つれづれに

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《 約2億4500万年前から6600万年前まで、人類と比べて圧倒的に長い約2億年もの間、
恐竜たちは地球に生息していた。そして、恐竜絶滅から遡ること約400万年、今から
7000万年前の白亜紀後期は、現代よりも気温がやや高く、生物が生きるのに適した環境だった
アラスカには、多くの種類の恐竜が存在していた。草食恐竜パキリノサウルスの群れでは、
卵が孵り、次々に子供たちが誕生。親は子供たちのために噛み砕いて餌を与えるが、
群れで一番小さな体の子供(パッチ)は兄弟にはねのけられて餌にありつけないという、
まさに弱肉強食の世界だった。冬の到来と共に、パキリノサウルスの群れは、食料となる
植物を求めて北の寒冷地から南の温暖な土地へと大移動を始める。
時には美しいオーロラの空の下を移動することもあったが、長い旅路は決して楽なものではなかった。
獰猛な肉食恐竜ゴルゴサウルスの執拗な襲撃、鳥のような肉食恐竜キロステノテスの集団攻撃、
巨大な草食恐竜エドモントサウルスの群れへの合流、薄く氷の張った河での決死の横断、大規模な
山火事、そして群れのリーダーだった父の死……。過酷な移動を毎年繰り返していくうちに
一人前に成長したパッチたち。群れの新しいリーダーを決める闘いが迫っていた…… 》評価 85点
 ▼ 子供向きで、リアルさに欠るだろうが、7千万年前の世界を3Dの立体画像で入ってみるのも
  面白そうなので、これを見ることに決めた。デズニーランドの、何処かのテーマランドに入ったと
 思えばよい。3Dも、映像技術の進化のためか、リアルさが増している。
 自分に「子供心、子供心!ここはディズニーランド!」と言い聞かせてみて、アチラの世界に
 入り込むのが、こういう映画を見るには良い。そう思いこめれば、ここは7千万年前の世界になる。


・・・・・・
1723, ベルグマンの法則
2005年12月21日(水)
                   オハョョヨヨ∃"ヽ( ゚∀゚)ノ"ョョヨヨ∃ゥ!!
生物学上の法則に「ベルクマンの法則」がある。
 哺乳動物の分布と体の大きさの関係を表した法則で
  「近縁のものが南北に渡って分布するときは、
    寒い地域に生活するもののほうが、体が大きくなる。」
     というもの。
  例えばクマでは (。'(ェ)'。)ノ♪
   北海道のヒグマと本州のツキノワグマではヒグマの方が体が大きい。
    ホッキョクグマ 体長3.5m 体重400~500kg
     ヒグマ 体長 2m 体重300kg     
      ツキノワグマ 1.5m 体重60~150kg
       と、極端に北にいくほど大きくなる。
                     ☆━━━…‥‥ソウカ~('(ェ)'ヽ)
   その理由は、体重の大きなものは小さいものに比べて体表面積の割合が小さく、
     それだけ保温効果が大きいから。
      もっっとわかりやすく言うと、
       大きな鍋と小さな鍋ではどっちがさめにくいか、
        考えてみるとよくわかる。

 他にも「アレンの法則 」というのもある。      
  キツネやアメリカのウサギ類の耳のように、    m9(`ω゚)  (*`ω´)
  「より寒冷地に行くに従って体の突出部が小さくなる傾向がある」というもの。
    突出部が小さいと熱の放散量が多く、突出部が小さいと放散量が少ないためだ。
      
  さらに「グログラーの法則」というものもある。
    哺乳動物の分布と体の色との関わりを表した法則。
    「近縁のものが南北に渡って分布するときは、
     北に生活するものがほど体色が薄く、白っぽくなる傾向にある」
      というもの。                
     ∥┓  ((  
    (_)  匚P  
    ━┻      
       人間もほ乳類だから、この原理は当てはまる。
        確かに北国の人は色が白い。
         中間のアジアは黄色で、
          南にいくほど黒くなる。 
          
  旅行してきて気がついたことは、
   カナダや北欧で黒人やインド人をほとんど見かけない。
    体質的に合わないのだろう。
   
・・・・・・
2004年12月21日(火)
1358, あなた、ここにお座りください

「あなた、ここにお座りください」
  夫に出て行けといわれた妻が、
  「私の大切な物を一つ持って行きます」
    と風呂敷を広げた後にこう言ったそうです。
  
 昨日の朝日新聞の一面広告の中の、思わず手帳にメモをしたくなる
 「身近な人の名言・格言」と
  「手帳・日記・家計簿の商品企画」
   の大賞受賞作である。

  他にも幾つかあった。
   ーーー
・立ちどまることも
 ひとつの「動き」である

  中学校の全校集会で先生が言った言葉。

 ーーー
・子供は親の思いとおりにならないけれど、
  心配どおりにもならないものだ。

   5歳の子供があまり文字などに興味を持たないことが気になっていたとき、
    近所の先輩お母さんから聞いた言葉。
 
 ーーー
・思うに、どこ向いていようと
  自分が向いている方が前なんよ、きっと。

   以前、心の病気で入退院をくり返していた頃、
   「私はどこを向いて走っているんでしょう」
    というメールに友人が返してくれた言葉です。

 ーーー
・「あー」「まー」「ぶー」、
  三つの言葉で君は世界の全てを表現してしまう

   主人が一歳の娘に対してつぶやいた言葉。
 
  ーーーーー

面白いと手帳に書こうとしたら、手帳メーカーの宣伝広告であった。
 この軽さと、身近さが良いのだろう。

「あなた、ここにお座りください」
  この余裕と一瞬の合い間こそ、人生で一番必要なことである。
   遊びの言葉のないことから生じる不幸も多いものだ。

ー私の場合は

「あなた、ここにお入りください」
 
  夫に出て行けといわれた妻が、
  「家の腐った粗大ゴミを捨ててから出て行きます」
   とゴミ袋を広げた後にこう言ったそうです。

   となりそうだ。丁度、去年の同日の日記に連動している。

      お後はよろしいようで・・・

・・・・・・
2003年12月21日(日)
991, 離婚事情ー2

2日前に長岡の大手通りの市役所サービスセンターに印鑑証明をとりにいった時、
 隣りの市役所相談室という小さなコーナーに電話がかかってきた。
  老齢の相談員の話し声が聞こえてきた。
  「ハイハイ、・・・・・、ところで貴女の年齢は幾つなんですか?
   エッ74歳!その歳で離婚ですか。何をいっているのですか、いいを歳をして」
    その声を背にして帰ってきたが、何か切ない思いが残った。
     数軒先の近所の人が最近60歳を過ぎて二組離婚をしたとかいう。

     以前も離婚について書いたことがあった。
     家庭内離婚を含めて、5分5分とは恐ろしいことである。
    ということは、この文章を書かない方がよいのだが。
 
   一番に身近にいる他人が連れ添いである。
  それが一つ屋根に住んで、舅姑などの圧縮された人間関係の中で
 二人の権力闘争が絡んでくるから一層難しい問題になる。
その人の全て圧縮されたのが夫婦問題といってよいだろう。
一つ間違えばお互いの人生の破滅も待っている。
 以前、取引をしていたメーカーの社長は玄人向きの女好きだが、
  その結果として奥さんに「?病」をうつしてしまった。
   離婚はしなかったが、酷いものだ。
    この人の過去をみていると、
     一番世話になった人の裏切りの積み重ねであった。
     勤めていた会社の取引先や同僚を奪っていた。

     「自分とは何かを考えるということは、他人とは何かを考えることである」 
    その一番身近な他人が連れ添いということになる。
   浮気や、可処分所得の分配、お互いの身内との人間関係などで、どうしても
  自分と他人の関係の接点でトラブルが生じてくる。
 ある仲睦ましい老夫婦にその秘訣を聞いたところ
「我慢、我慢、我慢・・ただ我慢!」
と答えたというジョークのような話しがある。

 子供の頃両親の喧嘩も何回か見てきた。
  親の喧嘩は一番子供の心を傷をつけるものである。
   子供の神経症は、殆ど両親の不仲からきている。
    以前、遠い親戚の老齢になってからの離婚のことを書いたことがある。
     やはり、その子どもは神経症で病院通いをしていた。
      離婚経験のスナックのママさんを見ていると、
      結婚は大事にしなくてはならないものだと実感する。

     しかし「合わないのは合わない!」のはよーく解るが!

    当たり外れは5分というのも神様は酷な課題を与えたものだ!
   本当!

 以前書いた文章です。

ーーーーー
533, 離婚事情
2002年09月28日(土)

現在は三組に一組が離婚するそうだ。
 先日ある会で年配の女性が面白いことを言っていた。
 「現代は少子化の為、嫌だったらいつでも帰ってきてもいいといって
  娘を送り出す。更に子供を連れてくれば一緒に暮らせる。
   一子、二子の結婚でお互いに希少価値がある。
    だから平気ですぐ離婚をする」といっていた。

数年ぶりに知人に会ったら同じような事をいっていた。
 息子が子供を連れて離婚をし、裁判で息子の方が親権をとったという。
  息子1人では育てられないから、引き取って育だてているといっていた。
   しかし新しい子供が家庭に入り楽しそうであった。

それにしても三組に一組は多い。
 わからない事は無いが、長く連れ添っていれば愛情がわくものを?
  一家族に一人はいることになる。親子三~四組うち一組になる。
   ということは、この文章を気をつけて書かなくてはならない事になる。
    読んだほぼ全員傷つけかねない。
     実際のところ、そこまで多くないようだが、どうだろうか。

以前TVで、離婚をした中年の女タレントと数人が口をそろえて
「離婚をして本当によかった!!」と言っていた。
  それを黙って聞いていた小沢昭一
   「苦労を友にしてきた連れ添いと、歳をとって昔の楽しい思い出や
     苦労話をお茶を飲みながら、しんみり話す味もいいもんだよ」と一言。
      気の強そうな女性たちにとってカウンターパンチになってしまった。
       その場がシーンとしてしまいシラケの場になってしまった。

居ればうるさいし居なくては寂しいのが夫婦というものだ。
 離婚をした独り者の飲み屋のママは連休が嫌だといっていた。
  どうにもならない気持ちになるという。
   家族の基本はやはり夫婦である。
    現在の少子化もひどい、平均1・3人という。
     人口維持の為には2,1人が必要という。
      少子化が進めば更に離婚率が増すのだろうか。

好きになる相手は自分の持ってない部分をある人に惹かれる。
 うまくいっているうちはいいが、一つかみ合わくなると破綻しやすくなる。
  昔、足入れ婚というのがあった。結婚の籍をいれず仮結婚をさせる。
   今も同棲があるが、周囲も仮結婚と認めて合わない時は
    いつの間に別れさせてしまうという。

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2002年12月21日(土)
617,パタゴニア旅行記(タンゴ)ー4

アルゼンチンタンゴがすばらしい!
 昔はブエノスアイリスは女性が少なく、その憂さを晴らすため船員同士が
  女のふりをしてエロッチクな踊りをふざけて踊ったのが由来という。
それが波止場近くの娼婦の売り込みの踊りと変化していった。
 そして、その踊りが西欧の人達に認められていった。
  従って内容はエロチックで情念丸出しのものであった。
ブエノスアイリスで一番の1400人収容の店で、
 ショーが2時間以上にわたって繰り広げられた。
  全く期待をしていかなかったのが良かったのか、
   初めから終わりまで拍手喝さいのすばらしいショーであった。
    お客の全員が感動に包まれ、アンコールの連続であった。
今まで見たショーで一番の感動と言ってよい。
 辛口のツアーの同行者もこれだけは絶賛をしていた。
  この旅を締めくくるに最高のイベントでもあった。
   写真を見てもらえれば解るはずだ。よいのはダンサーが一番楽しんでいる事だ。
     この旅行は心に多くのものを残してくれた。

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2001年12月21日(金)
276、べきことを、べき時に、べくすべき

ーべきことを、べき時に、べくすべき
 昔からこの言葉が好きだった。
 「時節到来」ということか。その時その時の何かの時節がある。
  それを見つけ、積極的に挑むということだ。
   昨日書いた「後回し」の諌めでもある。

学生時代は勉強を、働く時期には働き、引退すべき時は引退をという事だ。
 これがこのまま出来ないのが人生だ。あるいは社会だ、それだから面白いのだ。
  その時のすべきことが見えなくなってしまうからだ。

   その意味で家族、親の果たすべき役割は大きい。
    結局それを刷り込むのが親の教育だからだ。親として耳が痛いが。

   その世界に埋没してしまうと、べきことが見えなくなってしまうケースが多い。
  常に変化に対し、チャレンジと闘いをしつづけていく姿勢が必要だ。

 その時々、基本としてウオームハートとクールヘッドが必要だ。
いつもウオームヘッドとクールハートになっているからだ。

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ある時間の断片

12月21日  1968年
 昨日に続き、今日も空白になっていました。明日からは続いています。
(おそらく卒論の最後のまとめで、書いている余裕が無かったと思います)