つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=7N5OhNplEd4

 県内の台風は大したことはなかったようだ。  
信濃川の雨量は、数年前の大雨の時の満水だった9割の時の、さらに8割ぐらい。
夜半の最大量の2割は減っていたようだ。 土手に最大量の痕跡が残っている。


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2358, ギリシャエーゲ海の旅 -4
2007年09月17日(月)
ギリシャに着いて、初めて行ったところが‘デルフィの遺跡’である。
なるほど2500年前に欧州とペルシャ周辺から、王侯貴族が宣託を聞きに行く雰囲気が、そこにはあった。
遺跡の背景には大きな岩盤の山があり、その前には広大な平原があった。
そこに神々しい巫女が御宣託を恭しく述べれば、当時の情報過小の王様など信じて当然。今でいうと、
新興宗教の洗脳演技の舞台として充分な場がデルフィの地にあった。
当時としては国家単位として、洗脳手法ー戦術を冷静に実行していたのだろうか?
しかし、その手法?は、キリスト教的な思想が入ってきてから、衰退していった。
現在でも越後の地元にも、狐を神様?とした「??宗教」が岩塚という村落にある。
あれが存在しえているだけ、地域民度の低さを物語っている。
イングランドの狐狩を、あそこでやればよい!福沢諭吉の「学問のすすめ」ではないが? 
いや、それとも土着レベルの神様も必要である?というのか。
 ーデルフィの遺跡ー
アポロンの神託(神のお告げ)が行われた聖域として、
また世界の中心「大地のへそ」として有名なデルフィの遺跡は、
パルナッソス連峰の南の傾斜面のプレイストス河の谷を前に、
天然野外劇場のように広がっていた。パルナス山の麓に築かれた「神託の地」であり、
このアポロンの聖域は古代世界の命運を左右した古代史上で特異な聖地。
南欧やオリエントの王様が戦争や跡継ぎ、統治などの重要な問題について
神託を受けるため、はるばる海を渡り、山を越えて訪れてきた。
・まず上っていくとローマ時代のアゴラ跡があり、
・次にはBC6世紀の宝物殿、アテネ人のストア、アルゴス王たちの奉納像、アポロンの聖域、劇場、
 競技場がある。ここでは多くのポリス(都市国家)をつなぐ宗教的な核として絶大な影響力を持ち、 
 アポロンの神託が行われた聖域である。その遺跡の背面には大きな岩盤のような山が背景にあった。
そこの巫女は50歳位の農婦が神の代理として神託を下していたという。
しかし現代からみると、かなり好い加減な内容で、悪用の部分が多くみられるという。
遠くから苦労をして、この地にたどり着き、この雰囲気の中で、巫女の宣託を受ければ、
頭から信じてしまうのも肯けるが・・・。その一番奥(上)にあった観覧席付きの野外運動場には驚いた。
幅40メートル、長さ200メートルの競技場は、現在でも何処にでもある学校の運動場のようであった。
ここぞ、ギリシャの神殿の遺跡!という風である。
その翌日いったのがメテオラ修道院である。その岩山の麓に一泊したが、
ホテルから修道院がよく見えたが、何とも言えない神々しさが漂っていた。
 ーメテオラの修道院
ーメテオラ修道院をフリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』で調べてみるとー
メテオラ はギリシア北西部、セサリア(テッサリア)地方北端の奇岩群と、その上に建設された修道院共同体、
いわゆるメテオラ修道院群の総称である。その地形及びギリシア正教修道院文化の価値からユネスコ世界遺産
(文化・自然複合遺産)に指定されている。その名はギリシア語で「中空の」を意味する「メテオロス」
という言葉に由来している。
その歴史というと、メテオラの険しい地形は、俗世との関わりを断ち祈りと瞑想に生きる
キリスト教の修道士にとっては理想の環境と見なされ、9世紀には既にこの奇岩群に穿たれた洞穴や岩の裂け目に
修道士が住み着いていた。この時代の修道士は現在のような修道院共同体を形成する事はなく、
単独で修行する隠修士が主流であった。メテオラに修道院共同体が成立したのは、14世紀、セルビア王国
セサリア地方に勢力を拡大してくる時代であるといわれる。それまで東ローマ帝国修道院活動の中心を担っていた
アトス山は1346年にはセルビア領の中に組み込まれた。
セルビア王ステファン・ウロシュ4世ドゥシャンはアソスの修道院に多大な保護を与え、その活動を奨励したが、
当時の戦乱を避けて多くの修道士がアソスを出て南下し、メテオラに住み着いた。
その一人が修道士アサナシオスで、彼はメテオラに主の変容(メタモルフォシス)修道院を創立した。
アサナシオスはアトスに於ける修道院共同体の様式、いわゆるキノヴィオン(共住)を導入して
修道院共同体の確立に努めた。これらに前後して聖ニコラオス、聖ステファノスなどの修道院も創立されている。
ーー
以上が概略だが、今回、私達が行ったのは聖ニコラオス修道院と、尼僧の住む聖ステファノス修道院である。
過去には24あった修道院も現在は、6つしか修行僧はいないという。
ここは人気の世界遺産の上位に常に占めているだけあって、その神聖さとパノラマは人気世界遺産
上位になるだけのことはある。何事もそうだが、現場に行って感じ取ったことは、自分の心の財産になる。
人類は、色いろな分野で営々と修養を重ねてきたのである。      
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2005年09月17日(土)
1628, ソウルの富士山ー日野敬三 対談集 -2
また、作家の保坂和志の対談 ーソウルの富士山ーも含蓄がある。
死に直面した日野の心理が二人の対談から、みごとに浮かび上がっている。
保坂和志
今日は日野さんが、脳の手術から回復される過程で体験されたことを、
闘病記というより旅行記のような感じでうかがいたいと思います。
ー日野ー
自分が脳を手術されて、術後に安静状態にあるんだとわりあい客観的に自覚したのは一ヶ月ほどあとでした。
なんとなく現実がわかるようになっても、まだうつらうつら夢を見ている状態がさらに一ヶ月続きました。 
そこには、どうも完全な夢とは違う。自分がソウルにいて窓の外がソウルの街がみえる。(実際は東京だが)
そして、富士山でなくてカイラス山がみえる。もしかすると、この人生ではなくて、その前のいつか巡礼に
行ったことがあるのかも、と思い直しました。だとすると、僕の中で辻褄が合うのです。
カイラス山はそれだけの格と威厳がある山ですからね。超意識の神話的空間内だったら、カイラス山も見える。
それだけのリアリティのエネルギーを持ってなかったら、何が聖山ですか。
ー日野ー
僕は実は世の中を楽しんでいる、あるいは生きていること、人間であることが好きなんじゃないかと
思い当たったんです。それを好きでないように思い込んでいきていたのが、いよいよ最後のところに来て、
その思い込みが剥がれ落ちて本当の地が出たんだと気がついた。もう一つ考えたのは、人生はなにも正しく
生きねばならいことはないと。楽しく明るければよい。正しくありたいと思ってきたが、
それは最も大切ではないと、ベッドの中で声に出して自分に言った覚えがあります。
ー保坂ー
今回の日野さんの体験がものすごく言葉にしにくいのは、死のそばまで行ったはずなのに、
死の遠くに行っちゃって、ずっと夢とも幻覚でもなかった、本人はもう一つの現実だとおっしゃっている。
つまり、死とか、夢とか、現実とかの定義が一般のものとは違っているわけです。
ふつうの人も同じ手術をすればたぶん何割かは似たような経験をするものでしょうけど、たいていは
周囲の目が怖いから、その辺のことを正直に言わないだと思います。
日野さんの場合、職業的な自負なのか、ありのままに語れているところが非常に貴重ですよ。
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2004年09月17日(金)
1263, 老子孔子
 本を読んでいて、時々ハッとする文章に出会うことがある。
以下を書き写してみるが、儒教道教を対比させることによって、それぞれの本質を、
より解りやすく知ることができる。(生き方の研究ー森本哲郎 P・302より)
ー「孔子の教え」はあくまで「厳父の思想」であり、対する「老子の思想」は「慈母の思想」とみることができよう。
老子と目される人物が生きたのはー孔子もそうだがー春秋、それにつづく戦国時代の乱世であった。
誰もが真剣に生き方、というより生き抜くための知恵を求めていた。それに、応えて、孔子老子
代表される儒教道教が生まれたのである。対立というより、対照というべきかもしれない。
いずれが是で、いずれが非か、などという問いは愚かである。
我われは、ここに二通りの生き方を見、学べばよいのだ。
考えてみれば、この世には「人間なるものは存在しない。
生きつづけてきたのは、男と女である」。人間とは、女と男の総合した抽象概念である。
だとすれば、その「人間」には、当然二通りの生き方が考えられよう。
すなわち、男性原理による哲学と、女性原理につらぬかれた思想である。
中国は孔子老子という祖によって、二元的に、つまり、全人的に生きてきたといってもよい。
私たちが学ぶべきことは、そのような二つの知恵なのだろうか。中国の作家、林語同は、こう書いている。
ー功なれば儒教孔子ーの徒になり、失意の時は道教老子の徒に奉じるようになる。
 道教自然主義は、中国人の傷ついた魂を和らげる鎮痛剤なのである。
得意と失意で織りなされた人生、それを歩む人間の生き方ー
それは何といっても「父」と「母」に従うことなのではないだろうか。
ー以上であるが、道教儒教を対比させ中国そのものを、いや人間の生き方の知恵を提示している。
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2003年09月17日(水)
896, 言いわけ読本 ー読書日記
               塩田丸男 中央図書館ー2003・09・14日
(以下、字数の関係でカットー2007年09月17日)
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147] 機動捜査隊  
2001/09/17
7~8年まえになろうか。当ホテルで年平均二~三人の犯罪者を逮捕している。
その協力の功績で、機動捜査隊が表彰状をやるから私に来いとのこと。
「何いってるのか!来るのはお前らの方だろう」と思ったが、「面白そう!」
という誘惑に負け行くことにした。まずは車で若い私服の機捜隊が迎えに来た。
そして、機捜の新潟本部についた。10人ぐらいの機捜が玄関で整列をして出迎え。
「面白い!そして気分がいい!かっこいい!」だった。そして捜査隊長の部屋に!
暫くすると隊長が部下を連れてお出まし!世間話をする間もなく写真班が2名きて、
撮影バチバチとられた。そしてそれから表彰状と金一封の授与式と続く。
まあいいや、いい経験だ!と有難く戴いた。そしてまた会社まで送ってもらった!
彼等はまっさらな目で見ていて、新選組みたいな一体感を感じとった。
ウエットな親分子分という感じであった。それが異様であった。
こんな人間関係まだあるのか!という感じであった。
  ーさてこの内容が面白いのは、これからであるー
その一年近く後に、機動隊の若い男と第三シングルインのマネージャーをしていたAさんが、
結婚するという。そうすると、あれは何だ