つれづれに

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  今日のYoutube

 4ヶ月ぶりに、早朝のチャリで信濃川土手一周をしてきた。
パンクとか雨で例年より一週間遅れのポタリングの開始。
開始して丸8年経過する。
 
 桜は、蕾で明日あたりから開花か。今週末が8分か満開か。




・・・・・・
2198, リーダーシップの旅
2007年04月10日(火)
                       才八∋ウ_〆(∀`●) 
     ー読書日記ー
 「リーダーシップの旅」 ー 見えないものを見る (新書)
                             野田 智義 (著),
     
    野田氏の考えを主として金井氏が聞き手として対談し、
    まとめたもので、サブタイトルは「見えないものを見る」である。
    二人の気持ちが、そのまま現れて解りやすい内容になっている。

    ー要点を先に言ってしまえばー
    *リーダーは、それに相応しい人がリーダーの仕事をするのではなくて、
    初めは、あることをやろうと思い立ち、自ら一歩踏み出すことがはじまりで、
    最初からリーダーだったわけではない。
    あることやり遂げることで初めてリーダーになる。
    それは私たち一人一人が、自分の生き方の中に発見するもの、
    生き様を問うことだ。
 
    創業を何度か経験をしてきたので、野田氏の言わんとするところが、
    いやというほど解る気がする。
    ツアーを使った秘境旅行でも、そのつど何処に行くかの選定の筋書きが始まる。
    だいたい家内の大反対から始まり、それでは私一人で行くとなり・・・
    この難関が一番大変である。
    周囲の反対で中止というのは、それだけのことでしかない。

:面白そうな部分を抜粋してみると・・:
 ーー
リーダーシップは「見えないもの」を見る旅だ。
ある人が、「見えないもの」、つまり現在、現実には存在せず、
多くの人がビジョンや理想と呼ぶようなものを見る、もしくは見ようとする。
そして、その人は行動を起こす。
世の中ではよく、リーダーはついてくる人(フォロワー)を率いる、
リーダーシップはフォロワーを前提とするなどと言われるが、私はそうは思わない。
旅はたった一人で始まる。 フォロワーは旅の途中で現れる。
リーダーと出会い、一緒に旅をする。
しかも、この時点で、しばしばリーダーは自分のリーダーシップには気づかない。

見たいものを見、やりたいことをやり、自身が描く目標に向かって歩いているだけで、
自分がリーダーシップを発揮しているとは意識しない。
リーダーとフォロワーが、実現したい何かに向かって、
ともに旅という時間と空間を過ごすプロセスで、お互いの共振関係が生じる。
決して、一方的な関係ではなく、相互の影響がそこにはある。
その中で、リーダーが見る「見えないもの」がフォロワーにも共感され、
いつしかフォロワーの目にも「見えないもの」が見え始める。
そんなリーダーの行動がフォロワーに向けて醸し出す「フェロモン」と、
フォロワーがリーダーに感じる賞賛によって、リーダーシップは結果として成立する。
リーダーは、リーダーになろうと思ってなったわけではなく、
「結果として」リーダーに「なる」のだ。  (21~22ページ)
 
    ーー
    社長になろうと思って社長になった人はいても、
    リーダーになろうと思ってリーダーになった人はいない。
    リーダーは自らの行動の中で、結果としてリーダーになる。
    はじめからフォロワーがいるわけではなく、
   「結果としてリーダーになる」プロセスにおいて、フォロワーが現れる。
    
    リーダーシップは、本を読んで修得するものでも、だれかから教わるものでもない。
    それは私たち一人一人が、自分の生き方の中に発見するものだ。
    リーダーシップはだれの前にも広がっている。
   「すごいリーダー幻想」から脱却し、こぼれ落ちそうだったリーダーシップを
    再び手の中に、自らを生きる選択肢として捉えること。すべてはそこから始まる。
    何かを見たいという気持ちがあれば、可能性は無限に膨らむ。
    自らが選択し行動することで、人は結果としてリーダーと呼ばれるのだ。(P39ぺージ)
ーー
中年がある時期、立ち止まり、自らの来し方を振り返ることには意味がある。
三十代半ばから四十代は、「人生の正午」に当たる。
学校を出て働き始めて二十年近くが過ぎ、定年を迎えるまで二十年少しを残している。
十分に経験を積み、現実もそんなに甘くないことは分かっている。
そのぐらいの年齢で、自分は本当に何を実現したかったのかを考え直す意味は
非常に大きいのではないだろうか。(中略)

今なぜ仕事をしているのか、その会社や組織で働くことにどういう意味があるのか、
自分のいる場所にとどまり、会社や組織、社会に対しても貢献できて、そして何より
自分が生きいきできる夢とは何なのかを、考えることもできるのではないか。
とどまって挑戦する。精一杯やって、どうしても駄目だったら、
別の場所を考え始めればいいのではないだろうか。
そう私は、強く、とても強く信じている。

中年の夢は、自分と真剣に向かい合い、よりよく生きるためのガイド役になりうる。
だだ、そうかといって、中年の夢が、神の啓示の如く、非連続に突如降りてくる
というわけでもないだろう。
むしろ今まで生きてきた自分、自分が無意識にしても大切にしてきた
自分との連続線上に、夢が浮かび上がってくるものだと考えられる。
                       (161~162ページ)

    「リーダーシップの旅」 ー 見えないものを見る (新書)
      野田 智義 (著), 金井 壽宏 (著)
    目次
   序章 「リーダーシップ」はなぜ心に響かないのか
   第1章 リーダーシップの旅
   第2章 なぜリーダーシップが必要なのか
   第3章 旅の一歩を阻むもの
   第4章 旅で磨かれる力
   第5章 返礼の旅                       
 ・・・・・・・・
ー以下は、あるHPにあった感想文であるー

著者はリーダーを「変革と創造を扱う人」と定義。
できないと思われていることを変える、これまでにないものを創り、
創りあげた後は当たり前として常識にしてしまうのがリーダーたるものという。
リーダーはひと握りの選ばれた人が担う役割ではなく、社会のあらゆるところ、
階層で必要な存在。周辺は「無理だろう」と手がつけられていない問題が山積している。
そこに切り込むのがリーダーの仕事である。
   「社長になろうと思って社長になった人間はいても、
    リーダーになろうと思ってリーダーになった人間はいない。
    リーダーは育てるものではなく育つものだ」と説いている。
    リーダーが育つ過程を「旅」になぞらえ、「リーダーシップの旅」は、
    けっして明るく楽しい旅ではなく、
   「暗い森の中、じめじめした沼地を歩き続けるようなもの」という。

「リーダーシップの旅」を3つのステージに分けて、
・第一ステージは「リード・ザ・セルフ」の段階で、
まずは、困難な旅への一歩を自分が歩み出すこととしている。
沼地を歩き続けるには「なぜ歩くのか」という信念が必要で、自分の基軸と呼ぶ。
人を導こうとするのではなく、自分が自分の旅をリードして、ひとり沼地を進み、
ふと振り返ったら仲間が付いてきていた。
それが「リード・ザ・セルフ」が実現した状態という。

・第二ステージは「リード・ザ・ピープル」の段階で、
 困難な旅を続けながらも、絶えず自発的に人がついてくる状態をいう。
旅には予期せぬ事態や思わぬ障害がつきものですが、リーダーがその対処に忙殺され、
いらだち、夢やロマンが見えなくなる。
「ある日突然振り返ったら誰も人がいなかった」という不安にさいなまれるようになる。
この不安と向き合いながら、旅を続けるには「無私」の精神が必要となる。「
私心と戦い「他者に活かされている自分」という感覚をもてるかどうか。
それが「リード・ザ・ピープル」の実現という。

・第三のステージは「リード・サ・ソサイエティ」の段階で、
自分を社会的な存在にまで高めることで、
松下幸之助本田宗一郎が到達した究極のリーダー像。
                 ホンジャ~~ヾ(´ω`)バイバイ
・・・・・・・
2006年04月10日(月)
1833, ずっとやりたかったことを、やりなさい-6
   才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)               
                ー読書日記ー

   この本の最後のページに書いてあった言葉である。
   言葉の効用を最も深くあらわしている。
   言葉は人を生かしもすれば、殺しもする!

じっくり考えると、般若心経が一番効用がある!
生まれる前も、死んだ後も、そこにあるのは「無」である。
いや「空」である。 全てが、そこに帰結するだけである。

   最後は一人である、人間は!
   身近な人の慰めをもとめても、
   深いところの慰めは得られることは少ない。
   
   先人の深い言葉は、数百年数千年の時空を超えて我われを元気付けてくれる。
   先人の言葉を探し求めれば、必ず我われを勇気づける言葉はある。

ー癒しの言葉ー

言葉を濡れた冷たい布切れのように折り畳み

あなたの額に置いてあげたい。

あなたの手首を包んであげたい。

ほら、ほらとその言葉は語りかけるだろう。

あるいは、もっとましな言葉を語りかけてくるかも知れない。

私は言葉に、何もかも大丈夫よと囁いてくれるに頼むだろう。

私は言葉に、あなたを一晩中抱いてくれるように頼むだろう。

熱で火ぶくれになり、やけどを負った箇所に

熱があなたを傷つけた箇所に

言葉を塗り込め、冷やし、なだめてあげたい。

名ずけようもない傷になっていた言葉を

言葉でもって癒してあげたい。
   ー
   丁寧にキヅ口に当てればタチマチ、傷口から優しさが沁みこみ、
   そして深い経験に昇華する。

             ε(´',_c')зβyё
・・・・・・・・
2005年04月10日(日)
1468, 通販の時代の到来

先日、NHKのニュースで
「韓国のホームショッピングが、デパートの売り上げと同額になった」
と報じていた。
・韓国では既にインターネットの普及率が70�を超えたこと
光ファイバーが隅々まで配置されている などが理由にあげられるという。、
結婚式などの無形商品もTVでそのサービスを見て選定をしてから、
2~3の会場に行って決定するという。

日本もここにきて、本格的に光ファイバーが家庭に普及しだしてきた。
数年もしないうちに韓国と同じような状態になるだろう。
このことは情報化の象徴的な現象とみることができる。
それにしても、TVショッピングがデパートの売り上げを超えようとは感慨深い。

私の場合は、電気製品を買う時は必ず価格ドットコムを見てから、
量販店に、その事実と価格を告げて数�を上乗せをして買う。
万一故障の時、直接メーカーと交渉するのが面倒だからである。
健康食品と書籍も、半分は直接ネット上で買っている。

生物は経験の重なりが知識・情報になり、その結果として進化してきた。
ところが、その情報がインターネットで瞬時で世界中に飛び交う時代になったのだ。
これは人類にとって大革命である。 そして、このことが社会を根底から変えている。
新潟の駅周辺にも、隠れ居酒屋が彼方此方に出来始めて何処も結構繁盛している。
リクルートなどが出している情報誌を見て、予約をしてくるという。

新幹線の中で、最近パソコンを使っている人が目立ち始めてきている。
また、事務所も自分のセクションのないフリーのものが増えてきたという。
パソコンに事務所機能が入っているのでセクションがないほうが合理的になる。
日本も光ファイバーが、会社と事務所に本格的に入ってきた。
さらにTV機能の付いたパソコンと携帯電話が一般的になってきた。
これらが社会にもたらす影響はこれから色いろなカタチで出てくるだろう。

一昔(5~6年前)では考えられない面白い時代になった。
経営する立場は大変である、一強多弱しかないのだから。

ーーーーー
2004年04月10日(土)
1103, マスコミは戦争地域には・・

今回イラクでこうそくされた邦人は何なんだろうという疑問がわく。
NPOに名を借りた1発屋のフリージャーナリストである。
現地に行って、その体験記や写真を新聞社に提供するのである。
リスクを売りにするのだから、殺されてもいたし方が無いともいえるのだ。
当然殺されるのも覚悟の上のイラク行きであったはずである。

以前「ヌーの河渡り」に行った時の、添乗員兼インストラクターが
自称「アフリカ専門何でも屋」であった。
TVでアフリカの事件が起きると何回かTVに出たことがあるが、殆どの人は
名前も顔も知らない。
アフリカの紛争地に日本のマスコミと契約をして、記者が行くには危険すぎるところに
乗り込んで行くのが仕事。

新聞社などの記者では、現地で死んだり、怪我をした時に、自社の社員には余りにも
リスクと金がかかりすぎる。
フリージャーナリストの存在は互いに都合がよいという。
生命の危機や虐殺の現場に何回も出くわしたが、慣れてくると、その危険が
たまらないという。日本に帰ると病院の精神科に通院しているとか。

マスコミは奇麗事をいっているが、実際に身体を張っているのは、そういう人なのだ。
アフガンの戦争時も、そういう日本人ジャーナリストが一時現地で行方不明になった
ことがあった。
今井さんという18歳の青年は、両親や兄に必死に止められたようだ。
しかし退避勧告の中に行ったことは、まぎれもない事実である。

・・・・・・・・・
2003年04月10日(木)
736, まずは「一日一図」から

 このホームページを開くきっかけをつくったのは久恒啓一著の
「インターネット勉強法」である。 先日、彼の本を買った、三冊目である。
『人生がうまくいく人は図で考える』である。
なるほど買って読んだら単純にみえたが、なかなかよい本である。
・なかでも「一日一図」がよい。
・それと「借図から創図へ」。
・「文図両道」
・また「図解は一日にしてならず」もよい。

 サッソクこの本の勧めるとおり、3日前から大学ノートに「一日一図」
専用ノートをつくった。 そこでまずは「借図」がポイントと気づいた。
気に入った図を、そのまま真似るのだ。
次に「図解は一日にしてならず」もなるほどと思った。
「借図」を続けることで、自分の「創図」をつくっていくのもうなずけた。

レオナルド・ダビンチなどの天才のノートは、空間を
タップリとって文と図を解りやすく書いてある。まさに「文図両道」である。
レオナルド・ダビンチのノートなどを借図にして、身につくまで真似ればよい。
しかし、なかなか図解するのは身に付かないものである。
そこで「1日一図」を実行するのが第一歩だ。
どこまで続くかだが、四行日記あたりをこれにしてもよいだろう。

まずは「随想日記の下書き」や「読書日記やその目次写し」から始めてみよう。
以下はインターネットのホームページからのコピーである。
   ・・・・・・・・
「図解 人生がうまくいく人は図で考える 」
久恒啓一
販売元: 三笠書房
■ 書評 ■

自分の人生を図で描いてみると、こらが意外と楽しい。「ここにこれを置いて、
こっちにこのことをっなげて、次には、最初は不足していた条件をくっっけて……」。
こんな調子で自分の人生図をっくっていくと、結構のめり込んでいく。楽しい上に、
バラバラだっ事柄同士のつながりが見え、今後の進むべき方向まですっきりしてくる。
たとえば、「人間関係」という項目では・三人の人間に図解してもらったが、三人が
三人ともまったく違う図を描いている。つまり、会社人間なのか、自分中心なのか、
友人関係だけで成り立っているのか、さらには、その人が今何を一番大切に考えて
いるのか、どういう人間なのか、生活のパターンといったことまでが、たった一枚の
図の中ですべて明らかになってしまうのだ。

・・・・・・・・
2002/04/10  不安解消法

学生時代読んだ本だが、カーネギーの「道は開ける」に書いてあった方法である。
記憶なので何処まで内容が正確か定かでないが書いてみる。

  ある不安があったとすると、
1、まずその不安な気持ちの対象を書き出す。
2、その不安のさらなる最悪の出来事を想定して書いてみる。
3、その解決方法を幾つか書き出してみる。
4、それが本当に起きるだろうかと、今一度自問してみる。
5、そのプロセスで不安感は消滅してしまう。

という内容だったように記憶している。
これを実行していく中で、不安症の性格がかなり修正された。
「まあその時はその時さ!」「何とかなるさ」
「考えても仕方ない事は、考えても仕方ないさ」が口癖になった。
不安を感じた時、それを直視すればそれは不安でなくなる。
それに対する方策を考えれば、それが不安そのものを解消する。
不安そのものが、手順を考えるプラス要素に逆転する。

実際にケニヤにはじめて行った時の不安は、想像以上であった。
添乗経験10年の女添乗員と家内がヒソヒソと不安そうに
ロンドンへの機内で話していた。 「ロンドンで降りようか」と。
実際タンザ二アやインドに行った時も「不安というプレッシャー」
が襲ってきたが、実際はその数百分の一でしかなかった。

その時時に、その不安を具体的に考え、その対処を具体的に考えていくしかない。
事業も然りであった。具体的に具体的に考えるしかない。
そして具体的に一つずつ解決していくしかない。
「それで済むな生易しい問題は、本当の不安でない」という言葉が聞こえそうだが。
「直視できない問題だから大変なんだ、不安なんだ」 それももっともだが。