つれづれに

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 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=tkZ7Tyf7_YM&feature=related

 北は結局は何も出来なかった。 アメリカの中国に対する圧力が見え見えだが、
反対に韓国も、それ以上も出来なかったということになる。

 そうそう、今年の総括の文章を書いてない。 朝鮮戦争の勃発がなかったので、
本格的恐慌前の、凪というところか。 来年、再来年、集中治療室で治療していた分、
その反動がくる。 エコポイントの反動景気、如何するんでしょうか?
それより、政治が再編成に向けて大揺れになる。 それを狙われて、円高とか、
株の暴落がくる。

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こうして、過去の自分の文章を読んでいると、もう違う人間のように実感する。 
過去は、存在したことは間違いないが、今はない? それなら元もとないのと同じかどうか。
哲学書で、その辺を突き詰めて考えている。過去の文章に「私」と書いてあるが、現在の「私」と
どう違うのだろうか?あの時の「私」になるが、その間に私は変化をし続けている私になる。
年齢も肉体も日々刻々、変化をしていく。そして、10,20年後に存在しなくなった時、
それから現在を考えた時、現在の自分は、過去の10,20,30年前の自分を考えると、
未来と、過去の間に浮いている存在である。それは一見、横に直線的に流れている感覚は
あるが、果たして、横に流れている錯覚でしかないのではないか?とう、毎日、同月同日の
文章をカットしながら早朝、考えている。 それはそれで、考えれば考えるほど、面白い。
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2006年12月22日
 2089, 道教儒教  <(_ _)><(_ _)> おはようございます!
  少し硬い一席を!        
  昔から中国では二つの役割を儒教道教が果してきた。中国人は長い歴史の中で、
  功なれば儒教の徒になり、失意の時や隠居の身になった時は、道教を奉じるようになる。
儒教は、人間社会を構成していく基盤として男性原理的でありを説き、それぞれの分を戒め、それに忠実に従うことを求める。
・それに対し道教は、老荘の哲学が元になっている。無為自然を基本におき、人間の色いろな規則からなる社会の掟をことごとく否定。 
 また儒教などを超越した世界に住むことが最上としており、女性原理に支えられる。
 道教自然主義は傷ついた心を癒す力になるが、現実からの逃避主義ともいえる。
 孔子は時の権力者に都合のよい思想をつくり上げ売り込んだという見方がある。
 それは自分の思想で世の中を良くしたいという一心から出たものである。
 どちらかというと窮屈な悲観的イメージがついてまわる。
 「自省・反省」を常に自分に課す思想といえるが、その「自省・反省」という裏には、
 常に「世間的に認められる人」になりたいという意味が隠されている。
 その「認められる人」は社会的に偉い人ではなく「人間としてでき上った人」の意味が強い。
 これに対して、老子孔子の世俗的なものを根本から否定する。
 山の中の一軒屋に住んで仙人的な生活を良しとするイメージがついてまわる。
 どうでもよいことに汲々とするな、無為自然に日々を生きよと説く。
    老子の思想の中で「三宝」が説かれている。「慈」と「倹」と「先に立たず」である。
   ・「慈」は、万物を包容する広さ、
   ・「倹」は、自分の状況に応じて慎ましやかにしていられる心のゆとり、
   ・「先にたたず」は、名声を求めない心の落ちつきである。
    これを持つためには、私利・私欲を捨てさえすれば自然の中にいるような、無心の気持ちになれると説く。 
    常に大宇宙のような森のように大自然であれ。人為的な差別や争いから一歩退いて水のように柔軟であれ。
    名利にとらわれないで、自らを誇るな。 足るを知れ。 大自然の道に従え。 等々である。
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以上であるが、学生時代に貝塚茂樹著「諸子百家」の中の『師徒行伝』と、『老子の哲学』『荘子の立場』を読んだ。
その本が現在、手元にあるが、学生時代の感想は、孔子に対しては「権力者に尾を振る人」、
老子には「山中の田畑を耕して隠れ住む人」、荘子は「農家で晴耕雨読をする人」であった。
今でも論語に対しては、「何で自分から首輪をつけなければならないのか?」という気持ちは変わらない。 
 0∧ ∧
 [^ェ^]
  ===  わん
000( ω ω ) 彡
あくまで教養の一端として把握しておけばよい、というレベルしか理解していないということ?
この思想を手っ取り早く言えば、厳しい父親と、優しい母親ということ!
得意の時は心の中で父親と酒を交わし、失意の時は母親とお茶でも飲んで社会を鳥瞰しているイメージか。
            ごきげんよう さようならm(__)m
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2005年12月22日(木)
1724, なにを遺せるのだろうか     ~~旦⊂(・∀・ )マァ チャ!
中野孝次
「何を遺せますか」という本がある。実際のところ我われは後世に一体何が遺せるのだろうか?
この本に、人が死後に遺せそうなものについてあれこれ検討してみたが、結局最もたしかな後世に
遺せるものは人間性である、というくだりがある。財産を残すことができるが、通常こだわっている目に見えるもの
 ー金、家、土地、遺言、宝物、宝石等は、いずれは消滅する。著者は後世に残せるものは唯一人間性であるという。
                       【゜Д゜】y─┛~~~
遺すべき考えられるモノ・コトを目次にあげてそれぞれを説明しているが、その幾つかをみると成る程と考えさせられる。
 以下は目次からひろってみた項目である。
ー?ー
勲章

お金                カネ・マネ+.゜(●´I`)b゜+.゜
暮らしのなかの器と道具
コレクション
原稿・手紙
日記
寄付
臓器移植

木を遺す
会社
人類の文化           ビンボウ ノコソッ!  (=^ε^= )”’(;`・ω・)ノ ---===≡【えぇ?!マジ?】
普段何げなく考えていることを、              ウソ! (^┰^;)ゞ
整然と書かれているのを見ると考えさせられる。
人は死んで何を遺すかというー生の結末から、いかに生きるべきかが逆に見えてくる。
我われを成り立たせている物や事を取りあげ、死後に遺すに足るか否かを検討、
「最もたしかな後世に遺せるものは人間性である」と結論づけている。子供達の残るものは親の性格の一部である。
多くの姉と兄を見ていてつくづく感じることである。この時代の大激変の渦中、自分の残せるものを見つめ、
逆算することこそ必要だろう。      バイ!(。・o・。)ノ
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2004年12月22日(水)
1359, 「23歳の日記」ー8
ー9月01日 1969年
新潟の六日町の雲屯庵にきている。学生時代に司法試験のため一人勉強している三条の高橋さんがいた
新井石龍禅師と、早速話しをさせてもらう。私「世の中こんなに厳しいとは思ってもいませんでした!
理屈と実社会との隔離に、ただただ驚いています」
禅師「世の中は、変わりはしない。世の中が厳しいのではなく、あなたの理屈が甘かっただけの話です。」
私「・・・・・」その夜、日本にきていた慶応卒で、ハーバード大ビジネス・スクールの在学中の同じ歳の人と、
高橋さんと、そこの雲水と話をする。ところが、その雲水が博学で、高橋さんと私はダンマリ。
ハーバードと雲水の議論に全くついていけないのだ。どうしたのだろう?
禅師に昼間真っ二つに甘さを指摘され、夜は夜で二人の議論についていけない自分が、ここにいる。
何だろう、何だろう、何だろう! 実践としてスーパーに入ったが、何にもできない中途半端な自分が存在し、
現実として濁流の中で、もう溺れかけてアップアップしているだけの自分が、神戸の垂水の地で一人呆然としているだけ。
どうしたのだ、どうしたのだ。適当に真面目に考えることもないが、早くいま一度、ゼロから知識の再構築をしないと。
逃げ込んだところで、逆に叩きのめされてしまった。
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2003年12月22日(月)
 992, クリスマス
 クリスマスといえば色いろ思い出がある。子供の頃ツリーを買ってきて,電飾を姉たちと作った時のトキメキを
クリスマスソングを聞くと思い出す。パリのシャンゼリデ通りの電飾の美しさも忘れられない。
またフィンランドヘルシンキのクリスマスイブの氷を張りつめたような神聖な思い出がある。
街全体が張り詰めた独特の雰囲気に包まれていた。丁度、日本の年越しに似ている。
 会社でスペインに行ったときの帰りに立ち寄ったのだ。その時、何かの時間待ちに会社の和田さんと
二人で30分ばかり街を歩いたのが、いやに記憶に残っている。昔の正月の街を歩いたような既視感が印象的であった。
最近は不景気のせいか、あまりデコレーションスケーキの派手な販売は殆ど見られなくなってしまった。
 昨日ダイエー光ファイバーで出来たツリーを買ってきた。ふとレジの横を見ると半額セールで1500円。
糸状の先に小さな光が点滅する幻想的なものであった。家で飾ったところ思ったよりずっと良かった。
ミニサンタなどと供にクリスマスの雰囲気がでてきた。インターネットでクリスマスと検索したら、
以下の内容が印象的であった。
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 ークリスマスを楽しむ24の方法ー
クリスマス・グランデからちいさな提案です。
01:指折り数えて待つ。 待つことで見えてくるものがあるはず。
02:書を捨てよ、街へ出よ。 参考書はなし。肌で感じることからはじめましょう。
03:毎年、を持つ。 プレートでもカードでも。積み重ねる月日の上にあなたがいます。
04:手紙を書いてみる。 言うは易し書くは難し…僕は手紙というものが苦手です(^^;
05:今年あったいいことを書き出す。 たぶん、今年会ったいい人のリストに?
06:三年後に残したいものは何か? 三日後でも百年後でもなく、三年後を考えてみてください。
  -あとは略
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 以上だが、 何かブルークリスマス用の楽しみ方みたいだ。
 それでも、楽しむことは良い! 最近は何でも意識的に楽しむことにしている。