つれづれに

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  今日のYoutube

鼻風邪になり、一週間経過する。 
一週間、休んでいたジムも、今日から行く予定。
じっとして家に籠もってTVを見ているのも悪くない。



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3923, 閑話小題
2011年12月22日(木)

   * 北朝鮮のドン様が亡くなった
 北朝鮮の金主席が、お隠れになった。三男が後継者になって、当分は内部把握に集中せざるを
得ないか、早々のクーデターが起こるか。 体制が体制だけに、誰も今後の予測は不可能。 
国家としての理想といえば、若手軍部の蜂起が起きて、中国に類似した開放政策をとる
集団指導体制をつくりあげることだが、無理だろう。 このまま三代目への権力の移動が順調にいって、
今までの延長も考えにくい。中国にとって都合の良いのは何か?と考えると、リスクを負ったとしても
若手軍部のクーデター。 とすると数年後、閉鎖的な老いた軍部が実権を持った後に、若手が金一家
の追放というのが筋書きとして見えてくる。その意味で、安物の時代がかった物語が進行していく。
ドン様の御陰で、国民はたまったものではないが、軍部など、これまでの体制の役人の利権は大きく、
これを根底から潰すことは至難の技。
   * 歪んだ年寄りに近づくな! 歪むな!
 まさか自分が65歳になるとは!と、妙な感慨にふけることがある。そして、ふと自分を振り返って
みて、「自分が歪んだ年寄りになりかけている?」と、疑念を持つことがある。同年代の歪みが見える
からである。老化は心まで歪んでくるというが成る程と思うことしきり。他者を見れば一目瞭然だが
自分には見えてない。法事などで年寄の愚痴を聞くと無上に悲しく思っていたが、自分が、その年齢に
なってしまった。それは合わせ鏡で、自分で気づくしかない。教養とは、そのために必要な知識だが、
年齢には叶わない。肉体と精神が相まって人間性が作られるが、肉体が老い、病気がちになると、
精神も歪んでくるのが自然の摂理。その結果が老醜というやつ。 過去の仕事柄、色いろな人間の内側
が見える立ち位置に長年いた。 そして40年近くの事業で因縁のあった知人も私と同じように老いていく。 
「世界も、私も、同時に腐っていく」という言葉があるが、まさに、それが人生でもある。老い、
嫌われ、孤立し、最後は独居老人になっていく。スポーツジムで、歪んだ人は直ぐに分かる。
健康を正す場だから始末が悪い。老化=歪みの進行となると気が滅入る。人生には色いろな時節に
絶え間なく難問が押し寄せる。その対処がマトモなうちはよいが、それに押しつぶされていく。 
自分の好きなことに熱中するのが対処になる。

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3558, 「プレイボーイの人生相談 1966-2006」 -1
2010年12月22日(水)
         「プレイボーイの人生相談 1966-2008)
 まずアマゾンの内容紹介から :真の教養人による人生相談の最高傑作!
古くは柴田錬三郎今東光開高健、最近では松本人志リリー・フランキーなど錚々たる
メンバーによる、時代は変わっても決して色あせない珠玉の人生訓や哲学を集めた記念碑的1冊!
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いや、面白い本を図書館で見つけた。どのページをランダムに開いて読んでも、ニヤリとさせられる。
 やはり、まず見るのは今東光である。べランメイ調で甘っちょろい若者の悩みを切って捨てている。
  * つまるものを探せばいい
● 質問≪厭世主義つていうのか、オレは人生っててちっとも面白いと感じたことがないんだ。 よく
「自殺は敗北だ」なんていうけど、つまらない映画だったらさっさと途中で出ていっても敗北 でもなん
でもないと同じで、人生だってつまらなかったらさっさと自殺していいんだと思うけど、 これでも
やっぱり「人生に負けた」ことになるんですかね。ー死ぬのは平気なんだけど負けるのは大嫌いな男より。≫
● 解答≪自殺より最初に人生についていうと、全部の人間に聞いてみな、「おまえの人生、つまってるか?」って。
 みんな「つまらねえよ」って言うよ。そのつまらない中で、どうしたらつまるか、つまり、つまるものを
見出していく発見だ、この能力を養わなかったらどうにもならねえんだよ、人生は。どこへ行っても
つまるものを発見するという能力をまず養う。能力というより、そういう努力をするということだ。
織田信長がある日、手をたたいて人を呼んだ。おそばの小姓が「ハイッ」と入ってきて、おじぎして
「ご用は?」「なんにもない。帰れ」。またポンポン……。
「ご用はっ?」、何人来てもみんな「帰れ」そして「帰れ」。そうしたら最後、森蘭丸が入ってきた。
 信長がじっと見てたら、すっと来て、おじぎをする前に、小さな糸くずが落ちているのに気づいた。
 それを指でつまんでから「何のご用でございますか?」。「呼んだのは、その糸くずを拾わせるためじゃ」
 これで信長は、「蘭丸というやつは注意深い、偉いやつじゃ」というんで登用した。他のやつはみんな落第よ。
 信長ばかりじゃない。会社だって、学校だって上役、先輩も全部、やはりそういう人間を要求してるんだ。
 それ考えりゃあ、つまらない人生もつまるようにできる。オレも「坊主の世界はつまらん、つまらん」とも言って
るけど、つまるようにいつでもやってるから、忙しくて面白くてな、愉快でたまらんのだ。それでもつまらなかったら、
 さっさと死んでしまえばいい。オレは別にとめやせん。生きてる意味を自分で放棄したんだから、勝手に死にゃあいいさ。≫
  解)独り遊びが出来れば、人生は面白いはず。その代表的なのが読書。最近はTV、パソコン、屋外スポーツがある。
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3183, つれづれに ー閑話小題 
 2009年12月22日(火)
 * 古町の老舗書店「北光社」の閉店
古町の大和の斜向かいにある「北光社」が来月で閉鎖をするという。大和百貨店も春先に閉鎖するというから
古町にとって大打撃。残るは三越だけになってしまった。 ダウンタウン化が、さらに進むことになる。大和が
撤退したあとは、その客を取り込めるか、それとも、更なる地盤沈下でダウンするかで、三越の存在も決まってくる。 
新潟駅の街中商店街の存在も大きい。それにしても、小さな書店の閉鎖に新潟日報の反応が、あまりに大きい。
日曜日の朝刊の一面と社会面のトップ扱いである。それだけ象徴的な存在だったのである。情報化社会で本を
読む人が少なくなったことに加え、アマゾンなどのネットからの注文が増加していることもある。
 * 質素で退屈で憂鬱な時代
リーマンショック直後に、慶応の池尾和人教授が、2010年代は「質素で退屈で憂鬱な時代」になる、といっていた。
なるほど、最近の時代風潮であり、自分の気持ちでもある。 「空虚で回顧的で溜息の時代」ともいえる。
それが、一昨日のNHKのゴールデンタイムの「坂之上の雲」の明治時代の回顧と、続いて放送された
「マネー資本主義ウォール街の怪物復活である。 再びアメリカのウォール街で、マネーゲームが復活はじめた
レポート。結局、その最大の被害者は、弱者で、強者は、直ぐに復活をしてくるのである。で、質素は別に悪く
ないこと。退屈と憂鬱は気持ちの問題である。なら、それは、それで、割り切ることも必要ではないか。
「空虚で、回顧的で、溜息」よりは、よい。 人口減少も、世界の先進国に先駆け、見本を示すことになる。
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2818, いやいや、驚いた
2008年12月22日(月)
 *娑婆は 色いろあるものだ。
 10日前に面白い?手紙が来た。 自宅前のアパートのオーナー?と名乗る突然の手紙。
十八年分のアパートの駐車場の電気代の割り当ての請求という。
18年×5300円=113万円分の向う三軒両隣の「融雪用電気料金」五軒分の分割、24万円の徴収の願いという内容。
(字数制限の関係でカット 09年12月22日)
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2007年12月22日(土)
2453, 歌舞伎町事変(1996~2006)      ー読書日記
  「歌舞伎町事変」文ー李小牧  写真ー権 徹
歌舞伎町案内人と呼ばれるこの街を知り尽くした中国人、李小牧不夜城の暴力と欲望の全てを写し撮る
ため徘徊し続ける韓国人写真家、権徹。歌舞伎町の生の姿を撮りつづけた10年分の記録である。殆どが白黒と、
カラーの写真で彩られている。いつの間にか新宿歌舞伎町の魔界のヤクザと警官と不法滞在外人などの緊迫した
世界に引き込まれてしまう。恐いもの見たさでついつい見ているうちに、カメラマンの目なってしまっている。
歌舞伎町裏社会の話が当事者から生の写真でレポートされているから迫真に迫っている。新潟とはいえ
飲食繁華街で商売をしているので、知っていた方がよい情報で満ちている。 韓国人、中国人の目で見ている
のも切口を鋭くしていた。これを読んでいると、あまり一見の店には行けなくなる。
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 P-44
2001年年9月11日が歴史の転換期であったように、03年4月年は、2003年4月22日は、歌舞伎町にとって
大きなターニングポイント。
(字数制限の関係でカット 10年12月22日)
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2006年12月22日
 2089, 道教儒教    おはようございます!
  少し硬い一席を!        
  昔から中国では二つの役割を儒教道教が果してきた。中国人は長い歴史の中で、
  功なれば儒教の徒になり、失意の時や隠居の身になった時は、道教を奉じるようになる。
儒教は、人間社会を構成していく基盤として男性原理的でありを説き、それぞれの分を戒め、
それに忠実に従うことを求める。
・それに対し道教は、老荘の哲学が元になっている。無為自然を基本におき、人間の色いろな規則から
なる社会の掟をことごとく否定。また儒教などを超越した世界に住むことが最上としており、女性原理
に支えられる。道教自然主義は傷ついた心を癒す力になるが、現実からの逃避主義ともいえる。
 孔子は時の権力者に都合のよい思想をつくり上げ売り込んだという見方がある。
 それは自分の思想で世の中を良くしたいという一心から出たものである。
 どちらかというと窮屈な悲観的イメージがついてまわる。
 「自省・反省」を常に自分に課す思想といえるが、その「自省・反省」という裏には、
 常に「世間的に認められる人」になりたいという意味が隠されている。
 その「認められる人」は社会的に偉い人ではなく「人間としてでき上った人」の意味が強い。
 これに対して、老子孔子の世俗的なものを根本から否定する。
 山の中の一軒屋に住んで仙人的な生活を良しとするイメージがついてまわる。
 どうでもよいことに汲々とするな、無為自然に日々を生きよと説く。
    老子の思想の中で「三宝」が説かれている。「慈」と「倹」と「先に立たず」である。
   ・「慈」は、万物を包容する広さ、
   ・「倹」は、自分の状況に応じて慎ましやかにしていられる心のゆとり、
   ・「先にたたず」は、名声を求めない心の落ちつきである。
 これを持つためには、私利・私欲を捨てさえすれば自然の中にいるような、無心の気持ちに
なれると説く。常に大宇宙のような森のように大自然であれ。人為的な差別や争いから一歩退いて
水のように柔軟であれ。名利にとらわれないで、自らを誇るな。 足るを知れ。 大自然の道に従え。 
等々である。
ーー
以上であるが、学生時代に貝塚茂樹著「諸子百家」の中の『師徒行伝』と、『老子の哲学』『荘子の立場』
を読んだ。その本が現在、手元にあるが、学生時代の感想は、孔子に対しては「権力者に尾を振る人」、
老子には「山中の田畑を耕して隠れ住む人」、荘子は「農家で晴耕雨読をする人」であった。
今でも論語に対しては、「何で自分から首輪をつけなければならないのか?」という気持ちは変わらない。 
あくまで教養の一端として把握しておけばよい、というレベルしか理解していないということ?
この思想を手っ取り早く言えば、厳しい父親と、優しい母親ということ!
得意の時は心の中で父親と酒を交わし、失意の時は母親とお茶でも飲んで社会を鳥瞰している
イメージか。
            ごきげんよう さようならm(__)m
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2005年12月22日(木)
1724, なにを遺せるのだろうか     ~~旦⊂(・∀・ )マァ チャ!
中野孝次
「何を遺せますか」という本がある。実際のところ我われは後世に一体何が遺せるのだろうか?
この本に、人が死後に遺せそうなものについてあれこれ検討してみたが、結局最もたしかな後世に
遺せるものは人間性である、というくだりがある。財産を残すことができるが、通常こだわっている
目に見えるものー金、家、土地、遺言、宝物、宝石等は、いずれは消滅する。著者は後世に残せる
ものは唯一人間性であるという。
                       【゜Д゜】y─┛~~~
遺すべき考えられるモノ・コトを目次にあげてそれぞれを説明しているが、
その幾つかをみると成る程と考えさせられる。
 以下は目次からひろってみた項目である。
ー?ー
勲章

(字数制限の関係でカット 11年12月22日)
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2004年12月22日(水)
1359, 「23歳の日記」ー8
ー9月01日 1969年
新潟の六日町の雲屯