つれづれに
他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive
今日のYoutube
・・・・・・
・・・・・・
3808, 哲学人 ー⑧
2011年08月29日(月)
● 社会主義~ 妄想的理想社会への逃避
ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
残念ながら、学生時代から社会主義・共産主義に対して本能的に、その虚偽を
見抜いていたつもりだった。それも、思いこみでしかない。しかし経済も社会も、
国家単位の計画で成立するはずがない。
「経済は個々の競争原理の弱肉強食の戦いの中から優勝劣敗で進化する。
その歪を国家がコントロールすべきで、役人がたてた計画経済で、ことが上手く
進むなどありえない」という単純な考えから抜け出れなかったのが本当だったが。
ここで、マギーは、学生時代に「資本論」に大きな影響をうけたと述べている。
人生で夢中になった一ダースに満たない本の一冊に「資本論」を上げている。
しかし、社会主義国家が本当に成立するかどうか、疑問を持ったと、述べる。
【 * ー 資本論を、二週間ひたすら読む ー
二学年めの復活祭の休暇中、私はオックスフォードに見つけた下宿屋にこもり、
二週間は朝も昼も晩もひたすら
『資本論』を読みつづけた。じっくりと読み進め、書いてある内容について考え
たくなったら、いつでも本を置いて好きなだけ黙想し、散歩をしながら重要な
一節について思索したり、夜にはべッドのなかでもこの書物について思いを
めぐらせたりする。そんなふうに夢中になった本はそれが初めてだったし、
生涯を通じてもその数は一ダースに満たない。
プラトンの『対話編』、『新約聖書』、ヒュームの『人性論』、カントの
『純粋理性批判』、ショーペンハウワーの『意志と表象としての世界』、
『ウパニシャッド』、力ール・ポパーの『開かれた社会とその敵』、
アインシュタインの『一般相対性理論』ぐらいだろう。こういった本が私を
変えてくれた。これはつまり、こうした書物に感化された考え方をするほど
夢中になったということであり、もし読んでいなかったとしたら、いまのような
人間になっていたとは思えないということである。誰であれ、そんなふうに
言える本はめったにあるものではない。 私の場合、戯曲家、で同じことが
あてはまるのは、少なめに見積もるとシェイクスピアひとり、作曲家は七、八人
といったところだろう。もちろん、読書や観劇や音楽鑑賞の蓄積が、その人の
考え方や人格にじわじわと影響を及ぽし、自覚できる変化を自我に生じさせた
張本人と特定できる作家は、少数である。ここに挙げた書物の半分はドイツ語圏
の作家によるものだが、この事実(作曲家の大半もその地域の出身であり、
時代も同じであるという事実を加えてもいいのは、私の精神生活がどんなもので
あるかを示唆している。『資本論』の大半を占めているのは、英国の産業革命の
歴史である。にもかかわらず、私の考え方はマルクスに多大な影響を受けている。
その影響は、彼の著作を吟味するにつれて薄れていったけれども、けっして
消えはしない。私はそうなることを望まないし、マルクスの提示する洞察には
不変の価値があると思っている。彼は偉大な作家であり、大人物でもある。
その怒りと裁断は厳しすぎ、エホバめいたところがあるとしても、である。
『資本論』は退屈でわかりにくい大冊だなどという考えがどうして出てくるのか。
私には、その厚さにうんざりした人たちがこしらえた、読まないための口実と
しか思えない。『資本論』は名著である。 世界史上、指折りの影響力をもつ
書物であるのは確かである。 】
▼ ソ連の崩壊と、中国の実質、社会主義的計画経済の放棄は、それは理想で
あって、現実にはそぐわないことを立証した結果になった。そこに起こった
のは、役人の特権化と汚職の氾濫であり、狂った独裁者の誕生であり、国家経済
の疲弊である。熾烈な競争経済の中でしか経済は発展しないことが、数千万の
餓死などの犠牲者を出し証明された。まだ残存は残っているが。
・・・・・・・
3443, 最近の昼飯事情
2010年08月29日(日)
* まさか昼飯がパン食になるとは!
最近の昼飯は外食から事務所内で駅のベーカリーのパン食に切かえた。
時どき弁当もあるが、どうも冷えた弁当は部屋で食べるにはそぐわない。
レンジでもあれば別なのだろうが。それもインドのナンのようなもので
パセリと海老か、唐揚げを包んだものがラップに巻かれている。
若い女性が好みそうなやつで、それだけのコーナーがある。以前は、他に
カレーパンなど二個だったが現在では一個にバナナ。この歳になると、味は
美味しく、サッパリして、腹に持たないものを求める。とすると女性向きに
つくられたものが丁度良い。30年近くのランチャーも卒業で、お部屋で
ヒッソリとパン食。 なれると外食が馬鹿馬鹿しくなる。 駅内にある
スーパーの弁当コーナーを見ると、300円弱から400円辺りが中心。
月に3~4回は買うが、何かイマイチ。駅のベーカリーにイートインの
コーナーがあり、コーヒー付きで400円位である。近くのマクドナルドなどと
競合しているが、殆どが女性客。早い時間から客席は半数以上は埋まっている。
最近、長岡駅内にも出展したが山崎パンの直営店という。最近、ほぼ同じものが
地元のスーパーに見かけられるようになった。スーパー原信が、地元の
ベーカリーチェーンを買収して、自社店舗内に出店している。土日のどちらか
一日の早朝7時に毎週行って、焼き上がりのパンとコーヒーを飲むのが
楽しみの一つ。昼にパン食に切り替えてから体重が1~2キロほど痩せたが、
これで20歳半ばの体重に戻った。歳相応になったということか。
それより、ランチを食べに行くのが面倒になったということ。
(字数制限のためカット 2015年8月29日)
・・・・・・
3068,衆院選後のマスコミ社説を先取りすると!
2009年08月29日(土)
衆院選挙の自民党の壊滅は、ほぼ決定的である。
バナナを使って捕獲されたサルと自民党の姿そのものが重なって見える。
サルを捕獲するに、箱にバナナを入れておき、サルの手が入る穴からバナナ
を掴むと手が抜けない。そこを捕獲するという逸話がある
(本当かどうかは確かではない)。それと、自民党の300議席からくる
権力の執着に似ている。 誰かがこの喩えを使うかどうか。
翌日のマスコミの解説の内容は以下の通りだろう。
* 民主党の大勝に意味すること
《 民主党が歴史的大勝をしたが、これは自民党の4年間の政策に対する国民
の失意の結果。ところが自民党の領袖たちは最期まで、その自覚が全く無かった
ようである。一年おきに、実力の無い首相を血統書のブランドだけで三人もたて
続きに送り出し、その醜態を見せつけられれば、国民は愛想を尽かすのは当然。
自民党は、国民を小泉劇場という猿芝居で騙し取った議席で4年間も居直り
官僚に利する政策を続けた結果が、これである。 日本の歴史に残る最悪の事態
に導いた4人の宰相と、元首相や元領袖などは、汚点として評価されて然るべきで。
この7~8年間に新自由主義の波に乗り、堀江モン、村上某、オリックスの宮内某
とかの、怪しげな乗っ取り屋がマスコミで寵児のように扱われた。その結果、
日本的企業風土は粉々に壊されてしまっていた。 小泉の行った郵政民営化は
旧態依然とした体質に風穴を開けたことは確かである。
民主党が、それを全面否定してはならないが、大きな修正の必要性はある。
ところで日本の国体をこれほど落し込んだ元凶の田中角栄の娘が、風の流れに
便乗して民主党に入り込んで閣僚を狙っている?と報じられているが、外務大臣
のときの醜態を二度と国民の前に出してはならない。
落選した自民党の大量の元代議士が今度は参院で再起を目指して、水面下で
選挙を目指して起死回生をかけるだろう。その結果として、参院が自民・公明党
が過半数を取ることになれば、これまでと全く逆転する皮肉な事態になる。
そのプロセスで政界再編成になるだろうが、この政治的に幼稚な日本という国に
とって、この5年間は大転換期。可能な限り安定した政局の必要である。
民主党の待ったなしの強力な戦略が求められる。 》
大方、こんな風な内容。「自民に不満、民社は不安」とは
良く言ったもの。変化は不安だが、必要である。
・・・・・・・・
2703, 「レンタルの思想」-7
2008年08月29日(金)
地球は太陽の周りの隕石が何度も何度も衝突を繰り返しながら拡大し、
生成されたもの。聖地が石で出来ているというのも、その辺に秘密がある
のだろう。 趣味の究極は石になるというが、それもまた同じ理由なのかも
しれない。いま気が付いたが、植嶋啓司の本を取り上げたことがあった。
全く忘れていたが、聖地の共通点を取り上げた内容だった。
~~
「宗教の隕石学」への挑戦 松井孝典×植島啓司
*聖地の岩石学
松井: 植島さんの本を読んで、なるほどと思ったのが「聖地というのは、
みんな石切り場だ」ということです。
植島: 石を切り出したところ、あるいは特殊の石組みですね。
松井: 自然が宇宙の歴史を記した古文書なら、石切り場も古文書です。
植島: 20年間、世界中の40数箇所の宗教の聖地をおとずれたが、共通して
出会ったものは「石」であった。エルサレムの黄金のドームは
「岩のドーム」と言われているとおり巨大な一枚岩が置いてあるだけ。
聖墳墓教会のあるゴルゴダの丘もかっては巨大な石切り場だった。
ストーンサークル(環状列石)、岩石刻文の宝庫であり、
パルテノン神殿が建てられたアテネの小高い丘は巨大な石の塊、
エジプトのピラミッドは元々は石灰岩の山で、崩して平らにして
組みなおしたもの。これらは偶然だけではないだろう。
植島: 聖地の条件として、ある樹木があるとか、洞窟があるとかではなく、
なぜ石なのか、石には何か特殊の力があったのか。・・・ 古文書
として石を読む上で、分析は非常に大事だと思います。
ただ石の成分を読むのではなく、石が置かれた文化的環境を読む。
石ということでは、隕石や地球のマグマとの関係も重要です。・・・
松井: 実は1980年以前はそういう認識はなかった。というのも地質学では、
巨大隕石の衝突と地球史・生命史を結びつける考え方は、科学では
退けられていた。 しかし天から降る石があって、それが人間の存在
や考え方に影響を及ぼすという認識は、自然科学の登場前からあった
かもしれない。
松井: 今こそ地球上に多くの人が住むようになって、絶えず隕石の落下が
報告されているが、これが人間が少ない時に大空から大音響とともに
火の玉が降ってくるというのは、すごいインパクトがありますよね。
~~
解) 聖地は、どれもこれも、石切り場の跡にあるという。私も多くの聖地を
見てきたが、全てが石組みであった。古代は大創造物は石しかないのだから、
何も不思議ではないじゃないか、 という見方も出来るが。隕石に不思議
な成分が含んでいたのかもしれないし、宇宙の暗号があったのかもしれない。
現代の人類が、その暗号に気づかないだけなのかもしれない。隕石に不思議
な波長を、特殊能力のある人は、感じ取っていたのだろう。空から轟音と
ともに石が降ってくれば、神からの贈物と思うのも不思議ではないが。
「聖地の隕石学」も面白いだろう。親父が晩年、石に興味を持ち、うちの
庭には大きな石と石灯篭がゴロゴロある。一昨日も、兄の庭にあった石灯籠
を一つ引き取った。一年ほど前から、庭の花を写真に撮りだしてから、
ここの庭に興味を惹かれるようになった。石と木と花と緑のバランスが
良いが、実は特徴は背景の石だったということだ。
・・・・・・・・
2007年08月29日(水)
2339, 意志について ・ω・)ノはよー
「狂人三歩手前」 ー中島義道著
-哲学などしないようにー
哲学は、全て根こそぎ疑い、そして疑いの中から真実を見つけようとする。
哲学は曖昧な言葉をミキサーのように砕いてしまう。意志についても哲学者は、
その言葉に含まれている前提を見逃さない。殺人者は、殺そうという意志が
あって成り立つ。(衝動もあるが)一般的に意志は初めから「善いもの」という
前提がある。その前提を見逃さないのが哲学である。だから、嫌われるのである。
といって、曖昧な考えは、判断を狂わしてしまう。
真理をさけて通ることは、さけて通ったという事実が残る。
ーー P-174
世の中で信じて疑わないことのほとんどが眉唾ものである。
とは、10歳の頃から直感していたが、ーそれを一つ一つ「やっぱり」と納得して
いく過程が私の人生であった「ある」とは何か、「いま」とは何か、「私」とは
何か、「善い」とは何か、人生経験を積めば積むほど夜中に森の中をさまよう
ようにわからなくなっていく。とりわけ、このごろ「意志」と呼ばれているものは、
ただの社会的取り決めにすぎないのだ、という思いが強くなってきている。
私はすべてにおいて優柔不断であり、何か
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive
今日のYoutube
・・・・・・
・・・・・・
3808, 哲学人 ー⑧
2011年08月29日(月)
● 社会主義~ 妄想的理想社会への逃避
ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
残念ながら、学生時代から社会主義・共産主義に対して本能的に、その虚偽を
見抜いていたつもりだった。それも、思いこみでしかない。しかし経済も社会も、
国家単位の計画で成立するはずがない。
「経済は個々の競争原理の弱肉強食の戦いの中から優勝劣敗で進化する。
その歪を国家がコントロールすべきで、役人がたてた計画経済で、ことが上手く
進むなどありえない」という単純な考えから抜け出れなかったのが本当だったが。
ここで、マギーは、学生時代に「資本論」に大きな影響をうけたと述べている。
人生で夢中になった一ダースに満たない本の一冊に「資本論」を上げている。
しかし、社会主義国家が本当に成立するかどうか、疑問を持ったと、述べる。
【 * ー 資本論を、二週間ひたすら読む ー
二学年めの復活祭の休暇中、私はオックスフォードに見つけた下宿屋にこもり、
二週間は朝も昼も晩もひたすら
『資本論』を読みつづけた。じっくりと読み進め、書いてある内容について考え
たくなったら、いつでも本を置いて好きなだけ黙想し、散歩をしながら重要な
一節について思索したり、夜にはべッドのなかでもこの書物について思いを
めぐらせたりする。そんなふうに夢中になった本はそれが初めてだったし、
生涯を通じてもその数は一ダースに満たない。
プラトンの『対話編』、『新約聖書』、ヒュームの『人性論』、カントの
『純粋理性批判』、ショーペンハウワーの『意志と表象としての世界』、
『ウパニシャッド』、力ール・ポパーの『開かれた社会とその敵』、
アインシュタインの『一般相対性理論』ぐらいだろう。こういった本が私を
変えてくれた。これはつまり、こうした書物に感化された考え方をするほど
夢中になったということであり、もし読んでいなかったとしたら、いまのような
人間になっていたとは思えないということである。誰であれ、そんなふうに
言える本はめったにあるものではない。 私の場合、戯曲家、で同じことが
あてはまるのは、少なめに見積もるとシェイクスピアひとり、作曲家は七、八人
といったところだろう。もちろん、読書や観劇や音楽鑑賞の蓄積が、その人の
考え方や人格にじわじわと影響を及ぽし、自覚できる変化を自我に生じさせた
張本人と特定できる作家は、少数である。ここに挙げた書物の半分はドイツ語圏
の作家によるものだが、この事実(作曲家の大半もその地域の出身であり、
時代も同じであるという事実を加えてもいいのは、私の精神生活がどんなもので
あるかを示唆している。『資本論』の大半を占めているのは、英国の産業革命の
歴史である。にもかかわらず、私の考え方はマルクスに多大な影響を受けている。
その影響は、彼の著作を吟味するにつれて薄れていったけれども、けっして
消えはしない。私はそうなることを望まないし、マルクスの提示する洞察には
不変の価値があると思っている。彼は偉大な作家であり、大人物でもある。
その怒りと裁断は厳しすぎ、エホバめいたところがあるとしても、である。
『資本論』は退屈でわかりにくい大冊だなどという考えがどうして出てくるのか。
私には、その厚さにうんざりした人たちがこしらえた、読まないための口実と
しか思えない。『資本論』は名著である。 世界史上、指折りの影響力をもつ
書物であるのは確かである。 】
▼ ソ連の崩壊と、中国の実質、社会主義的計画経済の放棄は、それは理想で
あって、現実にはそぐわないことを立証した結果になった。そこに起こった
のは、役人の特権化と汚職の氾濫であり、狂った独裁者の誕生であり、国家経済
の疲弊である。熾烈な競争経済の中でしか経済は発展しないことが、数千万の
餓死などの犠牲者を出し証明された。まだ残存は残っているが。
・・・・・・・
3443, 最近の昼飯事情
2010年08月29日(日)
* まさか昼飯がパン食になるとは!
最近の昼飯は外食から事務所内で駅のベーカリーのパン食に切かえた。
時どき弁当もあるが、どうも冷えた弁当は部屋で食べるにはそぐわない。
レンジでもあれば別なのだろうが。それもインドのナンのようなもので
パセリと海老か、唐揚げを包んだものがラップに巻かれている。
若い女性が好みそうなやつで、それだけのコーナーがある。以前は、他に
カレーパンなど二個だったが現在では一個にバナナ。この歳になると、味は
美味しく、サッパリして、腹に持たないものを求める。とすると女性向きに
つくられたものが丁度良い。30年近くのランチャーも卒業で、お部屋で
ヒッソリとパン食。 なれると外食が馬鹿馬鹿しくなる。 駅内にある
スーパーの弁当コーナーを見ると、300円弱から400円辺りが中心。
月に3~4回は買うが、何かイマイチ。駅のベーカリーにイートインの
コーナーがあり、コーヒー付きで400円位である。近くのマクドナルドなどと
競合しているが、殆どが女性客。早い時間から客席は半数以上は埋まっている。
最近、長岡駅内にも出展したが山崎パンの直営店という。最近、ほぼ同じものが
地元のスーパーに見かけられるようになった。スーパー原信が、地元の
ベーカリーチェーンを買収して、自社店舗内に出店している。土日のどちらか
一日の早朝7時に毎週行って、焼き上がりのパンとコーヒーを飲むのが
楽しみの一つ。昼にパン食に切り替えてから体重が1~2キロほど痩せたが、
これで20歳半ばの体重に戻った。歳相応になったということか。
それより、ランチを食べに行くのが面倒になったということ。
(字数制限のためカット 2015年8月29日)
・・・・・・
3068,衆院選後のマスコミ社説を先取りすると!
2009年08月29日(土)
衆院選挙の自民党の壊滅は、ほぼ決定的である。
バナナを使って捕獲されたサルと自民党の姿そのものが重なって見える。
サルを捕獲するに、箱にバナナを入れておき、サルの手が入る穴からバナナ
を掴むと手が抜けない。そこを捕獲するという逸話がある
(本当かどうかは確かではない)。それと、自民党の300議席からくる
権力の執着に似ている。 誰かがこの喩えを使うかどうか。
翌日のマスコミの解説の内容は以下の通りだろう。
* 民主党の大勝に意味すること
《 民主党が歴史的大勝をしたが、これは自民党の4年間の政策に対する国民
の失意の結果。ところが自民党の領袖たちは最期まで、その自覚が全く無かった
ようである。一年おきに、実力の無い首相を血統書のブランドだけで三人もたて
続きに送り出し、その醜態を見せつけられれば、国民は愛想を尽かすのは当然。
自民党は、国民を小泉劇場という猿芝居で騙し取った議席で4年間も居直り
官僚に利する政策を続けた結果が、これである。 日本の歴史に残る最悪の事態
に導いた4人の宰相と、元首相や元領袖などは、汚点として評価されて然るべきで。
この7~8年間に新自由主義の波に乗り、堀江モン、村上某、オリックスの宮内某
とかの、怪しげな乗っ取り屋がマスコミで寵児のように扱われた。その結果、
日本的企業風土は粉々に壊されてしまっていた。 小泉の行った郵政民営化は
旧態依然とした体質に風穴を開けたことは確かである。
民主党が、それを全面否定してはならないが、大きな修正の必要性はある。
ところで日本の国体をこれほど落し込んだ元凶の田中角栄の娘が、風の流れに
便乗して民主党に入り込んで閣僚を狙っている?と報じられているが、外務大臣
のときの醜態を二度と国民の前に出してはならない。
落選した自民党の大量の元代議士が今度は参院で再起を目指して、水面下で
選挙を目指して起死回生をかけるだろう。その結果として、参院が自民・公明党
が過半数を取ることになれば、これまでと全く逆転する皮肉な事態になる。
そのプロセスで政界再編成になるだろうが、この政治的に幼稚な日本という国に
とって、この5年間は大転換期。可能な限り安定した政局の必要である。
民主党の待ったなしの強力な戦略が求められる。 》
大方、こんな風な内容。「自民に不満、民社は不安」とは
良く言ったもの。変化は不安だが、必要である。
・・・・・・・・
2703, 「レンタルの思想」-7
2008年08月29日(金)
地球は太陽の周りの隕石が何度も何度も衝突を繰り返しながら拡大し、
生成されたもの。聖地が石で出来ているというのも、その辺に秘密がある
のだろう。 趣味の究極は石になるというが、それもまた同じ理由なのかも
しれない。いま気が付いたが、植嶋啓司の本を取り上げたことがあった。
全く忘れていたが、聖地の共通点を取り上げた内容だった。
~~
「宗教の隕石学」への挑戦 松井孝典×植島啓司
*聖地の岩石学
松井: 植島さんの本を読んで、なるほどと思ったのが「聖地というのは、
みんな石切り場だ」ということです。
植島: 石を切り出したところ、あるいは特殊の石組みですね。
松井: 自然が宇宙の歴史を記した古文書なら、石切り場も古文書です。
植島: 20年間、世界中の40数箇所の宗教の聖地をおとずれたが、共通して
出会ったものは「石」であった。エルサレムの黄金のドームは
「岩のドーム」と言われているとおり巨大な一枚岩が置いてあるだけ。
聖墳墓教会のあるゴルゴダの丘もかっては巨大な石切り場だった。
ストーンサークル(環状列石)、岩石刻文の宝庫であり、
パルテノン神殿が建てられたアテネの小高い丘は巨大な石の塊、
エジプトのピラミッドは元々は石灰岩の山で、崩して平らにして
組みなおしたもの。これらは偶然だけではないだろう。
植島: 聖地の条件として、ある樹木があるとか、洞窟があるとかではなく、
なぜ石なのか、石には何か特殊の力があったのか。・・・ 古文書
として石を読む上で、分析は非常に大事だと思います。
ただ石の成分を読むのではなく、石が置かれた文化的環境を読む。
石ということでは、隕石や地球のマグマとの関係も重要です。・・・
松井: 実は1980年以前はそういう認識はなかった。というのも地質学では、
巨大隕石の衝突と地球史・生命史を結びつける考え方は、科学では
退けられていた。 しかし天から降る石があって、それが人間の存在
や考え方に影響を及ぼすという認識は、自然科学の登場前からあった
かもしれない。
松井: 今こそ地球上に多くの人が住むようになって、絶えず隕石の落下が
報告されているが、これが人間が少ない時に大空から大音響とともに
火の玉が降ってくるというのは、すごいインパクトがありますよね。
~~
解) 聖地は、どれもこれも、石切り場の跡にあるという。私も多くの聖地を
見てきたが、全てが石組みであった。古代は大創造物は石しかないのだから、
何も不思議ではないじゃないか、 という見方も出来るが。隕石に不思議
な成分が含んでいたのかもしれないし、宇宙の暗号があったのかもしれない。
現代の人類が、その暗号に気づかないだけなのかもしれない。隕石に不思議
な波長を、特殊能力のある人は、感じ取っていたのだろう。空から轟音と
ともに石が降ってくれば、神からの贈物と思うのも不思議ではないが。
「聖地の隕石学」も面白いだろう。親父が晩年、石に興味を持ち、うちの
庭には大きな石と石灯篭がゴロゴロある。一昨日も、兄の庭にあった石灯籠
を一つ引き取った。一年ほど前から、庭の花を写真に撮りだしてから、
ここの庭に興味を惹かれるようになった。石と木と花と緑のバランスが
良いが、実は特徴は背景の石だったということだ。
・・・・・・・・
2007年08月29日(水)
2339, 意志について ・ω・)ノはよー
「狂人三歩手前」 ー中島義道著
-哲学などしないようにー
哲学は、全て根こそぎ疑い、そして疑いの中から真実を見つけようとする。
哲学は曖昧な言葉をミキサーのように砕いてしまう。意志についても哲学者は、
その言葉に含まれている前提を見逃さない。殺人者は、殺そうという意志が
あって成り立つ。(衝動もあるが)一般的に意志は初めから「善いもの」という
前提がある。その前提を見逃さないのが哲学である。だから、嫌われるのである。
といって、曖昧な考えは、判断を狂わしてしまう。
真理をさけて通ることは、さけて通ったという事実が残る。
ーー P-174
世の中で信じて疑わないことのほとんどが眉唾ものである。
とは、10歳の頃から直感していたが、ーそれを一つ一つ「やっぱり」と納得して
いく過程が私の人生であった「ある」とは何か、「いま」とは何か、「私」とは
何か、「善い」とは何か、人生経験を積めば積むほど夜中に森の中をさまよう
ようにわからなくなっていく。とりわけ、このごろ「意志」と呼ばれているものは、
ただの社会的取り決めにすぎないのだ、という思いが強くなってきている。
私はすべてにおいて優柔不断であり、何か