「リンゴも人生もキズがあるほど甘くなる」外山滋比古
   * 失敗は最高の教師
 無傷は傷に及ばないことがいくらでもある。7年前の節目時から一年もしない
内に気づいたことは、会社清算の結果が私の人生にとってベストだったのでは?
という、実感が沸いてきたこと。丁度、その頃、百数十年の老舗の会社を潰した
男が、同級会の席で、『おい、八ちゃん。俺も会社をつぶしたけど、この結果に
感謝してるんだ。』と静かに語りかけてきた。それ以前、全国区に知れ渡るほど
の大きな不幸にみまわれた数年後、何かの講演会で挨拶をしていた壇上で、照れ
臭そうな表情が何とも味わいがあった。そのまま言うと、『それって、具体的に
どんな顔?』と聞き返してきた。そこで、『自分が笑われているだろうと慮って、
照れている顔さ』と伝えると、心の芯を付かれたようで、嬉しそうにしていた。
 で、今回は、『これで、あんたも1人前になったな!』と偉そうに宣った。
その少し離れた席では、「○○協会・会長」に選出されたとかで、一人、踏ん
反り返って肩肘を張ってる男がいた。 『ああ、あれが一時期の私の姿か…』 
 成るほど、二人の合せ鏡からみた後ろ姿とは、こういうものかと。
――

≪ 青森へ行った帰りに、朝市に寄ってリンゴを買った。
 キズのあるリンゴを売っているおばあさんがいる。こちらが、
「キズのあるリンゴの方が甘いんですよね」と言うと、おばあさんが、
「東京のひとのようだけど、よくごぞんじです。みんなにきらわれています」
 という意味のことを土地の言葉で言った。

うれしくなってもち切れないほど買ってしまった。
キズのついたリンゴ。
なんとかそれをかばおうとして、力を出すのであろう。
無キズのリンゴよりうまくなるのである。
キズのないリンゴだってなまけているわけではないが、
キズのあるリンゴのひたむきな努力には及ばないのか。

 人間にも似たことがある。
試験を受ければ必ず合格、落ちるということを知らない秀才がいるものだ。
他方では落ちてばかりいる凡才がたくさんいる。もちろん、秀才の方がえらく
なるけれども、落第ばかりしていた人が、のちになって、たいへんな力を発揮、
かつての秀才を追い抜くことも、ときどき起こる。

若いときに失敗をくりかえすような人は、はじめはパッとしない。
しかし、いろいろな経験を重ねているうちに、実力があらわれる。
ちょっとした失敗は人間ならだれしもあることだが、失敗したことのない
秀才、エリートは、なんでもないミスで破滅したりする。  ≫


▼ この結果、キズのついたリンゴに相成ったが、私にとってだが、2ランク
 上の日程を課し、こなしてきた。日々、老いていく中で、平常な心を保つに、
ハッピーエンドより、遥かに生きる力が必要になる。そこで閑静な生活環境が、
心を、魂を、休めてくれる。傷ついたリンゴは、自分で自らを隔離しなければ
ならない。深手になるほど、甘さが増すようだ。 腐り始めたら早いもんね。

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4008, 閑話小題 ースローヨガなど
2012年03月16日(金)
  * 昭和的価値が人々を苦しめている!
 図書館で、何気なく月刊誌「新潮45」をチラ読みをしたところ、
ある対談の中で印象に残った言葉があった。「良い大学を出て大企業に入るか、
公務員になり、マンション買って、子供を二人つくり、とかいう戦後の昭和的
価値から抜け出せないで、苦しんでいる人が多い」という内容。特に、団塊世代
の親子、とりわけ子供の心に、その断層があり、両者が、その葛藤に苦しんで
いる、ということ。 ここで現役から退いて一年、昭和的価値観に影響された、
それまでの人生が見えてくる。学生時代の専攻が社会学だったこともあり、
卒業後も社会の潮流に興味を持ち、昭和的価値観を突き放し鳥瞰していたつもり
だった。しかし振り返ると終戦後から高度成長期の昭和的価値観に縛られていた
自分に、あらためて気づいた次第。 特に地方は昭和的というより、戦前戦中
の日本的価値観が失われず、そのまま残っている。それを良しとするには、
情報化がそれを許さない。そのため、その年代の横の繋がりが強すぎ孤立化
傾向が強い。 それを絆というらしいが・・ 大量生産、大量消費を目指した
昭和が終わり、情報化もあり、グローバル化の波が大きく覆い被さってくる。
その昭和の価値から抜け出れない人たちが、財布を握りしめているため
経済は停滞、少子化もあり経済は最悪の事態に突き進んでいる。
  * スローヨガ
 スポーツジムで二週間前から「スローヨガ」に参加を始めた。入会当初に
3回、参加したことがあるが、腰にきつかったため、それ以降、参加するのを
止めていた。 イージーラインを続けて二回するのが習慣になり、それが私に
とってベストになっていた。ランニングマシーンのウォーキング30分に、
イージーライン(25分)を連続二回に、週二回のスローヨガ(50分)を
加えたことになる。チャレンジ10と勝手にキーワードを決めて昨日で4回目。
この言葉を繰り返しながら通っている。腰痛改善のためのコースと思えるほど
腰が軽くなる。40坪位のエアロビスペースに30〜40人。男の参加は4人。
殆どが常連で、最後列からみると全員、姿勢がよい。 まずは、あと6回は
参加すれば、恐らく常連になるだろう。 
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4382, ブラック・スワン −2
2013年03月16日(土)
 ブラック・スワン ー2
       「ブラック・スワン―不確実性とリスクの本質」タレブ著
  ーまずは、「あるブログの要約」から ー 
≪ 歴史に接すると、人間の頭には3つの症状が出る。
1. 分かったという幻想。世界は実感するより遥かに複雑だが、
皆何が起こっているか自分には分かっていると思い込んでいる。
2. 振り返ったときの歪み。 我々は後付けで物事を解釈しがちになる。
(歴史は人が経験する現実よりも、本で読んだほうが分かりやすい)
3. 現実に起こった情報を過大評価する。権威と学識のある人は不自由になる。
特に物事を分類し始めると、それに縛られる。科学が導き出した結論の
いくつかは、めったに起こらないことが与える効果を過小評価したり、
完全に無視している。だから、現実の世界では使い物にならないケースが多い。
めったに起こらない出来事(黒い白鳥)を見るのに不自由だと、
他にも色々な事が起こる。
1. 最初から目に見える一部に焦点を当て、それを目に見えない部分に一般化。
2. はっきりとしたパターンを欲しがる自分を満足させる講釈で自分をごまかす。
3. 黒い白鳥なんていないかのように行動する。
4. 目に見えるものが全てとは限らない。歴史は黒い白鳥を隠し、
 それが起こるオッズを見誤らせる。
5. 私たちは素性のはっきりとした不確実性の源ばかりに注目する。
しかし、それらは黒い白鳥のリストとしては具体的すぎるので、
その結果、なかなか思いつかないその他の黒い白鳥は無視してしまう。
人間は現実に起こった物事に対して、やたら法則を作りたがる。
いったん法則の仮説を構築すると、その後はその仮説を立証しようとする
行為のみに熱中してしまう。歴史とは「後から起こったことの効果を
合わせて見た一連の事象」のことである。911テロ後の約3ヶ月間に、アメリ
国内で交通事故で死亡する人が約1000人増加。これはテロの影響で飛行機に乗る
人が減り、その代わりに車で移動使用とする人が増加した結果である。実際、
飛行機事故よりも自動車事故の方が遥かに確率が高い。
 人々を2つのグループに分け、ピンぼけの消火栓の写真を見せる。
それが何だかわからないほどのピンぼけである。一方のグループには、
解像度を10段階に分けてゆっくり上げる。もう一方のグループにはもっと
すばやく5段階で上げる。そして、同じ解像度のところで、各グループに何の
画像かを尋ねる。すると、画像が消火栓と見分けられるのが早いのは、段階の
少ない方のグループであった。つまり、与えられる情報が多いほど、それだけ
人は仮説を多く作って、どんどん間違った方向に結論を持っていってしまう。≫
▼ 現在も、黒鳥が何羽か近くに来ているが、ほとんどは日常に気をとられ、
 自分に直接関係ないだろうと思っている。リーマンショックの直撃で、まさか
私が、この事態になるとは思ってもみなかった。9・11テロで直接、事業の根幹
を揺らぐとは、思いもよらなかった。まさか、1000年に一度の東北大震災が、
直撃しようとは。地元の中越の大地震二つも、まさかの黒鳥である。
人生にとってのブラック・スワンといえば、突然、目の前に突きつけられる
「死」である。必ず誰にもスワンは舞い降りてくる。私の人生時計は夜10時。
闇は深くなってきたが、生きている限り黒鳥は気配だけ。
・・・・・・
5114,カエル男の末路 −1
2015年03月16日(月)
        ー日本社会を埋め尽くすカエル男の末路ー深尾葉子著   
 * カエル男の正体とは
 〜まずは、アマゾンの紹介内容より〜
≪『タガメ女の正体』の第二弾にして姉妹作! タガメ女に箍めとられてカネと
 社会的リソースを搾取される「カエル男」が、日本の政治、経済を動かし、
部下や下請け会社、取引先といった周囲の関係者を搾取の”倍返し”で支配する
さまを、豊富なケーススタディをもとに紐解く。ビッグデータグローバル化
いかに進行しようとも、日本の男たちの「カエル男」的体質が変わらない限り、
日本は失速し続け、ますます家庭生活は生きづらくなる構造矛盾を撃つ!! ≫
  〜印象に残った箇所を抜粋すると・・
* タガメ女とは、「収入のある男をガッチリと捕まえ、その財布のヒモを握る
 「専業主婦」。あるいは、共働きであっても、子どもや夫をコントロールし、
 家庭という王国の支配者として君臨する女性。・・
 「マンションや一戸建てと引き換えに結んだ35年間の住宅ローン。
 給料はすべて妻に吸い上げられ、渡される月の小遣いはわずか1万円。
 自由にできるカネがないので、まったく身動きがとれない。さらに、朝から
 晩まで命を削るように働き、ようやく休日がきたかと思えば”家庭サービス”
 という奉仕も求められる。カネと社会的リソース(労働力、経済的価値)を
 吸い尽くされ、気がつけば皮と骨だけになり死んでいく」(p.6)
* 「タガメ女・カエル男システム」はもはや食い止めることができないほど
 日本社会に蔓延(略)・・  たしかに「タガメ女・カエル男システム」
 の自己防衛本能には凄まじいものがあります。 恐らく、もうこの衝突は
 避けられません・・ ただ、ひとつ希望を言えば、衝突はしても「沈没」は
 避けることができるかもしれません。船の針路は帰ることができなくても、
 最善を尽くすことで正面衝突を避けることができる。そのため必要なことは、
 ひとりひとりの「生き残りたい」という強い思い。・・ 自分の人生を自分の
 力で生き、その命をまっとうするごとく普通の「ひとりの男」になればいい。
 いや、男も女も、まず「ひとりの人間」になるべきでしょう。その上で真に
 助け合う繋がりを紡ぎ出してゆく必要があります。だれかから搾取され、
 だれかを支配するような「ぶらさがり」の連鎖を断ち切って、ひとりでも
 多くの男たちがカエル男から脱却したとき、この日本は本当の意味で
 一人前国家になれるのかもしれません。」(p.200-)
* カエル男の4つのタイプとは
  依存型カエル男(妻にしがみつく)
  攻撃型カエル男(家庭外で鬱憤を晴らす)
  自己犠牲型カエル男(終身雇用にしがみつく)
  現実逃避型カエル男(自己啓発と絆に逃げ込む)
▼ 次回、この4つのタイプを中心に取り上げるが、どれもこれも
 身に覚えがある要素。特に攻撃的カエルは! 阿部首相を、その典型的
タイプと看破している。団塊の世代が定年に入った昨今、これらのカエルが、
家庭内で、ダガメと対峙しているが、これでは不景気が加速される。
・・・・・
5844,「やさしさ」を身につける −?
2017年03月16日(木)      
        <「やさしさ」という技術
               ―ステファン・アインホルン (著)>
   * 賢い利己主義者になるための7講
 6年前に自主整理とはいえ、倒産をしてマイノリティの立場になった。
銀行債権だけとしても、経済的破綻者になったことは確か。マイノリティの
立場は、なってしまえばなったで、面白い切口で人間社会を見ることが出来る
利点に気づくこと屡々。そこで思い出すことは、マイノリティなればこそ気づく
辛い時代に受けた「やさしさ」。究極のドン底にこそ「やさしさ」が湧き立つ。
それが起因で「やさしく」される。しかし、情に竿させば流され、重荷を背負う
ことになる。その都度、突詰めた判断の積重ねをしてきた結果、現在がある。
当然、正しい判断と間違った判断の積重ねが、現状としてある。今から振返ると、
社会に出た後も最低二時間の読書習慣と、その時々の日記風メモ(現在は、この
随想日記)の静寂の時間を通して判断していたのがプラスになっていたようだ。
 金沢時代に、不確定要素が多い中、先が見えず、手掛かりは一年以内に千葉
郊外にある5万人の新興団地の十字路角地の隣地に、郊外型飲食ビルの立上げ
予定の計画…。千葉県主導の宅地開発の為、土地の値段は半値以下。
購入希望者は当然ながら抽選になる。で、落ちて元もとと、暇にまかせて応募を
して、あとは当選した時点に考えることにした。大きな講堂の中で行われた抽選会
に面白半分に出てみたが、目の前で幸運にも当選した物件。但し書きがあって、
二年半以内に着工の確認申請を出す条件があり、そろそろ決断の時が迫っていた。
このことは勤務先の誰にも知らせてなかった。そのため、気持ちを集中して
いないと、当時の私の実力と実績からして創業の小さい第一歩としても難関で
あることは自覚していた。一日一日を有意義に過ごし、力をつけなければ成功は
覚束ない。失敗をすれば、全てがゴミ。それまでの苦労が、全て泡。宙に浮いた
ような日々の中で、男子寮に帰れば、デートの為か、誰一人居ない。そこで
独りで読書三昧になるが侘しい。 一年後には、何も知らない地で、新たな事業
創業があるため、サブ・テーマの言葉とおりの、『賢い利己主義者』に徹する
しかない必然性があったが、実際は逆のような。 特に20歳代は、職業の選択、
結婚問題など、人生の根幹の判断が一生を大きく左右する事案ばかり。時代の
熱さと重さの息苦しい中で、次から次にと、「やさしい言葉」をかけられていた。
知らぬ間に「やさしくなていった」のだろう。「ほろっとすれば、はいそれまで」
人生の最終版に会社整理で終えたことも、『賢くない利己主義者』に成下がって
いたが故の慢心の、結果だったということか。 遊びすぎ? いや、遊べるうち
に遊んでいて良かった?ことも確か。 人生を振返えみると、「もっともっと、
やさしくしておけば!」の後悔ばかり。とはいえ、生きた手ごたえは残っている。 
現在の私が、「やさしい」かといえば、さほどでない。 ということは、
どん底でない」ということか。  〜内容紹介と感想は、次回以降に。
・・・・・・
5479,人生で最も大切な技術 ー29 倫理の核心は心の状態
2016年03月16日(水)
      『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 倫理の核心は心の状態
 倫理の核心は、「叡智を養うことと、利他的モチベーションの機能を
発揮することで、これを使う叡智は体験でしか養えない」という。この逆を
売りにしている人物が多く存在している。あの内幕情報屋である。誰もが、
その要素を持っているが、程度の問題になる。その隠れた毒が回りまわって、
自分を毒していることに気づいていない。 ーその辺りからー
≪ 利他的なモチベーションとポジティブな結果をを生じようとする努力を
 選択することはいつでもできる。 そのために、自分のモチベーションを
繰り返して点検することはいつでも出来る。
 これについて、ダライ・ラマの言葉を引用しよう。
{ー自分の心が寛大か、それとも偏狭か。 大きな視点で状況判断しているか、
それとも些細な事項のみを考慮している か。 見方が短期的かそれとも
長期的か。 モチベーションが純粋に思いやりに基づいているか。
 その思いやりは自分の家族、友人、親密な人だけに限定されていないか。
等々と考えて、考えて、考え尽くすことが必要であるー}。
 そうであれば、倫理の核心は行動様式ではなく、心の状態ということになる。
外部に現れる行為が本物だと信じ込むと、例えば、罪のない嘘と悪意に満ちた
嘘の区別がつかなくなる。殺人者に「自分が追かけている奴がどこに隠れたか
教えてくれ」と訊ねられたとしても、それが真実を告げる場合でないことは
明らかである。攻撃的な行為も同じことが言える。ただし、自動車に櫟かれ
そうな我が子を母親が道路からぐいと押しやる際の乱暴な行為は、見かけに
過ぎず、子供の命を救う善の行為である。逆に、誰かが笑顔でお世辞たらたら
近づいてきたとしても、その人の目的が物を奪うことだったら、行為は一見
非暴力的だが、意図は悪意に満ちている。
 ここで基本的な疑問が湧く。それは、他者を幸福にする、他者を苦しめると
いう基準は、何を根拠として決まるか、という疑問である。飲兵衛を「幸せ」
にするために、酒瓶を与えるだろうか。あるいは、その人の寿命が縮まるのを
避けるために与えないようにするだろうか。ここで、叡智を養えという教えと
利他的なモチベーションが機能を発揮するのである。真の幸福と、快楽などの
幸福のまがい物とを識別することが、本書の趣旨である。純粋無垢な幸福と、
それを破壊する思考と行動を正しく区別させてくれるのが、他でもないこの
叡智であり、それは教義ではなく実際の体験でしか養えない。≫
▼ 倫理とは、行動様式と思いがちだが、心の状態とは驚き!
 幸福な人とは、自分の倫理観を持っている人だ。いや、ないのもいる?
叡智は教養の度合いと品性で決まってくる。倫理といえば、西欧では
キリスト教倫理になり、明確な規範がある。それは心に幼少の頃から、
刻み込まれる。日本の規範は、バナナのようなもの。外側が黄色で、
内側は白。とすると、外見と同じことになる。
・・・・・・
4749,そんなに長生きしたいですか ー3
2014年03月16日(日)
      『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著
  * 長寿の具体的危険とは
 長寿社会の陰で、老人に多くの危険が迫っている。そういう私も、母親の
介護で多くの経験をした。傍から見たら・・? 第三者と、当事者、そして
介護をする立場とでは全く違うのである。そして今度は、自分の番が近づく? 
その前に死にいくつもりだが、これだけは神(自然)の思し召し。いま出来る
ことは、前知識を蓄えておくことと、覚悟しかない!ーその辺りを纏めるとー 
《 簡単に死ねない時代に、長寿なるがゆえの危険が数多く控えている。
医療制度のため、そう簡単に死ねないのである。そこに当然、周囲との軋轢が
出て弱者の年寄りに危険が迫ってくる。特にプチ虐待は深刻。昔は、ものが
食べられなければ、自然に静かに死んでいけた。今は鼻からチューブを入れ
たり、胃ろうをつけたり、点滴や輸液で補い、生かし続ける。
食事補給だけでなく、呼吸も循環も、排泄も、あらゆる生理機能が人工的に
補助され、なかなか死ねないのである。長生き=善という考えを無批判に肯定
したため、死なせてやる視点が全くない。
 ー危険といえば
・孤独と憤懣の危機 :老いれば老いるほど強くなる。そして、短気になり、
 周囲と馴染めなくなる孤独な老人。
・自殺の危機 :元気で長生きで、優しい家族に囲まれても、危険がある。
 老人の自殺は、独居や夫婦二人の世帯より、二世代、三世代同居の方が多い。
 そこでは、子供が中心になり、収入も子供が得てくる。自分は役に立たない、
 いらない存在という鬱憤が蓄積し、自死につながる。
・マスコミ報道に踊らされる危険 :世間では、‘最悪のことを想定する’
 という考えは、あまり歓迎されない。どうしても‘良いこと’‘あるべき姿’
 に目がいってしまう。マスコミ報道は、老人虐待や少子高齢化社会の危機に
 切迫した警鐘をならすが、これは、老人世代を甘やかすことになる。
 常に完璧な、こうあるべき視点で、報じるから、老人の不満と、我が儘が
 蓄積していく。そこには、欲望肯定主義の陥穽がある。ただアンチエイジン
 だけでは幸せになれない。もっともっとという気持ちが、不満を増長
 させる。そして、孤独と憤懣のあげく、自殺への道になる。》
▼ 私自身の5年半の介護経験からして、母親当人は大変だったはず。
 そういう時期には、他の問題が重なるため、家族全体が、極限的危機状況
になる。肉体も、精神も老化のため弱体化し周囲に問題を投げかけるが、受け
止める余裕がない。寝たきり平均6〜7年とすると、あと5年も経たないうち、
その時期に入ることになる。アンチエイジングなどしないで、自然に任せて
いた方が良い!というのも肯ける。自死の権利なるものが何故無い?