つれづれに

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 いま現在の午前のこの時間、音楽を聴きながら、これを書いたり読書をしている。
このところの日々は、安定しているというより、平凡な日々。
淡々とした日々の中に、人生の安らぎを如何に見つけるかだが。

 
 

・・・・・・・
2005年06月10日(金)
1529, 「人を動かす」-1
               ー読後38年目の読書日記
          
この本は思い出深い。学生時代に出会い、この原則を忠実に実行してみた。
その結果、数ヶ月もしないうちに、私の周囲に多くの人が群れだした。
丁度、都会の生活にも慣れ、脱皮の時期であった時に書店で見つけて読みながら一つずつ実行した。
成る程、
・自分の言いたいことを我慢して相手の話を聞き、かつ認めてやるのは難しい。
・それも相手が自分自身を重要人物と納得するように誘導するのだから。
・人を非難するかわりに、相手を理解するように努め、・相手の話に興味を持って聞いて
 やることこそ万人の求めていることなのだ。
 人は他人の親が死ぬことより、自分の歯が痛いことの方が問題である。
 心がけていると、身に付くものである。 その時から、一人一人と友人が増えていった。

この本の冒頭に社員を300人以上解雇した男の例をあげている。
部下に褒め言葉一つも言わない、いやな上司の典型だが、カーネギーの講義を受け
「けっして批判したり、責めたり、文句を言ったりしない」という
原則を実行すると、その男は「314人の敵を314人の友に」変え、
それまでなかった部下の忠誠心を高め、増益を出したという。
それだけでなく、家族がさらに彼を愛するようになったし、
人生観ががらりと変わった」という。

「人間は誰も重要な存在になりたい」という大きな欲求がある。
この認められたいという渇望を理解している人こそ、
ひとを幸福にする方法を知っているのだ。

過去に、世界42ヶ国で2000万冊以上も売れた本である。
<あるHPに、この本の原理原則がマトメてあった>抜粋してみる。

ー人を動かす三原則ー
1.批判も非難もしない。
   苦情も言わない。
 ・神様でさえ、人を裁くには、その人の死後までお待ちになる
 (文学者ドクター・ジョンソン)
 ---
2.重要感を持たせる。
   素直で、実直な評価を与える。
・人間のあらゆる行動は、二つの動機から発する
 ――すなわち、性の衝動と、偉くなりたいという願望・・・。
 (フロイト)
・お世辞と感嘆の言葉とはどう違うか?
 後者は真実、前者は真実でない。
 後者は心から出るが、前者は口からでる。
 後者は没我的で前者は利己的。
 後者は誰からも喜ばれ、前者は誰からも嫌われる。
3.人の立場に身を置く。
 そして強い欲求を起こさせる。
・成功に秘訣というものがあるとすれば、それは他人の立場を理解し、
 自分の立場と同時に、他人の立場からも物事を見ることのできる能力である。
 (自動車王ヘンリーフォード)
  
・・・・・・・・
2004年06月10日(木)
1164, 哲学について -1
哲学について、いつか書いてみたいと思っていた。といって、これは簡単に書けるテーマではない。
知識の浅さがそのまま露呈してしまうゴマカシがきかないテーマであるからだ。
そうとわかっていても自分のために、まとめてみたいという誘惑にかられる。
挑戦をしてみるが、知識や経験の浅さを露呈しても今更と割りきるが、しかし恐ろしい。
今まで哲学書で、一番納得したのは末広渉の「新哲学入門」である。
「従来の物的世界像から事的世界観への転回をはかって、認識、存在、実践の三つの側面から、
私たちを捉えている近代的世界観の根底的批判を展開し、新しい知の枠組への案内を試みている」
と、説明文に書いてあったが。
 ーーー
日常におわれていて、ふと日常のおなじパターンを繰りかえしていることに疑問を感じ、
「このことに何の意味があるのだろうか」と疑念を持つことから哲学が始まる。
この随想日記で「世間さま」を茶化して書いてきたが、これも哲学の初歩的なものだ。
「我々が住む世界の基本的な概念と原理に疑問に持つこと」が哲学の始まりである。
前提そのものを先ず把握して、それを疑ってかかることが哲学の始まりだ。
過去の歴史的な偉大な哲学者が、2千数百年にわたり,いろいろな概念を思索して根本的なことを
解明しようとしてきた。いまさら根本問題を深く考えても仕方がないが、避けては通れない問題でもある。
ー哲学そのものについては
 カントの哲学の定義が分かりやすい。
 (一)私は何をすることができるか。
 (二)私は何を為すべきであるか。
 (三)私は何を希望してよいか。
 (四)人間とは何であるか。
誰もが、漠然と常に考えている問題である。
 第一の問いに答えるのは形而上学であり、
 第二の問いには道徳、
 第三の問いには宗教、
 第四の問いには人間論が答える。
  人間論に含ませてしまえば哲学も簡単であるが。
学生時代、自分というものに目覚めた時、そして社会を目の前にしたとき
まず直面するのが、この問いである。そしてわからないまま、とりあえず社会に
飛び出していく。そして晩年になって過去を振り返り、ふたたび後悔という意味で
結果論として問い直す。
 (一)私は他に何をすることができたのではないか。
 (二)私は何を為すべきであったのか。
 (三)私は何を希望すればよかったか。
 (四)人間とは何だったのか。
そして、後悔と、自己満足の間をゆれる。
哲学はなけっして難しい問題ではない、身近な問いかけでしかない。   ー つづく
  ーーーーーーー
 書いていて、恐ろしくなってきた。
 何もわかってないのに、解ったような気になって適当の文章を書いているのだから。
 目的は、それぞれの有名な哲学者の言葉・思想を何人かまとめておきたい
 前段として、この恐ろしいテーマに挑戦する。やめておいた方がよさそうだが。
 「ショーペンファウアーについて」等のテーマを、何冊かの本からまとめた内容を、冷静にみるのも面白そうだ。
 ダイジェストの本はいくらでもあるが、「哲学について」のテーマで10以上書いたら、やはり世界観が変わってくる?
 何処まで続くか?
 
 ・・・・・・・
2003年06月10日(火)
797, 流通業界よりみた時代の変化ー
流通業界の事は度々書いているが、10年前の状態と今を比べると段差に驚かされる。
ー10年前は、
ダイエー中内功は、まだ他の会社の建て直しをしていた。
西武グループ堤清二もバブルの後始末に入ったところであった。
・マイカルーニチイも創業者の一人小林某が、マイカルシティーとかいう、
 アメニティーなど入れた複合の施設をつくっていた。
・長崎屋も駅前型から郊外にその重点を移そうと必死であった。
ヤオハンは香港に本部を置き中国に出店を始めていた。
・ソゴーも大型店を破竹の勢いで出店していた。
その全てが潰れてしまったか解体である!時代の変化の激しさを痛感する。
すべて多角化によるエネルギーの分散による競争力の低下で自滅したパターンである。
当時チェーンストアのコンサルタント渥美俊一は現状に近くなる事を予言していた。
今だに元気のよいのが、イトーヨーカ堂ジャスコである。それと十数年前に一時潰れそうになったユニーである。
今後10年後はどうなっているか?というと、想像すらつかないのが流通の世界である。
もっとも日本そのものがどうなっているのかも想像を絶するが!経済的大変動に90㌫以上は襲われているはずだ。
愚民の選んだ自民党と官僚の利権維持の為である。それとアメリカの毒饅頭をタップリ食べさせられた背後にある。
若い人は本当に大変だと思う。大激動時代を生きていかなくてはならないからだ。
話しをもとに戻すと、この情報革命とそれによるグローバル化により想像もできない流通形態になっいるだろう。
ビジネスの宿泊が3分に1に僅か2~3年で激減する時代である。当面始まるのが東京周辺の百貨店の淘汰である。
高島屋、東急、松坂屋とか株価欄を見ればいくらでも候補がある。まだ高島屋みたいに表面化してないところもあるが。

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2002年06月10日(月)
433,自由ほど不自由なものはなし!
自由ほど不自由なものはなし! 誰もが経験がある事だと思うが。
ー至近の例で、
サラリーマン生活をしてきて、待っていた定年がきた時ただ呆然。
こんな筈でなかった、何もできない自分に直面する。あれだけ求めていた自由に躊躇してしまう。
今まで束縛されていた組織からの自由を求めているだけ。
「自らに由る」という言葉の意味さえ考える余裕も無かった自分に直面する。如何してよいか判らない。
仕方がないので、それまでの行動をとるしかない。会社の近くに同じ時間に出勤する。
今まで行っていた喫茶店やスナックなどの溜まり場に行きざるをえなくなる。
目の見えない首輪がそのまま付いたままなのだ、紐まで付いたまま。
そして紐付き首輪を付けて、それまで出たことのない同級会に出たりする。
「元・・などの肩書き」はそこでは何も通用しない事をそこで思い知らされる。
そして他の軽く軽蔑してきた人と同じレベルまで引き摺り下ろされる。
いや彼らの中味のほうがズット詰まっていることに初めて気が付く。
自らに由るとは何か?自ら判断し責任をとることだ。
ただ群れて、その群れと同じ行動をして、何も考えず判断をしてこなかった自分に初めて直面する。
自由とは本当に厳しいことだ。人に甘く自分に厳しさが基本になくてはならない。
普通、人間は逆になってしまう、自分に甘く人に厳しく。
自由、平等、博愛のフランス革命の精神。自由に重きを置いたのが資本主義社会。
平等に重きを置いたのが社会主義である。自由は平等ではなく公平を求められる。
それまでの平等の意識が根底から崩される。
もう誰も相手にしてくれない小さな自分にはじめて気づく。
公平?社会がすぐに冷たく圧し掛かってくる。
自由はそれに適応できる人には優しく、出来ない人には厳しく反応してくる。

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2001年06月10日(日)
[48] 同じ人生を
全く同じ人生を生きたい!
私の常識的判断では、90%以上の人は‘とんでもない!’と即座に答えそうだが。
しかし生きていく上で、全く同じ人生を生きたい!と思える人生を生きることこそ必要な事と、
ある人生論の本に書いてあった。そういえば父がガンで死を悟ったとき、
母に何回も「もう一度生まれ変わって全く同じ人生を生きなおしたい」と言ったと聞いた。
その時はやはりとんでもない!と自問自答したことを憶えている。最近そうおもえるようになってきた。