房の必要がない。冬期間の
電気代が月3万円になるため、その無駄に家内は神経質。 終日、TV、暖房、24時間風呂、台所と使えば、
一日千円は当然といえば当然。 スポーツセンターに、昼晩二回、十時間もいる人が何人も居るようだ。
風呂、TVに、エアロに、マッサージの電気光熱、水道代を考えると十二分に元が取れている。 殆どの会員が、
週1〜2回しか行かないので、手持ち時間の多い人は、非常に買得。 この時期、摂氏5度を下まると、エアコンを
入れることになるが、今だに入れてない。それを楽しんでいるところが面白いが、寒さなれがあるから出来るのだろう。
   * 加湿器
 吹き出している水蒸気だから、てっきり高温の水蒸気と思っていた。 中からはグツグツ音がして、そこを見ると
水滴が跳ね上がっているので瞬間湯沸し機能に見えたが、実は超音波を当て微粒子にした水蒸気を送りだす「超音波式」。
そのため、熱くならず少ない消費電力で高い加湿能力を発揮が可能になっている。考えてみたら雲も霧も高熱ではない。 
この水源にアロマを加えて匂いを楽しむことも出来る。考えたものである。
   * 新築の隣家に家族が引っ越してきた
 隣の新築家に一昨日、家族が引っ越してきた。 40代?の夫婦に、小学生と、中学か高校の娘さん二人の四人が
連れ立って挨拶に来た。家内が留守で私が対応したが、新しい家に引っ越してきたウキウキ感が漂っていた。
下の子どもが巣立つまでが、家族にとって一番良い時である。終の住まいの新築の家は、天国の仮のカタチというが・・ 
そうすると私は、両親の終の住まいに、そのまま40年近く住んでいたことになる。精神的には非常に安定している。
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4299, 「国の借金」新常識 −2
2012年12月23日(日)                 
   * 破綻国家は飛躍する     「国の借金」新常識  "年金絶望世代"も元気が出る ー廣宮 孝信  
 思い切った切り口である。破綻のどこが悪いという。「現在の事態のどこが悪いか!」と私が開き直るようなもの。
駄目なものは駄目なら、思い切った手術をしてしまえという。 ここで破綻国家のプラスマイナスのプラス面を捉え、
戦後日本の世界史に残る破綻から世界二位の経済大国に立ち直った偉業を事例を取り上げている。 1945年に第二次大戦で、
徹底的に破壊されたが、たったの8年で以前の規模まで回復し、50年でアメリカに肩を並べる規模まで回復した。
アルゼンチンの破綻もそうである。日本の規模からすると借金が一年で700兆円も増えたが、失業率が3年で破綻前に、
実質GDPも4年で破綻前に回復してアルゼンチンの奇跡といわれている。アイスランドも1年で日本規模からみて
300兆円も借金が増えたが失業率は8・5%。インフレもハイパーにならず、21%で打ち止めだった。
 2000年以降で破綻した国々9ヶ国が、日本やアメリカより成長している事実がある。ロシアも二度も破綻しているに
かかわらず、ソ連崩壊から16年間で16倍も急成長をしている。破綻こそ、絶好の投資チャンスという典型的事例である。
要は、開き直れ、国債を無尽蔵に刷りまくれ、後は野となれ山となれ、というのだから・・・
  * 「国の借金が大変」は、終末信仰
 1929年のアメリカ政府の支出は、いまの日本の15兆円ぐらい。それを、7年後に倍以上の40兆円、第二次大戦時には
今の日本でいえば380兆円にまで増やしたとき、失業率は大恐慌前に戻すことができた。それでもハイパーインフレにならず、
10%程度までしか上がらなかった。 GDPを増やし、我々の給料を増すには、政府が支出を増やす必要がある。不況時には
迷わず政府支出を増すべき! 国の借金をいたずらに恐れると、いつまでも不況から抜け出すことができないし、給料も
減っていく。破綻もやむなしである。ただし、あくまで、国内で賄うことが前提。
  * 人口減がデフレ原因は間違い
 人口が減っていてもインフレになっている事例は数多くみられる。旧ソ連圏の国々に多い。アメリカの建国から130年間に
数百万から一億人(20倍)に増加したが、物価は殆ど上がらなかった事例をみても、人口増はインフレの決定的要因でない。
それより、政府の支出規模の方が、経済成長やインフレとの関連が高い。「国の借金は大変」の最大の犠牲者は若者・・ 
 ▼ この辺は、かなり強引な論理。インフレは弱者、貧困層に一番初めに直撃、中小・零細の多くは金利高騰で即死だろう。
  弱肉強食を更に推し進めることになるが、グローバル化の潮流では、致しかたがないのか? 自民党の大勝は、大きな
  政策の舵取りが変わるとみてよい。
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3924, 今年の総括  ー断層
2011年12月23日(金)
  今年の総括といえば、会社の倒産と東北大震災である。 これが突出したので他は考えられないほどである。 
 実際は「延命した恐慌」だが。 そうこうあって自宅が生活の中心となり、会社通いがスポーツジム通いにとって変わった。
 日常という点ではiPadを購入したことも衝撃的であった。有線の机上のiMacに、タブレットのiPadが加わって、
 パソコン上でゲームや読書をする生活スタイルが加わった。その上、ネット・サーフィンの機会も格段に多くなった。
  10年後に振り返った時、今年は大きな節目だったことは間違いない。何ごとも、渦中に入ると無我夢中で腹が据わるもの。
 問題は、決断する間際と直後である。気持ちを、その中心点に集中し続けることで、問題の多くは解決できる。
 同級会などの付き合いも、そのまま出席をし気持ちを前向きにしていた。 露骨の白眼視を何度か感じたが、その都度
「このシラミ!」と唱えると、対象が本当にシラミに思えてくる。 兄や姉の倒産時に、親密に相談に乗っていたので、
 取引業者や従業員など関係者への迷惑を最小にし、引き際を綺麗にすることが最優先と手順に入った。 が、それでも
 恨みを買ったようだ。当然である。節目、引き際の決断は、一瞬の間。あの瞬間の見極めは間違ってなかったと思うしかない。
  それと東北大震災。この震災は、まだ迷いのあった決断を後押しをした。 しかし直接原因は、リーマンショックである。
 その直後から止むことのない売上げ減。10年前の9・11テロで3割減、リーマンショックで、更に半減し、
 10年前の三分の一まで落ち込んでしまった。 更に東北大震災で三割減が予測されれば、事業として成立しなくなったと
 判断をせざるを得ない。この事態で来年に控えている世界恐慌の大断層を乗り越えらると考えるほど楽観論者ではない。 
  今年は、世界的にも、欧州の経済危機、アラブの春という北アフリカ独裁国家の崩壊ドミノ、東北大震災、最後は、
 北朝鮮のドン様の突然死である。どれもこれも、大事件である。しかしビック・イヤーは来年である。 ロシア、アメリカ、
 中国、韓国の首相と大統領の交代の年である。 更に今年、何とか延命をした欧州発世界恐慌の発生の可能性が高い。
 地震後、三年が過ぎ、津波が押し寄せ、海岸線の立ち位置の私の事業が押し流れた。その一瞬の間際に高台に逃げた。 
 そこで見えているのが津波の本体。 今年中にくるはずだった津波が、来年、海岸線の防波堤を遥かに超え、やってくる。
避難先の山の手の住人は自分に大丈夫と安心しているが、仕事や親戚が海辺にあることを忘れている。三年前に起こった、近未来。
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3559, 閑話小題 ー死について
2010年12月23日(木)
  * 「生が終われば、死も終わる」
 ある「死」の特集の雑誌にあった言葉「生が終われば、死も終わる」が、心に残った。「一人称の死」を砕いた言葉である。
身ちかな二人称の死はあっても、一人称=私、の死はない。したがって「私の生が終われば死も終わる」ということ。
それを一言で言い表した言葉。このことから「生が始り、死も始る」という理が見えてくる。生があるからこそ、死がある。
「死んでしまえば、それまでよ」という言葉もある。父が親戚の葬式で何時も言っていた。これは生者の目線の代表的な言葉。
その言葉の背後には、「他人の死から、生きているうちが華。人生を可能な限り生きなければ」という、思いがある。 
  * 人間の死因
 日本では、毎年大よそ百万人が亡くなっている。死因は、病気、自殺、他殺、そして災害による。
そのうち、95パーセントが病死、自殺は3パー、交通事故などの災害と他殺が残りになる。
もっとも、それは死のキッカケであって、真の死因は産まれてきたこと。いずれにしても死ぬ。
百万人が産まれ、百万人が死んで人口は減りも増えもしなかったが、数年前から人口減が始った。
  * 同じ年代の死
 私の同学年の男性では、平均して2割ほど亡くなっている。中学は25パーセント、30年来の高校三年の同級会の
出席者の20パーセント、大学のゼミの同期6人は0である。 進学につれて死亡率が低くなっている。
従姉妹で父方をみると、兄姉を含め30人の従兄弟(従姉妹)がいるが、平均年齢が72歳で12人が亡くなっている。
4割である。私の兄姉も私含め9人のうち4人が亡くなっている。生存している平均年齢は70歳。
父方は癌系で、糖尿は少ない。40過ぎてからの死亡が殆どそれ。
 死を恐れるのは「やり残したことがある」が、「虚無」への不安と並んで心の底にある。
やり残したことを、やり尽くしたところで同じでしかない。虚無になりようもないのに、そのイメージを恐れる。
 プッツン、いや、プチ! か?それは。 これもイメージ。
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3184, 久々のジョーク ー7
 2009年12月23日(水)
たまには、全く下らないと一笑される駄洒落も良いだろう。
 * 駄洒落問答
問 使うとき使わないで、使わないとき使うものは?         答  風呂のふた。
問 かけるときにひくものは?                   答  電話帳。
問 同じものだけど、見る人によって違うものは?          答  鏡。
問 東京の上野公園にある西郷さんの銅像。 東向きでしょうか西向きでしょうか? 答 夏向き 浴衣を着ていたから
問 トンボとハチが東西に分かれて戦争しました。どちらが東軍だったか?     答、トンボ。 2×4が8 (西がハチ)。
問 シユーベルトの好きな飲み物は、どんな果実から作られている?  答 ミカンセイ
問 年を取ればとるほど若くみえるものは?              答 アルバムの写真。
問 寒くなればなるほどあつくなるものは              答 氷。
問 世界中でいちばん赤ん坊の多い国はどこ?            答 ニュージーランド(乳児ランド)。
問 トイレに咲く花は                       答 スイセン
問 モ一ゼの好きなお酒?                      答 水割り。
問 ビールにもあつくしたものがある。何というビール?        答 缶ビール(燗ピール)。
問 飲むと感動する酒は?                      答 ジン。
問 笑いがとまらなくなる酒は?                   答 エピスピール。
 ー面白くない?  それでは!
  (以下字数の関係でカット2011年12月23日) 
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2819, 閑話小題
 2008年12月23日(火)
 *ジャストインタイム
トヨタのジャスト・イン・タイムこそ、派遣社員の存在理由だった。それが現在の不況からみえてきた。ある評論家が言っていたことだが、
「必要な時に、必要なだけ、それ以外の在庫を持たない」がジャスト・イン・タイムのシステム。 
  (以下字数の関係でカット2011年12月23日) 
 *巣籠りが、この正月のキーワードだと
新潟などの雪国では、冬季では当たり前のことだが、この金融恐慌で日本中が巣籠りという。
知人が「この正月、配達の寿司屋の予約が異常に多いらしい。巣籠りを決め込むみたい」といっていた。
(以下字数の関係でカット2011年12月23日) 
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2007年12月23日(日)
 2454, 「ブログ」について
一年前にブログを2つ開設したが中途半端の状態にしていた。しかし「ブログ」への移行への焦りがあったが、
何かタイミングを待っていた。ブログへの移行のキッカケは、第三者の悪戯だろうと思っていた。
(作り上げた特製のHPに対する愛着もあったが)そして「バード・ウォッチング」へ?H系のサイトの書き込みがあった。
丁度良いと腹をくくって、まずは、それから移行することにした。問題は、どのサイトのブログを選ぶかである。 
(字数制限のためカット09年12月23日)
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2006年12月23日(土)
 2090, 人生は生きるに値するか?      b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪よう♭さん♯
『人生が生きるに値するかどうか』は、哲学上最大の問題になる。 値しないとして自殺した作家も多々いる。
思想家ではショーペンアウアーは『生きるに値しない!』と言い切った。しかし彼は長寿であったが・・・!
ショーペンハウアーのように値しないというなら、生きているだけ無駄として捨ててかかるしかない。
「生きるに値しないからこそ、価値あるものへ転換することが人生である!」という情熱が湧いてくるか? 
それぞれの考え方があるだろう。私の場合は、もちろん『生きるに値する』であるが、どうも世の中、
そうでもない人が多くいる。 生きるに値するかどうかは、その人の生きかたであり「生きる意味を求めていけば、
人生は生きるに値するのは当然」。意味=価値であるから、「人生に意味をもとめること=人生に価値をもとめること」
になり、「求めよ、さらば与えられん」のとおりの価値が出てくる。
「よく働き、よく学び、よく遊ぶこと、そして常に‘一歩日常から外に出る時間を持つこと’。
 この4つのそれぞれに価値を見出し、冷静に掘り下げていくこと」 このことが「私の生きるの値する」。
まあ、そんな難しいことを言わないでも、「人生なんぞ『飯食て、糞して、死ぬだけ』じゃないか、 こんなもの!
生きるに値してもしなくとも、それが何ほどのもの。生前があり、生まれ、そして生き、生前に戻るだけ、他に美味い酒を飲んで、
上さんの顔を見て幸せと思い、寝て、楽しい夢でもみて、仕事を楽しんで、人生の価値など考えなければ、それで最高ではないか!」
でよいものを。 そこでだ、「お前さんの人生は生きるに値した?」というと難しいから、「人生で元とった?」と近くの遊び人だった
不動産屋の親父(10年近く前に亡くなったが)に聞いたことがあった。よくぞ聴いてくれたという顔をして(´ー`)y-~~ 
「とったとった十二分にとった!」という返事。同じ質問を呆けて亡くなる前の母親に同じ頃に聞いたところ、
やはり「充分すぎるほどとりました!」との返事。「生きるに値するか」と、「生きた元をとったか」は確かに違う! 
しかし、「生きるに値するか」の質問よりも人生の価値を考える時に深い問いになる。 人生の元をとったか?は
ー充分人生を生きたか?と同じ。ショウペンハウアーは、人生は生きるに値しないという嫌世家だが、その慰めは芸術で
一時期でも紛らわせることができるとした。このような難しい問題を気楽に扱うこと自体に問題がある。答えなどある訳がないのも
解っている。しかし、これは生涯自問自答していかなければならない問題である。しかし、あと三ヶ月の命と宣言され逃れようもない
事態に追い込まれて「貴方の人生、生きるに値したのですか?」と、あと一週間で間違いなく死ぬ人に問われたら、
真実どう思うだろうか?「      」しかないないだろ  ( ^3)〜♪
《 生きる価値があるかって?「真剣に生きてきた事実の前にそんな愚問は質問に値しない!クソして寝ろ!この馬鹿野朗!!」
というのが、私の現在の答えである。《本当か?本当にそんなことが、いえるのか? 》
《たいして真剣に生きてこない御前に相応しくない》と、心の奥の声が聞こえてくるが    Ψ(`∀´)Ψケッ!
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2005年12月23日(金)
 1725.一年経てば全て過去       オハヨウゴザイマス o┐
「一年経てば、すべて過去」どこかで聞いた言葉だが、全くそのとおりである。 感情面を入れると、実際のところは三年であるが。
(一世一代?の失恋とか、連れ添いの死は治癒期間は三年) 去年から、10年日記に心情を書いているが、前年の分が上段に
書いてあるので、嫌でも目に入る。それをみると、一年経てば殆どが過去のことである。  嫌なことを忘れるのが上手い方だが、
それでもつまらないことに気を使っている自分が解る。〔一年経ったからこそいえることだろうが〕
反面、30年も前のことが昨日のように感じることもある。年齢を重ねるとは、そういうことかとツクヅク思う。
殆どのことは、「一年経っても問題だろうか?」と、自問自答すれば良い。
自分の存在は過去の総合である。数10年経っても心に残っているのは自分にやましい何かがあるためだ。
しかし人間は過去の総合態〔体〕である。記憶を全て喪失した人間をみればわかるはずだ。
過去も未来も、言葉でしかないのだろうか?     ( ゜Д゜)⊃旦 < 茶飲めや   ~旦_(-ω-`。) ドモドモ
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2004年12月23日(木)
 1360, 金に泣く人笑う人 −1
藤本義一のこの本は「面白い」という点では抜群である。この人は、金銭と欲と詐欺にからむ小説を多く書いている。
雑学を多く知っていることに感心をする。一冊の本を書くために、多くの人とインタビューをするから尚更である。
 この本の中にも、ナルホドと唸る面白い話であふれている。
ーその幾つかを抜粋してみるー
12章の「騙しのカラクリ」が面白い。
ーペテンの技法・香具師の商法ー
 香具師の語源は 武士→野武士→野士→野師→香具師と考えるとよいだろう。
 武士になれない野武士が武器を取り上げられて、野士になり、武器を持たないので既に
‘士’でないので野師になったと考えればよい。野師は口先三寸で啖呵売をして騙す方法を考えた。
  つまり、言葉巧みに香具(仏具)を売る方法を考えた。この巧言を説明するとこういうようになる。
香具師は最低二人組む。
 一人の場合は単なる啖呵売りであり、これは詐欺行為でなく、大道芸人の一種と考えてもよい。
 例の「男はつらいよ」の寅次郎を考えればよい。二人以上で組織されるのが香具師の原則である。
 原則的な香具師は一人が山伏姿になり、いま一人は仏具を商う仏具士に化ける。
 先ず山伏に化けた男が京の方から里に下りてくる。錫杖を手にして高下駄を鳴らして歩く白装束は誰も目立つ異様さ。
 そして、山にこもって修行したという人という印象から村人達は尊敬の目を向ける。
 昔も今も詐欺師たちは魅力的な特色を持っていなくてはならない。 この山伏は悠然と村を通り過ぎようとする。
 が、一軒の家の前で、急に立ち止まる。家は村の庄屋の場合が多い。庄屋でなくとも、村長と思われる豪勢な屋敷前である。
 山伏はその場で急変する。全身を痙攣させ、口から泡を吹かんばかりの苦しみ方をする。 村人たちは仰天をして、庄屋を呼びに行く。
 庄屋は水を与えたり、苦しみを鎮めようとする。ようやく一息入れた山伏は苦しい息の下からいう。
「この家の前に通りかかった時に、急に悪霊に取りつかれて身動きが出来なくなってしまった。出きれば、この家の仏壇を拝ませてほしい」
 庄屋は、これを拒むことはできない。自分の屋敷内に悪霊がいるといわれれば、恐怖心で招き入れる。
 仏壇の前で山伏は狂ったように祈りつづけて、やがて上半身を前にして気を失う。
   (以下字数の関係でカット2008年12月23日)       ーつづく
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2003年12月23日(火)
 993, 「魔女は夜ささやく」ー読書日記
 長編小説を読むのは久々である。一昨日家内が親戚の葬式で不在であったので、一気に読み終えてしまった。
「あ〜面白かった!」というのが実感の言葉である。新聞の書評で激賞をしていたのを読んで、早速インターネットで取り寄せた。
   ー以下は字数の関係で中略(2008年12月23日)
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2002年12月23日(月) 
 619,パタゴニア旅行記ー6
今回の添乗員が過去の添乗員の中でベストの人であった。大手銀行のリストラ組で、その後事業を起こして失敗。
(字数制限のためカット 2012年12月23日)
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2001年12月23日(日)
278 心の開放のために!
心の開放のために!-何からの開放????かんがえてみよう!「心を自由にする為に!本当に自分がしたいことを見つけよう。
(字数制限のためカット 2012年12月23日)
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12月23日 日曜日 1968年
 11時過ぎに起床。 午後はTVを見たり、本を読んだりして過ごす。21時過ぎに、永田さん等が寮のOB会の
忘年会の帰路に寮による。高橋の部屋で飲み会にでてこいとのこと。 
(字数制限のためカット 2010年12月23日)