つれづれに

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  今日のYoutube

 今日はシネマの日。 先週は面白そうなのがないのでパスをした。
今日は行く予定だが…… 



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3699, 自己を見つめる -20
2011年05月12日(木)
           「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 * 死について ー?       ーP・283
【 死の壁に突き当たって打ち砕かれ、この世での自己の赤裸々な実存の現実
 へと跳ね返されて、そこで、みずからの過去を背負い、あるべき将来を目指し、
現在の状況のなかに立って、熟慮し、行為し、人生の道を切り開いていって、
自己と他者と世界と存在のすべての意味ある本質充実を達成すべく格闘して
生きるよりほかにないが、それが人間が生きるということである。それはまた、
人間が生きつつ死ぬということであり、さらには死につつ生きるということ。
したがって、この世で生きる自己の存在の根底には、こうした死の存在論
概念が深く食い入っている。死を抜きにして、自己はなく、人生はなく、
この世の生存はない。無にさらされたものとしてのこうした人間的自己という
その必然的運命の自覚の上に初めて、具体的な医学的現象としての死の諸相も、
位置づけられうる。 自分が、癌で死ぬのか、事故で死ぬのか、成人病の悪化で
死ぬのか、老衰によって天寿を全うするのか、それは誰にも分からない。
しかし誰もが、この世に生まれてきた以上は、医学的な具体化を伴って出現する
死に早晩さらされることを自覚し、自己の無化を心得つつ、終わりある自己の
人生を深く銘記し、心の奥底でその覚悟を整え、その孤独な最期を密かに見つめ
ながら、いままさにこの世のさまざまな営為に携わって生存の努力を重ねている。 
こうした意味で、明るい現実の根底には、穴が穿たれ、虚無の風が吹き上げて
いると言ってよい。そこには、暗い無の深淵が、底なしの無気味さを湛えながら
広がっている。自己の存在の根底には、無が潜んでいる。考えてみれば、自己が
この世に存在する以前に、元来、自己は、どこにもなく、無であった。 
いま、自己は現世のなかの活動に浸って、一見確固たる実在感を覚えている。
しかし、無常のこの世は、うたかたのように過ぎてゆき、再び自己は、存在の
無のなかに沈み込む。無としての存在の大海のなかに、ひととき浮かび上がって、
浮き草のように漂い、必死にもがいて、確固たる存在を築きえたかに思った
自己存在は、やがてまた、無の大海に呑み込まれてゆく。ハイデッガーが言った
ように、死は、無の枢である。そこには、人間には窺い知れない存在の秘密が
隠されているとも言える。誰もその奥を覗き込んだ者はいない。さりながら、
かつて、エジプトのザイスの神殿に、帳で隠された女神が祀られていたが、
その帳を取り除けることに成功したある人物がそこに見たものは、不思議な
ことに、当の自分自身だったという。へーゲルやノヴァーリスが語るこの意味
深い言い伝えに従えば、存在の深淵を覗き込んで見出されるものは、実は、
当の自分自身である。・・その意味でも、死を含んだ、無としての存在が、
人間の真実であり、それ以外にどこにも存在の真理はないと言わねばならない。】
▼ 最後の章は死である。死は、ドーナツの穴と類推すると、面白い。
 穴はあって、ない。ドーナツの形状が穴を形づくっている。永六輔
「色即是空の色がドーナツで、真ん中の穴が、空」といみじくも言っていたが、
人間存在を色とすると、自己の存在の根底に潜みこんでいる死は、その穴の
ようなもの。ドーナツを食べてしまえば、その穴も無くなってしまう。
 また、ハイデッガーの「死は、無の柩」も考えさせられる。
無など元もとないのに、それを敢えて柩という著者のセンスが面白い。
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3334, 「ウェブ2.0」時代の大前流「情報活用術」
2010年05月12日(水)
 ー「知の衰退」からいかに脱出するか?  ー 大前研一 (著)ー7
             「ウェブ2.0」時代の大前流「情報活用術」
 ー まずは、その要点部分を抜粋し考えて見る ー (P 230)
≪ 今の若い世代から40代、50代の世代に至るまで、情報収集・管理・活用
 が下手になった。これは「○×式教育」の弊害である。答えはあらかじめ用意
されている、しかもそれは「○か」「×か」という世界で育つと、そもそも答え
を探すところからわからなくなっている。 手探りで失敗を繰り返しながら答え
を導き出すという習慣がない。そして、よしんば答えを得たとしても、それが正解
であるか間違いであるか検証する方法もしらないのである。だから、初めから
「新聞やテレビの情報は正しいものだ」という前提で、そこにある情報を収集し、
それを覚え込もうとする。これが間違いである。こんなことをすると、昨日の夕食
に何を食べたか思い出せないように、情報は体外にそのままストンと流れ出て
終わりである。 なぜ、体内に残らないのかと言えば、それは、本当に自分の血
となり肉となる情報でないばかりか、せっかく取り入れた情報でも自分で加工
しようとしないからだ。 情報といいうものは、加工しないことにはなんの価値
も生み出さない。いくら収集しても放置してしまえば、そこから何も生まれない。 
従って、手に入れた一時情報の意味を考え、時に疑い、ストックした情報と
照らし合わせて、栄誉のある情報だけを吸収して自分の中に取り込み、
あとは捨てる・・  ≪字数制限のためカット 2012年5月12日≫
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2959,閑話小題
2009年05月12日(火)
 * 金メダルを取れる人
「金メダルを取る人は、トップレベルの才能のある人は逆に取れない」という。
トップレベルの人を目標に背中を追っていた「三番手、四番手の人」の方が、
努力をするからである。一番手の才能の人は、そのこと自体の有難さが分からない
から努力をしなくなり、こぼれていく。その重なりの中で、結果として金メダル
の道を歩くことになる。必死に努力した方は、その努力に愛情を持っているから、
心の芯になってしまう。ここに金メダルと、途中で挫折する才能ある人の差が出る。
何か亀とウサギの御伽話のようだが、人生の深い示唆があるような話である。 
二代目が大成しないのと同じか!
 * 物語をつくる
 * エーゲ海クルーズと吉田類の酒場放浪記
 ≪字数制限のためカット 2011年5月12日≫


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2595, 閑話小題
 2008年05月12日(月)
 * シティーバンクが41兆円の資産売却の意味すること
ニュースでシティーバンクが総資産の2割にあたる41兆円を売却すると報じていた。
ということは、サブプライムローンで同額位の損失をしたと考えてよいだろう。
それが、世界全体の10~20%と見ても200~400兆円の損失と考えても
不思議ではない。シティだからこそ、それを売却して支える力があるから良いが、
殆どの金融機関が無理だろう。
  ≪字数制限のためカット 2010年5月12日≫
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2007年05月12日(土)
2230, 人生張っています 
                              ー読書日記
 それでは特に凄いウンコ話を抜粋してみた。オカマのマツコとの対談は、あまり
にも凄いので掲載はひかえる。「ニラを面倒なので、切らずに煮て食べた、そして・・・」 
オカマでなければ言えない話である。誰も長い人生で危機一髪か、近い経験をしているはず。 
ただ言うか言わないかだが、それを楽しんで話すところが異常? それを薄ら笑いを浮かべて
読んでいるのも似たようなもの。ある明治維新の立役者が、電車の開通の式典の後に乗った時
便意をもよおしシルクハットの中に急遽・・の逸話がある。
「あのバカ野郎!」は、アメリカでは「ファック、ユー!」だが、
日本は「クソたれ!」。それだけ日本人は、隠したがる恥になっている。
   *******
サイバラ:ウンコ漏らした?
 うさぎ:私がね。自分ちの玄関で。玄関までは、何とか我慢したんだけど。
サイバラ:ああ、そういう時は玄関なんか見ると、括約筋が開きますよね。
 うさぎ:開きますねェ~。全開してでしてねぇ。
サイバラ:全部出た?
 うさぎ:もぅ?、ボタボタと滝のように。しかも白のベルェサーチのワンピースを着てまして。
サイバラ:オオー、いい感じだ。
 うさぎ:夏物で、初めて着たんですが、捨てました。夫はビックリしたみたいで、
     猫と部屋に閉じこもっていました。 後始末は自分でしました。
サイバラ:私は片づけてあげたけどな。
 うさぎ:そうなんだ、鴨ちゃんがウンコもらしたんだ。
サイバラ:コンビニで買い物をしている時に、急に変な歩き方になって。
    満月の夜でさ。「フェー、かーちゃん、ウンコ漏らした」って泣きが入って。
   「真夜中のカウボーイ」みたいになって。スェットはいててその下から、ボトボトって。
これがまたぶっといの。しょうがないから、コンビニの袋でウンコ拾ってあげて。
泣いてる亭主の背中を撫ぜてやって、
   「何時までこの坂は続くのやら」と自分で自分に言って。
    ーーーー
  斉藤綾子:そうだ、知り合いの知り合いなんだけど、すごいウンコ話があるの。
うさぎ:(身を乗り出して)はい!
  綾子:首都高乗っていたら強烈な便意をもようして、どこかには入れるまで待てないって。
  窓開けてケツ出してやったって。
うさぎ:おおーっ!(拍手)
  綾子:すごいでしょ?歴代ウンコ話では一番と思って。
うさぎ:男ですか?
  綾子:女です。
うさぎ:ほほーう。
  綾子:何人か乗っていて、「悪いけど、ちょっとウンコするって」と言って。
うさぎ:外から見ると、窓から尻が出ているわけですね。風にちぎれて水平に流れていく
  ウンコですね。
  綾子:後ろの車のフロントにパンッとかね。事故が起きたかどうかわからないけど!
    ーーー
解)そういえば数年前TVで、マグロ釣りをしていた梅宮辰夫が、もようして船尾で尻を
 海に突き出して?? その直前まで写していたが・・・。先日のこと、ウォーキング
の土手で便秘の犬が凄い格好で何をしていた。その若い女性の飼い主が、その姿に真っ赤な
顔をしていた。
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 2006年05月12日(金)
1865, グーグル Google   (。・ω・)ノ☆゚+.オハヨゥゥゥ
            ー読書日記
この本の重要な要約部分がこの章に詰まっているので、
さらに破壊戦略の意味を書き写してみる。
ーー
第一章 世界を震撼させた「破壊戦略」ー4
さらに、驚くべきものが「グーグルブックサーチ」で、2004年にそのサービスを
スタートさせている。これは書籍の全文が検索でき、世の中の全ての書籍がグーグル
から検索できるようにすることを目指している。
≪字数制限のためカット 2010年5月12日≫
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2005年05月12日(木)
 1500, 人生の敗北者とはどんな人か??2
私の周辺でも、「人生の敗北者」の要素の強い人が何人かいる。「自分は純粋無垢で、
誠実で善良な人間であるいっぽう、自分以外のほとんどの人間は、不誠実な悪人たちと
信じて疑わない」という考え方の人である。「『無知』を起因としている」と考えざるを
得ないが、心のジャングルの中の暗い小道で、「知識」という光を持たないためである。
(字数の関係でカット09年05月12日)
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2004年05月12日(水)
1135、「ライフ・レッスン」?13
 ー遊びのレッスン
 遊びは仕事とともにもっとも大事にしなくてはならないことである。何のために
働くのかと問われれば、遊ぶために働いてますと真から答えることができ、何のために
遊ぶのですかと問われれば仕事をじゅうぶんできるために遊ぶのです、と答えることが
理想といえる。 遊びとはつかの間の気楽な時間ではなく、遊びのためだけに捧げられた、
じっさいの時間である。私にとって、この随想日記を書くことじたい遊びである。
遊びでなくては絶対に千回も書くことは無理。散歩も私にとって、最大の遊びである。
初めは腰痛対策であったが、いつの間にか遊びに昇華してしまった。歩いて楽しいのだ。
 晩年になって過去を振り返ったときに、あの時は良かったという記憶に残るのはやはり
無心で遊んでいた時であろう。それぞれの年代において、それぞれの遊びの中で我を
忘れて楽しんでいた時である。
ー抜粋
・われわれは趣味や遊びが何であるか忘れている。家具つくりを趣味でしている人が、
ある日突然「これを仕事にしよう」と思い立つ。好きなことをして、それが仕事になれば、
というかもしれない。しかし趣味とは成果を気にしないで純粋に楽しむものである。 
売るための家具をつくれば、もう趣味といえなくなる。 それは仕事である。そのことに
気づかずに、好きなことを、純粋に楽しめないことに ゆがめていく人が少なくない。
・面白くて、一日中でもやっていたい、本当に好きなことをやらずに、欲求を最大限
おさえて生きていくなんて、何ておぞましい人生だろう。遊びにかけているサファーを、
われわれは並以下の人間に感じる。しかし、真剣に問われるべきは、われわれの大半が
遊びのない世界に住んでいるのは何故かということだ。
・自分自身に上質な時間をあたえてほしい。愛する人とすごす上質な時間が必要だと
いうことを、誰もが知っている。ところが、自分だけのための、ひとりですごす上質な
時間もまた必要なのだ。 ひとり取り残された時間でも、気がついたらひとりになって
いたでもなく、純粋にひとりを楽しむ時間が一番大事だということを知ってほしい。
 ー以前書いた文章ー 
ー遊びについてー
人間にとって「遊び」は最も重要の一つである。そこで「遊び」とは何かを考えてみよう。
まずその達人を事例で考えてみる。一番身近では母がそのプロ?であった。戦前、戦中、
戦後の動乱期に10人の家族が生きていく中で、父とともに苦労の連続であった。
そして長男、次男の連続の不幸な死で今の重症のノイローゼーニ。心筋梗塞、死の一歩の
手前までいった。亡くなった時、医師の要望で心臓を解剖したら、心臓の4分1壊死していた。 
それを乗り越えた後は、それまでのエネルギーを遊びに全て向けていった。
約40年近く遊びきって亡くなった。日本舞踊、短歌、お花、旅行、茶道、写真。
毎日いそいそと何か遊びを見つけ楽しんでいた。子供ながらに、そのエネルギーに感心を
していた。遊びの重要さもそのため学んだ。父は「働く人」、母は「遊ぶ人」と役割分担
がハッキリしていた。ただ父も仕事の合間に、結構遊びを作っていた。「遊び」を儒教
影響の為か、キリスト教的倫理観の為か、罪悪と教えられてなかったか。子供のころ誰もが、
毎日目を光らせて遊んでいた。 ただただ無心に遊んでいた。あの遊びをいつの間にか
我々は忘れてしまった。人間は生きていかなくてはならない。その為に働かなくてはならない。
競争に打ち勝たなくてはならない。その為に勉強もしなくてはならない。しかしそれだけでは、
それだけの人生だ。それがクロなら、その対象の白が必要になる。どちらが大事かでない、
どちらも必要なのである。 それを特に母の生き様から学んだ。一般的にいうと、遊びの
優先順位があまり高くない。どうしてだろうか、生活をしていかなくてはならないからだ。
そして厄介な不安という心理がある。その為に、お金をセッセと溜め込まなくてはならない
「馬鹿な?生き物」である。遊びとは、「好きな事をして、それを楽しむ事」をいう。
そうすると、仕事も遊びになりうる?天才はその典型であろう。あの子供の時の遊びを
我々は忘れてしまった。 何でも遊びの対象にした「遊び心」を。
純真の心を失っているからだ。 「純真な遊び心」をいつの間にか忘れてしまった。
「遊んでないで、笑ってないでもっと真面目にやれ!」と暗示をかけられてないか?
私の趣味の一つにウオーキングある。初めは腰痛対策であった。今は大事な趣味ー遊び
になっている。純真に楽しいーのである。
 ≪字数制限のためカット 2011年5月12日≫
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2003年05月12日(月)
 768, 規制緩和
 この国が狂っているのは誰もが解っている事である。たまたまホテル業界は全く規制が
ない世界。その事が今になってみれば自分をすくうことになっている。ホテルは完成した
時がベストの状態で、必ず右下がりになっていく装置産業といってよい性格がある。
そこにもし規制があって、解除されたら後発の装置に対応ができない。小売業を
みてみると、過去に存在した大店法が流通業界そのものの脆弱な体質をつくった。
 ≪字数制限のためカット 2011年5月12日≫
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2002年05月12日(日)
 404, 結婚と離婚ー3
 ー夫婦というもの-
人生の永遠のテーマの為か、過去に多くのエピソードが多くのこっている。
まずはソクラテスの妻は悪妻で知られている。「哲学者になりたかったら、悪妻を持て」
というジョークがある。徳川家康の築山御前は、愛人と謀反を企て殺された。
あと息子も殺してしまった。夫婦の間には、永年の間に底なしの泥沼になってしまう。 
一時の熱で、一生後悔の人生を過ごさなくてはならないのは、悲劇より喜劇といってよい
のかもしれない。それが解ってたら誰も結婚をしないから、「恋愛という高熱の麻痺」
を神が創りあげたのだろう。誤解で結婚をして理解で離婚するのが、夫婦のある一面かも
しれない。といって一生の連れ添いは必要である。やはり生きていくうえでなくては
ならない存在である。特に離婚した人や死に別れをした人を見ていると、そう感じる。
やはり家庭ーそれも夫婦という基本形は大事にしなくてはならない。しみじみ感じる
年頃になってきたということか!「また生まれたらもらってね!」といって知人の
奥さんが亡くなった。いい言葉だ。