つれづれに

イメージ 1

 他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 

   今日のYoutube

 今度は、アメリカの国務大臣を首に。
穏健派の国務大臣から、超攻撃派の人物のようだ。
成行きによっては、4月の朝鮮戦争の突入も現実的になった。

 


・・・・・・
4381, ブラック・スワン -1
2013年03月15日(金)
        「ブラック・スワンナシーム・ニコラス・タレブ
 衝撃的で、世界の見方は一変しなくとも大きく変わるはず。どうも、近くに
数羽、来ているが、何の化身か分からない。恐ろしそうなのは分かるが・・
人間など儚いもの。  ーまずは、アマゾンのないよう説明からー
■「ブラック・スワン(黒い白鳥)」とは何か?
 むかし西洋では、白鳥と言えば白いものと決まっていた。そのことを疑う者
など一人もいなかった。ところがオーストラリア大陸の発見によって、かの地
には黒い白鳥がいることがわかった。白鳥は白いという常識は、この新しい発見
によって覆ってしまった。「ブラック・スワン」とは、この逸話に由来する。 
ほとんどありえない事象、誰も予想しなかった事象の意味である。タレブに
よれば、「ブラック・スワン」には三つの特徴がある。一つは予測できないこと。
二つ目は非常に強いインパクトをもたらすこと。そして三つ目は、いったん
起きてしまうと、いかにもそれらしい説明がなされ、実際よりも偶然には
見えなくなったり、最初からわかっていたような気にさせられたりする。
■ 世界の見方を変える書
 私たちは自分で思っているほど実際には物事をよくわかっていない、
とタレブは言う。彼はそんな現象を長年研究してきた。私たちはどうでもよくて
取るに足らないことにばかり気をとられてしまう。そして相変わらず重大な事件
に虚をつかれ、そんな事件が私たちの世界を形づくっていく。本書でタレブは、
私たちにはわかっていないとわかっていることのすべてを語る。
ブラック・スワン」に立ち向かい、それを利用できる驚くほど簡単な方法を
提示する。  ーまずは、レビューよりー
≪ ブラック・スワンが象徴するのは、理論というものを「検証」することは
 非常に難しく、「反証」することは非常にたやすい、ということ。我々は常に
ブラック・スワンを発見してからしか、ブラック・スワンを含む理論を作れない。
サブプライム問題に代表されるような、ファイナンス理論が想定していない事態
は、そもそも理論で管理することが不可能なこと!金融論や投資理論を少し聞き
かじると、リスク、期待値、確率、変動率などわかった気になる。しかし、
そうした業界で議論されているリスクとはカジノゲームと同じで計測できる
リスクに過ぎず、私たちが現実に直面する現実は、計測自体不可能な不確実性
の方が圧倒的に多い。そしてちょっと判った気になった程度が、実は一番危険
だと本書は教えてくれる。「黒い白鳥」とは極めて稀な出来事の象徴である。 
一羽の黒い白鳥が舞い降りただけで、それまですべてのことが崩壊する。
しかも、世間は判りやすい講釈のついた黒い白鳥には過剰反応する一方で、
講釈になじまない黒い白鳥の存在可能性は無視される。それが重大な結果を
もたらすにも関わらずだ。毎日たんまり餌をもらって暮らしていた経験主義的な
七面鳥は「世界は気前よく餌をくれる人間でいっぱいだ」という世界観を抱く。
ただし、その経験主義的な七面鳥の世界観は感謝祭の前日に崩壊する。
限定された経験から安易に結論を導き出すことへの警鐘。 たしかに、
今回の金融危機で沢山の七面鳥が悲鳴を上げたことは間違いない。≫
▼ 9・11、リーマンショック、3・11は、ブラック・スワンそのもの。
 「まさか」の出来事で、起こって初めて気づくこと。これは、このような
 歴史的大事件だけでなく、日常の中の出来事で多く見られる。
 だから、人生は面白く、刺激に満ちている。
 ・・・・・・
4007, 共喰い
2012年03月15日(木)
             「共喰い」田中 慎弥 (著)
 スポーツセンターからの帰路、図書館により文芸春秋に目を通したところ、
芥川賞受賞作の「共食い」が載っていた。一時間あまりで読んだが、初めから
終わりまで父と愛人と産みの母と主人公のシモネタ(異常な性生活)が続く。
受賞記者会見で、田中の世間に触れたことが殆んどない未知(無知)世界への
戸惑いの挑戦的態度がユニークで幼稚である。この小説は、近年の都会的軟弱
傾向の中で、生々しい性の世界が地方の地熱と相まって露な人間の本性を描き
だしている。主人公と私が同じ年齢で高校二年の設定が、気味悪さを増幅した。 
   まずは ーアマゾンの内容紹介ー
≪ 第146回芥川賞受賞作「共喰い」――昭和63年。17歳の遠馬は、怪しげな
 仕事をしている父とその愛人・琴子さんの三人で川辺の町に暮らしていた。
別れた母も近くに住んでおり、川で釣ったウナギを母に捌いてもらう距離にいる。
日常的に父の乱暴な性交場面を目の当たりにして、嫌悪感を募らせながらも、
自分にも父の血が流れていることを感じている。 同じ学校の会田千種と覚えた
ばかりの性交にのめりこんでいくが、父と同じ暴力的なセックスを試そうとして
ケンカをしてしまう。一方、台風が近づき、町が水にのまれる中、父との子を
身ごもったまま逃げるように愛人は家を出てしまった。怒った父は、遠馬と
仲直りをしようと森の中で遠馬を待つ千種のもとに忍び寄っていく... 
川辺の町で起こる、逃げ場のない血と性の臭いがたちこめる濃密な物語。 ≫
▼ どんよりした、田舎町での父子の葛藤の物語。数ページも読まないうちに、
 その世界に引きこまれていった。 自閉症?の田中ワールドである。その中で
主人公の二人の母親と父の愛人が、いやに生々しく浮かび上がっていた。
この作品に対して石原慎太郎が異議をとなえ芥川賞の選定委員を辞職した。 
地方の性の温もりを、どう捉えるかである。地方は逃げ場のない土着がゆえに、
ドロッとした人間関係が渦巻いている。その中での性の問題は深く、
それぞれの小さな地縁と 交友の中で発酵している。