* 世間人と世間師
 世間に縛られ一生を過ごすのも人生だが、そこで問題になるのが教養。
森の生物の例え、モグラ観、虫観、鳥観の目線。「10・10・10」の桁を変えて
見る目線。10円、10万、10億とか…。 地中、地表、空中の目線である。
「世間」とは、虫観の世界が全てとして地表目線だけの生き方の人。「世間人」
なら「世間師」があって然るべきと、検索すると、以下の通り出てきた。
< 世間師とは、
 1.世間に通じて、その智恵を地域にもたらす人。
 2.旅から旅へ渡り歩く人。 >とあった。
銀行員の営業や、床屋、自転車屋、居酒屋などが、その一端を担っている。
地元でも城下町内の噂話のネットになる。婿取り娘が「タガメ」、蛙が婿殿。
何処の世界も同じで、旧来の「士農工商」コスプレ階級社会が色付されている。
岩場内では、噂話が「餌」となり、何代前のゴシップも受け継がれ、舟底に
附着する牡蠣のように重い錘となっている。そこで活きるには、インサイダー
か、アウトサイダーに徹するか、世間師として割切るしかない。割切って
コスプレ感覚の良し悪しは、趣味の問題。コスプレも、なかなかの味らしい。

――
ところで、昨日、ジムへの車中で、『テレフォン人生相談』が流れていた。
月に数度、偶然、聞くことになるが、50年前から現在まで続く長寿人気番組。
途中から数分間だったが、姑への不快感、不満解消が解決できない悩み。 
パーソナリティーが誰かまでは知らなかったが、内容は名解答。
<私は嫌な人は何故か見えなくなるの。それに近い経験をした時に、たまたま
楽器にのめり込んでいたことと、合唱団に入っていて歌うことでストレスの
解消を図ったの。これから30年も一緒に生きるなら、子供のためにもイライラ
を溜めないために、工夫を自らしないと…> 
 成るほど良いこをいわはると、聞いていた。音楽の力は絶大である。
以前、大きなスランプになった時に、ウォークマンの「カセット」を常時、
身に付け聞いていた。あとは、カラオケ。今では、4千曲が二つのiPod
入っている。もっぱら、ミニチャリの最中に聴いている。耳からの情報収集が、
意外と穴場というが…

――
怒りの収め方、ストレス解消に、この30年来、取入れていたのが、
年に2回の海外ツアー、それも秘異郷を中心にしたもの。実感として、
「その先で、バッサとうち捨ててくる」。 見事に消え去るから不思議。
週に一度のシネマ館の映画鑑賞も、ストレス解消には絶大になる。
 日単位、週単位、月単位、年単位のスケジュールは、ストレス解消のため
組み立ててあると言って過言ではない。 日々を楽しめば楽しむほど、
ストレスは減っていく。 私は一時期、「光の手」の訓練を入れていた。
それを応用した合理的断捨離「内的消去法」を身に付けたが、これが効果的。
心の中で葬り去るイメージを繰返し持って… 当人は堪ったものじゃないが、
私の怒りは消滅する。あとは私にとって故人が浮いている存在に過ぎない。
 
追: 偶然、以下の文章があったのが、こんなホワイトナイト気取り男。
 老年の痴呆症の一側面だろうが… 誰のことでもない自分の老化現象の
心持なのであろう。ホワイトなら、救いがあるが、薄れ濁った鼠色じゃ?

・・・・・・
5843,ホワイトナイト症候群
2017年03月15日(水)
   *‘ホワイトナイト症候群’という病
 ‘ホワイトナイト症候群’という病がある。一見やさしく、思いやりがある
ように見えるが、そのうち全く違った顔をだす。話題に乗った人に、恰も同情を
した風を装って近づき、内幕を聞き出し、面白可笑しく雑魚の餌にするのを生業
にする。問題は、それが人として最も悪が含まれていることに気づかないこと。
一番、軽蔑されるのが‘やり玉’よりも当の本人と、喜んで聞いている雑魚。
固定観念の枠外のことは彼らにとっての悪行か、見上げる存在。悪行を批難して
いる間は、そこはホワイトナイト(正義の騎士)気分に成上る。人の不幸は蜜の味。
 そのこと自体が己を毒し、その批難そのものが、自分を投影しているに過ぎない
自覚の無さを丸出し、蔑むことで、自分だけが「白馬の騎士」と錯覚に陥る。
 一般的に教養ベースの低い人が、自己肯定のため身に付け、自分という舟底に
付く貝殻のように、己(舟)の動きを重くする。「脱皮出来ない蛇は死ぬ」状態
に陥る。 横丁のオバサンの世間話がこれ。白馬の騎士に出会えなかった結果が、
ホワイトナイト症候群の病を生み出す。 父は、こういう人たちを、たった一言、
『カス!』で切捨てていた。
三重、神戸、金沢、千葉、新潟、地元長岡と渡ってきたが、若い女性だけでなく、
男も、土着のシガラミから逃れたいと思いがあるが、決断が出来ないまま、人生の
終盤に至る。そして始まるのがホワイトナイト症候群の病人の一員?の世間話。
 女性特有の『シンデレラコンプレックス』は、土着のシガラミから逃げたい
「何処かの王子様、お願いだから、ここから救い出して!」の潜在的思いである。
一生一度だけの脱出チャンスが結婚相手の白馬に便乗することだが、これがまた
与作しかいない。結婚した後に、妄想と気づくことになる。人生は、ままならぬ。
重症に罹るのが10に1人。その虚妄の思い込みが真実の世界と信じる人種の病。
群れて生きる人間なら、重症か軽傷か、の問題でしかないところが…
 
 ところで何故に人の不幸が蜜の味になるのだろう?満たされてない為である。
  〜あるハワイアンの言葉より〜
・「自分の魂が本当に満たされるというっていうのは、
 どういうことなのでしょうか?」
・「それはね、自分が本当に何をしたいのか、
 何をするためにこの世に生を受けたのかを知ることです。
いくらお金を持っていても、いい仕事を持っていても、
自分の魂を満足させられないと、病気になったり、
悪いことを引き起こしたりしてしまいます。
いろいろな辛い体験を踏み、苦しい体験を経てこそ、
その中から自分にとっての本当の幸せを学びとることなのです。」
・「だから、本当に必要なものを見つけるまで、魂は旅を続けます。
 ただじっと待っていても幸せになれません。
また不必要なものを捨て去ることができなくては、
新しく得ることができません。
変化をする時はいつも大変ですが、不必要なものを捨て去る決断を
下せない人の魂は決して満たされることはないでしょう。」
▼ ナニガホシイか解らないと、魂がたださまよい続けて一生を終えてしまう。
 必要なのは、勇気でなくて、覚悟。決めてしまえば、すべては動き始める。
この覚悟こそ、魂の根本。覚悟がないのが‘ホワイトナイト症候群’という病に
なる。 過去のテーマを検索すると、内幕情報屋について、多くあった。
その一つを紹介する。 成程…である。他人様のことでなく、自分のことだが。
この類のテーマ、書くほどに人の心を傷つける。万人の心の影を抉り出すため。
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2015/05/02
不幸不利の7つの法則 〜�
   * 不幸不利の法則を具現化した人
 絶対的に不幸な人も、幸福の人も存在しない。それぞれの人生の時節で、
孝不幸の比率が変わる。それと教養レベルでも・・ 不幸不利の法則を、
そのまま具現化したような人を、周辺に直ぐに見つけることができる。
内幕情報屋を売りにした「あの人!」。人の不幸を探し出し、噂話を探し
まわって、転々と人々の間を、尾ひれはひれを加え、舞いまわる人たち。
最近はネットに移行したから、始末が悪い。聞いている方は、その人間の
卑しさに気づいて軽蔑をしても、顔に出さない。情報化や都会化で、人は
表面的には誰とでもフレンドリーだが、実は、彼らは「孤独の群集」で、
他人の内幕を知りたがる。だから、こういう、「内幕情報屋」の存在が
必要となる。学生時代に読んだ、リースマン著『孤独の群集』の中で、
都会化が進むほど、「内幕情報屋」が、多く現れると論証していた。
自分の趣味と、一般教養を持たないと、現象界をそのままを現実、真実
として受入れてしまう。(偶然だが、一年前と4年前の同月同日の内容が、
そのまま書いてあった) 普通の人であれば、噂話も世間話をするし、
敢えて、特徴を取り上げることもなし、ただ無知なだけ!と割切ればよい。 
ところが、実は、その内幕情報屋の流される噂話が、個々人には、
「掟というトリック」が含まれている。それが各人の牢獄をつくり上げる。
これが「絶対不幸」の人たちを作り上げる。その結果、「不幸不利」を
なってしまう。そして、自分の世界を小さく小さくしていく。
「不幸不利」のスパイラルは、強力なマイナス磁力がある。
己の「不幸不利」に気づくには教養のベースか、死線を漂う経験などが
必要になる。小、中、高、大学の同級会に毎年、出席しているが、不幸不利
の人の比率が、進学するにつれ減っている。??のような形相のオバサンや、
時代かかった成金は皆無になる。豊かさ貧しさは、置かれた状況でもある。
幸福であれば、他人の不幸には興味が無頓着になる。不幸不利の人は・・
・・・・・・
4748,そんなに長生きしたいですか ー2
2014年03月15日(土)
      『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著 
  * 長生きは苦しいらしい 〜こんなはず、なかった!
 両親二人の死に際を身近に見たが、死のは甘くはない。父は70歳、母は
88歳だったが、死は傍でみていて直視できない。しかし死んでしまえば、
それまでよ。その私も父の死の年齢まで、あと2年。 父は、余命一年で、
スキルス性胃ガンが発見され、宣言のとおり亡くなった。そうこう考えると、
いつ何時、何が起きても不思議でない危険水域に入っている。ところで、
「長生きは苦しい」ことは、老人仲間の会話以外は、どうもタブーのようだ。
 まず、第一章から、このテーマを取り上げている。著者は、老人デイケア
中心としたクリニック医の経験から、その苦しみを数多見て、老人の
「死にたい願望」が如何に強いかを述べている。 ーその辺りより抜粋ー
《・「心臓発作で死にかけた老女が生きかえって「まだ、死にません」に対し、
 「そんこと言わないで。長生きしていたらよいこともあるでしょう」と慰め
でいうと、声を荒げ「いいことなど何もない。苦しいこと、辛いことばかり、
このまま死んだほうがどれだけましか」と・・
有料老人ホームに診断に行くことも多いが、そこで「朝、起きて死んでいたら、
どれよどよいか」「階段からこけて、そのままポックリいけたら、どれほど
よいか」という嘆きの声が多い。・・
・よく耳にするのが、「こんなことになるとは思わなかった」という嘆き。
◎腰痛と膝の変形に悩む老人が、歩行器にすがりながら顔をしかめます。
 「若いときから山歩きで鍛えてきたのに、こんなに腰や膝がいかれるとは。」
脳梗塞で右半身が麻痺した老女が、口惜しげに問いかけます。
 「健康には人一倍気をつけて、身体に悪いことは何もしなかったのに、
 なんでこんな病気になつたのでしょう」
◎頑固そうな男性が腕組みのまま、撫然としてつぶやきます。
「年はとりたくないもんですな。引退したら司馬遼太郎の全集を読もうと
 思うてたのに、目がかすんでとても読めん」 多くの老人が、予想外の状況に
 悩み、苦しんでいるようで。しかし、それらはありふれた老化現象のようです。
脳梗塞やその他の病、それはどうやら老いというものが、だれにも初体験
 だからのようでした。七十歳になった人は、みんな生まれてはじめて七十歳
 になります。八十歳も九十歳も同じ。老人ははじめての老いの中でとまどって
 いるのです。こんなことになるとは思わなかったという老人の多くは、老いを
 楽観していたのではないでしょうか。老いても元気な人を見れば、なんとなく
 自分もそうなれると思ってしまう。逆に、老いて苦しんでいる人を見ても、
 自分はそうはならないだろうと。今、長生きを望む人たちも、今の体力に
 近いまま長生きできると思っている・・・》
▼ これを読んでいると、老いていくのが末恐ろしくなる。還暦を過ぎて、
 まる八年になるが、どうだったろう? 良いことも、悪いこともあったが、
やはり生きていて良かった。時代の変化の激しさと、情報化による恩恵が良い。
不謹慎だが、倒産劇も事業人生の終わりの仕上げのドラマ仕立で、面白かった?
これも人生の味。いつ何時、上記の状態になるかもしれない危機感が、この
状況で、日々を面白くしている! 長年の準備と、独りを慎めばこそ!
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5478,閑話小題 〜ギョッとする ー�
2016年03月15日(火)
   * ギョッとする ー�
 人生で一番ギョッとする瞬間は、恐らく自分の死期を悟った時だろう。
何だかんだといっても、心の隅には、「自分だけは、そんなことはない。
まだ先だろう」という根強い気持ちがあり、その時に思う言葉が、
『あと10年は大丈夫と思っていたが、まさか自分が!』。
この数年、何人から聞いた、『あと二年と、医者に面と向かって言われた!
が、まだ信じられないし、受け入れられない。あと三年後にリタイアをして、
旅行三昧を計画していたが・・』と、悲痛な叫び。私など、過剰な量の酒を
飲んできたため、2〜3年以内に宣言される可能性がある。その時、いざ覚悟を
決めていたとしても、想像を絶する‘ギョッ’が爆発するのだろう。
 その前の‘一日一日’、いや、‘いま、ここ、わたし’を味わいつくす
しかない。生きている内、元気な内である。で、毎週、飽きもせずシネマに
通い、共同幻想の世界に浸りに行っている。シネマに限らず、TVで映画や、
ドラマの共同幻想の世界で夢見ている。やはり、父の口癖だった、「死んで
しまえば、それまでよ!」である。
  * 軽度の認知障害とは
 昨夜のバラエティ番組で、タレント?の蛭子能収が軽度認知障害(MCI)?
と診断された。天然ボケ発言が売りの67歳。「最近、ものわすれがひどい。
孫の名前が覚えられない」という彼が最新の脳検査を受けた結果、MCI・
軽度の認知障害が発覚した。家内から、『大丈夫?」と言われたが、まだ
大丈夫と自己診断をしたが、物忘れ、うっかりミスが、最近、あまりに多く、
ギョッとすることが何度かあった。
・・・・・・
5113,ホロコーストを生き延びて
2015年03月15日(日)
  * 囚人番号A26188〜ホロコーストを生き延びて〜
          〜15年3月11日 水曜 午後6時〜6時50分〜
 先日、大相撲が終わり何気なくまわしたチャンネルが、この番組。
当時の凄惨な収容所や、殺された人たちの写真と共に淡々と語る老婆
へニアの話に、我を忘れ見入ってしまった。転々としたどの収容所でも、
奇跡的に助かり生き延びた内容は、想像を絶した生き地獄。 途中で、
この番組を数年前に見ていたことに気づいた。 ポーランドソ連
中心に500〜600万人が虐殺されたホロコーストは残酷の極み!何度見ても、
その悲惨さに驚愕をする! 〜NHKのHPの、その紹介記事から〜
≪ 1939年のドイツによるポーランド侵攻は、ある少女の運命を狂わせた。
 靴工場を経営する父と母、3人の兄弟と幸せに暮らしていたヘニアは、
マイダネク強制収容所、「シンドラーのリスト」の舞台として知られる
プワシュフ強制収容所アウシュビッツ強制収容所終戦時のベルゲン・
ベルゼン強制収容所と、4つもの収容所を転々とし、偶然と機転、そして
時には他人に助けられて奇跡的に生き残ったのだ。
 現在南アフリカで静かに暮らす彼女は、ホロコーストを知らない若者が
増えていることに危機感を抱き、今まで夫や息子にも話さなかった悲惨な
過去を明らかにすることを決めたという。目の前で日常的に繰り返された
ナチスの残忍な行為の数々、アウシュビッツ解放前に強いられた“死の行進”、
家族の行方―ホロコーストを生き延びた“囚人A26188”ヘニア・ブライヤー
が、壮絶な体験のすべてを語る。≫
▼ 20世紀といえば、スターリン毛沢東ヒトラーポル・ポトなどが、
 大量殺戮を重ねた世紀。彼らは国内や隣国の人民を1〜2割も殺戮した、
というから、平和ボケした日本では想像すら出来ない事態。 現在も、
北朝鮮が同じような状況にある。社会主義も資本主義も駄目というなら、
何が良いのか? その上、情報機器が飛躍的に進化する中、政治体制が、
それを持った大衆をコントロールするのは至難の業である。その行着く先は
混沌とした世界。そして極端な原理主義が、世を覆い、同じような大量殺戮
の世が再び、生じる可能性が出てきた。人間は本当に進化したのだろうか?
・・・・・・
4381, ブラック・スワン −1
2013年03月15日(金)
        「ブラック・スワンナシーム・ニコラス・タレブ
 衝撃的で、世界の見方は一変しなくとも大きく変わるはず。どうも、近くに
数羽、来ているが、何の化身か分からない。恐ろしそうなのは分かるが・・
人間など儚いもの。  ーまずは、アマゾンのないよう説明からー
■「ブラック・スワン(黒い白鳥)」とは何か?
 むかし西洋では、白鳥と言えば白いものと決まっていた。そのことを疑う者
など一人もいなかった。ところがオーストラリア大陸の発見によって、かの地
には黒い白鳥がいることがわかった。白鳥は白いという常識は、この新しい発見
によって覆ってしまった。「ブラック・スワン」とは、この逸話に由来する。 
ほとんどありえない事象、誰も予想しなかった事象の意味である。タレブに
よれば、「ブラック・スワン」には三つの特徴がある。一つは予測できないこと。
二つ目は非常に強いインパクトをもたらすこと。そして三つ目は、いったん
起きてしまうと、いかにもそれらしい説明がなされ、実際よりも偶然には
見えなくなったり、最初からわかっていたような気にさせられたりする。
■ 世界の見方を変える書
 私たちは自分で思っているほど実際には物事をよくわかっていない、
とタレブは言う。彼はそんな現象を長年研究してきた。私たちはどうでもよくて
取るに足らないことにばかり気をとられてしまう。そして相変わらず重大な事件
に虚をつかれ、そんな事件が私たちの世界を形づくっていく。本書でタレブは、
私たちにはわかっていないとわかっていることのすべてを語る。
ブラック・スワン」に立ち向かい、それを利用できる驚くほど簡単な方法を
提示する。  ーまずは、レビューよりー
≪ ブラック・スワンが象徴するのは、理論というものを「検証」することは
 非常に難しく、「反証」することは非常にたやすい、ということ。我々は常に
ブラック・スワンを発見してからしか、ブラック・スワンを含む理論を作れない。
サブプライム問題に代表されるような、ファイナンス理論が想定していない事態
は、そもそも理論で管理することが不可能なこと!金融論や投資理論を少し聞き
かじると、リスク、期待値、確率、変動率などわかった気になる。しかし、
そうした業界で議論されているリスクとはカジノゲームと同じで計測できる
リスクに過ぎず、私たちが現実に直面する現実は、計測自体不可能な不確実性
の方が圧倒的に多い。そしてちょっと判った気になった程度が、実は一番危険
だと本書は教えてくれる。「黒い白鳥」とは極めて稀な出来事の象徴である。 
一羽の黒い白鳥が舞い降りただけで、それまですべてのことが崩壊する。
しかも、世間は判りやすい講釈のついた黒い白鳥には過剰反応する一方で、
講釈になじまない黒い白鳥の存在可能性は無視される。それが重大な結果を
もたらすにも関わらずだ。毎日たんまり餌をもらって暮らしていた経験主義的な
七面鳥は「世界は気前よく餌をくれる人間でいっぱいだ」という世界観を抱く。
ただし、その経験主義的な七面鳥の世界観は感謝祭の前日に崩壊する。
限定された経験から安易に結論を導き出すことへの警鐘。 たしかに、
今回の金融危機で沢山の七面鳥が悲鳴を上げたことは間違いない。≫
▼ 9・11、リーマンショック、3・11は、ブラック・スワンそのもの。
 「まさか」の出来事で、起こって初めて気づくこと。これは、このような
 歴史的大事件だけでなく、日常の中の出来事で多く見られる。
 だから、人生は面白く、刺激に満ちている。
 ・・・・・・
4007, 共喰い
2012年03月15日(木)
             「共喰い」田中 慎弥 (著)
 スポーツセンターからの帰路、図書館により文芸春秋に目を通したところ、
芥川賞受賞作の「共食い」が載っていた。一時間あまりで読んだが、初めから
終わりまで父と愛人と産みの母と主人公のシモネタ(異常な性生活)が続く。
受賞記者会見で、田中の世間に触れたことが殆んどない未知(無知)世界への
戸惑いの挑戦的態度がユニークで幼稚である。この小説は、近年の都会的軟弱
傾向の中で、生々しい性の世界が地方の地熱と相まって露な人間の本性を描き
だしている。主人公と私が同じ年齢で高校二年の設定が、気味悪さを増幅した。 
   まずは ーアマゾンの内容紹介ー
≪ 第146回芥川賞受賞作「共喰い」――昭和63年。17歳の遠馬は、怪しげな
 仕事をしている父とその愛人・琴子さんの三人で川辺の町に暮らしていた。
別れた母も近くに住んでおり、川で釣ったウナギを母に捌いてもらう距離にいる。
日常的に父の乱暴な性交場面を目の当たりにして、嫌悪感を募らせながらも、
自分にも父の血が流れていることを感じている。 同じ学校の会田千種と覚えた
ばかりの性交にのめりこんでいくが、父と同じ暴力的なセックスを試そうとして
ケンカをしてしまう。一方、台風が近づき、町が水にのまれる中、父との子を
身ごもったまま逃げるように愛人は家を出てしまった。怒った父は、遠馬と
仲直りをしようと森の中で遠馬を待つ千種のもとに忍び寄っていく... 
川辺の町で起こる、逃げ場のない血と性の臭いがたちこめる濃密な物語。 ≫
▼ どんよりした、田舎町での父子の葛藤の物語。数ページも読まないうちに、
 その世界に引きこまれていった。 自閉症?の田中ワールドである。その中で
主人公の二人の母親と父の愛人が、いやに生々しく浮かび上がっていた。
この作品に対して石原慎太郎が異議をとなえ芥川賞の選定委員を辞職した。 
地方の性の温もりを、どう捉えるかである。地方は逃げ場のない土着がゆえに、
ドロッとした人間関係が渦巻いている。その中での性の問題は深く、
それぞれの小さな地縁と 交友の中で発酵している。