「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
   * 「怠」―「1日四時間労働」の夢
 「怠」の肯定の論など、それもラッセルというから、驚いた。 ーまずはその辺りからー
《 英国の哲学者であり数学者であったバートランド.ラッセルは、一九三二年『怠惰への讃歌』という論文を雑誌に発表。
怠けることは「いいことなのだ」といえば、昔はむろん、いまでもかなりの反発を買うことになるだろう。お前は怠け者の
味方をするのか、この世に怠け者が横行すればマジメに働くものは損をする、働くことをおろそかにする世の中なんか
おしまいだ、などなど非難のツブテはつきないだろう。
 怠けることは大切なことだと主張したラッセルでさえ、「何もしないで怠けているものには、悪魔がいたずらをする」
という子どものころに聞いた格言を紹介し、怠けることを恐れるあまり、いままで一生懸命に働きつづけてきたと回想する。
それでもなお、ラッセルは「仕事はよいものだ」という信念こそ、恐ろしく多くの害をひきおこしていると主張する。
 ラッセルはなぜ「仕事はよいものだ」という世問一般の常識を批判し、「怠惰はよいものひぽだ」という主張をしたのか。
人びとが生きるうえで大切なのは、「閑」である、という思いがラッセルの主張の根幹にある。
 勤労は神聖であり、働くことはすばらしいものだという考え方は、支配者、富裕階級が、働くものにそう思いこませる
ためにいいつづけ、その企みが一般にもひろまったとラッセルは考える。 
 少数の特権階級は、他人の労働のおかげでたくさんの閑な時間を享受している。自分たちの快適な閑を守るためにも、
特権階級は働く人に向かい、「働くことは大事なこと」といいつづけてきた。
 「私が本当に腹からいいたいことは、仕事そのものは立派なものだという信念が、多くの害毒をこの世にもたらしている
ということと、幸福と繁栄に至る道は、組織的に仕事を減らしていくにあるということである」と、ラッセルは書いている。
文明が起こってから産業革命まで、人ぴとはせっせと働いてきた。妻も、働ける年齢になった子ども働いてきた。
 しかし、最低の生活支える分しか手元には残らず、食料は支配者階級が管理した。飢饉のときは、余剰物資は支配階級の
管理下にあり、多くの労働者は餓死した。労働者たちは、十分な閑をもつどころではない貧しい暮らしをつづけいた。 》
▼ 「人生で最も大切なことに縁が無くなるのは、暇な時間が無いため」と、ラッセルが指摘する。 私の選んだ事業は
 装置産業だった。 当たりさえすれば、当分は何もしないで済む時間が、褒美として差し出される。 当初は、戸惑い、
暇を持て余し次の設置に取組んで、最後は、過剰投資でダウンした。しかし、その間の膨大の時間は、何ものにも
代えがたい贈物であった。 冷静に考えれば、長期装置産業など、この激変の時代に、そぐわないが、後悔が少ないのは、
膨大の「怠」の時間を得ていたため。これは当事者でなければ理解できない実感。そのため、解放された現在、肩に羽が
はえ、空中を飛んでいる感覚がある。いずれも、同じでしかない、ということ。 生きるのは、辛く、哀しく、面白く、
滑稽な、ことである。 立場が変われば、見方も変わる、ということ! 振返ると、挫折して呆然としていた時に、
人生で一番、必要なことをしていた。 聖書を読んだり、講演を聞きに行ったり、旅をしたり、溢れる言葉の整理とか・・
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4407, 閑話小題 ー自転車の修理
2013年04月10日(水)
   * 自転車の修理
 一昨日はチャリのパンク。で、何時もの自転車屋に持っていくと、オヤジさん、転んで左手を骨折で修理が出来ないという。
「手伝うので直してほしい」と言うと、しぶしぶ納得。 そこで思ったのが、自分でも可能でないかということ。
「こんど泊り込みでサイクリングに出たいがパンクが不安。で、見ていて私でも直せそう」というと、「問題は修理道具だが、
二本の専用ヘラがあれば、タイヤ外しと装着が手軽に出来る。HCにはパンク部分はゴムのノリ付シールがついたパンク修理
セットが売られている」という。一寸した靴の修理と同じである。 靴も自転車も専門家が直すもの、というバイアスが
かかっているだけのこと。それか千二百円を割り切って払うか? 次回、考えてみようか!
   * 絆とは
 絆は家畜などをつなぎとめる綱の意味。 言葉の通じない人間と家畜が、互いに生きていくため、鼻や首につけられる綱が
転じて義理や人情の喩えになった。互いが、その綱だけで繋がっている危うい関係をいう。そのため、震災での助け合いの
繋がりに使うのに無理がある。阿部首相が米国との絆を強調したが、毎日新聞に「日本は米国の家畜と受け止められる」と
批判されたのも、記憶に新しい。絆という言葉に何か危うさ弱さを感じるのは私だけでないはず。とはいえ、身内や自宅や
共同体を失って路頭に迷った時、頼れるのは親戚縁者と共同体の繋がりしかないのも事実。いまだ避難民が20万世帯もいると
思うと、「絆の批判」など、とんでもないこと。 人と人の間で生きているから、人間。その繋がりが絆ということか。
   * ネットラジオ
 書斎コーナーのBGMはネットラジオを聴いている。iTunesで、世界中の千局のテーマ別スタジオから音楽を聴ける。
思いもよらぬ曲が次々と飛び込んでくるが、これが新鮮で良い。人は、思いもよらぬ仮想の中で気持ちが解放される。
それは未知の音楽の中に近道があるようだ。こういう音楽を気楽に聴けるようになったのは、バイアスがとれてきたため。
ジャズ、ソウル、カントリーなどジャンル別だったり、70、80、90年代のヒット曲別だったり、分類も豊富。
音楽好きだったら、たまらないはず。少し目をネット上に向けると、こういうのが無制限に手に入れることが出来る時代、
それを如何に楽しめるかどうか? そのためには若い人の間に居ないと。 バイアスが外れる度、外は広く、内は深くなる!
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4033, シングルイン、31年間の総括 ー9
2012年04月10日(火)
    * つれづれに ー9割がた終了
 抵当に入っていた自宅は家内が買い取ることになり、新潟駅前の物件5つを加え、すべて決着。
弁護士曰く、「あれから一年、世の中はグチャグチャ。 この環境下、見切り千両というより、見切り万両といってよい。
これだけの物件で金融関係が全く異議をいってこないのは、初めて。」 という訳で、9割方終了という。 一瞬早い決断は、
問題を数分の一にしてしまう。あとは個人保証債権をサービッサーと交渉して家内が買いとるか、破産するか一年がかりになる。
これが残りの一割。 「この時世の中、全ての物件が一年で処分できたことに逆に銀行に感謝された!」と弁護士。
これで現時点で、絵に描いたような撤収。 これも一連の事業の範疇。 経理担当OOさんの管理が完璧だったことが背後にある。  
夜逃げ、首吊りか、合理的撤収になるかは一瞬の決断の間合い。 それでも心の傷が癒えるに数年はかかる。これは、
時間の経過と、問題の中心点に気持ちを集中し続けるしか、解決はできない。多くの要素が絡んだ原因と結果でもあるからだ。 
 一度、社会から身をひくと、経済と社会の流れに鈍感になる。 表立ってないが、深く景気の悪化が進んでいるようだ。 
起こってしまった東北大震災と、今後予測される大震災を、連日マスコミで流されれば、住宅関連、車、家電など買う気がなくなる。 
その中で運良く全ての物件が売れてくれた。 ホテルの装置は稼働していないと、内臓(ボイラー、配管)が時間とともに腐り、
買い手がいなくなる。 最悪の場合、建物撤去が必要になり、価値が更に暴落することを銀行は知っている。その結果、個人保証に
厳しい姿勢になる。 破産をすれば、それで終わるが、拗れると個人破産にも異議が出る。しかし生きたままの債権移動は、買い手も、
銀行も、債務者も良い、「三方両得」になる。 目安が3〜5年先と思っていたので、歴史的異常時の中、有難い結果である。
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3667, 節目どきに ー2
2011年04月10日(日)
  今回の ? を当事者の目線で現状分析すると、
・ 9・11、9・15、の経済震災と、3・11の自然震災の直撃で、事業としての立ち居地が悪かったこと! 五割が、これ。
・ 三割がネットなど情報化の影響が直撃、そこにビジネス客の首都圏より二時間圏内の日帰りの徹底が
  地方都市駅前ホテルを衰退を招いたこと。グローバル化で、特に、この10年地方経済が衰退したことがある。
・ 最後の二割が、鉄とセメントの装置産業で身動きが取れなかったことと、部屋在庫を多く持ちすぎたことである。
・ さらに当方として30年という事業年齢の満期にきたこともある。 
    これらを読めなかった能力不足が全てといえば、その通り。 しかし、(これを読めというのか?)という内なる声。
  結果からすれば、創業後10年辺りの最盛期に事業転換をすべきだったが、これはあと講釈。 
 この3つの経済震災と自然震災の結果について、震災は震災として割り切るしかない。その辺の、したり顔の下司講釈など・・
 宮城の震災地の真っ只中で、「こんなところで事業をしている御前が悪い」とか言う輩はいないが(いや何は何処にもいるか?)、
 経済震災になると、その辺の類推がでない人が大部分だろう・・・。 今回の災害そのものを大地震とすると、恐慌という
 大津波が何波も、もう、そこにきているのに、情報コントロール下のため?か、大部分の国民は、分かってない? 
  今年は2012年の前年である。この三年は10〜20メートル・クラスの経済破壊の大津波と、放射能汚染などのパニックが
 起こってくる。 たとえとして、ソ連解体直後のロシアの大混乱?や、中国の文化大革命(推定3〜7千万人の??)
 に匹敵する混乱を日本に想定すればイメージがわいてくる。 リーマンショックが日本経済を直撃している最中に、
 日本史、いや世界史に残る、大震災に直面するとは! 東日本のリゾートホテル・旅館は、客が5分の1、10分の1という。
 長岡の奥座敷といわれるホテル街は、ほぼ客がゼロとか。 中越地震で立ち直りかけた矢先に豪雪と、これ。 青色吐息でなく、
 黒色吐息。 それにしても、原発事故の行方がサッパリみえない暗い日日が続く。このままでは経済の先行きは真っ暗。
 この原発事故の汚染が、このまま収まるとは思えない。 農業、漁業、土木、建設、第三次、第四次産業も、
 輸出産業など、どれをみても・・・。 どうなるのだろうか?   何をかいても曳かれし者の戯言 か、これは。
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3302, ブログ向けビデオカメラ
 2010年04月10日(土)
新聞で、ブログ用に特化したデジカメを二種類を比較対照した記事があった。発売当初から両方とも興味があったので早速、
近くの家電量販店に行ってみた。たまたま、真剣に見ていたためだろう、女店員が来て詳しく説明をしてくれが、なるほど
実物は思ったよりズット良かった。衝動買いは必ず後悔することを経験上知っているので、パンフレットだけを貰ってきた。 
ネットで調べて迷ったあげく、結局はアマゾンで買ってしまった。 ヨドバシカメラの値段より、25パーセントはやすい。
16GBのSDカードを別口に注文をして3万1千である。ちなみにヨドバシは、カード込みで4万弱だった。
一方のソニーのものと最後まで迷ったが、5千円高い方の、これにした。 シンプルだが、非常に使いかってがよい。 
5年前なら軽く20万はしただろう。デジカメとして800万画素もあるので、デジカメにビデオが付いているという感覚である。
(字数制限のためカット 2012年4月10日)
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2927,中沢新一の『三位一体モデル』 −6
 2009年04月10日(金)
 *「三位一体モデル」を使った演習  ー �
「三位一体モデル」を実際の知人の仕事を当てはめて演習をしてみたが、考えさせられる。
実際に丸を重ね合わせて三つ書いて、その一つの「子」の円に、職業を書き込んで、次ぎに「父」、そして「子」の順に
書き込んでいく。 それが、なかなか面白いのである。 その前に、我われの生存ベースである幻想としての
 「国家」、「国民」、そして「家族」から考えてみる。
* まずはー「国家」ーから
 子=  国家
 親=  国家成り立ちの神話 日本なら「天皇神話」から、これまでの歴史と、これからの方向を示す羅針盤
 精霊= 文化、文明(国家としての教養)。国民と、その民度。国家としての政治・経済・軍事力・警察力。
* 次に、ー「国民」ー
 子=  国民
 親=  国家憲法、法律、それを維持する暴力装置(対外的には軍隊、対内的に警察)。これに愛国心
 精霊= 公共施設(道路、河川、鉄道、公園、学校 etc)、都市、街、村、故郷、政治家、芸術家、経済力、など・・
* 国家のベースとしてのー「家庭」ーとは
 子=  家族
 親=  血統、家柄。家訓、家そのもの。
 精霊= 子孫、盆暮れの集まり。家族の団欒。家族旅行。 
国家は、共同幻想の典型と言われるが、長い歴史に裏付けられた蓄積がある。日本では天皇制度である。
人間の「なすべき基準、価値観のベース」は、国家のために何をすべきかに行き着く。
我われの安全を最後に守るのは国家である。それが軍隊であり、警察という暴力装置である。
現在の憲法は、明らかにアメリカ庇護を前提として作られている。庇護は建前で実態は隷属である。
この憲法である限り、日本は衰退するしかない。右翼みたいなことを言うが、グローバル化になればなるほど、
ベースとしての国家の強固の基盤が必要になる。 無理だろうが・・          つづく
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2563, ディープ・スロート
2008年04月10日(木)
ディープ・スロート 』ー大統領を葬った男  ボブ・ウッドワード著    ゜+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゜
これも図書館で見つけた本である。これが出版されていたことは知っていたが、買うほどではないと、判断していた。
 あまりに奇抜で、生々しいから目をそむけたのだろう。まずは、アマゾンの紹介文からして、面白い。
 ー内容
ニクソン大統領を辞任に追い込んだ「ウォーターゲート事件」から33年。新米記者ボブ・ウッドワード
地下駐車場で極秘情報をリークしていた人物が名乗りを上げた。当時のFBI副長官マーク・フェルトだった。
フェルトが死ぬまで秘密を守り抜く覚悟でいたウッドワードが、その告白を受けて初めて明かす、
フェルトとの出会い、情報源秘匿のエピソード、その後の二人の関係…。
(字数制限のためカット 2010年4月10日)
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2007年04月10日(火)
2198, リーダーシップの旅  才八∋ウ_〆(∀`●)  ー読書日記ー
  「リーダーシップの旅」ー 見えないものを見る   野田 智義 (著),
 野田氏の考えを主として金井氏が聞き手として対談し、まとめたもので、サブタイトルは「見えないものを見る」である。
 二人の気持ちが、そのまま現れて解りやすい内容になっている。
*リーダーは、それに相応しい人がリーダーの仕事をするのではなくて初めは、あることをやろうと思い立ち、
  自ら一歩踏み出すことがはじまりで、最初からリーダーだったわけではない。あることやり遂げることで初めてリーダーになる。
それは私たち一人一人が、自分の生き方の中に発見するもの、生き様を問うことだ。創業を何度か経験をしてきたので、野田氏の
言わんとするところが、いやというほど解る気がする。ツアーを使った秘境旅行でも、そのつど何処に行くかの選定の筋書きが始まる。 
だいたい家内の大反対から始まり、それでは私一人で行くとなり・・その後、家内が従う物語になる。
この難関が一番大変である。周囲の反対で中止というのは、それだけのことでしかない。
  :面白そうな部分を抜粋してみる:
リーダーシップは「見えないもの」を見る旅だ。 ある人が、「見えないもの」、つまり現在、現実には存在せず、
多くの人がビジョンや理想と呼ぶようなものを見る、もしくは見ようとする。そして、その人は行動を起こす。
世の中ではよく、リーダーはついてくる人(フォロワー)を率いる、リーダーシップはフォロワーを前提とするなどと
言われるが、私はそうは思わない。旅はたった一人で始まる。 フォロワーは旅の途中で現れる。リーダーと出会い、
一緒に旅をする。しかも、この時点で、しばしばリーダーは自分のリーダーシップには気づかない。
見たいものを見、やりたいことをやり、自身が描く目標に向かって歩いているだけで、
自分がリーダーシップを発揮しているとは意識しない。リーダーとフォロワーが、実現したい何かに向かって、
ともに旅という時間と空間を過ごすプロセスで、お互いの共振関係が生じる。
決して、一方的な関係ではなく、相互の影響がそこにはある。その中で、リーダーが見る「見えないもの」が
  フォロワーにも共感され、いつしかフォロワーの目にも「見えないもの」が見え始める。
そんなリーダーの行動がフォロワーに向けて醸し出す「フェロモン」と、フォロワーがリーダーに感じる賞賛によって、
  リーダーシップは結果として成立する。リーダーは、リーダーになろうと思ってなったわけではなく、
「結果として」リーダーに「なる」のだ。  (21〜22ページ)
(字数制限のためカット 2012年4月10日)
 ーー
中年がある時期、立ち止まり、自らの来し方を振り返ることには意味がある。三十代半ばから四十代は「人生の正午」に当たる。
学校を出て働き始めて二十年近くが過ぎ、定年を迎えるまで二十年少しを残している。
十分に経験を積み、現実もそんなに甘くないことは分かっている。 そのぐらいの年齢で、
  自分は本当に何を実現したかったのかを考え直す意味は非常に大きいのではないだろうか。(中略)
今なぜ仕事をしているのか、その会社や組織で働くことにどういう意味があるのか、自分のいる場所にとどまり、会社や組織、
社会に対しても貢献できて、そして何より自分が生きいきできる夢とは何なのかを、考えることもできるのではないか。
とどまって挑戦する。精一杯やって、どうしても駄目だったら、別の場所を考え始めればいいのではないだろうか。(161〜162P) 
  (2008/04/09字数の関係でカット)        ホンジャ~~ヾ(´ω`)バイバイ
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2006年04月10日(月)
1833, ずっとやりたかったことを、やりなさいー6  (^ω^*)  ー読書日記ー
この本の最後のページに書いてあった言葉である。言葉の効用を最も深くあらわしている。
言葉は人を生かしもすれば、殺しもする!じっくり考えると、般若心経が一番効用がある! 
生まれる前も、死んだ後も、そこにあるのは「無」である。いや「空」である。全てが、そこに帰結するだけである。
最後は一人である、人間は身近な人の慰めをもとめても、深いところの慰めは得られることは少ない。先人の深い言葉は、
数百年数千年の時空を超えて我われを元気付けてくれる。先人の言葉を探し求めれば、必ず我われを勇気づける言葉はある。
 ー癒しの言葉ー
言葉を濡れた冷たい布切れのように折り畳み あなたの額に置いてあげたい。あなたの手首を包んであげたい。
ほら、ほらとその言葉は語りかけるだろう。あるいは、もっとましな言葉を語りかけてくるかも知れない。
私は言葉に、何もかも大丈夫よと囁いてくれるに頼むだろう。私は言葉に、あなたを一晩中抱いてくれるように頼むだろう。
熱で火ぶくれになり、やけどを負った箇所に 熱があなたを傷つけた箇所に言葉を塗り込め、冷やし、なだめてあげたい。
言葉でもって癒してあげたい。
▼ 丁寧にキヅ口に当てればタチマチ、傷口から優しさが沁みこみ、そして深い経験に昇華する。   ε(´',_c')зβyё
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2005年04月10日(日)
 1468, 通販の時代の到来
先日、NHKのニュースで「韓国のホームショッピングが、デパートの売り上げと同額になった」と報じていた。
・韓国では既にインターネットの普及率が70?を超えたこと
光ファイバーが隅々まで配置されている などが理由にあげられるという。、
結婚式などの無形商品もTVでそのサービスを見て選定をしてから、2〜3の会場に行って決定するという。
日本もここにきて、本格的に光ファイバーが家庭に普及しだしてきた。
数年もしないうちに韓国と同じような状態になるだろう。このことは情報化の象徴的な現象とみることができる。
それにしても、TVショッピングがデパートの売り上げを超えようとは感慨深い。私の場合は、電気製品を買う時は
必ず価格ドットコムを見てから、量販店に、その事実と価格を告げて数?を上乗せをして買う。
万一故障の時、直接メーカーと交渉するのが面倒だからである。健康食品と書籍も、半分は直接ネット上で買っている。
生物は経験の重なりが知識・情報になり、その結果として進化してきた。ところが、その情報がインターネットで瞬時で
世界中に飛び交う時代になったのだ。これは人類にとって大革命である。 そして、このことが社会を根底から変えている。
新潟の駅周辺にも、隠れ居酒屋が彼方此方に出来始めて何処も結構繁盛している。リクルートなどが出している情報誌を見て、
予約をしてくるという。新幹線の中で、最近パソコンを使っている人が目立ち始めてきている。
また、事務所も自分のセクションのないフリーのものが増えてきたという。パソコンに事務所機能が入っているので
セクションがないほうが合理的になる。日本も光ファイバーが、会社と事務所に本格的に入ってきた。さらに
TV機能の付いたパソコンと携帯電話が一般的になってきた。これらが社会にもたらす影響はこれから色いろなカタチで
出てくるだろう。一昔(5~6年前)では考えられない面白い時代になった。経営する立場は大変である、
 一強多弱しかないのだから。
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2004年04月10日(土)
 1103, マスコミは戦争地域には・・
今回イラクでこうそくされた邦人は何なんだろうという疑問がわく。NPOに名を借りた1発屋のフリージャーナリスト。
  (字数制限のためカット 2011年4月10日)
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2003年04月10日(木)
736, まずは「一日一図」から
 このホームページを開くきっかけをつくったのは久恒啓一著の「インターネット勉強法」である。 
先日、彼の本を買った、三冊目である。『人生がうまくいく人は図で考える』である。
(字数制限のためカット 2013年4月10日)
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2002/04/10  
 不安解消法
学生時代読んだ本だが、カーネギーの「道は開ける」に書いてあった方法である。
記憶なので何処まで内容が正確か定かでないが書いてみる。
 ある不安があったとすると、  
1、まずその不安な気持ちの対象を書き出す。     2、その不安のさらなる最悪の出来事を想定して書いてみる。
(字数制限のためカット 2010年4月10日)