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今日のYoutube

 昨日はチャリで悠久山に行ったが、まだ5分咲きだった。
で、今日は来るまで駐車場まで行き、歩いての桜の花見。
今までのコースは、腰の痛みで、半周して、後は明日の
早朝にすることにした。 信濃川の一周コースに比べて、
何か暗くて重苦しいが、一年に一度のイベント・・・
 6時半から一時間弱だったが、人出は、例年どおり。



・・・・・・
2198, リーダーシップの旅
2007年04月10日(火)
                才八∋ウ_〆(∀`●) 
     ー読書日記ー
 「リーダーシップの旅」 ー 見えないものを見る (新書)
                       野田 智義 (著),
     
    野田氏の考えを主として金井氏が聞き手として対談し、
    まとめたもので、サブタイトルは「見えないものを見る」である。
    二人の気持ちが、そのまま現れて解りやすい内容になっている。

    ー要点を先に言ってしまえばー
    *リーダーは、それに相応しい人がリーダーの仕事をするのではなくて、
    初めは、あることをやろうと思い立ち、自ら一歩踏み出すことがはじまりで、
    最初からリーダーだったわけではない。
    あることやり遂げることで初めてリーダーになる。
    それは私たち一人一人が、自分の生き方の中に発見するもの、
    生き様を問うことだ。
 
    創業を何度か経験をしてきたので、野田氏の言わんとするところが、
    いやというほど解る気がする。
    ツアーを使った秘境旅行でも、そのつど何処に行くかの選定の筋書きが始まる。
    だいたい家内の大反対から始まり、それでは私一人で行くとなり・・・
    この難関が一番大変である。
    周囲の反対で中止というのは、それだけのことでしかない。

:面白そうな部分を抜粋してみると・・:
 ーー
リーダーシップは「見えないもの」を見る旅だ。
ある人が、「見えないもの」、つまり現在、現実には存在せず、
多くの人がビジョンや理想と呼ぶようなものを見る、もしくは見ようとする。
そして、その人は行動を起こす。
世の中ではよく、リーダーはついてくる人(フォロワー)を率いる、
リーダーシップはフォロワーを前提とするなどと言われるが、私はそうは思わない。
旅はたった一人で始まる。 フォロワーは旅の途中で現れる。
リーダーと出会い、一緒に旅をする。
しかも、この時点で、しばしばリーダーは自分のリーダーシップには気づかない。

見たいものを見、やりたいことをやり、自身が描く目標に向かって歩いているだけで、
自分がリーダーシップを発揮しているとは意識しない。
リーダーとフォロワーが、実現したい何かに向かって、
ともに旅という時間と空間を過ごすプロセスで、お互いの共振関係が生じる。
決して、一方的な関係ではなく、相互の影響がそこにはある。
その中で、リーダーが見る「見えないもの」がフォロワーにも共感され、
いつしかフォロワーの目にも「見えないもの」が見え始める。
そんなリーダーの行動がフォロワーに向けて醸し出す「フェロモン」と、
フォロワーがリーダーに感じる賞賛によって、リーダーシップは結果として成立する。
リーダーは、リーダーになろうと思ってなったわけではなく、
「結果として」リーダーに「なる」のだ。  (21~22ページ)
 
    ーー
    社長になろうと思って社長になった人はいても、
    リーダーになろうと思ってリーダーになった人はいない。
    リーダーは自らの行動の中で、結果としてリーダーになる。
    はじめからフォロワーがいるわけではなく、
   「結果としてリーダーになる」プロセスにおいて、フォロワーが現れる。
    
    リーダーシップは、本を読んで修得するものでも、だれかから教わるものでもない。
    それは私たち一人一人が、自分の生き方の中に発見するものだ。
    リーダーシップはだれの前にも広がっている。
   「すごいリーダー幻想」から脱却し、こぼれ落ちそうだったリーダーシップを
    再び手の中に、自らを生きる選択肢として捉えること。すべてはそこから始まる。
    何かを見たいという気持ちがあれば、可能性は無限に膨らむ。
    自らが選択し行動することで、人は結果としてリーダーと呼ばれるのだ。(P39ぺージ)
ーー
中年がある時期、立ち止まり、自らの来し方を振り返ることには意味がある。
三十代半ばから四十代は、「人生の正午」に当たる。
学校を出て働き始めて二十年近くが過ぎ、定年を迎えるまで二十年少しを残している。
十分に経験を積み、現実もそんなに甘くないことは分かっている。
そのぐらいの年齢で、自分は本当に何を実現したかったのかを考え直す意味は
非常に大きいのではないだろうか。(中略)

今なぜ仕事をしているのか、その会社や組織で働くことにどういう意味があるのか、
自分のいる場所にとどまり、会社や組織、社会に対しても貢献できて、そして何より
自分が生きいきできる夢とは何なのかを、考えることもできるのではないか。
とどまって挑戦する。精一杯やって、どうしても駄目だったら、
別の場所を考え始めればいいのではないだろうか。
そう私は、強く、とても強く信じている。

中年の夢は、自分と真剣に向かい合い、よりよく生きるためのガイド役になりうる。
だだ、そうかといって、中年の夢が、神の啓示の如く、非連続に突如降りてくる
というわけでもないだろう。
むしろ今まで生きてきた自分、自分が無意識にしても大切にしてきた
自分との連続線上に、夢が浮かび上がってくるものだと考えられる。
                       (161~162ページ)

    「リーダーシップの旅」 ー 見えないものを見る (新書)
      野田 智義 (著), 金井 壽宏 (著)
    目次
   序章 「リーダーシップ」はなぜ心に響かないのか
   第1章 リーダーシップの旅
   第2章 なぜリーダーシップが必要なのか
   第3章 旅の一歩を阻むもの
   第4章 旅で磨かれる力
   第5章 返礼の旅                       
 ・・・・・・・・
ー以下は、あるHPにあった感想文であるー

著者はリーダーを「変革と創造を扱う人」と定義。
できないと思われていることを変える、これまでにないものを創り、
創りあげた後は当たり前として常識にしてしまうのがリーダーたるものという。
リーダーはひと握りの選ばれた人が担う役割ではなく、社会のあらゆるところ、
階層で必要な存在。周辺は「無理だろう」と手がつけられていない問題が山積している。
そこに切り込むのがリーダーの仕事である。
   「社長になろうと思って社長になった人間はいても、
    リーダーになろうと思ってリーダーになった人間はいない。
    リーダーは育てるものではなく育つものだ」と説いている。
    リーダーが育つ過程を「旅」になぞらえ、「リーダーシップの旅」は、
    けっして明るく楽しい旅ではなく、
   「暗い森の中、じめじめした沼地を歩き続けるようなもの」という。

「リーダーシップの旅」を3つのステージに分けて、
・第一ステージは「リード・ザ・セルフ」の段階で、
まずは、困難な旅への一歩を自分が歩み出すこととしている。
沼地を歩き続けるには「なぜ歩くのか」という信念が必要で、自分の基軸と呼ぶ。
人を導こうとするのではなく、自分が自分の旅をリードして、ひとり沼地を進み、
ふと振り返ったら仲間が付いてきていた。
それが「リード・ザ・セルフ」が実現した状態という。

・第二ステージは「リード・ザ・ピープル」の段階で、
 困難な旅を続けながらも、絶えず自発的に人がついてくる状態をいう。
旅には予期せぬ事態や思わぬ障害がつきものですが、リーダーがその対処に忙殺され、
いらだち、夢やロマンが見えなくなる。
「ある日突然振り返ったら誰も人がいなかった」という不安にさいなまれるようになる。
この不安と向き合いながら、旅を続けるには「無私」の精神が必要となる。「
私心と戦い「他者に活かされている自分」という感覚をもてるかどうか。
それが「リード・ザ・ピープル」の実現という。

・第三のステージは「リード・サ・ソサイエティ」の段階で、
自分を社会的な存在にまで高めることで、
松下幸之助本田宗一郎が到達した究極のリーダー像。
                 ホンジャ~~ヾ(´ω`)バイバイ
・・・・・・・
2006年04月10日(月)
1833, ずっとやりたかったことを、やりなさい-6
   才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)               
                ー読書日記ー

   この本の最後のページに書いてあった言葉である。
   言葉の効用を最も深くあらわしている。
   言葉は人を生かしもすれば、殺しもする!

じっくり考えると、般若心経が一番効用がある!
生まれる前も、死んだ後も、そこにあるのは「無」である。
いや「空」である。 全てが、そこに帰結するだけである。

   最後は一人である、人間は!
   身近な人の慰めをもとめても、
   深いところの慰めは得られることは少ない。
   
   先人の深い言葉は、数百年数千年の時空を超えて我われを元気付けてくれる。
   先人の言葉を探し求めれば、必ず我われを勇気づける言葉はある。

ー癒しの言葉ー

言葉を濡れた冷たい布切れのように折り畳み

あなたの額に置いてあげたい。

あなたの手首を包んであげたい。

ほら、ほらとその言葉は語りかけるだろう。

あるいは、もっとましな言葉を語りかけてくるかも知れない。

私は言葉に、何もかも大丈夫よと囁いてくれるに頼むだろう。

私は言葉に、あなたを一晩中抱いてくれるように頼むだろう。

熱で火ぶくれになり、やけどを負った箇所に

熱があなたを傷つけた箇所に

言葉を塗り込め、冷やし、なだめてあげたい。

名ずけようもない傷になっていた言葉を

言葉でもって癒してあげたい。
   ー
   丁寧にキヅ口に当てればタチマチ、傷口から優しさが沁みこみ、
   そして深い経験に昇華する。

             ε(´',_c')зβyё
・・・・・・・・
2005年04月10日(日)
1468, 通販の時代の到来

先日、NHKのニュースで
「韓国のホームショッピングが、デパートの売り上げと同額になった」
と報じていた。
・韓国では既にインターネットの普及率が70?を超えたこと
光ファイバーが隅々まで配置されている などが理由にあげられるという。、
結婚式などの無形商品もTVでそのサービスを見て選定をしてから、
2~3の会場に行って決定するという。

日本もここにきて、本格的に光ファイバーが家庭に普及しだしてきた。
数年もしないうちに韓国と同じような状態になるだろう。
このことは情報化の象徴的な現象とみることができる。
それにしても、TVショッピングがデパートの売り上げを超えようとは感慨深い。

私の場合は、電気製品を買う時は必ず価格ドットコムを見てから、
量販店に、その事実と価格を告げて数?を上乗せをして買う。
万一故障の時、直接メーカーと交渉するのが面倒だからである。
健康食品と書籍も、半分は直接ネット上で買っている。

生物は経験の重なりが知識・情報になり、その結果として進化してきた。
ところが、その情報がインターネットで瞬時で世界中に飛び交う時代になったのだ。
これは人類にとって大革命である。 そして、このことが社会を根底から変えている。
新潟の駅周辺にも、隠れ居酒屋が彼方此方に出来始めて何処も結構繁盛している。
リクルートなどが出している情報誌を見て、予約をしてくるという。

新幹線の中で、最近パソコンを使っている人が目立ち始めてきている。
また、事務所も自分のセクションのないフリーのものが増えてきたという。
パソコンに事務所機能が入っているのでセクションがないほうが合理的になる。
日本も光ファイバーが、会社と事務所に本格的に入ってきた。
さらにTV機能の付いたパソコンと携帯電話が一般的になってきた。
これらが社会にもたらす影響はこれから色いろなカタチで出てくるだろう。

一昔(5~6年前)では考えられない面白い時代になった。
経営する立場は大変である、一強多弱しかないのだから。

ーーーーー
2004年04月10日(土)
1103, マスコミは戦争地域には・・

今回イラクでこうそくされた邦人は何なんだろうという疑問がわく。
NPOに名を借りた1発屋のフリージャーナリストである。
現地に行って、その体験記や写真を新聞社に提供するのである。
リスクを売りにするのだから、殺されてもいたし方が無いともいえるのだ。
当然殺されるのも覚悟の上のイラク行きであったはずである。

以前「ヌーの河渡り」に行った時の、添乗員兼インストラクターが
自称「アフリカ専門何でも屋」であった。
TVでアフリカの事件が起きると何回かT