つれづれに

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  今日のYoutube

 台風も、地元のコースはそれて、少し大風が吹いた程度。
昨日今日と、ポタリングも出れなかったが。 葬式の引出物として
貰ったパンフレットにあった「折りたたみ自転車」の試乗もまだ。




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3130, 閑話小題 ーつれづれにー
2009年10月30日(金)

* PDP・TVとDVD購入から7年経過の感想
  購入7年経過の感想といえば、50インチの大きさと画面の明るさと鮮明さが良かったことである。
 特に映画と相撲やボクシングなどの迫力が圧倒的になる。それと海外各地の紹介番組も、現地に居る
ような錯覚にさせる。ただし、長時間見ていると疲れる。 購入メーカーのパイオニアがPDP・TV
 より撤退をしたが、製品としては合格。7年経っても、現在の薄型TVに見劣りをしていないところは、
 さすがに日本のメーカーである。
 TVと録画機は8年を目安にしているので、TVはあと一年だが、三年位は持ちそうだ。
 その時は、液晶の65インチのつもりだが、そろそろ液晶とは違う画期的なTVが出はじめている。
  で、現在、薄型液晶を買おうと迷っているなら、50インチ以上をお勧めする。結局は画面の大きさだが、
 部屋の広さもあるから一概にはいえない。メーカーは、どこも同じようなものだが、敢えていうなら
 ソニーか、シャープ。
   ~~
  * 経済の二番底が近くあるのか?
 9月に入ってから、地場から聞こえてくる経済の様子が変のようだ。しかし新潟駅周辺は9月下旬の
 国体と身障者のスポーツ大会、5連休の観光客のために賑わっていたが、10月半ばから一挙に元に
 戻ってしまった。このところ半年に一度は、こういう雰囲気にはなるが、銀行や会計事務所の話や
 取引先の話を聞くと、今度は本当に追い詰められてしまったところが多いという。年末年始は大荒れ、
 の予測が前からあったが、その余震が9月から始ったということだ。 当方は、冷夏のマイナスを
 9月、10月で何とか取り戻したので、何とか二月決算の数字は予定通りの目安はたっているが・・・。 
 年末・年始は二番底に?。
   ~~
  * 「足腰の痛み」か~ 
 NHKのクローズアップ現代の10月27日(火)放送「あなたの関節は大丈夫?」
  ~ロコモティブシンドロームの脅威~を食い入るように見てしまった。  その内容とは《(HPより) 
 手すりにつかまらなくては階段を上れない、横断歩道を青の間に渡りきれない…。 足腰の痛みなど
 自覚症状がほとんどない人も含め、骨や関節に問題を抱えている人が、全国でおよそ4700万人もいる
 ということが、厚生労働省研究班の調査から明らかになった。原因は、ヒザや腰の関節を支える軟骨が
 すり減っていたこと。こうした運動器の障害はロコモティブシンドロームと呼ばれ、"寝たきり予備軍"と
 受け止められている。 その半数以上に自覚症状がなく、何ら対策をとっていない人も多い。
 この膨大な数の予備軍にどう指導・対処していくかが大きな課題となっている。将来の寝たきりをいかに
 して減らすのか、新たに浮かび上がったロコモの脅威に迫る。》である。 私の腰痛も、この一つの
 症状なのだろうか?。 私の場合は元もとの持病で、軟骨が磨り減ったのとは違う。しかし年々、腰痛が
 慢性化しているようだし、足腰が重くなってきているが、まあ生きている利子と思えば・・娑婆娑婆!

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2765, こころと脳の対話 -1
2008年10月30日(木)
「 こころと脳の対話 」  河合隼雄 茂木健一郎 著  (潮出版社 )             
ー概要ー
  月刊誌上の3度の対談を再構成した本である。脳科学者・茂木健一郎が作る「箱庭」を
 ユング派分析家・河合隼雄が分析。脳科学心理療法は現代人の苦悩を救えるなどを議論している。
第1回 こころと脳の不思議(ユングは人間の何を見ようとしたか
   ;学生時代の箱庭体験;安易に「言語化」することの怖さ ほか);
第2回 箱庭と夢と無意識(箱庭のなかの「生」と「死」
   ;「わからない」ことを大事にする;ニワトリが牛耳る不思議な世界 ほか);
第3回 「魂」を救う対話(脳治療の倫理的課題;脳科学に限界はあるか
   ;夢のなかで「意味」がつながるとき ほか)
  --
 まずは第一回「こころと脳の不思議」の《夢の意味を自分で考えてみる》から・・ 箱庭の解釈
 が印象的である。私も時々、前夜みた夢を雑記帳に書きだすが、後で読み返すと非常に面白い。
 これは箱庭の話だが、箱庭は意識と無意識の、少し意識よりの世界を表現するという。
 私の事務所の部屋の横に、秘境ツアーで買って来た小さな人形がある。
 それだけでなく、母が旅先で買ったものや、子供が小さな頃に買ったものもある。
 考えてみたら、この棚そのものが、箱庭ではないか、脈絡は有って無いような。
 母、私、そして息子の三代の小さな人形が百個位詰まっている。
 そこで時々、気の向くまま7~8個、白い用紙の上に並べてみようかと思っている。
 そして、ジッと見ているうちに何か不思議な世界に、入り込んでしまうような気がする。それはそうだ
 ろう、南アフリカ喜望峰で買ったサイの像と、ケニアのマサイ族と、子供が買ってきたディズニー
 ランドのミッキーマウスなどが、白紙の上で並べば、そこに深層の何かが見えてきて当然である。
ーP・19
茂木 僕がやった箱庭は、いまでも覚えてますけれど、やっばリ砂でした。僕はそのころ、内向的と
  いうか、知らない人としゃべりがあまりできなくて。あるとき、箱庭で、村でお祭りをやっていて、
  山にサルが一匹いて、木の上からそのお祭りを見ている、というのをつくったんです。
茂木 どういうことか、と聞かれたので.「僕はこのサルで、そのお祭りのなかにまでは行きたくないんだけど、
  でも一人で、こうやって楽しそうな様子を見ているのが好きなんだ」というようなことをいって。
  そのころの心象風景だったんですね。
河合 その、祭りを見ているサルですね。それは、客観的に祭リを観察している自分というのと、
  それからサルで典型的なのは孫悟空ですね。将来、大活躍する可能性とか、あるいは仏道に入って
  いくような宗教性や精神性とか、そういうものを全部もっている存在としてそこにいるんですよ。
  それで、いたたずらもするしね。それって、すごくおもしろいですね。
茂木  なるほど、その「サル」というところがポイントなんですね。
 ーP・23
河合 わかりやすくいうと、僕らが生きているということ自体、ものすごく無理をしているわけでしょう。
  それを無理しているだけではもたないかち、寝たときに調整するわけです、全体性のなかに。その全体性
  のなかに調整する動きを、脳のなかで視覚的に把握したものが夢ではないかと、僕はそう思ってるんです.
   だから夢を見るということ自体が.ものすごい大事なことなんですね。それは解釈しなくてもええぐらい
  なんだけれど、解釈したほうがおもしろいと。いろいろ役にも立つし。夢をつぶしたら、だんだん
  おかしくなってきますね。だから夢というものは、生きていくために必要なものだと僕は思っているわけです。
  それは一種の調整作用みたいなもの。だからその人にとっては、ある程度盲点みたいなことを見せられる
  ことが多いので、夢を見た本人にはわからない場合が多い。自分ではね。
河合 だからおもしろいんですよ。人の夢はわかるんですけれど、自分の夢はわかりにくいです、やっぱり。
茂木 それはちょっと、目からウロコですね。じゃあ、夢分析というのは、他人がやらないとだめだという
  ことですね。
河合 自分ではわかりにくい。だから、明恵は天才ですね。すごい天才やと思います。
  本当に、世界に誇るぐらいの。遊木自分を外から見るという視点も、同時にもちえた。
河合 ええ。あるいは、それを誰かにしゃべっていたのかもわかりませんね。
  ユングもいってますけれど、やっぱり誰かにしゃべったほうがいい。ただし、信頼できる人。
  で、その人はなにもいうてくれなくていいと・じっくり聞いてくれたちいいんやといってますね。
  ユンクにも聞き役の、信頼できる女性がいたし、フロイトの場合もちゃんと相手がいたわけですね。
  そういうふうに、やっぱり誰か他人の目が入らないと、自分だけではむずかしいですよ。
  ただ、僕らは長いあいだやってるから、もうだいぷできますけどね。自分の夢でもある程度はわかります。
茂木 その盲点というのは、どういうことなんですか。 たとえば、私は最近、イギリススに留学していたとき
  の夢を見て、そして目が覚めたときの感覚というのは「最近、なんだかちょっと日本の社会と付き合い
  すぎてて、疲れてるんだ」
  ーーー
 解)「生きていること自体が、ものすごく無理をしている」そのことを理解すれば、遊びと、学びと、
  仕事と、真空、のバランスが必要ということが分かる。その一日単位の調整が夢というのも面白い。 
            7年前の同日、夢について書いてあった。(「203」夢 2001年10月30日)
                                         ーつづく
・・・・・・・・・・
2007年10月30日(火)
2401, こころの旅 ー5         ('-'*)オハヨ♪
  ―カリール・ジブラン『預言者
      「子供について」       -読書日記
赤ん坊を抱いたひとりの女が言った どうぞ子どもたちの話をして下さい
(それで予言者は言った)あなたがたの子どもたちは あなたがたのものではない彼らは生命そのものの 
 あこがれの息子や娘である彼らはあなたがたを通して生まれてくるけれども あなたがたから生じた
 ものではないあなたがたは彼らに愛情を与えうるが  あなたがたの考えを与えることはできない
なぜなら彼らは自分自身の考えを持っているから。
あなたがたは彼らのからだを宿すことはできるが 彼らの魂を宿すことはできない
なぜなら彼らの魂は 明日の家に住んでいるから。
あなたがたは彼らのようになろうと努めうるが 彼らに自分のようにならせようとしてはならない
なぜなら生命はうしろへ退くことはなく いつでも昨日のところにうろうろ ぐずぐずしてはいないのだ
あなたがたは弓のようなもの その弓からあなたがたの子どもたちは
生きた矢のように射られて 前へ放たれる 射る者は永遠の道の上に的をみさだめて
力いっぱいあなたがたの身をしなわせ その矢が速く遠くとび行くように力をつくす
射る者の手によって 身をしなわせられることをよろこびなさい
射る者はとび行く矢を愛するのと同じように じっとしている弓を愛しているのだから
ーーー
解)
この詩は深い意味がある。 子供に対して全ての親が理解しておかなければならない基本の姿勢である。
子供に対する責任があるが、それはあくまで自立に対するトレーナーであるべきで、相互依存のためではない。
ペット的に扱ったり、自分の私物とするのは言語道断。自分たちを通て子供は生まれてきただけで、自分ではない。
愛情を与えることは出来ても、考えは与えることは出来ない。出来るのは考える、そして自立できるように導いて
やるだけ。カナダでは、大学に入ると殆ど全ての学費は夏休み、冬休みのアルバイトで稼ぐという。
それが首相や財閥の子供であっても関係なく、もし、親が学費を出していたら、軽蔑の最たる対象の人間と
見做されるという。学生生活から、既に自立への訓練になっている。親子を弓と矢の関係に例えるのは面白い
親と子供のあるべき関係を述べている。しかし、これでは弓の的を決めるのは、射るのは、誰になるのか?
という疑問がでる。的は「自立」がということ? 己から遠くに飛ばす、自立させる考え方としては良い。
それにしても、あの親亀(亀田)のエゴなんだろうか? その結果があの子亀達ということか? 
ここで書くことではないが、あまりにも宮沢リエ的?な内容である。             
                                (ゝ∀・`*)ノ))バイ゚
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2006年10月30日(月)
2036, 躁鬱病について -4
                       (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ~
 一昨日、図書館の棚を眺めていると、たまたま小川宏の「夫はうつ、妻はがん」という本があった。
丁度、うつ病について書いていたのでさっそく借りてきた。経験者が在りのままを書いているので、
一言一言が深い。きっかけは軽重あるが、そう簡単に「うつ病」になるものではない、それぞれの人生の
積み重ねの結果に生じるのが病。この本を読んでいると、うつ病になるべくしてなったのが理解できる。 
病気になりかけたら、体験者の本が一番よいが、
そういう人は、その余裕や意欲が無い人が多い。
  まずは彼の談から・・・
「夫はうつ、妻はがん」 ―夫婦で苦境を踏み越えて   小川 宏 (著)
  *「うつ病」完治は家族の絆あればこそ
 平成3年、私は不意に全身の倦怠(けんたい)感に襲われました。
 原因がわからず苦しい日々が続いたある日、ついに自殺未遂を起こしてしまいます。
 そして「うつ病」が発覚、3カ月の入院生活を余儀なくされました。
 その体験をテレビ番組で公表したところ思いがけず大きな反響を呼び、同じように悩んでいる方が
 全国に多くいることを知りました。 元々私は、30年来の糖尿病とそれに伴う糖尿病性網膜症をはじめ、
 腎臓結石、気管支拡張病など病気とは縁の切れない生活をしてきました。
 そこにうつ病です。ストレス社会の現在、うつ病は“心の風邪”とも言われ、誰がかかっても、おかしく
 ない病となりましたが、社会の偏見を恐れて病院にかかることをためらう人は今でも少なくないようです。
 本書では、そんな方やご家族に向けて「うつ」を防ぐ方法や、かかった場合の対処法などを私自身の体験と
 取材を含めて書かせていただきました。私がうつ病にかかったとき、家族をはじめ医療関係の方々など
 多くの人に助けられ、人は決して一人で生きているのではないという思いを噛(か)みしめました。
 病気は生活上の苦しみであって、人生の挫折ではありません。妻も子宮頸(けい)がんに加えうつ病に…
 つらい日々はありましたが、そんな経験があったからこそ、いま生きる喜びを感じることができるのだと
 思います。 うつ病は必ず完治します。私がその証しです。 この本を読んで、うつで悩んでいる方や
 そのご家族をはじめとする皆様に、希望を見いだすヒントとなれば幸いです。
 モーニングショーの司会者だったこともあり、内容は読者の目をひきつけるような話題で一杯の本だ。
 まあ次回を・・・・ 
                   -つづく
 ・・・・・・・・
2005年10月30日(日)
1671, 「全ての装備を 知恵に置き換えること」-2

「全ての装備を 知恵に置き換えること」は考えるほどに深い言葉である。
‘ハードを、ソフトに置き換える’‘色即是空、空即是色などが直ぐ思い浮かぶ!
ーさらに、この本のポイントになる文章を抜粋する。「レベルの高い難しいクライミングをいくつも
こなした後、何がしたいかを問われたある男は言ったそうだ。歩きたいと。道の方角へずっといつまでも
歩いていたい、そういったんだ。」
  (以下、字数の関係でカット、2009年10月30日)
・・・・・・
2004年10月30日(土) 1306, 究極の観光旅行
  (以下、字数の関係でカット、2008年10月30日)
・・・・・・・
2003年10月30日(木)
939, ゲーム理論 -1

 一昨夜、コンサルタントの林さんと酒を飲んで「ゲーム理論」の話題が出た。
ほとんど忘れたこともあり、「ゲーム理論」をインターネットで検索して調べてみた。
また本を読み直してみた。 なるほど勉強になる面白い理論である。一般的にゲームというと、
「目標を決め、途中に難関を置き、それを乗り越えながら達成するプロセスを、第三者か自分
自身と競う事を楽しむこと」であるが「ゲーム理論」というと少し違ってくる。
ー要点を書いてみるとー
「『勝つ』ためには‘損切り’をして『負け』をへらす!」が一番のポイントと思われる。
ゲームと仕事に勝つための4原則は
・『勝利』より『損切り』を重視する
・裏切りによる勝利は長続きしないことを知る
・相手も自分と同様に利益を求めていると知る
・あらゆることが起こり得ることを知る である。
ゲーム理論では「相手の存在』が不可欠である。 ゲーム理論は数学理論をもとにしている。 
その大前提は、『自分』と『相手』がいて、それぞれが「合理的・利己的」に「最適な状態」を
目指すことにある。かけひき上手を競うのが「ゲーム理論といってよい。ゲーム理論で考えられる
世界は、100人が100通りの答えを持ち、相手の存在と立場を見ながら戦略的に手を打つ。
(以下、字数の関係でカット、2009年10月30日)
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565,、ある逸話ーインドで見たこと
 - 2002年10月30日(水)
インドの空港で帰国の時である。修行僧のいでたちの男、杖一本をつきながらやって来た。
素足で身に付けているののはパンツ一枚である。それで飛行機に乗ろうというらしい。
急を聞きつけた警察が数十名が周りを取り囲んだが誰も手を出せない。
空港の制服の女の人が間に立って説明をしているが、どうしても折り合わないのだ。
パスポートも持たないでパンツ一枚で国際線に乗ろうとしているのだ。恐らくカースト制で
身分が高いのだろう、素裸の男の態度がでかい。大声で入国査察官を怒鳴りつけているのだ。
恐らく「神の指示で乗れといわれたのに何故乗せぬ」と言っているようであった。
最後の結末をみないで飛行機に乗ったが、インドの社会を最後まで見せ付けられた出来事であった。
インドは普通の感覚では考えられない身分社会なのだ。牛が堂々と街を我が物顔で歩いているのだ。 
宗教上で神聖な生き物なのだ。以前にも書いたが、20%のある階級は餞民で人間とみなされない。
交通事故死でも警察が取り合わないという、牛なら騒ぎになるが。
実際その経験談を読んだ事がある。一度はこういう社会を見てみるのも必要な事だ。
  -4年前に書いた文章をコピーしておきます。
   ---------
10/11  インド旅行記 ー私のみた北インド 
“ インドとは...”など滞在一週間のツア-では表現できない。
 面白いほど多様な国である。まず印象を列記してみよう。
  (以下、字数の関係でカット、2008年10月30日)
・・・・・・
「203」夢ー11  2001/10/30
 
 五~六年前にみた夢で忘れられないのが、自分の葬式の祭壇を見たことだ。
学生時代住んでいた部屋であった。久しぶりに寮の自分のいた部屋を覗くと、それがあった。
恐らくもう‘あの時の自分がもう終わってしまった’というシグナルだったのではなかろかうか。 
何か変な奇妙な印象が残っている。 どんどん変わっていく中で変わらないのが過去だけだ、
しかし夢でさえ、もうあの時の自分は消滅したといってくる。 それから一年に一度位見ていた
寮の夢をほとんどみなくなった。
 ーまたこんな夢もみた。
中東?の兵隊の自分が絞首刑になる夢である。7~8年前か。それを当人になっている自分と、
それを上から見ている自分がいた。その瞬間もう一人の違う自分に移り、やはり絞首刑を経験する夢。
いやに茶色の埃っぽいイメージが残っている。その前に確か廃墟の建物を訓練で数人と昇っていた。
 非常にリアルな、前世の自分の過去霊をが夢に出てきた?感覚であった。これとは全く違うと思うが、
瞑想をしていると、突如「タジージーダ」という人の名前?が突如出てきた。「なんだこれは?」と
今でもそれが何かわからない。情報のシャワーの中で、脳が勝手にある単語を吐き出したのだと思われる。
一周してもどってきて布団に入る。 ところが、ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。
まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になるという夢?である。これが夢か幽体離脱なのか
まだわからない。
また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて(そのまま水平にいて)
下をみると自分の肉体が下にみえる!直観的にまずいと思い下にもどろうとするがもどれない。
かなりうなされていたと思うが?何年か後に誰かにきいたが、霊現象の一つで、よくある事だそうだ。
こんな事もあった、これは夢ではないが屁の天井や床の下四ケ所で次々と音がする。
初めは気のせいか夢かと思い、じっくりと観察を数夜してみたが、夢ではなかった。
 ところで当社の関係先の税務事務所の応接間でも同じ現象があるそうです。