つれづれに

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 今日のYouTube
http://www.youtube.com/watch?v=eEZMctgaXNQ&feature=related

 例年、この頃に腰痛が出る。スポーツセンターに一年半、通ったこともあり、
腰痛は治まっていたが、この数日、痛みが出ている。 重症ではないので、あまり気にしてないが。

  
 あと二日で11月になる。 韓国、中国、アメリカ、そして日本と、政権が変わる。それと恐慌。
そして、イスラエルとイラン。 その中で、一番危ないのが日本。 想像を絶したことは、考えるだけ
無理だが・・・。 石原が首相になれば、想像を遥かに超えた何かが起こるのは当然である。



ー今朝の随想日記過去のカット分ー
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2006年10月30日(月)
2036, 躁鬱病について -4
                       (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ~
 一昨日、図書館の棚を眺めていると、たまたま小川宏の「夫はうつ、妻はがん」という本があった。
丁度、うつ病について書いていたのでさっそく借りてきた。経験者が在りのままを書いているので、一言一言が深い。
きっかけは軽重あるが、そう簡単に「うつ病」になるものではない、それぞれの人生の積み重ねの結果に生じるのが病。
この本を読んでいると、うつ病になるべくしてなったのが理解できる。病気になりかけたら、体験者の本が一番よいが、
そういう人は、その余裕や意欲が無い人が多い。
  まずは彼の談から・・・
「夫はうつ、妻はがん」 ―夫婦で苦境を踏み越えて   小川 宏 (著)
  *「うつ病」完治は家族の絆あればこそ
 平成3年、私は不意に全身の倦怠(けんたい)感に襲われました。
 原因がわからず苦しい日々が続いたある日、ついに自殺未遂を起こしてしまいます。
 そして「うつ病」が発覚、3カ月の入院生活を余儀なくされました。
 その体験をテレビ番組で公表したところ思いがけず大きな反響を呼び、同じように悩んでいる方が
 全国に多くいることを知りました。 元々私は、30年来の糖尿病とそれに伴う糖尿病性網膜症を
 はじめ、 腎臓結石、気管支拡張病など病気とは縁の切れない生活をしてきました。
 そこにうつ病です。ストレス社会の現在、うつ病は“心の風邪”とも言われ、誰がかかっても、
 おかしくない病となりましたが、社会の偏見を恐れて病院にかかることをためらう人は今でも
 少なくないようです。 本書では、そんな方やご家族に向けて「うつ」を防ぐ方法や、かかった場合の
 対処法などを私自身の体験と取材を含めて書かせていただきました。
  (以下、字数の関係でカット、2008年10月30日
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2005年10月30日(日)
1671, 「全ての装備を 知恵に置き換えること」-2

「全ての装備を 知恵に置き換えること」は考えるほどに深い言葉である。
‘ハードを、ソフトに置き換える’‘色即是空、空即是色などが直ぐ思い浮かぶ!
  (以下、字数の関係でカット、2009年10月30日)
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2004年10月30日(土) 1306, 究極の観光旅行
  (以下、字数の関係でカット、2008年10月30日)
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2003年10月30日(木)
939, ゲーム理論 -1
 一昨夜、コンサルタントの林さんと酒を飲んで「ゲーム理論」の話題が出た。
ほとんど忘れたこともあり、「ゲーム理論」をインターネットで検索して調べてみた。
また本を読み直してみた。なるほど勉強になる面白い理論である。 一般的にゲームというと、
「目標を決め、途中に難関を置き、それを乗り越えながら達成するプロセスを、第三者
自分自身と競う事を楽しむこと」であるが「ゲーム理論」というと少し違ってくる。
ー要点を書いてみるとー
「『勝つ』ためには‘損切り’をして『負け』をへらす!」がポイントと思われる。
ゲームと仕事に勝つための4原則は
・『勝利』より『損切り』を重視する
・裏切りによる勝利は長続きしないことを知る
・相手も自分と同様に利益を求めていると知る
・あらゆることが起こり得ることを知る である。
ゲーム理論では「相手の存在』が不可欠である。 ゲーム理論は数学理論をもとにしている。 
その大前提は、『自分』と『相手』がいて、それぞれが「合理的・利己的」に
「最適な状態」を目指すことにある。かけひき上手を競うのが「ゲーム理論といってよい。
ゲーム理論で考えられる世界は、100人が100通りの答えを持ち、
相手の存在と立場を見ながら戦略的に手を打つ。
  (以下、字数の関係でカット、2009年10月30日)
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565、ある逸話ーインドで見たこと
                - 2002年10月30日(水)
 インドの空港で帰国の時である。修行僧のいでたちの男、杖一本をつきながらやって来た。
素足で身に付けているののはパンツ一枚である。それで飛行機に乗ろうというらしい。
急を聞きつけた警察が数十名が周りを取り囲んだが誰も手を出せない。
空港の制服の女の人が間に立って説明をしているが、どうしても折り合わないのだ。
パスポートも持たないでパンツ一枚で国際線に乗ろうとしているのだ。
恐らくカースト制で身分が高いのだろう、素裸の男の態度がでかい。大声で入国査察官を
怒鳴りつけているのだ。恐らく「神の指示で乗れといわれたのに何故乗せぬ」と言っているようであった。
最後の結末をみないで飛行機に乗ったが、インドの社会を最後まで見せ付けられた出来事であった。
インドは普通の感覚では考えられない身分社会なのだ。牛が堂々と街を我が物顔で歩いているのだ。 
宗教上で神聖な生き物なのだ。以前にも書いたが、20?のある階級は餞民で人間とみなされないのだ。
交通事故死でも警察が取り合わないという、牛なら騒ぎになるが。
実際その経験談を読んだ事がある。一度はこういう社会を見てみるのも必要な事だ。
  -4年前に書いた文章をコピーしておきます。
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10/11  インド旅行記 ー私のみた北インド 
“ インドとは...”など滞在一週間のツア-では表現できない。
 面白いほど多様な国である。まず印象を列記してみよう。
  (以下、字数の関係でカット、2008年10月30日)
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「203」夢ー11  2001/10/30
 五~六年前にみた夢で忘れられないのが、自分の葬式の祭壇を見たことだ。
学生時代住んでいた部屋であった。久しぶりに寮の自分のいた部屋を覗くと、それがあった。
恐らくもう‘あの時の自分がもう終わってしまった’というシグナルだったのではなかろかうか。
 何か変な奇妙な印象が残っている。 どんどん変わっていく中で変わらないのが過去だけだ。
しかし夢でさえ、もうあの時の自分は消滅したといってくる。 それから一年に一度位見ていた
寮の夢をほとんどみなくなった。
 ーまたこんな夢もみた。
中東?の兵隊の自分が絞首刑になる夢である。7~8年前か。それを当人になっている自分と、
それを上から見ている自分がいた。その瞬間もう一人の違う自分に移り、やはり絞首刑を経験する夢。
いやに茶色の埃っぽいイメージが残っている。その前に確か廃墟の建物を訓練で数人と昇っていた。
 非常にリアルな、前世の自分の過去霊をが夢に出てきた?感覚であった。
これとは全く違うと思うが、瞑想をしていると、突如「タジージーダ」という人の名前?
が突如出てきた。「なんだこれは?」と今でもそれが何かわからない。情報のシャワーの中で、
脳が勝手にある単語を吐き出したのだと思われる。