* 女性の職場進出と機会均質     「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」            
 女性の職場進出は結婚率を低下させる上に、離婚率も高める。今や婚外子の割合が欧米では3〜5割に至っている。
そこに貧困が生まれる要素が大きくなる。職場進出にはメリットと、デメリットが生じる。
   第三章のまとめ  ー経済成長がもたらす女性の機会
《 法の下の平等、教育経済成長がもたらす女性の機会の均等、家族計画、労働市場への自由な参入など、先進国における
 女性の地位は過去四十年で著しく上昇した。それにともなって、女性は、キャリアのめどをつけて結婚出産をするようになり、
 出生率は低下、かってのような大家族は過去のものになった。一方で、アフガニスタンなどイスラム圏で宗教的な制約の強い
 国々では、女性の選挙権すらまだない国も多く、その解消にはより時間がかかると思われる。
・ブラジル、ロシア、インド、中国のいわゆるBRICs新興国では、すでに教育の平等は制度として確立されており、それら
 知識層の女性たちが、経済の急成長から、今後、広く様々な分野で労働力として参入、経済成長をさらに促進する。
・富裕国でも少子化により、労働人口の減少が問題となり、技能と専門知識を必要}する職業では特に深刻化するため、
 女性たちはより多くの雇用機会を与えられ、より良い仕事に就けるようになるだろう。ただし、女性の早期退職慣行が
 段階的に廃止され、年金の支給開始年齢が男女を問わず引き上げられれば、女性は高齢まで働く必要に迫られる。
・先進国では、高齢化による介護の問題が、女性の職場進出に影を投げかける。出生率の回復を始めた一部の先進国では、
 育児と介護と労働のバランスを男女間、そして社会、企業でどうとっていくかが議論が行なわれ、様々な政策がとられる。
・製造業セクターの縮小と、サービス業の増大は、世界的傾向となる。サービス業は女性にとっては相性がよいが、しかし、
 雇用は非正規雇用や有期雇用で不安定である。
・一九七〇年以降、OECD加盟国では結婚率がほぼ半減し、離婚率がほぼ倍増した。婚外子の割合は約三割から五割もある。
 未来においては、そうした傾向がさらに加速し、片親の女性は、育児と職業の負担のバランスにより苦闘することになる。》
▼ 欧米の現在の社会現象が、世界規模に広がり、女性の職場進出も後追いで多くなる。二次産業から三次産業に重心が
 移動していく環境は、女性にとって雇用機会が増える。一強多弱の傾向が、より強くなる近未来では、大部分の弱者は、
 夫婦で家計を維持をするしかないが、子供は一人しか持てなくなる。それなら現在の中国、日本と同じ。
 それ以外の後進国が、後追いをしていく。家庭のあり方も、結婚という形が大きく変化。一生の間に、複数回の結婚を
 する方が多くなるだろう。夫婦が頼りあうことより、個々が自立した共同生活といった家族になっていく。核家族から
 核個人家族、各個人家族になっていく。これは情報機器がもたらす大きな変化。 それぞれの家庭空間より、個々の
 情報空間に関心が移行した結果生じる。あまり楽しそうではない情報社会の未来は、家族のあり方を根本から変えている。

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4298, 「国の借金」新常識
2012年12月22日(土)             
                 「国の借金」新常識  "年金絶望世代"も元気が出る ー廣宮 孝信
 安部がインフレターゲット2%を目指すと宣言したが、こういう理論的?背景があってのことだろう。
タイミング的に今、読んでおくべき本。日本も早々、破綻をして焼土の中から立ち上がった方がよいのかもしれない。
経済の主役はモノ、脇役はカネ。その基本をつかまえておかないと! それにしても狐に騙されたような妙な論理である。
アメリカのヘリコプターベン?の、「空から金を撒けば景気浮揚になる」という理屈に似ている。
   まずは ーアマゾンのレビューよりー
 ● ≪「政府の借金」=「銀行預金」という説が面白い。銀行預金は銀行にとっては預金者からの借金。
 これはいずれ、預金者に預金を返さなければならないし、利息を支払わなければならない。これは国債と同じ。
三菱東京UFJの銀行預金残高は2000年〜2010年の10年間で約100兆円増えている。つまり三菱東京UFJの借金はこの10年で
約100兆円増え、今現在も増え続けているこの状況でも「三菱東京UFJの借金が増え続けると銀行が破綻する〜!」とか
誰も騒がないのは何故だろうか。それはみんなが三菱東京UFJの銀行預金はあくまで「貯金」だと思ってるからだ。
(銀行側からみれば借金であるにもかかわらず)「貯金がふえてるんでしょ、何か問題あるの?」というわけである。
誰かの借金は誰かにとっての資産である。これは方程式のように成り立つ法則なのだ。
つまり日本政府債務残高約1000兆円は日本国民が日本政府という銀行に預けている預金にすぎないのだ。
「国(政府)の借金が増えるというのは国民の政府に預けているお金が増えている」というだけのことなのだ。
日本の場合、結論的には国(政府)の借金がいくら増えても問題ないのだが、ただ一つ国(政府)の借金が増え続けると
ヤバイ場合がある。 それは「外貨建てで外国から借金すること」である。 これの典型的例がギリシャだ≫
 ● ≪「財政赤字額のGDP比は2倍と世界一、財政再建待ったなし」「IMFも日本の財政赤字を問題視している」
国債発行は子孫にツケを残す」「家計貯蓄が減少傾向なので国債の買い手がいなくなる」
景気対策のための財政出動の必要性はわかるが財源がない」「よって消費税増税は避けて通れない」
事業仕分けなどにより財政支出を削減せよ」といった発言が総理大臣をはじめとする政界や言論界学界に溢れているが、
これらはすべて誤りであり、悪玉視されている。 財政赤字こそ日本経済をデフレから救う善玉だという。
また現下の日本の財政余裕度なら、余計な心配をせずに国債を発行して公共投資や技術開発を促進することが可能という。
 * 財政赤字善玉論のポイントは
1.政府赤字が増減すれば民間(家計&企業)黒字が逆方向に増減し、両者を併せた円立て金融資産の総和は常にゼロ、
 故に円立て政府赤字のみを取り立てて心配しても無意味。 外貨を含む金融資産の総和(対外純資産)は重要だが、
 日本は世界一の純資産と経常黒字を続けている。因みにIMFは外貨立て純債務と経常収支のみを注視している。
2.そもそもカネはいくらでも創出できるので本質的な存在ではない。モノこそが重要であり、モノが不足すれば国民は
 確実に困窮する。デフレの時期には政府赤字(財政出動)を増やしてGDPを増大させ、現在の所得を増大させる共に将来の
 モノ作りの準備に投資すべき。従ってデフレ時の財政赤字は極めて重要であり、子孫にツケではなく資産を残すことになる。≫
▼ これでは、国内向け国債を無制限に発行し、節度ある投資を果敢にすべきであるというが、何か、変。
  しかし、著者は、その辺りの疑問を問いにたて、答えている。 お勧めの本である。
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3923, 閑話小題
2011年12月22日(木)
   * 北朝鮮のドン様が亡くなった
 北朝鮮の金主席が、お隠れになった。三男が後継者になって、当分は内部把握に集中せざるを得ないか、早々のクーデターが起こるか。 
体制が体制だけに、誰も今後の予測は不可能。 国家としての理想といえば、若手軍部の蜂起が起きて、中国に類似した開放政策をとる
集団指導体制をつくりあげることだが、無理だろう。 このまま三代目への権力の移動が順調にいって、今までの延長も考えにくい。 
中国にとって都合の良いのは何か?と考えると、リスクを負ったとしても若手軍部のクーデター。 とすると数年後、閉鎖的な老いた軍部が
実権を持った後に、若手が金一家の追放というのが筋書きとして見えてくる。その意味で、安物の時代がかった物語が進行していく。
ドン様の御陰で、国民はたまったものではないが、軍部など、これまでの体制の役人の利権は大きく、これを根底から潰すことは至難の技。
   * 歪んだ年寄りに近づくな! 歪むな!
 まさか自分が65歳になるとは!と、妙な感慨にふけることがある。 そして、ふと自分を振り返ってみて、
「自分が歪んだ年寄りになりかけている?」と、疑念を持つことがある。 同年代の歪みが見えるからである。
老化は心まで歪んでくるというが成る程と思うことしきり。他者を見れば一目瞭然だが自分には見えてない。
法事などで年寄の愚痴を聞くと無上に悲しく思っていたが、自分が、その年齢になってしまった。それは合わせ鏡で、自分で気づくしかない。 
教養とは、そのために必要な知識だが、年齢には叶わない。肉体と精神が相まって人間性が作られるが、肉体が老い、病気がちになると、
精神も歪んでくるのが自然の摂理。 その結果が老醜というやつ。 過去の仕事柄、色いろな人間の内側が見える立ち位置に長年いた。 
そして40年近くの事業で因縁のあった知人も私と同じように老いていく。 「世界も、私も、同時に腐っていく」という言葉があるが、
まさに、それが人生でもある。老い、嫌われ、孤立し、最後は独居老人になっていく。スポーツジムで、歪んだ人は直ぐに分かる。
健康を正す場だから始末が悪い。老化=歪みの進行となると気が滅入る。人生には色いろな時節に絶え間なく難問が押し寄せる。 
その対処がマトモなうちはよいが、それに押しつぶされていく。 自分の好きなことに熱中するのが対処になる。
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3558,  「プレイボーイの人生相談 1966-2006」 −1
2010年12月22日(水)
         「プレイボーイの人生相談 1966-2008)
   まずアマゾンの内容紹介から :真の教養人による人生相談の最高傑作!
  古くは柴田錬三郎今東光開高健、最近では松本人志リリー・フランキーなど錚々たるメンバーによる、
  時代は変わっても決して色あせない珠玉の人生訓や哲学を集めた記念碑的1冊!
   ーー
  いや、面白い本を図書館で見つけた。どのページをランダムに開いて読んでも、ニヤリとさせられる。
 やはり、まず見るのは今東光である。べランメイ調で甘っちょろい若者の悩みを切って捨てている。
  * つまるものを探せばいい
● 質問≪厭世主義つていうのか、オレは人生っててちっとも面白いと感じたことがないんだ。 よく「自殺は敗北だ」なんていうけど、
 つまらない映画だったらさっさと途中で出ていっても敗北でもなんでもないと同じで、人生だってつまらなかったらさっさと自殺して
 いいんだと思うけど、これでもやっぱり「人生に負けた」ことになるんですかね。≫ー死ぬのは平気なんだけど負けるのは大嫌いな男より。≫
● 解答≪自殺より最初に人生についていうと、全部の人間に聞いてみな、「おまえの人生、つまってるか?」って。
 みんな「つまらねえよ」って言うよ。そのつまらない中で、どうしたらつまるか、つまり、つまるものを見出していく発見だ、
 この能力を養わなかったらどうにもならねえんだよ、人生は。どこへ行ってもつまるものを発見するという能力をまず養う。
 能力というより、そういう努力をするということだ。織田信長がある日、手をたたいて人を呼んだ。
 おそばの小姓が「ハイッ」と入ってきて、おじぎして「ご用は?」「なんにもない。帰れ」。またポンポン……。
「ご用はっ?」、何人来てもみんな「帰れ」そして「帰れ」。そうしたら最後、森蘭丸が入ってきた。
 信長がじっと見てたら、すっと来て、おじぎをする前に、小さな糸くずが落ちているのに気づいた。
 それを指でつまんでから「何のご用でございますか?」。「呼んだのは、その糸くずを拾わせるためじゃ」
 これで信長は、「蘭丸というやつは注意深い、偉いやつじゃ」というんで登用した。他のやつはみんな落第よ。
 信長ばかりじゃない。会社だって、学校だって上役、先輩も全部、やはりそういう人間を要求してるんだ。
 それ考えりゃあ、つまらない人生もつまるようにできる。オレも「坊主の世界はつまらん、つまらん」とも言ってるけど、
 つまるようにいつでもやってるから、忙しくて面白くてな、愉快でたまらんのだ。それでもつまらなかったら、
 さっさと死んでしまえばいい。オレは別にとめやせん。生きてる意味を自分で放棄したんだから、勝手に死にゃあいいさ。 ≫
  解)独り遊びが出来れば、人生は面白いはず。その代表的なのが読書。 最近はTV、パソコン、屋外スポーツがある。
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3183, つれづれに ー閑話小題 
 2009年12月22日(火)
 * 古町の老舗書店「北光社」の閉店
古町の大和の斜向かいにある「北光社」が来月で閉鎖をするという。大和百貨店も春先に閉鎖するというから古町にとって大打撃。
残るは三越だけになってしまった。 ダウンタウン化が、さらに進むことになる。大和が撤退したあとは、その客を取り込めるか、
それとも、更なる地盤沈下でダウンするかで、三越の存在も決まってくる。 新潟駅の街中商店街の存在も大きい。
それにしても、小さな書店の閉鎖に新潟日報の反応が、あまりに大きい。日曜日の朝刊の一面と社会面のトップ扱いである。
それだけ象徴的な存在だったのである。情報化社会で本を読む人が少なくなったことに加え、
アマゾンなどのネットからの注文が増加していることもある。
 * 質素で退屈で憂鬱な時代
リーマンショック直後に、慶応の池尾和人教授が、2010年代は「質素で退屈で憂鬱な時代」になる、といっていたという。
なるほど、最近の時代風潮であり、自分の気持ちでもある。 「空虚で回顧的で溜息の時代」ともいえる。
それが、一昨日のNHKのゴールデンタイムの「坂之上の雲」の明治時代の回顧と、続いて放送された
「マネー資本主義ウォール街の怪物復活である。 再びアメリカのウォール街で、マネーゲームが復活はじめたレポート。
結局、その最大の被害者は、弱者で、強者は、直ぐに復活をしてくるのである。
で、質素は別に悪くないこと。退屈と憂鬱は気持ちの問題である。なら、それは、それで、割り切ることも必要ではないか。
「空虚で、回顧的で、溜息」よりは、よい。 人口減少も、世界の先進国に先駆け、見本を示すことになる。
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2818, いやいや、驚いた
2008年12月22日(月)
 *娑婆は 色いろあるものだ。
 10日前に面白い?手紙が来た。 自宅前のアパートのオーナー?と名乗る突然の手紙。
十八年分のアパートの駐車場の電気代の割り当ての請求という。
18年×5300円=113万円分の向う三軒両隣の「融雪用電気料金」五軒分の分割、24万円の徴収の願いという内容。
(字数制限の関係でカット 09年12月22日)
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2007年12月22日(土)
2453, 歌舞伎町事変(1996〜2006)      ー読書日記
 「歌舞伎町事変」文ー李小牧  写真ー権 徹  {{"(;-┏Д┓-)o"オハヨウ
歌舞伎町案内人と呼ばれるこの街を知り尽くした中国人、李小牧不夜城の暴力と欲望の全てを写し撮るため徘徊し
続ける韓国人写真家、権徹。歌舞伎町の生の姿を撮りつづけた10年分の記録である。殆どが白黒と、カラーの写真で彩られている。
いつの間にか新宿歌舞伎町の魔界のヤクザと警官と不法滞在外人などの緊迫した世界に引き込まれてしまう。
恐いもの見たさでついつい見ているうちに、カメラマンの目なってしまっている。歌舞伎町裏社会の話が当事者から生の写真で
レポートされているから迫真に迫っている。新潟とはいえ飲食繁華街で商売をしているので、知っていた方がよい情報で満ちている。
韓国人、中国人の目で見ているのも切口を鋭くしていた。これを読んでいると、あまり一見の店には行けなくなる。
ーーーーー
 P−44
2001年年9月11日が歴史の転換期であったように、03年4月年は、2003年4月22日は、歌舞伎町にとって大きなターニングポイント。
(字数制限の関係でカット 10年12月22日)
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2006年12月22日
 2089, 道教儒教  <(_ _)><(_ _)> おはようございます!
  少し硬い一席を!        
  昔から中国では二つの役割を儒教道教が果してきた。中国人は長い歴史の中で、
  功なれば儒教の徒になり、失意の時や隠居の身になった時は、道教を奉じるようになる。
儒教は、人間社会を構成していく基盤として男性原理的でありを説き、それぞれの分を戒め、それに忠実に従うことを求める。
・それに対し道教は、老荘の哲学が元になっている。無為自然を基本におき、人間の色いろな規則からなる社会の掟をことごとく否定。 
 また儒教などを超越した世界に住むことが最上としており、女性原理に支えられる。
 道教自然主義は傷ついた心を癒す力になるが、現実からの逃避主義ともいえる。
 孔子は時の権力者に都合のよい思想をつくり上げ売り込んだという見方がある。
 それは自分の思想で世の中を良くしたいという一心から出たものである。
 どちらかというと窮屈な悲観的イメージがついてまわる。
 「自省・反省」を常に自分に課す思想といえるが、その「自省・反省」という裏には、
 常に「世間的に認められる人」になりたいという意味が隠されている。
 その「認められる人」は社会的に偉い人ではなく「人間としてでき上った人」の意味が強い。
 これに対して、老子孔子の世俗的なものを根本から否定する。
 山の中の一軒屋に住んで仙人的な生活を良しとするイメージがついてまわる。
 どうでもよいことに汲々とするな、無為自然に日々を生きよと説く。
    老子の思想の中で「三宝」が説かれている。「慈」と「倹」と「先に立たず」である。
   ・「慈」は、万物を包容する広さ、
   ・「倹」は、自分の状況に応じて慎ましやかにしていられる心のゆとり、
   ・「先にたたず」は、名声を求めない心の落ちつきである。
    これを持つためには、私利・私欲を捨てさえすれば自然の中にいるような、無心の気持ちになれると説く。 
    常に大宇宙のような森のように大自然であれ。人為的な差別や争いから一歩退いて水のように柔軟であれ。
    名利にとらわれないで、自らを誇るな。 足るを知れ。 大自然の道に従え。 等々である。
ーー
以上であるが、学生時代に貝塚茂樹著「諸子百家」の中の『師徒行伝』と、『老子の哲学』『荘子の立場』を読んだ。
その本が現在、手元にあるが、学生時代の感想は、孔子に対しては「権力者に尾を振る人」、
老子には「山中の田畑を耕して隠れ住む人」、荘子は「農家で晴耕雨読をする人」であった。
今でも論語に対しては、「何で自分から首輪をつけなければならないのか?」という気持ちは変わらない。 
あくまで教養の一端として把握しておけばよい、というレベルしか理解していないということ?
この思想を手っ取り早く言えば、厳しい父親と、優しい母親ということ!
得意の時は心の中で父親と酒を交わし、失意の時は母親とお茶でも飲んで社会を鳥瞰しているイメージか。
            ごきげんよう さようならm(__)m
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2005年12月22日(木)
1724, なにを遺せるのだろうか     ~~旦⊂(・∀・ )マァ チャ!
中野孝次
「何を遺せますか」という本がある。実際のところ我われは後世に一体何が遺せるのだろうか?
この本に、人が死後に遺せそうなものについてあれこれ検討してみたが、結局最もたしかな後世に
遺せるものは人間性である、というくだりがある。財産を残すことができるが、通常こだわっている目に見えるもの
 ー金、家、土地、遺言、宝物、宝石等は、いずれは消滅する。著者は後世に残せるものは唯一人間性であるという。
                       【゜Д゜】y─┛~~~
遺すべき考えられるモノ・コトを目次にあげてそれぞれを説明しているが、その幾つかをみると成る程と考えさせられる。
 以下は目次からひろってみた項目である。

(字数制限の関係でカット 11年12月22日)
 ・・・・・・・ 
2004年12月22日(水)
1359, 「23歳の日記」ー8
ー9月01日 1969年
新潟の六日町の雲屯庵にきている。学生時代に司法試験のため一人勉強している三条の高橋さんがいた
新井石龍禅師と、早速話しをさせてもらう。私「世の中こんなに厳しいとは思ってもいませんでした!
理屈と実社会との隔離に、ただただ驚いています」
禅師「世の中は、変わりはしない。世の中が厳しいのではなく、あなたの理屈が甘かっただけの話です。」
私「・・・・・」その夜、日本にきていた慶応卒で、ハーバード大ビジネス・スクールの在学中の同じ歳の人と、
高橋さんと、そこの雲水と話をする。ところが、その雲水が博学で、高橋さんと私はダンマリ。
ハーバードと雲水の議論に全くついていけないのだ。どうしたのだろう?
禅師に昼間真っ二つに甘さを指摘され、夜は夜で二人の議論についていけない自分が、ここにいる。
何だろう、何だろう、何だろう! 実践としてスーパーに入ったが、何にもできない中途半端な自分が存在し、
現実として濁流の中で、もう溺れかけてアップアップしているだけの自分が、神戸の垂水の地で一人呆然としているだけ。
どうしたのだ、どうしたのだ。適当に真面目に考えることもないが、早くいま一度、ゼロから知識の再構築をしないと。
逃げ込んだところで、逆に叩きのめされてしまった。
・・・・・・・・
2003年12月22日(月)
 992, クリスマス
 クリスマスといえば色いろ思い出がある。子供の頃ツリーを買ってきて,電飾を姉たちと作った時のトキメキを
クリスマスソングを聞くと思い出す。パリのシャンゼリデ通りの電飾の美しさも忘れられない。
またフィンランドヘルシンキのクリスマスイブの氷を張りつめたような神聖な思い出がある。
(字数制限の関係でカット 12年12月22日)
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2002年12月22日(日)
618, パタゴニア旅行記ー5
 ー広尾のお犬様 ー
旅行をしていると、普段では会えない人といろいろ出会える。
今回は一人参加の東京の高級住宅地の広尾の奥様がいた。 犬の話から、愛犬の散歩の話題になった。
広尾の公園で朝のお散歩の話で大爆笑であった。愛犬に衣装を着せて連れてくるが、そのファッションが面白いとか。
(字数制限の関係でカット 11年12月22日)
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2001年12月22日(土)
 277、笑いについてー
私の最大の素質に気づいた! 腹から笑える事だ! 昔からいろいろあったが、これは子供の時からの特技だ!
それだけ激しい真ん中(商家)に生きていたからだろう。笑っていなくては、やってられない!
(字数制限の関係でカット 12年12月22日)
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12月22日 土曜日
 1968年
9時起床に後、食事。土砂降りである。 千葉に住む、すぐ上の姉・礼子さん宅へ向かう。しかし早速、二人でいがみあう。
あいも変わらず仲が良いのか悪いのか解らない。彼女の悲観的な面から抜け切れてないのが気に入らない。
如何してマイナスマイナスに考えるのだろう