つれづれに

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 今朝、今年初めての早朝のポタリング(自転車散歩)をしてきた。
まだ、寒く、自転車や散歩の人はチラホラ。
途中、福島江の桜をみたが、まだ二分咲。 自宅の庭の梅などの花は開花していた。
 


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1833, ずっとやりたかったことを、やりなさい-6
2006年04月10日(月)
                才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)               
                    ー読書日記ー
 この本の最後のページに書いてあった言葉である。
言葉の効用を最も深くあらわしている。
言葉は人を生かしもすれば、殺しもする!
じっくり考えると、
般若心経が一番効用がある!
生まれる前も、死んだ後も、そこにあるのは「無」である。
いや「空」である。
全てが、そこに帰結するだけである。
 最後は一人である、人間は!
身近な人の慰めをもとめても、
深いところの慰めは得られることは少ない。 
 先人の深い言葉は、
数百年数千年の時空を超えて我われを元気付けてくれる。
先人の言葉を探し求めれば、必ず我われを勇気づける言葉はある。

ー癒しの言葉ー

言葉を濡れた冷たい布切れのように折り畳み
あなたの額に置いてあげたい。
あなたの手首を包んであげたい。
ほら、ほらとその言葉は語りかけるだろう。
あるいは、もっとましな言葉を語りかけてくるかも知れない。
私は言葉に、
何もかも大丈夫よと囁いてくれるに頼むだろう。
私は言葉に、
あなたを一晩中抱いてくれるように頼むだろう。
熱で火ぶくれになり、やけどを負った箇所に
熱があなたを傷つけた箇所に
言葉を塗り込め、冷やし、なだめてあげたい。
名ずけようもない傷になっていた言葉を
言葉でもって癒してあげたい。
 ーー
 丁寧にキヅ口に当てればタチマチ、傷口から優しさが沁みこみ、
そして深い経験に昇華する。
             ε(´',_c')зβyё
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2005年04月10日(日)
1468, 通販の時代の到来

先日、NHKのニュースで
「韓国のホームショッピングが、デパートの売り上げと同額になった」
と報じていた。
・韓国では既にインターネットの普及率が70?を超えたこと
光ファイバーが隅々まで配置されている
などが理由にあげられるという。、
結婚式などの無形商品もTVでそのサービスを見て選定をしてから、
2~3の会場に行って決定するという。

日本もここにきて、本格的に光ファイバーが家庭に普及しだしてきた。
数年もしないうちに韓国と同じような状態になるだろう。
このことは情報化の象徴的な現象とみることができる。
それにしても、TVショッピングがデパートの売り上げを超えようとは感慨深い。

私の場合は、電気製品を買う時は必ず価格ドットコムを見てから、
量販店に、その事実と価格を告げて数?を上乗せをして買う。
万一故障の時、直接メーカーと交渉するのが面倒だからである。

健康食品と書籍も、半分は直接ネット上で買っている。

生物は経験の重なりが知識・情報になり、その結果として進化してきた。
ところが、その情報がインターネットで瞬時で世界中に飛び交う時代になったのだ。
これは人類にとって大革命である。
そして、このことが社会を根底から変えている。

新潟の駅周辺にも、隠れ居酒屋が彼方此方に出来始めて何処も結構繁盛している。
リクルートなどが出している情報誌を見て、予約をしてくるという。

新幹線の中で、最近パソコンを使っている人が目立ち始めてきている。
また、事務所も自分のセクションのないフリーのものが増えてきたという。
パソコンに事務所機能が入っているのでセクションがないほうが合理的になる。
日本も光ファイバーが、会社と事務所に本格的に入ってきた。
さらにTV機能の付いたパソコンと携帯電話が一般的になってきた。
これらが社会にもたらす影響はこれから色いろなカタチで出てくるだろう。

一昔(5~6年前)では考えられない面白い時代になった。
経営する立場は大変である、一強多弱しかないのだから。

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2004年04月10日(土)
1103, マスコミは戦争地域には・・

今回イラクでこうそくされた邦人は何なんだろうという疑問がわく。
NPOに名を借りた1発屋のフリージャーナリストである。
現地に行って、その体験記や写真を新聞社に提供するのである。
リスクを売りにするのだから、殺されてもいたし方が無いともいえるのだ。
当然殺されるのも覚悟の上のイラク行きであったはずである。

以前「ヌーの河渡り」に行った時の、添乗員兼インストラクターが
自称「アフリカ専門何でも屋」であった。
TVでアフリカの事件が起きると何回かTVに出たことがあるが、殆どの人は
名前も顔も知らない。
アフリカの紛争地に日本のマスコミと契約をして、記者が行くには危険すぎるところに
乗り込んで行くのが仕事。

新聞社などの記者では、現地で死んだり、怪我をした時に、自社の社員には余りにも
リスクと金がかかりすぎる。
フリージャーナリストの存在は互いに都合がよいという。
生命の危機や虐殺の現場に何回も出くわしたが、慣れてくると、その危険が
たまらないという。日本に帰ると病院の精神科に通院しているとか。

マスコミは奇麗事をいっているが、実際に身体を張っているのは、そういう人なのだ。
アフガンの戦争時も、そういう日本人ジャーナリストが一時現地で行方不明になった
ことがあった。
今井さんという18歳の青年は、両親や兄に必死に止められたようだ。
しかし退避勧告の中に行ったことは、まぎれもない事実である。

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2003年04月10日(木)
736, まずは「一日一図」から

 このホームページを開くきっかけをつくったのは久恒啓一著の
「インターネット勉強法」である。
先日、彼の本を買った、三冊目である。
『人生がうまくいく人は図で考える』である。
なるほど買って読んだら単純にみえたが、なかなかよい本である。
・なかでも「一日一図」がよい。
・それと「借図から創図へ」。
・「文図両道」
・また「図解は一日にしてならず」もよい。

 サッソクこの本の勧めるとおり、3日前から大学ノートに「一日一図」
専用ノートをつくった。
そこでまずは「借図」がポイントと気づいた。
気に入った図を、そのまま真似るのだ。
次に「図解は一日にしてならず」もなるほどと思った。
「借図」を続けることで、自分の「創図」をつくっていくのもうなずけた。

レオナルド・ダビンチなどの天才のノートは、空間を
タップリとって文と図を解りやすく書いてある。まさに「文図両道」である。
レオナルド・ダビンチのノートなどを借図にして、身につくまで真似ればよい。
しかし、なかなか図解するのは身に付かないものである。
そこで「1日一図」を実行するのが第一歩だ。
どこまで続くかだが、四行日記あたりをこれにしてもよいだろう。

 まずは「随想日記の下書き」や「読書日記やその目次写し」から始めてみよう。

以下はインターネットのホームページからのコピーである。
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「図解 人生がうまくいく人は図で考える 」
久恒啓一
販売元: 三笠書房
定価: 1000円 外税
出版年月: 2003/02
種類: 単行本
ISBN: 4837920136
新潟セゾンー
2003年4月
★★★

■ 書評 ■

自分の人生を図で描いてみると、こらが意外と楽しい。「ここにこれを置いて、
こっちにこのことをっなげて、次には、最初は不足していた条件をくっっけて……」。
こんな調子で自分の人生図をっくっていくと、結構のめり込んでいく。楽しい上に、
バラバラだっ事柄同士のつながりが見え、今後の進むべき方向まですっきりしてくる。
たとえば、「人間関係」という項目では・三人の人間に図解してもらったが、三人が
三人ともまったく違う図を描いている。つまり、会社人間なのか、自分中心なのか、
友人関係だけで成り立っているのか、さらには、その人が今何を一番大切に考えて
いるのか、どういう人間なのか、生活のパターンといったことまでが、たった一枚の
図の中ですべて明らかになってしまうのだ。

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2002/04/10
不安解消法

学生時代読んだ本だが、
カーネギーの「道は開ける」に書いてあった方法である。
記憶なので何処まで内容が正確か定かでないが書いてみる。

  ある不安があったとすると、
1、まずその不安な気持ちの対象を書き出す。
2、その不安のさらなる最悪の出来事を想定して書いてみる。
3、その解決方法を幾つか書き出してみる。
4、それが本当に起きるだろうかと、今一度自問してみる。
5、そのプロセスで不安感は消滅してしまう。

という内容だったように記憶している。
これを実行していく中で、不安症の性格がかなり修正された。

「まあその時はその時さ!」「何とかなるさ」
「考えても仕方ない事は、考えても仕方ないさ」が口癖になった。
不安を感じた時、それを直視すればそれは不安でなくなる。
それに対する方策を考えれば、それが不安そのものを解消する。
不安そのものが、手順を考えるプラス要素に逆転する。

実際にケニヤにはじめて行った時の不安は、想像以上であった。
添乗経験10年の女添乗員と家内がヒソヒソと不安そうに
ロンドンへの機内で話していた。
「ロンドンで降りようか」と。

実際タンザ二アやインドに行った時も「不安というプレッシャー」
が襲ってきたが、実際はその数百分の一でしかなかった。

その時時に、その不安を具体的に考え、その対処を具体的に考えていくしかない。
事業も然りであった。具体的に具体的に考えるしかない。
そして具体的に一つずつ解決していくしかない。

「それで済むな生易しい問題は、本当の不安でない」
という言葉が聞こえそうだが。

「直視できない問題だから大変なんだ、不安なんだ」
それももっともだが。

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<おわらい>

失敗は成功が元!
    あの人の場合
       失敗は性交が元